風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

不思議な話・・・ 見えない世界その3

2015年12月17日 00時06分32秒 | 風竿日記

これまで、第一話、二話と私が体験してきた不思議なパワーの話をしてきた。

恐らく頭の固い御仁には理解できないことだと思う。

そこで、主観を交えず淡々と、ただ起こったことだけを書き連ねてきた。

老境を迎えたとはいえ、我が家の愛犬に次々と訪れる体の不調を通じて、

いや、私達家族も含めて、石橋先生の不思議な力に何度も助けられてきたのは、紛れもない事実なのであった。

 

山口大学病院まで3度通ったのも苦しかったが、良い体験であった。

この写真は手術には大変なリスクがあり、死んでしまうこともあると云われ、レオンが初めて越えた関門海峡をバックに撮ったもの。これから手術に向うところなんである。

最後の写真になるといけないので、無理して作り笑いしている。

これは退院して再び関門海峡を渡れる喜びの写真なのだが、長距離運転で疲労困憊している。

そしてこの手術についても石橋先生は間断なくパワーを送り続けて頂いたのであった。

その後も数え切れないほどレオンの具合が悪くなる度に助けて頂いたのであった。

先生の施術はまず体の全部の状態を診て、脳から臓器、骨に筋肉まで見えない力で治していかれる。

これは体験しないと、とても理解はして貰えないであろう。

それを誰よりも判っているのはレオンである筈だ。

そんなにお世話になった石橋先生の施術院コスモライト石橋さんの大忘年会が武雄で開催された。

12月12日土曜日のことである。

東京・大阪・広島などから総勢105名のお方が二ューハートピア武雄に集まっての石橋フアンの集いのようなもの。

最近も、脳梗塞の後遺症が残っていて元気がないレオンを家に置いたまま夫婦で出かけるのはちょっと抵抗があったのだが、それでも大恩人のパーティだから行かねばならぬ。

ましてや、レオンはゲージの中に閉じ込められるのを極端に嫌っていて、私が着替えようとするや否や、

留守番させられると察知してコソコソとソファーの裏側に隠れてしまうのが常なのであった。

この日も、体調が頗る付きで悪くヨロけながら歩く状態なので出かけるのを躊躇していると

あらまあ・・・なんとも不思議なことが起こった。

自分からゲージに入ることなど一度もなかったレオンがケージに入ったのであった。

ちょっと待ってくれよ・・・。まだ夕飯を食べさせてないので、ゲージから引きづり出して・・・(中々出てこないのだ)

ドッグフードを食べさせ、水を飲ませた。

するとまた、一人でゲージに入ったのである。

私はもうびっくりポンの状態で、この現象がどうにも理解できなかった。

あんなに嫌がっていたゲージに自分から入るなんて・・・。

お陰で気持ちよくコスモライト石橋の忘年会に出席することが出来たのであった。

レオンには、私がこれから石橋先生とお会いすることが判っていたのだとしか思えない、実に摩訶不思議な出来事であった。

コスモライトの忘年会では、この1年の感謝の想いを込めて奥様のマリア先生からのリクエスト通りにピアノを弾いて歌を唄わせて頂いたのだった。

私の守護神に憑いてくれているジョンレノンの平和の歌Imagineと、マリア先生が好きだと仰る「いっそセレナーデ」の2曲であるが、

忘年会の間中ゲージの中のレオンを想っていたのは云うまでもない。


見えない世界の話2

2015年12月15日 23時38分10秒 | 風竿日記

犬はとても素直ではからいがない。

あるがままをそのままに受け入れ、悲しければ泣くし、嬉しければ尻尾を振りまくる。

だから、ある種の信号をそのままに受け入れるから、石橋先生の施術がダイレクトに効くのであろう。

彼はもうすっかり老犬の域に達していて、このところは満身創痍も手伝ってか、いつも、きつそうに寝ているばかり。

無理もない。

9月に大手術をして脾臓を全摘したのである。

その時の写真はこれ・・・・。

今でもこの姿を見ると、胸が痛む。

意識は朦朧としていて、私達の心の声も届かない状態であった。

その時、石橋先生はイタリアにおられたのだが、私達の心配を察してメールで手術は成功、これでいいぞ。

とのお知らせを頂いた。

そのご配慮が胸に響き、その後の順調な回復も先生の遠隔治療のお陰だと思っている。

10月はすっかり元気になったレオンであったが、下旬に再び元気をなくし、とうとう特発性前提障害という脳の病に陥り、いわば脳梗塞のようなもので、歩けなくなってしまった。

