で、今日は芥川龍之介の命日です。
昨日の記事に、SNSの友人が自分は芥川のこの恋文が好きであると
コメントしてくれました。
”僕のやってる商売は、今の日本で一番金にならない商売です。
その上、僕自身もろくに金はありません。
ですから、生活の程度からいえば、何時までたっても知れたものです。
それから僕は、からだもあたまも、あまり上等には出来上がっていません。
あたまの方は、それでもまだ少しは自信があります。
うちには、父、母、伯母と、としよりが三人います。
それでよければ来て下さい。理由は一つしかありません。
僕は文ちゃんが好きです。それだけでよければ来て下さい。
芥川龍之介”
芥川といえば、あの端整な顔立ちで一高から東大とエリート街道を驀進する一方、
実母が狂死したことで自分もそうなるのではないかと日々怯えていた、
私はそんな暗いイメージしか持っていませんでした。
こんな素朴な優しい恋文を書いていたなんて。
これは大正5年8月、24歳の龍之介が後に妻となる17歳の塚本文へ書いた手紙だそうです。

この頃、あまりにも暑いので、タロウの散歩はもっぱら夜にしています。
これは夜の散歩の際、近所で見かけた月下美人。
上は夕方、下は21時過ぎに撮ったもの。
20㎝以上の大きなものでした。

芥川龍之介書簡(恋文全文) http://www.ichinomiyakan.com/akutagawa/000.html
#welovegoo
昨日の記事に、SNSの友人が自分は芥川のこの恋文が好きであると
コメントしてくれました。
”僕のやってる商売は、今の日本で一番金にならない商売です。
その上、僕自身もろくに金はありません。
ですから、生活の程度からいえば、何時までたっても知れたものです。
それから僕は、からだもあたまも、あまり上等には出来上がっていません。
あたまの方は、それでもまだ少しは自信があります。
うちには、父、母、伯母と、としよりが三人います。
それでよければ来て下さい。理由は一つしかありません。
僕は文ちゃんが好きです。それだけでよければ来て下さい。
芥川龍之介”
芥川といえば、あの端整な顔立ちで一高から東大とエリート街道を驀進する一方、
実母が狂死したことで自分もそうなるのではないかと日々怯えていた、
私はそんな暗いイメージしか持っていませんでした。
こんな素朴な優しい恋文を書いていたなんて。
これは大正5年8月、24歳の龍之介が後に妻となる17歳の塚本文へ書いた手紙だそうです。

この頃、あまりにも暑いので、タロウの散歩はもっぱら夜にしています。
これは夜の散歩の際、近所で見かけた月下美人。
上は夕方、下は21時過ぎに撮ったもの。
20㎝以上の大きなものでした。

芥川龍之介書簡(恋文全文) http://www.ichinomiyakan.com/akutagawa/000.html
#welovegoo