『トンマッコルへようこそ』は、その Welcome な題名から、コメディ・タッチでファンタジー色が強い作品だと勝手に想像していたのですが、実際はかなりシビアな映画でした。
その日は、最初に『父親達の星条旗』を鑑賞し、上映終了後に隣の映画館に移動し、引き続き『トンマッコル~』を見たのですが、例えば、血みどろの拷問映画『ホステル』を見た後で、ほのぼの泣ける『ALWAYS 三丁目の夕日』を見てバランスを取っておく?みたいに、
「『父親達の星条旗』はかなり重たい映画なので、『トンマッコルへようこそ』で癒されよう・・・」なんて、トシ子は考えていたわけです。
けれども、この映画は「子供のように純粋な」という意味の〈トンマッコル〉という言葉を題名にしているのに、ことあるごとにファンタジーの領域に逃げ込もうとする私を、「そうはさせじ」と現実へ突き飛ばす非常に厳しい作品だったのです。『父親達の星条旗』と『トンマッコルへようこそ』をひと言でいえば、(手垢のついた言葉ですが)暴力否定の見事な反戦映画といえるでしょう。両者が全く同じ上映時間(132分)だったのは、不思議な偶然ですね・・・
物語は到ってシンプル。朝鮮戦争の最中、アメリカ海軍のパイロットが偵察飛行中に飛行機が故障し、山中に墜落したところをトンマッコル村の住民に助けられる。同じ頃、訳あって行動を共にする韓国軍兵士2名と、部隊が全滅して敗走中の人民軍兵士3名が、それぞれ山中を彷徨いながらトンマッコル村にたどり着く。鉢合わせした兵士達は、村人達を挟んで銃や手榴弾を構えるが、一度も争いごとを起こしたことがない村人達には、彼らが憎み合う気持ちがさっぱりわからない。彼らの憎悪を正当化している正義や理念は村人達にとっては不要の念仏でしかなく、銃や手榴弾を見たこともなく怖さも知らないので、「手を挙げろ」と言われればそれに従うけれど、脅しが効いているわけじゃない。兵士達は、一人二人と家に帰っていく村人(眠いしね)を尻目に、一触即発のにらみ合いを一晩中続けるのだった。そして、神経をすり減らして意識朦朧としてきた両軍兵士の隙をついて、少女ヨイルが手榴弾の安全ピンを抜いてしまい・・・(だって指輪だと思ったんだモン)
そのあとは、劇場(終わってしまったかも・・・)やDVD(まだですが・・・)などで、ご覧下さい。
この作品では、トシ子があまり好きではないCGが実に効果的に使われています。一つは、最もファンタジックな「ポップコーンの雪」が降るシーン。それから大猪と挌闘するシーン(『未来少年コナン』(宮崎駿監督の原点ですよね)をご存知かと思いますが、ハイハーバーの荒地でジムシーとコナンが巨大猪ブタを捕らえる場面を思い出した)。そして、クライマックスで無数の蝶が飛翔するシーン。CGの使い方は日本映画よりもずっと上手。
戦後60年間戦争をしていない日本人の自分には、トンマッコルのようなユートピアで争うことの無意味は理解できても、敵対していた南北両軍兵士が村を守るために一緒に戦うことに対して、韓国の人々ほど深い共感を覚えることはできないと思いました。北朝鮮が今現在どんな国であろうと、元々は同じ祖国だったこと、村を守るために一致団結して戦う相手が巨大な連合軍(米国)であること、冷戦によって故国を分断されてしまった人々の悔しさが滲み出ているような気がします。この作品は普遍的な反戦映画であると同時に、韓国人の心の琴線に触れるファンタジー映画なのでしょう。
『トンマッコルへようこそ』を観たら、国連が定めた非戦闘区域で敵対する兵士が鉢合わせになる映画『ノー・マンズ・ランド』(02)を、是非ご覧になって欲しいと思います。ボスニアの内戦を題材に、戦争の馬鹿らしさ&残酷さ、国連&マスメディアの愚劣さを、ブラックユーモアに乗せてかつてないほど辛辣に描いた、怖くて悲しい映画です。
〈トンマッコル〉という言葉を全身で表していた少女ヨイルを演じたカン・ヘジョンは、『オールド・ボーイ』(03)のヒロイン、ミドを演じて注目を浴びましたが、今回も素晴らしかった~~。そんな彼女を見ていて、大好きな大好きな映画『まぼろしの市街戦』(67)で、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルドがバレリーナみたいな黄色い衣装を着て、綱渡りをするシーンを思い浮かべました。あの映画の彼女、本当に可憐でした。そしてビジョルド嬢、私が一番好きな女優さんです。その彼女と同じくらいキュートだったんだから・・・