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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

抜けるような青空の下

2025年02月22日 | お出かけ

東博の前に結構な人だかりがあって驚きましたが、ハローキティ展目当てでした。
ざっと見た限りでは、若いお嬢さんが多かったよう。
展覧会オープン当初は、ミュージアムショップの限定グッズを買い占めるC国人バイヤーが殺到したということですが、もう落ち着いたのかしら?
上野の国立博物館というと堅苦しいメージを私は持っていたのですが、「挂甲の武人」を美男子揃いと喧伝した昨秋の「はにわ展」といい、「ハローキティ展」といい、今回の百花繚乱大パノラマ展といい、工夫を凝らして頑張っているのねえ。



冬の上野公園では、アイスチューリップを見るのを楽しみにしています。
球根を一定期間冷蔵することで開花時期を早めたという、新種のチューリップ。
それが、今年はこんなにショボショボ。


(奥は東博)

2022年11月にはこんなに咲いていたし、通常、見頃は1~2月だというのに。
上野のアイスチューリップに何が起きたのか?


 (2022年11月26日)

それにしても大寒波に襲われてるというこのところ、最高気温は10℃行くか行かないかという日々ですが、写真のように連日抜けるような青空です。
でも日本海側では大雪が続いていて、雪下ろしに苦心してる様子が毎日ニュースに。
先月来たベルギーの青年は、この冬はずっと惨めったらしい冷たい雨の日が続いていて、ここ一ヶ月で晴れたのは2日だけだったと言っていました。
こちら毎日こんな晴天、南向きのガラス越しの部屋では暖かすぎるくらいで、ありがたいことです。

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「大覚寺展」障壁画100面、百花繚乱!

2025年02月21日 | お出かけ

東博の特別展「旧嵯峨御所 大覚寺-百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」
平安時代初期、嵯峨天皇(786~842)が離宮嵯峨院を造営。
唐の文化を愛し、唐から帰国したばかりの空海の良き理解者だった嵯峨天皇は、空海の勧めで持仏堂に五大明王像を安置したのだそうです。
その後876年に寺に改められ、大覚寺が開創されたのだと。



その五大明王像、東京に五体揃って登場したのは初めてなのですって。
迫力ありましたが撮影禁止、これはネットから頂いた写真。



襖絵、障壁画は撮影可。
正寝殿狭屋におさまる腰障子には、渡辺始興作の19匹の野兎が。
飛んだり跳ねたり寝転んだり、メチャ可愛い。



通常非公開の重要文化財、正寝殿の歴代門跡の執務室であった御冠間が再現されていました。



そして圧巻の障壁画と襖絵のフロアは、横に広がる襖絵と上から垂れ下がる襖絵との重層構造、百花繚乱の大パノラマ空間。
狩野山楽の代表作、重文「牡丹図」全18面は総延長22m。



こちらは徳川秀忠の娘で後水尾天皇に入内した、和子(東福門院)の女御御所(天皇の寝所に侍る女官である女御が住む御殿)を飾る障壁画だそうです。
やはり嵯峨天皇の離宮を前身としたお寺だからこそ、こうした典雅な作品が似合うのでしょう。



ランチはハードロック・カフェ上野店で。
飲物は「ビー・マイ・バレンタイン」、イチゴとバニラアイスが入った季節限定ノンアルカクテル。
久しぶりに入ったら、このお店も海外旅行客でいっぱいでした。




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ブタと牛とゲイシャコーヒー

2025年02月11日 | お出かけ

日比谷ミッドタウンに巨大なブタと牛が出現していました。
何の説明もなかったので、ミッドタウンのレセプショニストに訊いてみたら、松本勇馬氏の巨大藁アートだということでした。
テーマは「母乳」だそうです。
ブタの周りには小さな子ブタが沢山いて、可愛いったらありゃしない!



