純情きらり(155)

2006-09-30 00:03:03 | 連続テレビ小説


 ハンストして(その間に、母子共に弱ってしまったら、「どうするの、桜ちゃん?」だったけど作戦勝ち)、「桜子にとっては、子供を産むことが生きる力になる」ことを達彦さんに知らしめたまでは桜子らしかったのに、展覧会のあたりから人間離れが進み、出産後の覇気のなさといったら・・・声もろくに出ないみたいだし・・・言葉を失います。

 脚本家は「鬼」でした。桃太郎侍に退治してもらってもいいですか? 例え、明日こそ(って最後ですが)ハッピー・エンディングが来ようとも、ええあなたは鬼ですアクマです人でなしです(トシ子さんは錯乱しているようです)。予告編で一番気になる映像を明日に先送りにするという小技を使って、視聴者の首を真綿で首を絞めるとは・・・

 杏子さんや○神マサさんには敵いませんが、トシ子の予言も当たりました。 
「待ってました~」は、磯じゃなくて、西園寺先生の「しかし、ピアノは松井君、君が弾いてください」のお言葉さあ~(松尾のオマケ付で
 でも、それがあっさり今日放送されてしまったら、「音楽の力」を示すことに全然ならないじゃないか・・・その証拠に桜子は、昔のことばかり喋って、達彦をぼろぼろ泣かしました。

 でも、トシ子は泣きません。トシ子が泣くのは桜子が結核をも克服して、達彦と輝一の元へ戻ってきたときだけです。病人だったのが嘘のように、今度は輝子ちゃんを生んだときです。
 もう一度言います。過去を懐かしがる桜子なんて、桜子じゃない。目の前しか見えない桜子こそ、本当の桜子だ。そしてもう一度、(眉間にしわじゃなくて)ぶーたれ顔を見せておくれ。達彦さんが言うように、輝一のオムツを変えたり、お粥を作ってあげて。我が子を胸に抱く日を見せてちょうだいな。音楽の力で、生きたいという意志の力で、結核菌を吹っ飛ばす。あと8時間弱、私が見られるのはお昼過ぎでしょうが、『純情きらり最終回』を待ちます。

 とうとう最後まで、「山長覚書」の世話になるはめに・・・
「良い味噌を仕込むには、見守ること。待つこと。そして待つこと」

(びわちゃ姉ちゃんに言われたので、ちゃんとして・・・待ちます)。

 というわけで、画像のUPは、やるとしても明日!


閑話休題(その3)

2006-09-29 22:20:28 | 連続テレビ小説
 トシ子は早起きなので(にわとりだから当然だけど)、毎朝5時には「こけこっこ」と目を覚ます。今週はハードだったので、深夜を超えると頭がボーとしてしまい、コメント下さった方へのお返事も、とおりいっぺんになってしまったかもしれません。大変失礼致しました。

 朝は東京駅まで熟睡。たいていは新宿~お茶の水間をうとうとする程度なんだけど、昨日などは国立-西国分寺-国分寺とたった三駅で眠りにつきました。朝食は外食ですが、ちゃんと取ります。今週はトースト&いり卵+コーヒーが主。昼食後は、最低15分はお昼寝します。帰りの電車は読書タイムですが、今週は気が乗りませんでした。早く『純情きらり』が見たかったから
 
 トシ子は明日は休みだと信じて、それだけを心の支えに、今週働いていました。が、勝手な期待は見事に裏切られました。
「明日も仕事かよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
 もう、こうなったら、今夜は寝ません。だって、これから今日の放送見て、ブログの記事書いて、お気に入りのブログを訪ねて、コメント書いてアレコレしていたら、いつぞやのように朝ですよ、全くもう。でも、いいもんね。

 さて、今日の放送を見る前に「心の準備体操」をしておきましょう。
(今、裕美さんがコメントくれました。ありがとう~)

①桜子は絶対に死なない。死ぬはずだった冬吾がピンピンしてるので、当然桜子も・・・
②キヨシの薬が間に合わないなら、源一郎からもらった水晶、達彦&キヨシのだぶりお守り、斉藤先生が娘にあげると言っていた帽子、勇太郎がかねからもらった腹巻(元達彦のセーター)、拓司の『山長覚書』その他、八百万の神々から猫の手まで借りて、どうぞ桜子を助けたまえ・・・

 それでは、後ほどお会いしましょう?

