国立新美術館の「ウィーン・モダン」展に行って来ました。
「ウィーン世紀末の全貌をまだ、あなたは知らない」なんて言われたら
これは気になってしまうではありませんか。
乱暴に言ってしまえば、19世紀末のウィーンで保守的な様式を脱して新しい芸術を
目指した芸術家たちが、絵画・建築・デザインなどを中心に起こした芸術活動を
「ウィーン分離派」というのだそうです。
その代表格が、あのクリムトとシーレ。
クリムトの「接吻」をベルヴェデーレ宮殿で一目見て、私は忘れられなくなったのでした。
「ウィーン世紀末の全貌をまだ、あなたは知らない」なんて言われたら
これは気になってしまうではありませんか。
乱暴に言ってしまえば、19世紀末のウィーンで保守的な様式を脱して新しい芸術を
目指した芸術家たちが、絵画・建築・デザインなどを中心に起こした芸術活動を
「ウィーン分離派」というのだそうです。
その代表格が、あのクリムトとシーレ。
クリムトの「接吻」をベルヴェデーレ宮殿で一目見て、私は忘れられなくなったのでした。
今回、気になったのはクリムトの「パラス・アテナ」。
これはギリシヤ神話に出て来る、知恵と芸術、戦いを司る女神なのだそうです。
黄金の甲冑を被り、胸元に描かれているのは、見た者を石にするというメドューサ。
右手に持っているのは、勝利の女神とされるニキ。
しかしメドューサは舌を出しているし、ニキは子供の玩具の人形のように小さい。
これ、真面目なの?ふざけてるの?と私は思ってしまう。
この絵は、保守・伝統主義者たちへの侮蔑・挑戦とも解釈されているのだそうです。
そしてポスターにもなっている「エミリエ・フレーゲの肖像」。
この絵は大きくて見甲斐があり、今回唯一の撮影可の作品でした。
エミリエという人は長年にわたるクリムトの恋人で、ブティックを経営し、
経済的にも自立した、当時としてはとても先進的な女性だったのだそうです。
この堂々とした立ち姿、自信に溢れているような、傲慢なまでの表情。
そしてこの独特な群青と緑、金が贅沢に飛び散った色使いが、何とも美しい。
こんな風に自信に満ち溢れて生きることができたら、どんなにいいかと思ってしまう。
エゴン・シーレ「自画像」。
シーレという人は28歳の若さで亡くなっているのに
様々な形式を使って170回以上も自身の姿を遺しているのですって。
この絵は1911年作というから、20歳の頃の作品か。
しかしこの落ち窪んだ眼、気持ち悪い色使い、細く震えているような指、
私には病的にしか見えなくて、できたら目を背けたい位なのですが
美術館の売店では、この絵のクリアファイルが大々的に売られていました。
六本木ミッドタウンの「オランジェ」でランチ。
ヒノキガーデンでは桜の葉の新緑がみずみずしく、ツツジが満開でした。
シーレという人は28歳の若さで亡くなっているのに
様々な形式を使って170回以上も自身の姿を遺しているのですって。
この絵は1911年作というから、20歳の頃の作品か。
しかしこの落ち窪んだ眼、気持ち悪い色使い、細く震えているような指、
私には病的にしか見えなくて、できたら目を背けたい位なのですが
美術館の売店では、この絵のクリアファイルが大々的に売られていました。
六本木ミッドタウンの「オランジェ」でランチ。
ヒノキガーデンでは桜の葉の新緑がみずみずしく、ツツジが満開でした。
ウィーン・モダン展 https://artexhibition.jp/wienmodern
観に行きたいなと思いますが GWはすごく混みそうなので忘れたころに行こうかなと思います(^^)
この展覧会ではクリムトの作品47点ということでしたが
しょうもない素描も多かったのです。
上野は25点というけど、油彩画中心らしいのね。
比べるのも面白いかもです。
短歌誌でよく歌われる画家でした。
ところが私は、クリムトは詠めても、
どうしてもエゴンシーレは
受け入れられないのでした。
でも売店では人気があるのですね。
ちなみのその短歌社は消滅しました。
クリムトは私生活においてもかなり変わっていたましたね。
フランスの印象派とその前後とはウィーンは天と地ほどに違います。
エゴン・シーレはチェスキークルムロフの美術館ではもう見ているのが嫌になりました。好きでないです。
シーレの絵は癖がありますね。
私はシーレの映画を観た筈なのに
中身を殆んど覚えていないのです。
感動した作品は若い頃に観たのでも覚えているのに。
この変わったエネルギーに、妙に惹かれました。
チェスキー・クルムロフは私も行きましたが、
その美術館行ってないです。