シネマズシャンテで映画を観た後、シャンテの「ラデュレ」に行ってみました。
パリの有名なパティスリーのサロン・ド・テ、かつては銀座三越の二階の角、四丁目交差点を見下ろす一等地にあったのに、いつの間にか失くなってしまったのです。
それが日比谷シャンテに移ったと聞いてお茶をしようとしたのでしたが、満席。
どの位待てば入れるかと聞いたら、すみません、予約で今日は満席でございますと。
お茶の予約は普通できないのにと思ったら、アフタヌーンティの予約で満席なのですって。
ちなみにこちらの「おひとりさまアフタヌーンティ」7150円、2人だと平日13200円、それでもそんなに混むのねえ。


(こんなに大きいのです)

仕方なく、近くのゲシャリー・コーヒーに。
Geisha(ゲイシャ)とはコーヒーの品種、”柑橘系の味や香りにネクタリンのようなフルーティーな酸味と蜂蜜やチョコレートの後味を残す最高級品種の一つ”であり、原産地であるエチオピアの地名を意味するのだそうです。
日本の芸者とは関係なかったのね。
酸味があって美味しいとは思いましたが、そこまでの味の違いは、残念ながら私には分からない。
フランボワーズのムース、甘酸っぱくて美味しく頂きました。


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意外な選択地

2025年01月24日 | お出かけ

Ed君に何処に行きたい?と聞くと、なんと五島美術館に行きたいと。
東急グループの創始者、後藤慶太氏のコレクションが納められている世田谷の美術館です。
日本と東洋の古美術が集められており、しかも今は「茶道具取り合わせ展」開催中。
館内には高齢の方がちらほら、とっても静か。
全品撮影不可。



こちらには6千坪の庭もあるのですが、よくいえば野趣に満ちている。
悪く言えば、雑木林がそのままあるような庭です。



明治時代に建てられたという茶室「古経楼」や、古材を使用して作らせたという立礼席「冨士見亭」、そして池もありましたが、どう見ても雑木林。



誰もいなくて、一人だったら奥に行くのが怖いような感じ。
お地蔵さんが幾つもあると思ったら、伊豆や長野の鉄道事業の際に引き取った石仏なのだそうです。



そう言えば「安楽死」がベルギーでは認められているんだよね?と聞いてみたら、そうではあるけれど、実際には物凄く難しいのですって。
煩雑な手続き、大量の書類、忍耐強い訴えが必要で、実際彼の周りでそれを実行した人は誰も知らないと。
聞いてみないと分からないこと、色々あります。



美術館の後、冬枯れの日本庭園「帰真園」を歩き、二子玉川の「九つ井」でお蕎麦を頂きました。


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没入型映像「永遠のミュシャ展」

2025年01月15日 | お出かけ
 
本展は、世界中のアートファンから注目を集めるグラン・パレ・イマーシブとミュシャ財団が、パリで2023年に開催したイマーシブ展覧会を日本向けにアレンジしたものなのだそうです。
お洒落なリトグラフだけでなく、あの大作「スラブ叙事詩」シリーズも超特大スクリーンで見せてくれて大感激。
「スラブ叙事詩」は2017年に国立新美術館で観ました。
ミュシャが民族の誇り、故郷への想いを込めて、晩年の16年に描き上げたという大作20点に、ただもう感動しました。
以前、プラハのミュシャ美術館(向うでは「ムハ」)にも行ったことがあるのですが、リトグラフばかりで少々拍子抜けだったのでした。



今回のイマ―シブ・ミュシャ展は、没入型映像体験ができます。
お洒落なリトグラフ、スラブの叙事詩シリーズが、超特大スクリーンで観られる。
正面左右に違う映像と解説が出るので、キョロキョロしなければなりません。



床に平たい丸い座布団が置いてあり、そこに座って観るというのは想定外でした。
しかも私はいつものようにワンピースだたので、あんまりひどい恰好もできない。
ずっと座っていたら腰が痛くなってしまい、同行の友人も同じことを言うので、あきらめて途中で立ち上がりました。
その大部屋の一番後ろで立って観ようとしたら、スタッフがどうしたのですかと。
腰が痛いのでというと、椅子を二つ持ってきてくれました。
それがこの展覧会で一番嬉しかったことです。
お心遣い、ありがとうございました。



ミュシャ展を観た渋谷ヒカリエの韓国料理店水刺齋(スランジェ)でランチ。
参鶏湯(サムゲタン)は優しい味で、身体が温まります。



ミュシャ展(1月19日まで)


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声の変化、丸の内のクリスマス

2024年12月14日 | お出かけ

友人たちと、顔と声とどちらが変化するかという話になりました。
高校の同級生など何十年ぶりに会うと人によっては変化が激しく(特に男性)、咄嗟に分からなかったりしますが、声を聴いてああ!と分かったりします。
なので顔よりは声の方が変わらないのではないかと、私は思っていたのですが。



