にわとりトシ子の、君の瞳に恋してる!

『純情きらり』と『あまちゃん』が続けて見られる今年だよ!

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菜の花レールに沿って歩く ~国吉-上総中川

2009-04-30 23:32:30 | 鉄道紀行&乗り物


 去年に続いて今年も、ここ(菜の花ハイキングロード)を歩きます。去年より若干「菜の花カーペット」が薄いような気もしますが、どんより曇っていた去年と違って(おまけにここで雨が降り出した)、雲が多めだけど青空も見え、水の張られた水田に景色がよく映りこんでいました。気分は最高~です。
 菜の花ハイキングロードは、地図がなくても楽しめます。国吉駅で下車したら、駅前の小さなロータリーを左折して、(見えないけれど)線路に沿って次駅の上総中川&大多喜方面に向かって歩き出せば、10分ほどで道が大きく左に曲がって踏切が現れます。踏切を渡っても上総中川に着くけれど、踏切を渡らずに写真の砂利道を歩きます。踏切にたどり着けば、自然と足が砂利道の方に向かってしまうでしょう。というのも・・・
 一直線に走る線路の土手と斜面を飾る菜の花。左右に広がる水田と頭上の広い空。あちらこちらの水面から響きわたるカエルの鳴き声。上空から雲雀のさえずりが日光と共に降ってきたかと思ったら、前方を燕が歌いながら風のように横切ってゆく。少し離れた森からかすかに聴こえてくるウグイスの声と、黄色い風景の中をひらひら舞うモンシロチョウ・・・こんなに心地良い場所は、そうそう見つからないでしょう。
 そんなわけで、4月の「いすみ鉄道」詣では必須になりました。しかも、国吉~上総中川間を歩いている間に、最低1回は「いすみ鉄道」の黄色いレールバスともすれ違うことができるんだから~。
 ほらほら、おしゃべりしている間に踏切の警報機が鳴り出して、向こうからレールバスがやって来た!


    

 鉄道写真としては、二枚目の写真の方が良いと思いますが、個人的には菜の花と同じ大きさになってしまった最初の写真の方が好きです。


大きく引き伸ばすと、鉄道写真としても、こっちの方が楽しいかな?


 実はこの写真、スタート地点の踏切に着いて、「いよいよこれから、菜の花カーペットを歩くぞ~」と一歩踏み出した瞬間に警報機が鳴り出したため砂利道を猛ダッシュ、菜の花の密度がやや濃くなった地点でやむを得ずシャッターを切ったものです。ネコの「国吉」クンともう少し遊んでいたら、去年と同じように踏切の手前ですれ違っていたでしょう・・・。
 8時01分に国吉駅に到着すると、菜の花ハイキングロードで3回も、レールバスとすれ違うことができます。
( ① 8時28~33分=こちらに向かってくる大原行き上り線。② 9時14~19分=大多喜行き下り線。③ 9時35~41分=再び大原行き上り線)
 2~3か所の撮影ポイントでレールバスを見送って(待ち伏せて)、次駅の上総中川に到着するのが9時50分。この後は、10時03分の上総中野(終点)行きレールバスに乗り、大多喜で降りるも良し、終点まで行って小湊鉄道に乗り継ぐも良し(これを逃すと次は15時)という具合に効率良く時間を使えるので、この時期はこの方法で乗ることにしました。
(普通に歩けば40分のところを2時間かかって歩くのだから、効率が良いとは言えないか・・・)


    

(左)今年は去年より菜の花が少ないような気もしましたが・・・
(右)線路のこんな近くで咲いた子もいました。エライ!

 休みの筈だったのに・・・今日も明日も・・・でも土日は連休になりました。さあ、どこへ行く?

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今年も幸せの黄色い絨毯 ~一年ぶりの再会!

