風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

日本銀行本店へ

2012年04月29日 23時32分49秒 | 風竿日記

こんなに長くブログを空けたのは初めてのこと・・・・。

忙しくて目が回りそうな日々だったのでした。

それでも毎日2000を超えるとんでもないようなアクセスが・・・・

恐縮の至りでございます。

 

さて、先週の水曜日の朝から、缶詰め状態の金融セミナーに参加させて頂きました。

市場リスクから始まって、信用リスク、オペレーショナルリスク・内部統制全般にわたっての最新の考え方、方向性のセミナー

極めて有意義な内容に脳天を撃ち抜かれたようなカルチャーショック

しかも行く前からはしゃいでいた、武雄とも縁の深い辰野金吾先生が設計したと言う日銀本店で行われたのでありますから、そりゃーもう

気持ちも入ろうというもの・・・・・。

日銀本店旧館の東門から入るときには、思わずネクタイを締めなおして、深呼吸をして背筋を真っ直ぐに伸ばして敷居を跨いだのでした。

ちなみに上の写真は正門であります。

いつも三人の護衛がいらっしゃいます。

この写真の左側の建物でセミナーが開催されました・・・。

九州のご出身であられる、白川日銀総裁に一言ご挨拶せねばと思っておりましたが、

私が勝手に思っただけで、先方はお忙しいようでありました。

旧館といえばあの辰野博士の懐に抱かれているようなもの・・・・。

従ってセミナーも、一言一句聞き逃すまいと必死で臨みました。

それでも営業畑の私には市場リスクは難解な数式の羅列で、大苦戦

セミナー会場へと案内するエレベーターも、実にシックで洒落ています。

係の方に許可を貰ってちょっと写真を撮らせて貰いましたが、中味を一応チェックされました。

その貴重な一枚を・・・・・

螺旋状に階段を撮ってみましたが、まさに明治の建築物・・・・。

美しいと絶句しました。

 

思えば重い渉外カバンを持ってバイクで走り回った現場の出身者が、日銀の本店のセミナーに顔を出すなどと・・・、何と光栄なこと。

感慨に浸りながら二日間の日程を終えました。

ヒントはたくさん頂きましたが、一貫して主張されていた「リスクコミュニケーション」が大いに実学として役立てたいところ・・・。

さすがに日本の金融の心臓部に触れて、少しは脳味噌が重たくなったような気がしております。

死ぬまで勉強、我以外皆師也であります。

 


東京!

2012年04月26日 00時10分27秒 | 風竿日記


ひさしぶりに東京に来ています。
金融高度化セミナーで、お勉強に来ているのであります。
朝から夕方まで、もう充分というくらいに、詰め込まれて、頭の中がオーバーヒートしています。
でもナイトライフは楽しいことこの上ありません。
東京の友人の皆さんと旧交を暖めあえるからです。
東京の人々はサラッとしていて、ジメジメ系はいないのも嬉しい。
前向きでプラス思考の友人が多く、彼らとの語らいは実に楽しいまさに至福の時間。大好きなアビーロードにも行って、パロッツのビートルズライブを堪能しました。
そうそう、今朝は恐怖の地震の洗礼も受けましたよ。震度3だったのですが、激しい横揺れが1分位続き、あぁ、巷間でかなりの確率で起きるって言われている首都直下型地震かと思ったのでありました。
でもみんな何事も無かったかの如く、話題にすらしません。
慣れなのか?神経が図太いのか、驚いてしまいます。さて明日も地獄の特訓セミナー。
東京は朝から雨らしい。メゲズにしっかり勉強してきます。

辰野金吾博士の足跡を訪ねて

2012年04月23日 23時59分59秒 | 風竿日記

郷土の偉人辰野金吾博士は、

堅牢な建物を数多く設計して、辰野式と呼ばれる、赤煉瓦と白い石を配置した建築様式は明治の建物を代表するもの、これ多し。

わが武雄にも武雄温泉新館・楼門を1914年に設計竣工されている。

   

 

