風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

「トイレの神様」は本当に居た

2011年09月30日 23時59分59秒 | 風竿日記

今日のお話は、出来れば中ほどにあるYoutubeをクリックしてお読みくださいませ・・・・。

 

金曜日は、弟の死から早や初七日でありました。

少ないながら親戚の皆様が駆けつけて下さり、ささやかではあるが、心のこもった供養が出来て、それは有難いことでした。

この六日間というもの、それは眼の回るほどの忙しさで、それが反って弟の死の哀しみから私を救ってくれたような気がしてしてなりません。

弟とは血が繋がっている継母は、認知症で物忘れが酷いのですが、それもまた彼女にとっては、とても幸せなことなのかも知れないとも思いました。

人間は神様から「忘却という機能」をプレゼントされているのかも知れないとも思いました。

一人の人間の死を執り仕切るということは、結構大変なことであり、

ましてや衰弱していて、ヤモメ暮らしだった弟の居住空間での作業も重なって、相当の忍耐力が求められたのでしたが、

それを物心両面から支えてくれたのが、幼い頃から隣同士で育ってきた従兄弟の兄貴夫婦でありました。

とりわけ仕事を持っている兄嫁は、寸暇を惜しんで色んな心遣いを捧げて頂きました。

既にリタイアした兄の家計を助けている、働き者のお嫁さんなんです。

       

一昨日の朝のこと、弟の家の中でも一番汚かった場所・・・・

黄ばんで変色していたトイレの便器が、新品のようにピカピカに光りだしました。何と兄嫁が素手でゴシゴシと磨き上げてくれたのです。

     

それがどんなに困難な作業であったのか、私が一番知っています。三回ほど問題のトイレ掃除を試みたからです。

始めはタオルとスポンジで擦っただけ、汚れはビクともしませんでした。

それではとトイレ洗剤を大量にぶっ掛けて、一日経ってからスポンジで擦りましたが、効き目ナシ・・・・。

三回目は塩素系の薬品を満遍なく沁み込ませて再挑戦したのでしたが、またしても惨敗。

そんな中、女神様が降臨・・・・・。

彼女は昼からは仕事だというのに、ゴトンゴトンと大きな音がトイレから響き渡り、それは残務整理をしていた私の部屋まで響き渡ってきたのです。

一時間ほど悪戦苦闘の後、トイレはピカピカに光り輝いていて、トイレのスリッパも床も見違えるほどに変身していました。


 

従兄弟とはいえ、所詮他人の家の一番汚い場所

しかも衰弱していた弟が何度も食物を吐き戻したと思われる痕跡の残るトイレ

誰もが嫌がる作業を、厭わずに自ら買って出てくれて、何も云わずに仕事に出かけて行った兄嫁さん・・・・。

申し訳なさと、感動に打ち震えながら「ありがとう」と云うと、

汗ばんだ顔で「ヘヘヘッ」と明るく笑う彼女は、トイレの神様の歌の通りの女神様そのものでした。

 そして還暦も近くなった女神様は、それはそれは美しい「べっぴんさん」でありました。


いつか見た夕陽・・・・・ハーモニーは永遠に

2011年09月28日 23時59分59秒 | 風竿日記

弟の葬儀の時受付を手伝ってくれた近所の幼馴染の皆さん

悪がきグループで陽の暮れるまで走り回って遊んでいた仲間達が、50年の時空を超えて、昔と同じように手伝ってくれた。

「困った時はお互い様たい・・・・。何も云わんでヨカ・・・。」

故郷を離れて暮らしてきた、ある種の異邦人には、とてもたまらなく、有難い言葉だった。

さて、この世に歌があり、そしてハーモニーがある。

私はどちらかというと、リードヴォーカルを執るより、バックでコーラスに加わるのが好きなんである。

主旋律と上手くマッチングしたハモリを演れた時なんぞは、それこそ音楽が倍に素晴らしくなるのを知っているからだ。

私の好きなポピュラーシンガーはNat King Cole

前にもお話したように、それは隣同士だった従兄弟の兄貴の影響。

独特のワームヴォイスが彼の優しい人間性を投影している。

そんな彼の娘さんはNatalie Cole

彼女もまた親譲りの歌唱力でとても魅力的な歌手

Nat King Coleは亡くなって久しいが、現代では今は亡き父とちゃんと共演ができるのだから、素晴らしい。

そして大好きなこの曲を聴きながら今夜はゆっくりと眠ろう。


いやいや、名曲がありました。・・・もう一曲いってみましょう。

私がよくカラオケで唄う曲でもあります。


古きよき時代のポピュラーソングはいいですね。

こういう音楽が生まれ出づる、いい時代だったのでしょう。

ああ、こんなハモリ、やりたいものです。

 さて、夕陽の中で佇んでいると、缶ケリをして遊んだあの頃が思い出されてきます。

まるでそれはタイムトンネルの世界・・・・。

弟の葬儀の折、受付をして助けてくれた初老のおじさん達は、まさしくそのタイムトンネルの中から忽然と現れたのでした。

そして不思議なことに私達は、本当に久しぶりの再会を果たしたのでしたが、

何の違和感も無く、絶妙のハーモニーを醸し出したのでありました。

それは懐かしい「日なたの匂い」

懐かしい「雨後の土の匂い」がしました。

 