2009-04-29 23:15:18 | 鉄道紀行&乗り物



 無人の国吉駅の改札の前に、ちょっとした置物と壁に貼られたイラストがあり、この写真を撮ったら、菜の花ハイキングロードに向かうつもりでした。
(「いすみ鉄道」といえば、菜の花と、レンゲなんですね~)
 改札を抜け、駅前広場(ロータリーと呼ぶほど大きくない)を通り過ぎようとしたら・・・


何と、一年前に見かけた駅ネコ君じゃないですか~~!
(この写真は再会後しばらくしてから撮ったもの)


    

 自分のことを覚えていた?のか、単に人なつこいだけなのか、写真を撮ろうとカメラを向けると、こちらにすり寄ってきてしまうので、なかなか良いカットが撮れませんでした・・・菜の花を背景に1枚だけ写ってくれました。


 去年は緑の鈴を首にかけていましたが、今年はピンクの鈴です。自分の後をどんどんついてくるので、このまま連れて帰ろうかと、何度思ったことか・・・。
 ここでぐずぐずしていると、去年と同じように撮影スポットに着くまでに起動車とすれちがってしまいます。それでも、国吉クン(勝手に名付けた)があまりに可愛いので、ぎりぎりまで駅前にいました。後ろ髪をひかれながら別れを告げます・・・(もうだめ、眠い~!)

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今年も幸せの黄色い絨毯 ~国吉駅まで

2009-04-28 23:58:50 | 鉄道紀行&乗り物

09年4月4日、国吉駅を発車するレールバスを見送る・・・


 ようやく、【いすみ鉄道】の記事に戻りました。今頃は、長らく目を楽しませてくれた菜の花もわずかになり、レンゲの花が咲き始めたのではないかと思います(休みがうまく合えば、乗りに出かけるつもり)。例年より早く開花した桜(ソメイヨイノ)が寒気のために満開まで時間がかかったため、この日は、一分~三分咲き程度の桜しか見られませんでした。東京より約5~7日ほど開花が遅れる計算で乗りに行けば、菜の花との競演も楽しめると思います。また来年が楽しみですね~♪


(左)最初の駅の「西大原」に着く前に、1本目の桜が見えてくる。まだ三分咲き程度。ここでこんな感じだと、追って知るべし・・・。
(右)西大原駅を過ぎると、視界がいきなり広がる。十数秒間、稲田の海を渡るかのごとく走る。中国かベトナム(共に行ったことないけど)を旅しているようにも思える瞬間!


(左)西大原~上総東、田園光景の次に現れる桜並木と菜の花。カーブに沿って桜も植えられている。この高さだと、配色的にはちょうどいい感じ。
(右)二度目の西大原~上総東。今度は最後尾から撮影してみた。斜面の下に植えられた桜はまだ若木みたいだけど、大きく成長するまで「いすみ鉄道」が存続していてくれますように・・・。


     

(左)夏になると、木陰が気持ちよさそうな大きな木の横にある小さな踏切を越えると、上総東駅が見えてくる。おや? 小さく見える車両は?
(右)朝のすれ違い。おはよう~♪ 上総東駅周辺には、ホタルの里とトンボの沼がある。


上総東~新田野。切り通しのような斜面を駈け上がってゆくと・・・


   

 今度は一気に菜の花のスロープを駈け降りる。最初に、車内に歓声が上がるところ(左写真)。左手の桜が満開だとさらに際立つだろう。直線の終わりに「新田野」駅がある。まだ降りたことがないけど、片側ホームの隣に桜の木があって、なかなか味わい深い駅だ(右写真)。


このくだりは本当に気持ちが良い。くだりだけど天国に昇る気分~♪



(左)大原駅から7時44分発のレールバスに乗り、8時01分、朝もやにかすむ国吉駅に降り立った(国立を出発したのは4時37分だけど)。雲の切れ間から朝日が差しこんだ。
(右)国吉駅の桜もこのとおり・・・下りホームにあった屋根付きベンチも撤去されてしまい、ちょっとがっかり(青地に虹とトンボの可愛い絵が描かれていた)。さっさと歩こうと改札を抜けると、目の前に現れたのは?

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観音崎えとせとら ~海辺の生きものたち

2009-04-27 11:35:35 | オートバイ春夏秋冬


 観音崎の磯だまりで少し遊んだら、のんびり昼寝でもして・・・なんて考えていたニワトリさんでしたが、観音崎周辺を歩き回っているうちに夕暮れが近づいてしまいました。それでも、砲台跡を回り切れなかったし、自然博物館にも行かれなかったし、ゴジラの足跡も見過ごしたし、ボードウォーク(海岸線の遊歩道が板張りになっている)も歩けませんでした。今度来るときは、サンダル&短パンに小さな網&バケツを持って行こうかな?


