風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

Hey Judeを某テレビで唄う

2012年09月30日 23時59分59秒 | 風竿日記

某国民的なテレビ局の番組に出演することになった。

エドサリバンショーではないが、温泉deビートルズ音楽祭の前触れとしていいタイミングなのだ。

演奏曲目は2曲ということで

ビートルズがやってくるYAHYAHYAHのテーマ曲「A Hard days night」

そしてロンドンオリンピックでポール・マッカートニーが唄った「Hey Jude」

をやることに・・・・・。

詳しくは番組編成の都合で、これ以上は書けないのですが、生放送なんであります。

10月2日(火)午後6時半頃、某国民的な放送局をご覧頂きたいと存じます。

わずか数分の出番となりますが、武雄温泉の宣伝と、温泉deビートルズ音楽祭の宣伝をしっかりとやる予定です。

ぜひテレビの前でお会いしたいと思います。

よろしくお願いします。

<!-- Paul McCartney (ポール・マッカートニー) Hey Jude -->

さて、温泉deビートルズ音楽祭実行委員会ではただいま、運営資金ご協賛のお願いに奔走中

どうか、皆様のご理解とご協力を切にお願い申し上げます。


歩く

2012年09月27日 21時52分52秒 | 風竿日記

今日は快晴の秋晴れ、日中は29度近くまで温度が上昇した。

佐世保地区のお客様回りはまだ続いている。

本日は朝から相浦地区のお客様を・・・・・。

「一番苦しい時に助けて貰ったから信用金庫じゃなからんばね。」

「お宅のMさんが、自分のことのように心配してくれてね。あん時のことは一生忘れきらんよ。」

「もうかれこれ50年からお付き合いばしよるとよ。本当に色んな職員さんにお世話になってきたバイ。」

 

私はクリスチャンの結婚式で新郎新婦に対して、神父様が問い質すあの台詞を思い出した。

「病める時も、健やかなる時も、汝はこの女を愛するか・・・・。」

お客様にお取引をして頂く、とりわけご融資をするということは、まさにそういう覚悟がいるのである。

ある石油店にお伺いした時のこと、

船会社の倒産で途方も無い気の遠くなるほどの焦げ付きが発生した時、大きな地銀はとても冷たかったのだが、信用金庫さんが一番始めに一緒に頑張って行きましょうと云ってくれた。

再生計画を立案しながら、

「毎月これだけ頑張れば7年で何とかなるよ・・・。」

と支援課のMさんが道を示してくれた。

それで

「よーし・・・。ということになり、家族で頑張って5年で目途をつけたんですよ。」

経営者のお顔の皺に、ご苦労された跡が刻み込まれていた。

しかし、とても優しく、清々しく、何より自信に満ちておられた。

今は退職されている先輩Mさんの渥美清に似たお顔が、キラキラと輝く相浦の岸壁に浮かんだ。

 

・・・・・・そうなのだ。

この先輩達の苦労と汗を、私達は信用金庫の想いとして、永遠に受け継いでいかねばならないのである。

人情の機微に触れることによって、自分も教えられていく。

商業はすべからく中央資本化して、淘汰の波に晒されている地方経済の厳しい世相の中ではあるが、

だからこそ、相互扶助の美しい花を咲かせるために・・・・

病める時も、健やかなる時も

迷わず「信用金庫したい」ものである。

 

 

 

 


