風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

銀ちゃん

2010年11月27日 23時59分59秒 | 風竿の悪友烈伝

武雄には名物ともいえるオススメのラーメン屋さんが二軒ある。

一軒は御船山の麓で頑張っておられる「来久軒」さん。

「何も足さない、何も引かない」というのが店主の「やっちゃん」のひそかなこだわり。

確かにこれぞラーメンという、店主拘りの白色の豚骨スープと腰のある麺には定評がある。

その噂を聞きつけて韓国の大女優「チェ・ジ・ウ」さんや、我が国の有名人が何人も店に訪れたという。

確かにやみつきになる悪魔的旨さ・・・・。

そして彼は、小生のゴルフの大切な仲間なんでございます。

さらに、もう一軒が武雄の歓楽街で頑張っている「後楽園」さん

呑み会の帰りには必ず立ち寄るお店

もう武雄市内で40年ほど営業していることから、多くの市民の支持を受けているラーメンとチャンポンの老舗なんである。

その「後楽園」の店主が、私の30年来の友人「銀ちゃん」なんであります。

(右から二人目が銀ちゃん)

秋晴れの穏やかな27日土曜日は、彼の還暦祝賀コンペなのでありました。

彼のゴルフ門下生「チーム平井」の皆さんが企画したコンペに、私も呼ばれたのでありましたが、最近の絶不調を背中に抱えながら恐る恐る参加。

(下平哲也さんのパワースイング)

前半を37のワンオーバーで回り、後半を42のスコア内で回りきれば待望の70台という久しぶりの復調ぶりでした。

事実後半も出だしの10番をバーディ外しのパー

11番を3オンワンパットのパーで切り抜け

12番ショートホールでは、ピンそば50センチをなんなくカップインしてバーディを奪い、この時点で通算でパープレーの絶好調

(銀ちゃんの次男で後楽園の後継者のダイナミックなスイング)

ところが13番でバーディ外しのボギーを叩き、14番のショートホールで3組も繋がる大渋滞に巻き込まれると、リズムが狂い始めて、ダブルボギーが続いてしまい、結局後半は45と乱れてしまったのでありました。

(一緒に回った山下大輔さんのフォーム、目茶苦茶飛ぶぅー)

通算82のスコアはハンディキャップ10の私としては、パープレーなんでありますが、前半の調子が良かっただけに、悔やまれる成績となりました。

さて、一緒に回った下平哲也さんのスコアは何と69、ラウンドの最後を締めくくる18番ロングホールでは見事チップインイーグルを決めるなど、さすがシングルプレイヤーの面目躍如でした。

グロスで3アンダーというゴルフは、アマチュアのレベルでは限りない快挙といえる凄いことなんであります。

夕方からは表彰式と還暦お祝いの大祝宴会

実は銀ちゃんとは一つ違いの私、来年は私の番となりまして、このコンペで来年もまたお祝いして頂けることに・・・・。

昨年は癌で大切な友人を二人も失くした私なのですが、この銀ちゃんも3年前に胃癌 を患い、胃を全部摘出した経験を持っておられ、その強い精神力で、現在も一流のゴルファーとして頑張っているのです。

この日一緒に還暦のお祝いを受けられた田中さんHD2の腕前

健康管理に留意されて今からもずっとずっと、元気に頑張って頂きたいと思うばかりです。

そして、地域の金融機関に勤務しておりますと、友人=お取引先という公式の上で、私もまた生かされているのであります。

いやはや、友達という存在ほど有難いものはありませんです。 

 

 

 


本格SF短編小説 「その昔、宇宙の果てで・・・」

2010年08月18日 22時43分09秒 | 風竿の悪友烈伝

その昔、遥か彼方の宇宙の果てで・・・・、

宇宙中を既得権益を主体とした暗黒面の支配下に置こうとする帝国軍と、地方自治の独立を唱える共和国連合軍との熾烈な戦争が行われていた。

赤い惑星「オンセーン」には、

フォースの奥義を極めた若きジェダイの騎士「ハイビー将軍」が

共和国連合軍司令長官からの出撃命令を、今や遅しと待ちわびていた。

 (赤い惑星の上がお役人の天国といわれるカスミガセキ星)

 