(左)磯だまりの海藻たち。誰かがきれいに並べたのかな?
(右)ゆらゆら揺れる磯巾着(このあと、イソギンチャクをつつきました!)


(左)バケツの中を見せてもらいました。カニが3匹、透明なエビが2匹、小さなヤドカリが1匹・・・ジョウロの中では、何かの幼魚が無邪気に泳いでいました。
(右)上空ではトンビもパトロール旋回中。何羽も見かけました。林の中を歩けば、あちらこちらでウグイスが縄張りを主張中! とても賑やかです。


(右)多々良浜にある観音崎自然博物館。次回はチェックするつもり。多々良浜のどこかに、ゴジラが上陸したときの?足跡があるそうです。これも見てみたいな~♪
(左)博物館の向かいにバイクを停めて、案内図に描かれたコースを歩き回りました。おや、バイクの手前に写っている柱は?


 歩道をガードする柱が、観音埼灯台の形をしていました。なかなかの演出です。


(左)帰途につきながら、椰子の実が立ち並ぶ馬堀海岸に寄ってみました。こういうとき、魚眼レンズがあると面白い写真が撮れそうです。
(右)サルというよりマッコウクジラに見える猿島。ここでも一日遊べそう~。三笠公園から猿島行きの船が出ていて、約10分で無人島へ!(往復=1200円)。


最後は馬堀海岸の偽ハワイ写真で幕を閉じます。といっても、また行くけどね~♪
(今回のツーリングの走行距離=199km+2万歩。燃費25.13 ℓ/km)

 観音崎公園のHPは、 → ここをクリック (予習したから、今度こそ・・・)

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観音崎えとせとら ~近くて遠い過去

2009-04-26 23:50:02 | オートバイ春夏秋冬


 写真は、観音崎内の北門第三砲台跡から眺めた太平洋(東京湾入口)で、右隅の煙突は東京電力横須賀火力発電所のものです。
 観音崎には観音埼灯台があり、隣接しているタワー(東京湾海上交通センター)から浦賀水道を行き来する船舶の動きを管制しています。観音崎が東京湾の海上通行の安全を図る上で重要な地点にあるということは同時に、仮にここを制圧されてしまうと極めて不利な立場に追いこまれてしまうことを意味しています。司馬遼太朗の『竜馬がゆく』を読むと、江戸の千葉道場に剣術修行に来た坂本龍馬が、現在防衛大学校のある横須賀市小原台の高台(観音崎の近く)から黒船を眺めるエピソードが記されていますが、ここを国防上の重要な拠点と考えた明治政府は、前述したように観音寺を移転させ、砲台を設置して観音崎を要塞化し、海上に築いた第一~第三海堡と共に浦賀水道に砲口を向け、睨みを利かせていました。今では自然公園となった観音崎だけど、今でもその一部が防衛省の管轄区域になっているのは、そうした理由によるものでしょう。

【補足】 富津沖の第一&第二海堡に対して、観音崎沖の第三海堡はニ番目に規模が大きく、完成までに30年の年月を要しながら、完成から二年後に生じた関東大震災で崩壊し、暗礁と化してしまいます(魚たちには天国だと思う)。海難事故の原因になっているとの指摘を受け、2000年から撤去工事が始まり2007年に工事終了、引き上げた構造物の一部は安全な場所に再投棄して漁礁として再利用、一部を陸揚げして当時の土木技術の調査を行い、兵舎や弾薬庫などを国土交通省の展示施設で一般公開しているそうです。長崎県の沖合に浮かぶ(通称)軍艦島が35年ぶりに一般公開されることになりましたが、足元に興味津々な人工島が存在しているのですから、機会があったら是非見学してみたいものです。


    

(左)灯台入口に近い岩がこのように切り通しになっている。誰が作ったのだろう。
(右)西脇順三郎の「灯台へ行く道」に出てくるトンネル。トンネルの中に小部屋?が幾つもある(コンクリートで蓋がされているが・・・)。


 多々良浜側から国道を歩き、先ほどのトンネルをくぐって観音崎の中に入ると・・・太平洋戦争が終わるまで、観音崎は旧軍の要塞だった。現在も、5か所の砲台跡が残されている。このようにコンクリートで塞がれているのは元弾薬庫?兵員室? 