彼岸花

2012年09月23日 23時33分30秒 | 風竿日記

末弟の一周忌法要を滞りなく済ませた。

彼の名前は「賢徳院覚道彰慈居士」

彼岸花が咲乱れている一年前のこの時期に、一人旅立って逝った弟のよすがを考える一日でもあった。

歳が11歳も離れている末弟とは、べったりと絡み合うような少年期は送れなかった。

父が亡くなり、血縁の母と一緒に暮らし、実家の跡を執ることを勧め東京から呼び戻したのは長男たるこの私。

彼の死後、弟には東京でやりたかったこともあったかも知れないと後悔もした。

歴史と国語に強い弟であったが、一周忌にかけつけてくれたご友人の方々から聞く話には、私の知らない伸び伸びとした弟が生きていた。

「国語だけなら東大にも合格したと思いますよ・・・・・。」

実は不肖私も国語だけは学年でトップクラスだったのだから、片方の血といえども、どこかでちゃんと繋がっていたのであろう。

終日末弟のことを思った一日となったが、それも供養というものであろう。

病に侵されていた弟を救えなかった後悔と、頑固でいうことを聞かなかった晩年の彼も、昔は兄のいうことをちゃんと守るいい弟であった。

亡くなって日が経つにつれて、人間は美化されていくものなのだろうか。

亡くなってこの方、実に大変であったのだが、今は正直、哀悼の念しか浮かんでこない。

願わくば煩悩と苦難に満ちた此の岸を離れ、仏教でいわれる悟りの境地の西方浄土のある彼岸へ安らかに旅立ってくれているものと信じたい。

その意味ではお彼岸の過日に一周忌を営んだのは良かったのかも知れない。

生あるものは必ず滅する日が来るのであるが、お彼岸になると時を忘れずに、一斉に咲く彼岸花はその極楽浄土に誘う花であろう。

何とも、不思議な花である。

 

「ああやんと」、老婆がむぞがる姿映ゆ 彼岸花の雫の一滴

 

             

 

忘却の彼方の便り届きたる 郵便色の赤い花咲いたよ

 

 

清らかなる心を磨くうつせみの修行は尽きぬ岸から岸へと

 


土佐のくじら

2012年09月22日 23時59分59秒 | 風竿日記

胃の中にひそかに生息していたピロリ菌を退治したからだろうか

このところめっきり酒量が上がってきたんである。

もとより、地域密着を標榜している仕事柄、色んな場面で呑み会が多いときているから、それはそれで喜ばしいことではある。

金曜日は、長崎県信用保証協会さまの60周年記念パーティ

地元地銀の頭取さんを始めに、200名を超える経済・金融関係者が佐世保市内に集結して、記念講演を拝聴した後、懇親会に突入して60周年の節目を祝ったんである。

佐世保市では人縁が薄いと思っていたのだが、圧倒的な力を誇る地場地銀のある支店長さんが声をかけてきた。

「風竿さん・・・・お久しぶりです。お元気でしたか・・・・。」

振り返るとそこには懐かしい顔が・・・・。

かって磯釣りの世界で同好の士であった高野さんであった。

彼はいまだに月刊釣春秋の執筆を続けているという。

これは強い味方が現れたものだと嬉しくなった。

しかも佐世保市内の支店長を務められているんである。

近々ご指導を仰ぐ約束をしたのは勿論のこと、久しぶりに磯釣り同行の約束までしてしまった。

佐世保では天涯孤独の身だと思っていただけに、有難いお人の出現に世の中捨てたものでもないなと、改めて思わされた。

パーティでは沢山のお方と名刺交換をして、大いに交流を深めた。

中でも長崎県の町村会長を務められる波佐見の一ノ瀬町長さんとは久しぶりの再会。

若い頃に、地域振興と町おこしの勉強会で、机を並べた仲だったのだ。

困ったことがあったらいつでも出ておいで・・・・。町長さんは優しく云ってくれた。波佐見は佐世保市に隣接する町。

ここにも強い味方がいらしたんである。

 

本部車が迎えに来てくれて、武雄まで帰り着くと、まだ八時である。

友人からの(有難い)お誘いもあって、久しぶりの夜の武雄の檀家回りをすることに。

武雄のメインストリートはかねてより道路工事中であったが、反対車線の工事がスタートしていて、違う町にきたような気持ちになる。

慣れ親しんだ町であるが、しばらく離れただけで、変化しているのに気付くと、浦島太郎になったような気分。

友達との楽しい語らいもあってか、二軒ほど飲み歩いて、腹の底から「笑い酒」、久ぶりにカラオケも唄いあい、1時過ぎに代行運転のお世話で帰宅。


 