ところが友人の一人が、いや声も老化するよと。
そうかなあ?
去年92歳で亡くなった私の母は私よりも声が高く、晩年、老化特有の変化は多少あったものの、声自体はそんなに変わったとは思えなかったのです。


(日比谷ミッドタウン6階からの光景)

ところがそれからすぐにテレビの特番で、50年前の黒柳徹子氏と今の彼女を同時に見るという機会がありました。
明らかに変わっている!
母の場合は年中ずっと声を聞いていたから、その変化に気が付かなかったのか。
50年前の母の声と晩年のそれとを同時に比べれば、やはり相当変化していたのか。



そうかと思うと、小田和正氏のように、77歳になっても美しい高音を出し続ける人もいる。
やはり人によって違うということなのでしょうか。
今年最後という、彼の「クリスマスの約束」を楽しみにしています。
写真は日比谷ミッドタウン、丸の内のイルミネーションです。



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井の頭公園、はな子の話

2024年12月03日 | お出かけ

井の頭公園に行ったのは久しぶりでした。
細長い池の周辺を黄色や赤の紅葉が取り囲み、水面にもキラキラと映っていました。
ここには小さな動物園もあって、そういえば学生時代に来た時、象を見たのでした。
その象は確か10年位前に亡くなったのですが、このはな子について悲しい物語があったことを思い出しました。



確認してみたら、はな子は1949年にタイから上野動物園に、戦後の日本の子どもたちを慰めようと来て、人気者になったのだそうです。1954年に井の頭公園に移動したが、その2年後、酔って象舎に侵入した男性を踏みつぶしてしまった。
更にその4年後には、飼育員を踏み殺す事故を起こし、はな子は「殺人象」の烙印を押され、暗い象舎に鎖で繋がれるようになってしまった。
石を投げつけられ、人間への敵意をむき出しにし、ストレスから歯を何本も失くして痩せ細ってしまったのだそうです。



そこに現れたのが飼育員の山川氏。
彼ははな子の鎖を外し、はな子に話しかけ、まさに付きっ切りで世話をしたのだそうです。
そしてようやくはな子も心を開くようになり、山川さんの手を舐めるようになったが、そこまでに6年間を要したのだと。
山川さんは定年までの30年間、はな子に寄り添って世話をしたのだそうです。
そしてはな子は2016年、69歳という高齢で穏やかに亡くなったと。

信じて、愛して、認めてあげること。
象も人間も同じだなあと思ってしまいました。



吉祥寺のヴィッラ・マニョーリアでランチした後、吉祥寺の友人宅に。
お洒落な彼女、家の中も生活臭というものがまったくなく、モデルルームみたい。
これはテーブルの上のワンシーンですが、全体がこんな感じでした。
ロイヤル・コペンハーゲンのコーヒーカップは我家にもありますが、中国茶用のこんなセットがあるとは知りませんでした。

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お華展から谷根千散策

2024年12月02日 | お出かけ
古流協会のお華展に行って来ました。
生花のみずみずしい香りがむせ返るような会場、お花を活ける人にとってはハレの舞台であるお華展にお邪魔するのは、楽しいものです。



例によって、着物を引っ張り出しました。
相変わらず悪戦苦闘していますが、運がよいと1時間ほどで着られるようになりました。
しかしちょっと間違うと何回もやり直し、もっともっと時間がかかることもしょっちゅう。



しかも着物というヤツは、着た後も風通ししたり半襟を取って手洗いしたり、それにアイロンかけてまた付けたりと、まあ面倒なこと夥しい。
こんな面倒なことを改善しないと、着物離れは進むばかりだと思うのですが。
腹を立てながらもなんとか着ているのは、着物仲間がいてくれるお陰です。
一人ではさすがに着る気になれないでしょう。



日暮里サニーホールでお華展を観た後、小春日和の中をお喋りしながら歩いて、谷根千の方に。
夕焼けだんだん、古着屋やトルコ小物料理店など冷やかしながら、谷中銀座に。
ここには煎餅屋、コロッケ屋、お団子屋、甘味処など建ち並び、漏れなく外人観光客が押し寄せています。


(トルコ料理店)

