Zooey's Diary

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「ブリット・マリーはここにいた」

2020年11月16日 | 

この夏に観た映画「ブリット・マリーの幸せなひとりだち」の原作本を読んでみました。
63歳の融通が利かない専業主婦のブリット・マリーが夫に浮気されて家を飛び出し、僻地のユースセンターの管理人兼、子供サッカーのコーチをするという粗筋は同じです。
違うのは、ブリット・マリーがより頑固で変わり者であるという点でしょうか。
社会不適応障害とか、そうした類の病名がつくのではないかと思われるような性格です。

彼女にとって、世の中の人間は二種類に大別される。
カトラリーの引き出しの中がきちんと整理されているか否か。
或いは、コーヒーカップの下にコースターを敷くか否か。
それらをしない人間を、彼女は絶対に許すことができないのです。

”フォーク。ナイフ。スプーン。その順番。
ブリット・マリーは人様を批判するような人間じゃない。まさか、とんでもない。だけれど、それ以外の順番でカトラリーの引き出しを整理しようという文明人がいるだろうか?動物じゃあるまいし。”

”若い女の子がふたたび口を開こうとしたところを、ブリット・マリーはさえぎった。
「お手数でなければ、コーヒーカップをおくものを頂けないかしら?」
プラスチックのカップをコーヒーカップと呼ぶのに自分の中の親切心を総動員している独特の口調で、そう言った。
「え?」デスクの向こうの女の子は、カップなんてその辺に隙に置けばいいという声で言った。
ブリット・マリーはできるだけ社交的に微笑んだ。
「コースターをお忘れよ。机に跡を残したくはありませんからね」”

筆者はこんな調子の乾いた筆致で、全編を皮肉っぽく書き上げています。
そしてこの本には、車のBMWが何度となく登場する。
その車に登場人物たちの行動を添わせることで、彼らの心情を説明しているとも言えます。
この作家の以前の作品「幸せなひとりぼっち」には、スゥエーデンの二大自動車メーカーのボルボとサーブが重要なキーワードとして登場していました。
フレドリック・バックマン、車が好きなのかな?

映画も随分とあっさりとした味わいでしたが、この本は更にその上を行きます。
予定調和には展開しない話の、最後の終わり方にはもう、呆れるしかない。
映画の終わり方にも呆気に取られましたが、原作の持ち味をしっかり踏襲していたのですね。

「ブリット・マリーはここにいた」


コメント
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