彼が宇宙銀座と呼ばれる大惑星「カスミガセキ星」から、この辺境の惑星「オンセーン」に帰って来たのには、少しばかり事情があったのである。

 

彼は帝国軍と戦うこともさることながら、

この広い宇宙のすべての人々と、異星人までもが、

瞬時に仲良くなれるという、平和の最終兵器といわれる情報発受信ツール「イツイッター」を敵の手から奪い返し、あまねく宇宙全体にそれを普及させ、くだらない戦争を終結させ、永遠の平和を築き上げるという、大きな使命を与えられていたのである。

そして待ちわびた彼の通信ツールに、いよいよ一日千秋の思いで待ち焦がれた出撃命令が下されたのだ。

「出撃なう。成功を祈るなう。私は、なうまん像・・・」

彼は愛機プリウス号に飛び乗ると、反対派・・じゃなかった帝国軍が集結する秘密基地へと一気に進路をとったのであった。

ほどなく帝国軍が集結するAKB48星雲に到着するや、彼はキッとまなじりを決するや、敵の中枢基地「そうデススター」に無謀にも一機だけで突入しようとした。

すると当然の如く彼の愛機めがけて一斉砲火の火の手があげられたのである。

その集中砲火をものともせずに、「そうデススター 」の中心部に突き進むと、待ってましたとばかりに彼の行く手を阻まんと敵の総大将「あっかんベーダー卿」が空中戦を挑んできたんである。

レイザービームが飛び交う中での凄まじい戦いが、延々と執拗に繰り広げられた。

 

死闘につぐ死闘の末に、我らの「はいびー将軍」は見事勝利を果たしたのでありました。

 

敵の総大将「あっかんべーダー卿」から宇宙の最終兵器「イツイッター」を取り返した彼は、さっそく共和国本部に勝利を報告したのは云うまでもない。

「戦闘勝利なう。イツイッター取り返したなう。なうなうなう

惑星「オンセーン」に凱旋すると、そこはすっかり戦勝ムードで、お祝いの花火までもが盛大に打ち上げられていたなう。

はいびー将軍は顔を紅潮させながらも、満足げに花火を見上げながら、傍らの共和国連合司令長官フルーカワに呟いた。

「それでは約束どおり、例のご褒美として、レモングラス・ティーバック三点セットを頂きましょうかなう・・・・。」

と遠慮がちに申し出た。

ところが司令長官は「そんなことイツイッターかなうー?」とのたまうんでありました。

チャンチャン

このSF小説は、塩田津の花火大会にモチーフを得た、事実にまったく基づかないフィクションでございますなう。

 

さて、明日19日木曜日は、日本ツイッター学会会長さんの主催される「日本ツイッター学会設立記念シンポジウム」が夜の9時から武雄市役所前の中央公園で開催されます。

詳細はコチラ

ツイッターを愛するお方は、どなたでもご参加下さいとのことです。 僕も行ってみようかなぁ・・・・。

 


よっちゃんの春

2010年03月11日 23時59分59秒 | 風竿の悪友烈伝

わが尊敬してやまない兄貴、よっちゃんの還暦のお祝いをさせて頂きました。

本当に近親者のみのという、ささやかな宴ではありました。

「よっちゃん」は武雄商工会議所の専務理事、とても切れ者と衆目の一致するところ。凄い男なんであります。

一見優しそうに見えるのですが、とてもクール

一見クールで合理的な人のようにも見えるのですが、とても温かく純粋で熱いハートの持ち主なんであります。

よっちゃんと出会ったのは氏がまだ武雄市役所の商工観光課に勤務されていた頃、20代で家を建てるのだと貯蓄に励んでおられた頃、定期積金とボーナス預金をお預かりに伺っておりました。

昔は学生運動の闘士だったそうで、よく話が合ったことから、次第によっちゃんの魅力に引き込まれていったのでした。

とにかく、無類の勉強家で、当時朝4時に起きて自分の自己啓発に努力されておりました。

極めてマニアックとしか言いようが無い、深くて広い勉強を要する、中小企業診断士の資格を一発で取られ、その後はついに税理士の資格を目指して早暁の努力を続けられ、三科目をパスされた時点で地方公務員生活に別れを告げられ。実務経験を積んで同時に残りの一科目であった法人税の試験にパスされるべく、福岡市の税務コンサルタントグループに転職を決意しておられました。

