風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

信用金庫の子 遼くん 祝優勝 !

2009年06月30日 07時17分22秒 | 風竿の信用金庫は頑張るのだ

 優勝 石川遼くん   

全国12万人の信用金庫職員が、固唾を呑んで見守る中

石川遼選手は落ち着いて最後のパターを決めた

ミズノオープンに優勝した瞬間、遼君は全英オープンの出場権までも同時に手にした瞬間である。

 やったね遼くん たいしたもんばい

ぶっちぎりと思いきや、まさかの2連続OBで9を叩くと、以降は我慢のゴルフ、そして「あっやばい!」というミスショットっぽい

強気のアプローチがピンに当たってそのまま入るという強運のイーグルで周りの選手を一気に突き放した

この子は確かに何かを持っている

神から選ばれた男なんである

そして全国に279ある信用金庫の子でもあるのだ・・・。

 

そして信用金庫がテレビ中継のスポンサーをやっているときに優勝してくれるんだから・・・もうたまりません・・・孝行息子なんですから

私はこれまで遼くんと二度、話をしたことがある。

ダンロップフェニックストーナメントの宮崎フェニックスと

昨年の日本オープンの古賀カントリーでのこと・・・

もちろん「頑張れよ遼くんという僕の声援に

「ありがとうございますと答えてくれただけの

会話にならない会話なんである。

 

しかし信用金庫の子というご縁の根源である父親の石川勝美さんとは昨年日本オープンの最終日の死闘のさなか偶然にも遭遇して、10分間も信用金庫談義をした仲なんである。

さすがに埼玉懸信用金庫の支店長を勤められただけに、信用金庫業界に対する熱い思いは、まさに信金マンスピリッツあふれるものであった。決算からサブプライム関連の話までフェアウエイの上で立ち止まって話し込んだのだ。遼くんは優勝争いで大変なときにである。

遼くんが礼儀正しくインタビューも17才とは思えないくらいにしっかりしているのは、この人の教育の賜物であろう。

 石川勝美さん ご存知遼くんパパ

 全英オープンでの活躍を祈るばかりであるが、果敢に挑戦する恐れを知らぬ若者を心から応援しようではないか。

わが田舎信用金庫では、金利上乗せの「石川遼くん応援定期」まで商品化して

声援を送っているのでありますよ。


John Lennon's Night のご案内

2009年06月30日 00時04分20秒 | 風竿の音楽夜話

決定 !! ! 今年もやります

今年のJOHN LENNON'S NIGHT

12月6日の日曜日午後7時からです。

場所は恒例 ライブハウス喫茶 「Dear John」です

曲目リスト

Across the Universe

Any time at all

Yes it is

It's only love

Imagine

In my life

Hey! buludog

Happy X'mas戦争は終わった

Woman

(just like a) Starting over

God

Jelous Guy

哀しみをぶっ飛ばせ

ノルウェイの森

Stand by Me

Act naturally

With little help my friend

The long and winding road

Hard days night

Ask me why?

I feel fine

Something

While my guitar gently weeps

I need you

その他

出演  ウエスト・ウインズ 

         THE GEATLES    

ゲスト 北村なおし(予定) 

みなさん予定を空けておいて下さいね。

今年も楽しくやりましょう。 


マイケル・ジャクソンの遺したもの

2009年06月29日 21時46分30秒 | 風竿の音楽夜話

マイケルジャクソンについての評価は色々とありましょう・・・。

私は仮説でものを決め付けるのが好きではないので、純粋に彼の音楽性から推察すれば、とてもピュアな人であったようにしか思えないんである。

マイケルジャクソンの急逝後YouTubeでは彼の楽曲のリクエストが花盛りである。

彼が生前に遺した軌跡には数多いものがあるが、私は1985年にライオネルリッチーと共作したUSA for Africaの 「We are the world」が最も印象深い

