風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

K・I・T・S・U・I

2014年08月31日 19時41分47秒 | 風竿日記

きつい、やみくもにきつい。とにかくきつい。だるい。

帰ってきて水のシャワーを浴びたのだが、それでも顔が火照る。

今朝は、早くから「温泉deビートルズ音楽祭」のプレイベントで武雄競輪場へ。

音響の設営のお手伝いとそれに演奏、撤去のお手伝いに

最近腰が痛くてならないのだが、スタッフ人手不足の折ということもあり、老骨にムチを打ったのだが、やはり腰が痛い。

それでもエレピとスタンドと椅子、ギターにエフェクター、その他モロモロを一式積み込んで武雄競輪場へ

残暑厳しいとはこの日のことを言うのだ。

荷降ろしとセッティングですでに汗ビッショリの状態。

酷暑の中、何とかセッティングが終わり、午前10時半にステージが始まった。

僕達のバンドは三番目の出番で13時半からとのこと・・・・。

朝飯も食わずに出かけていたので、腹ペコの上、暑いので水分補給も大切なのだが、

そこはボランティア出演なので、すべて自前なのは判っていたが、場内の焼きソバ屋さんは長蛇の列。買える状態ではないし・・・・。

飲料の自販機も売り切れ状態で、最悪の事態なんである。

とうとう昼過ぎのステージに立つまで、米粒の一つも口に出来ない、雨水の一滴も呑めない状態で、そのまま45分の演奏をやった。

喉がカラカラ、お腹はペコペコ、熱中症のようなダルさまで追い討ちをかける。

いやはや何とも辛いライブでありました。

博多からの素晴らしいバンド、「ザ・トリビューツス」がビシッとビートルズスーツをきめて、文字通りトリを務め、その後撤収作業へ・・・・。

すべて終ったのが16時だったから炎天下の8時間は体に応えた。

相棒の高齢者岡ちゃんも、ヘロヘロの状態であったらしく、しきりに「きつい、きつい。」を連発していた。

岡ちゃん64歳、私62歳、二人で126歳

そろそろ引退が近づいていることを実感した次第。

本当にバンドは体力が要るのであります。楽しさとのバランスも課題となってきました。

リードギターの中島君も朝からの手伝い組

黙ってお手伝いをしていた口数の少ない彼も大変だったことでしょう。

無理させちゃってゴメンなさい。

リーダーとして反省してます。

 

 


はなちゃんのみそ汁

2014年08月30日 11時17分26秒 | 風竿日記

土曜の朝、朝食を済ませ、いつものようにグータラ亭主を決め込んで、リビングのテレビの前でゴロリと寝転んで何気なくテレビを観ていた。

どこのチャンネルもくだらないバラエティー風の旅番組。

日テレ系だけ何かいつもらしくないドキュメントが報じられていたので、ここでチャンネルを固定。

それでも、テレビを観るわけでもなく、今日の日程をチェックしたり、相変わらずの相談事の手配などをしていた。

断片的にテレビのナレーションが聴こえていたのだが、思わず私の琴線に触れるキーワードが飛び込んできた。

「癌を発症して、一人娘のためにブログを書き出した・・・・。」

「音楽が大好きでピアノを弾いて歌を唄っていた。大好きな歌は、花みずき・・・・・・。」

「自分はまもなく他界するので、娘さんを自活させるために4歳から台所に立たせた・・・。みそ汁の作り方を厳しく教えた。」

「早寝早起き玄米生活というブログ・・・・」

「娘さんのはなちゃんが5歳の時に他界、享年33歳・・・・・。」

などなど・・・・。

自分の環境ともいくつかリンクしていたからだろうか、

いつしかテレビのドキュメント番組を正座して観ていた私。

私の母は当時7歳の私と2歳の弟を遺して32歳で他界したのだ。

遺して死なねばならない運命と、子供に対する想いを切々と大学ノートに綴っていたことが思い出された。

次々に泪が溢れ出て、鼻水と涙の大洪水に陥っていた。

愛娘はなちゃんとご主人を遺して若くして旅立たねばならなかった安武千恵さんの心中、察するに余りありである。

このお話は、実話ドラマとして本日30日土曜日の日テレの24時間テレビの中で放映されるのだという。今夜の9時頃だと伝えていた。

題して「はなちゃんのみそ汁」

単行本も出版されているという。早速アマゾンで注文した。

日本人の二人に一人がガンで亡くなっている中、この厄介な細胞の病気を今更ながらうらめしく思う。

武雄市ではガン撲滅運動が定着化してきた。

前川育先生と中川恵一先生を紹介して良かったと思わされているが、「早期発見早期治療」に尽きることを、もっと幅広く訴えていかねばならないと思わされた。

 