純情きらり(154)

2006-09-28 23:51:58 | 連続テレビ小説


 『純情きらり』は、15分間の放送枠の中にオープニング・クレジットと前日までのおさらいが入るので、正味12分で一回分を語らなければなりません。そして、12分×6日=72分(一週間)で完結するエピソードを26回重ねると、無事放送終了ということになるわけです。
(あと2回で終了なんだと、また思い出しちゃった~)

 そんなことは百も承知だって? そうですよね、ごめんなさい。でもですよ、72分で物語を語るのは、とても難しいんです。なぜかというと、(これはトシ子が勝手に考えていることですが)ドラマ=映画の基準は90分だから(いわゆる二時間ドラマもCMなどを除くと90分前後になる)。もう少し言うと、最近の映画といえば、猫も杓子も2時間超だけど、それを90分で語るのが本当のプロというもの。あっ、長編映画が悪いと言ってるわけじゃないんですよ、一つの物語を90分で語れるように訓練しなさいと言ってるわけ。ほいで、72分の上映時間というと、完全にプログラム・ピクチャーの世界です。2時間から18分を削るのは意外と簡単でも、90分から18分を削るのは凄く難しい。でも、だからそれゆえ、とんでもない傑作が生まれたりするわけです。 『純情きらり』の場合、制作者側にプログラムピクチャーを作っている意識は当然ないでしょうが、もう少し取捨選択を吟味してくれないと、昨日今日のように、「おや?」ということになってしまいます。

「展覧会のエピソードは必要だったのでしょうか? それもあんな感じの・・・」
 昨日のエピソードにも口をあんぐり開けるだけでしたが(だから、マロニエ荘時代の「あんぐり」画像でお茶を濁したのですが・・・)、今日の前半もかなり異様でした。
 桜子さん貸切の「五人展」(でも紹介されたのは生きてる四人。モリタは?)。桜子さんは、まるで高名な美術評論家のように、一人一人の絵を寸評します。そして、八重さんの絵のところで「東京大空襲と岡崎空襲が懐かしい」発言。それって・・・冬吾の絵(他にもあるけど)は例の「桜子さんの肖像」だし、しかも寸評している桜子さんは、この世の人ではないようなアルカリック・スマイルを浮かべていました。桜子さんはこの時点で既に死んでいるのではないでしょうか? 

 実は、桜子さんの微笑みは死を決意した人の達観というか覚悟というか、それこそ日光・月光菩薩の微笑だったことを、達彦さんが教えてくれました。でも、「まだ見ぬ子へ」に綴られたノートと楽譜(「山長覚書」のときと違って、生前に読めたのは不幸中の幸い)を残したことで、納得しちゃ駄目だよ、桜子! だいたい、菩薩の桜子なんて、あまりに「らしく」ない。桜子はやっぱり、あの桜子でなくては!

 竹馬の友?のびわちゃさんは「冬吾と笛子のバカップル姿」が苦手なようですが、私も今日は思い切り引いて「達彦さん、大人~」。桜子の微笑みも微妙なところです。
 ところが、何ごともなかったかのように笛子とじゃれる冬吾の姿を見て、例の脚本家がなぜ、性懲りもなく二人のエピソードを語ったのか、突然ひらめいたのです。
原案本では冬吾も桜子も亡くなるそうです。でも『純情きらり』では、二人は決して死なない。そのことを視聴者にこっそり教えるために、冬吾は川に落ちたんだ!
 これでトシ子の心ものちへ・・・

「輝一ちゃん、こんにちは~」
(トシ子は今週のお題から「輝」を頂いて、輝子=てる子ちゃんかなあと・・・)

 予告編の映像が殆ど出揃いました。あと残り2回、今度は桜子さんが我が子と夫の元へ帰還する物語が綴られるはずです。昨日彼女がハミングしていた『純情きらり』のテーマ曲『きらり』が『まだ見ぬ子へ』だったことも判明し、達彦のピアノ演奏は聞き慣れたチェロとも違って美しく、そして新鮮でした。キヨシの登場だけは自信なくなってきたけれど、大団円に向かって・・・

「名前、輝一にしよう」(女の子だったら、輝子も候補に

「いい子だぁ、おとうさんだよ」


「髪の毛は、生えとった?」
「けっこう、ちゃんとしとるよ」


「おかあさんが、おまえのために作った曲だ」

PS.ハートがどこかへ飛んだと思ったら、文頭に・・・可愛いのでそのまま残しました!


純情きらり(153)

2006-09-28 00:20:27 | 連続テレビ小説


「出た~~
 といっても、冬吾お化けではありません。
 達彦さんの、
「どした?」です。

 もう今日は最後の三分だけでいいや。

 ノースリーブの脚本家(にわとりトシ子は、三歩踏み出せばたいていのことを忘れてしまうくせに、気に入ったことや心に引っかかった棘を、いつまでもニコニコ or めそめそ覚えている)は、稲川淳二か丹波哲郎(大好きでした『忘八武士道』! ついに逝かれましたね。そちらからの通信をお待ちしてます)のファンなのだろうか? しかも冬吾ときたら、またしても川に転落して、幽体離脱から三途の川まで「大霊界」の基本コースを体験学習しておりましたが、ついでに、中川信夫監督の『地獄』のフルコースを体験する必要があるかもしれません(この作品、不幸が坂道を雪達磨式に転がり落ちていく物語だけでお腹いっぱいなのに、×ゲーテの「ファウスト」=地獄巡りという、実にアバンギャルドな傑作です)。
 考えようによっては、「病室とはいえ今や夫婦の寝室に堂々現れるなんて、達彦さんが可哀相」「何度も何度も同じ嘘でごまかされる笛子(今回は「五月蝿い」が殺し文句)もお気の毒」という話になってしまいます。結局、彼女がこのエピソードを通して何を伝えたかったか、わからずじまいです。お月様に訊ねるしかない? 山長の大将と女将が「これ」では従業員もやる気がでないのでは?という「まっとうな」意見は、達彦さんのことだから、仕事も看病も両立してる、ということで勘弁して!

