『わ鐡』秋の旅 ~廃線跡から古河橋へ

2009-11-18 23:00:00 | 鉄道紀行&乗り物

この鉄橋を左から右に渡れば足尾精錬所に突き当たる。


 足尾銅山で採掘した鉱石を輸送するため鉄道が敷設され(足尾鉄道)、大正元年に足尾~桐生間が開業します。大正7(1912)年、足尾~足尾本山間が延長されたところで「足尾鉄道」は国鉄に買収され「足尾線」になりました。昭和48(1973)年、資源枯渇により足尾銅山が閉山したあとも、輸入鉱石を精錬するため「足尾本山」駅まで貨物が行き来していましたが、昭和61(1986)年に貨物輸送が廃止され、「足尾線」は桐生~間藤間の旅客輸送のみとなりました。その後、昭和62(1987)年の国鉄民営化に際してJR東日本に継承され、平成元(1989)年に「わたらせ渓谷鐡道」として再スタートを切りました(だから、今年で開業20周年というわけ)


    

(左)線路を覆い尽くすススキがとても美しかったから、少しだけ線路を歩いてみた?
(右)今はもう動かない腕木式信号機。信号は青。先に進みましょう~♪


    

(右)魅力的な煉瓦のトンネル。トンネルの出口に落石があったのだろう、大きな岩が転がっていた。このように、廃線跡はとても危険!
(右)この鉄橋(冒頭の鉄橋)も木の部分が腐っている。もちろん、ニワトリさんも迂回しました。廃虚と化した精錬所が正面に控える。中を見学したいなあ~♪


(左)ゲート前の鉄橋の下をくぐって幹線道路に戻ると、いかにも古そうな鋼鉄製の橋にさしかかった。明治23(1890)年に架けられた「古河橋」である。昭和56年に日光市の指定文化財に制定され、今回の一括有形文化財にも登録された。橋の上弦材にH形鋼板を使用した珍しい橋とのことだ。床板には木材が使われている。案内板を読んでゆくと、平成5年に「新古河橋」が架設され、「古河橋」は歩道橋として残ることになったと書かれているが、現在は歩行禁止のポールが立っていて、渡ることはできない。床板が腐食しており、いかにも危ない感じ・・・あえて渡ろうとは全く思わなかった。
(右)それにしても、文化財と触れ合うぐらいの距離に新しい橋を架けるとは・・・興ざめだ。橋を架け直すときは、このように新しい橋を隣に架けて、完成後に古くなった橋を撤去するのが普通だが、「旧古河橋」は撤去しないのだから、もう少し他のやり方がなかったのだろうか? 


『わ鐡』秋の旅 ~間藤から足尾本山へ

2009-11-17 23:59:10 | 鉄道紀行&乗り物

足尾本山駅入口


 「わたらせ渓谷鐡道わたらせ渓谷線」が旧国鉄時代は「足尾線」と呼ばれていたことをこれまで何度も書いていますが、「間藤」の先に「足尾本山」という貨物専用の駅があったことをご存知でしょうか? 
 「足尾線」は、足尾銅山や鉱山が閉山されて貨物線の需要がなくなり、民営化に際して廃止される予定でしたが、地元の強い要望を受けて第3セクターの「わたらせ渓谷鐡道」として再出発しました。営業区間は桐生~間藤間とし、貨物線の間藤~足尾本山間1.9kmを事実上廃止しました。
 でも、線路は撤去されておらず、今現在も残っています。線路を辿っていけば(あくまでも自己責任で。今回ニワトリさんが歩いたのはほんの一部)、足尾本山まで行かれます。
 廃線好き&廃虚好きでなくても、この一帯を歩いてみると、色んな発見があると思います。歴史の好きな人(近現代史を自分の目で垣間見れる)にも絶対お勧め!
(できれば『わ鐡』に乗ってほしいけど、マイカーだったら日光に行った際にでもお立ち寄りください)


(左)間藤駅の秋。列車はここで約10分ほど停車してから桐生に折り返す。折り返し列車に乗らなかったのはニワトリさんも含めて三名だけだった。
(右)この絵が見られるだけでいい? 初めて見たときからお気に入り!


