風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

挨拶回り

2014年06月30日 22時58分57秒 | 風竿日記

お世話になった皆様に挨拶回りを始めた。

まずは最終赴任地である佐世保のお客様へ

決まって聞かれるのが、退任の理由と次の仕事のこと。

「区切りが良くて、第二の人生へのタイムリミットだから・・・。」

「しばらく充電期間を持って、ゆっくり考えます」と答えることにしている。

今日はお役所からまでお電話を頂戴する始末

今更ながら、職責の重かったことを痛感している次第である。

と同時に、やはり後に続く人のためにも、ちゃんとお客様回りをやっておかねばと思わされた。

連日の退任セレモニーで体調が思わしくない中、朝から目眩がしているのだが、時期を逸する訳にもいかず、ただひたすら回りに回った。

それに、七月は送別会が目白押しなんである。

近隣の信用金庫さんからもご招待を受けている。

ありがたい限りとお受けさせて頂いているのだが、持つか・・・・。

  

いずれにしても、もうひと頑張り

7月を過ぎれば、次第に落ち着くことと思う。

もうひと頑張りなんである。

昨日は余程に栄養ドリンクを買おうかと思って我慢した。

緊縮財政につとめねばならないと思った。

さあ、体にムチを入れてあと二日ほど佐世保へ通うと、次は佐賀地区が待っている。

ああ、もうふた頑張りかあ・・・・。

 


坂道

2014年06月29日 23時37分18秒 | 風竿の信用金庫は頑張るのだ

思えば長い長い坂道を登ってきたものだ。

一言で41年というが、少し歩きつかれた感もある。

佐世保の私の机の上には、この1年9ヶ月でお会いさせて頂いた皆様のお名刺が整理したら2500枚ほど・・・・・。

このご縁が今から花開くぞと思っていたが、退任することになったのは正直、多少残念な思いも残る。

この1年9ヶ月長距離運転をして通ったのは何だったのか・・・・。と自問

それでも、佐世保のお客様は、職員さん達は、とても暖かく私を迎え、そして心から送り出してくれた。

退任が決まって、少しづつその情報が漏れ出してから、こっち・・・・

すでに送別を兼ねた慰労会が既に7回も・・・・。

まあ、よく呑んだものである。

何ともお客様とは有難いもの。

「お前の退職はまだ早い!」

と何度も何度も、そこかしこで云っていただいたのだから、私自身が既に結論を出したいたことで、その励まし、それはとても有難くしかし辛かった。

私の名前を冠にしたゴルフコンペも、年に数回開催していくぞ・・・と言われた。

佐世保から簡単には離さんぞという訳で、こんな名誉なことはない。

たった1年と9ヶ月で、地元地銀の強い地域で、こんなにも気心が通じるなんてと・・・・自分でも驚かされている。

信金人生が最後に花開いたのだろうか。

そんなこともあって、今思えば佐世保は第二の故郷となった気がする。

町名も道も大体頭に入ったし、永田部長の後押しもあって一生涯付き合おうという友達もたくさん出来た。

別れ際には、みなさんからたくさんの心のこもったプレゼントを沢山頂いた。

このお礼をどうして返せばいいのやら・・・・。

花やネクタイやお餞別に混じって、驚いたのは渉外担当者の皆さんからの和手拭である。

何と1年9ヶ月の間に毎月勉強会を開催していたのだが、その間の私の話をちゃんとメモしていて、その抜粋を「尾形塾格言集」として染めこんでくれていたのだ。

しかも、全員が同じものを一生涯大切に持っていくのだという。

思わず絶句して、その瞬間に泪が溢れた。

私は「塾」などと一回も云ったこともなければ、思ったこともないのに。

塾生として全員の名前も書かれていたんである。

百の理論とデータを唱えるだけでは人は動かじ。

現場を彼らと一緒に汗を流したことで、いつしか心が通じていたのだ。

 

 

佐世保七ケ店を七人のサムライと称して僚店間の連携力を高め、お客様に対するサービスの質を高めようと特別の意識改革プロジェクトを提案してきたのだが、

七人の店長達からも、そのことを絶対に忘れないという誓いの暖簾を頂いた。

   