彼の呼びかけでアメリカのポップス界のスーパースター達が勢ぞろいしたこのイベントはアフリカの飢餓と貧困、エイズを救おうという極めて有効なボランティアであった。

<!-- We are the world -->

この歴史的な楽曲、参加したミュージシャンがとにかく凄かった。

マイケルジャクソンやライオネルリッチーは当然のことながら

ポールサイモン、ティナタナー、ダイアナロス、ウイリーネルソン、ボブディラン

スティービーワンダー、ディオンヌワーウィック、ビリージョエル、ダリルホール

ブルーススプリングスティーン、ケニーロギンス、シンディローパー、レイチャールス

アルジャロウ、ケニーロジャースなど他にもたくさん居たが思い出せない・・・

そして音楽監督はあのクィンシージョーンズだったんである。

それは凄い顔ぶれ、普通では絶対に集まらない一流アーチストばかりが、それぞれの個性を十二分に発揮した歌唱を披露したのである。

この参加を呼びかけたマイケルジャクソンの功績は、絶対に忘れてはならないのである。

そしてわが町武雄においても「癌撲滅に向けたTAKEO  FOR ALL ONE」の歌を皆で朗々と謳いあげたいものである。

 

さてさて、皆さん臨時ニュースを申し上げます。

本日私の友人の川良のDear Johnのマスターが私から脅されてなんとブログを始められました。早速ブックマークにリンク致しましたので、どーか、遊びに行ってあげて下さい。

日本一のブログシティタケオを目指すために、皆さんどんどん仲間を増やしていこうではありませんか・・・・。

 


姉の供養と結婚式と

2009年06月28日 15時33分23秒 | 風竿日記

セピア色の写真の中には昔の記憶がそのまま詰まっている。

表紙の写真は50年以上も前のもの。

そして次の写真は私が中学に入学した時の一枚。

当時大学生だった兄は現在仕事をリタイア、引き続き良いポストをとの、「三顧の礼」を丁重にお断りして、ゆっくりと好きなゴルフを愉しみながら、ゆったりとした余生をと思いきや、壮絶な介護と自身の体の変調に苛まれている。できることなら代わってあげたいくらいだ。

そして次姉の洋子は一族の中でも美人の誉れ高かったが、久しぶりに会った彼女は快活さはそのままに、体系はすっかりおばさんに・・・

還暦もとうにすぎたのだから仕方が無いか・・・・・。

長姉の雅子が旅立って三年の月日が経とうとしている。

死の直前に見舞った時には、「大丈夫だから頑張れ」という私に、今から「もっと仲良くしようね」と何回も何回も繰り返し言った。

末期ガンだったので、僕は涙を堪えるのがやっとだった。短く「ウン、ウン」と頷くばかりのお見舞いが最後の別れであったのだ。

隣同士で育った最も近い6人の従兄弟、今にしてよくよく考えると本当の兄弟だったのである。

多良のお寺で姉の三回忌を済ませると、そのまま肥前鹿島駅から「白いかもめ」に飛び乗って佐賀市へ

久しぶりに鹿島から列車に乗った・・・・。何十年ぶりだろうか。

洒落た列車内のインテリアとスマートな車体・・・・

鹿島の人々が長崎本線存続を訴えた、この列車に対する愛着がよく判るような気がした。

哀しい供養から一転して職員の結婚式

頭の中もお祝いモードに切り替えねばならない。

おめでとう、前途に幸多かれ 良かったね美紀ちゃん。

一杯、しあわせにおなりなさい。

11月にはママになるという。いいお母さんになることでしょう。

光のシャワーを浴びて、ただでさえ眩しい花嫁は天使の如く輝いておりましたよ。

職員の幸せはそのまま田舎信用金庫の幸せ、よろこびなんであります。哀しみも、またそう。庶民の一番近いところに居る金融機関ならばこそ、職員と共に分かち合い、泣き笑いするのが私たちの職場なんであります。