    

(左)起動車は、眩い光の中へ下っていった。
(右)鉱毒の影響が今も残るむき出しの山肌。再生のための植林事業が功を奏して徐々に緑を取り戻している。


     

(左)ホームの先には車輪止めがある(去年の夏に撮影)。
(右)その先は・・・線路は続くよどこまでも~♪

    

(左)本山に向かって歩き出すと、まもなく踏切跡を渡る。間藤側を振り返ると・・・
(右)本山側は踏切の先に鉄橋があって、向こう岸に渡る。鉄橋の先に明治16年開校、平成17年に廃校になった旧本山小学校の校舎が見える。


(左)旧本山小学校の校舎と講堂(手前)。講堂は、『足尾銅山 ~日本の近代化・産業化と公害対策の起点』との名称で、一括有形文化財に登録されている。
(右)すぐそばにある間藤水力発電所跡。明治23年に建設。400馬力の電力が足尾銅山の動力に使われた。配管の一部が残っているだけだが、こちらも有形文化財に登録されている。


物欲の秋(続き) ~脳みそ、ウニです・・・

2009-11-16 02:19:00 | 独り言&拾いもの


 『ウェルかめ』のヒロインの頭の中は、ウニから春爛漫(三月兎)になったみたいですが、ニワトリさんはいよいよウニになってしまいました。というのも・・・
 土日は、「1万歩」歩きにいった以外は家にいました。クルミさんを膝に乗せているだけでは退屈なので、つれづれなるままにカメラのことなどを考えていました。
 このたび発売されたEOS7Dは、鉄道や動物といった動きものを撮りたい人のための一眼レフといってもよく、将来的にはサンニッパなどの大口径レンズで編成写真を撮ったり、野鳥の写真を撮ってみたいニワトリさんにもうってつけのカメラです。
 もちろん、ニコンのD300Sでもいけるのですが、ニコンにすると、レンズも一から揃えなければならない点がちょっと・・・。キャノンなら、EF28mm F1.8USM、EF50mm F1.4USM、EF85mm F1.8USM 、EF200mm F2.8L ⅡUSM といった大口径単焦点レンズと、シグマ90mm F2.8マクロレンズなど、手持ちのレンズが活かせます。
 広角側と普段持ち歩くカメラをリコーGRデジタルⅢ(28mm F1.9)にして、EOS7Dに28mmか50mmの明るいレンズを装着、90mmマクロと鉄道用に200mmを携行すれば(APS-Cサイズだからサンニッパを持ったも同然)、鬼に金棒ではありませんか。EOS7Dはレンズキットを購入すると約27万円かかるけれど、ボディ単体は約19万円。差額でちょうどGRデジタルⅢを購入できるという計算。
 これを断行してしまうと貯金がゼロになり、家庭劇場のブルーレイ化は再来年まで凍結ということになりますが、「それでもいいじゃないか幸せならば~♪」なんて大きな気持ちになったニワトリさんは、しまっておいた箱からレンズを一つひとつ取り出して、カビなど生えていないか点検し始めたところで・・・ちょっと待った~!

 確かにEOS7Dは素晴らしいカメラです(3000円払ってムックまで買って・・・)。でも、今絶対に必要なの? 胸に手を当てて考えると、1年後にはまたモデルチェンジされるのでは? という思いが頭をもたげてきました。 
 2年前に自分がα700を買ったとき、比較検討したのがEOS40Dでした。予算的な問題もあって見送りましたが、1年後にEOS50Dが発売され、その1年後にはEOS7Dが登場しています。もしもEOS40Dを買っていたら、EOS7Dに複雑な感情を抱いたでしょう。毎年モデルチェンジされるなら、いつ買うべきだろう?
 その見地からEOS7Dを眺めてみると、不満な点がほんの少しあります。1秒間に8コマと、EOS7Dは抜群の連写速度を誇っていますが、RAW+JPEGでは最初の6~7連写でバッファーがいっぱいになってしまいます。自分はJPEGしか使ったことがないので関係ないといえば関係ないのですが、来年か再来年発売されるEOSで、この点が改良されるかもしれません。それから、最近流行りのデジタルフィルターが、EOS7Dには全く搭載されていないので、モデルチェンジの際に、ミニチュアやトイフォト、ポラロイドといったアートフィルターが導入されるかもしれません。オーバースペックな1800万画素をやめるかもしれないし・・・(現に、コンデジの愚かな高画素競争は終わった)。そうしたことを考慮すると、今買わなくてもいいのでは?という結論に達しました。