 それにしても、キヨシはまだなの?

 トシ子が第150回の感想で①~⑩に分解した予告編の映像は、②⑨⑩③④の順序で放送された。明日は①が来ることは間違いないとして、桜の花が咲く頃の⑤に続いて待望の赤チャン誕生の⑥か・・・今日は恐れていた?『埴生の宿』が出てきてしまったし、コメントくださる裕美さんご指摘のように、桜子さんから「眉間の皺」が消えて、急速に若山百合子化しているのがどうも気になる? 性格が変わるだけなら、願ったり叶ったりなんだけど・・・

 桜子「純情きらり」を作曲する 

                                                                                                                                                    

「やめろよ、そんな言い方。有森は俺から見ても偉く努力しとるよ」



ダンスホ~ル・・・ですか!?」(思い切り妄想中・・・)

「・・・しっかりしてほしいんだ。よろしく」
「なに、それ?」
このあと、達彦は、今日の展覧会でも飾られていた冬吾の絵(答えは『ねこのため息』で・・・)を手に取って、
「なに?この変な絵・・・」
「ちょっと、触らんで!」

 マロニエ荘時代から、リクエスト?にお答えして・・・

PS.びわちゃさん、mamemoさん、sabatoraさん、わざわざブックマークの題名変更していただき、ありがとうございま~す。お手数かけました


純情きらり(152)

2006-09-27 00:04:43 | 連続テレビ小説


 突然ですが、ブログのタイトルを変更することにしました~  新タイトルは?

「にわとりトシ子の、君の瞳に恋してる!」
 これからも、どうぞよろしく!!

 達彦さんに反対されたからって、ハンストはマズイと思うのですが・・・
でも、
桜子さんの願いが叶って(平田さんもいい人だ)、二人で頑張ることになりました
 病院に泊り込む達彦、やっぱりマロニエ荘に引っ越してきたときみたいに、大八車を引いてやってきたのかな?

今=「俺がお前とおりたいからだよ」(優しく
昔=「だから俺がここに来たのはお前がおるからだよ!」(ムキになって

 達彦さん、あの頃と全然変わっておりません・・・楽しかった日々が走馬灯のように浮かんできました。

 桜子さんも思い切り思い出していましたね、マロニエ荘に初めて泊まった夜のことを・・・

「部屋の真ん中、風呂敷で仕切ってね」
「こっち覗かんでって、えらい剣幕でお前に怒られた」
「懐かしいね」
「うん・・・」

あの風呂敷の仕切り、1934年に作られた映画『或る夜の出来事』に出てきた「ジェリコの壁」って言うんですよ。クラーク・ゲイブル&クローデット・コルベール主演のロマンチック・コメディ。当時も大ヒットしたと思うけれど、桜子さんは映画初体験が、マリー・ベル主演のフランス映画『舞踏会の手帖』と、ディアナ・ダービン主演の『オーケストラの少女』だったぐらいだから、「ジェリコの壁」のことは知らなかったんだね。そこで、トシ子が少し解説すると、

この映画、NYにいる恋人に会うために、父親の目を盗んで西海岸からNY行きの長距離バスに乗った大富豪の娘と、彼女をたまたま目撃して特ダネ記事を狙うフリーランスの新聞記者が繰り広げる喧嘩旅というか、珍道中が描かれるのだけれど、お互い自分の身分を隠しているところがミソになっていて、喧嘩ばかりしていた二人が次第に惹かれあっていく様子は「ロマンチック・コメディ」の王道になりました。中でも有名なのが、同じ部屋で一晩過ごすはめになった二人が部屋を毛布で仕切り、それを「ジェリコの壁」と名付けるシーンと、「ヒッチハイクもできない」と、ゲイブルにからかわれたコルベール嬢が、スカートの裾をほんの少し持ち上げて車を止めるシーン。ヒッチハイクといえば、女性が脚を見せるようになったのも、この映画がルーツだったんです。実は、あの『ローマの休日』も、この作品の変奏だったんですよ。ご存知でした?

