風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

ビートルズ初来日から47年

2013年06月30日 01時15分13秒 | 風竿日記

6月29日は・・・・

台風の中ビートルズがドイツ公演の後、アンカレッジ経由で羽田空港に降り立って47年となる記念日である。

     

昭和41年6月29日のことだから、当時私は14歳

日本公演の模様は、文字通りテレビで釘付けになって観たのであった。

       

そしてその瞬間は、私がビートルズという新しい音楽文化に骨の髄まで洗脳された記念日でもあった。

後にも先にもビートルズがグループとして日本にやってきたのは、

これが最初で最後となってしまったのだが、

もし再び来日するという夢のような話があれば、

私は万難を排して武道館でもどこへでも行くことだろう。

ジョンにしてもポールにしても、ジョージもリンゴも単独では何度となく日本を訪れてくれたのだが、

もし、再結成が叶い、グループで公演が叶うのなら、私はたとえチケットが100万円であっても行くだろうと思う。

  

武雄ではこの来日公演を見たという羨ましい人が一人

石丸博元県議会議長さんがその人

別に興味はなかったのだが、先輩からチケットを貰ったので物見遊山で出かけたと仰るのである。

そのご縁もあり、先生からは「温泉deビートルズ音楽祭」のイベントに、二年続けて大口の協賛金を頂いている。

来日公演のテレビ番組で、冒頭、羽田空港から首都高速をキャデラックに乗って疾走する映像と供にMr.Moonlightが流れたのだが、

まさに鳥肌が立ったものだ。

ジョンとジョージ亡き今、グループの再結成などあり得ないのだが、

ビートルズの前にビートルズなし、ビートルズの後にビートルズなしの思いは益々増幅している。

7月5日金曜日はDear Johnで久しぶりにライブを行うのだが、Mr. Moonlightを冒頭に唄おうと決めている。

それにしても47年の月日が経ったにも関わらず、ビートルズに夢中であることは一体何なんだろうか・・・・。

 

 

 


せんたくの土曜日

2013年06月29日 13時41分16秒 | 風竿日記

梅雨の中休みだというので、二度洗いも含めて三回洗濯機を回した。

おかげで物干しには、時ならぬ洗濯物の花が咲くことになった。

幸せな土曜日

ついでに布団も干すことに・・・・。

私はぐーたらな男の癖に、洗濯だけは大好きなんである。

干す時に何とも云えぬ幸福感に包まれるのだ。

そして我が家の同居人たるこの男も・・・・。

洗濯機が洗濯終了をブザーで知らせると、「ワン、ワン」と一番に私に教えに来るんである。

私が洗濯物を干す間、庭を散策するのが彼の楽しみなのだ。

サマーカットにして少しは涼しくなったのだろうか・・・・。

老境に差し掛かった彼も、少し元気が出てきたみたい。

さてさて、その洗濯物とは・・・・

まあブログでパンツまで見せるのは私くらいのものかなぁ・・・。

庭に降りてみると額紫陽花が見頃を迎えていた。

えも云われぬ美しさである。

そして今夜はちょっとした呑み会が・・・・。

まさにせんたくの土曜日である。


何をしたかではなく、何を遺したかだ

2013年06月28日 19時42分40秒 | 風竿の音楽夜話

Cncert for GeorgeのDVDは私の大切なライブラリーである。

2003年にロンドンのロイヤル・アルバートホールで開催されたこの追悼コンサートは

親友Eric Claptonの呼びかけでGeorge harrisonの親交のあった多くのミュージシャンが集まった。

あのインド音楽の大御所ラビ・シャンカールも自分の楽団を引き連れて参加

Georgeが愛してやまなかった楽器シタールが奏でられると、会場の高い場所にGeorgeは降臨した。

冒頭Eric Claptonの挨拶に続いて、追悼のスピーチを述べたラビも、今は亡き人となってしまった。

やがて、Eric Claptonもこの世からいなくなるであろう。

このブログを書いている私も、

そしてこのブログを読んで下さっているあなたも、いつかは・・・・

残念ながら、灰になって朽ち果てるのだ。

生命というものはそういう宿命を背負って生かされている。

このコンサートを観ていつも思わされるのは・・・

人間は何年生きたかより、どう生きたのか

何をしたかより、何を遺したかであるということ。

     

遺徳という言葉があるが・・・、

2002年に亡くなってからも、多くの人々の心の中に生き続けているGeorge Harrisonのあの控えめな笑顔と、深みのある優れた音楽の数々。

1980年にこの世を去ったJohn Lennonもまた同じであるが、私たちの心の中に今もなお鮮明に生き続けているのである。

人の一生は、星のまたたきの間にも満たないほどに、儚いものではあるけれど、

だからこそ、その短い生涯をかけて、何を遺したかであるのだと思う。

   

イギリス人だったGeorgeがインド音楽に傾注したその縁が、こうして彼の追悼コンサートへと繋がっていることを思う時

遺すべきものは、「人のご縁」であることはいうまでもないことであろう。

 

さて私は、一体どれだけの素晴らしいご縁を遺せるのだろうか。

もう人生も終盤だというのに・・・・。


 

