風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

武雄ライオンズクラブ40周年

2009年11月30日 23時59分42秒 | 風竿日記

28日は既報のとおり、我が武雄ライオンズクラブの40周年記念式典でした。

男で云えば厄入りの歳となりますが、よくも風雪に耐えながら営々と続いてきたものであります。

先輩諸氏に改めて敬意を表するものであります。

八並ガバナー・・・佐賀・長崎地区を337C地区といい、その地域のライオンズのドンなんであります。

ライオンズクラブは1917年アメリカの実業家メルビンジョーンズ氏が興した国際的な民間社会奉仕の団体であります。

liberty(自由)、intelligence(知性)、our nation's safety(我が国民の安全)から頭文字をとってLIONS CLUBと呼ぶのです。

参加されたクラブのご紹介をするという大役を仰せつかった紅顔の美少年・・・この人もブロガー仲間なんである。独特のブログを書かれるお方・・・さて誰でしょう。 ヒント食いしん坊です。

 

若い方々から、よく、「野球チームなんですか?」とか、「マンション事業をされているのですか?」とか聞かれるのですが、広報活動がイマイチ下手くそなんでしょうね。

挨拶を述べる大渡会長、下を向くなと言ったのに・・・。

 

日本では昭和27年に支部が結成され、ライオンズの歴史が始まりました。57年の歴史の中で武雄ライオンズは遅れること17年後に誕生したのですね。

初代のメンバーのことを「チャーターメンバー」というのですが、当クラブのチャーターメンバーさんも、とうとう二人だけになってしまわれました。長生きをしていつまでもクラブと共にあられんことを祈っております。

在籍30年以上のライオンたち、神妙な表情は今から表彰を受けるから・・・。

公務多忙な中、樋渡啓祐武雄市長さんも駆けつけて頂きました。ご祝辞有難うございました。杉原議長さんも3箇所を掛け持ちの忙しさの中をご来臨・・・。

ご両名様には本当にありがとうございました。杉原議長も元ライオンズメンバー

近隣からたくさんのブラザークラブの皆さんがお祝いに駆けつけて頂きました。有難うございます。しかし佐賀・長崎経済界のそうそうたるお方達が・・・・・感激

わがクラブの奥様方もライオネスとして参加、皆お若いこと・・・

我がクラブの面々は一番後ろで式典をハラハラしながら見守る。

司会がとちらぬかと・・・・。

うちのクラブで一番真面目な蒲池ライオンが記念事業の目録を読み上げる。総額450万円也。ああ・・・。

豪腕の松尾大会実行委員長、やるときはやるんであります。

会場には私が尊敬する平野重徳先生もお見えでした。ありがとうございます。武雄平野塾20名集まりましたよ。

 

第二部は祝宴の部、何と私が進行役、これじゃー呑めないじゃないの・・・

アトラクションはあの、北村尚志さんのディナーショー

「見上げてごらん空の星を」から始まった。さすがに上手い。

会場は大盛況、北村尚志さんの素晴らしい歌にみんな釘付けとなりました。

北村尚志さん今後も頑張って下さい。

その後3ゾーン(鹿島・嬉野・武雄・杵島郡地区)のドン、古賀義行チェアマンの音頭で乾杯の後、大いに盛り上がったのでありましたです。

ご来賓の皆様本当に有難うございました。

武雄ライオンズクラブはまた今から、We Surveを合言葉に頑張ってまいります。宜しくご指導賜らんことをお願い申し上げまして、私の何時にないブログの筆を置きます。  感謝

なお当日の模様が下記のブログにリンクアップされております。

併せてご覧下さいませ。

                

「樋渡武雄市長さん」のブログ 

「温泉ハイツ正木支配人さん」のブログ

「北村尚志さん」のブログ

「PAスタジオINPUTさん」のブログ      


御船山の秋

2009年11月29日 23時59分45秒 | 風竿日記

28日はとっても良い天気

私が所属する武雄ライオンズクラブの結成40年記念式典の日

おめでたい日の良い天気というのは気分がいいものです。

その式典の模様とライオンズクラブって一体何をしているか?のお話は、後日ちゃんと特集を組みますね。

野球チームですか?って聞かれたりするので、ちゃんとPRしなきゃと思わされていたところです。

 