(左)多々良浜側から遊歩道になっている坂道を登り、煉瓦造りのトンネルを抜けると北門第三砲台跡に出る。
(右)トンネルの正面に現れてくる砲台跡。砲台跡は5か所残されているらしいが、この日は1か所しか回れなかった。

(右)砲台跡の内部。苔むし、木々が生い茂り、古代遺跡のようにも見える。
(左)同じ砲台跡を横から眺めると・・・塞がれていない空間もあった。掩蔽壕かな?



(左)砲台跡の近く、一番見晴らしの良い丘の上に、先の戦争で亡くなった船員を供養するための「戦没船員の碑」がある。突端の石碑には、大きな字で「安らかに眠れ わが友よ 波静かなれ とこしえに」と刻まれている。確かに、ここから見おろす海は素晴らしい・・・。
(右)山の上に投錨された錨(あるいは、こんなところまで打ち上げられた沈没船の錨だと想像することもできる)。石碑に刻まれた文字と同じことを語りかけている。


    

戦没船員の碑。約六万人が犠牲になった・・・。

 昨晩遅く書き始めたのですが、やはり眠気には勝てず翌朝に・・・29日を乗り切れば休みだあ~♪ 

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観音埼灯台

2009-04-25 23:50:00 | オートバイ春夏秋冬



 まだ夏が終わらない灯台へ行く道 岩の上に椎の木のくろずんだ枝や いろいろな人間や小鳥の国を考えたり 「海の老人」が人の肩車にのって 木の実の酒を飲んでいる話や キリストの伝記を書いたルナンという学者が 少年の時みた「麻たたき」の話など いろいろな人間がいったことを考えながら歩いた やぶの中を「たしかにあるにちがいない」と思ってのぞいてみると あの毒々しいつゆくさの青い色もまだあった あかのまんまの力も弱っていた 岩山をつきぬけたトンネルの道にはいる前 「とべら」という木が枝を崖からたらしていたのを 実のついた小枝の先を折って そのみどり色の梅のような固い実を割ってみた ペルシャのじゅうたんのように赤い種がたくさん 心のところにひそんでいた 暗いところに幸福に住んでいたかわいい命をおどろかしたことは たいへん気の毒に思った その暗いところにいつまでも かくれていたかったのだろう 人間や岩や植物のことなどを考えながら また灯台への道を歩きだした(西脇順三郎 『灯台へ行く道』)


    

 西脇順三郎の詩碑がある地点から、観音埼灯台へ登るかなり急な坂道が始まりますが、そこに至るまでの道は二通りあって、一つは横須賀側から岬を巻くように歩く磯伝いの遊歩道で、もう一つは反対側の多々良浜(ゴジラが上陸したらしい)から岩山のトンネルを抜け坂道へ至る道です。『灯台へ行く道』が書かれた頃は、後者の道が一般的で、その後に磯伝いの道が整備されたそうです。ニワトリさんは前者の道から坂道に入っていきました。坂道はそう長くは続きませんが、一気に崖の上まで登るため、結構息が切れます。でも、ご覧のようにいい道ですよ~♪


 観音埼灯台は、明治元年(1868)にフランス人のヴェル二―が設計した日本最初の洋式灯台で、三浦半島の東端に位置しています。初代の灯台は右写真のような四角い煉瓦造の建物で、起工日(1868年11月01日)は「灯台の日」に制定され、その日に限り全国の灯台が公開されるそうです。初代灯台は何とも素敵なつくりだったのですが、大正11年(1922)の地震によりひびが入り、翌年コンクリート造りの二代目に建て替えられました。完成から半年後の関東大震災で倒壊してしまい、現在の三代目が建てられました。
(観音埼灯台の下の磯に、倒壊した二代目灯台の残骸が今も残っているそうですが、残念ながら見ないで帰ってきてしまいました。やっぱり予習は必要かな?)


