風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

体の変化

2008-05-06 11:42:51 | 徒然
 朝起きると、体の調子が違っていた。
毎月やってくる生理の前兆だ。

子供ができるともっともっと変化するんだろうな。

そう思ったら、
今のうちにできることをやっておかなきゃ…と思った。
例えば今子供ができたら?

えっ、ちょっと待って!と思う。
もちろん、今そういうことが起こらないからそう思うのだろうけど、

私単独じゃないと行けないところ、できない経験ってまだ沢山あるよね。
…そう思ったら、ちょっと独身時代を失うのが惜しくなった。
もうちょっと…30歳までは喜怒哀楽色々経験して、あちこち飛び回ってたい。
憧れのパリだって、
一人旅だって行けなくなるし(子供が成長したら私は行くと思うけど)
子供ができるまでに好きなことをトコトンやろう。
あと何年くらいかな…
満足するまでどのくらい時間があればいいんだろう。
日本画の勉強もしたいし、写真も学びたい。
自分の生き方にプライドをもって生きたい。

うーむ。
今のうち!
今しかできないことをやろう。その時がくるまで、のびのびと。
そして矛盾するようだけど、自分にぴったりの相手と出会う努力もするのだ。
そう思ったら、ぼやぼやしてる場合じゃなくなってきた。

好きな人

2008-05-06 01:11:06 | 徒然
 わざわざブログで書くことでもないけど、

私は今好きな人がいる。

…その人のことを深く知っているわけではなくて、
うーん、もっと知りたいと思う人というのかな。

その人と見つめ合ったら(書いてて少し恥ずかしい)、
多分泣いてしまうと思う。
よく分からないけど、多分そうだ。
不思議だなぁ。

その人と一緒にいたいと思うけど、
その人にはいつも自由でいて欲しいと思う。
その人はとてもシャイらしい。
けど、私と会った時、あまりにはっきり物を言うのでびっくりしたことがある。

好きな人のことを考えていると、
楽しい思い出を思い出す。
まだ、「好き」と意識していない頃の思い出。
それはとても純粋な世界で、幸せな気持ちになる。

好きな気持ちは「会いたい」と思う気持ちに表れる。

もっともっと、透明になって、強くなって、もう一度その人に会いたい。
その人にふさわしい自分になりたい。
また、自分にふさわしい人であってほしい。

色々あった今だから会いたい。

母のマッサージ

2008-05-06 00:52:27 | 徒然
 今日は、今週末にある結婚式の二次会に着ていくドレスと靴を買いに行った。
けれど頭はぼんやりして、体はだるくて、足が重かった。
数時間歩き回ってなんとか予算内でワンピースとストールを買った。
あと靴は目星をつけたので、もう少し他のお店をみて、後で買うことにした。
当日はネイルサロンに行くくらいかな、
ヘアアレンジはまだどうしようかイメージは固まってない。

 とにかく、前の記事にも書いたけど、今は思うままに過ごしている。
お菓子が食べたければ食べ、散歩したいと思ったら散歩する。
マンガを読みたいと思えば読み、眠いと思ったら寝る。
ハッキリ言って、堕落した生活だけど、それでいいから
4日間は自分が感じるまま、思うままに過ごすことに決めた。

そのうちに、きっと軌道修正しつつ、より良くなろうという気持ちが戻ってくると
信じているからだ。


 さて、そんなこんなで今日は特に足が疲れきっていた。
今日歩き回ったせいというより、毎日の疲れがたまっていて、むくんでいる。
母に「ちょっと足もんで」と言ってみたら、
ヒザから下と両腕をオイルをつけて真剣にマッサージしてくれた。
本当なら、子供が親にしてあげることだと思う罪悪感があったけど、
黙ってマッサージをしてもらった。

両足がびっくりするほど白くスッキリつやつやになった。

横から「いいなぁ~、かぁちゃん俺ももんで」と父が羨ましそうに言った。

すごくありがたくて、親の愛情を感じた。
嬉しいから余計なことは言わず、母に「ありがとう」と言った。
母からしたら私はいつも赤ちゃんの頃が浮かぶ、子供なんだろうなと思った。
そう思うと素直な気持ちになるのだった。

