風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

おおつごもり

2011年12月29日 22時52分17秒 | 風竿日記

年の瀬のことを大晦日「おおつごもり」という。

最近は「おおみそか」というが、明治の頃までは「おおつごもり」と云ったらしい。

女性で初めてお札の肖像画になった樋口一葉の著作に同名の短編があって、その昔、新国劇の舞台中継かなんかをテレビで観た記憶がある。

昔は盆暮れ勘定といって大晦日には現金が飛び交ったものだ。

落語に長屋の八つぁんが大晦日の大家さんからの家賃の催促を逃げ回るといった風情に現される如しである。

その分、人間の悲哀もこの大晦日に集約されていたような気がする。

駆け出しの金融マンたる私は、明け方まで商売人さんのお店を集金して回らされたものだった。

   

金庫室の前で全員終礼を終えて帰宅する頃は、もうすっかり夜が明けようとする頃だったのである。

だから12月31日は一年中で一番忙しい日であった。

徹夜で仕事をするのだから、正月はいつも寝正月であった。

31日が金融機関の休日になったのは平成の御世になってからのことだったろうか・・・・。

それと共に、日本社会の盆暮れ勘定も影を潜めることとなっていく。

さて、今年もいよいよ明日で仕事納め

但し明日まで私の忘年会行脚は続くのであるが・・・・・。

1月3日まで4日間のつかの間の休日を迎える。

今年ほどに新しき年、即ち来るべき2012年の幸多からんことを願う想いの強いことは無かったように思う。

PUFFというスーパーマジックドラゴンが日本を救ってくれるように祈ろう。

<!-- PUFF -->

雲間を抜けて高い空に昇っていく龍の如く、日本が、民族が栄えることを祈っている。

    

日暦のおおつごもりは一葉の 思い出遺す枯葉の如くに

 

 

 

 

 


年末お得意先回り

2011年12月28日 23時59分59秒 | 風竿日記

積極的な営業店長さんのリクエストで、年末のお客様ご挨拶回りに付き合った。

本店営業部に二日間

北方支店に1日間、

役員帯同訪問という恒例の修行なんである。

 

地域金融機関に席を置くものとしては、現場に行くことは極めて大切なことなんである。

役員だから行くのではなく、お客様から教えて貰いに行くんである。

そして、その結果、厳しい経済状況を肌で感じることができるからだ。

生のお客様のお声を時下に拝聴することができるからだ。

多難で悩み多き世相ではあるが、

答えは現場にあり、しかも無造作に転がっているものだ。

       

本当は山内支店にも行きたかったし、鹿島も、嬉野も・・・・・・

要請がなければ行けない哀しさ。

「ああ私は籠の鳥なんであろうか・・・・・。」

などと思ったりした。

お客様が待っておられるような気がしてならない。

 

 黒い渉外バッグを小脇に抱え

玄関をノックしてお伺いする

若い頃バイクにまたがって、訪問を繰り返してきたが、

すべてはお客様からしか始まらない、生まれないということを心に刻み込まされた。

真理とは実に単純なものなんである。

         

 私たちの仕事とはお客様に会っただけ、歩いただけ、汗をかいただけ、怒られただけ、断られた数だけ

必ず結果がついてくるものなのだ。

暖房の効いた本部の部屋の中に答えはない。

寒風吹きすさぶお客様の家の玄関ポーチにそれは存在する。

田舎の小さな地域金融機関の戦い方とは、そういうものなのだ。

分母はお客様しかない。格好だけでなく、徹頭徹尾お客様を大切にすること。

信用金庫に身を置かせて頂いて38年、お客様から教えられた真理に間違いはないのだ。

 