 

 観音埼灯台は、高さ19m(海上から灯火まで56m)。八角形の白亜の美しい灯台は日本の灯台50選に選ばれています。映画『喜びも悲しみも幾歳月』の頃は人が常駐していましたが、現在は完全無人化されています(灯台守という職業はなくなってしまった)。『ウルトラセブン』第46話では、サロメ星人がここに住みついて(にせウルトラセブンを作り)地球征服をたくらんだとか・・・(この話も後から仕入れた。残念)


 観音埼灯台のてっぺんから見た観音崎(左端の白い丸塔は、海上保安庁東京湾海上交通センターの管制塔)。観音崎の「さき」は岬を意味していて、陸から見たときは「崎」を、海から見たときは「埼」を当てるそうです。灯台は普通、海から見るものなので、「観音崎」灯台ではなくて「観音埼」灯台になるのだとか・・・全然知らなかった~! (「漢検」の愚劣さはおいといて)漢字って奥が深いですね。


    

 灯台の見晴らし(左写真)は最高で、スリルも味わえます。浦賀水道を通行する一日700隻!の船舶の安全に寄与しているフレネル式レンズ(写真右)も素敵。
 日本の灯台は全部で3384基!もあるのに、内部まで見学できる灯台は、本州12、九州=1、沖縄=2の合計14基しかないそうです。ニワトリさんはたまたま観音埼灯台と犬吠埼灯台に上ったので、普通に見学できると思いこんでいました。観音埼灯台の入場料は200円。内部を見学できるだけでも貴重なのに、その上資料館も常設されているのだから、ここは見学するしかない! ここまで坂道を登りながら、入口で写真を撮って引き返す人が多かったのは何とももったいない話・・・ニワトリさんも、しぶしぶ200円を払いましたが、今は大いに反省! 11月01日の「灯台の日」に休みを取って、普段は見られない灯台を見学しに行こうかな?


(左上)磯の潮だまりで遊ぶ人々たち。イソギンチャク遊びがした~い!
(右中)浦賀水道を行き交う船や鳥(黒い点)を眺めながら昼寝の予定でしたが・・・。
(左下)灯台の真下の突端にあたる部分は防衛省の敷地(海上自衛隊管轄)になっていて、立入禁止の柵が張られていました。観音崎のもう一つの顔については改めて・・・。

 睡魔に負け今朝UPしましたが、日付は昨日のままです。続きは仕事が終わってから書くつもり。夜中になるかな?

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観音崎にて ~灯台へ行く道

2009-04-24 23:56:15 | オートバイ春夏秋冬



 記念艦「三笠」を後にして、椰子の樹が立ち並ぶ海岸通りを走っているうちに、やっぱり海はいいなあ~と、気持ちが雄大かつ穏やかになっていきました。
 観音崎に着き、バイクから降りました。観音埼灯台へと続く散策路や、太陽の下に横たわる青い海、磯だまりで楽しそうに遊んでいる子供たち、波打ちぎわの浜辺で花を咲かせている植物、その隣で海を見つめている大人びた少女・・・そうした光景が目に入り、潮の香りを胸に吸いこんでいるうちに、ひたすら走るだけで終わりそうな半島一周を中止して、夕方までここで過ごしたくなりました。
 時刻は13時。「先に三崎口まで走って、おいしい海の幸でも食べてからここに来れば良かった」と思いましたが、これから三崎口まで走ると食事が14時近くになってしまいます。観音崎には食堂が1件しかなかったので、他に選択肢はないものかと、来た道を戻ってみたのですが・・・。


 やっと見つけた二店のうち、一店に入りました。一番安い!刺身定食(千五〇〇円)に、サザエの壺焼(合計二六五七円)を奢ってしまいました。海が近いせいか、さすがにおいしかったです。小さなグラスに入った濃厚な梅ジュースはサービス品!


     

(左)満ち足りた気分で観音崎へ戻り、灯台へ続いている海辺の道を歩いた。崖下に海に浸食された洞窟が現れる。奈良時代の僧=行基がこの地方で漁業を営む人々の安全を祈願して十一面観音像をこの洞窟に収めたことから、観音崎の地名がついたとされている。「行基」の名は全国の至る所でお目にかかる。実績を考えると、弘法大師以上のスーパー僧侶かもしれない。
(右)観音埼灯台が見えてきた。心が走り出す!(誤記だらけの「にわとりブログ」ですが、観音崎の表記に関して、あることに気づいた方がいるかしら?)