今日は式典に出席する途中で撮影した「御船山のもみじ」の美しさをどうしても早く、ご紹介したくって・・・・・。

御船山は三つの尾根からできていますが、一番男性的な山がここ艫岳(とものたけ)。

かってはロッククライミングのメッカとも言われました。

そこの麓に広がる旧武雄鍋島藩の庭園にあるもみじが、今まさに見ごろを迎えています。

遠景で見ると、山が燃えているかのような、炎のようなもみじ。

どうして・・・・こんなに赤く染まるのでしょうね。

そして式典会場の武雄センチュリーホテル駐車場の片隅でも真っ赤に色づいたもみじが一人で秋を満喫していました。

そしてセンチュリーホテルの庭園も見事です。

武雄って本当にいいところです。温泉もあるし、人もいいし。

どうぞ遊びにお出で下さい。ご案内しますよ・・・。

最後にもう一度御船山の勇姿を


John Lennon's Night 2009

2009年11月27日 23時59分35秒 | 風竿の音楽夜話

今年も12月8日がやってくる。別に太平洋戦争開戦のアニバーサリーではない。

あのJohn Lennon の命日なんである。

凶弾に倒れ帰らぬ人となって早や29年、いまだに彼のレコードを聴きながら、泣き明かしたあの日のことは忘れられない。

そのジョンの追悼の想いを込めて一夜限りのライブをやり始めて今年で11年にもなるんだそうだ。

ライブの最後にみんなで合唱する曲はいつも決まっている。

Happy X'mas (War is Over)がその曲

War is Over if you want it

War is Over now

のフレーズをみんなの声がちゃんと出るまで、しつこく繰り返し繰り返し唄うのである。

すると月並みなのだが、会場に一体感という四次元の空間が出没するんである。

今年もそうなることと思いますので、ご参加の皆さん、これで練習しておいて下さいね。

ちょっとシリアスなYoutubeなのですが、味わってみて下さい。

                 クリックして下さい

     Happy X'mas (War is Over)

さてさて、今年やる予定の新曲は

Let it be

While my guitar gently weeps

Act natullary

With little from my friends

This boy

No where man

Close your eyes(男たちの大和のテーマ)

などです。この他にジョンの曲を中心に30曲ほど演奏致します。どうぞお楽しみに・・・・。

12月8日(火)午後7時30分スタート

ライブ&レストラン Dear John

武雄市川良セブンイレブン前 ℡0954-23-6676

ミュージックチャージ500円です

山光師匠のブログにもご紹介を賜りました。ありがとさーん。

         


デフレスパイラル 風竿流経済の読み方

2009年11月26日 23時59分54秒 | 風竿日記

政府はわが国がデフレ状態にあると宣言した。

ではあの、小泉・竹中の鳴り物入りで行った構造改革は一体何だったのか・・・。

経済のグローバリゼーションという大義名分に隠された、アメリカ的な市場原理主義により、まだ息をしているのに輸血を止められた多くの中小企業者を私は仕事柄たくさん知っているのだ。

そもそも竹中学者センセイは、「日本は先の大戦における敗戦国である。」という基本認識からわが国の中小企業の体質をちゃんと捉えていたのか。

大いに疑問が残るのである。

日本の企業の99.7%が中小企業であることをちゃんと御存知であったならば、あんな極端なアメリカナイズされた金融改革はやれなかった筈なのである。

敗戦国の企業というものは、基本的に国家経済が破綻した状態からスタートしたのであるから、殆どの事業者が無一文からスタートしたのである。

戦費とした集められた国債はすべて無価値になったのだからそれもむべなるかな。

そして戦後の闇市から日本の中小企業は逞しく血の滲む努力で立ち上がって行ったのであった。

ということは、いかに経済のグローバル化が進展しようと、戦勝国の体力のある(自己資本のある)アメリカの企業とは、スタート時点からそもそも違っていたんである。

経済のグローバル化のシンボルとしてあのホリエモンまで国政選挙に担ぎ出したのは一体誰だったのか。

竹中は彼の選挙応援までやっていたよね。

国際競争力をつける必要があるのは、輸出入を執り行う大企業と金融で言えば国際金融を手がける金融機関、すなわち今で言うメガバンクと地銀の一部なんである。

国内で細々と頑張っている日本型の企業に、ニューヨークのマンハッタンのルールを押し付ける必要があったのか・・・。

経済のグローバル化に棹を刺すわけではないが、日本型の企業群の独自性を踏まえた経済金融政策を打たねば、国民は疲弊してしまい、「水清くして魚棲まず」ということになってしまうことを危惧するのである。