妻がさっそく部屋の入り口に飾ってくれたのがこれ・・・・・。

我が家の一生の家宝となった。

七人の支店長さんたちも何とも云えない素晴らしい仲間なんである。

土曜日の朝には佐世保の女子職員の皆さんから、ラブレター付きの胡蝶蘭が届けられた。

玄関でまた泪・・・・・。

何と気配り心配りの出来た仲間なのだろう。

晴れて部外者となった私に恩返しの機会は限られるだろうが、これからも信用金庫のために、坂道を登ってきて出来た有難い人のご縁を繋げていかねばと思わされた。

主の居ないオフィスはシーンと静まり返ったままだろうが、私の坂道はまだまだ続くのである。

恩返しという頂上に向って・・・・。


あれから50年

2014年06月28日 23時59分16秒 | 風竿日記

50年前の今日、ビートルズは羽田空港に降り立ち、日本に初上陸したのでありました。

未明の首都高速をパトカーに先導されながら、ヒルトンホテル東京に走りぬけたのでございました。

      

そして日本武道館でのコンサート

私はイガグリ頭の中学生、学校から駆け足で家に帰ると、その模様をテレビに噛り付いて見たのであります。

以後私の人生に多大な影響を与えたThe Beatles

ただ馬齢を重ねただけの人生でありますが、昨夜は博多のライブハウスでこうしてビートルズバンドで歌っておりました。

私の退職の関係もあり、超人的なスケジュールを乗り越えての28日土曜日、

体はヒーヒーと悲鳴をあげていたのですが、好きな音楽のためならエンヤコラなんですね。

ジョンレノンが晩年愛用していたサングラスっぽいのを佐世保の五番街で見つけていて、それを似合いもせぬのにかけてご満悦の62歳

まだまだ若い!!と、誰も云わないので自分で云っております。

  

無職・浪人の身なのに歌など唄っていて良いのか!

・・・というべき境遇なのですが、やっと重荷から解放されたばかりであり、許してやって頂きたいのであります。

ビートルズに出会わなければ、勉学を重ねて医者か弁護士になっていたかも知れませんが、

こうして還暦を過ぎてもまだ尚、バンドなどを愉しんでいられるのは実は素晴らしいことであります。

バンドは一人では出来ないもの。みんなの想いと音・リズムが合わさって初めてアンサンブルが生まれるもの。

だから演奏中も、常日頃も、色んなコミュニケーションをとらないと本当にいい音楽は生まれてきません。

その意味からも仲間がとても大切であることは云うまでもありません。

そしていつもやって良かったと思うのは、この仲間に出会えること。

昨日もたくさんの友達が出来たのであります。

それにしても2年前に私が作った温泉deビートルズのTシャツ、目立ちますねえ・・・・。

温泉deビートルズ音楽祭といえば、今年は凄い企画がカップリング

な、な、なんと、あのジョン・レノンが軽井沢で描いた世界未発表の絵画5点を含む27点の絵画展を、あの武雄市図書館で開催することが決まったのであります。

これはビートルズファン、とりわけジョンフリークにはとんでもない話

所有者のお方は、ジョンレノンミュージアムの出展要請も断ったというシロモノを、温泉deビートルズ音楽祭という田舎の地方都市の町おこしに賛同してお貸しいただけることに・・・・。

 

 

橋渡し役は私が尊敬するアーチスト亀山みゆき様

本当にすごいことになってきました。

ビートルズが日本に来て50年

今は亡きジョンレノンが再び日本の、この武雄の地に舞い戻ってきたような想いでおります。

亀山さん、佐藤さま、ありがとうございます。

 

 

 

 