沢山の荷物

2008-05-06 00:30:12 | 徒然
 この4連休、私は紙袋3個+普段持っているバッグ1個の荷物を実家に持ってきた。
中身は、
インテリアコディネーターのテキスト、問題集
『HOTEL DESIGN』写真集
雑誌OZ(ホテル特集)
無印カタログ×2
去年と今年の家計簿、2月の領収書、今月のクレジット支払い明細
カード明細を閉じたファイル×2
給与明細・年金・各種保険ファイル
レターセット
去年の手帳
去年貰った手紙
ワイルドストロベリーを植えていた植木鉢と受け皿、土
「安全衛生書類のチェックポイント」ファイル
宅建の参考書、問題集

等など

つい思いつく限りのものを持っていこうと思ったのはいいけど、
さて、どうしたもんかなぁと思っていた。


 自分の行動を振り返ると、まさに持ってきた書類やら本やらごちゃごちゃに
なってる状態が私の頭の中そのもので、考えを整理したかったんだと思う(笑)。
要る物要らない物、整理して、自分の考えをもう一度しっかり固めてから
待ったなしの仕事に向かいたかったんだろう。

また忙しい日々がはじまってしまえば、
自分と向き合う時間なんて持てないと思う。


昨日に続いて、去年の手帳、日記を読み返した。
一人暮らしをする前の心境を綴った日記だった。
忘れていた気持ちが蘇る。
当時の私が散々迷って悩んで出した答えが、今の私に続いているんだ。

それから、一つの恋愛が終わってしまい、
仕事もあまり思うようにいかず、自分のエネルギーをぶつけられず
何を支えに生きればいいのか分からず、
精神的に一番辛かった時に貰った友達からの手紙を読み返した。
2008年の夏に貰った手紙を今読んで、また励まされた。
言葉の一つひとつが心の琴線に触れて、沢山涙がでた。

 きっと今私はもう一度自分を再構築してるんだと思う。
流されて、それでやってみて、もう一度自分の考えはこうだというのを
確認しているんだと思う。
例えば、「確認していると思う」じゃなくて、
「確認している」と断言できるようになる為に、自分の行動や言動に責任を
持てるように、もう一度自分の考えを確立していきたいんだと思う。

流されたまま、「今までそれでやっているから」ということに慣れてしまいつつ
あるのを自分で感じているからだ。
自分の考えや、仕事とは何か、何のために働くのかという根本的なところをもう一度
認識すれば、流れの中で溺れることはない。
今のままでいったら、本当に自分では何も考えない人になってしまう、そんな
危機感があった。
もしそんな時がきたら私はきっと今の仕事を辞める。
私が私であるために、だ。
いや、その前に「仕事」の方から私ははね除けられるだろう。
きっとそうだ。

 

 働くということは、私の自由の為だけじゃない。
私という人間がばかみたいに遊んで、贅沢して、そういう生活の裏に、
ただ毎日を必死で生きるために働く人他の人の仕事の成果がある。
でも、だからといって自分も贅沢をせずストイックな生活を
送るかといったらそうじゃなく、私は自分の楽しみや幸せを求め続ける。
その代わり、仕事は責任をもってやる。
中途半端なことはしない。
それは私の選んだ道だから。
私の人生の責任は自分でもつ。
他の人を助けることは、できる範囲で、そうしたいと思ったときにする。
自分にできることをやる。

なぜなら、私は私を生かしてくれた人のエネルギーの結晶だから。
その成果を踏みにじるようなことはしない。
そうやって考えると、「私」は本当はどこにもいないような…

ああ、デカルトのいう、「我思う、ゆえに我あり」だ。
考えている私は確実にここにいる。
(???デカルトはどういう経緯でこの真理にたどりついたのだろう?
こういうことを考えるきっかけは何だったんだろう?)
「私」という人間をコントロールするのは「私」でも、
「私」をどう使うかは、やはり「公」のもの、周囲のもの為に尽くすこと
なんだと思う。
だって、元々私が私を産んだわけじゃないから…。

私が持ってる能力、これから磨く力は人の為に使いたい。
それがきっと私の為になる。
ゆくゆくは、私の子供の為になる。

「私」をさっさと手放してしまおう。
流されまいとするばかり、排他的になり、寂しさと不安で疲れきっていた。
そしていつか「流されたくない」「そんな自分を誰かにわかって欲しい」
そんな欲が私をどんどん仕事を現場事務をはじめた頃の、透明で強い動機から
遠ざけていった。