つまりは国内基準的にはダブルスタンダードが必要であったということなのだ。

これより先は、ちょっと言い辛いので、ここで断念・・・・・。

実体経済の事実として、小泉・竹中コンビの圧政以降、日本の中小企業、とりわけ零細企業は毎年5%ずつ音を立てて減少しているんである。

民を苦しめて何が政治なのか

政治とは弱者に視点を合わせるべきなのだ

今でも時々厚かましくテレビに出演するあの竹中平蔵を見ると、無性に腹が立ってならないんである。

彼は在任当時、「デフレ経済は織り込み済み、あと三年もすれば立派に立ち直るのだ。」とシャアシャアとのたまわったものだ。

小泉センセイも早々と引退して悠々自適の毎日だとか・・・・

彼も云ったよね。国民に痛みを三年辛抱しなさいと・・・・・。

日本郵政の解体を目潰しにして、さらに建設業は公共投資の最たる大悪人のような切り捨て方をしたのが、小泉構造改革の隠れた負の遺産なのです。

そして本当に自民党どころか日本の国をぶっ潰してしまった。

当時竹中路線の対極を諭す論客はいつの間にかテレビからは遠ざけられてしまった。リチャード・クーや紺谷典子などである。

しかし今改めて彼らの言ってたことは本当に正しかったのだ。

確かに大手ゼネコンが甘い汁を吸う、癒着型・利権誘導型の公共工事は廃絶せねばなりませんが、地下を掘っても石炭くらいしか出てこない無資源国家の日本において、その殆どが山であるという日本において、狭い国土を有効利用するという内需主導型の経済構造に緩やかに修正改革すべきであったが、それは、今のように建設業をないがしろにしては、もはや絶望。

その構造改革を急激に行うというのは狂気の沙汰としか思えなかったが、地元でコツコツと頑張ってきたA級の土木建設業者の社長が嘆く。

「かっての工事高の2割しかなかとばい。」

「社員ば2割には出来んやったよ・・・。」

バブルがはじけて以降景気がどんどん悪くなっていく中で、建設業はわが国の雇用を100万人も増加させて支えてくれたのであったが、もはや小泉構造改革の人柱として、傍で見ていても気の毒なくらいに凋落の一途である。

小泉・竹中の荒っぽい大掃除の後、多くの破綻企業を前にマッカーサー元帥よろしく欧米のハゲタカファンドが日本中を買い漁ったことを我々は絶対に忘れてはならない。

昨年のリーマンショック以来、国家戦略の帝国覇権主義の王道をいくアメリカもさすがにリーダーシップをヨーロッパに揺さぶられるという事態が続いていたが、皆さん騙されてはなりませんよ。

いまだに世界の基軸通貨は米ドルであることを・・・・。

彼らは借金しようが、国家財政が危うくなろうが、基軸通貨のさじ加減でどうにでも対処していくということを・・・・。

米国はおそらく今度は輸出戦略により、経済の建て直しを図っていくことでありましょう。

中国にオバマが長く滞在したのは世界最大の輸出国として敬意を表したことを物語っている。

お得意さんに頭を下げるのは営業の基本なのであります。

アメリカが輸出に軸足をおく、だから円高はどんどん進行します。そして技術・加工貿易型の日本経済は益々窮地に追い込まれていきます。

不況と製造過程が安い国へ拠点が移り、仕事が減る。給料が上がらないからモノが売れない。売れないから製造が出来ない。出来ないから仕事が減る。減るから給料が上がらない。

この負の連鎖が螺旋階段のように続くのが、デフレスパイラルなのですが、ケインズの近代経済理論にはこの処方箋が語られていないのですね。

そして日本国家の借金もついに860兆円を超えました。今国債の金利が上昇すれば、真っ先に困るのは国庫なのであります。

だから簡単にはインフレターゲット戦略は採れません。

一体どうすればいいのか・・・・。

もはやデフレに歯止めを掛ける政策は、思い切ってアジア通貨を円で立ち上げるか、米国の国債を中国に買ってもらうか。

もしくは昭和30年代の暮らしに逆戻りするかですね。

貧しかったが日本人の心は美しかったあの時代に、経済的にはもどることになっても、精神的には随分と荒廃が進んでいる今のわが国には難しいことではありましょうね。

亀井センセイの一時しのぎ法案も、却って結果を悪くするだけ、「真の国家百年の大計」を戦略的に構築する、私心なき、玄人はだしの肝の据わった政治家の出現が今ほど待ち望まれる日はありません。

