風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

ささやかなる信用金庫論

2014年07月30日 11時27分20秒 | 風竿の信用金庫は頑張るのだ

「七度(ななたび)生まれ変わろうと信用金庫に働くだろう・・・・。」

そう云ってしばらく絶句した私であった。

先日、役職員の皆様から送別の宴を催して頂いたステージの上で

退任の挨拶を求められた時のひとこま

信用金庫とは

暗い海の上を航行する船の安全を願う灯台に似ている。

周りに何もない海の上で、いつも行き交う船の安全だけを願っている。

そんな、ちっぽけな灯台だけれども・・・・

断じて無くては困る。そういう存在なのだと思う。

リスクのない社会なんてあり得ないのだが、

お客様が暗い海の上で迷わぬように

いつも小さな灯りをともしている日本独自の金融文化を担う機関

それが信用金庫なんである。

雨が降り続こうと、嵐が来ようと、台風に洗われようと

ここで、この場所で、けして逃げずに頑張って灯りをともしていく。

それが信用金庫なんである。

けして大きな光ではないが、それでも全国各地に約270の信用金庫がその土地土地を護っているのだ。

餌場がなくなると、どこかに撤退していったある地銀さんとは違う

彼らは餌場を求めて移動していく動物なのだが、

信用金庫はどんなに土地が痩せていようと、ここで根を張って頑張っていく植物なのだ。

それは、絶海の中に佇む灯台にも似ている。

信用金庫に働いて良かった。

信用金庫で良かった。

七度生まれ変わろうと私は信用金庫で働くだろうと思う所以である。

 


Mr.Moonlight

2014年07月28日 23時13分16秒 | 風竿の音楽夜話

佐賀映像倶楽部の代表一ノ瀬正明さんは、とても素晴らしいお方

温泉deビートルズ音楽祭の公式記録員として、殆ど全部の演奏を動画に収めて下さる貴重なテレビカメラマンなのだ。

      

そんなことから、私達の演奏も一杯Youtubeにアップして頂いている。

地域文化を支える素晴らしい仕事をなさっている。

そんな一ノ瀬さんが自ら肩入れしているライブ、

6月に佐賀市の旧古賀銀行跡の浪漫座で行われた「ツインマーマンの夢」というコンサートの模様をアップしてくれていた。

この会場は明治時代の建物だけあって、素晴らしいの一言

シックでモダンの権化というべき歴史的な建物なのだ。

この日はベース担当の岡ちゃんがどうしても来れない事情があり、

わがThe AppleBeatsとしては、珍しく三人でのアコースティックライブとなった貴重な動画なんである。

いい記念として、わがささやかなブログにも貼り付けておこうと思う。

別にヨッパライがワメイテいる訳ではありませんので、くれぐれも驚かないようにお願いします。

冒頭はこんな曲なので念のため・・・・。


まあ、ちと恥かしいのだが・・・・

62歳のおんちゃんの歌にしてはまだ声が出ていると自画自賛するいつもの悪い癖

さて、圧巻はこの日の勇希クンである。

いつもはドラマーとして頑張っているのだが、何とこの日はベースを弾きながら歌を唄い、おまけに足でドラムも叩いているのだ。

時々とんでもないことをやってみせるこの器用な男はバンドの中では最年少ながら、とても便利な奴なんである。

その動画をとくとご覧あれ・・・・。


とまあ、私めには音楽という極上の趣味ががあるので、老後も楽しくて仕方がないんであります。

8月はまた色んなイベントからのオファーがきております。

愉しむぞぉー・・・・。

 

 

 

 


