風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

パソコンが回復しました

2012年11月30日 23時59分59秒 | 風竿日記

長い間お暇をとらせて頂1きました。

パソコンが壊れていて修理に出しておりまして、

その間忙しさにかまけて、更新も出来ずにおりました。

先週は月曜日から木曜日まで東京に出張していましたが、

その間の事は沢山の写真と一緒に綴りたいと思います。

東京では恒例と成った「東京ビジネスサミット2012」に参加してきたのですが、

わが武雄市が見事特別賞を受賞されまして、このことも詳しくお話せねばなりません。

まあ、今日明日で、頭の中の記憶をブログに転写せねばと思っております。

秋、真っ盛りでありますが、このところ随分と冷え込んでまいりました。

みなさま、風邪などひかれませぬように・・・・・・・。

うちのワンちゃん専用毛布みたいに暖かくして過ごされて下さい。

今回はテスト配信でございました。

 

 


ニュースは観ない

2012年11月25日 19時08分34秒 | 風竿日記
パソコンの不調でブログアップが出来ず、携帯から投稿しています。
さて、最近はニュースしか観たくありませんでしたが、最近はニュースも観ません。殺人事件が多すぎる。昔の日本は、殺人事件が起きると国中が氷ついたものです。誘拐事件など極悪犯罪として、大騒ぎしたのであります。
日本中が貧乏だった頃の方が、心が美しかったように思います。
どうしてこんな国になってしまったのでしょうね。

南天の赤い実

2012年11月20日 23時59分59秒 | 風竿日記

実家の庭に南天の木が植えられていた。

昭和初期に建てられた家だから、おそらく樹齢80年というところだろうか。

晩秋の今頃、赤い実が宝石のように光り出し。

やがて冬の訪れと共に、雪が積もった朝など、何ともいえぬ愛くるしさであった。

そんな南天の木であったが、さほど大きくもならず、実家の庭の片隅で、目立たぬようにひっそりと、けして自己主張などもせずに佇んでいた。

きんぱんじゃー(鹿島の方言で神経質な人という意味)であった父は、家の掃除はもとより、季節の変わり目には、必ず私を伴って庭木の手入れをした。

剪定はお抱えの庭師さんの役割だったのだが、素人でもできる手入れは父の仕事と決めている様子で、松や八重桜、ツツジなどの手入れを父と共にしたものである。

ある夏、父はこの南天の木を丸裸のように、バッサバッサと、勝手気ままにに剪定したことがあった。

私は、実はこの木がなんとなく好きであったので、父の酷い仕打ちに対して、大いに不満が募っていた。

剪定後の後片付けは小学生であった私の仕事であったのだが、憤懣やるかたない想いを、作業放棄という形で、精一杯表現したのであった。

ブスくれている私の真意が判らぬ父は、大声で私を怒鳴りあげ、

「さっさと片付けんかぁ」と吐き捨てた。

私はまる裸にされた南天の無念さを思うと、哀しくてならず、思わず目に涙を貯めてその場に立ち尽くしていた。

やがて父は表の樫の木へと戦場を移し、私は無残に押し切られた南天の枝を仕方なく片付け始めたのであった。

「痛いよぉ・・・・・。」片付けられる南天の木がそう言ってるように感じていた。

次の瞬間、私は表で樹木と格闘中の父のところへ走り、猛然と幼いながらの抗議をした。

「こんなに切ってしもうたら、枯れてしまうバイ。可哀想かって思わんとねぇ・・・・。」

父はいつもの苦虫を噛み潰したような顔をしたまま、ただ黙って作業を続けていた。

「さっさと片付けんかぁ・・・・。」親父の雷が再び私の頭上に響き渡り、私は「ヒエツ!」とばかりに逃げ出したんである。

あの時、もし親父が・・・・

「お前は優しい子供やねぇ・・・・。」

と私の涙の抗議に対して褒めてくれていたら、こんなヒネクレ親父になっていなかったかも判らない。

 

その年の冬、果たして南天の赤い実はまばらであった。確かに切りすぎたのである。

そして次の年も、相変わらず不作で会った。

しかし、三年目の晩秋、実はたわわに実ったことから、私は三年越しに胸を撫で下ろしたのであった。

そんな幼い記憶の中、今年も実家の南天の実は色づいているのであろうか・・・。

 

 

 

 

 

 