にも関わらず、脳が冷静に機能しないことから、斜行してヨロヨロと歩く状態に加え訳も判らず、やみくもに吼え続けて、とうとう声帯が枯れてしまうほとであった。

主治医はお休みで、仕方なく違う動物病院に駆け込み投薬治療を受けることになった。

しかし、一向に彼の気が狂ったような吼え方は収まらず、思い余って石橋先生にスカイプ施術をお願いした。

すると見る見る間にピタリと泣き止み、翌日にはまっすぐに歩けるまでに回復したのである。

左に顔が傾くという後遺症は残ったのだが、もうこのままでは死んでしまうと覚悟した状態からの生還は言葉に云い表せないほどであった。

6月頃だったか、古くから知っているお方の癌が骨に転移していて、とても辛いというお話を聞いた私は、いても立ってもいられずにコスモライト石橋に行くことを勧めた。

そのお方は藁をもすがる気持ちで施術を受けに行かれたのだが、ちょっと俺には合わんからもう行かないとの電話があった。

そして、その日、私宛に石橋先生からメッセージが入った。

「尾形さんからご紹介されたAさんは、残念ながら私の施術を受け入れる脳の構造にはなっておられないので、申し訳ないが私には治せない。」

とのことであった。残念ではあるが、これもご縁なんである。

後日そのAさんと会う機会があり、どうでしたと尋ねると、先生とは一言も会話はしていないとのことであった。

先生は瞬時にして患者さんの脳の中まで見抜かれるのだが、まさにAさんも見抜かれていたのである。

そのことをAさんに告げたら、随分と驚かれた様子であった。

一言も話さず、失礼な素振りもみせていないのに、心の中をビシッと読まれている・・・・。絶句された。

思い換えて行けばよいのにと思ったが、他人様の人生だけに強制などできる訳もない。

自分で納得して施術を受けられないと、自分で人生を切り拓かれないと・・・・。私のできる事は紹介することまでなのだ。

さて、レオンは特発性前提障害を脱したものの、12月に入ると再び元気がなくなった。

呼びかけにも反応が鈍くなり、いつも私が仕事に行くときに必ず「行かないで・・・。」とばかりに玄関まで走ってきて大きな声で吼えることもなくなってしまった。

昨夜は再び、東京の分院にいらっしゃる石橋先生のスカイプ治療を受けることになった。

脳幹は機能し始めたが、脳にボケが入っていて、自分で何をしたいのかも判らずにいるという診たてであったが、まさにそのような素振りであった。

脳を活性化させるから、左足も弱くなっているから強くするね。

左の肺も、右目の視力も落ちているからパワーを上げる。

ハイ、歩かせてみて・・・・・。

ヨロヨロしながらではあるが、まっすぐに歩いてくれた。

信じられないことが起こることに慣れっこになってしまった私であるが、こんなに顕著に施術効果が現れるのには、ホトホト驚かされる。

こんなエピソードなど別に珍しいことではない。そこかしこにゴマンと転がっているのだ。

私の横の患者さんが、長い間脳梗塞でマヒされていた左足でスックと立ち上がり、歩かれるのも見せていただいた。

治療にこられていたたくさんの患者さん一同、感動の拍手の瞬間であった。

かくして今日の朝は、久しぶりにレオンが私をお見送りしてくれたのである。

「行くな!」という意味のワンワンワンという大きな声と一緒に。

信じるものは救われる。

肩が痛かろうが、恋の悩みであろうが、癌の治療であろうが、一律5千円、マッサージに行くような施術料。

他に請求されることは一切無い。

そして石橋先生は一日僅か3時間の睡眠で遠隔治療・スカイプ治療・施術院での治療に明け暮れておられる。

食事の時間すら惜しんで人を助けたい、幸せにしたいの一心から動いていられる。

私が最も尊敬に値する人だと思う素晴らしいお方である。

 