豪華クルーザーで五島灘に

2014年07月28日 00時28分56秒 | 風竿日記

相変わらず慰労会続きであります。

仕事をしている時よりも忙しいくらい。

その数37回・・・・。

7月は全部潰れるくらいに酒びたりで、まるで奈良漬けみたいになってしまいました。

そんな有難いお誘いに感謝しつつも、体が悲鳴をあげています。

それでもお客様からのお誘いは、つい「ハイ」と即返答する習性

先日は佐世保の超優良先の社長様から、所有されている豪華クルーザーで五島灘に浮かぶ江ノ島、大立、小立方面へ釣りとワインの船旅へ

ハウステンボスのマリーナに停泊している船は、豪華そのもの

キャビンは貴賓室さながら

こんな船のオーナーになるということは、並みのリッチマンでは到底無理なんであります。

それでもマリーナには素晴らしい船が、どうだとばかりに居並んでおりました。

さて、朝の6時に出航

社長の奥様の手づくりのオニギリ弁当を頬張りながら、1時間ほどで伏し瀬灯台に到着

海の中にポツンと佇む灯台を見ていると、何故か淋しくなってしまいます。

いつもここに独りぼっちで佇んでいるのかと・・・・・。

ここの回りは格好のイサキ釣り場ということで、竿を出すことに

3尾ほどのイサキがつれたのですが、潮の流れが速くなり、大立方面へ行くことに

ポイントを次々に変えるのが船釣りの良さ

ここはその昔磯釣りに通ったことのある島で、とても懐かしかった。

私は小立で1キロの大型イサキを仕留めて、何とか釣師の面目を保ちました。

やはり磯釣り師の私は、こんな磯を見ると心が躍ります。

潮通しの良さそうな磯

真鯛や石鯛がたむろしていそうな雰囲気の磯

いいなあ、今度は磯釣りで来ようと秘かに思ったのでありました。

夕方からは武雄に戻ってまた慰労会があるので15時に納竿

帰路につくことになりました。

西海橋の下をくぐって大村湾に戻ります。

手前が第二西海橋、向こう側が第一西海橋

豪華クルーザーの釣りはとても極上で優雅で、或る意味極致でありました。

S社長様、ありがとうございました。

末長いお付き合いと、信用金庫をよろしくお願いして握手でお別れしました。

 


誕生日記念日

2014年07月26日 10時35分06秒 | 風竿日記

7月22日は私達夫婦のささやかなメモリアルデー

妻の46歳の誕生日にして、結婚1周年の記念日でもある。

一年前に行ったように午前中に武雄神社への参拝を済ませ、大楠の前で一年間の感謝のご報告をした。

絶対に、間違いなく、神が宿っていると確信する樹齢3000年の大楠を前にしていると、私達が夫婦で居られる時間というのは余りにも短い。

だからこそ、一日一時間、一分、一秒を大切にしなくてはならないのだ。

この地に根付いて太古の昔から人々の暮らしを見守り続けた大楠は、私達にそんなことを教えているような気がした。

柳腰のようで、どこか拘りの強い私など、特に業が深いので、もっともっと器を大きくして、妻を包み込む夫にならねばとも思わされた。

さて、この日を想定して・・・・

五島列島の磯釣りで猛暑の中、頑張って釣り上げた石鯛パーティを兼ねて、妻の両親と私の友人とでお祝いすることに

行きつけの居酒屋で気持ちよく料理して頂いた石鯛の美味しさは格別でありましたが、

頃合いを見計らってのバースデーケーキに、まるで子供のように喜ぶ天真爛漫な奥様の笑顔は、とても可愛いものでありました。

 やはりパートナーの喜ぶ顔を見るのは嬉しく有難いものである。

そのために馬齢を重ね、日々生きているんである。

笑顔の連鎖を愉しみながら、相手のことを慮って

哀しみは半分こしあい、喜びは倍にして

健康に気を配り、暴飲暴食をつつしみ

つまらぬ意地などかなぐり捨てて、こころ素直に

日々何事も無く、平穏無事に、平凡に過ごすことの大切さを思う。

たとえ貧乏であったとしても、豆腐一丁買えればいい。

旅行などいけずとも、近所の公園にオニギリ弁当で出かければよい。

 