夜は結婚式の酒で勢い余った山崎流ゴルフ家元ヒロちゃんのお供で、またしても武雄川端界隈を痛飲行脚の奈良漬状態

哀しみと慶びが同居した喜怒哀楽の一日でありました。


Michale Jackson was died

2009年06月27日 08時36分37秒 | 風竿の音楽夜話

神から選ばれたエンターティナー、マイケルジャクソンが亡くなった。

 50歳のあまりに若すぎる死である。

タケオブログシティではスクープ一番に武雄市長物語さんが第一報を発信され私はブログで彼の死を知ったのでした。

次にかいぼー先生のブログにも彼の死を悼む寄稿がなされていて、ドクターかいぼーの優しい、しかもマイケルジャクソンの内面に迫る記述が印象的でありました。

北村尚志さんのブログでも一面トップの特集記事が・・・・

私はビートルズのファンである関係でポールマッカートニーとマイケルの共演作を「エボニー&アイボリー」と勘違いしていたが、それはスティービーワンダーとの共演であったことを思い出しました。

マイケルジャクソンとの共演はこれです。

<!-- 追悼マイケルジャクソン SAY SAY SAY -->

数々の奇行がクローズアップされたマイケルジャクソンでしたが、幼い頃から「ジャクソン5」でショービジネスの世界に入り、衆目に晒されてきた彼は、一種の無菌状態の中で育ったのではと思えてなりません。

「ABC」の頃の幼い彼の歌はまだ耳にこびりついています。

彼の音楽性は極めて素晴らしく、歌声からは彼の純粋性が伝わってまいります。

エンターティナーとかアーチストとは、天が人々に安らぎと感動を分け与えて、心の安寧と癒しをプレゼントするために遣わした使者であると思いますね。

ミカエルという名前の通りMICHAEL JACKSONは生きたのだと思いますね。

ロンドン公演のチケットを二枚買って楽しみにしていた友人がおりますが、さぞかし・・・・・。

早すぎる残念な死であったと、心よりご冥福を祈るばかりです。


大入! 満員御礼

2009年06月26日 23時48分45秒 | 風竿日記

美味しいブログ冷えてますのキャッチフレーズで始めた57歳の手習いブログが丁度まる3ヶ月となりました。

この間の累積アクセスご訪問も30,984にも達して、まことに恐縮・汗顔の極み、まさに盆と正月ついでにクリスマスまで一緒に来たような心境でございます。

今日久しぶりに私が兄と慕う従兄弟から電話を頂きました。

私が小学1年生の春に母親を亡くして以来、母親の愛情に飢えていた時に、陰になり日向になりして優しく支えてくれた「従姉妹のまーねぇちゃん」の明日が哀しい三回忌なのでした。

従兄弟とはとはいえ、隣同士で育ったものですから、兄弟のようなもの、いや、兄弟以上に可愛がって貰ったものです。

私がポピュラー音楽に興味を持ったのも従兄弟の影響が大であります。小学生時代にハリー・ベラフォンテやナット・キングコールなどを隣の家のステレオで聴いて育ったのですからね。

     

さて、それで供養にまつわるちょっとした連絡事項もあり、その従兄弟の兄貴からの電話・・・・・。

開口一番「民生、毎日ブログ見よるよ・・・・。」でした。

嬉しかったですね。

そして今日は合併相手のN本店営業部長さん、K業務推進課長さんと会議の後、第2会議を居酒屋で・・・・。

「専務!毎日ブログチェックしてますよ・・・・。」

嬉しかったひたすら恐縮して頭をペコリと下げました。

そんな有難いお方々が居て下さることは、この暗夜行路の人生をパッと明るく照らして頂く思いがします。

そしてブログという、いわば外に向かう日記を綴り始めて改めてご縁の有難さ、人のやさしさ、見過ごしていた原風景の美しさ、立木から花々に至るまでの植物の素晴らしさ、信用金庫の仕事の有難さ、お客様の有難さを本当に理解することが出来つつあるように思えてなりません。

そして何よりこの傲慢で独りよがりの拙いブログを訪れて頂いた、三万有余人の皆様に、心から感謝申し上げる次第でございます。

今後とも、どうぞよろしくお付き合い下さいますよう、お願い申し上げます。

人間の絆をより強固に導いてくれる「タケオブログシティ」のユニークなブロガーの皆様と。ブログの神様に心より感謝と、敬虔な祈りを捧げさせて頂きます。 風竿こころより感謝