(右)観音寺跡。行基が十一面観音像を奉納してから、観音堂が創建され、江戸時代には大きな信仰を得ていた。明治に陸軍の砲台が築かれ、観音寺は鴨居の亀崎に移転し、1986年に焼失してしまった。
(左)灯台に続く石畳の坂道にさしかかる頃に、詩人=西脇順三郎の石碑があった。
石碑には、『灯台へ行く道』の最初の一節が刻まれていた。

 ~まだ夏が終らない灯台へ行く道 岩の上に椎の木のくろずんだ枝や、いろいろな人間や小鳥の国を考えたり 「海の老人」が人の肩車にのって 木の実の酒を飲んでいる話や キリストの伝記を書いたルナンという学者が 少年の時みた「麻たたき」の話など いろいろな人間がいったことを考えながら歩いた~

 碑に刻まれた文章を復唱しなら、自分も灯台へ行く道を登り始めた。
(全文を読みながら歩いたら、さらに散策が楽しくなると思います。帰宅してから『灯台へ行く道』を探して、音読してみました)

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三笠記念公園

2009-04-23 13:14:25 | オートバイ春夏秋冬


 レストラン=ドルフィンがまだ健在なのを確認してから、最初に予定していた横須賀の三笠公園(写真。中央の銅像は日本海海戦の指揮をとった東郷平八郎元帥)に向かいました。国道16号は空いていて、途中、京浜急行の電車と並走しながら(うっしし)金沢八景を経て横須賀に着きました。トンネルを抜けて坂道を下ってゆくと、左手の港に海上自衛隊の護衛艦が2隻並んで停泊していました。以前、レインボーブリッジをくぐってゆくイージス艦をたまたま目撃したことがありますが、1隻はイージス艦だったかもしれません。公園の入口にバイクを止めると、雲一つなくよく晴れた空の下に海上に浮かんでいるかのように佇む(海辺にあるけど、地上に上がっている)戦艦「三笠」の姿が見えてきました。数十年ぶりの再会です。


(左)公園入口付近にバイクを駐車する。奥に三笠のマストが見える。時刻は12時を回っていたが、この時点でも城ケ島まで行くつもりだったので、内部は見学しなかった。日露戦争での被弾状況や、実際にここで何人が戦死したなど、子供の頃に見学した際に、意外なまでの生々しさにショックを覚えたことも、見学を中止した理由の一つだったのだが、帰ってきてから公式HPを閲覧したところ、展示内容が当時と様変わりしているように思えた。現物を見学していないので何とも言えないが、戦闘に伴う「死」について、HP上ではオブラートで包んでいる印象を受けた。
(右)記念艦「三笠」を見学する場合は、後部上甲板までこのタラップを上がる。入口には三笠の30cm主砲弾と、被弾して欠損した砲口、戦利品のガトリング機関銃(旅順攻略戦で陸軍が悩まされたロシアの機関銃。多くの人命が奪われた)、戦艦「大和」「武蔵」に搭載された46cm砲弾が飾られていた。


 昔と違って、周りが住宅地になっているので、ちょっと場違いな気が・・・。三笠は前後甲板に連装式の30cm主砲を2基、計4門搭載していた。射程は1万メートル。


 舷側から突き出た副砲群。15cm砲を片側7門=計14門、8cm砲を片側5門=計10門を搭載している(現役時、8cm砲は計20門。舷側の8cm砲は見学者が動かすことができる)。当時の海戦は、船が舷側を見せ合い、全ての砲を使って撃ち合うことが多く、司馬遼太朗の『坂の上の雲』を読むと、海戦の凄惨さがよくわかる。あたかも絵画を観ているような気がしたものだった。

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港の見える、見えない・・・ ~横浜寄り道

2009-04-22 23:48:48 | オートバイ春夏秋冬


 憧れの地「横浜」で、いの一番に行きたかった場所は、何を隠そう(別に隠さなくてもいいけど)「港の見える丘公園」と「フランス山」でした。写真か何かで実物を見たのではなく、単に言葉の響きだけで惹かれただけなのですが・・・。
 初めて「港の見える丘公園」を訪ねたときは、正直がっかりしました。空は広くても、ほんの少ししか海を見ることができなかったからです。とはいえ、公園内の大佛次朗記念館やローズガーデンなど、うたい文句とは違った側面も見せてくれたので、それなりに満足することができました。
(公園は港を見下ろす高台にあって、きっと夜景も素晴らしいだろうと、勝手にイメージを膨らませていた自分が悪い? 確かに夜景は素敵みたい・・・)
 イメージを膨らませるといえば、「フランス山」です。これも勝手に「モンマルトルの丘」のようなものを想像していたので、「フランス山」を歩いていながら、「フランス山はどこだ?」と探し回るほどアホでした・・・。
 「港の見える丘公園」の展望台からは少ししか海が見えませんが、ベイブリッジができてからは以前よりもましな眺望になったのではないかと思います(写真)。


