風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

しんきん役職員コンペ

2015年02月28日 22時52分49秒 | 風竿の信用金庫は頑張るのだ

信用金庫を去って8ヶ月になった。

私の送別会で・・・・

「{七度生まれ変わろうと信用金庫に働きたい。それも田舎の信用金庫に

と云った私である。

そんな信用金庫バカだから、街で色んなお方とお会いすると、知らず知らずに

「信用金庫を頼んどきます・・・。」

「資金の要る時は信用金庫に云って下さい・・・。」

という営業活動を、後で気付いたらやっている。そんな自分に苦笑することもしばしば・・・。

今日はその昔の仲間の皆さんに会える日。

しんきん役職員コンペの日なのだ。

ゴルフは約2ヶ月ぶりという有様で、一時期からすると激減したものだ。

果たしてちゃんとゴルフらしきことが出来るのだろうかと、一抹の不安を抱えたまま、集合時間の7時半前に武雄カントリークラブへ。

そこには久しぶりに会う50名弱の役職員が

懐かしい顔・顔・顔

苦楽を共にした仲間と再会するのは実に嬉しいものだ。

肝心のゴルフはInからスタートしてワンバーディの「43」

後半のアウトは「44」のグロス87とまずまずの成績であった。

かってハンディキャップ10を誇っていた頃からすれば、何とも不甲斐ないのだが、

冬の寒い時期、二ヶ月クラブを握っていなかったことを考慮すれば、むしろ上出来なんである。

そういえば最近ゴルフに燃えなくなった。

得意のシャンク病は鳴りを潜めていたが、歳の所為であろうか、ドライバーは飛ばないし、アプローチはまるっきりダメ。

そんなことから、自分のイメージしたゴルフがまったく出来ずに嫌気がさしたのもある。

そんな中で復調を思わせるプレーもあった。

春になったら、また友人を誘って少しやってみようか・・・・。

さて、愉しい表彰式、私が提供した豪華商品は、私の大好きな男の手に渡り、嬉しい限りであった。

私は運悪くダブルぺリアに嫌われて、ハンディが12しかつかず、9位であった。

早朝から始まり2時にはすべてが終了する日程であったが、まあ愉しい一日を過ごさせて頂いた。

しんきん役職員コンペにお呼び頂いて感謝の一日でもあった。

さて、明日は夕方から長崎市に出向いて、アンクルハリソンさんという友人が企画されたビートルズライブに出演する。

「BODYⅡSOUL」というライブハウスで夜6時半からスタート

長崎市近郊のご縁ある皆さん

是非遊びにおいで下さい。

 

 

 

 

 

 


心が洗われる小学校

2015年02月24日 23時59分52秒 | 武雄法人会頑張る

法人会の仕事は公益社団法人

会員企業のためばかりではなく、一般大衆に向けての公益となる仕事の比率が50%を超えてなくてはならないのだ。だから事業一つこなすにもいちいち県の認可を受けなきゃならず、結構フットワークがとりずらいものだ。