そして本日はお昼から信用金庫の職員の結婚式であった。

最近涙腺がめっきり弱くなった私は、イチイチ結婚式のセレモニーに過剰反応して、ここでは「涙酒」

信用金庫の職員もたくさんお招きに預かっていて、ビール・日本酒・ワインに焼酎と、注ぎに来るので、杯を置く暇もないほどの「チャンポン酒」

結婚式が終って武雄に帰りつくと、これまたご丁寧というか、ちゃんと若い職員を中心とした二次会が設定してあり16時から宴会再開

 

ここでも若手を主体に24人が集結して和気藹々の大宴会に突入

結局20時を回ったところでやっと1本締めで散会となったのだが、私は同僚の誘うままにもう一軒、さらには締めのラーメン屋さんに寄って帰宅・・・・。

やっと轟沈した次第。

いやはや、噂の容堂、土佐のくじらでもあるまいに、ガッパガッパとよくも呑んだものである。

夜中2時半に目が覚めてから、ちょっとしたストレスもあり、今度は眠れずにこのブログに向っているという訳である。

勿論、老境に差し掛かるこの身、少しは節制をせねばと反省しつつの土佐のくじらなのである。

 

 

 


愛犬LEONの憂鬱

2012年09月20日 21時48分07秒 | 風竿日記

このところ佐世保勤務はいいのだが、呑み会が絡むと当然泊まることなってしまう。

そこで可哀想なのが我が家の愛犬LEON

朝夕の食事にミルク、トイレのお世話は近所の叔父さんが引き受けてくれるので大助かりなのだが、

一日中を狭いゲージの中で過ごすことになるんである。

飼い主としては実に心が痛むんであるが、仕事となれば致し方ない。

武雄の本店勤務だと呑み会があっても代行運転で無事に帰宅するのであるが、

佐世保はそうはいかない。

最終の電車が9時では・・・・・。

せっかく盛り上がった座がしらけてしまうのである。

ということで、一週間に一度位は佐世保に泊まることに・・・・。

家を空けた次の日、「ごめんね・・・・。」と帰宅すると、脱兎のごとくに喜んで纏わりついてくるLEON

どんなにか淋しかったのだろうと胸が締め付けられる。。

なるべく一緒に戯れてあげるようにしているのだが、当分彼の中の淋しい憂鬱は続くことになるのだろう。

その分、地域密着が勝負の信金マンとして頑張らねばと思わされている。

LEON君、明日の朝は口笛を吹きながら一緒に散歩しようね・・・・。

<!-- 口笛吹と犬 -->


チャイナリスク

2012年09月19日 22時00分00秒 | 風竿日記

今日は仕事の都合で佐世保泊まり。若手の職員の皆さまから歓迎の宴を催して頂いた。

安宿の一室でこうしてブログを刻んでいると、先ほどまでの語らいの余韻が掌に残っている。

若い信金マンとの酒ほど旨いものはない。

かって自分が歩いてきた道だとはいえ、彼らの悩みも辛さも痛いほどに判るし、彼らの眩しいほどの可能性もまたよく見えるからだろうか・・・・。

さて、日中関係なんである。

私の浅い経験値ではあるが、中国人はだいたいにおいて自己中心主義的な人が多いように思う。

旅先で大きな声で喋っているアジア系の人は大概中国人、もしくは韓国人

これは文化の違いなのだろうが、それはそのまま自己主張が強いということにも当てはまるんである。

中国全土で反日キャンペーンの真っ盛りであるが、これを単なる民衆のガス抜きだとしたら、世界中から国家のガバナンスの質が問われることになろう。

 