私は氏の並々ならぬ人生の転機と、不退転の決断に感動と快哉を覚え、税理士開業の際には50社をなんとか紹介するから頑張ってねと送り出す覚悟でおりました。

ところが市内の優良企業から三顧の礼を持って参謀役兼大番頭として迎えられ、氏の人生は文字通り大転機を迎えられたのでした。

その後酒類販売の老舗を苦渋の決断で廃業される憂き目に逢われ、そこの社員さんの最後の一人まで再就職の面倒を見られて後、請われて現職に就かれたのでした。

ご就任当初は随分とご苦労もなされたのでしたが、終始一貫私と某市内大手建設会社の現会長は氏を兄貴と慕い、支え続けました。

病める時も健やかなる時も、兄貴と決めた以上はこれは絶対条件だったのであります。

氏のお人柄をご理解頂くためにも、その還暦祝いによっチャンが寄せたお礼状をここに、詳らかにしたいと思います。

無類の読書家である「よっちゃん」なんであるが、無駄な形容を省き、簡潔な中にも氏の想いの伝わる素晴らしい御礼の言葉が綴られていて、私の無神経な胸を打ち続けたのである。

味わいの深い氏の文章を皆さんにも是非食して頂きたい。

無断で掲載することを・・・・・友情に免じてお許し下さいね。

 

               「御礼」

今日は私の還暦祝いの宴を催していただきありがとうございました。

先輩方も同じ感覚にとらわれたと思いますが、いつのまにやら還暦を迎えてしまったというのが実感です。土曜日は少年ラグビースクールの子供たちに遊んでもらい、日曜日には佐賀で60歳・70歳代の先輩達とラグビーの練習をしていると、「還暦」という言葉がまとっている「老い」のニュアンスに不思議な感覚を持ってしまいます。

とはいえ、若い頃にはなかった肉離れや膝の不調や小水の出の悪さなど、少しずつ老化が忍び寄ってきていることは事実です。体力面・健康面は今のところ順調と思っていますが、体をいたわることも覚えなければいけない年齢になったのかも知れません。

公務員の世界から民間人の世界へ飛び込んだ時に、「おかげさまで」という言葉を自然に使っているお取引先の営業マンに衝撃を受けた記憶があります。私も「おかげさまで」という言葉を素直に発することができるようになりたいと思わされました。

前の会社を閉じてもらった時に、先輩や友人たちのおかげで現在の職を得ることができました。今、心から「おかげさまで」生きている、生かされているという思いです。

地域の中小零細企業の経営を守るという職責は、簡単には果たすことができるとは思いませんが、10時就寝、4時起床という生活リズムを守って健康に留意し、好奇心をいつまでも強く持ち、仕事と読書とラグビーと、昨年からご縁が出来た、日中・日韓の国際交流のお手伝いをしながら、私を支えてくださっている皆様に少しでもご恩返しができるように、これからの人生を歩んでいこうと思います。

今日は本当にありがとうございました。

平成22年3月10日     

                               光冨義仁

 

以上原文のまま

 


わが青春のStrawberry

2010年03月07日 22時46分58秒 | 風竿の悪友烈伝

若い時に青春をぶつけたバンドStrawberry

:結構鹿島では人気のバンドであった。片付け物をしていて、そんなある時のライブテープが出てきたのだ。

カセットに入れて、しばし懐かしいサウンドに浸る。

声がわかーい!

しかも伸びがある。艶がある。パワー全開なんである。

世界中で僕たちが一番みたいに妙に自信に溢れている。

オリジナルにビートルズからTULIP、EAGLESにドウビー、果てはスティービー・ワンダーまで、まるでごっちゃ煮のチャンポンみたいなコンセプトのない選曲なんである。

よく練習もやったものだ。しかも、皆酒飲みだったけれど、呑んで練習もライブもやったことなど一度もなく、とても厳しく真剣だった。

そして純粋だった。

ビアガーデン、ダンスパーティ、ライブハウス、コンサート結構忙しかったものです。

佐賀市民会館でNHKFM番組の地元バンドコンサートのトリを務めたことも・・・。

クリスマスには掛け持ちしてたこともある。自慢してもいい、もう時効ですね。

 