嬉野信友会は大盛況

2009年06月25日 23時48分16秒 | 風竿の信用金庫は頑張るのだ

わが田舎信用金庫では全店でそれぞれの地域の親睦ゴルフコンペを開催しています。

信用金庫と友達の会ということで「信友会」と名づけています。もう30年以上も続いているお客様との絆を強めるゴルフコンペなんであります。

わが信金の支店長さん方は仕事はまあ、ソコソコなんですが、いざサークル活動や「遊びごと」などの催しがあると、俄然やる気パワー集団に一変して、ガンガンやるんであります。

その嬉野信友会が私の高校の先輩飯盛支配人さんの「武雄嬉野国際カントリークラブ」で開催されました。

私も嫌いな方ではなく、喜んで参加致しました。これはあくまで仕事なんですから。

田舎高校の大先輩、飯盛支配人の天地を揺るがすティーショット 凄いの一言

新八寿司の大旦那「筒井さん」のティーショット 最近肩から調子がイマイチと

でも来年でめでたく「古希」を迎えられるというから、お元気このうえなし

この日は30名のご参加でしたが、皆さんとても仲がよろしいんです。

ベストグロスは太田さんのなんと「71」 凄い

ご一緒させて頂いた福田さん、70歳オーバーとは思えない若さと飛距離

とてもきれいなフォーム・・・自分が70になっても果たしてゴルフをやれているだろうか?

そして表彰式・懇親会が始まりまして・・・・石井県議も懇親会だけご参加

この状態で呑みだして既に2時間が経過しているが、皆さん呑む呑む・・・強い

このあと二次会、三次会、四次会へと繰り出し、私はまったくの奈良漬状態夢遊病者の如く、フラフラで我が家へ帰り着いたのでした。

 

嬉野信友会の和気藹々たる仲の良さは全店でもトップクラス。

皆がお互いを尊重して大切になさっていることの積み重ねなのでしょうか?

嬉野町は結構な流入人口と交流人口が昔からあって、よそ者にもとてもオープンな土地柄であります。よそ者に優しいというのは、観光都市の必須条件ですよね。

そんなことを教えられた嬉野信友会でありました。


花に癒される傷ついたおじさん

2009年06月24日 23時50分14秒 | 風竿日記

打たれ強いくいになろうと思っていたら くいが残った

情に棹させば 流されるどころか 溺れてしまった

欲があるから 人間なのだろうが、とりたてて欲もなく

東に泣くひとあらば 行って どうしたの心配なかよと 小さく なぐさめ

西に困った人がいれば 天はあなたの支えきれぬ荷物は与えぬと ちょっとだけ 相手の負担にならぬ程度に 励まし

梅雨の日々は あまんじて ジメジメと過ごし

一人アジサイ花を愛でて じわっと癒されている

そんなおじさんに 私はなりたい

 


建設業の岐路と業態転換

2009年06月23日 23時19分11秒 | 風竿の信用金庫は頑張るのだ

武雄商工会議所異業種交流会6月定例勉強会に出席

今回の講師は佐世保市に本社のある株式会社堀内組さん

年商40億円という地場ゼネコンさんで、下の写真「アルカスSASEBO」を施工されるほどの建設業者さんが何故、新規事業に命がけで参入しておられるのか

同社の「新規事業推進室」室長吉井重忠さんが熱血講師役で詳しく、そしてノウハウを惜しげもなくオープンにされて解説されました。ノウハウを堂々と公開されるのは、余程の自信がおありなんだと逆に恐縮して思わされましたよ。

 同社の山下功三社長は先細りの建設業界にあって今までのスタイルを維持するのは座して死を待つことに等しいことと、仕事が減ったからといって従業員をリストラしたり路頭に迷わせる訳にはいかないと、農業分野へ活路を求められました。

長崎FA(フロンティアアグリカルチャー)の設立がそれです。

しかし初めは無農薬農業に挑戦されたのはいいが、すべて失敗の連続、異分野の難しさを嫌というほど味われたのだそうです。

 