 この結論に達するまでは、α700とレンズ2本を売ってEOS7Dを買うことまで考えていたのですが、原点に返って自分がなぜα700を選んだのかを、今一度考えてみました。ひとえに、説明書入らずの操作性と、キットレンズのDT15-105mm F3.5-5.6 の描写力と広汎性に惚れこんだからです。このレンズは『CAPA』のレンズ大賞にも選ばれており、広角側の歪曲差が若干目立ちますがボケ味が素直で、35mm換算すると24~
157mmという画角が非常に使いやすく、最短撮影距離も40cmとズームレンズにしては寄れるので、望遠側をマクロ的に使えたりして、旅先などでは交換レンズを必要としません。AFの速さ&精度と高感度画質はライバルに劣るけれど、Dレンジオプティマイザーの威力は絶大で(その後他社も追従した)、見た目に近い写真が撮れる点を評価しました。α700は既に生産を終えたと言われていますが、この秋発売された弟分のα550に買い換える気はもちろんありません。今のままで充分使えるのだから、使い倒してから買い換えればいいじゃないか、という気持ちになりました。
 仮に、EOS7Dのボディを買う気持ちがあるなら、思い切ってミノルタ時代から定評ある35mm F1.4Gレンズ(約18万円)を手に入れてしまう、というのはどうだろう? GRデジタルⅢに広角側とスナップを受け持たせ、
α700に35mm F1.4Gを装着、DT16-105mmの使い勝手の良さのせいであまり稼働していない高性能Gレンズの70-300mm F4.5-5.6G SSMを持ち歩けば、やっぱり鬼に金棒だよね?

 脳みそをウニにしながらこんなことを考えていたのですが、脳内だけでもようやく今後の方向性が固まり、具体的にGRデジタルⅢだけは買おうと決めた矢先に、昆虫写真で有名な海野和夫さんの記事に偶然目がとまり、「ん? リコーGXR? 50mm F2.5マクロ・・・何これ?」。GR、GXシリーズといえば、GRデジタルユーザーの鉄道写真家、広田泉さんも何か発信しているかもしれないと思い、ブログを確かめたら・・・ビンゴです!
「これがGXRの正体か! 凄い・・・(ブログを読み進める)・・・えっ、PEN2って何?」
 驚いたことに、リコーはGX200の後継機に、一眼レフのようにレンズ交換のできるGXRを用意していたのです。画期的なのは、レンズだけを交換するのではなくユニットごと交換してしまおうというアイデア。今回発表されたレンズユニットは、GX200で培われた24-72mm F2.4-4.4VCと、GR50mm F2.5マクロの2ユニット。ズームレンズの方は画素数を下げ、手ぶれ補正をつけてきました。50mmは映像素子をAPS-Cとしたため、明るく階調豊かでボケ味も素晴らしいレンズに仕上がっているそうです。「GR」の称号がついているのだから、期待していいと思います。
 ボディと二つのレンズユニットを購入すると、奇しくもEOS7D単体とほぼ同じ値段になってしまいますが、これ欲しい・・・! とりあえずリコーのHPを飽きるまで眺めてから散歩がてら立川まで歩き、量販店でカタログをもらってきました。

 E-P2は、デジタルPEN(E-P1)の改良型(メーカーに言わせれば上位機種)だそうです。三ヶ月で旧型になってしまうなんて、PENを買わなくてほんとに良かったと思いますが、E-P2のボディに専用電子ビューファインダーを装着し、割高は承知でルミックスのG20mm F1.7APSHレンズ(35mm換算40mm相当)を組み合わせると約17万円。EOS7Dに限りなく近づいていきます。マイクロフォーサーズの強みは、全てのレンズを装着できる点にあって、OM-2に使っていたズイコーレンズも使えるし、他社製のレンズで遊ぶも良しと、1台のデジタルPENで色々楽しめます。豊富なアートフィルターにミニチュアライズ(ジオラマ)とクロスプロセスフィルターが加わったことだし、多様な表現とシステムの拡張性に関しては他を圧倒しています。
 ちなみに、EOS7DからGRデジタルⅢ、35mm F1.4Gレンズ、GXR、EP-2まで、全部買ったら78万円! 秋の夜長の夢のお話でした。