そしてこれだけ日章旗が燃やされると、眠っていたナショナリズムの火も点火しかねないことになる。

それにしてもいまさら毛沢東の写真はなかろうと思うのだが、抗日のシンボルという意味なのだろう。

ところが、この毛国家首席、周恩来首相の指導体制の時に国交が回復して、中国は日本の戦争賠償責任を放棄してくれたんである。

知日派の周恩来首相は、「恩讐の彼方に」という菊地寛の小説の話をして、すべて水に流そうと言ったのだそうだ。

何と大人の国なのだろうかと、当時しみじみと思ったものであった。

爾来、中国には好意的な思いでいた私。

どうして領土なんかがあるのだろう。すべて地球の所有物な筈。

キリストもブッダもモハメッドも隣人を愛せよと説いた筈ではなかったか。

力には力、攻撃にはさらなる攻撃、目には目を、刃には刃をとエスカレートしてしまうと、もう仁義なき戦いの、あのヤクザの抗争と同じになってしまうのである。

写真は日本が実効支配の証拠鰹節工場の跡

ジョンレノン教の私としては、中国人と一緒に「Imagine」を唄って握手したいところなのだが、国益というやっかいな世界がくっつけば、そうもいくまい。

頼みのアメリカは我関せず・・・・と中立を決め込んでしまった。

時の政権はまったく頼りにはならないし・・・・。

  

写真は尖閣神社での例大祭

 

で、その尖閣諸島、もう亡くなってしまった私の古い友人に、そこでこっそりと磯から大物狙いで魚釣りを人がいるのだが・・・・・、

それは凄い漁場で、アラ(関東ではクエという)の宝庫だと言っていた。

二十数年ほど前までは、こんな牧歌的な武勇伝が語れるほど静かな海だったんである。

 

同じ火種を持つ韓国もロシアもじっと静観を決め込んでいる。

それにしても、やっかいな国とやっかいなことになったものである。

 

 


念ずれば花ひらく

2012年09月18日 22時12分09秒 | 風竿日記

ご生前、薫陶に授かっていた、四国愛媛は砥部町の在住で、たんぽぽ堂の主にして、仏教詩人といわれる「坂村真民」先生のお言葉に『念ずれば花ひらく』というのがある。

正確には先生のお母様がよく呟かれていたとのことで、

私は先生が書いて下さった直筆の、墨汁たっぷりの、強いタッチの書を坂村真民全詩集と共に、今も大切に所有している。

尾形さん、何事も成就したかったら、朝な夕なに、そのことをただひたすら念じなさい。

ただし自分の小さな成功・栄達なんかはダメだよ。

その想いが天に届いた時に、ある日、人知れず、「フワッ!」と花がひらくものだ。

  

私の拙い詩もそうだよ。世の中のお人の幸せを、よりよい暮らしを念じてね、素直な気持ちでね、想いをそのままに描かせて貰っているようなものだ。

・・・・・御存命の当時は、毎月「詩国」という詩集が私の元にきちんと送られてきていた。宛名書きは坂村真民先生の直筆であった。

宛名書きも大切な仕事です。読者の御一人、おひとりに想いを込めながら、今月もまたこの詩国がかのお方に届いて、少しなりとも生活に潤いを与えてくれたら・・・と念じるのです。

それは修行でもあるといえます・・・・。.21

 

 

全国の購読者は千人を超えていただろうに、・・・・である。

しかも無料であり、時折切手を送るのみの私は、先生に対していつも頭の下がる思いであった。

 

私も佐世保市に赴いて、このところ毎日お客様へのご挨拶回りに明け暮れている。

一軒一軒、玄関に立つと、まず、背筋を伸ばしてから、お取引に対する感謝の想いと、お役に立ちたいという想いを念じて、お邪魔させて頂いているのだが、

お取り引き先様の応接室、あるいは玄関先、そこで座談という一種の修行を積み重ねているように思える。

「口は一つ、耳は二つ」の例えのとおり

基本は聞き役に徹して、座談が一方的にならぬよう気を配りながら、「間」を大切にして、相槌と言葉の合いの手を入れる。

若い支店長は自分が前に出て喋ろうとするのだが、相手様に気分良く話して貰うほうが情報もたくさん頂戴出来るし、何よりも会話が弾むものである。

そこに人間同士の信頼関係も生まれてくるし、ヒューマン・リレーションズもうまく回りだす。

 

「相互扶助」という信用金庫の理念に沿った美しい花も、そこに気分良く咲くのである。

自分のことを夢中になって喋っている時は用心せねばならない。

お客様回りは座談の修行と心得よ。

坂村真民先生の優しいお顔がフッと浮かんだ。

   

 

 

最後に、先生の詩作から私の好きなものをご紹介しておきましょう。

 