目に見えない世界の話

2015年12月15日 00時16分40秒 | 風竿日記

見えない世界のことを書くと・・・

当然ながらじぶんの前で起きていることしか信じない皆様には、信じられないことなので、ヒンシュクを買うのであろう。

だから実際に起きたことのみ、出来るだけ客観的に書くことに留めたいと思う。

無論、私は普通の宗教観を持っている。

特段敬虔な仏教徒という訳でもなく、かといってクリスチャンでもなければ、神道に通じている訳でもない。

父・母の命日には手を合わせ、節目の時には神社にお参りもするというどこにでも居る日本人であるつもりだ。

それは昨年の9月、愛犬レオンの尿道付近が妙に腫れているのに気付いたことから始まった。

かかりつけの信頼している動物病院に診て貰うと、精巣に癌が出来ているというので、音楽イベントをやっているさなかに摘出手術をして貰うことになった。

手術の日は完全看護の病院に泊まらせ、二日目の夜はいつものように我が家のベッドで一緒に寝ることとなったが、老犬故に痛み止めは処方しないというのである。

体を切り刻まれた愛犬は、断末魔のような唸り声をあげて、本当に目から涙を流して痛がっていたのだった。

病院に泊まっていた昨夜も苦しかったに相違ない。鳴く声がもう枯れているくらいなのだ。

赤子をあやすように抱きかかえて、何とか傷みを和らげようとするのだが、一向に泣き止む気配もないまま、途方にくれていた。

あんまり苦しがるので、万策尽きた私は、ふとコスモライト石橋の石橋与志男先生のことを思い出したのであった。

一、二度お会いしたご縁があり、奥様のマリアさんともフェイスブックで繋がっていたので、夜中ではあったが、思い余ってSOSのメッセージを送信したのである。

運良く先生はまだ起きてられ、遠隔治療を施して頂いた。

愛犬の様子を写真に撮ってメールで送ったのみである。

何度か状態の説明をして、必死でメールに集中していたが、しばらくの後、

「もういいでしょう。レオンちゃんは今どうですか?」

と聞かれたので、ベッドの上の愛犬を確認すると・・・・

あんなに苦痛でのたうち回っていたレオンは、安心した時にのみ見せるお腹を天井に向けて、スースーと寝息を立てて寝ていたのである。

ちょっとこれには思わず絶句して、私は地獄に仏を見た思いであった。

それから一年、今度は8月のお盆過ぎに、急に水も食事も摂らないようになった。

石橋先生に診てもらうと、癌ではないよ。でも臓器が腫れている。との診たてであった。

念のため信頼している病院に連れて行くと、膵臓の付近が怪しいという。レントゲンとエコー検査の結果では脾臓か膵臓が炎症を起こしている公算が大きく、山口大学の動物医療センターでのMRIによる精密検査を勧められた。