根津の「はん亭」で遅いランチを。
この建物は明治時代に建てられ、関東大震災、戦争も耐え抜いた総けやき造りなのだそう。
串揚げのコースのみ、野菜スティックや牛肉や海老など色々な串揚げを、赤味噌、塩、ソースで頂きます。
この日は、1万4千歩程でした。




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Coppa2024、レンタカーの危険

2024年11月24日 | お出かけ

「Coppa di Tokyo」が今年も汐留イタリア街で開催されました。
ブガッティだのベントレーだの、威容を誇る大型車がひしめく中で、今年は超小型車にも惹かれました。
例えばこのメダカのような、もといコックピットのような小型ドイツ車は「メッサーシュミット」。
乗り降りする時はこんな風にぱっくり開けるのですって。
赤い車に乗っていらっしゃるのは、クレイジーケンバンドの横山剣さんです。



この青いオモチャのようなのは、「BMWイセッタ300ブライトン」というのですって。
なんと珍しい三輪車で、これもフロント部分をこんな風に開けて乗り降り。
オーナーの御好意で、乗せて頂きました。
しかもこれ、岐阜ナンバーなのです。
岐阜から東名高速を走ってここまで来たのかしらん?
こんな小さくてスピードも限られるでしょうに、大丈夫なのかと心配になってしまう。



そういえばこの前来日した知り合いのドイツ人の御夫婦、日本全国を旅する中で、沖縄ではレンタカーで廻ると。
左ハンドルから右ハンドル、右側通行から左側通行、日本語もまったくできないのに?
と心配しましたが、無事沖縄の旅を終えられたそうです。
よかった、よかった。



昨夜、たまたまニュース番組で、訪日外国人のレンタカー使用について取り上げていました。
訪日外国人のレンタカーの事故率は、日本人のそれの5.5倍なのですって。
やはりハンドル仕様が違うこと、交通標識が読めないこと、そして国によっては交通ルールも違うことがネックになると。
例えば韓国では、信号が赤であっても歩行者がいなければ、右折はOKなのだそうです。
しかも欧米では大方、自転車道というものがちゃんとあるのに、日本にはなく、車道を自転車がフラフラ走るのが相当驚かれるらしい。
そりゃあね、やっぱり危ないよねえ…



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辻邦生の世界、リスは今もいるのか?

2024年11月18日 | お出かけ

学習院の教授であった辻邦生を記念しての「琵琶と声明による西行花伝」という催しがあり、久しぶりに母校に行って来ました。
やはり同校の教授である中条省平氏の、辻氏の「西行花伝」がテーマの講演が第一部。



西行というと、百人一首の中の「嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな」のイメージが強いだろう、自分も月を見て泣いている坊さんのイメージを持っていたと(はい、私もそうでした)。
がしかし、それは大違いで、簾を上げて貰い一目見た、位の高い待賢門院璋子を生涯、恋焦がれた情熱の人であったのだと。
辻邦生は、西行をスタンダールの「パルムの僧院」の情熱的なファブリスと重ねていたのだと。


(木立の奥の図書館、昔どれだけ通ったか)

第二部は、辻の「西行花伝」をテーマに声明、薩摩琵琶の演奏。
フランス留学の経験もあるお洒落なイメージの辻邦生に何故琵琶?と思ったら、御父上が薩摩琵琶の奏者だったのですって。
これは2時間以上続き、やや長すぎた気もしましたが、独特の世界を味あわせて頂きました。


(昔の図書館、今は資料館)

私は仏文科でもないのに、辻邦生先生の授業を昔こっそり受講したこともあります。
若い頃は確かに好きで著書を色々読んだ筈なのに、今となっては殆ど内容を覚えていない。
かろうじて覚えているのは、子供の頃何度も読んだ児童文学の「ユリアと魔法の都」、世界の名画に寄せて書かれた「十二の肖像画による十二の物語」くらいか。


(質素な乃木邸)

催しの前に目白の駅前ビルの「AEN」でランチをすませ、まだ時間が余っていたので、友人を案内して校内を散策。



名物だったピラミッド校舎がなくなったり(トップ写真、天辺だけ残っている)、無機質な高いビルができてしまったり、キャンパスは色々変わってしまいましたが、それでもやっぱり懐かしい。
血洗いの池とか、林の中の馬場とか、私の好きな場所がもっとあるのですが(在学中は野生のリスがいた!)、着物では中々そこまで行けず、残念でした。



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