さて、感動の涙は心に堆積したゴミを取り払ってくれるというから、今夜は精々心の洗浄をしようと思う。

奥様が亡くなられてその後ご主人が引き続いておられる人気ブログはここです。

「早寝早起き玄米生活」

 

こりゃー遅寝早起き、不規則な食事の妻にも見せなきゃ・・・・・。

 

 

 

 

 


48年ぶりの約束

2014年08月29日 23時21分44秒 | 風竿日記

中学校を卒業して48年になる8月のある日

クラスメイトが突然に集まろうと言い出した。

消息不明の同級生多数、特に高校が別の仲間はどこに居るのかすら判らない始末。

それでも、46名のクラスメートのうちの11人が武雄の京都屋さんに集まった。

みんな還暦も過ぎてリタイアしているのかと思っていたら、さにあらず。

しぶとく社会からはじき出されずに頑張っているんである。

サトウ製薬の営業の第一線で頑張る人

パナソニックの営業の第一線で頑張っている人

実家の肉屋さんを支えている人

東京でIT関係の社長さんをやってバリバリ現役で頑張っている人

地元の大手飲料メーカーで重役を務めている人

人それぞれに頑張っているんである。

今は無き鹿島中学校3年1組の仲間との再会は48年ぶりの人も居て、その懐かしさは筆舌に尽くし難いものがある。

お互いの人生を尊重しあい、健闘を讃えあった。

土足で上がり込むような厳しい質問も投げかけられたりしたが、そこはクラスメイトの無遠慮さなんである。

みんな笑いあって、話はゴム毬が部屋を突きぬけるように弾んだ。

みんな大人なんである。

 

久しぶりどころではない逢瀬に、それぞれが酒の肴になり、語り合った。

時空などクラスメイトには関係なく、瞬時にしてあの時に舞い戻った。

もう50年前になろうとしている、些細な出来事をみんな鮮明に覚えているんである。

そしてみんな思いの外、若かった。

還暦をすぎてもまだ生きていたら必ず会おうね・・・・・。

誰かがそう云っていた気の遠くなるほど昔の、もう錆びついていた玉手箱のような約束を果たし合った、贅沢で豊穣の夜であった。

もう、残り少ないかも知れないから、今からは毎年会おうね。

3年1組だから、毎年3月1日に会おうね。

そして、新しい約束は生まれたのであった。

 

 

 