SASEBO BAY BLUES

2012年11月19日 23時59分59秒 | 風竿日記

毎日往復100キロの通勤も少しは慣れたのだが、夕方から夜にかけての高速道路は苦手

対面通行が多いせいか、対向車のライトで目の前がまったく見えなくなったりするのだ。

ひとつは年齢からくる視力の衰えもあるのだろうが、雨の夕刻など、真っ黒で路面が見えずに、思わず目を瞑ってしまうこともよくある。

西九州道路はけしていい道路ではない。

準高速道路のクセに通行料金は往復で1820円とやたらと高い。

ガソリン代もひと月でプールすると、とんでもない金額となる。

通勤に高速道路を使っていいわが社の決まりになっているのだが、それも半分だけだと知ったのはつい最近のこと・・・・。

何のことはない、高額な交通費を頂戴していたつもりが、赤字だった・・・・。

やはりちょっと早起きして国道を利用せねばならぬ。するとゆうに通勤が1時間以上かかる。

それじゃー、佐世保に住み込むか・・・・・。

この歳で二重生活も大変だしなぁ・・・・。

・・・と、長距離通勤はいろいろ考えることも多いんである。

それでも佐世保は魅力のある都市である。毎日の仕事はとてもクリエィティビリティに溢れているし、人口の多い分刺激にもなる。

かって東郷平八郎が天然の良港とほれ込んで、小さな寒村から一気に海軍の町になった佐世保市は人口26万人、ルーツは佐賀県よ・・・。という御方も多い。

そして、長崎県第二の都市なんである。

現在、基幹産業といわれてきた佐世保重工業(SSK)は造船の受注がなく、瀕死の状態

辛うじて海上自衛隊と米軍のベースキャンプで凌いでいるという状態ではある。

一昔前は外人バーで賑わった歓楽街も、外出禁止令もあり、閑散としている。

ただし、すべてにおいて沖縄とは違うのも佐世保の魅力なのかも知れない。

50年から続く日米協会という組織があり、年に数回米軍の皆さんとは仲良く交流しており、米軍の兵隊が引き起こす事件など殆ど聞かないほど、マナーも良いのである。

その昔、原子力空母エンタープライズの寄港反対のデモに出かけた私が、米軍の将校さんと仲良く話しているのだから、時代も変わったものである。

そんな佐世保に毎日通っていて、往き帰りに佐世保港を眺めている。

潮風の中で口ずさむのは、「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」

そういえばオリジナルソングを作った。

「SASEBO BAY BLUES」

そのうちご披露する機会が訪れるかも・・・・。

いい街に勤めさせて頂いて感謝なんである。

 


旅立つ秋

2012年11月18日 23時59分59秒 | 風竿日記

昨日、今日と「がばい武雄の物産まつり」のお手伝いを少しばかり・・・・。

会場となった市役所前のセントラルパークは紅葉の真っ盛りであった。

 

さて、いつの間にか木枯らしが吹き始めた。

ついこの前まで、「暑い暑い」と、ぶつぶつ云って暮らしていたのに、

いつしか枯葉が舞い散る季節になってしまった。

 

時は立ち止まらないものではあるが、こうして季節の移ろいを感じていると

人生そのものも「アッ!」という間であることを、なんとなく感じずにはおれないものだ。

特に飼い犬の病気や、自身の体の不調と対峙していると、

晩秋の寂しさは、また一入なんである。

 


 

荒井由美の名作であるこの歌が聴こえてくるのも、丁度この季節

なぜかこの歌、心に沁みる。

秋は毎年知らぬ間に訪れて、知らぬ間に去っていくのであるが、その意味では山々を焦がす紅葉も瞬間のものである。

去り逝くもの、散り往くもの・・・だから美しいのであろうか・・・・。

 

空の青さが、がどんどん高くなって、それが寂しいと唄ったのはジョン・レノンだったが、

彼にはオノヨーコがついていたので、日本人的な「侘び寂び」が理解できたのであろう。

生前、毎年軽井沢の別荘を訪れて、家族と、ひと夏の避暑を過ごしていたらしいのだが、そこで俳句も詠んでいたというのだから、かなりの日本通であったのだろう。

そのジョン・レノンが凶弾に倒れ、もう32年が経とうとしている。

彼は、軽井沢の秋を見てどう思ったのだろうか・・・・。

機会があれば、オノヨーコさんに訊ねてみたいものである。

そして今年もジョンの追悼ライブの日が近まってきた。

友人に招待状を出さねばなるまい。追悼ライブも今年で13回目。

これもこの季節の習わしになってきたようだ。

下の写真はジョンの軽井沢での貴重な写真・・・実に穏やかな顔をしている。

 