平成4年、武雄市文化会館での最後の演奏から18年の歳月が流れ、お互いに人生の悲哀をそれぞれに舐めて、そして人生と同様に音楽の嗜好性も随分と変わったのである。

先日バンドリーダーの娘さんの結婚式で、「復活するかぁ」と盛り上がったのだが・・・・。

おじさんになってしまった今、Strawberryという名も抵抗があるしね。

でも限定復活で、一度やってみるか・・・・。

昔の楽譜を引っ張り出して、テレキャスターを抱え、ちょっと渋めの曲で決めてみるか・・・。

ユンケルとアリナミンと赤マムシドリンク呑んで、やってみるか

バンマスさんドウですか・・・

では今夜はその頃によくやった曲、ジャズギター増尾好秋のインストロメンタルの曲「ディアナ」Youtubeで検索したけど残念ながらありませんでした。いい曲なのに・・・・。

そこでこの曲もよくやりました。お聴きください。

 哀愁のヨーロッパ カルロス・サンタナ

 

 


宝石  

2010年02月21日 23時14分39秒 | 風竿の悪友烈伝

若い頃5人でバンドを演っておりました。

その頃の思い出はキラキラと輝く青春の宝石なんであります。

Strawberryというバンド、勿論The Beatles の曲 Strawberry fields for everからとった名前です。下の写真恥ずかしながら、紺色の短パン一番右端が私めであります。

そこのバンドリーダーM君は、今や鹿島市の優良中堅企業の重役さん

当時の彼のパートは、少し渋めのドラマーでした。その彼の長女Rちゃんの結婚披露パーティなんです。

洒落たフランスレストランでのパーティ、彼から言われるままにピアノで3曲ほど唄い、その後は彼の家で、呑むほどに昔噺の花が咲き乱れました。

さて、娘さんはまるでモデルさんのように美しく、キラキラ輝く宝石のような花嫁さんに・・・・。

ご主人となられるお方は、スリランカ (昔のセイロン) の王家の血筋を継ぐ方。

そして世界中で大きな宝石商を営んでおられます。

友人のKがすかさず、「引き物は宝石じゃいも判らんバイ!」と脂ぎった顔で・・・

「まさか!一万円会費のパーティに引出物、しかも宝石はなかろうもん!」と常識人の私

「何て言いよっと、新郎の家はスリランカで三本の指に入るくらいの大金持ちてバイ・・・・。」脂ぎった顔で友人の語気が強まります。

ところが帰り際に招待客に配られたのは、堅牢な木箱に入っているし、いかにもそれらしく、高価そうな雰囲気が、そこはかとなく漂うものでありました。

因みにそれがこの写真・・・・・・なんです。ジャーン

写真では残念ながらも量感・質感がお伝えしにくいのですが、かなり豪華な木箱なんでありますよ。

ひょっとしたら・・・・1月から12月までの誕生石がドロップみたいにゴマンと詰め込まれて、ジャラジャラと唸り声をあげているかも・・・・・・。

ま、まさかとは思いつつも、丁寧に梱包された引出物を震える手で開けると・・・・・・。

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なんと本場セイロンのハーブティーのセットではありませんか・・・・。