ああ一気に書いたので、疲れた。

最後まで読んでくれたお方はえらーい。

ご精読のお礼に長崎県外海町の夕陽をプレゼントしましょう。

提供は舎利弗さん

 


霧のカレリア

2009年11月25日 23時25分00秒 | 風竿の音楽夜話

今朝の霧はとても深かったですね。

視界10メートルといったところでしょうか。一昨日よりも随分深い霧でありました。

昔、そのむかしザ・スプートニクスというエレキバンドで大ヒットした「霧のカレリア」という曲を思い出し、出勤の車の中でメロディを口ずさみました。

<!-- Karelia  The Spotnicks -->

懐かしいエレキバンド・・・・。昭和40年発売のナンバーですよ。

ついでにもう一曲おつきあい下さい。

<!-- 空の終列車 (Le Dernier Train De L'espace) -->

ラジオでは小島正雄の「9500万人のポピュラーリクエスト」という番組がありまして、この番組でピーター・ポール&マリーやブラザーズ・フォアやクリフ・リチャードにジ・アニマルズ、ローリング・ストーンズそして何よりビートルズの音楽に出会ったのでした。

当時は日本の人口は、9500万人だったのでしょうね。

ラジオに噛り付いたように聞きほれていましたね。

中学生の頃のお話で、今は遠い昔のことなのですが、日本の歌謡曲には何故か興味が湧きませんでした。

朝の霧から、遠い昔の古びた日記帳が開きましたね。

埃かぶった表紙が破れないように、そっと昔に戻してあげましょうね。

いい想い出は大切にしまっておきましょう。

ではどちらさまもおやすみなさい。


ブログのこと

2009年11月24日 23時39分09秒 | 風竿日記

真っ白いブログのキャンバスに今夜も向かっている。

何を描くのかは全然決まってはいないのだが、とりあえずキーボードを叩いてみる。

今日一日を振り返りながら少しづつ言葉を捜していく。

思えば今年の3月26日からブログの洗礼を受けて以来、色んなことがありましたね。

日記といえば日記なのだが、キーボードの向こうに、こんな拙いブログに遊びに来てくださる方々がいらっしゃるのだから、まあ「外に向かう日記」とでもいうべきなのだろうか。

外に向かうのですからあんまし否定的なことは書けない・・・。

自ずと肯定的なこと、プラス志向のことを思い浮かべるようになったかも知れません。

ブログを始めて変わったこと、

まず第一に、仲間が増えたことでしょうね。

それから、自分の周りの、今まで何となく見過ごしていた、また気づかなかった風景が急に見え始めたこと。

それから、早く家に帰るようになったこと。

ということで、お酒をあまり呑まなくなりました。

お酒を呑むとブログに向かいたくなくなりますからね。

ただし、夜更かしの癖はよくありませんね。

ひところは夜中の2時くらいまで、パソコンに向かっていたんですから・・・。

でも最近はペース配分ができるようになり、ちゃんと睡眠時間も確保できるようになりました。量は質への転化を来たす・・・・まさにその通りかと・・・・。

おじさんのカルチャーショックともいえる、つまらないブログなのですが、何となく豊かな人生の灯台を見つけたような、そんな気分なんであります。

さて、宮崎での興奮さめやらぬ私、またまた石川遼くんダンロップフェニックストーナメントでの17番ショートホールのバーディをお届けして、今夜はこの辺でオヤスミナサイ。

                   

頑張れ石川遼くん、僕の見ている前で見事バーデイ

実は「ナイスバーディ」という僕の声が聞こえます。

そして13番でのボール直撃事件、実は4年前のこと14番グリーンでタイガーウッズのボールも私を直撃しました。何かそういう星の下に生まれてきたのでしょうか。

今年は年末ジャンボ宝くじ買い時かもですね・・・。

 

 


木漏れ日の休日

2009年11月23日 23時45分10秒 | 風竿日記

勤労感謝の日の朝はMisty Morningでありました。

乳白色の優しい朝、6時に起きて家の周りを写真に収めて、もう一度ベッドの中へ・・・惰眠を貪ることに

 

昨夜石川遼君のスーパーショットに立ち会った興奮から、焼酎を一杯余計に飲んだせいか、少し頭が痛い・・・・。二日酔いはMorning afterというらしいが、なるほどである。

 

そこには、まるで水墨画のような幻想的な光景が広がっていた。

 

 

 