この世に滅せぬもののあろうか・・・。

どうせ一度は死ぬイノチ、散り逝く前に、綺麗な紅葉をみせたい。

いずれにしても、秋は木枯らしに吹かれながら旅立つもののようだ。

 

 


温泉deビートルズ音楽祭アゲイン

2012年11月17日 23時59分59秒 | 風竿日記

実に慌しい一日であった。

朝のうちは趣味の一夜漬けに挑戦して、それから・・・・・武雄市へ

武雄は雨のなか市役所周辺で「がばい武雄の物産まつり」が始まり、多少のお手伝いをして

お昼からは嬉野市の大正屋さんで結婚式に出席

帰ってからまた「がばい武雄の物産まつり」へ

丁度ステージは「温泉deビートルズ音楽祭」の出番でありました。

「セロ・スターズ」の熱演と、青木正安さんの弾き語りによるビートルズ

そういえば1ヶ月ほど前は、このイベントで走り回っていたのでした。

いやぁ月日の経つのは早いものですね。

共演した北村尚志さんと、明日は「がばい武雄の物産まつり」カラオケのど自慢大会の審査員をつとめねばなりません。

どうやら明日は天気が良さそうなので一安心ではあります。

お昼から市役所前の特設ステージにおります。

ところで本日開催された日本ちゃんぽんサミット、2000杯完食の大盛況だったとか・・・・。

すごい盛り上がりですね。

折りしも武雄では日本Face book学会の総会が開かれていて、こちらも凄いことに・・・。

元気が一杯の武雄であります。

いいこと・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


さあ、国政選挙だ・・・・。

2012年11月16日 23時11分03秒 | 風竿日記

近い内に解散発言から100日目、とうとうその日が来た。

政府与党はもうボロボロの状態、党を逃げ出す輩が続出する始末。

これでは「もうノーサイドにしましょう。」と言った野田センセイ自身がノーサイドにしてなかった証拠であります。

今日現在の政治の混沌を評した面白い揶揄が・・・・

「自民コリゴリ、民主がっかり、三極わからず」

こんなにクソ景気が悪いのに、国会は開かず、政局ばかりを喧伝しやがって、補正予算も組めずに、復興予算は関係の無い地域に垂れ流ししやがるし、

一体政治家は何をやっているのだか・・・・。

流行の第三極も、野合を画策するばかりで・・・・・見えないことばかり。

「もう、いい加減にしてくれ」というのが国民の本音であることが判らんのだろうか・・・・。

 

まだ高校生の頃、佐世保市にエンタープライズの寄港反対の学生デモに参加したことがあった。

流行病といわれた学生運動に主体的に関わった苦い経験である。

放水車に蹴散らされ、ズブ濡れのドブ鼠になって、もうそれは散々だったのだが、その時は真剣に国を憂いていたのだ。

このままではいけない、覇権主義、帝国主義になってしまう。

第一、絶対に核を積んでいるに決まっているのだから・・・・・・。

そんなことで佐世保まで出かけていった、思えばまだ少年だった自分

でも、どうだ。今は国民の関心は政治から離れ、政治家だけが狭い永田町の中でいきがっているではないか・・・・。

それを上手くコントロールして、自分達の既得権益だけは絶対に死守しようと官僚が糸を引いているんである。

景気がどんなに悪かろうと、消費税だけは絶対に上げるに決まっている。

それでさらに景気が悪くなる。結果税収がまた落ちる。すると手取り賃金も下がり、可処分所得がさらに悪化するので、モノが売れなくなる。またぞろデフレが深みに嵌っていく。

なんのことはない。デフレスパイラルはまだ続くのである。

この国の政治家達は訳がわからん・・・・・。レオンがそう申しております。

 