そこで病院からの紹介状を頼りに山口まで往復700キロをかけて精密検査に出向くと

脾臓が以上に腫れていて9割がた癌に侵されているという診断であった。

その場で手術して摘出した方が良いということで、一週間後に再び山口まで出向くことになった。

手術の当日は午前3時に家を出て、暗い気持ちで長距離を走ったのであった。

もう関門海峡を渡って帰れないかも判らぬと不安な気持ちで一杯であった。

朝一番にレオンを預けて手術の終るのを車の中で待つのだが、何と順番もあって、手術が終ったのは夜の10時であった。

モルヒネまで打たれ、麻酔がまだ覚めやらぬレオンは弛緩していて舌はダラリと出たままのヘロへロ状態であった。

手術の結果をドクターは淡々と事務的に告げ、レオンはそれから9日間も私達の手の届かない病院のゲージの中に隔離されてしまったのであった。

レオンの状態が判らないまま、最後に見たあのヘロへロ状態が頭から離れずにいると・・・・

心配して下さっていた石橋先生から1通のメールが入った。

先生ご夫妻は何とイタリアに旅行中なのにである。

「手術は成功した。もう大丈夫、安心しなさい。」

という内容に胸を撫で下ろしたのである。

そして退院の日を無事に迎え、ドクターの所見を伺うと・・・

生検の結果は脾臓の腫れは癌ではなかったことを告げられた。ただ炎症が膵臓を圧迫していて食事が獲れなかったらしい。

「癌はないよ・・・。」

と云われた石橋先生の診立てを思い出した。

脾臓は免疫を支える臓器だけにとらないで済むならそれに越したことは無かったのだった。

同時に石橋先生の云うことの正しさを痛感したのだった。

この世には見えない力というものが存在するのだ。

その昔、私も色んな勉強をしてきたつもりであった。

中村天風先生の丹田呼吸法、静座、

森信三先生の哲学的思考法

石橋先生はいつ修行されたのか、それらの素養をすべて身に就けておられる。

そして人の脳の中まですべて見通す力を持っておられる。

続く・・・・。


晩秋のソネット

2015年12月13日 22時49分13秒 | 風竿日記

12月の声を聞いたと思う間もなく、もう13日なんである。

今年は暖冬だとかで、庭の山もみじはまだ真っ赤に色づいているし、干し柿は2回目の挑戦となった。

光の加減では庭が燃えているように見えるほどである。

この干し柿は第一回目の作

もう出来上がって、友人へ配ることに・・・。

正月用の干し柿をもう一回挑戦することになったのだ。

例によってまた27個の柿を剥くことに。

私がやらないと犬が剥いてくれる筈も無いし・・・。

少しは暮れらしさを味会うために、大切な土曜日を捧げて、ひたすら剥いた。

お陰で少しは包丁使いも上手くなった。

なんでも経験がモノを云う。

かくしてモミジと柿の共演の図となった次第である。

これで、後はお餅があれば新しい歳は迎えられそうである。

カレンダーも残り少なくなった。

今年やり残したことをすべて片付けて、いい年の瀬と、希望に満ちた新年を迎えたいものだ。

 


ラーメンの話

2015年12月02日 23時37分11秒 | 風竿日記

小学生の頃の話

中学の教諭をしていた父は、呑み会が多くて、深夜帰宅すると近くのラーメン店に出前を注文させた。何しろ教員は強飲と書くのだとうそぶいていた位に、何かとかこつけて飲み会があった。

空酒というか、呑み会の時には殆ど食べずに呑んでいたらしく、小腹が空いていたのだろう。

ところが注文させたのはいいが、泥酔状態でそのまま寝てしまい出前が届いても一向に起きないのが常であった。

そもそも父は無類の麺好きで夏はソーメンばかり食べていたし、呑んだらラーメンなんであった。

食事中に口の中でクチャクチャとでも言わせようものなら、厳しく叱っておきながら、自分はラーメンをズルズルと食べていた。

目をつむって黙って食べていた。

父が逝って34年にもなるのだが、そんな光景が思い浮かぶ。

ラーメンが、まだ50円だった頃の話

そしてとうに父の没年齢を超えた私も。

酒を呑むと〆はラーメンを食べている。然も私も呑む時にはあまり食べない。

父の子供だから仕方が無いが、こんなに旨いものはないと思っている。思えば我が一族のソウルフーズなのかも知れない。

呑んだ帰りは後楽園さんのラーメン

たまに御船山の山裾にある来久軒にも立ち寄る。

博多に行ったら山ちゃんラーメン

長浜公園の前にある居酒屋ラーメン店のラーメンは芸術品

スープまで完食の浅ましさ。

どうしてこんなにもラーメンが好きなのか、父親に聞いてみたいものである。

其れ、DNAの恐ろしさであろうか。

はたまたオヤジの歩いた道を子もまた歩くのであろうか。

それは定かではないが、54で亡くなった父を偲ぶよすがでもあり、少しばかり嬉しい気にもなる。

今夜も祝賀会の帰りに後楽園に立ち寄った私であった。

 

