風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

紫陽花寺から

2015年06月07日 22時33分27秒 | 花の日記帳

梅雨の鬱陶しい中で、

天は何ともステキな使者をこの世に遣わしたものだ。

雨にも負けずに一際美しさを輝かせる天使

その名は、紫陽花、

七変化乱れ咲きのいい時期となった。

 紫陽花寺というものがたくさん存在するが、それも、むべなるかなと思う。

お寺の境内の羅漢さんに囲まれて咲くアジサイはとてもいい。

どこからこんな美しい色が生まれるのかと、ついため息が出てしまうほどの貴婦人。

アジサイといえば、毎年高校時代のことを思い出す。

あれは3年生だった。

グラスの中に活けてあった青いアジサイの花びら

七浦の干潟沿いの波止の夕景

ビートルズのホワイトアルバムの中の 「I Will」

もう47年も前の出来事が甦ってくるのだ。

もう、爺さんになった。

昔の想い出は・・・・・。

アジサイ寺の絵馬に描いて、そっと有明海に流そう。

そして、今年もharu155さんの撮影された写真を愛でよう。

私にだけ使用が許された素晴らしい写真

アメジストアジサイと名付けた幻想的な紫陽花なんである。

 昔の淡い想い出に、実によく似合うではないか。

 


ノルウェイの森のこと

2015年06月03日 23時59分57秒 | 花の日記帳

我が家のほんの猫の額ほどの庭に、実は26本の木が植えられている。

それは次第に増えていったものではあるが、鬱蒼とした森のようになってきてて、心秘かに、

「いいぞ、いいぞ、」

という感じだったのだが、

ご近所迷惑も考えると、たまには剪定をしてすっきりとさせなくてはという妻の手前もあり、庭師さんをお頼み申すことにした。

2日半ほどをかけて、やっと庭らしくなってくれたのだが、

もとの鬱蒼とした森が好きだった。

利休居士が云った「無作為の作為」とでもいうか・・・・。

勝手に自分でノルウエイの森などと名付けて、ほくそえんでいたくらいだから、どうもあのキチンと折り目正しい日本庭園は私の趣味ではないようだ。

庭木も松や梅に槙の木などという日本の庭になくてはならぬものは一切なくて、

さくらんぼうやエゴ、皐、山ぼうし、山もみじ、花みずき、百日紅、柿の木、プルーン、平戸つつじ、ブルーベリー

北欧系のスカイロケットやホワイトスノー、ブルースノーなどなんでもござれの状態なんである。まさに玉石混交なのだ。

そんな中で私が気に入っているのが姫シャラの木

今日も佐賀に出張して、疲れて仕事から帰ったのだが、夕方には快晴の天気に恵まれ、おかげで久しぶりに庭を愛でた。

すると姫シャラに可愛い花が咲いてくれていた。

疲れた体にその花がスーッと沁み込んでいく。

さくらんぼうはまったくだったけど、

どうやら、ブルーベリーは豊作のようだ。

たった50坪あまりの小さな森は不思議の森

毎月新しい発見がある。

 

そこで私は探検家になって愛犬と一緒に遊ぶ

他愛も無い、そんな時間が実に愉しいんである。

  