今年あるセミナーで信用金庫の理事長さんのお話を拝聴したのだが、そのお話もまた味わいの深いものであった。

100万円の担当者として初めての融資の話なのだが・・・・・、

一昔前の別府・・・・・温泉地ならばこその話でもある。

ある女性の日掛け集金で毎日通っていて、きちんと積立金が準備されている実績を見るにつけ、このお方なら間違いはないと確信した若き渉外マンの頃の理事長は、

その女性からの100万円の融資の要請を代理に掛け合い、次長に掛け合ったのだが、公序良俗に抵触する職業との理由でダメだという。

しかしそれでも尚、くいさがる一担当者に対して、その時の本店営業部長さんが偉かった。

「毎日通っているS君の現場の感覚を尊重しよう・・・・。」

店内協議の結果、見事に渉外担当としての初めての融資案件は彼の熱意で通ったのである。

そしてそれは、ちゃんと人を見て融資をすれば間違いはないという、黄金律を肌で感じ取った瞬間でもあるのだ。

これは理屈ではない。与信とはそういうものなのだ。

その人のご商売とは大きな声では言いにくいのだが、まあ「春を売るお方」であったというのだ。

返済がきちんと履行されたのは言うまでもない。

その人情話にも通じる逸話が理事長さんから堂々と語られた時に、実に信金マンらしい深い話、そして温泉地らしく温かい話であると、心から感銘を受けたのであった。

 

すべてはお客様から教えられてきた私達

来年は少しは景気が良くなってくれることを願うばかりである。

 

 


2011年の10大ニュース

2011年12月27日 23時59分55秒 | 風竿日記

今年もあと4日間、いよいよ年の瀬を迎えることになった。

公私共に超多忙であったこの一年を振り返っておきたい。

① 3.11東北大震災 

② 9月25日に末弟の彰が死去

③ 10月23日60歳、還暦を迎えた 信用金庫も満60歳

④ 10月温泉deビートルズ音楽祭を開催

⑤ 北海道の苫小牧信用金庫を視察 カルチャーショック

⑥ 11月福岡市で信用金庫ビジネス商談会開催 大盛況

⑦ 10月に重度の酷い胃潰瘍に苦しむ ピロリ菌退治中

⑧ 念願のパロッツコンサートを実現

⑨ ジャズギター購入 エピフォンジョーパスモデル

⑩ 築後11年を経過した家の瓦を塗り替えた

日本中が哀しみに包まれた大震災から、仕事のこと、身の回りのささやかな事柄まで挙げてみたのだが、

今年は災害に苛まれ、原子力を見直すことになった一年に尽きると思う。

50年かかって築き上げてきた原子力発電を急に悪者扱いにする日本人の風潮には、いささか呆れ果てる。

徐々に原子力に頼らない電力の確保は必要であろうが、それは将来の私達の課題である。

あの猪八戒みたいな枝野という若い政治家は、弁護士だというが、経済のことが全然理解できていない。それで経済産業大臣だというのだからミスキャストも甚だしい。要するに人材が居ないのだ。

ということで、民主党には大いに失望した一年でもあった。

自民党が、まだいくらかましだったような気がする。まあ自民も頼りないけどね。

9月の終わりに弟が死去して、葬式を執り仕切り、その後町おこしイベントである「温泉deビートルズ」の9日間に突入

その結果だと思うが重い胃潰瘍を患ってしまった。

10月は胃の痛みと闘いながらの毎日であったが、厚顔の私にも大いなるストレスの波が押し寄せていたとは・・・・。

かくして記念すべき還暦の年だというのに、総じて哀しみの多い実に多難大変な一年となった。

来るべき2012年は、秋口から復興特需が2%程度GDPを押し上げるという。

私にも来年に向って大切に育み温めているものがある。

人々の安寧を願いつつ、悪口や愚痴を言わず、暴飲暴食を慎み、ささやかながら、私にとっても佳い一年としたいものである。

 

 

 


快挙達成、18日間連続忘年会

2011年12月26日 23時59分59秒 | 風竿日記

まあ、どーでもいいことなのだが・・・・、

今年の12月は相変わらずの忘年会ラッシュであった。

地域金融機関に身を置く者としては、普段のお付き合いの総決算がこの12月の忘年会ラッシュに結果集約されるんである。

個人的なお付き合い、オフィシャルなお付き合いの区別無く、地域にいかに関わっているのかが問われるのがお座敷の多寡に現れるものだ。

私の支店長時代は、それは壮絶なものであった。

12月に23回の忘年会をこなして、やっと年が明けたら新年会が19回という超売れっ子スターを体験してきたのである。

このところその忘年会ラッシュを超えることはなかったのだが、還暦を迎えた今年は久しぶりにそれを凌駕する勢いであった。

      