その辰野先生の代表作は云わずと知れた東京駅

実はわが武雄温泉駅も、辰野建築様式の赤レンガをイメージしてあるのだ。

   

そして何と言っても、日本橋の日本銀行本店である。

1896年に建てられたというから、いかに堅牢な作りかがうかがい知れるところ。

そういえば武雄温泉も100年もなろうとしているのに、ビクともしない。

明日から実は日銀の金融高度化セミナーで東京へ

25日、26日の朝9時から夕方6時までびっしりのカリキュラムが用意してあって、さすが日本の金融の中枢、鍛えられそうな予感

辰野先生の郷里での英語の先生はあの、日本を恐慌から救った高橋是清だというから、ほとほと金融界とも繋がりが深かったのであろう。

金融人のはしくれとしては、しっかり辰野先生の足跡をしっかとこの目で見ておきたいところ・・・。

移動を含めると3泊4日の出張となるのですが、ここはスキルアップのチャンス、しっかりとお勉強をしてまいります。

武雄市議会では一波乱ありそうな日・・・・・。

ブログは携帯から更新させていただきますね。

それではいざ、日本銀行本店へと行ってまいります。

 

 

 

 


Mustang Sallyをもう一度

2012年04月22日 19時01分54秒 | 風竿日記

表紙の写真はウイルソン・ピケットと若きジミヘン

珍しい取り合わせの写真である。

 

さて、若い頃の私の音楽のお師匠さんは、鎌上元伸さん

今も大町々でニポポという喫茶店を経営されている。

当時日本ではまだそんなに馴染みがなかったJames Brownとか

Willson PicketやOtis Redingなどをバリバリのブラック・フィーリングで唄っていた珍しい人

プロからもお誘いがあったらしいのだが、本人は行こうとしなかった。

その頃はまん丸と太っていて、シヤウトのドライブ感は凄いものだった。

            

中でもJames Brownには相当傾注されていて、いつからか九州内のミュージシャンからは尊敬を込めて「JB鎌上」と呼ばれるようになった。

その鎌ちゃんも今年65歳・・・・。昨年股関節を骨折してからこっち最近、全然元気がないんである。

糖尿病も患っていて、満身創痍の様相なのだが、いつも気になっている。

そんな鎌ちゃんと一緒にやった曲「Mustsng Sally」

久しぶりにYoutubeで聴いてみた。

     

無防備で、怖いもの知らずで、音楽に対して純粋だった、ほろ苦い若い頃が、一瞬で甦った。

思えば、16ビートのノリをひたすら追求したものだった。

前ノリ、後ノリ、ジャストミート・・・・

最近やっと判ってきたように思う。

またやりたいねぇ。鎌ちゃん・・・R&BとSoul Music



Song for memories

2012年04月20日 22時56分04秒 | 風竿の音楽夜話

INPUTの山下さんからライブのDVDを借りた。

何だ昔の日本のフォークソングじゃないの・・・・。

と思っていたら、チューリップの「魔法の黄色い靴」が山本潤子さんの唄で

元オフコースの鈴木康博さんに、元ふきのとうの細坪さんとのユニット

これが中々いいんである。

いっぺんに脳天を打ちぬかれてしまった私。

ああ、いいよなぁ。コーラスの出来るバンド。

2009年のライブの動画、その年にSong for memoriesは解散したのだというではないか。

しまった、船に乗り遅れてしまった・・・・。

こんなバンドをやりたいなあとメンバーを物色中

とりあえず聴いてみて下さいませ。

 


これ、これ、これなんである。

若い方が昔のフォークソングを歌うといつも、違う、違うって思うのは

このコーラスにあるのだ。

三人でビシッとハモっているのが正統派フォーク・ソング

PPMとかキングストントリオにブラザーズフォア

皆ハーモニーがとても美しかった。


リードヴォーカルが上手いバンドは一杯あるけれど、ハーモニーが洗練されているバンドはここら辺にはまずいない。

やり残したこと、それはこんなコーラスの美しいバンドを作ること。

只今メンバー募集中、一人意中の女性ヴォーカルにオファー中


アコギ2人とパーカッションが空席であります。

どなたか一緒にやりませんか・・・・・。

 