姫シャラの幹がいい、葉もいい、何より花がいい。

玄関のアイビーも気に入っている。

 今、そのアイビーが一番綺麗な季節でも或る。

 ヒペリカムも咲き誇っている。

気の会う仲間を呼んでノルウエイの森バーベキュー大会でもやるとするか・・・。


小さな小さな庭の花たちへ

2014年06月01日 23時59分53秒 | 花の日記帳

今年も忘れずにちゃんと咲いてくれた、我が家のノルウェイの森の花たち

それは可憐な皐やヒペリカム

春の訪れはいつもより早かったのだが、

花の訪れは不思議なことに、計ったように決まった時節にちゃんとやってくるものだ。

ヒペリカムの仲間という花は、生垣にと植えたものだが、毎年競い合ったように、一斉に咲き出すので

それは見事な百花繚乱の絵巻となる。

いつも思わされるのは、花ははからいがなく、ただ咲き切るのみだということ。

禅の教えにある「無為不待」という言葉にあるとおり、何の見返りも求めず、見られようと見られまいと、ただ咲き切るのみなんである。

最近は妻が庭いじりに精を出してくれているので、草木たちは一気に元気を出してくれている。

そんな我が庭の住人達の中で、とりわけ楽しみなのが「姫しゃら」の木

「山ぼうし」はあまり白い帽子を被らなかった代りに、今年はこの木が花を一杯つけてくれている。

とても上品な貴婦人である彼女達は、おそらく来週がオンステージとなりそうな気配で、今からショーが愉しみなんである。

そうそう、名前は忘れたのだが、この花も可愛い

それぞれの場所に陣取ってお互いの縄張りを尊重しながら、妙に調和して咲いてくれる色んな草木花たち

その一番の恩恵を受けているのが私達凸凹夫婦なのだ。

そしてノルウェイの森には、初夏に雪が降るのもご紹介しておかねばなるまい。

 文字通りスノーホワイトというカナダ生まれの木

不思議な白いモヘアのような花を咲かす。

まるで雪が積もったようで、何とも楽しい木である。

猫の額ほどの小さな庭ではあるが、この花たちと共存して暮らしている私なのだ。

やがていつの日にか主たる私が居なくなっても、ちゃんと春になれば可愛らしい花が咲乱れるノルウェイの森であって欲しいものである。

残された人のためにも・・・・。

 


美しいものたち

2014年04月22日 23時59分58秒 | 花の日記帳

花や若葉のことばかりで恐縮なのだが、心が疲れた時には自然のテーマに限るんである。

商工会議所が主催する異業種交流会である「武雄交流プラザ」の仲間が急逝した。

時は百花繚乱の春だというのに・・・・。

いつも前向きで熱く想いを語る社長さんだったのにと、第一報を聞いた時は、しばらく呆然自失の状態に陥った。

夏の暑い盛りに、黙々と草刈りをこなす頑張り屋さんでもあった。

武雄交流プラザの宴席では、分煙と称して煙草呑み軍団ばかり席を寄せ合って呑んだ仲間だった。

花はピンクのドレスを纏い、一心不乱に咲き誇っている。

この美しい花の妖精も、やがて枯れて土の上に落ちる。

終わりのある生涯は私達とて同じ。

しかし、そんな宿命も何処知らず、花は咲き切る。

いつも、そんな潔い男らしい彼であった。

今となっては、彼なりに咲き切った人生だったと思うしかない。

葬送の曲は彼が生前口ずさんでいたという「イエスタディ」であった。

お葬式でビートルズの音楽を聴いたのは初めての経験だったが、

それまでせっかく哀しみを堪えていたのに、この曲で一気に泪が溢れてしまった。

これまで、聞き飽きたくらいに聴いたこともあり、ビートルズの曲の中ではあんまり好きな曲ではなかったのだが、

心に沁みた。

やはり名曲なんだと、しみじみ思ったんである。

心から彼のご冥福を祈るばかりである。

 

八重桜は十重に二重にドレスを纏い一枚一枚風に泪をながす春夜

                                        合掌


シクラメンが咲いたよ

2013年12月23日 23時58分39秒 | 花の日記帳

今年も慌しい師走がやってきて、ジングルベルをけたたましく鳴らす。

そんな日々の中で、我が家の出窓の主役であるシクラメンが今年も可愛く咲いてくれている。

寒い冬に咲く花は、いかにも健気なんである。

例えば花ではないが、千両万両なども素晴らしい。

山歩きをしていて、思わずハッとさせられる宝石のような美しさ。

消費税アップだの、5000万円貰っただの、射殺事件だのという世俗から離れて、草花を愛でていると

普通の神経に立ち戻されるのか・・・・何故か「ホッ!」とするのである。

 

夏場枯れない程度に水遣りをしたシクラメン

秋になると充分に気遣いながら、水を切らさぬように

そして蕾がつくと、たっぷり水遣りをしてきた

それに応えるかのように、見事な花を咲かせてくれる。

花は神秘の極致だ。

観られようと観られまいと、ただ咲ききる。

はからいは一切なく、咲くのである。

禅の教えにある「無為不待」

私たちにんげんももかくありたいものだと思うようになった。


梅は咲いたか

2013年02月09日 23時59分35秒 | 花の日記帳

金曜日は嬉野温泉に宿泊して業界の会合がありました。

意外と地元の人ゆえに泊まることは少ないのですが、華翠苑という観光ホテルはお湯も、料理もサービスも中々良かった。

中でも屋上にある空中露天風呂からの眺めは圧巻

ビジホ★泊まりが多い私のか細い経験では、

★★★といったところ・・・。

料金も割りとリーズナブルで、まさにオススメの宿なんである。

   