しかも宝石のように美しいパッケージ・・・・まさに最高の引出物

勿論、オリビアを聴きながらが大好きな僕は「ジャスミン・ティー」から封を切ったのですが、これが旨いの何の・・・・・。

M君素敵なプレゼントありがとう。そしておめでとうございました。

可愛い宝石のような純白の花嫁さん、お幸せに・・・・。

物欲はともかくも、人のご縁を大切に、長い人生、ましてや国際結婚、ご苦労されることもあるかと思います。

素晴らしい原石を磨きあげ、心の宝石を光り輝くものにしてくださいね。

いつかスリランカに旅したいものです。


春よ来い・・・・雫ほどの涙

2010年01月21日 23時59分12秒 | 風竿の悪友烈伝

昨日今日と春のような暖かさ、これから三寒四温の日々となっていくのだろうか・・・・。

自然界もじっと春の訪れを待っている。

あと3ヶ月もすれば、友人がとても好きだった「タラの芽」が芽吹くのである。

テンプラにすると春の息吹が体の中に吸い込まれるほどに旨い

昨年の旬の頃、友人に食べさせた折に、

「来年も食べられるやろうか・・・・。」

と小さく呟いた彼に、

僕はわざと聞こえないフリをしたんであった。

その彼は本当に今年の「タラの芽」を食べることは出来なかったのである。

彼の、いかにも旨そうな顔を見れないのは、バットで顔を殴られたような痛恨の極みなのであるが、それでも春はちゃんと巡ってくるのだ。

そして、彼と毎週のようにラウンドしたゴルフも、何とは無しに、あまりやる気がしないまま、実はこの私も、じっと春を待っているのである。

春よ来い


明日は米国帰りのキャリアウーマン帰郷歓迎会

2009年10月16日 09時58分41秒 | 風竿の悪友烈伝

明日の17日は武雄ブログで知り合った、渡米29年buzzybeeさんの里帰り帰国歓迎会です。何と戦闘機「紫電改」を作った会社の現地法人へお勤めの女性。

東北でお生まれになり、ご両親が武雄でリタイアされた関係から、武雄が「第二のふるさと」になられたとか・・・・・。

武雄には今までご縁が薄く、残念ながらお友達がいらっしゃいません。

ブログで武雄の様子を知りたいと米国アナハイムから皆さんのブログをチェックされているのです。

武雄のブロガーの皆さん是非、川良のDear Johnまでご参集下さい。

ブログで広がる友達の輪海外編のミニ・パーティとなります。

夕方6時から「歓迎ディナーパーティ」開始、息子さんも一緒に来られます。

あの吟遊詩人、「北村尚志さん」にピアノで歌っていただきます。

 

 ひょっとしたら僕も1,2曲唄うかもです。

会費はディナー代 2、000円

活きたアメリカの経済・音楽・くらしの情報をお聞き下さい。

デイアジョンの電話番号は0954-23-8892です。

buzybeeさんと気が合われた方は、是非ぜひお友達になってあげてください。

 

明日、いい出会いがたくさんありますように・・・。

 

 


号外!タケオ・ブログシティ宣言さる

2009年07月15日 23時02分33秒 | 風竿の悪友烈伝

今夜はちょっと興奮しています。

私がこの拙いおじさんブログを始めてつくづく思ったことがあります。

この町にはブロガーがやたらと多いのですね。

そして皆さん夫々の持ち場や表現方法で個性豊かなブログを書き続けていらっしゃるのです。

ブログは「自分史」とも言えますし、「外に向けられた日記」ともいえるブログ特有のの良さは数々ありますが、外に向かっている分、否定的なことは極力押さえ込んでしまう関係もあってか、書いている本人がいつしかプラス思考で前向きになっているという、言わば人生の達人領域に向かって修行しているようなものだと思えるのですね。

そしてブロガーの皆さんに共通していることは、皆さんが夫々のスタンスで武雄の町を愛されているということであります。

シフトエリアや表現は違っていても、同じ方向と価値観を共有されている、つまりベクトルは一緒ということであります。

例えばDr.かいぼー先生が編集長を務められる「武雄よかとこブログ」という集団投稿者のブログがございます。

一見何の変哲もない武雄の風景が、投稿者それぞれの視点で切り取られて貼り付けてあるのですが、実はとても大切で貴重な日常的な武雄の原風景を記録していると共に、この愛する故郷を遠く離れて就職されたお方や、嫁がれたお方、学生さんなど多くの武雄に縁ある人々の大きな心の支えとなっているんですね。

あまり派手なアクションは興されないものの、かいぼー先生「かいぼーのつぶやき」ブログは氏の医師としての職業を踏まえた洞察力の確かさとサガントスファンとしての素人の領域を超えたサッカー分析に、心から敬服させられています。お陰で私もすっかりサガントスファンになりました。

毎日地域内の情報や観光情報、ご自身の身の回りのことなどをせっせと書き込んでおられる「タケタクさん」のブログも、実に味わい深いものであります。

そして、いつも真剣に街づくりのことを考えている「武雄市民物語」youhonahaさん、これからこの町を率いていくリーダーの資質を強く感ぜずにはおれません。アイデアの多さ、着眼点のよさ、行動力の速さ・・・・どれもA級とハタハタ敬服しております。