人情の機微に浸かる

2011年09月27日 22時49分58秒 | 風竿日記

前にも話しましたが、私には父も腹からの母もこの世に存在しません。

と申しますと天涯孤独の男のように聞こえますが、ところが私には、まるで兄弟のような自慢の従兄弟の兄貴と、その聡明なお嫁さんA子さん(ベストパートナー)が居て下さるのです。

    

実家を頼んでいた、三男の弟の死に至る様々なプロセスの中で文字通り隣組の従兄弟の存在が、これほどまでに身に沁みたことはありませんでした。

それは、まさしく人が人として最も光を放つ瞬間である「無償の愛」そのものであり、細やかな気配りに満ちた行動であり、人情の機微でありました。

さらには職場である「九州ひぜん信用金庫」の役職員皆様の暖かさが身に沁みた契機となった弟の死でありました。

人はいつかは死を迎えるものではあるものの、改めて臨終は感謝で覆い尽くされて旅立たねばならないと思わされました。

それは人として、けして一人では生きられないという絶対原則の中で、万物に感謝の誠を捧げるという、

人本来の美しさに気づかなければ、何のための人生ぞと思うからですが、

その意味からすれば、葬式と三日参りを終え、お世話になった隣保班の皆様へのご挨拶回りをしていて、

改めて人の有難さを、強く、強く思わされたことでありました。

         

役割分担の世の習い通りに、通夜から葬式という一連の悲しいセレモニーを、弟と協力しあって、

それなりに仕切らせて頂いて、弔問に駆けつけてくださる「お一人お一人」の心根の優しさに、

還暦を迎えたにも拘らず、今更ながらに只々有難くも、勿体無いという気付きをさせて頂きました。

        

けして派手ではない、寧ろ地味なお葬式ではありましたが、弟との永久の別れに際して学ばされたことは、けして小さくはありませんでした。

気が張り詰めていて、睡眠時間も充分ではありませんでしたが、心は研ぎ澄まされて、その分人の人情の機微に触れたささやかなセレモニーでありました。

      

改めて感謝と、そのお心に対して謝意を申し上げるばかりであります。

そして火葬場の白い煙と共に昇天して言った、我がおとうとの魂に対して、安らかなれと祈るばかりです。

 

 

 


おとうと

2011年09月25日 23時59分59秒 | 風竿日記

私には二人の「おとうと」がおります。

おりましたと云わねばなりませんが・・・・・・。

 

一番下の弟が今日黄泉の国へ旅立ちました。

まだ49歳の早すぎる死であります。

実は11歳年の離れた、腹違いのおとうとでしたが、

彼なりに天寿をまっとうしたのでした。

母親の看病疲れもあったのですが、頑固で聞き分けの無い弟でありましたが、最期は実に可哀想な死でありました。

兄として無念そのものであります。

あまりの衰弱ぶりに心配する私とすぐ下の次男を他所に、

「大丈夫、俺もバカじゃなかけん、死ぬときは兄ちゃんに(介護ば)頼むさ。」

まだ胃も腸も心臓も何にも悪いところはなかけん、大丈夫と云い放ったのがほんの二週間前でした。

青天の霹靂とはこのこと・・・・・・・。

拒食症による衰弱死でありました。

カレン・カーペンターの最期が頭の中を駆け回っていましたが、まさかこんなに早く、私よりも先にバイバイするなんて・・・・。

 

今はただ、三男坊の冥福を祈るのみであります。

 

人知れず難所の花は咲きつつも あろうことかし夜露の果てなん

 

おとうとの血脈あらば朝夕に わが祈りは父に届かず

 

天命は儚き朝の露草の しとどに濡れたる夢の彼方に

                                  

                  不肖の兄貴より謹んで   合掌

 