館内には梅の花が活けてあり、春遠からじの優雅な気分に

こんな細やかな気配りが、正しく日本の温泉旅館のいいところですよね。

明けて、土曜日の今日は、武雄嬉野カントリークラブで、親睦ゴルフコンペに参加、昨夜の深酒が祟り、スコアはメロメロのボロボロのヘロへロ。

疲れきって我が家に帰り着くと、今を見頃のシクラメンがお出迎えしてくれました。

何故か疲れたときに花を愛でると「ホッ!」とするんである。

たった花一輪で心が和むのだから、単純なもんである。

この花は、我が家に来て三年目の冬を迎えた鉢植えの美女

何とか今年も上機嫌にしてくれています。

夏に水をあまりやらないこと、甘やかさないこと、が秘訣でしょうか・・・・。

問題の体罰教育にも通じる要素があるような、ないような・・・・。

 

冬のバラもまた美しいものですが、友人の愛好家は花と会話することが大切だと気障なことを申しておりました。

水をやりながら、

「綺麗だね・・・・素晴らしいね。咲いてくれてありがとう。」

と語りかけるのだそうな・・・・。

私に、そんな歯の浮くようなことを云える筈も無く、ただ黙って笑いながら聞いていると・・・・

そうすると花も生き物だから、必ず波動が通じるのだと・・・・。

俄かには信じられないのだが、

そう云われればそんな気がしてくるのも、我が家のシクラメンを見ていて思い当たるフシがなくもない。

 

さて、梅の花がチラホラ咲きだした。

もう少しすれば桜も・・・・・。

「来年の春も、また桜が見れるだろうか・・・・。」

と云いつつ亡くなった友人の言葉が、毎年この時期になると不思議と思い出される。

老境に差し掛かると、春の尊さと、花の美しさが一際身に沁みてくるんである。

一心不乱にただ咲く花の真剣さと、切なさが胸をしめつけるのだが、人は明日は知れぬ身。

そんな意味で、「梅は咲いたか、桜はまだかいな・・・」という都都逸を聴いてみると、ちょっと違った風に聞こえてきたりする。

ものおもふことの多き、老境かな・・・である。

 

 

 

 


花の日記帳

2012年09月01日 18時29分18秒 | 花の日記帳

最近多忙に負けて心が荒んでいたように思い、

今日は職員コンペの後色々と所用を済ませてから、

花の写真を撮りに、秘密の花園へ。

思ったとおり・・・・初秋に咲くという酔芙蓉と、槿の花が私を待っていてくれた。

誰も通らない国道の側道が、私の禁断の花園

白無垢に紅を差し、彼女らは私を待っていた。

いやぁ、花はいい。実にいい。

人生の転機といえばちと大袈裟なのだが、

このところ往復96キロの車での佐世保通勤は、ちと堪えていた。

車の長距離運転は、老眼の身には少しばかり堪える。

老骨とか老体とかは絶対に云いたくはないのだが、慣れない環境にも少しばかり神経が参っていたのかも知れない。

いつも書くように・・・・・、

花はただ咲くのみ。

無為不待 (むいふたい) なんである。

誰も通らない山奥の崖の下でも、花は一心不乱に咲き切るのだ。

あんなに綺麗に咲くのだけれど、そこにまったく計らいがない。

花に教えられることの何と多きことか・・・・。

そうだ、仕事があること自体が素晴らしいことなのだ。

ちょっと環境が変わった位で、根を上げるような軟な男では無かった筈ではないか・・・・・。

まだ夏の日差しが強い、小道で花は語りかけるでもなく、微笑むでもなく、そよ風に揺れながら

ただ、必死に咲いていた。

それが役割かのように。

今年の夏の猛暑は格別であった。

ああ、早く冬にならぬかと恨めしく思ったものだ。

しかし、反面寒がりの私は、霜の降りる零下の世界が訪れると、

ああ、早く夏にならぬのかと呟く。

しかし、花は何にも云わずに、ただその場所で風に吹かれながら、雨に打たれながら、黙って咲いているのみなんである。

ああ、自分勝手でございました。

ああ、ワガママでありました。

また月曜から楽しく頑張ろう・・・・。

花には教えられることばかりなんである。

 


初秋の花

2011年09月05日 23時26分13秒 | 花の日記帳

北海道から帰ってきて休むまもなく、外せない仕事の会合があり、そのあとは嬉野市へ・・・・

介護施設にいる母親に会い、

そのあと市内で仲間と会合があり、

結局呑んで遅く帰り着き、疲れて泥のように眠りました。

月曜日デスクワークに復帰、机の上は山のような書類が・・・。

武雄市から頼まれている、ある評価の仕事も丁寧に済ませて

無事に北海道モードを切り替えました。

日々慌しくしていると、突然花を観たくなります。

初秋に咲くといわれる酔芙蓉の花が咲き始めました。

えも云われぬ美しさは、思わず『ホーッ!』と唸るため息付き

いつも思うのですが、一体どうしてこんなに美しい花が咲くのでしょうか?