 リコーGXRに興味のある方は、 → ここをクリック (スペシャルサイトもあります)
 オリンパスEP-2に興味にある方は、 → ここをクリック


セーターを脱いだネコ

2009-11-15 10:07:00 | 自然&いきもの+ゾウのはな子


 昨晩もクルミさんは自分の脇腹あたりで寝ていたのですが、4時過ぎには布団から出たような気がします。はっとして目が覚めたのが6時11分。頭の横に白いとっくりセーターが脱いでありました。上半身を起こすと、ベッドのやや下、平積みした荷物の上で、何食わぬ顔でお座りしています。一体どうやって脱いだのだろう? その瞬間を見てみたかったなあ~♪
 お腹の毛が三分の一ほど剃られていて、ピンク色の肌がむき出しになっています。あんこさんがおっしゃるように絆創膏が貼られていましたが、剥がそうとしたのでしょう。半分ぐらいめくれていました。少しばかりはみ出している緑色の糸も気になるようで、しきりに顔を持っていくので、やめるよう注意しました(やめないけど)。
 窮屈な服を脱ぎ捨てて身軽になったせいか、二日目を迎えて動きも戻ってきました。食欲もあり、帰って来たその日と翌日の夕方までは大きい方をしていなかったのですが、昨日の晩には立派な便も出て、ひと安心。先ほど毛玉を吐き出しました。
 こんなことなら、今日は出かければ良かったかな? 熱海のMOA美術館まで行くとしたら、21日がラストチャンス。晴れてくれれば行くことにしましょう。


 高飛び込みのポーズ?(またはエビのポーズ)に変わりました。良い天気なので、布団を干しました。この写真ではわからないけど、自分のジャージを敷き布団にしています。さあ、掃除に戻りましょう!

 夕食前までは糸が確認できたのですが、夕食後にお腹を見たところ、糸がありません。クルミさん、とうとう自分で抜糸してしまいました。まだ三日目なのに・・・。傷口が開いてしまうようなことはなさそうですが、大丈夫なのかなあ? 明日、病院へ電話してみます。

 月曜日の午前中、念のため病院で見てもらいましたが、このまま肉が盛り上がってくれば大丈夫とのことでした。抜糸が終わってしまったことだし、何もなければこれでおしまい、と言われました~♪


『子猫をお願い』 ~もう一つの「女の子ものがたり」

2009-11-14 23:59:15 | 映画&ドラマ


 今日は一日中クルミさんと「食べては寝て」を繰り返していたのですが、『おとこまえ 2 』が終わってから、この日のために?用意していた『子猫をお願い』(01)を観ました。
 『空気人形』で遅まきながら「ペ・ドゥナ体験」したニワトリさんは、自分が彼女を発見できなかった悔しさを噛みしめながら彼女のフィルモグラフィーを遡ることにしました。まずは、買ったままだった『グムエル 漢江の怪物』(06)のDVDを見て、「やっぱり彼女は凄い!」と感心。クリーチャーの造形も結構良かったし、「ブルーレイ」化してほしいですね。この映画の彼女はジャージ姿で、顔はスッピンに近く、映画が進むにつれて泥にまみれてゆくから決して「きれい」とはいえないのですが、恐ろしく魅力的です。漢江の生臭い匂いが感じられるほど生々しい絵が家庭劇場で再生できれば、この作品と彼女がよりパワーアップされる筈!


左から陽気な双子ピリュ&オンジョ、絵が上手いジヨン、上昇志向のヘジュ、そしてテヒ(ペ・ドゥナ)


 『子猫をお願い』には5人の子猫(内二人は双子)と本物の子猫が1匹出てきます。ひと言でいえば、商業高校を卒業して厳しい格差社会(日本も韓国もその意味では同じですね)の荒波に乗り出した子猫たちの日常をはらはらしながら見つめるドラマなのですが、ワンシーンワンシーンが素晴らしく、監督は、自分が描いた絵コンテどおりに役者を動かしたのか、その場で動きを決めたのか、どっちにしても天才です。
 この夏観た『女の子ものがたり』の8年前に、もう一つの『女の子ものがたり』が作られていたんですね~。日本公開は3年遅れの2004年で、それからさらに5年遅れてしまったけれど、この作品と出会うことができて本当に良かったと思います。
 冒頭、高校時代の描写を1分足らずで済ませ、五ヶ月後の「現在」にカメラが瞬時に切り換わり、インチョンからソウルへ向かう通勤電車がゆっくり動き始めたかと思ったら、同時にカメラがゆっくり浮いていき、電車とその奥に広がる巨大な操車場を俯瞰で映し出したとき、この映画がとんでもない傑作だと確信したのですが、その傑作を世に送り出したチョン・ジェウンが、映画学校を卒業したばかりの女性監督で、本作が長編第一作だったとは・・・驚くべき才能です。
 この映画には、奇蹟的としか言いようがない「えモーション」(フィルムに生々しく刻まれた感情と動きそのものを言葉にすると、こうなる。ダジャレじゃなくてニワトリさんの造語?)が随所に出現し、観終わった途端にもう一度見たくなりました。「映画とは動かないことも含めて動きなのだ」と訳の分らぬことを呟いています。DVDのクオリティはまずまずでしたが、映画館で見るかブルーレイで見ればさらに感動が深まる筈。このままだと少し眠いんだよね。絵が。