そして霧が晴れると久しぶりの快晴の好天気となった。

部屋の掃除に布団干し、勢いで洗濯までもやったんである。

主夫としてかいがいしく働き、一服する。

カーテン越しに秋の木漏れ日が優しく包んでくれて

いい完全休養日をさらに愉しくさせる。

ゆっくりとした時間をゆっくり愉しむ。

いい休日、木漏れ日の休日なのでした。

というわけでスタンダードナンバーからMistyをお聴き下さい。

<!-- Sarah Vaughan - Misty -->


木漏れ日の勤労感謝の日

2009年11月23日 23時00分00秒 | 風竿日記

今日は勤労感謝の日

朝は大変な霧であった。ミスティ・モーニングなんである。

我が家の周辺もこのとおり・・・・・

霧の都、ロンドンに来たみたいなんである。

写真は6時半位のもの。

我が家に隣接する湖も霧で見えないありさま。

こんな日はとても天気がいいのが定説

墨絵のような世界をご堪能あれ・・・・。

まるで別世界が出現したかのような霧の朝

部屋の掃除と、洗濯、布団干しの実に平和な一日でありました。

レースのカーテンの隙間から漏れる木漏れ陽に感動したいい天気の一日なのでした。


石川遼君のボールが私を直撃・・・フェニックスで

2009年11月22日 23時59分43秒 | 風竿のゴルフ&ゴルフ

ダンロップフェニックストーナメントの最終日、朝5時に起き出して高速代1000円也を投じて、宮崎シーガイアにあるフェニックスカントリークラブへ

昨日は鹿島で結婚式、そのあと武雄で田舎信用金庫のOB会と酒宴が続き、ちょっと重たい胃を抱えながら、あの石川遼君の応援に馳せ参じることとなった。

というのも、彼のお父さん石川勝美氏は埼玉懸信用金庫の職員なんである。

ということで信用金庫業界では、「信用金庫の子」としてみんなで挙げて応援しているのである。  

さて、インコースの10番から熱烈応援することに・・・。

写真撮影は厳禁なので、コースの写真のみこっそり撮りました

ここから、ずっと彼のギャラリーとしてついて回ることにした。

いつも彼が果敢に攻める13番、松林越えのショートカットが狙えるミドルホール、彼のティショットが落ちてくる方向であるグリーン回りに先回りして待っていると・・・・・。

何と!あろうことか!遼君のボールが私達のところへ飛んできたんである。

その時の模様は一部始終が、凄い画像で見れます。

私はベージュのマフラーにジャンパー、黒い帽子をかぶっています。そして一緒に行った同僚の織田君や、川崎君も映っているではありませんか!そしてボールは危うく川崎君に当るところ・・・・。

「そーなんですよ、川崎さん・・・・」は白いマスクにチェックのシャツを着た少し太めの怪しい男性がその人

貴重でレアな映像はこちらをクリックしてくだしゃんせ・・・。

                             

ダンロップフェニックストーナメント最終日13番ホール

松の枝が邪魔をするという、極めて困難な状況からの第二打は、見事ピンそば50センチにナイス・オン

このホールナイスバーディを飾ったのであります。

結局4日間とも大胆で危険を伴う林越えのショートカットを狙って、ワンオンこそしませんでしたが、全部バーディを奪っているのです。

彼のチャレンジ精神にはほとほと敬服しますね。

信用金庫もGO CHALLENGEでがんばらないとね。

 

実は遼君はこの日前半はボギー先行の苦しい戦いでありましたが、私たちが応援に駆けつけてからは2バーデイの好成績

順位は22位でありましたが、年間賞金王へまた一歩近づきました。18歳とは思えぬ落ち着きぶりで、私の「ナイスバーディの声にも笑顔で応えるなど、実に好青年ぶりでありました。さすがに信用金庫の子なんであります。

この写真は大会HPよりお借りしました。

ということで、遼君も雨に濡れながらも一所懸命に応援した甲斐があったというものであります。

遼君のお父様に再会できなかったのは残念でしたが・・・・。

宮崎まで往復7時間はきつかったけれど、実に充実した一日でありました。

そして、遼君のお陰で全国放送に登場した田舎信用金庫三人組なのでした。

昨年の日本オープン(第三位)に続いて遼くんの応援に駆けつけて、しみじみと思わされたことは、天性の人を惹きつける何かを持った少年であるということでした。50年に一人の逸材であることは間違いがないことでしょう。

石川遼くん頑張れーっ

おじさんがついているぞーっ