「鳥は飛ばねばならぬ」
              

                  坂村真民

鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒涛の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を
生きねばならぬ
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人も
一寸先は闇ではなく
光であることを知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ

 


10月はビートルズの季節

2012年09月17日 22時29分04秒 | 風竿の音楽夜話

今年はビートルズ結成50周年の記念すべき年だそうだ。

今から50年も前に結成されたグループの音楽が、世界中の人々から愛されているなんて、何て素晴らしいことだろうか・・・・。

しかも、ビートルズファンには三世代・四世代がいるというから、それは筋金入りなのである。

そんなビートルズをこよなく愛する人たちが、今年もこの秋、武雄温泉に集結するのである。

題して「温泉deビートルズ音楽祭」

10月13日から10月21日までの9日間、武雄温泉の街中のどこかでビートルズの音楽が、お湯と一緒に溢れているということになる。

その日程表はこうだ。

今年も全国から33バンドが参加してくれることになった。

泊りがけの参加者も多くて嬉しい限りなのである。

最終日には、あの世界が認めたトリビュートバンドThe PARROTSも、昨年に続いてやってくる。

今年はチケットぴあでもPARROTSのチケットが買えるようにした。

でも、福岡・北九州方面の広報が弱いのが玉にキズなのだ。

どうか福岡・北九州の読者の皆さん、PARROTSのコンサートのことを広めては下さるまいか・・・・。

風竿一生のお願いであります。

どうかよろしくお願いします。

 

 


風速四十五米

2012年09月16日 23時59分59秒 | 風竿日記

いやはや、とんでもないんである。

超大型台風16号、

九州の西岸を韓国に向って北進、風速45メートル、最大瞬間風速は55メートルにも達するというんである。

   

思い出すのは平成3年のこと・・・・。超大型台風19号が佐世保市に上陸してその東側に位置する佐賀県を襲った時のこと

その時に初めて経験した、最大瞬間風速60メートルという未知への遭遇と恐怖

何でも鹿児島県の航空自衛隊の基地では最大瞬間風速88メートルを記録したというんであるからまさに超凡破格。

電信柱が倒れ、家のガラスが内側にブワーッと膨れ上がった。

車庫は吹き飛ばされ、私はなす術もなく家の中でただオロオロするばかりであったのだ。

幼い頃の日活の映画に石原裕次郎主演の「風速四十米」というのがあったのだが、まさか映画の世界でもあるまいに、今回の台風もその規模だというんである。

    

はたして夜中三時頃であったろうか・・・・物凄い暴風の音で目が覚めたんである。

ちょっとした戸締りはしたつもりであったが、私の愚かな心の油断の隙間を突いて、台風の猛烈な暴風は容赦なく住宅ローンの残る我が家を容赦なく襲ってきたのだ。

以前に、我が家のささやかな庭・・・(ノルウェイの森と名付けている)の花ミズキが大風でなぎ倒された苦い記憶が甦り、

目をつむり再び眠ろうとするのだが、どうにも物凄い風にやり切れないでいた。

そこで、いいアイデアが浮かんだのがこれ・・・・。

今おじさんバンドで課題曲として選んだビートルズのRAINを、繰り返しモードで聴きながら、風の悪魔的なうなり声をやり過ごそうと試みたのである。

 


 

結果は半分は上手くいったのだが・・・・。

どうして半分かといえば、自分のパート(ジョン・レノン)のパートを集中して聴くあまりに却って目が冴えてしまったのである。

でもお陰で少しは暴風の恐怖を忘れることができたのが正解。

  

しかし、今日が敬老の日で、仕事がお休みなので助かった・・・良かったと心から思う。

こんな暴風の中、片道50キロの高速道路運転はちょっと怖い。

まあ若い頃の石原裕次郎みたいに無鉄砲なナイスガイなら、なんてこたぁないのだろうけれどね。

「馬鹿野郎風速四十五米がなんだい。はははははっ。」


今夜には朝鮮半島に過ぎ去ってしまうのだそうだが、貧しい人々が暮らす北朝鮮に被害が出ぬように祈るばかりである。

 