洗濯と布団干しをこよなく愛し

いい日差しが差し込み、いい風が舞い込むリビングで、愛犬と戯れ、妻と冗談を云い合いながら、

くったくもなく笑いあう、そんな平凡な生活の中にこそ非凡なる真理が隠されているような気がする。

 ペアウオッチは、この先どれだけ一緒の時を刻めるのか

それは神のみぞ知ることではあるが、

妻にできるだけ淋しい思いをさせぬように、

与えられた命を大切にしながら生きていかねばと思わされた、妻の誕生日と、私達遅咲きの夫婦のささやかな結婚記念日であった。

わがままな淋しがり屋のつまらない男ではありますが、奥様どうぞまた一年間よろしくお願いいたします。

おてやわらかにね・・・・・。

 

 

 

 


五島へ釣行す

2014年07月24日 00時35分58秒 | 風竿の釣り師烈伝

勤務していた信用金庫の年に一度のお客様釣り大会には、時々参加していたが、プライベートで磯釣りに行くなどというのはこの10年無かった。

釣りの仲間から退任をよい機会として磯釣りの熱烈なお誘いを受けていたのだが、

9月6日の退任と結婚披露のパーティを主に釣りの仲間から開いて貰う事もあって、今回はどうしても断りきれず、本当に久しぶりに磯釣りにでかけることになったのである。

上五島小値賀の帆揚は平瀬が今回の釣り場

右側の小さな岩礁に、疲れ切ったおじさんが3人

既に自分の竿は振り回せぬ年齢に達しており、石鯛とイサキ・真鯛を狙って丸一日を、この岩の上で磯竿を振り回すんである。

正面から撮影すると大きな岩礁のようにも見えるが、実際はこんなにちっぽけな岩なんである。

平戸を正午に出発すると1時間半ほどでここに着いた。

真夏ということもあって、磯はガラ空きの状態で、願いが叶い狙いのペイントに上礁することが出来た。

渡船はあじか磯釣りセンターの「SEA WING」

この船は就航して23年ほどにもなるが、何度もエンジンを入れ替え現在は1500馬力と元気一杯の瀬渡し船である。

この船の名付け親は実は尾形風竿、私めなんである。

私は右側の角で竿をだすことにした。

ガンガゼというウニを二個がけにしてポイントとおぼしき場所に投げ込むと初日の午後5時頃、私に待望の石鯛が微笑んでくれた。

47センチ1.8kgの石鯛であった。

石鯛はまぼろしの魚といわれるだけあって、釣行してもボーズが当たり前のような魚であるが、

不思議と私にはよく釣れてくれるんである。

腕というよりかはついているだけなのだが、それでも有難いことだ。

次の日にも午前8時半に43cm1.5kgの二枚目の石鯛が微笑んでくれたのだから、久しぶりの磯釣りにも関わらず自分の強運に感謝せずにはいられなすった、

同礁舎は教祖小田先生とねヒゲのトシしゃん。

私の長い釣り仲間で、もう30年近い友人なのだ、

夜はイサキ狙いと頑張った。

型がイマイチだったものの、まさに入れ食い状態であった。

詳しくはまたいつか話したいと思うが、連日の多忙なスケジュールに追われて今夜はもう疲れきっていますので、寝ます。

今日は早起きしてお客様のクルーザーでまた釣りでした。

明日も佐世保に出かけます。

お客様のゴルフコンペ佐世保南地区信友会がハウステンボスカントリークラブに行くことになっています。

辞めても私のスケジュールは一杯一杯なんであります。

ああ、眠い・・・・・。

 

 


枯れきった川をわたる

2014年07月20日 05時02分44秒 | 風竿の釣り師烈伝

種田山頭火の自由律による俳句に

「枯れきった川をわたる」

という句がある

短いことばではあるが、何とも味わいのある句である。

最近になってこの句の良さが判るようになってきた。

 