12月中の忘年会と称する飲み会は23回、胃袋は悲鳴を上げている。

いい歳をしていて、もっと自粛しなさいとご忠言もある中、

お座敷がかかる内が華とばかりに、揉み手をしながら駆けつける私。

まさに信金マンは足と胃袋でお付き合いするといったところだろうか・・・・。

ということで19日には遂に胃カメラを飲むハメに

そして、その日にも飲み会がちゃんと待っているのだからね・・・。

元来、酒はそう飲める性質ではないのだけれど、ご縁あるお方との宴席は中座することなく付き合う。

途中で黙って抜けるなんて芸当は絶対に出来ない性格

損な性格なのか、得な正確なのかは後日歴史が証明することでありましょう。

まあ、どーでもいいことではありますが・・・・。

 

 

 


ギターの話

2011年12月25日 23時58分45秒 | 風竿日記

安月給のサラリーマンであった24歳の時に、ナイアガラの滝から飛び降りるつもりで、2年月賦で買ったアメリカ製のギター

建国200年記念モデルとかで、シリアルナンバーの頭に76が刻印されている。

Fender の Telecasterというギター少年憧れの逸品

このギターとも36年の付き合いになる。

  

経年劣化というか、乱暴なオーナーのせいか

ネックもボディもボロボロになってしまっていて、最近は手にすることもなく、ひっそりケースの中で眠っていた。

昔はStrawberryというバンドで活躍していた頃、いつも肌身離さずにいた古い友人というよりかは体の一部だった。

営業店の次長や支店長を拝命した頃から、めっきり花柳界からも遠ざかることとなり、それにつれてこのギターとも20年ほど会話していなかったのである。

  

それではあんまり可哀想ということで、またしても一念発起

佐賀の有名なギター工房「BEFFNICK」さんにリペアーしてもらうことにした。

それがクリスマスイブの昨日出来上がってきたんである。

まさにクリスマス・プレゼント・・・・・。

何というか、白髪で皺くちゃの古女房が、若い頃にタイムスリップしたように美人になって帰ってきたんである。

さすが日本でもその腕を認められた、ギタークラフトマン合瀬さんの手によって見事に甦った。

それで今日の日曜日は、17日間連続という忘年会のお誘いを辛うじてお断りして、家でずっと一緒に居て、抱きしめていたんである。

「もう淋しい思いは絶対にさせんけんね・・・・。」

若い頃にやっていた曲を爪弾きながら、久方ぶりのパジャマの日曜日でありました。

 

さて23日ウイスキーハウス郷ライブ&忘年会で広瀬晶子さんが歌ってくれた名曲

 

この歌、とてもいい歌です。

詩も素晴らしい。

 

♪ 縦の糸は貴方、 

  横の糸は私

  織りなす布は

  いつか誰かを暖めうるかも知れない

 

  縦の糸は貴方、 

  横の糸は私

  会うべき糸に出会えることを

   人は幸せと呼びます 

 

  

   

甦ったギターを弾いて、いつか唄いたいと思っています。

 

 

 

 

 


KOZYさんの不思議な写真館へ

2011年12月20日 23時59分59秒 | 風竿日記

温泉deビートルズのオフィシャル・カメラマン KOZYさん

彼の覗くファインダーには魔法が施されているような気がする。

その独特なKOZYワールド

皆さん是非遊びにお出かけ下さい。

 

 入口はこちらから  ⇒       KOZYの写真館

 

そこにはファンタスティックな一遍の詩が広がっています。

つまり、彼のセンスは抜群だということ・・・・。

ミュージシャンでもある彼ならばこその、宝石のような写真

そうそう、写真館というよりは宝石箱

 

私も来年は一眼レフに挑戦することにしました。

 

 