女性人も凄い人が一杯です。

名前の通りみずみずしい感性で好奇心旺盛なMIZUPONさんのブログは、一編の詩が語られているような爽快感がありますね。

温泉でヨガのNAOさんも不思議な人、武雄の人ではないみたいなインターナショナルな香りの漂う乙女なんです。

山閑人のママさんのブログは美しい写真と多くの読書から蓄積された博学さ、そして細やかな気配りが見事、芸術家のご家族ならではの洗練された感性は出色ものです。

そして何より誰よりはいびーさんを忘れてはなりません。

武雄市長物語でブログという領域を一気に武雄市民に知らしめた功績は多大なものがあります。強気の市長の如く形容される面もありますが、氏のブログを拝見していると実に細やかな神経の持ち主であることが写真で判ります。

二度にも及ぶ選挙の洗礼を受け、人の有難さを身に沁みて感じられ、また一回り大きくなられた市長さんの今後にも期待していきたい。

そしてそのブログ市長が武雄のブロガーに大きなプレゼントをくれたのです。

武雄市役所ホームページの中にポータルサイトを立ち上げてくれたのですここに登録すれば武雄のブロガーが一同に集結することとなり、これを契機としてブロガーの輪が広がり、それはやがて連携へと発展していくことでありましょう。

ただでさえ少ない地方都市のマンパワーが、古くから政争などで分散していくことを極めて残念に思っていた私には、オール武雄でマンパワーの結集を図ることを夢見てまいりましたが、日本中どこを探して比較しても恥ずかしくない武雄の前向きなブロガーの皆さんが、このポータルサイトを通じて出会い、絆を強くして武雄の町の発展のために志を同じうすることは、とても意義深いことだと大いに慶んでおります。

どうか武雄のブロガーの皆さん、ここにタケオ・ブログシティの旗を立てようではありませんか。

 


孝二の花、孝二の月

2009年05月31日 21時48分37秒 | 風竿の悪友烈伝

わが悪友岡村孝二は、今日最後のお別れの儀式の後、荼毘に付され天国へ旅立ちました。

お通夜もお葬式も実に多くの弔問客が引きも切らず・・・・人柄でしょうか。

花の一輪でも手向けたかったが叶わず、孝二のことを想いつつシャッターを押しました。

孝二との想い出は数知れずですが、嬉野で仲間数人で呑んだ時のこと・・・・・・

美味い酒を呑んだ挙句に腰痛の持病もちの私は、孝二をスナックに残したまま、近くの岸川マッサージさんに行き、つい気持ちよさにウトウト眠りこけてしまったのでした。

治療院の方から揺り起こされて気付くともう二時間が経っていました。

慌てて孝二が待っていると思い携帯を手に取ると、何回も何回も着信履歴が・・・・・・・孝二からでした。勿論すぐに電話をいれました。

「たらふく呑んだ他の仲間がもうそろそろ帰ろうと急かすので、たみちゃんに電話何度も入れたけど出ないし、ごめん、もう武雄に着いたよ。」とのことでした。

「ああ、ごめんごめん、それならいいよ。タクシーで帰るからね。寝てて電話に気付かなかった僕が悪いからね・・・。」恐縮の至りの私・・・・

「よか、そのままそこで待っていて、すぐ嬉野まで引き返して来るから・・ら・・・・。そこで待っとかんばよ。急いで来るからね。」

武雄から嬉野まで車で30分もかかるのに、わざわざ引き返してくれたんです。しかも仲間を送るために自分はずっとウーロン茶だったと。

そんな気配りと思いやりの優しい男だったんです。

いつもジョークを飛ばしては、自分が「ワッハハハー!」と大笑いして、最後を「チャン、チャン」でしめるのが孝二流

孝二が癌で入院してから、大好きなゴルフを絶った井上さんのアクロスウィルで最後の葬儀が出来て、気遣いの孝二の面目躍如であろうが、井上さんは「孝二の葬式だけはしたくなかった・・・」って