それにしても、ノースリーブの脚本家は、なんだか心が「ふわ~」とする物語を書きながら、視聴者をどん底に落とすという大技を繰り出してきた。(やはり来たかと思ったけど)予告編の最後のカットを早々見せることで、「やっぱりヒロインは・・・」と、視聴者の希望の芽を無情にも摘み取る。が、最後にどんでん返しが起きて(の力でしょうか?)、純情きらりなハッピー・エンドに持っていく。 → 絶望と悲しみの淵から救い出された人々から絶賛と感動の嵐。「私って凄いでしょ

んなことあるか
そんなエンディング、誰も見たくないのに。

戦争がやっと終わり、長~い冬から春を迎えた人々の普通の幸せが見たかったのだ。素面じゃとても見れない甘~い新婚生活と、戦後の苦しい時期に一致団結して「山長」を舵取る姿、男の子と女の子の双子が生まれ、達彦と桜子が「ドリー」を連弾し、子供たちはすくすくと成長し、大変お転婆な女の子は、味噌樽へ落ちるわキヨシの子供と決闘するわ、男の子はどういうわけかピアノが上手で・・・といったエピソードをほのぼの見たかった~~~

でも、彼女は違う映像を見せたいらしい。明日は冬吾の「あっ?」の番かしら
その代わりに、トシ子は懐かしい映像を拾ってきましたよ

  

 桜子と達彦

                  

                                  桜子と達彦(ジェリコの壁)

 「何ならウチ(マロニエ荘)来るか?」(八州治)

                  

             「着替えなんかないだろ。全部、荷物盗られちゃったんだから」
             「とにかく、そこに立たんで!」


純情きらり(151)

2006-09-26 01:12:46 | 連続テレビ小説

                    
                      

                    

 まさか、こんなシーンがあるなんて
「おいしいっ?」「おいしいっ」って、きっとアドリブですよ

「結婚以来、忙しく働いてきた二人にとって、それは初めて訪れた至福の時間でした」

 結婚しても二人は、「お内裏様とお雛様」みたいだったが、今日の放送を見ていると、ようやく足が地について、本当に本物の夫婦に見えた。子供ができたことに加えて、桜子の病が、夫婦の絆をより強固なものにしたのだろう。並んで音楽を聴き、並んで森を散歩する姿をいつまでも眺めていたいと、心底思う。だが現実問題として、達彦は、桜子の命と子供の命と、どちらを選ぶか究極の選択を迫られており、しかもそのことを最愛の人に告げなければならないのだ。

 思えば達彦は、音楽学校時代にピアノを選ぶか家を選ぶか岐路に立たされ、父に背中を押されて一度は音楽の道を進むことを決めたものの、その父が急逝しため家業を継がざるを得なくなった。次に、好きな女性と結婚するか、それとも彼女の夢のためにあきらめようか、さんざん悩んだあげくプロポーズを決意した途端に赤紙が来た。戦場では否応なしに日々生と死に振り分けられ、生き残ってみれば、今度は生き残ったことが重荷になってしまう。そしてようやく幸せを摑んだと思ったら、今までで最も辛い二者択一を迫られている。達彦ばかりがなぜ、こんな過酷な運命を背負わなければならないのかと嘆いていたら、公式HPのクランクアップの記事の中で、理不尽な運命を達彦に背負わせた脚本家が、無邪気にはしゃいでいるではないか。その姿(若いんですね、ノースリーブにジーンズなんて)に盟友のびわちゃさんが腹を立てていたけれど、最後の最後は、母子二人とも無事で、親子三人が未来に向けて歩き出すエンディングにしてくれたと、信じたい。

それにしても、達彦はこの一週間で(まだ月曜日一日だけだが)人間として、また俳優として、一回りも二回りも成長した。純粋に達彦だけを眺めるなら、今週ほど見応えのある週はないだろう。その意味では、脚本家に感謝すべきなのか?
 桜子も、ここにきて大変美しくなった。思い返せばかねさんも、どんどん美しくなって旅立っていった。だが桜子は、かねのように旅立つわけにはいかない。達彦と赤ちゃんと、二人のためにも絶対に死んではならない。だから、頑張って、桜子!

 桜子さんに感心した。結核に罹っていることを告げられても演奏会を中止するつもりはなかったことに。赤ちゃんのためだと諭されて、ようやくあきらめた。さらに、「俺にとっては大事なのはお前なんだ」と苦渋の選択を告げた達彦に対して、「そんなこと二度と言わんで」と泣きじゃくったのは、いかにもあなたらしい反応だった。そんなあなたを見て達彦は、「桜子の望むようにしてあげよう」と考え直すだろう。それが達彦さんだから。
 それから、陽のあたる街角でが、桜子さんにとって常に希望を示す曲だったことが確認できて嬉しかった。だからあなたは、達彦が帰還したときも、場違いとしか思えないこの曲を弾いたんだね。二人で音楽を聴いている場面も美しかったが、これが『埴生の宿』でなくて本当に良かったと思う。

