奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2871)

2024-08-17 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「最後の集団就職」について。---------

集団就職とは/嘗て日本で行われていた雇用形態であり/地方の中学校卒業者が/大都市の企業や店舗へ集団就職した事。----------

集団就職は高度経済成長期に盛んに行われた。農村から都市部への大規模な就職運動のことを指す。---------

大量生産の時代に入り/製造業では単純労働力を必要とした。小売業や飲食業でも補助的な労働力を求めていた。都市部の方が賃金は高く/中卒者が地方の農村から大都市部に異動した。義務教育のみしか卒業していない中卒者を送り出す側の事情として/1970までの地方では/所得が高くなく/高校に進学させる余裕の無い世帯が多かった。子どもが都会の企業に就職することで自立させることを期待して/保護者も学校側も企業の求人を生徒に斡旋して集団就職として送り出した。---------

東京の足立区/葛飾区/大田区/墨田区/新宿区/江東区で“金の卵たる中卒者”が多く居住していた。1950/都会では教育熱で学歴インフレが進んだので/中卒就職者が多かった東北や九州の地方に求人募集の的を絞った。団塊の世代が中学校を卒業した1963から1965には/中卒者の求人倍率は男女ともに3倍を超えた。--------

最後の集団就職列車は/1975の某月某日/盛岡駅を出発し上野駅に向かった臨時夜行列車であったと何かで知った。-------

主権在民/“職業選択の自由”を中学校の社会科で教わるが/生家が違えば/その自由を獲得することは並大抵ではない。こうした中でも/宝籤程度だが/雇用主の理解を得て/夜間高校に通ったりして/立身した人も居るのだが/大部分は経済成長する日本を下支えする任務に付かざるを得なかった。昭和史の1ページとして/集団就職は歴史となっている。

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