 

 

 

 

 


雑草

2013年06月27日 06時35分23秒 | 風竿日記

どこにでもあるような、普通の、ありきたりの雑草が

実はとんでもなく光を放っているものだ。

それは雑草などという失礼な固有名詞などで片づけられる問題ではない。

断じてない。

 

たとえば、幼いころの夏休み

ラジオ体操に行く小道に咲いていたツユクサ

朝露にお日さまが映ってキラリ

「素晴らしい・・・・。」と、しばし見とれて、感動したものである。

小学校の理科の実験で、赤い水溶液に浸したりしたツユクサ

もう、時効ではあるが、大変申し訳ないことをした。

たかが雑草だと軽んじていた訳でもないだろうが、

当の本人にしたら、迷惑千万なことであったろう。

朝咲いたかと思うと、夕方には萎んでしまうことから

英語ではDay flowerというんだそうだ。

侘び寂びの日本語の世界では、万葉集の古来から、「儚いもの」の代名詞に謳われた。

老境に差し掛かり、雑草と呼ばれるカテゴリーの草花に俄然興味が湧いてきた。

 

それは今まで気付かなかった、小さな存在に対するお詫びの意味もあるのだろうか。

 


ああ、御船山

2013年06月25日 01時15分02秒 | 風竿日記

    武雄の顔は数あれど

    この山に勝つものはなし

    ああ母なる山 御船山

    富士山が世界遺産ならば

    この山は宇宙遺産

    ああ、父なる山 御船山

 

この山が武雄の人々にとって、いかに大切なこころの拠り所であるか

行雲流水の聖地のような神々しさ

その凛とした荒々しさ、たおやかさを併せ持つ霊山としての風格

或いは四季折々に私たちを包み込む、中庸の優しさ

そしていつも私たちを魅了してやまないシンボルマウンテン

それが私の大好きな御船山なのである。

神功皇后の神代から、私たち庶民のくらしを黙って見続けてきた

ああ、御船山

 

 

 


温泉deビートルズ音楽祭テーマソング

2013年06月24日 20時31分11秒 | 風竿日記

もう三年前になる。

私のリクエストにあの北村尚志が三日三晩徹夜して作ってくれた歌がある。

武雄温泉の町興しにと始めた「温泉deビートルズ音楽祭」のテーマ曲

「温泉deビートルズ」

作詞は私、作曲は北村尚志

佐賀のレノン・マッカートニーと、自分たちで云っている名コンビなんである。

その動画がありまーした。

佐賀のケーブルネットという会社の一ノ瀬さんのご尽力・・・・感謝です。


手前味噌なんですが、なかなかいい曲なんであります。

それで、今年は温泉deビートルズ音楽祭に合わせてCD化しようと思っています。

というか、お客様からの反応が良く、CDはないのか・・・という問い合わせが多く寄せられていたものですから、では・・・・という訳で・・・・。

C/Wの曲も準備せねばなりません。

その前に・・・

クオリティに拘る北村尚志先生のお墨付きがいるのですが・・・・・。

イベントも三年目を迎え、ここいらで気合いを入れ直さないといけません。

ということで、乞うご期待を・・・・。

 

 

 


飽食の時代

2013年06月23日 23時59分55秒 | 風竿日記

その昔は、刺身といえば冷凍クジラが定番であった。

近所の八百屋さんの隣にあった古賀魚屋さんに使い走りをやらされたものだ。

お使いの品は、「薄皮」という杉の木を薄く剥いだものに大切に包まれていて、

小学生の私はその帰りに今度は白浜酒屋さんに寄って、白菊という二級酒を四合瓶に量り売りで買って、

二つのブツを大切に抱えて帰るのであった。

当時の日本という国は、みな一様に貧しく、ひとしく、つましく暮らしていたものであった。

父は中学の教諭をしていたのだが、この冷凍クジラでの晩酌をささやかな愉しみにしていた。

栄養が偏っていたのだろう、同級生はみな、「にがね」というできものを体中にこさえていたものだ。

「にがね」が出来るとそれはもう大変なことであった。

赤くはれ上がったそれは、まるで活火山のごとく、熱を帯び、やがて膿んでますます腫れあがり、ついには病院で切開手術を受けるハメに

これがもう所構わずに発生するんである。

足くらいならまだなんとかなるのだが、頭や首、お腹にでも出来ると熱でうなされることもあった。

お尻に出来ると、椅子に座れないくらいに痛かった。

「トンコ」というくらいに腫れあがるのだから、それはもう常軌を逸したデキモノだった。

それが最近はすっかり影を潜めたんである。

今時、栄養過多の子供はいても、栄養失調の子供は殆どいない。

それどころか、刺身を出してもみんな殆ど食べなくなった。

まさに飽食の時代といわれた久しいのである。

かく云う私も連日の呑み会で、旨いものばっかに囲まれてお腹は布袋さんのように・・・・。

 

メザシにてんぷら竹輪、冷凍くじら、麦ご飯の晩餐を裸電球の下で食べていたあの頃を思い出さねばと考える昨今なんである。

 