当たり前だけど、私一人で世界は成り立っているわけじゃない。
建物も、一人ではできない。
色んな人のいろんな人生の時間と労力の結集が世界をつくり、建物をつくる。

ああ、もっと視野を広く、目をしっかりひらいて…
確かに人のずるさ、弱さ、脆さ、そういうものも沢山みえる。
けれど、そういう世界で自分はどうこの命を使うか、その自由は自分にある。
そして多くの自由と可能性を与えられている。

人は人、自分は自分だ。
もっと強く優しい人になりたい。

 







白いノート

2008-05-04 23:06:11 | 徒然
 実家のクローゼットから、2006年8月12日に書き出した日記を見つけた。

読んでいて、つらい日々が蘇った。
当然今の私は事の結末を知っているけど、
当時の私は未来を知らないわけで…。
答えの出ない自問自答をずっと繰り返しつつ、

大好きな人からの連絡を信じて待ち続ける私がそこにいて、
結局想いは叶わなかったのだから、もっと早く気付けばいいのにと
本当に頑固でばかだなぁと思ったけど、
単純で一生懸命で涙が出た。

今までその恋愛にしがみついていた自分を認めてあげられなかったけど、
今日改めてその想いの綴られた白いノートをみて、
楽しさと痛みを両方経験できて、滅多にない、いい経験をしたと思った。
本当に彼のことが大好きだったこと、
彼への想いを断ち切る為にとても苦しんだこと、
そして決定的に失恋したときのショック、
その後無我夢中で立ち直ろうとしたこと、
今日記を読んで、ようやくそんな過去と向き合えたような気がする。

誰にでもこういう思い出の一つやふたつあるものだと思うけど、
私も、相手を心から好きだった、いい恋をしたと思いました。
きっとこういう恋はもうできないと思います。
だから私にとって宝物です。
叶わなかったからこそ、ずっと鮮やかに心に残る思い出になるのかもしれません。
もうすぐ、彼がくれた紫陽花が咲く季節になります。
「移り気」「忍耐強い愛情」そんな花言葉のある青い紫陽花をみちゃうと、
過去の恋愛を思い切り美化してしまうけれど、
不思議なことに、いつも浮かぶのはいい思い出ばかりだからそれでいいんだ。

「今はまだ温度とか、空気感とか、肌の感じとか、全部思いだせるけど、
いつかそーいうのも薄れていっちゃうのかなぁ。でもそれでいいんだ」
なーんて書いてあって、

…読んでたら切なくなってしまった。
もう思い出せないなって。
一生懸命思い出そうとしてみたけど、だめだった。
映像は浮かぶけど、感覚としてはもう残っていない。
「その当時は思い出せていた」ということは、思いだせるんだけどなぁ。

 泣いたら少しすっきりした。
たまにはこういう時間があっていい。
ずっと仕事のことばっかり考えてて、頭がおかしくなりそうだったもん。
いつも変に力が入って頑張ってしまう自分を肯定的にみられなかったけど、
なんだか好きになった。
26,27才の私を抱きしめてあげたくなった。

自分を信じられず、嫌いでいることが一番悲しいことだから…
探していたのはこんな気持ちだったのかもしれない。
「自分を好き」
1年半前に、どこかに失くしてしまった気持ちだ。
ああ、やっと出会えた。

家に帰ろう

2008-05-04 18:42:18 | 徒然
 ゴールデンウィークですね。
昨日の夜から実家に帰っているほんです。
とにかく時間が勿体無くて、あまり深く考えず、
思うままにやりたいことをやっています。

昨日は一人暮らしの部屋の掃除をして、現場事務所でもらったシマトリネコを
植え替えました。
鉢から取り出してみると、
鉢の底にぐるぐると根が回っていてとても息苦しそうだった。