鮒釣りに始まり鮒釣りに終わる

2014年06月25日 23時03分13秒 | 風竿日記

私の信用金庫入庫は昭和48年4月1日でありました。

入って翌日からはお客様回りをしていたのですから、習うより慣れろの時代

仕事は先輩の背中を見て覚えなさいと言われたものです。

先輩から引き継ぎで連れまわされた途中に立ち寄った旭ケ丘公園の桜の花が、満開で見事だったことを覚えています。

鹿島支店に5年、宮野町支店に8年の都合13年間が、渉外というお客様担当係り

他行肩代わりを次々にやって地銀から怖れられたものでした。

その後は内務で主に融資を7年ほど担当して、支店長に抜擢されましたが、原点はいつもお客様担当の折に学んだ現場でありました。

信用金庫生活が最終週を迎えたこの一週間

再び、蒸し暑い現場を渉外担当者の皆さんと回らせて頂いています。

「今日は若い人に同行して社会勉強をさせて貰っています・・・。」が挨拶代わりの言葉。

 この間、わずか50軒あまりしか回ることができませんでしたが、それでも充分にいろんな情報交換ができました。

41年間の信金マンの引き際としては、勿体ないくらいにとても立派な花道でした。

          

思えば、肩で風を切って、大通りを歩くというより、

だいたい路地裏の小道を歩いてきたように思います。

信用金庫には路地裏が似合ってているようにも思います。

そこには、私たちの得意分野である「人情の機微」がまだ生息しているからにほかなりません。

      

そしていつの世にも、どんな仕事でも大切なことは現場にしか存在しないということでありましょう。

昨日は佐世保の台所と呼ばれた戸尾市場のお客様を訪問しました。

そこでかってSSKに技術者として勤務しておられたお方の話は強烈に心を打ちました。

「自分の意見をいかに吐かせるかが企業のいくすえを決める。」

「イエスマンだけの、茶坊主をいくら置いてもやがてその企業はダメになるものだ。」

「多少生意気な人がいい。問題意識が高いから・・・・。」

「専務さん、若い皆さんに意見の云いやすい環境を準備してあげてください。」

大いに頷き、そのお店に一礼して別れた。

ありがたい・・・・ここにも仏さんがいらっしゃった。

そんな想いでの一礼でありました。

釣りは「鮒釣りに始まり、鮒釣りに終わる」と申しますが、それを身をもって体感した最終章の日々でありました。

 

 

 

 

 


信用金庫41年、柿8年

2014年06月24日 23時39分45秒 | 風竿日記

この2月に何かの記念に買ってきた富有柿

大胆にも玄関の横に植えていた。

 

栄養ゆたかな腐葉土を敷き詰め、養生に養生を重ねて、大切に育てていたんである。

さて、小さな蕾があったので、万物が芽吹く4月から、

さあ、今芽吹くぞもう芽吹くぞ

と毎日出勤前に観察するのが日課となっていた。

やがて新緑の5月を迎えると、いくらなんでも、もう芽が出るだろう。

出なきゃオカシイだろうと。段々とボヤキに変わっていく始末。

とうとう6月の入梅しても芽は出ず。もはや諦めの境地になっていた。

買った植木屋さんに一言文句をいわなきゃ・・・と考えたりもした。

そんな中で、いよいよ私の退任の日が近づいていた。

この木は元々枯れていたのだ。縁が無かったのだ。

残念だが、引き抜くしかないか・・・・・。

と思いつつ、今週の月曜日、

いつもの出勤前の観察をしていたら・・・・。

何と芽吹いているではないか・・・・。

「これは良いことの前兆ではあるまいか」と狂喜乱舞した私。

現金なもので、嬉しくて柿の木に頬擦りしたい気分

何かの示唆なのか・・・・新しい芽が

少し遅れはしたものの、退任の週に芽吹いてくれたのだ。

嬉しくて、嬉しくて、携帯のカメラでタテ・ヨコ・ナナメ・ウエカラ撮り

我が家のノルウェイの森の仲間が根付いた祝福のショットなんである。

昔から、桃栗3年柿8年という言葉がある。

丸々とした柿の果実を味遭うには、あと8年。

何かのお導きではなかろうかと思わされた玄関先での珍事であった。

 