人間は中々枯れることが出来ないものであるが、自然の営みの中では、水がたち枯れた、乾ききった川があり、近道でもあるのだろうか、

その川を漂泊の俳人といわれた山頭火がトボトと歩くのである。

わたりながら、その枯れた川と枯れきれぬ自分とを対比しながら、歩いているのであろう。

それは、この岸からあの世へと続く、彼の岸までと続く三途の川なのかも知れない。

 

最近は世俗を離れ、得度出家しようとは思わなくなったが、その昔は禅の世界に憧れ、日曜日の朝は必ず武雄の廣福護国禅寺に参禅したものである。

変わり者といわれていた峰松大雲老師は、いつも日曜参禅会に訪れる若者をとても大切にして下さったものだった。

臨済宗のお寺でありながら、曹洞宗の開祖道元禅師の「正法眼蔵」の輪読書会などもやっていた。

やや、私たちには難解な仏教聖典ではあったが、擦り切れた作務衣に身を包み結跏趺坐での参禅のあとの読書会は、とても素晴らしいものであった。

2年間凛として毎週欠かさずに通ったものであったが、その頃はいつ得度を受けようかと真剣に考えていた時期でもあった。

それだけ私の「業」というものの深さに手こづっていたのかも知れない。

 

磯釣りを始めた頃から次第にお寺に通わなくなった。

大雲和尚から

「尾形は最近来ぬが、何をしておるのか・・・。」

という詰問を受けてはいたのだが、白波砕け散る海の素晴らしさに魅入られた私は二度と参禅会には戻らなかった。

磯釣りに没頭して20年余り、風竿という釣号まで与えられるほどに、五島列島から男女群島まであらゆる磯に立ち尽くしたものであるが、

それもやがて仕事の忙しさにつれて、数年に一度しか行かないようになっていた。

かって、釣り番組の準レギュラーまで務め、月刊誌のエッセイを連載執筆していた磯釣り師尾形風竿は世間から忘れ去られた。

少し時間に余裕の出来た昨今、悪友の誘いを受け、その途絶えていた海に出かける。

今日、五島に石鯛を追って出かけるんである。

 

枯れきった川を渡れるようになるには、まだまだしばらくはかかるようである。

 

 

 

 


日本人とは何か

2014年07月18日 14時13分52秒 | 風竿日記

退任して1ヶ月も経たないのに、あちらこちらの友人やお客様から、慰労の宴をお誘いいただいている。

何とまあ、その数は30回を超えようとしている。

今週などはほぼ毎日・・・・・。今日も佐世保に出かけることに。

妻からも呆れられる始末なんである。

ここに極まれりは、友人たちから退任祝賀会を企画されたことであろう。

もうすぐ再婚を果たして1年になろうとしているのだが、お互いに人様から祝福をして頂くような結婚でもないと悟っていたので、ご披露の宴などもっての外と自粛していたのだが、

その披露も兼ねろというのである。

かくしてその段取りは私達の思わぬところで、どんどんと進んでいる。

9月6日土曜日正午にサムソンホテルでということになった。

 

人はどうしてこのように優しいのだろうか・・・・。


年甲斐もなくバンドなどをやる、前に出る性格故に・・・・

人と接するときは、前に出過ぎないように、あまり入り込みすぎぬように、出来るだけ聞き役に徹するように心がけてきた。

横に居て邪魔にならない、

まるで、空気のような存在を目指してきたのだが、

それは到底達し得ない達人の領域であることも少し判ってきたように思うのだが、

まあ、これまでの多方面でのお付き合いのなせる、一つの信用金庫人としての集大成なのかも知れないと思って、すべて皆さんのご意思に任せることとしている。

ウクライナやパレスチナなど大変なことが起きているし

中国や韓国、北朝鮮など隣国の動きも思惑絡みもあって、息の抜けない国際情勢であるのだが、

いや、国内においても少子高齢化対策、集団的自衛権や原発問題など国の行く末を左右する問題に囲まれているのでもあるが。

こんなに優しい人々の住むわが国は、大丈夫だと確信する次第。

その正しい日本人の姿を投影した音楽が、この新日本紀行のテーマであろう。

日本人が心の中に大切に持っている原風景を、見事に描き出し、そして私達の魂を激しく揺さぶる音楽。

私はNHKの番組の中で一番好きなのがこの新日本紀行であった。

 繰り返しとなるが少年少女オーケストラの名演版もあったので、お聴き願いたいと思う。

 