㈱たび寅九州支店開設歓迎パーティ

2012年09月14日 23時14分01秒 | 風竿日記

九州ひぜん信用金庫が積極的に行っているビジネスマッチング

長引く低金利状態の中での、貸出金利競争はもはや極限状態に達していて、ひいては体力の強い大手銀行のパワーゲームとなりつつある。

そんな中で地域金融機関は、金利以外のもう一つの価値観を訴えて生き残っていかねばならないんである。

  

その一つがビジネスマッチング

私達の仕事を通じて飛び交う色んなプラスの情報を取捨選択して、最も必要とされるお客様にご提供することや、

有益なビジネスのパートナーをご紹介することで、双方が幸せになられる出会いをコーディネートすることなど・・・・。

中央では政党の代表選挙が花盛りであるが、地方はそんな浮かれた状況にはない。

地方の疲弊は行き着く所まで行ってしまった感ありなのだ。

まず、単なるモノ売りの時代はとっくに終ってしまったのだが、それは例えば、街中の電気店、家具屋さん、米屋さん、八百屋さんが姿を消してしまったのがなによりの証拠なんである。

そんな中で、私達はビジネスの情報を探しに毎年東京ビジネスサミットに出かけ、地方都市にはない活きたビジネスの生け捕りを試みているのだ。

そんな中で出会った長野県の会社「たび寅さん」

秋山社長さんは、プラス思考の塊のような才女。日本商工会議所主催の女性経営者大賞を受賞されたほどの実力者なのだ。

インターネットにおけるホームページをタダ同然で制作してくれて、旅館やビジネスを含むホテルのインターネット予約売上を150%アップしてくれるという優れもののシステムを誇る会社。

東京ビジネスサミットでは、長野県の諏訪信用金庫のお世話で出展されていて、

たまたまそのブースの前を通りかかった私の目に、秋山社長さんのあでやかな浴衣姿が飛び込んできてからのご縁という訳である。

かねてより、西九州の旅館ホテルの苦戦に頭を悩ませていた私は、即座に・・・・・・

「お客様をご紹介したいのですが、九州まで来てくれますか・・・。」

と尋ねたんである。

果たして約束どおり秋山社長は最初の出会いから3ヶ月後に、九州に上陸されたのであった。

そして紹介した20先余の旅館・ホテルは公約通りに軒並み150%どころか200%以上の売上アップになったのだから、紹介者冥利につきようというもの。

ついには、この7月20日に、「たび寅九州支店」がわが町武雄に設立されることとなった。

九州の玄関口といえば博多が定番のところを敢えて武雄市なんである。ささやかな企業誘致に成功・・・・。

このことを地元の皆様にも知って頂き、地域経済の一端を担う仲間として、一緒に応援して貰いたいということで、「㈱たび寅歓迎パーティ」を開催することになったのだった。

議会中にも関わらず駆けつけて下さった樋渡市長さんや杉原議長さん、有難くて感謝の極みでありました。

ご多忙な中お出で頂いた馬渡法人会長さん、大坪観光協会会長さん、原商工会議所会頭さん、田中旅館組合長さん、石丸県議さんを始めとして・・・・・、

たび寅さんの西九州におけるユーザーさんは勿論のこと、普段お付き合いして頂いているお方にもご参加いただき、

40名ほどではあるが、中味の濃い、心温まるパーティが催された。

それは九州ひぜん信用金庫にとっても、実にいいビジネスマッチングのロール・モデルが誕生した瞬間でもあった。

このブログをチェックして頂いているという鹿児島相互信金の理事長さまや熊本中央信金の沼田理事長さんにもご紹介したら、すぐに飛んで行った秋山社長さんの行動力は凄いの一言。

しかもこの8月中旬にご出産されたばかりだというのに・・・・である。

たび寅九州支店は、当面九州のお客様を50軒にしたいとの目標

九州管内の28信用金庫が連携すれば、わけなく達成できると思っている。

集客に苦戦されている旅館・ホテルに福音をもたらす「たび寅」さんのビジネスモデルは、徹底したお客様目線であることから、まさに本物のビジネスマッチング足り得るものと自信を持ってお奨めしたい。