極上の花

2014年06月23日 20時27分31秒 | 風竿の信用金庫は頑張るのだ

41年間の長い信用金庫マンの最後の赴任地は現場であった。

専務理事という立場で、現場行きを命ぜられたときは、今更なんで現場なのだと思ったものだが、

1年10カ月、佐世保に通い続けて、往復2時間の長距離運転はちと辛かったものの、とても素晴らしい夢のような時間であったのだ。

まずは、佐世保地区7ケ店の職員の皆さんの素晴らしかったこと。

佐世保からすれば外様の私。赴任した当時は右も左も判らず、闇夜の三日月そのものであった。

       

コミュニケーションを徹底的に図り、早く気脈を通じさせることから始めた。

そのためには役員の机にかじりついてはいられない。

積極的にお客様を現場のみなさんと同行訪問することにした。

支店長さんとは勿論のこと、最前線の渉外担当者の皆さん全員とお客様のところを訪問した。

これが自分自身にも、とても良い経験となった。

現場で鍛えられてきたつもりであったが、長く本部の指揮官をやっていたら、いつしか観念的に現場を理解しようとしていたことに、現場に出て初めて気づかされたのである。

むろん本部でも現場スタッフとの同行訪問は重視していた。

しかも夏の、一番暑い盛りにこれをやることにしていて、一緒に汗をかくことによって、自分も信金マンとしての原点を忘れぬようにという裏の目的もあったのである。

それがセクションが替わったこともあって、いつしか机上の人と成り下がっていたんである。

佐世保という現場は、浸透度合いも低く、とても机の上では成果の上がらないところ。

打って出るしかない。

この環境が私にとってとてもよかったと思っている。

現場に通じる永田部長という一生涯の友人も助けてくれた。

若い職員の皆さんとの仕事を通じてのコミュニケーションもしっかりとやれた。

私がずっと欲しかった万年筆。退職記念のプレゼントに頂戴した。

お客様に一生涯のお取引をお願いするのが渉外担当者の仕事だと云い続けてきた成果が、この素敵な記念品に表現されていた。

         

 

信金マンとは・・・・という問いかけも浸透しつつある。

七つの店はお互いに連携してお客様にサービスの質を厚くしようという、七人の侍プロジェクトも一応の進展をみた。

その証拠の退職記念品がこれ・・・・・。

送別の宴でこれをプレゼントされた私は、その瞬間に泣きに泣いた。

         

佐世保に赴いて本当によかった。仕事の成績も素晴らしい成果があがる目途も立ってきた。

実に素晴らしい職員の皆さんたちであった。

さて、佐世保では辛抱強く、いろいろと信金マンを教授したつもりが、一番教えられていたのは、何を隠そうこの私。

色んな議論を重ね、若い人が意見を云い始めてくれた。

お客様とも積極的に輪を広げてくれるようになった。

佐世保に美しい人情の機微という花が咲いたのである。

 

この写真はharu-155さんというお方の素敵な紫陽花の写真、私だけに特別に掲載の許可を頂戴しているもの。

アメジストアジサイという名前を付けた。

まさに極上の花である。

佐世保での仕事は、こんなイメージなので、感謝を込めて佐世保の極上の諸君に、この花の写真を贈りたい。

やり残した仕事がないでもないが、覚醒の種は植えたように思う。

あとは5年後くらいに、芽が出て、花が咲き始めるかである。

その時に私の仕事の真価が問われるのだと思う。

佐世保地区の職員の皆さん、短い間ではありましたが、本当にありがとうございました。

                                             佐世保市内のホテルから・・・・・風竿より愛をこめて

 

   


紫陽花の咲乱れる中で

2014年06月22日 23時50分23秒 | 風竿の信用金庫は頑張るのだ

いよいよ、信用金庫生活もラスト1週間となってしまいました。

41年という長い年月を過ごした職場と別れるという実感が、まだ全然といっていいほどにありません。

回りから惜しむ声もたくさん寄せていただき、それはそれで有難く、感謝の言葉もありませんが、

自分自身が、まだ、もうこれで辞めるんだという実感が無いので、なんか他人事みたいに

「はあ・・・・。そうなんですよね。」という状態なんです。

時あたかも美しい紫陽花が咲き乱れていて、七変化しているという時期

私にも大きな変化が訪れようとしているのだ。

退職の忙しさを嫌というほど味合わされていて、花を愛でる暇がないのが実情です。

定年まで3年を残しての退任だけに

「何でまた、やめるとやぁ・・・・・。」

そんな電話が何回も何回もかかってきて、その都度、説明に追われることにちょっと神経が疲れてきました。

「パソコンも古くなったらリセットせんばいかんのですよ・・・。」と

すでに送別会や慰労会のスケジュールが目白押しの状態

私のようなつまらない男に・・・・申し訳のないことです。

 