 DVD の解説は何と蓮實重彦御大!
「たまたま一本の作品を撮った監督など掃いて捨てるほどいるが、いきなり映画の地平を揺るがせるみずみずしい処女作を撮ってしまった映画作家は数えるほどしか存在しない」と断じ、「傑作と呼ばれる『市民ケーン』ですら、オーソン・ウェルズの第一作に過ぎない」と、本作を激賞していました。
 「たまたま一本の作品を撮ってしまった盆栽(面白い変換しましたね)監督といえば、勘違いも甚だしい松本某とか、同じく勘違いの誇大妄想狂に近い(そうでなければ人生なんてやってられないけど)角川某のことかしら?」なんて想像してしまったのですが、日頃難解で高尚な文章を書かれる氏が、こう書くと身も蓋もないかもしれませんが、「ユリイカ」ではなく DVD などという中途半端に消費される媒体のペラペラのリーフに(米国クライテリオンの解説書となると、それが欲しくてDVDを買ってしまうほどだが)一文を寄せてくれるとは・・・熱の入り方がわかるというもの。自分としては、「蓮實」学校はとうに卒業したものと考えていたのですが、久しぶりに意見が一致してほっとしました。蓮實大先生は若い女の子が好きだし、解説では触れていませんでしたが、この作品から小津安二郎の初期の傑作『大学は出たけれど』『生まれてはみたけれど』あたりを思い浮かべたのかもしれません。




 映画の中で何度か姿を見せる可愛い子猫は(ウチのクルミさんも私の膝から見つめていました)ティティと呼ばれていました。全く関係ないと思うけれど、アーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』シリーズにティティという名の少女が登場します。ウォーカー家の次女ティティは、多くの登場人物の中で私が一番好きなキャラクターでした(第4巻から登場するドロシーも好きだったけれど)。もしもリアルタイムに『子猫を探して』を見ていたら、ウチのネコの名前も「ティティ」になっていたかもしれません。
 余計なことばかり綴りましたが、ニワトリさんと同じように『子猫を探して』をまだ見ていない人がいたら、是非ともご覧下さいね~♪


無事、退院しました!

2009-11-13 21:54:30 | 自然&いきもの+ゾウのはな子



 クルミさん、白いとっくりセーターを着て、帰ってきました(服の下をちらっと覗いたところ、お腹剃られてます。ピンクの皮膚が見えて因幡の白兎状態?)。二週間後に抜糸するまで着せておいてくださいと言われたけれど、嫌がるようだったら脱がせてもよく、本人は特に気にしていませんが、服の上からグルーミングしているのが何だか気の毒で、数日様子を見たら病院に電話して、脱がしてしまおうと考えています。ところで、この服を脱ぐ場合、肢を一本ずつ抜いていけばいいのでしょうか? それともハサミでチョキチョキ切ってしまうのかな?
 やはり、体にかなりの負担になったのか、今日は至っておとなしく、不安な一夜を過ごしたこともあって、相当の甘えん坊になっていました。家に帰るや、ためていたのか、自分のトイレで長々とおしっこをした後は、膝の上に乗ってきて、しばらく経つとそのまま寝てしまいました(ちょうど、あんこさんがくれたコメントの返事を書いていたときです)。
 デスクの前に坐っているとき、ネコが膝の上に乗ってくると、体がずり落ちないようにつま先立ちをして水平を保つ必要があり(実は今も膝の上で寝ている)、この姿勢を1時間も続けたら、ふくらはぎがパンパンに張ってしまいます(筋トレになるもしれませんが)。このときは部屋が急速に冷え込んでいったことから、寒さに我慢できなくなって、ネコをそっと椅子に寝かして、体を温めようとベッドへ転がりこみました。ネコはすぐに後を追いかけてきて、いつもようにベッドを数周してから、甘え声を出して(初めて会ったとき、聞こえてきた声に近い)今度は腹の上で丸くなりました。自分は、幸福な重さを感じながらほんの少し眠りました。