ポスター

2013年06月22日 23時53分15秒 | 風竿日記

ひょんなことから、伊万里市内の喫茶店に立ち寄った。

ああ、どーでもいいのだが、最近のカフェという呼び名はあまり好きではないんである。

喫茶店は喫茶店なのだ。

まあ、どーでもいいのだが・・・・。

すると、あーた、

温泉deビートルズ音楽祭のポスターが貼ってあるではないの・・・・。

こりゃー嬉しい・・・・。

「江戸っ子だってねぇ・・・・。寿司喰いねぇ・・・・。」

の心境なんである。

二階でゴルフショップを営んでおられて、二年前に他界されたご主人の意向を継いで、

若者の音楽の練習場所に解放してあげておられるという、

実に奇特なママさんに、

貼って貰っていることのお礼を云うと・・・・。

練習に来ていて、時々ここでライブもやるという男の子が、

「是非貼って!」というので、

二つ返事で、「どうぞ・・・。」

ということらしい。

しかも店で一番目立つところに・・・・。

胸がジーンと熱くなった。

「今年で3年目だよねぇ・・・・。武雄はいいよねぇ・・・。こんなステキな音楽イベントがあるのだもの。いつも羨ましく思っていたんですよ・・・・。」

く、くわしい・・・・。額からタラリと汗が滲む。

このママただ者ではないぞ・・・と慎重に話を進めると・・・・。 

実は、ここのママも、毎年「温泉deビートルズ音楽祭」を聴きに武雄に訪れて下さっているのだと・・・・。

嬉しいなあ・・・・。

ありがたいなぁ・・・・。

町外でこんなに盛り上がっているのは正直嬉しい限りなんである。

しかもこの店には、私の音楽仲間のヘンな外人グレンと、奥様のマーちゃんも出入りしているとのこと・・・・。

ライブのお代は、コーヒー一杯のみでOKとのこと・・・・。

いやはや、このご時世に素晴らしいことである。

一度聴きにお邪魔せねばと思わされた。

その店の名は、「伊万里珈琲館」

ロイヤルチェスターという結婚式場へ行く、橋のたもとにある。

実にいいカフェではない、いい喫茶店なんである。

どーでもいいのだが・・・・。

温泉deビートルズ音楽祭に理解のあるママさんの店。

また行きたいお店なんである。

 

 

 


強きアザミのように

2013年06月21日 00時27分14秒 | 風竿日記

まるでサンドバックのように叩かれようと

ボロ雑巾のように扱われようと

誰も来ないような絶海の孤島に咲く

アザミの花は強い

コバルト色の海風が吹き付ける断崖絶壁の上に

かんかん照りの真夏にも

人知れず咲く

アザミの花は強い

「寄らば刺すぞ・・・。」と、トゲを逆立てて

威嚇しているようにも見えるのだが、

よくよく目を凝らして見ると

凛とした美しさがある。

なんかこう、一本筋が通っているんだなぁ・・・。

オブラートで自分を隠して、

にっこり笑ってみせる、一見優しい花よりも、

私はアザミの花に惹かれるのだ。

どこにでも咲いているような平凡な花ではあるが

見つけると・・・なぜか写真に収めたくなる花なんである。

も、少し近づいてみるか・・・・・

思わず・・・・

「キッ!」と睨みつけられた。

「まあそんなに構えないで・・・。」

とカメラのズームを上げると。

観念したかのように、すまし顔でこちらを見た。

離島の古びた神社の小道で出会った

彼女の名前は、アザミ

荒地で、主体性を持って生き抜いている。

まるっきり媚びない。

 このアザミの花の強さに学ばねばならないと思っている

ちっぽけな私。

 

 


雪之丞七変化

2013年06月20日 07時20分21秒 | 風竿日記

「雪之丞七変化」昔こんな映画があったような・・・・

「七色仮面」てのもあった・・・・。

「七つの顔を持つ男」ミル・マスカラスというプロレスラーもいたなあ・・・。

紫陽花は七色に変化するのだという。

蒸し暑くって、ジメジメしたこの季節を、

「まあ、そうブツブツ云わずに・・・雨もまたいいじゃありませんか・・・。」

と慰めてくれる花

花好きの私には、何とも云えぬ美しさの「6月の花嫁」なんである。

ジューン・ブライド

日本で最古の歌集「万葉集」にも歌われているから、起源は相当なものだろう。

 

紫陽花の八重咲く如くやつ代にを いませわが背子見つつ思はむ(しのはむ)

日本中どこにでもあるこの花は、髪をアップにしたジューンブライド

その花ことばは「移り気」とか「高慢」とか「冷淡」などとあまり宜しくないのだが、

こんなに美しい花は中々ありませぬ。

「おたくさ」

武雄温泉にも立ち寄ったかのシーボルト先生は、帰国して日本植物図鑑を記した折に、奥さまの名前「お滝さん」をこの花の名前にしたそうな。

遠いオランダの国から日本に残してきた妻のことを想ったのであろう。

 

バージンロードの階段を降りていく花嫁を発見

旅先の「一支の国博物館」で出会った紫陽花の物語が一つ出来ました。