 


旅立つ秋

2015年11月23日 00時07分17秒 | 風竿日記

秋は実に早足である。

9月、10月、11月と仕事に追われているうちに

季節は木立を抜けて晩秋を迎えた。

「武雄物産まつり」で二日間献血運動に精を出し、疲れきっての帰り道に見かけた武雄市文化会館の生垣は、

銀杏の帽子を被って、ちょっとお洒落を気取っていた。

今年の紅葉はヘンな夏を経た昨年からすれば、マシな方ではあったように思う。

それにしても銀杏の落ち葉を散りばめた生垣とは・・・贅沢な晩秋の装いである。

そして我が家の軒先も・・・晩秋の風物詩がぶら下がっている。

平谷温泉の物産販売所から買ってきた干し柿用の柿が33個

男手で剥かれて軒先へ

美味しい干し柿が完成する頃には

すでに秋は旅立っていることであろう。

昨年もこのような晩秋であったのが昨日のことのよう。

あっと云う間の一年。

時の過ぎ往くのが年毎に早くなり、それが寂しくもある。

柄にもなく、ボズ・スキャッグスの「We are all alone」でも聴きたい気分である。

 


One Fine Day

2015年11月12日 23時45分21秒 | 風竿日記

かって、「ワン・ファイン・デイ」というポピュラーソングがあった。

カーペンターズのバージョンが一番秀逸であったので、それをご紹介して話を進めてみたい。


私のOne は文字通り犬が吠える「ワン・素敵な日々」と和訳する。

相棒の愛犬レオンはその後、術後の経過もよく、家の中を脱兎のごとく走り回り、すっかり元気になってくれていた。

8月後半に脾臓に大きな腫れが見つかり、9月初旬に山口大学動物医療センターで摘出手術を受けていたのだが、何とか元気を取り戻し、10月は元通り平穏な日々を送っていたのである。

家族同然とも云うべき愛犬との普通の生活が、いかに有難いものかと痛切に感じていた幸せな10月であった。

ところが、この8日の日曜日の午後、頭を縦横斜めに頻繁に動かすので、おかしいとよく見たら目が回っているような素振りなんである。

これはいかんと月曜になって動物病院に駆け込むと、前提障害の恐れありとの診断

まずは眼振を止めねば脳がおかしくなってしまうということで、この日注射を7本も打たれた。

ステロイド系の薬を投薬されて、微睡むことにより少しは楽になったのか、目が回る状態の眼振は収まってはきたのであるが、歩くと首を左に傾けながら、足がもつれてすぐに転んでしまう。

本人は必死になって歩こうとしているのだが、歩けない。

思い余って「クン、クン、クン」と鼻にかけて泣くのが可哀そうなのだ。

悔しいに違いないのだが、本人は自分の身に何が起こっているのか判らないのが本当だろう。

脳梗塞の恐れもあるので、主治医に駆け込もうとしたが、日曜当番医の代休で月曜日はお休みなんであった。

困り果てて違う病院の門を叩いたのだが、待つこと、待たされること・・・・。

それでも診てもらえたから良かったものの、飼い主からすれば本当に心細かった。

今年14歳となる老犬ゆえに、この先は介護の日々が待っていることであろう。

これまでの「ワンちゃんのFine Day」がいかに素晴らしい日々であったのかと、しみじみ思わされているが、これまで十分に癒されてきた私。

これからは私が彼に恩返しをする番がやってきたのだ。

終末医療に通じる道かもわからないが、愛犬の立場に立ってモノを考えていかねばなるまい。

彼が我が家に初めてやってきた日のことを昨日のように覚えている。

私の両手の中にスッポリ納まってしまうような子犬であった。

歳月のスピードは実にあっという間、そして無常に速いものだ。

歳月は犬を待たずである。

 

 

 