しかし失敗を良薬にされ、それをノウハウに変えられた今、新たなる挑戦は確かな果実を実らせようとなさっておられるのです。

付加価値の高い果樹作物に活路を見出されて取り組んでこられたのが、ブルーベリーなんであります。

同社のビニールハウスでは鉢植えのブルーベリーが出荷を待っています。

  

このブルーベリーに付加価値加工という魔法をかければ・・・・

このほかに地元の洋菓子屋さんと共同開発で、ブルーベリーを素材としたスイーッの開発にも力を入れられて、「シュークリーム」「ブッセ」「パウンドケーキ」「生チョコ」「生キャラメル」果ては「カステラ」まで商品化されていて、これが実に旨い(風竿がんこ堂・試食済)

 

この方が熱い吉井室長さん・・・某銀行OBで私と同じ金融マンらしくないお方

地元農業者との連携、加工業者との連携をビジネスモデルの柱とされているところが実に素晴らしい・・・もはや地域社会において一人勝ちはルール違反なのだ

やっとブルーベリーの生産と商品化の目処が立ち、次はマンゴーとオリーブに着手され、後は販路開拓が課題というところ・・・・・。

商品は売れてナンボなんであります。そこでわが田舎信用金庫の出番到来

毎年私たちは東京ビジネスサミット「佐賀長崎肥前夢街道」という地域ゾーンにたくさんのブースを出展してます。

東京お台場のビッグサイトで開催されるこのビジネスサミットは、バイヤーさんを中心に二日間で約3万人の来場者があり、出展企業も1000社近いという、日本最大のビジネス見本市なんであります。上の2枚は昨年の風景です。

今年は11月4日・5日開催されますが、今出展企業を募集中なのです。

経営とは環境変化対応学であります。ダーウィンの進化論に表されているとおり、強い種ではなく、環境の変化に対応の出来た種だけが生き残るのであります。

今回の勉強会は、ご縁のあるお取引先の建設業の方々にも特別にご案内を差し上げたのですが、誰もお見えになりませんでした。席も準備してたのに・・・。 

氷河期は近づいているのに、マンモスは気づかないで死んでいきました。

少なくとも気づいているならば、せめてあらゆる可能性を検討はすべきであります。そしてそれは体力の残っているうちにしか出来ないことを講師も力説されました。

東京ビジネスサミット2007年「田舎信用金庫のブース」風景です

少し傲慢な言い方となりますけれど、じたらこうよ。


You Tubeに僕の唄が・・・

2009年06月22日 22時48分01秒 | 風竿の音楽夜話

インプットの山光さんのおはからいで、昨日のライブの前座で演奏した私の拙い唄があのYou Tubeに投稿されました。

先ほど「恐る恐る」見たのですが、20人のお方が見てくれていまして、いやはや世の中も変わったと・・・しみじみ思わされました。

一昔前なら絶対に有り得ないことですもの。

家にテープレコーダーが登場したのは小学5年生のときだったか・・・

中学校理科の教諭をしていた父は新しい電化製品が出ると、安月給のくせにいの一番に買うくせがありました。テープに私の唄を吹き込んで家族でそれを聞くのです。

とっても嫌でした。自分の声ってこんなに気持ちの悪い声なのかと、

でも音楽は大好きでした。中学2年まではクラシックばかりを聞いていたんです。ビートルズに出会うまでは・・・・。

人前で唄うのは経験上、厚かましさと図々しさで慣れてしまいましたが、動画を見られるのは、「朽ち果てた名もない木」を見せるようでやっぱし抵抗がありますね。

まあしかし貼り付けられたものは仕方がない、初めての経験ではありますが、思い切ってご紹介しちゃいましょう。

ジック・イン・タケオの仲間ですものね。

ビートルズ時代のジョンレノンが作詞作曲した歌で、

色んな場所に行って色んな人とあった。そのうちの何人かは今も元気だし、中には恋人もいた。死んでしまった人も居る。

でも今は君のいるこの場所が一番いいんだ

という歌です。

<-- In my life    -->

さて、寝てるのではありません。目を閉じて演奏し且つ唄っているのであります。そこんとこヨロシク

お返しに山光さんのお写真をMy Tubeに貼り付けてあげましょうね。