父母の恩は・・・・

2012年11月16日 05時46分21秒 | 風竿日記

北朝鮮に横田めぐみさんが拉致された日に、日朝局長級交渉が再開された。

めぐみさんが拉致されて35年の月日が経っている「この日」にである。

モンゴルの首都ウランバートルで、15日から始められた。内容は非常に細部まで突っ込んだ議論が交わされているとのことで、期待を抱かせる。

同時にこの日、拉致された時のお父さんの日銀時代の赴任地であった新潟で、ご講演をなさっていたご夫妻のお姿がニュースで流された。

お父様の横田滋さんも誕生日を迎えられたばかりだとか・・・・。

今年80歳になられたのだそうな。

奥様の早紀江さんも76歳だそうで、最近は体調も良くないらしい・・・・。

それでもなお、めぐみさんの生存を信じて、何としてでも取り戻すのだ。この手で我が子を抱きしめるのだと、執念をも乗り越えた、深くて高い愛情を注いでおられるのである。

「父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し」という言葉があるが・・・・

老体に鞭打って全国を行脚されるお姿は、まさに父母の崇高な山にも海にも勝る温かい愛である。

生憎、私の母は8歳の時に他界して、父も28歳の時に黄泉の国へ逝ってしまった。

それでも、61歳になったいまですら、日常のなにくわぬ出来事や、風の音の中に父母の愛を感じることがある。

「ああ、どこかで護られている・・・。」と感じるのである。

将軍様、金正恩氏の体制になってからの北朝鮮は先軍政治体制は維持しつつも、何か違うものを感じさせるのは私だけだろうか・・・・。

彼は若い頃スイスに留学していたのだというが、彼の地で吸った自由の空気が、彼の人格形成の上で、大いに見聞を広めて、隣人愛という大きな素養を育んでいてくれていることを願わずにはいられない。

年老いた老夫婦が、めぐみちゃんをこの手で抱きしめるまでは、死んでも死に切れないという強い親愛を成就させてあげたいものだ。

彼の名前に含まれる恩という字が何かを示唆しているように期待している。

北朝鮮の平壌市の住民台帳に横田めぐみさんの北朝鮮名の記載が家族と共にあったことが確認されている。

少なくとも2004年までは生存していたこととなり、当時の北朝鮮当局が発表した死亡という事実は完全に否定されたことになる。

いかなる国家であろうとも、家族の愛を分断することは許されない。

老夫婦の執念が恩讐の彼方に、美しい実りをもたらすことを祈るばかりである。

 

 


リンゴ

2012年11月14日 22時00分00秒 | 風竿日記

ビートルズのコピーバンドは数多いけれど・・・・。

 

まずは歌がしっかりしてないといけませぬ。コーラスも当然ながら・・・・。

 

演奏もあたりまえのこと・・・・。

 

そんな中でも難しいのがリンゴ・スターのドラミング

 

 

彼は左利きなので、その微妙なアクセントの感じを出すのは至難の技なんです。

 

初めの一打は左手からはいらなくてはなりませぬ。

ハイハットは少し足を浮かせ気味にして、 スティックを回しながら叩く

タムのチューニングも独特

 

それと、体を揺らすあの独特のノリ、

 

ここまできちんとできているドラマーは中々おりませぬ。

 

そんな中で、このバンドのリンゴさんは、もう最高の領域に・・・・・

 


 

思わず唸ってしまいました。

 

わが社の勇さん、挑戦してちょうだい・・・・。

 

 


アクセスのこと

2012年11月13日 23時59分59秒 | 風竿日記

昨日は久しぶりにアクセスの多い日でありました。理由は樋渡市長のご講演のことを書いたからでありましょう。

しかも市長さんがFacebookでその記事をシェアしてくれたから、それは凄いことに・・・・。

 

2012.11.12(月)  アクセス2170 PV  訪問者1093 IP    356 位  /

1785642ブログ

こんな内容のデータが毎日編集画面で送られてきます。

アクセスは2170ありまして、ブログを見に来たお方が1093人いらっしゃって、このgooのブログをやっている全国178万人の中であなたのアクセス順位は356位ですよという意味。

以前はしばしばアクセス殺到ということもありましたが、最近佐世保に転勤を命じられたこともあり、超の付く忙しさにかまけて、ブログ更新が疎かになっていましたので、さすがにアクセスは急落していましたが、

アクセスそのものにもあまり興味がなくなっていたのも事実

それでは今まで一体累計で何人の人が訪れて、アクセスは何件あったのかと申しますと・・・

トータル閲覧数(PV) <input type="text" name="accesst/accesst_pv_user" value="1395565" /> PV
トータル訪問者数(IP) <input type="text" name="accesst/accesst_uu_user" value="412616" /> IP

とまあこんな次第なのであります。140万人のアクセスがあったということの事実。

実に有難い、勿体ない。

深夜眠い目をこすりながら、コツコツとキーボードを叩いてきた結果でありますが・・・、

お一人、お一人がこんな、つまらぬ拙いブログを訪れてくださるのはある意味励みになります。

     

楽しみにしていて下さるお方がいらっしゃることを肝に銘じて、

改めて外に向かう日記ともいえるこのブログを

書き続けてまいりたいと思わされたのでありました。

それはこんなつまらないおじさんが、市井の片隅に生きていたという、ささやかな記録でもありますからね。