 (最初の写真と)この写真は、夕食後のクルミさんです。いつもと違って「お腹すいたよ~」とおねだりしなかったのですが、普段より少なめに用意したご飯をきれいに食べ、牛乳も飲みました。明日&明後日は久しぶりの連休だけど、外出は控えてネコと過ごそうかな? ブログを書き終わったら、『私は猫ストーカー』片手にベッドに潜りこもう~と!


クルミさん、がんばってね!

2009-11-12 12:30:00 | 自然&いきもの+ゾウのはな子

 11月12日午前9時、クルミさんを病院に連れて行きました。避妊手術を受けるためです。手術といえば、このブログを始めた頃、ニワトリさんも簡単な手術を生まれて初めて受けましたが、全身麻酔をすることもあって、各種検査やおどろおどろしい同意書など、様々な手続きを踏んだのですが、ネコの場合も殆ど同じで、例えば、前日夜8時以降は食べないで下さい、10時以降は水も飲まないで下さいとか、麻酔事故を避けるためにも手術前に血液検査を受けた方がいいですよとか、こうしたことに関しては、「はいはい」と、むしろ率先して従ったのですが、「同意書」にサインするのは、やはりかなりの抵抗感があって、「万が一」が起こらないのを祈るだけです。
 帰宅後、ネコが不在の間に片付けと掃除をしようと思ったのですが、トイレの砂を片付けている間にも、いつもだったら好奇心たっぷりにトイレの中まで後を追いかけてきて作業をじっと見つめている(ときどき手も出ます)クルミさんが、今日はいないことが不思議というか、どうにも居心地が悪い感じすらしてしまうのでした。行方不明になった小物を探していたら、どこで抜けたのか、ネコの爪が落ちていました。それを拾い上げて、マジマジと見つめているうちに、掃除機も雑巾がけもそこそこにして、残りは明日の午後3時にクルミさんをお迎えに行ってからやることにしました。
 今日はブログもお休みしようかと思ったのですが、これから夜勤だし、暇つぶしというか、書くことで気持ちを落ち着かせるといったら、ちょっと大袈裟だけど、今の気持ちを綴って出かけることにします。

 連れてきたときから思い入れがあったけれど、たまに自分が癇癪玉を落としながら(ネコは涼しい顔で次から次へと物を上から落とす)一緒に時間を過ごしている間に、「そこにいるのが当然」みたいな、「空気」と同じ存在になってしまったようです。そうそう、昨日の夜は、ベッドで寝転がって本を読んでいたところ、ネコは声をかけても我関せず安楽椅子で寝ていましたが、1時過ぎにベッドに上がってきて、2時間ほど腕枕で眠っていました。今朝も出かける前に、知ってか知らずか膝の上に乗ってきて・・・早くお迎えに行きたいなあ!

『わ鐡』秋の旅 ~車窓より

2009-11-11 23:11:11 | 鉄道紀行&乗り物


 神戸駅で指定席(立ち見だけど)を GET できたニワトリさんは遠ざかる線路と風景を眺めながら気ままにシャッターを切りましたが、満足できる写真はこれぐらいでした。カメラのモニター上ではとても綺麗に見えてもパソコンで見ると手ぶれしていたり、発色が今いちだったりして、がっかりすることが多いのです・・・。画面の中央やや左上の「もや~」とした部分は、窓ガラスの汚れが写りこんでしまったものです。でもこの写真に限っては、光が差し込んでいるように見えないこともないので(逆光時に出るフレアにも見える)、まあ良しとしましょう。


    