お家カフェからのメリー・クリスマス

2011年12月18日 23時48分18秒 | 風竿の音楽夜話

今夜は嬉野町にこの10月オープンしたお家カフェ「La Casa   Maria」のクリスマスジャズライブに行きました。

少し洒落た自宅の居間でくつろぎながら、珈琲を啜るという嗜好のお家カフェ。店内は独特のくつろぎ空間が広がります。

都会では密かなるブームだとか・・・・・。

Maimioというガットギターとヴォーカルのペアを組んでいた、相方(こう云うと漫才コンビみたいですが・・・)

マイコちゃんの経営なんでありまして、私も旗を振って応援しているんであります。

今夜はピアノにKAROKUNとベースに佐世保のマー君、ドラムスは佐賀のモッ君の三人のジャズミュージシャンを従えて

嬉野の歌姫は上機嫌で唄ったのでありました。

お客様の入りを心配していたのですが、店内は何と60人ほどのジャズ・ファンが・・・・

立ち見も出るほどの大賑わいでありました。

彼女の交友の広さをまざまざと見せ付けられました。

「尾形さんもジャズミュージシャンの演奏で歌わんば・・・・・」

マイちゃんから背中を押されて遅咲きのにわかジャズ・ヴォーカリストは今夜曇り空へ離陸したのであります。

Georgia on my mind と Unchaind Melodyの2曲を歌いましたが、70点ほどの出来・・・お恥ずかしい限り

それでもたくさんの女性のお客様から、実に素晴らしいとお声をかけて頂きました。

・・・・・ご年配のお方ばかりではありましたが・・・・・。

写真は僕のカメラでKOZYさんが撮ってくれたもの・・・感謝

もっぱら私は玄関の靴の整理と、スリッパの用意など下足番の担当をやっておりました。

二回のステージが終るとたくさんのミュージシャンが駆けつけていて、一大セッション。

気鋭のギタリスト辻さんが特に良かった。

何と「ひぜしん」のお取引先の若社長さん。いい出会いでした。

それにしてもマイちゃんのザ・クリスマスソング・・・いい歌でした。この歌はとても好きな曲なんです。

<!-- The Christmas song Celine Dion  -->

今度Maimioでも何かやりましょうね。

いいライブでした。マイちゃん有難う。

 

 

 

 

 


東京いちょう物語

2011年12月17日 23時59分59秒 | 風竿日記

東京のいちょうはとても窮屈そうであった。

コンクリートの中に、ほんの猫の額ほどのスペースにぽつんと植えられていて、街の飾り物なんであるから・・・・。

東京は何もかもが手に入る。物も、芸術も文化も・・・・・。

しかし「俺はこんな所には棲みたくない。」と云っているような気がした。

それはまったくその通り

私もまた東京に何日か居るととても疲れてしまう。

例えば地下鉄の喧騒がそうだ。

皆とにかく早足なのだ・・・・。

人並みのスピードに遅れでもしようものなら、次々と体がぶつかってしまうんである。

何事ものんびりと構えている、時間の進行が遅い田舎に住んでいる者には、とんでもない世界。

いちょうの木の下に行き、空気の澄んだ故郷の山奥にひっそりと佇むいちょうの話をしたら・・・・

「そりゃーいいね。とても羨ましい。」と申されました。

そのあと続けて・・・・

「でも僕たち植物は自分で歩けないし、生まれた所で一所懸命に根を張って頑張って生きていくしかないんだもんね・・・。」

とも・・・・・。

さて、地域金融機関たる信用金庫もまさにそうなんであります。

ここの場所から逃げられない。

銀行みたいに儲からないからといって撤退なんぞ出来ない。

 

そのいちょうの木の近くの花屋さんでみかけた「婚活中」の淑女たち・・・。

寒空に震えておりました。

 

 

 