そんな仕事の中でも、とりわけ大切なのが、小学生の児童の皆さんに施す「租税教室」事業なんである。

租税教室は税務署チーム、市役所チーム、税理士チームと手分けして各学校を回る。

税と社会の切っても切れない関係を、アニメも使って判りやすく理解して貰うのだ。

そして法人会独自の仕事がそれに付加されて、毎年「税に関する絵ハガキコンクール」を実施している。

今年は管内の学校4校に租税教室を実施して、うち3校に絵ハガキを描いて貰った。

どの小学校も一様に素晴らしかったのだが、一番最後に訪問したのが武雄市立東川登小学校の6年1組の、とても仲の良い皆さんであった。

ここで、私は授業を行う立場であったが、逆に児童から教えられることになったのである。

まず、授業を受ける態度が見事の一言であったこと。

私語はないし、きちんと腰骨を立てて正面を向いて聴く姿は、思わず私を唸らせた。

私の人生の師である、在野の哲学者「森信三先生」が提唱されていた立腰教育を彷彿させる素晴らしさなんである。

アニメを電子黒板で見せる時は、漫画を見るという雰囲気もあってか、通常、多少はざわついたりするものであるが、この場面でも私語は一切なし。

それどころか、アニメで大事なところをノートにメモをとる児童が何人もいたのだ。

そんな授業態度だったので、絵ハガキの作品の出来上がりを秘かに愉しみにしていた私なのである。

作品が届くと、すぐに一枚一枚に目を通して、幼い画家さんたちの想いを慮った。

20名の児童の作品を見て思わず唸った私、それは感動するくらいに丁寧に、しかもテーマを充分に理解して咀嚼反芻して描かれていた。

さらにはどの作品も、甲乙などつけられない出来栄えに思わず目を見張った。

そして、今年の武雄法人会管内の三校の中から選ばれた最優秀作品がこれ。

この作品は北部九州管内(福岡・佐賀・長崎)の全応募者約7千人の中で、見事グランプリにあたる局連会長賞を射止めることになった。

今日はその東川登小に出向いて、コンクール作品の表彰をすることになった。

またあの素晴らしい児童の皆さんに会えるかと思うと、心はウキウキ。

約1ヶ月ぶりの再会の挨拶をすると、皆、とても元気に応えてくれた。

嬉しいなあ・・・・と内心、心がウキウキ。

どの児も、ちゃんと私を正面に見ている。実に気持ちが通じる。

冒頭、皆さんの授業態度が抜群に良かったことと比例して、絵ハガキの作品の質が極めて高かったことを心から誉めて、優秀作品の表彰をしていく。

そして最優秀作品が北部九州のグランプリに輝いたことを発表すると、教室内が一つになって、祝福の拍手が自然に巻き起こったのであった。

優秀作品3点と入賞作品が6点の表彰基準であったが、思い切って事務員さんとポケットマネーを出して、事務局特別賞として全員に入賞の栄を与えることにした。

それくらい、素晴らしい学級、素敵な児童さん達であった。

そして、教室に見事な賞状と笑顔の花が咲いた。

3月には、この素晴らしい学校を巣立ち、中学生として頑張っていかれる前途有望なる皆さんに、「どうかこのまま素直に、真っ直ぐに、そして周りの人を気遣い幸せにできる人になって下さい。」と励まし、学校を後にしたのだが、

いつまでも心の中に、ほんのりとした温かさと余韻が残っていた。

祝福するつもりが、却ってこちらの方がいい気分にさせられていた。

授業も教えるつもりが、教えられていた。心が洗われていたのだ。

いやはや、八田校長先生、担任の愛野先生の細やかな指導力に脱帽。

東川登小は来年度から官民一体型授業のモデル校にと選ばれていて、何かと大変らしいのだが、元がこんなに素晴らしいので、また立派な花が咲くことであろう。

疲れたおじさんが、しばし心を洗われ癒された学校、そして6年1組の児童の皆さん、感動をありがとうございました。

 


水温む

2015年02月22日 01時21分55秒 | 武雄法人会頑張る

三寒四温の日々の営みの中、春の足音が遠くから聞こえてきた。

春風に誘われるように、昨夜は久しぶりに佐世保の友人、お客様と一献傾けてきた。

共に佐世保地区のお客様を隅々と回った仲間。

嘱託で残ってくれていたのだが、いよいよ今年度で信用金庫を去るのだという。まだ61歳なのに勿体無い限り。

彼の人間力で佐世保地区がどれだけ助けられたことか、

おエライ方々は知らないのだろうなと、

慰労の言葉を差し向けながらも、残念な気持ちと、後は果たして大丈夫だろうかという不安な気持ちが交錯して、多少苦い酒であった。

最後は彼と二人で、フラフラになりながら佐世保の街を彷徨った。

一生付き合おうと決めた友なんである。

一隅を照らす彼の信金マンとしての人生を、誰よりも、何よりもお客様が一番知っている。

彼のファンが頗る付きで多いのは、いつも陰日なた無くお客様に接してきた証なのだ。

私も信用金庫を離れたものの、まだ気付くと、一所懸命に信金の営業をしているという根っからの信用金庫マンであるから、

どうか現場力を高めるために、現場に自主性を持たせて欲しいものだと思えてならない。

しっかりと正しく考え、長期的な視野で任された地域を見ることのできる戦略的な人材を育てるために、現場に出向き一緒に汗をかいてほしいものだ。

水温むいざ生きめやも春の夜の苦い酒にぞおもひは溢る

 