春霖(しゆんりん)

2012年04月19日 23時49分38秒 | 風竿日記

「最近の日本語は乱れとる」って怒ってみても別にどうなる訳でもないのだが、

四季の変化と人情の機微、

さらには「侘び寂び」の風情を、

そこはかとなく表現する美しい日本の言葉を、せめて失いたくないものだ。

週末にかけて、また天気が崩れるのだという。

最近の天気予報は北朝鮮のミサイルよりあたる確率が高く

おそらく春の長雨になるのだろう。

この時期の雨は「菜種梅雨」と云ったり

「穀雨」と云ったりするのだが、

私のとっておきの言葉のボキャブラリーは

「春霖」しゅんりん という美しい響きを持った言葉が気に入っている。

春の長雨を詠う俳諧の世界の言葉

先週で春の主役であった桜は散ってしまったのだが、

この頃のひそかな愉しみは、山歩き。

ダラの芽を摘んで回るのである。

テンプラにして抹茶塩で頂くと、春の精気が体の中に沁み込んでいくのである。

いやはや、春は美しく、やさしく、そして旨い。

そして、いつもは嫌なものでもあるのに、春の雨はどこかやさしい。

それは優しく降り積もる山里の根雪のように、地面に染み込む。

 

今夜は久しぶりに歌を詠んでみましょうか・・・・・。

 

春霖の傘に染みたるやはらかき 白糸の如しわろうて歩く

 

 

ミカイドウの花も咲き出した 春霖のやさしきはからいこころすなほに


チョキン、チョッキン、チョッキンなー

2012年04月18日 23時59分59秒 | 風竿日記

いつもお世話になるY床屋さん。

文字通り月に一度の頭のリフレッシュ・タイムは私のひそかな愉しみの一つ。

ここの大マスターは今年74歳だという。私との付き合いも35年になる。

彫りの深いメキシコ人みたいな顔は、その昔ニューブリードという楽団を率いていたダン池田さんによく似ているんである。

その大マスターが、40日にも及ぶ闘病生活から無事にご帰還された。

実は前立腺ガンであったそうで、思い切って全摘大手術を受けられての名誉ある帰還なんである。

でもご家族の心配は相当なものだったらしい。

 

退社時刻の頃、、いつものように、事前予約を電話で・・・・

「国税局の査察官ですが、お宅の申告のことで今から伺いたいのですが、よろしゅうございましょうか・・・・。」

わざと声色を変えて、少し慇懃無礼に、あくまでも冷たく話しかける。

そうすればさも「らしく」聞こえるからである。

ところが、毎回のことなので、私がいくら声色を変えたところで、敵もよくしたもの。

「ハイ、現金出納帳と預金通帳、売上伝票を用意して待っておりまーす。」

夕刻にかけての床屋タイムはかくしてスタートする。

      

宮野町の中ほどにあるお店のドアを開くと、若マスター・・・・(といっても、とうに前頭部は禿げ上がっている)・・・・・・が、いつものように、にっこり笑ってお出迎え。

「税務署さんですね。お待ちしておりました・・・・。」、

いつものように、いつものひとから、チョッキン、チョッキンが始まる。

「で、大マスターはどうされていますか?」

「父ですか・・・いやぁ、無事に退院して帰ってきました。」

「良かったねぇ。それで当然自宅療養中なんでしょうね・・・。」

「いやぁ、それがですね。帰ってきたら、普通のおじいさんになったなあと思ったんですね・・・。痩せて、元気はないし・・・・。」

あの、いつもはつらつとしていたYさんが・・・・と一瞬心配した私。

「それが帰ってきてじっとしていたのは1週間、昨日から急に仕事をすると言い出して・・・・・・。」

仕事鋏を握ったその瞬間から、背筋はピンと立って、眼がランランと光りだしたというんである。

そんな話をしていたら、「尾形ちゃんいらっしゃーい・・・・。」

本人のご登場である。

    