(左)神戸(ごうど)~沢入(そうり)間 7km の、約75%に相当する5242mが草木トンネルになる。草木ダム建設に伴い新たに敷かれた新線だ。旧線は殆ど水没したが、一部の区間が遊歩道になっているので、いつか訪ねてみるつもり。草木トンネルは、長いだけでなく高低差が142mもあり(ちょうど草木ダムと同じ高さ)、列車は7~8分かけてトンネルを通過する。トンネルを抜けると、写真の第一渡良瀬川橋梁(全長196m)を渡る。この鉄橋は『趣味悠々』でも、撮影ポイントとして紹介された。乗っているだけでもこの橋の素晴らしさを体感できるが、長いトンネルからやっと抜け出たと思った次の瞬間が第一わたらせ橋梁で、鉄橋を渡るとすぐ次の沢入トンネルに入ってしまうので、ゆめゆめ見逃さないように・・・
(右)動感を表現するにはスローシャッターが一番! というわけで、1/15  秒で撮影してみたけれど(鉄橋の写真も)、流れ方が中途半端で、もっと遅く撮るべきだった。だが、この速度でも、この2枚以外に撮った写真は、流れる以前にブレていて、モミジの写真に関しては全滅・・・


    

(左)ブレブレ写真ばかりなので、シャッター速度を速くした(冒頭の写真も)。わたらせ渓谷は美しい秋を迎えていたが、肝心の川が枯山水と化していた。
(右)原向~通洞間にある全長108.45mの第二渡良瀬川橋梁。大正元年(1912)12月13日に開通した。この写真だと小さくて分かりづらいが、鉄橋すれすれに枝を伸ばしたモミジに光が差し、鉄橋の青とのコントラストも鮮やかに赤く光り輝いていた。今年の9月25日、『わ鐡』の37施設を有形文化財として一括登録するよう文部科学相に答申、第二渡良瀬川橋梁は、橋脚の美しさから同じように撮影スポットになっている第一松木川橋梁(大正3年8月開通)と共に有形文化財に選ばれた。


    

(左)銅山の町として栄えた通洞~足尾間。線路の左側の赤い屋根と右側の緑の屋根の対比がきれいだった。水平が取れていれば・・・。
(右)カーブを立ち上がってこの直線がたまらない~♪


 終点の間藤に到着。早速、カモシカを探して斜面に目を凝らしたが・・・。今回は、終着駅の間藤が旅の出発点になる。


『わ鐡』秋の旅 ~『わ鐡』アテンダント

2009-11-10 23:53:50 | 鉄道紀行&乗り物


 「わたらせ渓谷鐡道」は、沢入~原向にかけての峡谷が最も美しいと言われています。このあたりは勾配がかなり強く、この日は急な登りに差しかかった途端に車輪が空転してしまい、図らずも徐行運転になってしまったのですが、そうと説明されなければ、見ごろを迎えた紅葉を眺めてもらうためにわざと徐行運転をしてくれていると、誰もが思ったことでしょう。終点の間藤に着いたときは予定時刻より7分遅れてしまいましたが、文句を言う人は皆無でした。


 『わ鐡』に採用された8名の女性アテンダントが11月9日に出発式を迎え、正式デビューを飾ったことを各新聞が報じていました。私が聞いたところだと、彼女たちは9月18日に採用されたそうです。その日(7日)も一人か、二人一組で乗務(実習)についていました。切符販売と改札が主な業務ですが、乗降時の安全確認といった車掌業務や『わ鐡』グッズ』を販売するなど車内販売業務も行っています。ゆくゆくは観光ガイドや身の上相談?など幅広く活躍して、『わ鐡』の新しい顔になってくれたら最高ですね。今回採用されたアテンダント」の中には、「ローカル線ガールズ」として一躍有名になった『えちぜん鉄道』のアテンダントに憧れて応募してきた人もいるとのことです。
 ニワトリさんと同じように、大間々駅で間藤行きのディーゼルカーに乗り込んだアテンダントは、神戸に着くと列車から降り、線路を渡って反対側のホームへ向かいました。


 神戸駅で列車の交換が行われ、やってきた上り電車で大間々に引き返します。神戸駅のレストラン「清流」もこの日は大賑わいで、お昼に間藤から戻ってきたときは客席(ご覧のように東武鉄道の特急列車のコンパートメントを客席にしている)が殆ど埋まっていました。


    

(左)上り列車がホームに到着すると、下り列車が先に発車した。
(右)みるみる遠ざかる。写真に見える跨線橋はホームの中間にある。今でこそトロッコ列車を除けば1~2両編成で走っているが、昔は6両編成以上で走っていたのだろう。
な・さ・い・・・・・・


『わ鐡』秋の旅 ~昨日の続きです

2009-11-09 23:32:08 | 鉄道紀行&乗り物

カモシカの見られる日まで通いたい!