いだっち

2011年09月23日 23時59分15秒 | 風竿日記

東京からとても素晴らしい男が武雄に来てくれた。

彼はかって、あのアフラックの九州・沖縄統括部長を歴任していたことがあり、7年ほどお付き合いを頂いている。

今は本社のおエライさんなのだ・・・・。

22日は「ひぜしん」の渉外研修で多くの職員を前に、熱い講演を語ってくれた。

その夜は旧交をじっくりと温めて、久しぶりに痛飲

今日は休日ということもあって、これまた久しぶりにプライベートのゴルフを愉しんだ。

彼とのゴルフはかって福岡の古賀ゴルフ倶楽部に始まって、芥屋、若木、武雄と愉しんできたものだ。

まるでそこに居ると判らない空気のような人なので、気遣う必要も無ければ、苦にもならない不思議な人。

だから居心地が頗る付きでいいのだ。

彼の持ち味は、いつもお客様に目線を合わせていること。

だから大企業組織の要職に身を置きながらも、いつもハートフルで、さりげない気配りに溢れていて、柔軟な感性の持ち主なんである。

こんなビジネスマンは中々いるものではない。

そんな彼のお人柄に魅かれて、雨が降ろうと風が吹こうと、病める時も健やかなる時も、何があろうと一生涯お付き合いしようと決めているんである。

昨年の2月、ひぜしんの合併前日、気遣って東京からわざわざ駆けつけてくれて、私を励ましてくれたこともあった。

ビジネスライクな人には絶対真似の出来ないことを、すまし顔でさりげなくやる。

そんな彼の人柄で、今でも九州の金融界に井田ファンがゴマンといるんである。

ゴルフ場で見つけた小さな花、こんな美しい心を持っている男

井戸の井に田んぼの田、安心の安に信頼の信、井田安信と申しますが、彼の自己紹介。

まるで保険屋サンになるために生まれてきたような男。

そして、いつも内に熱いものを秘めている男。

そして何よりご縁こそが財産だと良く判っているのだ。

だから九州を離れても毎年博多祇園山笠の季節になると、山を担ぎに締め込み姿で博多の街へフラリと現れるのだ。

絶対に自分を自慢しない。要らぬ言葉も吐かないが、いつもちゃんとお客様をしっかりと見つめている。

けしてピントを外さない。

それが彼の不思議な存在感を醸し出している。

ゴルフを終えたら、武雄神社の大楠へご案内

樹齢3000年のご神木に絶句しつつ、8時の飛行機で帰って行った。

駅まで見送りに行きたかったが行かなかった。柄にも無く涙が出そうだったからである。

また是非武雄を訪れて欲しいものである。

さて、武雄神社本殿と大楠の前、そこで彼は敬虔な祈りを捧げていた。

一体何を祈っていたのか、狛犬だけが知っているような気がするんである。


グレンとまーちゃんのこと

2011年09月21日 23時24分25秒 | 風竿日記

還暦のお祝いをして頂いた次の日曜日はオーストラリア生まれの香港在住の宣教師グレン君の婚約披露パーティでした。

同じクリスチャンのまあちゃんと目出度く結ばれたのでした。

彼らはプロテスタント系の敬虔なクリスチャン

まさに神が与えたもうた伴侶なんであります。

二人ともとびきり付きのいい性格

きっと素晴らしい家庭を築くことと確信しておりますです。

 

このパーティの模様は、僕らの素敵なカメラマン

KOZYさんのPHOTO ALBUMに・・・

 是非覗いて、祝福してあげて下さい。

 

さて、今夜も音楽の話を少しだけ・・・・。

昔やっていた音楽の中から、僕たちの演奏に近いものを見つけました。

私達のヴォーカルは、JB鎌上

このYoutubeのヴォーカルよりも数段上手かった。

もう一度カマちゃんとやりたいものです。

MUSTANG SALLYという曲、ウイルソン・ピケットのカバーが、とてもかっこ良かった。



ココロふるわす音楽

2011年09月20日 22時38分22秒 | 風竿の音楽夜話

 還暦を迎えた今も、さらに音楽に魅せられている。まだまだ素敵な歌が、演奏したい曲が溢れているのだ。

その中でも・・・・・

 ふた昔も前は、黒人のソウルミュージックに夢中だった。

ブリティッシュ・ロックもハードロックにも反応せず

専らOtis ReddingとかJames BrownとかMarvin' Gayとかに魅かれていた。

それはハートフルな歌唱法にあるのだろうか

額に汗をかきながら、魂の芯から謳いあげるソウルフルな歌

今しみじみと聴きなおしてみると、まだ褪せてない。


 

唄い方がソウルフルだとこんな感じになるということでは、上田正樹がいいですなぁ。


 

 

さて、12月の課題曲のライブバージョンを捜していたら、こんな凄い日本のバンドがいらっしゃいました。

とにかく凄い・・・・・。こんな音楽をやりたいのです。


 