今でもひと月に、大マスターでなきゃ嫌というお客様150人の頭を管理しているという責任感と使命感から、

再び、立ちづくめの床屋稼業に復帰されたあの眼光鋭いマスターが、いつものようにニッコリ笑っている。

「生きて帰ってまいりました・・・・。」と私に向かって敬礼

「今年も信金さんの年金旅行必ず行くけんね・・・。」今度は私が最敬礼

 

今日もY理容店には、清々しく、やさしく、やわらかな風が吹いていた。

「大マスターお帰りなさい。良かったねぇ・・・。」

心の底からそう思った。

 

 

 


仕事をするひと

2012年04月17日 23時59分59秒 | 風竿日記

その人は月に一度会って酒を呑むという、この地方独特の呑み会サークル「三夜待ち」の33年来の信頼できる仲間でもある「Sさん」

今年で66歳になるSさんは、若い頃から実直・真面目・勤勉を絵に描いたような人

身内が経営する製材所の番頭さんを長く務めたが・・・・、

ウルグアイ・ラウンド以降の貿易の自由化による安い外材の進出に押された木材不況のせいで、40年ほど務めた挙句に会社は倒産し、失業の憂き目に・・・

退職金もない状態で、或る日突然、寒空に放り出された。

そんな酷い仕打ちにも、愚痴一つこぼさないSさんに歯痒さすら覚えた私。

その後、予てから手腕を認められていた同業者から拾われたが、やがてその会社も倒産の憂き目に遭い、「ほとほと俺はツイテない・・・・。」と例の呑み会合の折にこぼされたのであった。

しかし彼が愚痴をこぼしたのは、後にも先にもこの一回きりで

しばらくの再浪人の後、

ある建設会社の倉庫係兼雑作業員として転職の機会に恵まれ、製材所の番頭を務めた男にしては、下働きもいいところで、甚だ不本意な仕事であったろうがと思っていたのだが・・・・。

それでもSさんは、仕事ができる喜びをトツトツと話されていたものである。

そんな彼がいよいよ、この3月で第三の就職先であるその建設会社を退職されることとなった。年齢から最終リタイアを決めたようで・・・・。

それで若い新入の従業員に仕事を引き継ぐこととなったのだが、引継ぎ期間中、その若い新米社員は・・・・

「チェツ、こんなつまらない仕事に回されて・・・ツイとらん・・・。」

と不満をこぼしていたらしく、案の定1週間で辞めていったというんである。

ほどなく代わりの引継ぎ社員が配置換えでやってきて、Sさんは無事に大過なく任された満期奉公して仕事を為し終えたのであった。

 

ところが2年前に他界された、Sさんを採用した社長は、この仕事の大切さをよく判っていて、陰日向なく働くSさんの存在をとても大切にしていたんである。

死の床に就かれていた社長さんをお見舞いにお伺いした折のこと、共通の知人であるSさんの仕事振りに話が及んだ。

「尾形君、仕事というのは段取り七分、キチンと整頓されている倉庫に資材、Sさんの仕事はプロのそれなんだよ・・・。これで時間に無駄がないし、能率が上がる。建設業はこんな裏方の存在がとても大事なんだ。」

「しかも仕事が手際よく、空いた時間には頼みもしないのに、草刈りまでやってくれているのだ。私はSさんを入社させて本当に有難いと思っているよ・・・・。」

旧知の社長さんの言葉は苦労人らしく不思議な説得力があった。

競争の激しい建設業の世界、営業や技術力にばかりスポットライトがあたる中、

この社長さんは、ちゃんと見るべき眼を持っておられるなぁと、感心させられた。

 

     

4月の花見を兼ねた定例会合でSさんとお会いして、若い頃から55年にも及ぶ長いご苦労を心から労った。

 

そしてその時初めて在命中の頃の社長さんの先ほどのお話を、退職されたSさんにしてあげた。

「Sさんは仕事の達人だと言っておられたよ・・・・。仕事人の鑑と・・・・。」

 