 

 


動画再生回数、3日間で1179回

2015年02月17日 23時48分51秒 | 武雄法人会頑張る

ちょっとしたフェイスブックの大炎上の目に遭った。

先日の光のバレンタインで私達のおじ(い)さんバンドの演奏

「She loves you」を携帯の動画で録画して貼り付けていたら

・・・・・何と、三日間で1179回もの再生をして頂いたんである。

一人で複数回見ても、1回しかカウントしない仕組みなので

少なくとも1179人の人が見たということになるのだろう。

一体誰が・・・・・。

こんなおじさんバンドの、実につまらない動画を観てくれたのだろうかと、御船山のテッペンから転げ落ちたような驚きなんである。

ところが、その人気の動画、私はYoutubeに貼り付けることが出来ないアナロガーなのだ。

それで今夜は調子に乗って、過去の数多あるライブのアーカイブスから、私達の心細い演奏をアップして数多くの視聴者の方々に感謝の誠を捧げたいと思った次第。

年寄りの冷や水にしばしお付き合い下され。


 

 

ついでに、最近ハモリが悪くなったThis boyのお手本も貼り付けておくとしよう。



窯内カフェへようこそ

2015年02月16日 23時23分48秒 | 風竿日記

武雄市武内町竹古場キルンの森公園にある世界一の登り窯

飛龍窯で毎年開催されている「光のバレンタイン」に出かけた。

そこでいつも楽しみにしているのは、窯内カフェ

外の寒さもここでは別天地、実に暖かい。 

 

母の胎内に居た頃のような、実に不思議な空間なんである。

耐火煉瓦の中の贅沢なカフェなんである。

ここでライブをやってみたい衝動にかられて仕方が無い。

何しろ、ビートルズが昔出ていた、リバプールのキャバーンクラブにそっくりなのだ。

いかにも女の子が喜びそうな空間に、妻もご満悦。

愛犬のレオンと一緒じゃなかったのが悔やまれるが。

年に二日しか開店しないこのカフェ

空気が違う。

本当に落ち着くから不思議。

市役所からボランティアで手伝ってくれていたモッチとも再会

そういえば、この人の優しさがこの窯内カフェの雰囲気と見事にマッチしているというか、同化しているというか・・・。

こんな人が市民課の窓口に普通に居るから、武雄市役所は何とも人材の坩堝なんである。

ケーキ付きの珈琲、500円なり・・・・。安い。

ステージイベントでは少しばかりAppleBeatsで演奏もさせて頂き、愉しい日曜日を過ごすことになった。

トラックで来ないと帰りが困るくらいにプレゼントを貰っていた、若い頃とは違い、老境のじいさまとなった私。

チョコレートもめっきり少なくなってしまったが、

それでも、とても佳いバレンタイン・デーであった。

 


光のバレンタインへ

2015年02月11日 23時59分30秒 | 風竿の音楽夜話

2月14日(土)・15日(日)は武雄市武内町キルンの森公園にある、世界一の登り窯「飛龍窯」で光のバレンタイン灯籠祭りが開催されます。

夜になれば、会場には6000本の灯籠が一斉に灯され、それは素晴らしい一大絵巻が繰り広げられ、

まさに、光の中でのバレンタインデーが迎えられることになり、カップルの思い出作りのパワースポットが出現するのです。

イベントも多数準備して皆様をおもてなしする趣向です。

温泉deビートルズ音楽祭の協賛イベントとして、ライブも行われることになっていて、私達The AppleBeatsも祝ご出演

 

今日は、そのライブで使用するギターの弦を張り替えました。

リッケンバッカー325というギターで、ビートルズのジョンレノンが使っていた楽器なのですが、まあ、何とも扱いにくいギター

弦を張り替えるのがメチャクチャ難しいのであります。

昼から取り組みユウに2時間もかかってしまいました。

いつもは同じリッケンバッカー620FGというギターを使っているのですが、今回はライブで初デビューさせようと爪を研いでいるのでございます。

当日はピアノも弾かせて頂いて、ビートルズのラブバラードを主体に演奏致しますが、良かったら最近磨きがかかったといわれる私達の3声コーラスを聴きに是非遊びにおいで下さいませ。