と言いつつ、パソコンのメンテナンスをやっていたら、21日の2時になってしまいました。悲しい・・・・。

何とノートンアンチウイルスがハードディスクを喰っていたのです。2006年版は問題があると聞いてはいたのですが、やっぱしそうでした。

アンインストールして最新版をインストール。

スペックもパワーアップしてサクサクの状態に生まれ変わり、

あーあ気持ちがいい。

ハードディスクの容量も6割空きました。

60おじさんもなかなかやりますねぇ・・・と自画自賛

でも早く寝なけりゃ、明日は福岡出張なんであります。

おやすみなさい・・・・。

 


クリスマス課題曲

2011年09月19日 21時48分54秒 | 風竿日記

12月には毎年恒例のジョン・レノンズ・ナイト

今年は10日土曜日に開催します。

第二ステージはいつもの通りビートルズではない曲を演奏。

今年の新曲は・・・・

We are all alone (みんな一人ぼっち)

そして懐かしいこの曲


さらには「悲しき叫び」


 

 

 

昨年はデイアジョン始まって以来という、80人の動員記録を更新しました。

今年は90人を目指します。

皆さんたくさん遊びにお出で下さいませね・・・・。


86回のありがとう

2011年09月18日 23時59分59秒 | 風竿日記

実は17日、またしても還暦のお祝いをして頂いたのでした。

何度も、何度も固辞したのでしたが、発起人さん達のお心遣いに負けて・・・・・、

さらには『温泉deビートルズ』の前宣伝にもなるから・・・と説得されて、まな板の上に乗りました。

これまでご縁を賜った沢山の皆様にお出で頂き、ただただ恐縮の極み、ご多忙の中申し訳なく、有難く

「有難うございます。」と何回も何回も頭を下げるのみの私でありました。

磯釣りの先輩方、仲間たち、かって荒磯で石鯛を求めた時期もありました。

兄弟付き合いの何と多いことか・・・・・・。

あの素晴らしい床屋さんも駆けつけて下さいました。

『還暦祝い歌』の大熱唱、胸にジンときました。

司会をかって出てくれたマイちゃん・・・ただ感謝であります。

心を許せる仲間というものは本当に何物にも代え難いとしみじみ思わされました。

ゴルフの仲間も、師と仰ぐ先輩も多数、・・・・感謝・多謝

遠く長野や平戸からも駆けつけていただきました。

正直、本当に嬉しかった。

楽しくて時間が経つのが勿体無い夜でありました。

ゼロスターズの面々も有難う・・・・。

競輪界のグランドスラマーのシゲちゃんも・・・・・。

お礼にビートルズナンバーをご披露しました。

指揮者まで登場・・・・・。

プロ集団のバンド『アマリリス』さんも友情出演

天空の美女ユリちゃんとデュオ

「青い影」とても好評でしたよ。

私の兄貴分、山田さん。最後に唄ってくれました。

最後の最後はサプライズ、北村尚志さんが何とあの『プロペラ』を唄ってくれました。

PA山光さんのにくい演出なんであります。

とても紹介しきれないほど、旧交を温めたり、音楽を愉しんだり、

しかし、どれだけお酒を呑んでも失礼がないようにと、絶対に酔っ払いませんでした。

そしてお一人お一人に有難うございますの感謝のお言葉をお伝えしてまわるのがやっと・・・・・。

 

86人へのありがとうの濃い夜でありました。

無骨モノの私のような者にと、本当に申し訳なく有難く、人のお心が五臓六腑に沁みた感激の還暦祝賀会でありました。

風竿心より感謝申し上げますと共に、社会へのご恩返しのこれからを送ってまいりたいと心に誓いました。

本当に、何度言っても尽きません。有難うございました。

 


天空のユートピア

2011年09月16日 22時59分18秒 | 風竿日記

人は田舎に住めば都会の喧騒がいいとのたまい、都会に住めば田舎がいいと云う。

でも歳を重ねれば絶対に心落ち着く田舎、しかも高原の家が理想だと強く思える。

今夜はそんな天空の理想郷へギターを抱えて出かけた。

大自然の真っ只中、ひらけた高原の素晴らしい環境にその家は建っていた。

北海道を想起させる広い敷地に、何とも形容し難い素敵な家

ここにグランドピアノも、スタジオ風の音楽アトリエも、極上のワインセラーのように散りばめてあるのだ。

「いいなぁー・・・・・。」

何度もため息が出る。

下界との温度差は3度近く・・・・夏の間もエアコンが要らないという、電気屋さんの敵みたいな土地らしいんである。

お手製のピザを美味しく頂きながら、音楽談義を愉しむ。

おまけに、この家の主は超のつく絶世の美女ときている。

竜宮城に行った浦島太郎のような気持ちでありました。

ハートマーク一杯で名残惜しく天空の御殿を後にしたのでありました。

 

さて、帰ってからお土産の玉手箱を開けて、その後鏡を見たら

そこには初老のおじさんが疲れた顔で写っていました。

あーあぁ・・・・。