そして今日はシマトリネコを植えていた鉢にワイルドストロベリーを植え替えた。

ワイヤプランツと共に3兄弟、
皆人から貰った植物達だ。縁あって、うちで生活することになった緑たち。

引越し祝いで貰ったワイルドストロベリーとワイヤプランツは
私が一人暮らしを始めてからの付き合いだから、もうすぐ1年になる。

しゅんとしおれて、もうだめかな…?と思うときもあったけど、
植物は強い、ちゃんともってくれた。
しっかり面倒をみれない時もあったのにね。

植物たちを一回り大きな鉢に植え替え、少しラクにすることができて、
何となく胸のつかえがおりた。


 あとは、冬物をクリーニングに出した。


・・・あとは、体調が悪いという叔母に家族で花束を贈った。
以前勤めていた園芸店に入っていたお花やさんがあり、
花の鮮度やコーディネートのセンスがよく、
いつも期待以上のものを作ってくれる、信頼できるお店に頼んだ。
しかも、顔見知りというだけで値段をおまけしてもらっている。。。
申し訳ないと思いつつ、今回もサービスしてくれるということで、甘えてしまった。
風合いのあるガーデニングの雑貨も売っていて、雨ざらしになってペンキのはげた
鉢を飾る木製の台を買った。
ぴかぴかの新品じゃないところがいい。そういうのってありそうで、ない。
さっそくベランダに置いて、台の上にワイルドストロベリーを置いた。
新築で殺風景なベランダに温かみのある空間ができた。


 考えてみると、そう、もうすぐ家を出て1年になる。
地方から上京している人にしてみたら私のケースなんて家を出たうちに入らない
のだろうけれど、私にとって約1年間親元を離れて生活するなんて、
人生で初めてのことだったからやはり大きな一歩だったと思う。

部屋は、1年前と殆ど変わらない。
実家からテーブルは持ち込んだけど、あとは相変わらず家具も何にもない。
洋服や靴など、身につけるものは変わったな、
だいぶ自分に似合うスタイルがわかってきた。
昔の洋服はジーンズと、それに合うTシャツくらいしか今も着られるものはない。
スーツやワンピースも今じゃ着られないものばかり。

あと変わったのは…植物達が成長したことくらいかな。一回り大きくなった。

他は何も変わらない。
私自身は変わったのだろうか。

いい方向に変わったのかな。
少なくとも、悪い方向にはいってないな。

 私の周りでは、沢山の変化が起きている。
結婚、妊娠、出産、人生の転機を迎えている友達がいる。
そうか、本当にそういうのが当たり前の年齢になったんだなと実感している。


 私の道はどこへ続くか分からないけど、
今が未来へ続いていることは確かだ。
きっと誰かと出会い、きっと結婚して、きっと子供を産むんだろう。
今まで存在しない命が新しく生まれるって、すごいことだよなぁ。
人間が生まれるんだもんな。
私も母になりたいな。

そうなる日まで、子供に恥じない生き方をしたい。
それは自分らしく生きることを諦めない生き方だ。
頭を空にして、誰がどういうとか、どう思われるとか、そういうことじゃなく、
私という命が何を求めているかに耳を澄ませる。
その道をいけばきっと私らしい人生をいくことになる。
さあ、この時間を使って頭を空にしよう。

自分にとって、気持ちのいいことをすればいい。

そうやって選んだ過ごし方は「実家に帰る」ことだった。
今日は車を借りてドライブをして、一人暮らしの家に行ったり、
花屋に行ったり、DVDレンタルショップに寄ったりして、
好きなようにさせてもらって、
私が親に与えてもらった環境のありがたみを感じた一日だった。
私は親元にいたころから既に沢山の自由を与えてもらっていた。
それに気付けなかった。
こうして素直に甘える自分は好きだ。
感謝をあらわせる自分はもっと好きだ。

思いぐせってやつですか

2008-05-02 00:29:05 | 徒然
… 今日は、完成した工事の請求書に添付するはずの工事完了報告書が添付されていなかったから明日午前中着で出しなさいと、取引先からクレームがあった。

現場所長が対応することを、請求書の発送時に所長名脇に(事務 ほんだ)と書いたばっかりに、社長名捺印書類作成時の現場所長と取引先との間で連絡調整等私が対応することになった。

結果的には、明日朝イチで捺印をもらえて配送中事故がなければ明日の夕方に先方に書類が届く段取りができたからよかった。

約30分、手が空いた新人さんをほったらかしにしてしまった。業務のまとめをしといてとしか言えず、
教える難しさを感じた。

といいますか、気付いたのだけど、私は起こる出来事を何でも「大変だ」と思うクセがあるようだ。
大変にしてるのは私なんだと思います。

何でも思い通りにいくほうが珍しい事だってのにね。

あほらし。