僕らの出番は15日(日)の15時からでございます。

 

さて、今日は建国記念日でした。

勿論私は国粋主義者でもありませんが、ちゃんと玄関には日本の国旗を掲げて祝意を表しました。

日の丸・君が代反対という方々もおられ、最近はお正月さえ国旗を掲げない家が多くありますが、

国を愛することは、人を愛し郷土を愛することに繋がるのだと思います。

主義主張や思想と宗教は別にして、祝日に国旗を掲げることが、もっと自然に出来る国にならねばと思えてなりません。

ビートルズのポールマッカートニー先生ですら、日本に来られる時には、こんなTシャツでお出でになるというのに・・・・。

 

 

 

 


音楽の糸電話

2015年02月08日 00時05分46秒 | 風竿の音楽夜話

昨日というより今日の深夜、土曜の自由さにかまけて、かっての宿敵湯前中学のことを調べていたら、

その偉大なる指導者の「福島信也先生」のホームページが見つかったことから、つい50年も前に封印していた小箱を開けることになってしまった。

山間いの町のリード合奏による全国挑戦の快挙は、ついに映画化されたほどに町を挙げて盛り上ったというのだから、やはり私達の鹿島とは大きなスタンスの違いがあった。

     

一方私達はといえば、合奏部のメインとなる楽器アコーディオンの蛇腹は破れ、空気漏れでスースー、フカフカいうのを、

倉崎先生は修理屋よろしく上手にフセて治してくれていたくらいだから、

当時、音楽教育に使うような予算はかなり少なかった筈である。

そんな中で、私達は九州ナンバーワンをめざしていたのだ。

闘う武器はタダ一つ、練習のみ。

明けても暮れても、練習あるのみ。

3年生が代わりバンコにタクトを振り、来る日も来る日も練習に明け暮れたものだ。

しかも、練習で勉強が出来なかったという言い訳は倉崎先生が一切許さなかったから、私達はある意味必死だったのである。

貧乏クラブで楽譜も買えず、先生は難解なクラシックのアンサンブルを自分で私達のような素養の無い生徒のために編曲してくれていた。

しかも福島先生のような音楽教師ではなく、理科の先生だったのだから、凄いとしか言いようが無い。

今年88歳、米寿を迎えられる今でも鹿島マンドリンクラブのご指導をなさっているのだから、頭が下がるというものである。

そのお祝いを兼ねて久しぶりに集まろうという話になっている。

3月29日(日)鹿島市高津原の「かんらん」という集会場だ。

後輩の悦ちゃんから、往復はがきのプリントアウトを託されてしまったから、これから、ご案内をせねばならないのだ。

さて、鹿島中合奏部は九州大会準優勝を連続して戴くと、あちらこちらからお呼びがかかるようになり、演奏旅行ならぬ他校訪問や市内のイベントでも出演することが多くなった。

この写真は鹿島市民会館のコケラ落としのコンサートのもの。

今は亡き八代生ちゃんが写っている。

ジョコンダの「時の踊り」のマイナーに転調した哀しげなメロディーは、彼女のアルトアコーディオンが担当していた。

高校時代に帰らぬ人となったのだが、彼女のお葬式でその演奏テープを流し、涙も一緒に流したことを覚えている。

これは県大会でセビリアの理髪師序曲を演奏している時のもの。この年は思わず九州大会で勝ったと思ったものだ。

NHKの学校音楽コンクール器楽合奏の部は昭和38年から県大会で連続6連覇して九州大会でも一度だけ3位であったものの、あとの5大会はすべて準優勝であった。

昭和42年までで、この話は終る。リード合奏は戦後復興の役割を終えたのか、世の中は吹奏楽流行となって学校音楽コンクールから器楽合奏の部は消えてしまったのである。

そして倉崎先生も他の学校へ移動されてしまい、やがて鹿島中学校自体が北鹿島中と能古見中と統合されてしまい、鹿島西部中となり、無くなってしまったんである。

その意味からも、今は無くなってしまった鹿島中学校の正面玄関の前のソテツの木が懐かしいではないか。

これらの写真は、私の先輩木原さんから送って頂いたもの。

この先輩の合奏部に注がれた愛情は、言葉に尽くせないほどに深く、しかも精力的で且つ的確であった。

 

