岡本太郎の、青山の小さな記念館ニも川崎の大きな美術館にも行ったことがあります。
今更その展覧会って?と思ったのですが、”最大規模のスケールの岡本太郎回顧展”ということです。
確かにその量に圧倒されました。
しかも、日本の美術館にしては珍しく、全作品撮影OK!


岡本太郎の養女、敏子さんの本の中に、彼は子供の絵が好きだったというような記述があったように思います。
忙しい仕事の合間に児童絵画コンクールの審査員をよく務め、オレが行かないとつまんない絵ばかりが賞を取り、本物が落とされちゃうからというようなことを言っていたそうです。
彼自身、小学校に馴染めず4回も学校を変え、死を何度も考える子供であったと。

最終的に慶應幼稚舎に入り、東京美術学校(今の芸大)、そしてパリに移住してソルボンヌ大学に入学。
ドイツのパリ侵攻で帰国、そして徴兵されて中国に行き、敗戦後も俘虜として抑留され1946年に帰国。
彼の著書のどこかで、人生の中で軍隊生活が一番辛かったというようなことを言っていたような。
さもありなんと思います。

これは、復員の翌年に描かれたという「憂愁」。
”岡本の自画像とも言えるこの顔のない肉塊は、戦争によって深く傷つき、すべてを失った作家の心象を伝えるものである”という解説が。

岡本太郎が最後に取り組んだとされている「雷人」。
中央にある顔は天地逆になってしまっているが、四方に向けてほとばしる描線が、晩年になっても衰えることのなかった岡本の創作意欲を感じさせると。

これは、ウチのタロウみたい。
こんなのを見ると、ホッとします。