思索する犬

2014年08月26日 23時38分48秒 | 風竿日記

このところ体調が頗るつきで思わしくなかったレオンなのだが、

少しづつだが、徐々に回復の様子で、ホッと胸を撫で下ろしている。

体調は悪かったものの、神経はしっかりしていて、我儘傲慢で怠惰なグータラ亭主の不機嫌な顔を黙って覗き込む。

ちょっとでもイライラしようものなら、すぐ彼には判ってしまうらしい。

「どうしたの・・・。そんなにイライラしても始まらないよ・・・。」

そんな顔をして私を見上げるのだ。

こいつ、何でも判っていやがる。

と、ドキリとすることが多いのだ。

犬もストレスが多い動物なのだそうだ。

神経の細やかな人間という、実に複雑で難しい動物と付き合っているからなのだろうか。

我が家に来て以来13年になるが、幼少期の2年ほどを除いて、そのうちの大半はゲージの中暮らし。

仕事戦士の飼い主だったから、来た家が悪かったのだ。

しかし、独り暮らしをする筈だった私は彼から掬い取られた。

我が家にもお嫁さんがやってきて、彼の心配をしてくれる人が二人になり、これからは淋しい思いも少なくなると思った、そんな矢先

持病の心臓弁膜症に、脊髄ヘルニアからくる左足の麻痺に加えて、精巣癌を患っているというので、三重苦に苛まれているにも拘らず、

私達夫婦の鎹(かすがい)となって愛嬌を振りまいてくれている。

体がきついくせに、帰宅すると尻尾を千切れんばかりに振りながらジャンプして喜びを露わにして駆け寄ってくる。

その度に、ああ、我が家に帰り着いたのだという気になるのも、彼の気配りなのだと思わされている。

黙って彼の眼を見つめていると、何か深い思索を重ねているような、そんな目をしている時がある。

それは獣と人間という間を越えた・・・・・、

生き物としての共通の何かを感じさせずにはおかないほど、

瞳の奥に透徹された思索の存在を感じずにはおれないと言えば、それこそ親馬鹿ならぬ、飼い主バカだと笑われるのだろうか・・・・。


音楽

2014年08月25日 23時59分08秒 | 風竿日記

いい歳をこいて音楽をやっている。

武雄では、周りの理解もあり、

「あらいい趣味ですね・・・。」

と云って貰えるのだが・・・・、

鹿島からの二人の仲間はそうではないらしく、

「仕事は忙しかとに、まーだ、こぎゃんチンドン屋の真似事ばしょっとかい・・・。」

と、一笑に付されるのだと、ぼやいていた。

武雄と鹿島とそんなに変わった環境ではなかろうに、そう云えばライブの出来る環境は大違いではある。

そんな、チャラチャラした浮ついた気持ちで音楽と向き合ってはいないのであるが、何か後ろ指を指されているような気分になるのだという。

もう、還暦も過ぎたのだから、もう人の云うことをいちいち気にするなとリーダーとして言い放ったのだが、

鹿島という保守的な土地柄のことは判らなくもない。

そこは育った町であるからだ。

たしかに音楽文化では武雄に軍配が上がるように思える。

 

音楽というものは、よし、これで掴んだと思った瞬間に、スルリと逃げていくものだ。

 