さて、木原先輩から教えて頂いた電話番号を頼りに、おそるおそる宿敵、湯前中学の指導者福島信也先生の人吉のご自宅に電話をかけてみた。

「突然失礼します。NHK学校音楽コンクールでエントリーしていた佐賀県代表の元鹿島中学の合奏部に在籍していたものですが・・・・・。」

「鹿島中」と云った私の言葉に、先生はしばらく絶句された。

意外にも、後から振り払っても振り払っても聞こえて来る足音がとても気になっていたとのお話であった。

「合奏部OBの皆さんといつの日にか湯前町を訪れてみたいと思っているのですが、その際には当時の部員の皆さんや先生とも是非お会いしたいと願っております・・・。」

純粋な熊本弁で朴訥にお話になる。

熊本県では音楽分野の大家といわれる凄いお方なのに、全然飾らない温かいお人柄のようだ。

「ああ、いつもは大体は家に居て、自宅の音楽室でピアノを弾いとりますけん、いつでんヨカです。いらっしゃい・・・・。」

携帯からかけたのだが、小さな糸で繋がっているように感じた。

さしずめ音楽の糸電話といった趣であったのである。

 

 

 


50年前の敗北

2015年02月07日 01時39分52秒 | 風竿の音楽夜話

50年前、私は中学1年生

鹿島市立鹿島中学校に通っていた。

そこで合奏部というリード合奏の課外クラブでハーモニカを吹いていたのである。

毎日、放課後ともなればちゃんとした音楽室などなく、体育館代わりに使っていた講堂の片隅で、体育系のクラブと共同使用で合奏の練習をしていた。

環境はイマイチだったが、それでも私達の目標は「NHK学校音楽コンクール」の器楽合奏の部で、宿敵湯前中を破り九州大会を制覇することであった。

指導者の倉崎喜雄先生もそれを目標に掲げられ、日曜日も休み無く鍛えられ、

コンクール前ともなれば、早朝練習も加わり、夜も8時頃まで難しいクラシックの名曲と格闘していたのである。

カラスの鳴かない日はあっても合奏部が音を出さない日は無いとまで云われたものである。

事実、わが鹿島中合奏部は県大会は6連覇の圧倒的な演奏力を誇っていたのだが、

各県代表とのテープ審査となる九州大会では、必ず準優勝までは届くのだが、どうしても熊本県代表の湯前町立湯前中学に行く手を遮られたのであった。

当時、「打倒湯前中学」は合奏部部員の共通の悲願であった。

アコーディオン部隊は爪が折れるほど練習して、ハーモニカ部隊も唇が腫れるほどに練習を重ねたものだ。

何せ休みは正月の元旦のみ。

雪が降ろうと雨が降ろうと、台風がこようとお構いなし。

いつしか合奏部以外の父兄から、「いくらなんでもあんまりではないか・・・。」と学校に苦情がくるくらいであった。

1年生の時から3年生になるまで、年々楽器も充実していき練習の成果も現われて、確かに力は確実に付いたと思うし、

先生の選曲もきらびやかなものに嗜好を変えて、コンクール映えのするシンフォニーを大会にぶつけた。

2年の時にはロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師序曲」

3年になると歌劇ジョコンダから「時の踊り」に挑戦して、ハーモニカの奏法もバイオリンを意識したものに変え、もうこれ以上はないというくらいに仕上げたつもりであった。

それでも勝てなかった。どうしても勝てなかった。

その相手がここ、湯前中学なのだ。

当時の指導者は福島信也先生、何と今では熊本県下でも有名な音楽教師として君臨されているお方なのだ。

何せ熊本県芸術劇場でN響と東京混声のハレルヤを指揮されたほどのお方なんである。

とんでもない指導者に私達は立ち向かっていたのだ。

この人が福島信也先生

それらのご活躍の軌跡は、ここのホームページに納められていたのを発見。(開くとコンクールの演奏が奏でられる。)