これからの人生は恩返しの生き方。

神様や仏様を敬い、人を慮り、困った人を助け、美しい日本の原風景を大切にしながら、小さなことに捉われず、おおしく、たおやかに

日本人として穏やかに生きていかねばと思わされている。

 


武雄ライオンズクラブ

2014年07月17日 15時22分00秒 | 風竿日記

ライオンズクラブの新事業年度である7月

今年度の会長を仰せつかった私の、例会初デビューの夜であった。

今年はクラブ創立45周と、

我がクラブから佐賀・長崎地区(337-C地区という)にある全ライオンズクラブ82クラブを束ねるトップ(業界用語でガバナーという)を輩出していることもあって、クラブ始まって以来の忙しさなんである。

その記念すべきというか、大変な一年を送ることになるクラブの会長を務めることになったのだ。

このお方が、地区ガバナー大石先生、東光寺の住職にして山内町三間坂保育園の園長さんであるお方。

ガバナーに至っては超人的忙しさで、各地区のゾーンをくまなく公式訪問しなくてはならないんである。

そもそもライオンズクラブとは何かというムキもあろうかと思うので平たく解説しておくと、

一言で云えば、社会奉仕団体である。

色んな奉仕事業を行っており、We serveの合言葉のもと、世界中に奉仕のタネを蒔きつづけている貴重な慈善団体なんである。

 

そんな身分でもない私がライオンズクラブに入会して15年ほど

仕事の忙しさの中で、充分な活動も出来なかったのだが、晴れてお役ゴメンとなった今、思う存分ライオンズの一員として社会奉仕の機会を与えられたのである。

この一年間はクラブにとっても、私にとっても、とても大切な期間となることは間違いない。

会員さんの想いを大切にしながら、クラブがきちんと一つの方向を向くようにリードしなくてはならないのである。

武雄市内には3つのライオンズクラブがあり、それぞれに独自の奉仕活動を行っているのだが、他のクラブとの連携も必要となってくる。

また私達の1リジョン(佐賀県全域)の中の3ゾーン(武雄・鹿島・嬉野・杵島郡)には6クラブがあり、横の連携も必要となってくる。

その窓口とクラブ会員さんへのブリッジとなる役目も会長には求められることになる。

気を引き締めて頑張らねばと思わされた夜であった。

ということで、初日はガバナー誕生のお祝いの宴も催され、何と5次会までお付き合いをして、久しぶりに深夜の帰宅となってしまった。

会長としての職務をまっとうするためのコミュニケーション活動といえばそれはそうなのだが、少しは体のことも考えながら、頑張っていかねばと思わされている。

 