 見ているトシ子も辛いけど、必死で闘っている二人に心からエールを送ります。そんなこともあったねえと、笑って話せる日が来ると信じて・・・

おまけ.
待望の勇太郎くん登場! 桜子さんとは仲良かったもん、お見舞い、ありがとさん~
久し振りに、殆ど書き上げた文章を飛ばしてしまいました。全力を出した後だったので、ショックでした。最初から書き直しましたが、前の文章を超えることはできなかっただろうなあ・・・あっ、それからクランクアップの写真で、桜子さんは右目(向かって左)をぬぐっていましたね。左目(向かって右)しか涙が出ないと言われましたが、ちゃんと右目からも涙がこぼれるんだから~


閑話休題その2

2006-09-25 21:23:14 | 連続テレビ小説


                           

 昨日話した朝顔たちです。5年前に父がタネをもらってきました。その年は藍色の大輪がたくさん咲きました。翌年は、こぼれたタネから自然と蔓を伸ばしていったのですが、八割強がご覧のとおりの色になりました。花もぐんと小さくなって、直径5cmほどしかありません。雑草扱いされてる昼顔と同じくらいの大きさでしょうか。頂いたタネは品種改良された名のあるものだったのですが(名前は知りません)、そこから生まれた次の世代は、その血を引き継ぐことなく、先祖返りをしてしまったようです。翌年からは、全てが小さな花になりました。
 休日に観察すると、真夏の暑い日は大の苦手ときていて(朝顔だから仕方ないか)、9時ごろにはぐで~としおれてしまいます。それでも、残暑の頃から猛烈に花をつけ始め、多い日は55個を数えました。昼過ぎには、翌朝咲く蕾群が、らせん状にキリッと尖った先端を空に向け、開花の準備をしています。首を上げて発射を待つミサイルみたいに張り切っているのですが、この子たちが次の日の朝、小さな丸い花を一斉に咲かせて悦に入っている姿を想像すると、微笑ましい限りです。
 一日30個咲いたとして一ヶ月で900個以上、これが5ヶ月ほど続くのだから、何ともすごい生命力だと感心します。秋も深まってくると、夕方暗くなるまで花を咲かせている頑張り屋も出てきます。花が咲いているうちは蔓を抜いたりしないのですが、朝晩10℃以下に冷え込む頃になると、さすがに気の毒な気持ちがしてきて、その年は終わりにするのですが、それでも1~2個花を咲かせているうちは、人間の勝手かもしれないと思って、なかなか抜いてしまうことができません。

 どうしてこんなことを書いたのかというと、庭に自生(5年目だからそう言ってもいいでしょう)している朝顔を見るといつも、「生命というのは、もろくてはかないものだけれど、たくましく実にしぶとい面もある」ということを実感し、そして「命っていいなあ」と思うからです。
 昨日&今日の早朝、〈さくらえびさん〉のブログのコメント蘭を読んでいたら、両親や祖父母、親戚、そしてご自身が結核に罹った人々のコメントが何通もあり、それぞれ皆さん、一生懸命に桜子さんを激励していました。私はそれを読んで、何というか涙がこぼれそうになるくらい感動してしまいました。この思い、たかがドラマなんていったら、トシ子が許さないよ~
 〈さくらえびさん〉のブログは既に70万カウントされていて、実に大勢の読者がいますが、その他にも、元患者さんはもちろん、同じような気持ちでドラマを見ている人が何十万人もいるでしょう。スタジオパークに西島さんが出演したときも、亨ちゃんと同じような難病を幼い頃に患い、周辺視力を失った方の手紙が読まれました。

 そういう方の話を聞くと、人間って本当に素晴らしいと思います。そして、多くの視聴者が自分の人生を重ねながら『純情きらり』を見ていること、桜子や達彦と一緒に生きていることを知って、架空の人物とはいえ、共に生きることの大切さを実感します。人は他人に対して残酷になれるけれど、それと同時に、いくらでも優しくなれるのだと、あらためて教わりました。ドラマの中を生きている彼らにはご苦労なことだったけれど、人の心をここまで動かしてくれたことを、とても大切なことを伝えてくれたことを、泣いたり笑ったり怒ったり嘆いたりしながら共に生きた半年間を、きっと忘れないから~

 あと残り5回になって、「純きら」関係のブログに出会いました。〈せりな〉さんという方ですが、トシ子は大変気に入ってしまったので、ここで紹介したいと思います。あとで、ご挨拶に伺わないと・・・ ブログはこちら→「そよかぜのおんぷ♪」

 それにしても、皆さん、タイトルが素敵です。なんで自分は、「岩清水~」なんてタイトルにしちゃったんだろう? せめて「にわとりトシ子の君の瞳に恋してる!」に変更したいのですが、だめかなあ?(桜子さん風に)


純情きらり(150)その2 音楽の力と山長覚書

2006-09-24 14:32:50 | 連続テレビ小説

                    
                  

 

昨日は、第150回の記事を書いた途端、力尽きて?床で眠ってしまいました。3時半ごろ目が覚めたのですが、睡魔には勝てず、そのまま床で朝を迎えました。

 一夜明けてブログを開くと、早速コメントをいただいていました。ありがとうございます。
 こうして『純情きらり』は、最終週に最大の試練を迎えることになったわけですが、はっきりいって、こんな辛い山場が必要だったのでしょうか? せっかく戦争が終わったというのに・・・ だいたい、あれだけ注意深い達彦さんが「結核」の予兆を見逃すわけがないじゃない!
 にわとりトシ子を始め、コメントくださる皆さんも、各ブログに集う人々も、全国数千万の視聴者全員が、「鬼脚本」に(桜子さんと同じように)胸を痛めています。まあ、見てくださいよ、一昨日の二人の幸せそうな表情を・・・ささやかな幸福と輝く未来を壊して平気でいられる人が、いったいどこにいるっていうのよ!