ひと山超えたら、また目の前に高い山がそびえ立っている。

超えても超えても、山また山。

例えば熱唱しようと力むと、まったくのぶち壊しになってしまうし、軽く唄うと聴衆に魂が届かない。

挑んでも挑んでも打ちのめされながら、少しづついい音楽が醸成されていくもののようだ。

何度、バンドやってて良かったと自分達の音楽に感動しただろうか。

しかし、優にその3倍は落ち込んだ結果なんである。

アマチュアバンドのアンサンブルとはそういうものだ。

年齢からくる経験は、テクニックで誤魔化すことを教えてくれたのだが、その分パワーは確実に無くなっていくし、

規則正しい生活で、基礎体力をしっかりしていないといい音楽は作れないのだとも思うようになった。

そんな歳に差し掛かっているのに、まだまだ挑戦したいという意欲は衰えることがないのが、この高尚な趣味の魅力であろうか。

相棒の岡ちゃんは今年65歳、私が10月で63歳、一昔前ならば腰が曲がった爺さんであったかも知れない年齢なのだが、

まだまだ演奏したい曲が山のようにある。

それがビートルズの魅力なのだ。

そしてこの山は高い、極めてとても高い山だ。

まだ一合目の登山口でウロウロしている私達のバンド

人目など気にしてられるか・・・・。

真剣に追求しないと頂上の景色は見れないんである。

しかも走らないと・・・・・・。

もう、そんな歳なんである。

ああ、いい音楽を創り上げたいものだ。


海と汐風のスパ

2014年08月24日 21時18分41秒 | 風竿日記

私の親友、柴山昌樹君はすんごい男なんであります。

初めて会ったのは30年前、平戸の志々伎で磯釣りセンターを営んでおりました。

白あじか丸という600馬力の瀬渡し船で、五島列島まで私達欲の塊である釣り人を運んでくれておりました。

当時から豪快一本の海の男で、まあよく呑んだものであります。

「まあ、尾形さん見とっておくれ、おりはねえ、日本一の瀬渡しになるとやけんなぁ・・・・・。」

呑んで明日の方向を見つめながら、よくこう云ったものであります。

それから田平に移り、あじか磯釣りセンターに改名

それからあれよあれよという間に、男女群島まで航路を伸ばし

抱える瀬渡し船も7艘を数えるまでに頑張って、文字通り日本一の瀬渡し業者に上り詰めたのでした。

因みにこのあじか磯釣りセンターの命名者は私、尾形風竿。

もうこれで人生仕上がったねと思っていたら・・・・。

何と、くたびれた建物の国民宿舎を買い取ってホテル業にも進出。

平戸天然温泉、海と汐風のスパリゾート平戸サムソンホテルを新築して連日満員のお客様に囲まれたのでした。

そして今年の4月には、まるで体育館のようなバイキングレストランを平戸瀬戸が一望できる場所に新築したのであります。

そこは豪華そのもの、山のようなタラバ蟹や定評の平戸牛などの豪華グルメ料理のバイキングは最高・・・・。

しかも連日ショーが繰り広げられておりまして、本当に豪華絢爛凄いんであります。

実は9月6日の土曜日に開催される、私のちょっとしたパーティの打ち合わせに出向いた日

滅多に晴れ間の無い今年の夏の、耽溺の夕陽をレストランから眺めて平戸牛に舌鼓みを打ったのでした。

その夕陽は、この世のものと思えない美しさ

平戸小富士が燃えているのではという見事さ・・・・。

呆れて見とれていると、あっという間にトワイライトタイムに突入

これがまた素晴らしかった。

そして実は、このムーディなレストランでパーティは催されるのです。

なんとも、もはや、こんな素晴らしいロケーションの中で・・・実に有難い限り。

一生涯かけて発掘してきた気のおけないたくさんの仲間と一緒の時間を共有することができるなんて・・・・。まさに人生の至福。

厳選した仲間ですが、北は東京、南は鹿児島まで200人を軽く超える仲間と再会できるのは最高の喜び。

他の信用金庫の友人たちも駆けつけてくれるというから、本当に嬉しい限りなんであります。

特上の景色を愉しみながら、昼も夜も呑んで語り明かしましょう。

井田ちゃん、寺地ちゃん、青木君、石田さん、愉しみに待っておりますよ。

しんきん最高顧問会議の皆さんもお待ち申し上げております。

宿泊してくれる音楽の仲間のみなさんも・・・・・・。

極上と究極の極致のバイキングを愉しみましょうね。

 

 


ミュージック・イン・タケオ2014

2014年08月23日 00時17分47秒 | 風竿の音楽夜話

8月23日・24日の土日はミュージック・イン・タケオが開催される。

思えば1981年8月2日に八幡岳のキャンプ場でやった野外初ライブがミュージック・イン・タケオの始まり

当時は勿論若かったのは云うまでも無いが、日本のウッドストックの再現と張り切っていたことを思い出す。

その時の貴重な写真がございます。

私めは右の前方の首に何かを巻いている紺色の短パン姿、もちろん痩せておりますとも・・・。

まだ28歳でありました。いやー懐かしいというか・・・・。何と云うか。

それを復活させたのが友人の山下光男君、今年で6回目となるというから、早いものだ。

1回目、2回目と出演させて頂いて、今回は久しぶりに私のバンドも参戦することになった。

雨に祟られながらの会場設営も大変だったろうと、ささやかな差し入れを持ってちょっとお手伝いに行った。

独りでボチボチと設営していくのが、何より楽しいのだという光男君はやっぱし孤軍奮闘していた。

少ないお手伝いのスタッフに混じって、我が息子も黙々と手伝ってくれていたのには、少し驚いたのだが、とても嬉しかった。

コンサートを手づくりで創り上げていくのは、とても大変なのだが、その苦労を知る人は意外に少ないものだ。

いい経験になるだろうと、一人ほくそ笑む。

私達の出番は23日土曜日の三番目、13時半くらいだろうか・・・・。

今回はビートルズ以外の曲を多く準備した。

プロコルハルムの名曲「青い影」やアニマルズの「朝日のあたる家」などの懐かしいナンバーもやる。

どうぞ、武雄温泉保養村多目的広場に遊びにお出で下さい。

入場は無料であります。

今日は温泉deビートルズ音楽祭のプロモーションビデオも撮影された。

冒頭の写真がそれである。

8月から9月にかけて武雄は音楽の街へと変身するのだ。

是非武雄温泉に入って音楽に浸って頂きたいものである。

 

さて、雷雨の酷い昨夜・・・・、

撮影も、設営も、天気が何よりの薬であるとしみじみ思わされた一日でありました。

 

 

 


退任とささやかなご披露のパーティ

2014年08月21日 15時36分38秒 | 風竿日記

まったくもって申し訳の無い話なのであるが、友人たちの皆さんに押し切られてささやかなパーティを開くことになった。

というのも友人の1人で平戸サムソンホテルの柴山社長が、

びっくりするような大仕掛けのバイキングレストランを新築したことから、このプロジェクトが始まったんである。

人と人を結びつけるのが得意の私

佐世保のブライダル総合企業さんとサムソンホテルのブライダル部門の充実を図るというマッチングを実践していたところ・・・・。

あろうことか、話の彩で私にお鉢が回ってきた次第。

 

 

ということで、結婚後1年も経過したのに、ヨメさんの披露をしろ!