まあ、私が退職しようがすまいが、そんなことに関係なく紫陽花は咲き誇っていますが・・・・。

弱冠62歳、また第二の人生を歩きたいと考えてはおりますが、しばらく充電・放電期間を置いて、妻ともよく相談して

身の置き所をしっかりと考えねばなりません。

6月27日金曜日が退任の日

「紫陽花退職」となりました。

人生の節目としては、私にお似合いの季節なのかも知れません。

 

 


信用金庫

2014年06月19日 23時59分57秒 | 風竿日記

七たび生まれかわろうと わたしは信用金庫につとめるだろう

田舎の 山あいの町の 小さな信用金庫に

けして気取ることもなく、ヨレヨレの安いスーツで

バイクにまたがり 東へ西へ忙しく働き 

いつも方言丸出しの朴訥な男で

気の利いたことも出来ぬのだが 

それでも いつもお客様の幸せを心から願っている

   

お客様がちょっと嬉しいと笑うことが とても大きな喜びであると考えている

出会ったご縁を大切に、一生涯のお付き合いを体ごとお願いしていく

そんな信金マンを目指すだろう

けして明るく大きな光りではないが

自分の周りしか照らせない 街灯のように

たいした仕事もできないだろうが

それでも 仕事が終わると

清々しい風が吹く意味を ちゃんとわかっている

そんな信金マンであることを 願うだろう

人が支えあって生きているということ

人の心の傷みを知っているということ

お客様のお世話をすることで 自分が成長できること

そんな日常のことを よくわかっていて

さらには 大銀行なんかは絶対にできない 

よろず相談所のような  心の陽だまりや

沖を往く船の安全を願って灯りを燈す 

絶海の孤島の灯台のような

そんな信用金庫を いつも 熱く心に描き

毎日働いているだろう

人情の機微に通じて 泪もろく

色んな悩みに苦しむお客様に そっと寄り添う

そんな信金マンであり続けるだろう

      

七たび生まれかわったとしても

 

 

 

 

 

 

 


樋渡啓祐武雄市長吼える

2014年06月17日 23時59分16秒 | 風竿の信用金庫は頑張るのだ

私が佐世保でお世話になっている長崎経済同友会佐世保支部の総会跡の講演会に樋渡啓祐武雄市長にご講演を頂いた。

 

