奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2856)

2024-08-02 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「加藤典洋」について。----------

加藤典洋(かとうのりひろ1948~2019)は、山形東高校を経て/1972東大(文学部/仏文学科)卒。1985“アメリカの影”でデビューした。日本の文芸評論家/早大名誉教授。雑誌“思想の科学”の編集委員を務めた。現代文学/思想史/政治/歴史認識と幅広く発言。著書に“敗戦後論(1997)/日本の無思想(1999)/言葉の降る日(2016)/敗者の想像力(2017)”がある。---------

職歴は次の通り。国立国会図書館職員/1978~1982モントリオール大学(東アジア研究所)派遣/1986明治学院大学(国際学部)教授/2005~2014早大(国際教養学部)教授。----------

加藤典洋は/その著作が日本の戦後の問題提起をしており/他界後も新聞記事によく登場している。---------

“敗戦後論”は/第2次大戦の終結から50年を前に/接点を欠いたまま/護憲派と改憲派の対立の原点から考え直し/解体しようとする試みだった。その結果/戦前への回帰を図る改憲派だけでなく/左派からも批判を浴びた。また/戦争の死者への対し方として/300万人の死者を悼むことを先に置いて/其の哀悼を通じて/アジアの2000万人の死者の哀悼/死者への謝罪に至る道が必要だとした。日本が間違った戦争を戦い/敗れたと云う捩(ねじ)れの場所に死者は位置していると云う。----------

戦後日本の学生運動(60年安保&70年安保)を担った多くの人々は/その後表舞台に登場することは稀であった。活動家とその周辺の人士はまともな就職が出来ず/転向組も口を閉ざした。----------

加藤典洋は、珍しく/相当後になって/自らの意見を表明する著書を刊行した。---------

戦前特高だった父に石を投げるべきか悩んだと云う。このことから分るように/戦後日本は戦争責任を曖昧にしたために/現在も米国の庇護下から脱出できないでいると云わざるを得ない。

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