ヨメさんの顔もご披露しなさいということになってしまった。

呼ばれる皆さんに、今更ご負担はお掛けしたくないということで、何とか会費制にして頂いたものの、申し訳なくて穴があったら入れたい心境。

 

派手な衣裳は着ないと宣言していたのだが、そこは貸衣装屋さんのこと

主役が目立たなければパーティになるもんか・・・・と説得されて

一応最低限の衣裳だけはと譲ったのだが、それでも痛い出費なのだ。

それでもヨメさんはどことなく嬉しそう。

お色直しなんて無しだぞうと釘を刺したのだが、女は着付けに髪と実に大変なんである。

友人を主体にお客様が約200名も集まっていただくことになった。

お世話をして下さる発起人の皆様に申し訳なく有難く、しかし気恥ずかしく、実に妙な気分なんであります。

昼のパーティに来れない人も夜には泊りがけで駆けつけてくれるというし。はるばる東京や名古屋、大阪からまでやってくる奇特な友人もいて、本当に申し訳なく思わされております。

いい歳をして・・・・というのはよく判っているのですが、まあ成り行きなんですなあ・・・・。

9月6日が来るのが怖い。

 

追伸 パーティ前に衣裳を公開するなんて・・・・とヨメサンに叱られましたので・・・・修正、当日までのお楽しみということで・・・・。ゴメン

 

 

 


有難さが身に沁みる、もう秋だ。

2014年08月21日 00時55分29秒 | 風竿日記

昨日は佐世保で33回目の慰労会を開催して頂いた。

佐世保に出かけようとしていたら、福岡から来客あり。

餞別の想いをわざわざ届けに来て下さったのだった。

雨の中、恐縮して佐世保に出向く。

わざわざ長崎から業界がとてもお世話になっている協会の実務ナンバーワンの役員様自らが音頭を取って労っていただいたんである。

その後は二次会でとても会いたかった男と再会、三次会でも兄弟仲の社長さんと再会。

一昨日は武雄で「兄弟付き合い」のお仲間から妻まで加えて頂いての慰労会を開いて頂いたのだから、本当に申し訳ない限りなのだ。

男冥利に尽きるとはまさにこのこと・・・・・。

ただし、多くの慰労会は借り物であるから、私もその時節到来の折にはきちんとお返しをせねばならないのだと肝に銘じている。

これで後数回を残すのみとなった私の慰労会であるが、都合38回を数えることとなった。

その度に問われるのは決まって「何故辞めたの。」である。

「ウフフ・・・悪いことをして辞めたんじゃなかバイ」と笑って誤魔化すのだが、今は黙して語らず。

驕らす、高ぶらず、相手様を慮り、やってきたつもりではあるが、時には短気を出したかも知れない。

大仰でいい加減なところもある癖に、妙な拘りもあるヘンな男なので、周りの人に嫌な思いをさせたやも知れないが、

それでもこんなつまらない男の退任に38回の慰労会は、勿体なさ過ぎるんである。

   

今年は8月10日から庭の虫が鳴き出した。

お風呂に入りながら、軒下の叢の虫の声を聴くのがなによりの愉しみなのであるが、今年は少しそれが早かったような気がする。

もう秋である。

雨ばかりが降り続いて、今年の夏はどこに行ったのかと思う日々が続いたものの、やはりもう秋である。

虫の音は正直なのだ。

そんな秋の夜長は、人様の有難さが身に染み入るばかり。

お酒のように五臓六腑に染み渡るのである。

 

 

 


平凡なる非凡

2014年08月19日 15時35分19秒 | 風竿日記

外は相変わらずの雨、雷も鳴っている午後。

ふと、去年の今頃の写真をめくりなおしてみた。

食卓の上に置かれた胡椒と葡萄の写真

並べられたスリッパ

大写しの巨峰

なんの変哲も無い日常が撮られていたのだが、

思わずジーンとしてしまうのは何故だろう。

日々、是変わったこともなく、静かに穏やかに暮らしていること。

このスリッパはすでに履き古してしまって今はないけれど、

相変わらず妻は絵音の創作活動に夢中で

私は仕事を辞めて浪人暮らしなのだけれど

一日はひとときも休まず巡り来ては去っていく。

 

平凡な日常の中に有難さを感じる。

平凡なことがとても大切なのだということを知ったこの頃

雨が降り続くことを除けば何と幸せなことであろうか・・・・。