そこには、何と当時の演奏もおさめられているではないか。

じっと聴きなおしてみる。

「うーん・・・」と唸る名演奏なんである。

湯前町は人口5千人余りの小さな山間の町で、中央に球磨川が流れている寒村なのだが、この合奏部を町を挙げて応援していたらしい。

楽器も既に負けているし、応援も負けていたのだ。

当時の写真をお借りしてブログに収めたのは、かっての仲間たちに見せたかったから。

日本一にも輝いたらしい。

これらの写真を見て、私達が血の滲む努力をしても届かなかった頂上が50年後の今、やっと見えた気がした。

こんな横断幕など、私たちには無かったもんね。

「サムソンとデリラ」の録音風景なんだと・・・・。この曲にもやられた苦い想い出の込められた曲。

私達と変わらぬ編成なのに

弦楽器も入れていたのだ

管楽器も入っていたのだ

屈託の無い同じ中学生なのに、負けた悔しさは50年経った今でも残っている。

苦い敗北の思い出であるけれど、その合奏部の仲間と3月29日に指導者倉崎先生の米寿のお祝いを兼ねて、再び合う事になった。

今年はその仲間と湯前町に訪れてみたいものである。

そこでかってのライバル達に会って話してみたいものだ。

ねえ、木原先輩、安冨先輩、後輩の道子さん・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 


博多で鍛えられるおじさん

2015年02月06日 00時52分52秒 | 風竿の音楽夜話

博多の清川、柳橋連合市場の通りを挟んで向かい側の通り

うちだうどん店清川店のお隣に、その店はある。

超一流企業を退職してまで、好きなビートルズと関わっていたいという想い入れが、一軒のビートルズ専門のライブハウスを誕生させたんである。

店主の町田さんは、とても、頗る付きでいいお方。

僕らのバンドThe AppleBeatsはもうこの店で10回ほどもライブをやらせて頂いているのだ。

佐賀の片田舎から都会に出てきてまで、好きなビートルズを演奏する私達前期高齢者バンド

都会な分、オーディエンスの耳は確かに肥えている。

それでも少しは上手に演奏したいと武者修行にでかけるのだ。

このささやかな願いが神様に届くのはいつのことだろう。

ベースの岡ちゃんは段々と耳が遠くなり、ギターの中島君も最近単純なポカが多くなってきた。

私とて歌詞が覚えられなくなってきた。

そんな加齢のせいにはしたくない「老い」というからだの変化を身近に感じながら、博多に出向くのである。

じいさんバンドに栄光あれ・・・・。

人生は一回きりなのだから。

さて、今夜もその博多のライブからYoutube動画をアップしておきたい。

最後にアンコールナンバーを1曲

<!-- Cavern Beat 2015年1月31日 THE Apple Beats(1) . -->


博多で鍛えられるおじさん

2015年02月06日 00時52分52秒 | 風竿の音楽夜話

博多の清川、柳橋連合市場の通りを挟んで向かい側の通り

うちだうどん店清川店のお隣に、その店はある。

超一流企業を退職してまで、好きなビートルズと関わっていたいという想い入れが、一軒のビートルズ専門のライブハウスを誕生させたんである。

店主の町田さんは、とても、頗る付きでいいお方。

僕らのバンドThe AppleBeatsはもうこの店で10回ほどもライブをやらせて頂いているのだ。

佐賀の片田舎から都会に出てきてまで、好きなビートルズを演奏する私達前期高齢者バンド

都会な分、オーディエンスの耳は確かに肥えている。

それでも少しは上手に演奏したいと武者修行にでかけるのだ。

このささやかな願いが神様に届くのはいつのことだろう。

ベースの岡ちゃんは段々と耳が遠くなり、ギターの中島君も最近単純なポカが多くなってきた。

私とて歌詞が覚えられなくなってきた。

そんな加齢のせいにはしたくない「老い」というからだの変化を身近に感じながら、博多に出向くのである。

じいさんバンドに栄光あれ・・・・。

人生は一回きりなのだから。

<!-- Cavern Beat 2015年1月31日 THE Apple Beats(3) . -->