道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

愛を読むひと(映画)

2009年07月07日 | 映画道楽
新宿3丁目の映画館バルト9で,ドイツのベルンハルト・シュリンクによる小説「朗読者」を映画化した「愛を読むひと」を見て来ました。
アメリカの映画で,台詞も英語になってしまっていましたが・・・

1958年,ノイシュタットで暮らす15歳のマイケルは,偶然に21歳年上のハンナと知り合います。ハンナの家に出入りするようになったマイケルは,やがてハンナに本を朗読し,その後に愛し合うという関係になっていきます。例えば,マイケルは,レッシングの「エミーリア・ガロッティ」などを朗読します。
マイケルは学校もそっちのけでハンナの家に出入りし,2人は自転車旅行に出かけたりもします。しかし,車掌であったハンナは勤務態度を評価され,事務職に出世することが決まった直後,マイケルに何も告げないまま失踪します。

8年後,マイケルはハイデルベルク大学法学部の学生になっていました。ゼミの教授(ブルーノ・ガンツ)に連れられて,ナチス親衛隊の女看守たちの裁判を傍聴し,そこで被告人として裁判を受けることになったハンナの姿を発見します。女看守達は収容所で囚人の選別に関わっていたのでした。ハンナたちには,別途、多くのユダヤ人の死をもたらした悲惨な事件の責任も問われます。ハンナ以外の被告人が皆シラを切り通しますが、ハンナは自己の果たした役割をそのまま供述します。その上,ハンナはある秘密を隠し通そうとする余り,虚偽の自白をし,そして他の被告人から全ての罪をなすりつけられてしまいます。
ハンナの隠している秘密に気づいたマイケルはハンナに面会に行こうと決意しますが・・・

その後,マイケルは結婚と離婚を経験し,娘とも会いたいときに会えなくなります。裁判から10年。マイケルは突然,思いつきます。再びハンナの朗読者になることを。
マイケルは数々の作品,以前にも朗読していたホメロスの「オデュッセイア」のほか,ボリス・パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」,チェーホフの「犬を連れた奥さん」などを録音テープに吹き込み,これをハンナに届けます。

そして,ハンナにもようやく仮釈放の日が訪れるのですが・・・

何とも切ないストーリーですが,他方でハンナが隠そうとした秘密は,本当は恥ずべきことではありませんし,ましてや事件の真相の解明を不可能にしたり,また責任を一人でかぶって最高刑を科されるという大きな代償を支払ってまで,隠す必要はないのにとの冷静な見方もしてしまいます(ただし,ハンナのような立場の人間からは,その事実はどうしても隠したい事実であって,それを理解できないのでは,心の痛みがわからない人間だという批判もあるでしょう。)。
マイケルとハンナの関係は,既にマイケルがハンナの気持ちを優先して,ハンナに有利な証言をしなかった時に終了したものであり,その後,10年経ってマイケルが突然,再び朗読者となるということも飛躍があるように思いました。

ストーリー的には,マイケルの決断の当否にも,裁判の場面にも,その後の展開にもやや不思議なところが感じられましたが,それはそれとして,切ない気持ちになる映画でした。最後にアメリカまで出かけることになったマイケルとユダヤ人女性とのやりとりだけは救われる内容でした。

私も相方を見習ってベルンハルト・シュリンクの小説を読んで見れば,少しこの作品に対する見方も変わるかも知れませんので,機会があれば読みたいものです(いつになることやら。)。


ところで全くの余談ですが,マイケルがハンナの家を訪れるようになった直後に,ハンナに朗読をする,レッシングの「エミーリア・ガロッティ」は,「日本におけるドイツ年2005/2006年」の際,2006年の3月に日本でも上演されました。ドイツ座による演劇です。私は,相方と共に,山口市にある山口情報芸術センターまで見に行き,たまたま劇団員の人たちと同じホテルに宿泊することになりましたので,とても思い出のある作品です。

※誤植をしばらく放置してすみませんでした。勘違いをするのではなく,年齢のせいか言い間違えをするような感覚で,間違った記載をしたままなかなか気づきませんでして・・・

最新の画像もっと見る

コメントを投稿