 と、ここまで書いたところで(画像を出すのに1時間ぐらいかかりました)、トシ子は確信しました。この幸せを壊せるわけがない。試練を乗り越えて、光り輝く(マサさん側の光じゃなくて)ラストシーンが待っていると・・・
 私同様、かなりの人がキヨシの成金パワーに望みをかけていました。福士さんが「スタパ」で、「答えを知っているのはキヨシ」と振ってましたが、今度のキヨシはやってくれる筈。脱脂大豆の二の舞はしません。でも、キヨシだけじゃ何か足りないんですよ。桜子を死地から救うのがストレプトマイシンだけでは・・・二日後の「スタパ」、キヨシは明らかに知ってましたね。それ以上に強力な薬を!

 トシ子は、ない頭を絞って考えました。何かヒントが隠されていないか、予告編をコマ送りで何度も見直しましたが、見れば見るほど「こりゃ、だめだ」と、絶望的な気持ちになってしまいます。頼みの綱は最後のカット。有森家の庭先に子供以外の関係者が一同集まって空を見上げている場面が、それまでの予告編の流れと同じように時系列どおりにおさまっていることを祈るだけです。

 ところがですよ、ここで私は大事なことに気がつきました。予告編では実は、一番大事なことについて全く触れていません。『純情きらり』のジグゾーパズルを完成させるのに、重要なパーツ(音楽の力を象徴するピアノ)を意図的に?隠しています。ということは・・・?

 結核を病む桜子は、子供と一緒に暮らすことはできません。産後は体力も相当消耗した筈。愛しい我が子の映像を桜子に見せたのはもちろん達彦です。キヨシが高価な8mmカメラ&映写機を米軍から手に入れて・・・撮影したのはもしかしたら勇太郎かもしれません(理科系だし)。冬吾がせっせと赤ん坊をスケッチして桜子に見せる手もありますが、あの馬鹿もんは橋から落ちて(おそらく)入院中だから・・・

 でも、冬吾の言葉はとても役に立つのです。達彦が帰還したとき、冬吾は言いました。「あんたはもう今まで十分に、桜ちゃんに迷惑をかけてる・・・今さら迷惑をかけたくないなんて言えた義理か? これからはかけた迷惑を返すぐらいの気持ちになってみたらどうだ?」
 冬吾も達彦も桜子に救われた。今度は彼らが桜子を救う番です。
(冬吾さんには無理か・・・でもそれも彼らしいかも)

 ここで、「チラシ」を見てわざわざ岡崎を訪れた斉藤先生と、披露宴で大ひんしゅくを買った秋山のエピソードが、非常に大きな意味を持ってくる。彼らもまた、達彦と同じように「音楽を忘れるな」と桜子に言った人々だったから。達彦は、桜子にとって「音楽の力」がどれほど強いものなのか、斉藤先生から改めて教えられた。にもかかわらず、桜子の演奏会は中止になったまま宙に浮いている。達彦にはそれが不憫でならないし、桜子のために「音楽の力」を見せてあげたいと思うだろう。だから達彦は、子供の映像を見せたように病床の桜子に聞かせようと、桜子が作った曲を(「一番星」)放送してもらえないかと、ラジオ局にコネのある秋山や西園寺先生に働きかけるに違いない。そして西園寺は、今度こそ、こう答える。
「かけあってみましょう。ただし、桜子君の曲は松井君、貴方が弾かなければなりません」

 これまで達彦は、拓司が残した「山長覚書」に書き込んだように(良い味噌を仕込むには見守ること。待つこと。そして待つこと)、桜子の将来を見据え、ひたすら桜子を見守ってきた。病気が発覚してからは、献身的に看病しながら回復を祈っている。それまで見守ってきた達彦が、一度は音楽を諦めた達彦が、大勢の人に背中を押されて、ピアノを演奏する。それも、ギリシア神話の竪琴の名手オルフェウスのように、音楽の力で黄泉の国に囚われた愛しい妻を奪還しようというのだから、物語は文字どおり「そこで」クライマックスを迎えることになる。オルフェウスはたった一つのことを守れずに、妻エウリディケを連れ戻すことができなかったが、「純情きらり」な達彦にはその心配はない。

「お母さんの人生には素敵なことが山のようにあった。輝きのない人生なんかない。寂しいときはピアノを弾いてごらん」
 桜子は、(予告編で)誕生したばかりの命にそう呼びかけていた・・・私はそれを聞いて、戦場で死を覚悟した達彦が桜子宛に書いた手紙を思い出しました。
「君が音楽を忘れない限り、僕は君の心に生き続ける」
 そう言った本人がそれを実践する側に回るなんて・・・そんな無情なことは絶対起こらないと信じて、トシ子は最後の週を見守ります。今週は仕事がハードですが、仕事なんかに負けるわけにはいきません。二人とも必死で戦っているんだから!