 「港の見える丘公園」の展望台から左端に目をやると、マリンタワー&氷川丸&大桟橋(三層の構造になっているのがわかりますね~)の三点セットが一応見えます・・・。



(左上)最初の写真のベイブリッジを、35mm換算157mmの望遠レンズで覗いてみると・・・!
(右中)大佛次朗記念館。その昔、現代国語の授業で「ダイブツジロウ」と音読した人がいて、大いに受けました。この人は島崎藤村のことも「シマザキフジムラ」と読み、普通に「フジムラは~」「フジムラは~」と読むものだから、先生もあえて誤読を指摘しませんでした。
(左下)公園内のローズガーデン。5月半ば頃から花が咲き出すのかな? これから芽を伸ばそうかといったところ。奥に見える洋館(イギリス館)も、いい感じです。今回、「フランス山」や「山手111番館」まで足を伸ばしませんでした。


(左)「港の見える丘公園」から目の前の「山手本通り」を歩いてゆくと、100mも行かないうちに「外人墓地」前に出ます。多磨霊園や谷中墓地などと違って立入禁止になっています。
(右)元町公園の方に足早に向かうと、明治時代の鉄道敷設に寄与した「外国人鉄道技術者」たちのお墓がありました。まとめてこの一角に埋葬されたのでしょうか? 「準鉄道記念物!」と彫られた石柱に、びっくりたまげた!


     

左)山手資料館。そうそうゆっくりもしていられなかったので、「イタリア山庭園」でトイレを借りた以外は素通りしました(「元町公園」を始め、この一角だけで一日過ごせる)。
(右)山手教会はイモ洗い状態。人々で溢れかえり、足の踏み場もなし! ヘルメットをかぶったまま、適当にフレーミングして先を急ぎます。(α700には、ライブビューの機能がない・・・)


(左)そして・・・「中央フリーウェイ」を歌いながら中央自動車道を走ったことがある人なら必ず訪れているレストラン=ドルフィンが、今もあるかどうか確かめに行きました。70年代後半から10年間、同時代的な感性で若者をリードしたシンガーソングライターがユーミンでした。荒井由実時代の名作「海を見ていた午後」に登場する「山手のドルフィン」は、山手本通りに面してはいるけれど、厳密にいえば山手ではなく「根岸のドルフィン」になる・・・この程度のデフォルメは致し方ない?
(右)テーブルの高さを考えると、「ソーダ水の中を貨物船が通る・・・」のは無理だと思いますが、全面ガラス張りの店内から確かに海が一望できました。バブル以降のマンションの建設ラッシュで、景観の半分が建物に変わったとか・・・。

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横浜寄り道 ~あの日に帰りたい?

2009-04-21 17:05:05 | オートバイ春夏秋冬


 19日の日曜日は、ややお疲れ気味だったので、ゴロゴロしていようかとも思ったのですが(午後から映画を観に行くとか・・・)、とても良い陽気だったのと、この日を逃すと月末まで休めそうにないので(次のお休みは実習に行かねばならないし・・・)、予定どおり出かけることにしました。先週は「山」に行ったので、今回は「海!」を目指しました。
 小学生卒業の春休みに、一泊二日の行程で三浦半島を一周してきました。初日は、横須賀から観音埼灯台&剣埼灯台&城ヶ島灯台と、三つの灯台を回って城ヶ島ユースホステルに泊まり、二日目は、城ヶ島から船で油壺へ渡り、油壺から葉山、逗子と回って帰途に着きました(中学卒業の春休みも同じルートで出かけましたが、このときは剣埼灯台から城ヶ島まで海岸線を歩き、城ヶ島で連泊しました)。
 自分たちで計画を立て、ユースホステルの会員になって宿を予約、時刻表で鉄道やバスの時間を調べ、二万五千分の一の地図とにらめっこしながら、ときには道なき道を進みました。
 このコースは、ニワトリさんの旅の出発点です。ここで感じたことから全てが始まりました。二輪を手に入れたときも、このルートを走ってみましたが、それも遠い昔の話・・・なんて感傷に浸るのもいいけど、あれからどれくらい景色が変わったのか、あるいは変わらないでいるか、アオガエル君と訪ねてみることにしました。家を出たのが8時半、やや遅いスタートですが、昼過ぎには城ケ島に着くだろうと考えていたところ・・・(写真は、横浜「イタリア山庭園」にある「外交官の家」)