就任前には、武雄という土地柄の知名度が皆無だったのを、今や国内でも有数の良く知られた自治体に導いた男の講演なんである。

しかも私が勤務している佐世保市での講演、これは行かずばなるまいというもの。

というより、この講演のコーディネートをしたのは実は私。

経済同友会の西沢理事の要請で、「お願い、何とかして・・・。」と頼んだものなんである。

即決のOKを貰って本日の講演の日を迎えた。

公演内容は民の力を活かして行政の無駄を排しながら、いかに町の活性化を図っていくかという話。

弱冠36歳にして全国最年少市長の座についた彼を、近くからつぶさに見てきた男としては、彼のこれまでの市政プロセスはよく知っている話。

改革者である彼には、本当に出る杭は必ず打たれるという判で押したような茨の道が待ち構えていたのだが、

それに屈することなく、市民病院改革や、図書館改革など、地方からの行政改革を成し遂げてきたのである。

その技法はあくまで正面突破、あまりに反対派と正面切ってやりあうものだから、思い余って、地域社会は調整型の市長の方がいいよと何度も意見したこともあった。

その都度彼は、「それなら次の選挙で私を落選させて下さい。」と言い切ったのであった。

今日の講演は、いつものように本音が無造作に飛び交う隙だらけのいわば彼らしい型破りの内容であった。

聴衆に息もつかせぬ話でどんどん核心を突いていく話術は、これまでの実体験が彼を突き動かしているのだと思った。

いつも反対勢力をこき下ろす彼の手法にはハラハラさせられたものだ。

しかし、今日のご講演を拝聴するに・・・・

これは確信犯だということを思わされた。

コンセプトは明確、すべて解ってやってるんだということ。

議論を日なたのもとに曝け出すために・・・である。

少なくとも相手を慮る常識人であるというのは、これまでのお付き合いで判ってはいたつもりだったが、

敢えて政治を判りやすくするために、というよりかは、一般市民に政治に対する関心を喚起するために、大上段から大鉈を振り下ろす。

実に面白い男である。しかも常に国の政策の先を行っている。

多種多彩な人脈から瞬時に伝わる情報源がすごいのであろう。

市民病院問題から、図書館問題、今度は教育改革。

紆余曲折はあったし、リコールという洗礼も受けながら、ひるまず負けずにやってきた。

そして形を作ってきたのである。

佐世保のお歴々が200人も集う講演会で、彼は武雄から行政を変えるという話を通じて、みんなに「元気良く頑張れば何とかなるもんです。」という話をしていたんである。

佐世保の皆さんはイチイチ頷きながら彼の無手勝流のようで、確信犯のパワーを貰っていたのである。

 

この講演に携わったものとして、心の中で快哉を叫んでいた。

終って皆さんから感謝の言葉を頂戴して、改めて樋渡市長の対外的な評価の大きさを再認識したのである。

それは、市長とともに田舎の地方都市が全国区になった証でもあった。

風は外から武雄に吹いているのを確信した講演会であった。


ビートルズに導かれて

2014年06月16日 20時49分55秒 | 風竿日記

ビートル教団の伝道師尾形風竿でございます。

中学2年の時に入信して洗礼を受けて以来、もう50年が経とうとしているのですが、

彼らの記憶は遠く離れていくどころか、ますます私に近づいてくるのであります。

    

どうして、ここまで心を奪われたのか・・・・・。

それは入信してしまった以上、盲目的にファナティックになってしまったからとしか云い様がありません。

それほど彼らの紡ぎだす音の糸は素晴らしいものでありました。

解散前までにこの世に送り出した楽曲213曲、そのどれもが未だに孤高の光を放っているのです。

   

幸いにも私は多少音楽を嗜みますので、楽器を通して、歌声を通して彼らの音楽に触れることが出来るのがうれしい。

久しぶりに昔のバンドThe WestWindsの音源からコーラスの美しい曲を選んでみました。ヴォーカルは小ケ倉敏明くん。

懐かしいなあ・・・・。


 

さて、私はとうとうビートル教の伝道師としてビートルズ音楽祭という町おこしまでやりだしたのですから、筋金入りなんです。

それで、今年は若い実行委員長さんの指揮のもと、9月13日からの「9DAYS A WEEK」

博多や長崎から友達になったバンドが多数、武雄に泊りがけでおみえになります。

私つながりのバンドが、かれこれ12組ほど・・・・。

その仲間のお一人お一人と、親しくお付き合いをしてきましたが、期間中は短期集中なので、実はお世話が大変。

旅館・ホテルの予約から、観光案内、グルメの紹介から呑み会の手配、アフターファイブのフリーライブまで

しかし、わが武雄温泉に来てお湯に浸かってビートルズの音楽に触れていただくだけで、こんなにうれしいことはありませんからね。

そういえば、私は6月28日(土)キャバーンビーッに祝ご出演

今回はThe AppleBeatsではなく、セッションバンドのジョン役で出ます。

ぼくらの出番は9時頃からだと思います。

Getting betterとかHey bulldogもやることに・・・。May be I am amazed、Back in the USSRも

私のバンドのレパートリー以外の曲が多数あって、練習を重ねていますが、それはとてもいい刺激でありました。

 

たまには他人の飯を食うのもいいことであります。

さてさて、今年もたくさんの皆様に武雄温泉に来て頂きたいと願っております。