                  

 左上のワンコは、昨日家族になったばかりのトシ子2です。関内の郵便ポストの上で置去りにされていました。今は、PMCのスピーカーの上でスヤスヤ寝てます。右上の朝顔は、毎年12月頃まで延々咲き続ける元気朝顔です。電信柱に巻きついて二階のベランダまで上がっていくのですが、多いときで一日あたり、五十近くも花が開きます。      


純情きらり(150)

2006-09-23 21:41:39 | 連続テレビ小説

 昨日、これだけは書こうと思って忘れてしまったのですが、
「おめでとうございます」と看護婦さんに言われて、
 うなずく達彦にかぶるように流れてきた音楽は、
(「Tに捧ぐ」じゃなくて・・・)当然「一番星」だったわけです。


 フレディ・マサの登場で覚悟はしていたものの、達彦さんの口から病気を告げられると、やはりショックです。こうなったら、本気で脚本家の「デスノート」を奪いに行きますっ!

 でも、まあ、「きらりの方程式」から、幸福の後に必ず不幸が訪れることは百も承知なので、この程度の告知ではトシ子は驚きません。まさか、ヒロインの生死の行方で最終週を引っぱるとは思いもしませんでしたが、「これだけ材料は出してあげるから、あとはご自由にお考え下さい」とでも言いたげな予告編(ナレーションはありませんでしたネ)を細かく検証すると、

①冬吾達の展覧会に車椅子で訪れる桜子。八州治達が桜子を元気づける。
②子供を生むことを決意する桜子。医者の平田満に、力強く「私は死にません」
③橋の欄干に登った冬吾、月(桜子?)に手を伸ばしたとき、桜子の声。
 「冬吾さん、また逃げるの?」次の瞬間「あっ?」・・・間抜けだけど何これ?
④担架で運ばれる冬吾に、笛子の絶叫「冬吾!冬吾~!」えっ?
 (原案だと、冬吾は痴情のもつれで死んでしまうとか・・・)
⑤病室の桜子。桜の花びらがひらひらと部屋に飛び込んでくる。
⑥赤ちゃんを抱く達彦と(多分)磯の頭。
⑦襖?に映し出された赤ちゃんの8ミリフィルムを横たわりながら見つめる桜子。
⑧子供の顔のクローズアップと、頭を撫でるよう伸ばされる手。
⑨有森家の中庭。縁側に鈴村と勇太郎、笛子と杏子、達彦と磯、中庭に桜子と冬吾。
⑩そのまま空を見上げる桜子のクローズアップ。
*⑤~⑨間に桜子のナレーション「お母さんの人生には素敵なことが山のようにあった。輝きのない人生なんかない。寂しいときはピアノを弾いてごらん」

 時系列に並んでいれば一応大団円なのですが、⑨では子供の姿が全く見られないのはなぜ? 勇太郎や磯がいることを考えると、展覧会の頃か? 皆で何を見上げているのだろう? まるで、最後の言葉か遺書のように聞こえる桜子の台詞も大いに気になるが、達彦さんも遺書を書きながら生還したことだし、良い方向でのサプライズへの伏線と取りたい。さらにトシ子は、「スタパ」に出演したときの達彦さんの台詞が気になる。達彦=福士さんはこう言った。

「全てキヨシが鍵を握っています」
『第三の男』のハリー・ライムは闇で手に入れたペニシリンをさらに水で薄めて病院に売りさばいていましたが、成金キヨシがGHQからペニシリンやストレプトマイシンを手に入れて、空気の澄んだ高地で出産後静養治療中の桜子を助けるというのはどうでしょう? 
 赤ちゃんを膝に乗せ、「寂しいときはピアノを弾いてごらん」の言葉どおり、ピアノを弾いている達彦の元に、今度は桜子が帰ってきたところで「終」の文字がかぶる、というエンディングでまとめて欲しい・・・
(でも、二日後「スタパ」に出演した井坂さんの「キヨシのせいにするな」も、気になる・・・キヨシが薬を手に入れられなくて・・・)

「案ずるより生むが易し」とも言うし、泣いても笑っても怒っても嘆いても、あと六日間で『純情きらり』とはお別れだから、心して一日一日を迎えようと思います。

 それにしても、いくら「何もなさずに一生を終える女の“人生そのものの輝き”を描きたかった」といっても、演奏会もあっさり中止ですか・・・斉藤先生を登場させるための撒き餌だったら、怒りますよ!