(左)東八道路から環八を南下して第三京浜「都筑インター」近くで、オドメーターが1000kmになりました。路肩に寄せて記念撮影? 第三京浜で初めて1万回転以上エンジンを回して見ました。4000回転では平和にのんびりと、6000回転も回せば交通の流れを十分リードできますが、8000回転を超える頃からパワーがグーンと盛り上がってきて、エキゾーストノートもレーシーなサウンドに変わります。快感! 
(右)第三京浜(二輪=200円)から横浜新道(150円)→横浜横須賀道路(3月20日に全線開通)を利用すると観音埼まで一気に走れるのですが、通行料金が高いことで知られる横横道路でも、ETC休日半額キャンペーンが行われていたので、ETCカードしか持っていないニワトリさんは大いに憤慨して、狩場インターで一般道に降りてしまいました。せっかくだから、ちょっとばかり横浜に寄っておこうと、数十年ぶりに「大桟橋」を訪ねてみたら、ずいぶんと景色が変わっているじゃない! 青春時代は赤煉瓦倉庫しかなかったのにね・・・(ランドマークには何回か行ったことがあるけど)


 激変した「大桟橋」だけど、それ以前の姿を覚えていないことに愕然とした? 屋上には芝生とウッドデッキが張られ、非常に気持ちのいい空間が出来上がりました。公募で決まった愛称が「くじらのせなか」。確かにそんな感じがします。『白鯨』のエイハブ船長か、クジラに飲みこまれる前の『ピノキオ』になった気持ち? このクジラ、背中じゃなくてお腹を上に向けてるようにも見えますが・・・黒い服の女の子がいい感じで佇んでいました(クリックすると現れるよ~)。


(左)大変広い「くじらのせなか」。クイーンエリザベスⅡ世号など、豪華客船もここに泊まります。ベイブリッジも見えますね!
(右)ウッドデッキは、非常に複雑な構成になっていて、微妙に角度を変えながら階段状に張られています。未来的なデザインですが、ウッドデッキに芝生というのが人肌に心地良い~♪


 ランドマークタワーと「みなとみらい21」。夜景が美しいことでも有名ですね。手前に見える赤レンガ倉庫は、昔から有名でした・・・


 その昔、横浜といえば、「くじらのせなか」を挟んで「みなとみらい21」の反対側に見える氷川丸&マリンタワー&山下公園が定番だったのですが・・・氷川丸&マリンタワー共に、2006年12月25日をもって閉鎖されてしまいましたが、氷川丸はリニューアル工事を施し08年4月から一般公開再開となり、置き去りにされていたマリンタワーもリニューアル工事が決まり、来月23日に再び明かりが灯る運びになりました。よかったね~。


 今年は、開港150周年の節目を迎えていますが、19世紀後半から20世紀初頭にかけての建物も、ちらほら残っているようです。この二棟なんか、いいですね~。横浜に来ると、いつも思いながらなかなか実行できないのが、街歩き。今度じっくり歩いてみようかな?

 青春時代、多摩の田舎者にとって、横浜は憧れの土地でした。松任谷になる前のユーミンを聴きながらこの街を流すと、ますます感情移入できるような、そんな気持ちになりました。激変したとはいえ、大桟橋を訪ねてしまったら、それだけでここを去るわけにはいかなくなったニワトリさんは、最低限必要と思われる場所を回ってから横須賀に向かいました。昨日、夜勤前にチマチマ書いて、夜勤明けにさらに書きこんでUPさせるつもりでしたが、ここで一度切りますね。泣きながら写真はちぎらなかったけれど、あの日に帰りたい~♪

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