休日の散歩道で

2015年11月08日 21時44分25秒 | 風竿日記

絶対的に歩かなければならないことを、今更に思わされている。

老化とは筋力の衰えから始まるものらしい。

何処に行くにも「ドアツウドア」に慣れてしまっていて、週末のゴルフも腰痛で避けていた私。

まったくの運動不足は火を見るよりも明らかなのだ。

ということで何度か習慣化しようとしてきた散歩を復活。

3000歩のウオーキングから始めることにした。

しかし、休日の散歩は実に気持ちのよいものだ。

疲れた腰を庇いながらではあるが、時折いい景色に出会うとスマホのカメラで切り取りながら歩く。

燃えるような鶏頭に出会い、ハッと驚いたりしながら歩く。

人様のお花であるが、ちょっと失礼してパシャリ。

紅葉も顔負けの美しさなんである。

私の家は冬野堤の水下に面している。

私は堤とは呼ばずに湖だと言い続けているのだが・・・・。

その水面に私の家と山の稜線が、グラデェーション絵の具で描かれていたような景色を切り取ったのだが、

思わず・・・ホーッという水彩画的な写真であった。

こんな光景も、歩くから撮れるモノダネなんである。

大豊作だった田んぼの光景も田舎ならでは・・・・。

今の自宅に満足している私である。

こんな素晴らしい環境にお世話になっていてウォーキングしないなど無いよね。

といいつつ、雨で今日の散歩は早速断念したのであった。

2.5キロほどの湖周り一周コース。

今は歳をとって長い散歩は無理の愛犬レオンと、何度も歩いた道である。

30分ほどで帰り着くといい汗をかける道。

私の人生と同じで、長く曲がりくねった道でもある。


人間万事塞翁が馬

2015年11月05日 22時58分32秒 | 風竿日記

今年の5月からずっと腰痛に悩まされていた。

時々ゴルフの後など、歩けなくなったりした。

少し座って休むと何事もなくまた歩けたので・・・・坐骨神経痛と自分で勝手に決め込んでいたが、症状としては脊柱間狭窄症の疑いもあるということ・・・・。

7月頃から、立ったり座ったりする時には、とうとう腰からお尻にかけて、ピリリと気持ちの悪い電流のような痛みが走るようになり、それが膝の後ろ側にまで来始めたのだ。

それゆえに、体を後ろに反らすのがとても大変になってしまったのである。

ありとあらゆる治療を試みてきたのだが、なかなか良くはならなかった。

そんな中でいつも通う武雄川良整骨院のテーピングは効果ありであった。

それでも腰の重苦しさはとれなかった。

病院に行けば直ぐ手術と言われるのが嫌で、色々と一人思い悩んでいたんである。

さて、10月の仕事の忙しさは最上級であったが、腰痛と闘いながら10支部の研修会をこなしていた。

DVDを流したり、司会をしたりして研修会の仕切りをやらねばならないのだが、その途中で歩けなくなることまであった。

月末近くは疲れもピークであったが、たけお法人会始まって以来の会員様向けゴルフコンペを開催することになっていて、私も無理を押して出場することに・・・。

前日整体に行き、テーピングをして頂き、さらには腰痛コルセットを纏い、幸い18ホール、何とか回ることができた。

96のスコアはフルスイングの出来ない腰痛の状態からすれば自分を誉めてあげたいほどであったが、その後も、表彰式・懇親会と進行役を務めねばならず、ずっと立ちづくめ・・・・。

自分が可哀想と自己憐憫する暇もなく、スタッフとの慰労会もこなして深夜にヘロヘロ帰宅。


折り悪く、翌日からは県内の法人会事務局の年に一度の視察研修慰安旅行で沖縄へ

早朝から、腰痛を押しての強行軍であった。

沖縄は話題の普天間基地問題の最中であったが、街中は立派な建物ばかり

道路も素晴らしく整備されていて、国際観光都市の様相であった。国の予算が手厚いのは仕方が無いにしても、活気に溢れていた。

観光客は中国人が圧倒的に多く、嘉手納基地を眺める「道の駅嘉手納」ではたくさんの中国人が基地を観ていた。

どんな気持ちなのか、そこに不思議な調和を感じたものだ。

 