 その斉藤先生が「山長」を訪ねてきて、全身ダンボの耳と化してた達彦さんが可愛かったですね。斉藤先生も全然変わっていなくて・・・
「ご結婚は?」と、かつての婚約者(といってもまだ子供だったのに)に訊かれて、「面目ない」と頭を下げたり、笛子+磯という素晴らしいお嫁さんの尻に敷かれて幸せな様子とか(そっか、あの帽子まだ持っていたんだ・・・)、短い時間でしたが充実してました。そしてその後、達彦さんの優しさには本当に頭が下がります。
(一日二時間の約束を、三時間まで我慢する様子も微笑ましかったけれど、「俺がもっと早く気づいていれば・・・」には本当に泣かされますね~)

PS.
赤ちゃんを抱く達彦さんの姿に、昨日の手を握りながら「よかったな」と話しかけた姿や、何度も何度も「桜子」と呼びかける姿以上に、胸がキュンとなった女性の方がたくさんたくさんいたことでしょう。本当にいい表情でした!

純情きらり(149)

2006-09-22 23:35:32 | 連続テレビ小説

 オレンジ色に染まった夕暮れの軒先を砂塵が駆け抜け、いつの間にかそこに佇んでいた痩身の日本兵がこちらを振り向いたとき、静かな衝撃波が走ってあたりの空気を振るわせたのだが、病院で待望の「お子様」誕生を知らされたときのリアクションと、手を取って最愛の妻に話しかける姿は、もう四様も半カチ王子もごぼう抜きの素晴らしさ。遙か彼方にぶッちぎってゴールに飛び込んだ!
世界はまるで違うが、音速の貴公子と呼ばれたアイルトン・セナの神がかり的な美しい走りを見るのと同じ感動を味わせていただきました。うひゃああ~
  

 今日の感想なんか、もうどうでもいいのですが、もう少し分析してみましょう。
待合室の椅子で腕組みしながら診察結果を待つ達彦は、冷静になろうと自分に言い聞かせていますが、さすがに心配が隠せません。確かに、今までは馬や鹿並みに丈夫で、風邪の一つもひいたことのない人が(過去の病歴は、痛んだおにぎりを食べて気分が悪くなったのみ。明日、おにぎり握った張本人が出てくるとか・・・)ここに来て何度も、まるで昔から病弱だった人のように!わざとらしく二度もめまいを起こしている・・・どうも気になる。ただの疲れならいいが、もしも良くない兆候だとしたらどうしようかと、気を揉んでいたところ、看護婦さん(トシ子の好み?)がやって来て、

「あの~奥さんですが・・・」
(うなずく達彦)
「おめでたですよ!」
(目をしばたかせて)「はあっ?」
「三ヶ月に入ったところですよ。おめでとうございます」
(達彦さん、無精ひげが少し生えてますが、妻のことが心配で髯も剃らなかったのでしょう。その顔が徐々に爽やかなニヤケ顔に・・・)
「はあっ」(ぺこぺこうなずく)
 
 多くの方がトシ子と同じように感じたと思いますが、
 達彦さん、何て優しい声を出すんですか~~~
 福士さんには完全に脱帽です。よくぞまあ、こんな演技を・・・
 その声が聞きたくて、この文章を書きながら、アンプのスイッチをオンにしました。ついでに、プロジェクターのスイッチも入れました。
 MB-1から流れる達彦さんの声と、スクリーンに映る幸せそうな顔・・・
(スクリーンで「純きら」を見たのは、1~10週までと、13週に、面会の日&達彦の帰還場面でしたが・・・)

 ヅラがだんだん似合ってきたように、山長の当主としても、(桜子の演奏会のチラシを配るなど)妙に腰が低いわりに貫禄がでてきた達彦さんだが、桜子さんは綺麗なおべべ着すぎね。皆さん、少しは鈴村さんの服装を見習って下さい。(誰ですか、笑っているのは? トシ子は本気です)
 笛姉&杏姉の着物もとても素敵でしたが、戦中戦後に着る服としてはやはり綺麗過ぎたのではないでしょうか。桜子の発言=「戦争が終わった途端、綺麗な服が町に溢れた」は本当だったのでしょうか? Fusakoさん、教えていただけますか?

 亨の話は昨日で終わり? そんな・・・
 今日は仙吉さん、明日は(多分)斉藤先生、ここにきて一人5分で完結するエピソードを重ねる必要ないと思うのですが・・・それに、桜子さんの体の変調はどう考えても、妊娠だけではなさそうですね・・・最後になって暗い話をしたくなかったのですが、今日の神がかり的な達彦さんの演技を見たら、「感動の最終回」になることだけは「確信」しました

PS.
今日の記事をUPしながら、「貞操問答」の杉山にも惹かれてしまう「さくらえび」さんが素敵です。
→ 杉山の記事(&画像)はこちら