 「『わ鐡』夏の旅」の記事を書き始めたのが、何とまあ、去年の今頃でした! ニワトリさんの動きに日記が全然追いついていないことがわかりますが、ここでまた去年の夏に遡って書き始めると、一昨日の秋の記事を書く頃には春を迎えているかもしれず、やはり直近の「秋」から書いて夏に遡ることにしました。


 留守番させられるネコに思い切り引掻かれて家を出ると、4時37分発の下り始発電車に乗って立川から青梅線・八高線と乗り継ぎ高崎へ。高崎に着いたら6時50分に発車する両毛線に駆け込む(乗り換え時間は約5分。八高線のホームは駅の一番端の先っぽなのでのんびりしていられない)。7時38分に起点駅の桐生に到着。同じホームの向かい側に、7時43分発大間々行のディーゼルカーが待機している。終点の間藤に行くなら両毛線を1本遅らせても大丈夫だけれど、車両基地のある大間々に途中下車しない手はないので、6時50分の電車が必須になる。
 新幹線を使っても、7時43分発の大間々行には間に合わない(東武東上線を使えば、相生駅でこの列車に乗れて料金も一番お得)。各駅停車の方が新幹線より速いのは、「もしもしカメよ~」のカメがウサギに勝つのと同じ理屈? それは兎も角、童謡を作詞した石原和三郎さんは旧花輪小学校(文化財として保存)の卒業生。石原さんに因んで、ウサギとカメの石像が花輪駅のホームでお迎えしてくれる(音楽付)。
 旧国鉄時代は「足尾線」と呼ばれていた「わたらせ渓谷鐡道」。桐生駅のホームは旧国鉄時代と同じ1番線を使用する。宮脇俊三さんのデビュー作となった『時刻表2万キロ』で、足尾線の足尾~間藤間 1.3kmが国鉄全線完乗の最後の区間となったことから脚光を浴びた。廃止を免れ第三セクターになってから今年で20周年を迎えた。誇らしげなエンブレムの裏側で、今日も鉄道存続に向けて懸命の努力が続けられている。車内に乗り込むと、運転席側から差し込んでくる朝日が眩しい。好きな瞬間だ。


 桐生から次駅の下新田まではJR両毛線内を走行するので、来た線路を戻る形になる。JRの渡良瀬川橋梁(有名な第2橋梁じゃなくて)を渡ると、いつでもカッコイイ鉄橋だと感心するのだけれど、この時点では写真を撮ろうと身構えていないせいか、まともな写真が撮れたためしがない。この日も橋を渡ってから慌ててカメラを向ける羽目になったが、たまたま水平が取れている写真になった(ブログ用に少しトリミングしている)。


    

(左)大間々駅の招き猫。この日は、大勢の乗客を「わ鐡」に招くことができた!
(右)大間々駅の木造駅舎の柱と屋根。乗ってきた車両が機回し線(でいいのですよね?)を使って向こう側に停まった。


 回りこんだ光が、あかがね色の車体を鈍く輝かせる。エンブレムのキジが光の中を飛ぶ「火の鳥」に見えた。自分が見た光景を写真に残せない(露出を試している間に回送されちゃった)。
「ニワトリさん、まだまだね」、由美香さんの声が聞こえた?


 自分が「わ鐡」に乗るときはいつもガラガラで、貸し切り状態を喜びながらも「これで大丈夫なのだろうか」不安も覚えた。この日は、大間々の「歩こう会」?の面々や観光バスで少しだけ「わ鐡」に乗る人々など実に多くの乗客を迎え、終日通勤電車並みに混雑した。ぐずぐずしていたら最後部運転席横の「指定席」も塞がってしまい、ディーゼルカーが七曲りに差しかかり写真に収めたい景色が次々現れても、指をくわえて見ていることしかできなかった。でも、「わ鐡」の駅の中でも一番好きな部類に入る「本宿」駅のホームを通過したときはもうたまらず、人の頭と頭の間からほんの一瞬カメラを向けてしまった。ピントは甘くなったが水平は取れていて構図も悪くない。じっくり構えてもどちらかに傾いてしまう癖を考慮すると、奇跡としかいいようがない・・・。