Sさんは製材業で鍛えた大きなごつい手を震わせて私の話を黙って聞いていたが、

やがて、見る見る間にSさんの目から大粒の涙が溢れ出たのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 


マイコちゃんのお家カフェⅡ

2012年04月16日 22時50分01秒 | 風竿日記

ということで、マイコちゃんのお家カフェは・・・・・・・、

色んなリラグ゜ぜーションスタイルがあるのだ。

 

日曜日の昼下がりに本を抱えて読書するも良し。

ピアノを弾いても良し。

置いてあるJazz Guitarを爪弾くも良し。

という、とても自由なお家の居間のような、くつろいだ雰囲気の場所。

くつろぎついでに、泊っていっても・・・・それはご勘弁下さい。

テラスで冷たいビールを呑むも良し。

風に吹かれながら煙草をくゆらせるのも良し。

真夏はパンツ一枚でソファに寝転がっても・・・いけません。

恋人同士で訪れるマル秘なスポットでも良し。

ただし、上の写真は年齢が離れすぎとりますが・・・・。

友達同士ダべるのも良し。

コーラスの練習をするのも良し。

ただし、ホモセクシュアルはご遠慮下さい。

ブティック「マイコ」で可愛い服を見つけるのも良し。

洒落た小物もあるらしいよ・・・・。

この日おじさん二人で、可愛いパンティを探していたが・・・無かった。

そんなステキなリラグぜーション・スペース

それがマイコのお家カフェ・・・・・・・。

久しぶりに女性とツーショットで、柄にも無く照れるおじさん

La Casa Maria   嬉野市 ℡0954-43-3634

営業時間11:ooam 20:00pm 夜は予約制になりますとのこと

「ランチメニュー」 ・・・・・いずれも1000円・・・・がオススメ

スパイシーインドカリーセット   サラダ&珈琲+笑顔付き

タイ風カリーセット         サラダ&珈琲+愛情付き

バターチキンカリーセット     サラダ&珈琲+ウインク付き

 

パスタもあります。・・・マイコの機嫌が悪い時は少し麺が固い事が・・ 

どうぞ皆さん嬉野にお越しの節は一度お運びくださいませ。

本場カナダから直輸入のエクストラ・バージン・メイプルシロップも取り扱っておりまする。

月に一度はライブもあって、店内は自由の風が吹いておりますです。ハイ。

ではでは、その荒木眞衣子をご紹介致しましょう。


凄いプロミュージシャンとの競演、相当緊張しているのを差し引いて聴いてくだしゃんせ。 

 

 


お家カフェというカフェ

2012年04月15日 23時59分59秒 | 風竿日記

嬉野市ににあるお家カフェ「ラ・カーサ・マリア」はMaimioという二人組ユニットの相棒である

荒木眞衣子のお店である。

昨年の10月にオープンしたカフェ&ブティック&ライブハウス

 

ここのオススメはスパイシーインドカレー

眞衣子のこだわりが究極のカレーを生み出した。

あっさり、さっぱり、淡白女子のカガミともいえる彼女にしては、こってり煮込んだ熟成の味

お酒も呑めるのが嬉しいんである。

難点はタバコが吸えないこと・・・・・外のテラスでということになる。

 

彼女は現在歌に夢中で、ジャズ・シンガーとしていつかプロデビューを夢見ているらしい。

しかし一見派手に見える眞衣子だけれど、実は近所の寄り合いにも、婦人会にもちゃんと顔を出すカントリーウーマンでもあるのだ。

ちょっと見では、生活感の無い女性だから、料理も下手だろうと思っていたら、いつぞや、鯖の煮つけをご馳走になった時など、

その昔、「おふくろの味食堂」で食べた深い味なので、驚いてヘタヘタとその場に座り込んでしまった程なんである。

そんなこともあり、毎月アコースティックなライブも開催されていて、ちょっとした佐賀のジャズライブスポットに加えられた。

店内は洒落たレディス・ファッションで彩られたブティックのコーナーもあり、多くの女性でごったがえしている時も・・・・。

営業時間は基本的に毎日・・・・。

たまに留守をなさいます時がございますが、そこは女王様のご気分次第のところもあり、ご勘弁下さいませ。

皆さん「La Casa Maria」宜しくお願いします。