川端の呑み屋街にも中町にも、鹿島の親不孝通りにも、佐賀の愛敬町にも、中洲にも、こんな綺麗な花は咲いていませんねぇ・・・・。

まるでカクテルドレスを纏った花嫁みたい・・・・。

昨年も一昨年もそう書いたような・・・・・。

朝の開花時は白無垢、そしてお昼過ぎると徐々にお酒を呑んだ女性のように(たまにそうでないレディもいらっしゃるようですが・・・・)ホーッと顔をピンクに染めていくのです。

だから「酔芙蓉」と申すのだそうでございます。

特に、とりわけ八重の酔芙蓉は妖艶であでやか

こんな年老いたおじさんでも、瞬時に恋に落ちてしまいます。

美しいものに言葉は要らないのですが、

やはり語りたくさせてしまう花

そして嬉しいことに、美しいにも拘らずトゲがない・・・・。

そんな酔芙蓉の酔っ払った姿を観たけりゃ、夕方にもう一度訪れることです。

「もう呑めません・・・・私を酔わしてどうしようというの・・・・。」

そんな喘ぎ声が聞こえてきそうな散歩道

ああ、理性を忘れてしまいそうな美しさ

こんなに酔っ払って・・・・おじさんが介抱してあげましょう。

 


夏に夏の花

2011年07月21日 23時11分32秒 | 花の日記帳

通勤途中の小道に私のパワースポットはある。

すぐ横には大きな国道が通っているくせに、この脇道は殆ど車も人も行き来しない素敵な小道。

だから彼女達を独占できるのが嬉しい。

小さな道に沿って、これまた正比例したかのような小さな小川が流れている。

道の両脇にはどなたが植えたのか、槿と酔芙蓉の木が並んでいるのだ。

そして例年の如く夏を待ちかねたかの如くに、槿の花が咲き始めた。

花言葉は「信念」茎からは胃腸薬や水虫の薬が作られる。ムクゲチンキはこの花のイメージには合いませぬ。

ハイビスカス科の花らしく、夏は頗る絶好調のようだ。

こんな人知れぬ、一日に2台位しか車が通らない道ですら、光はちゃんとあたり、誰も愛でる人もいないのに、花は一心不乱に咲いているんである。

純白のウエディングドレスに、ピンクのショールを掛けた花嫁

なんともまあ、この世のものとは思えない美しさ。

そこで風流人を気取って、短歌ともつかない短歌らしきものを一捻りした。

 

 

通勤の小道に佇みふりかえる夏に夏の花冬に冬の花

 

汗ばみて生きておるぞと踏ん張りつ夏に夏の花冬に冬の花

 

夕立の通りしあと土のにほいかぐ 生きるぞと風に揺らぐ花は強し

 

さて、明日から3日間ほど神戸にサマーセミナーでお勉強してまいります。

ブログは極力更新するつもりです。

 


風に吹かれて、いい夢みてね

2011年06月21日 23時59分59秒 | 花の日記帳

「風に吹かれて」という秀逸なブログがあり、

実は三年来のファンである。

haru-155さんという女性・・・多分美しいひと

が、ご自分の、これまたプロフェッショナルな写真を中心に据えられた、とても美しいブログなんである。

そのharuさまから、唯一ムリを申し上げて転載を許された写真を今夜はご披露しましょう。

私がアメジストのアジサイと名づけた、まるで宝石のような写真

うーんと唸りながら何度も心に刻みました。

人はここまで美しい写真を、まるで絵画のように描きしるすことができるのだろうかと思わしめた、芸術写真

とくと、とくとご覧下さい。

ねっ、思わずため息がもれますよね。

そのharu-155さまのブログはこちら

・・・・・・・・・・・「風に吹かれて」

写真と言うよりかは、これは間違いなく絵画であります。

 

 

そして、天才画家「ムムリク」さまのことも・・・・。

このお方も凄いアーチストです。多分美しいひと・・・

絵の隅々に、優しいお心がいきわたっています。

ムムリクさんの本「いい夢みてね」を読みましたが、

ありそうで、まったく違う世界、

人間の究極にのぞむべきユートピアが、そこに確かに存在しておりました。

そのムムリクさまから、このブログにコメントを頂戴いたしました。

嬉しかったぁ・・・・・。

ムムリクさんのHPはこちらをクリックして

HPの中にある「ムムリクのアート日記」というブログ

もとても美しく楽しく、おもしろいです。

 

お二人とも、いつかきっとお会いできると想っています。今からその日が訪れることを愉しみにして、おりこうさんにしていようと思います。

 

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