大同小異

2014年07月15日 14時31分51秒 | 風竿日記

今年も温泉deビートルズ音楽祭が開催されることになった。

今年で4年目となる地域おこしイベントなんである。

一番始めにこのイベントの骨格をつくりメンバーを募ったものとしては、開催できることは有難い限りである。

今年は実行委員長が自ら立候補した若いお方に替わって、新しい試みもふんだんに準備されている。

その集約版のような欲張りなポスターが出来上がった。

実行委員長の苦心作なんである。

古くからの温泉で抜群の泉質を誇る武雄温泉に入って、ゆっくりとゆったりとビートルズの音楽に浸っていただこうという嗜好のプログラム

今年は今は亡きジョン・レノンの世界未発表の絵画5点を含む全17点の佐藤コレクションの絵画展も、話題の武雄市図書館で開催される。

しかも入場無料なんであるから凄いことなんである。

4年目ともなるとさすがにこの音楽祭も、九州はもちろんのこと、全国的に有名となりつつある。

私に直接オファーがあったバンドも9バンドとお世話が大変の嬉しさ。

残念なのは昨年ポールマッカートニーの奥様の誕生日パーティで、その前で演奏したThe PARROTSが来ないこと。

そもそも、このイベントはパロッツのリーダーである、長年の友人吉井君と話して始めたものなのだ。

3年間は彼らが東京から駆けつけてくれて盛り上げてくれた。

彼らの醸し出すビートルズサウンドは完璧そのもの。

その実力はビートルズファンが広く認めるところなんである。

彼らの日程調整と開催予算の壁に阻まれたのが原因なのだが、それは致し方のないことであろう。

幸いにも博多CAVERN BEATに出演するらしいので行かねばと思わされている。チケットは8500円だというから、

彼らのコンサートをチケット2千円でやっていた温泉deビートルズ音楽祭がいかに頑張っていたかお判り頂けることと思う。

チャッピー吉井との約束を守れなかったのは申し訳ないが、代わりに九州の雄The Flying Elephantsがやってくることになった。

このバンドも有名なバンドで、あのカーネギーホールでコンサートをやったことで話題になったビートルズバンドである。

私のお仕事は主に資金集め、あっちこっちの社長様に頭を下げて回るのが役目なのだ。

あとは若い皆さんの後押しをすることにしている。

小さな意見の相違はグッと飲み込み、とにかく前に進むようにプラス思考で運営していくことが大切なのだと思う。まさに大同小異が大切。

ということで、期間中は連日連夜たくさんのビートルズ音楽イベントが温泉の湯のように街中に溢れる。

どうか今年もたくさんのお方にお出かけ頂きたいものである。

 


無職透明

2014年07月13日 23時59分44秒 | 風竿日記

長年かけてパソコンのマイドキュメントファイルに保存してきた膨大な文書を、潔く全部削除して私の佐世保オフィスの仕事は終った。

削除される瞬間、パソコンから悲鳴が聞こえたのだが、黙って耳を塞いで辛うじて耐えた。

過去の自分の仕事の痕跡を一瞬で消してしまうのは、まさに断腸の思いであったのだが、それでいいのだと自分に言い聞かせた。

そして私は晴れて無職になったのである。

厳密に云えば無職ではないのだが、非常勤の仕事なので、

取り立てて勤めに出ることもなく、朝起きて顔を洗ったら食事をした後、無意識のうちにネクタイを締める必要もなくなってしまった。

ということで、立派な無職なんである。

まあ、リビングのテレビの前でゴロリと寝転んでいるのが目下の仕事。

それでも、こんなヨレヨレの私にも有難い仕事のオファーを頂くから、まあ世の中捨てたものでもないなあと、しみじみ思わされているのだが、

とは申せ、せっかくの機会なので、贅沢ではあるが、しばらく充電期間と思って、頭の中を切り替えねばと無職浪人を愉しもうと思っている。

そう思うと、不思議なことに体のあちこちが、軋んでいて

やれ腰が痛いだの、眼がかすむなどの症状が体中を覆い始めた。

やはり決まった時間に決まった仕事に出かけるのは体のリズムを整えるということに、とても大切なことであったようだ。

いつまでも無職を愉しんでばかりはいられないのだと思う次第。

 私が無職になり、一番悦んでいるのが我が家の愛犬レオン

いつも傍にいるのが殊の外嬉しいらしい。

仕事に行っている間は、けして甘えたりしなかったのだが、ここのところ私にべったりとくっついて離れないんである。

 どこに居ても私をしっかりマークしている。

これまで家を空ける事も多く、淋しかったんだろうなと、今頃になって気付く鈍感な飼い主である。

人の一生は勿論一回きり

どう生きようとそれは人の勝手であろうが、

悔いなく生きないと、せっかくの命に申し訳が立たないんである。

少しぐらい暴れても、どうせ仏様の手のひらの上なのだ。

やはりこの際、頭の中を空っぽに、無色透明にして出直そうと思う。

それは、まさに無職透明の時間である。