富岳七景

2011年12月16日 23時59分59秒 | 風竿日記

東京へ行くときと帰りの飛行機から、普段の行いがいい所為か富士山を臨むことができました。

文字通り日本一の山なんであります。

神々しさと、たおやかさ、そして厳しさを併せ持つ稀に見る名山

その昔から日本の拠り所とされるパワースポット

それが一富士、二鷹、三茄子のフジヤマであります。

今回は行きも帰りも運良く窓際の席に坐った私は、密かにシャッターチャンスを狙っていたんでありました。

航空写真家としての尾形風竿ここにありとばかりに、窓から身を乗り出さんばかりの迫力で、敬虔な山に挑んだのであります。

特に帰りの飛行機では、富士山の真上を飛行してくれて、まさにANA嬉しなのでした。

しかも夕焼けに西の斜面が輝く、所謂「赤富士」の勇姿を拝して、本当にラッキーでありました。

端正なマスクを赤く染めながら、富士山は何を思っているのでしょうか・・・・。

こんなシャッターチャンスは中々巡ってくるもんじゃーありません。

夢中でシャッターを押しまくり、改めてその富士山たる所以に思わずため息が洩れました。

この写真を富岳七景として葛飾風竿の普及の名作としたいものであります。

その後南アルプスの写真も収めることが出来ました。

日本の国土は90%が山がちでありますが、この美しい国土を私達は誇りに思いつつ、おおらかな心を山に学ばねばなりません。

柄にもなく、そんなことを思わされたフライトでありました。

 


忠臣蔵の街

2011年12月15日 22時46分14秒 | 風竿日記

14日は東京出張から帰る日でした。飛行機まで時間があったので、かねてから行きたいと思っていた高輪の泉岳寺へ・・・・。

大手町から三田線に乗り、三田で都営浅草線に乗り換え目的地へ

東京の「いてふ」は今が見ごろの中、泉岳寺は折りしも忠臣蔵で有名な赤穂浪士の討ち入りの日なのでありました。

泉岳寺の門前町はごったがえの人通りでした。

テキヤの屋台がズラリと並ぶ中、佐世保バーガーの屋台も発見・・・・・。でも佐世保の人ではなかったけれど・・・・。そして大繁盛していた。

ここが泉岳寺の本堂

私もお線香を焚いてお祈りしてきました。

お寺の境内は人人人・・・・。

昔の日本人は等しく主君に忠義を貫く忠臣蔵が大好きなんであります。

目上の人を敬う儒教思想と修身教育に浴しているからでしょうか・・・・。

さて、本堂のお参りを済ませて、いよいよ四十七士が眠る義士墓地へ・・・・。

忠臣蔵といえば何と言っても長谷川一夫の大石内蔵助が絶品でした。

「をのをのがぁた・・・・・。」 ※筆者注 「各々方・・・・。」のことでする。

あの独特の台詞の言い回しが甦ります。

ここは浅野内匠頭長矩殿のご令室瑤泉院さまのお墓

時は元禄16年、ここが「オノレ吉良殿、思い知れーっ!。」と殿中の刃傷沙汰を演じた浅野のお殿様のお墓・・・。

1703年の出来事ですから、今から308年前のことです。

「お放し下され梶川殿、武士の情けを御存知あらば、討たせてくだされ今一太刀・・・・・。」

人情松の廊下に歌われた、あのお方なんであります。

皆さんが義士の墓前に額づいています。

今でも人気があるのですね。

内蔵之助のご子息、大石主税(ちから)殿のお墓、享年わずか18歳

そして忠臣蔵の主役である大石内蔵助良雄殿のお墓

堀部安兵衛のお父様のお墓

まあ、商魂逞しいとはこのこと・・・・・。

義士に対してちょっと失礼、不謹慎ではと思ったのがこの「切腹最中」しかしこれが中々売れ筋だとか・・・・。

都営地下鉄泉岳寺の駅を出た所に、130年は続いているという有名なソバ屋さん「藪蕎麦」がありました。

ここの蕎麦の美味いこと。寒い中で冷え切った体を温めてくれました。

ということで泉岳寺はこの日、忠臣蔵一色に染められておりましたとさ・・・。

何かお墓ばっかし出てきて、タケタク先生のブログみたい。

「おのおの方、これにてレポート終わりにて候。」