表紙の写真は孝二を想いつつ家の庭から撮った月です。そしてもう一枚念のためと撮影した月を見てびっくり・・・・。

何の写真テクニックもない私が、ただ撮った月なのに・・・・・・・・・

泣いているんである。月が孝二の早すぎる死を共に悼んでいる。

孝二君安らかにとただ祈るばかりです。

そして僕がそちらに行った時には「天国カントリークラブ」でゴルフをしましょうね。それまで練習を怠るなよね・・・・・・・。         合掌


癌細胞よこの街から出て行け

2009年05月29日 23時29分18秒 | 風竿の悪友烈伝

わが悪友「岡村孝二君」が黄泉の国へ旅立ってしまった。

肺癌だったが、彼は長く肺気腫を患っていたので手術も、本格的な治療もままならないまま、精神力だけで持ちこたえてきていた。

28日夜中11時に僕らの親しい兄貴分に電話があったという。

彼の最後の電話は、おそらく朦朧とする意識の中で発せられたのであろう。その場面を考えた時に涙が溢れて止まらない。

「今ならば話せると思うから電話したよ・・・・・。」

「ごめん、頑張ったけど、どうも今夜あたり持ちこたえきれんごたる。今まで本当に色々と有難うございました・・・・。」

「Tちゃんの席ば早よう行ってとっとくけんね。」

「もう皆には会えんので、くれぐれもよろしくお伝え下さい・・・・。」

「おいの骨ばちゃんと拾うてね。頼むよ・・・・。」

意識が遠のく中で冗談を言って相手の気持ちを和らげようとするか

死ととなりあわせで、この精神力と律儀さはどうだ。そのわずか5時間後に帰らぬ人となったんである。

 

図体はでかいが、とても思いやりのあるいい奴だった。独特のジョークで周りをいつも明るくしてくれた。

自分のことはいつも後回しで、まずは相手のことを慮るのが孝二。

色々と苦労を重ねに重ねて、やっとガス屋を軌道に乗せた。苦労したから人の気持ち、とりわけ心の傷みがよく判っていた。

ショールームも新築して、これからという時であったのに・・・・。

よく飲んで一緒に唄ったものだった。澄んだ、とてもいい声で松山千春の歌をよく唄っていたね。

そしてチャゲ・アスの「エピローグ・終章」が十八番だった。俺と一緒で、顔さえ良ければプロになったろうと周りからよく言われたものだ。

バイクも大好きな男であった。ご自慢だったサイドカー

 

まさかこんなに早く57歳で終章を迎えるなんて・・・・。天命とはいえ

 ゴルフもいいライバルだった。そして性格と一緒で実に思い切りのいいスイングだった。

5月12日の孝二からのメール、「ちゃんと頑張ってるから心配せんでよかよ。家にいつも居るから遊びにおいで・・・。」

思えば私の周りだけでも何人の仲間が癌細胞から命を奪われたことだろう。母を小1の時に亡くしたのも癌だった。仲間の銀ちゃんも危ういところだったし、弟のように可愛がっている同僚も、今まさに闘っている。

癌細胞、もういい加減にしろよと云いたい。

そして孝二の死である決意をした。

武雄市から癌細胞を追い出す活動をしていくのだ。

新連携を作り上げ、徹底した早期発見、早期治療のモデル自治体となるように、単位や事業所、サークル色んな所から火の手をあげて癌細胞を焼き尽くしてやる。

癌で苦しむ患者さんのメンタルヘルスケアもボランティアを組織する。

見てろよ癌細胞、徹底的に闘ってやる。

決闘してやる。ここに孝二を前にして2ヶ月年上の兄ちゃんとしての闘争宣言なんである。

孝二君、これまで色々と有難う。心の底からご冥福をお祈りしたい。 そして・・・・・。

孝ちゃんがいつも歌っていた曲を天国へ旅立つ彼に捧げたい。

 <!-- エピローグ  終章 -->

 

この拙いブログに、その後とてもたくさんの方々からコメントやお電話、直接のご意見を寄せて頂きました。天国からわが友人も見守ってくれていることと思います。

岡村孝二君の飾らない奇麗な心が、今から美しい「相互扶助」という花をこの街で咲かせてくれることでしょう。

そう実感して、確信している次第です。有難うございました。  合掌