さて、前日のゴルフで相当歩いたのだが、沖縄でも連日相当の距離を歩かされた。

首里城から沖縄ワールドテーマパーク、国際通り散策、美ら海水族館、フラワーガーデン、さらに空港でも歩け歩けである。

都合ゆうに6キロは歩いたことだろう。

そして瓢箪から駒、いつの間にか腰痛、とりわけ背面の嫌なピリピリが本当にいつの間にか消えうせていた。

あれだけ苦しんだ痛みが消え去ってくれたのだ。

これは思わぬ収穫と喜んだものだ。

こんなに嬉しいことはない。

相当な距離を歩いたからであろう。

腰痛から断念すら考えたゴルフと旅行

バスから降りるときは、「また歩くのか・・・」と顔をしかめていたのにである。

 

人生は何が幸いするか判らぬものだ。

沖縄から帰ると有田町ポーセリングパークのドイツビール祭りでのライブの仕事が待っていた。

腰痛が消えたので2ステージを愉しく務めることができた。

29日から続く強行軍にも、好きなビートルズを奏でられての喜びが心をウキウキさせた。

ステージが終ると、メンバーが嬉野で反省会をやろうと切り出した。とんでもない、早く帰りたいほど疲れていたのだが、

言い出したら聞かない男なので、疲れた身体を引きずって無理やり付き合うことにした。

その時にちょっと寒かったのだが、メンバーとの語らいは愉しく気にもならなかった。

翌日からは仕事。

喉が酷く痛かったので、

「ああ、しまった!」

とばかりに病院へ行くと、やはり風邪をひいていた。

3日の文化の日は悪寒が酷く、一日中寝る羽目になった。

4日の仕事も昼から帰らせてもらった。早退して抗生物質を投薬し、ずっとベッドで只管眠ったのだが・・・・

一向によくはならなかった。

そして、今日も具合が悪い。

とまあ、馬鹿な男の話なのだが、

人生は糾える縄の如し

いいことも悪いことも一枚の皮の上の出来事なんである。

そんなここ数日でありました。あーあ。

人間万事塞翁が馬なんである。


ラジオからHappy Christmasが

2015年10月26日 23時55分23秒 | 風竿日記

何気なく

ただつけていたFMラジオ

気の早いことにもう、ジョンとヨーコのメッセージソングである

「Happy Christmas  ・・・戦争は終った」

が流れていた。

もうそんな季節になろうとしている。

昨年の今頃、今の職場に奉職し、慌しい年末が閉じ、少しゆっくりした正月も過ぎて、春から夏に向い、一番忙しい中でのライオンズクラブの会長まで務めた。

法人会の仕事も少しは慣れてきた。

そしてそれも、あっと云う間もなくもう11月を前にしている。

思えば、時間はただ過ぎ去るのみ、なのかも知れない。

それにしても、本当に忙しい1年間であった。

それが1年前の自分の体力を比較してみるとよく判る。

5月の連休明けから腰痛が悪化して、最近は本当に辛い日々を送っているのだ。

歳の所為か、過去の悪行の祟りか・・・

そんなことから好きなゴルフもめっきり減った。

悪いことに時折、歩くのさえ辛くなる座骨神経痛に苛まれている。

12月には、もう16年前から続けているジョンレノンの追悼ライブが待っているというのに・・・・。

ああ、健康な身体を取り戻したいものだ。

と、まあそんな中でラジオから流れてきたHappy Christmas

戦争は終る。もしあなたがそれを望むなら

単純ではあるが、凄いメッセージである。

換言すれば

身体は良くなる。もしあなたがそれを望むなら

ということにもなろう。

そうなのだ、自分の身体は自分がコントロールしているのだ。

筋力の衰えも確かにあるのだろうが、その前段の努力をしているのか・・・・。

自分に問いかけねばなるまい。

前向きに受け止め徐々に回復の方向へ進もう。

そのためのトレーニング

きつくてもできるだけ歩くこと。

早寝早起きをすること。

脳を活性化させること。

これに尽きる。

今年も「ジョンレノンの夜」vol 16やらねば。

などと思わされたラジオからの歌であった。