『長い冬休み』 ~ナンシイ船長の気持ちがわかる?

2011-11-19 23:36:00 | 書物の海


  水曜日の夜勤中から目の奥が妙に熱くて体が何となくだるい・・・猛威を振るっている風邪についに自分も罹ってしまったか?と思ったのですが、昼過ぎに自宅に戻ってから下痢が止まらなくなりました。念のため病院に行くと、「ウイルス性腸炎ですね。これも最近流行ってます。心配するほどのことはないでしょう」とのこと。整腸剤だけもらいました。ウイルスが体の中から出てしまうまでは我慢ガマン・・・。
 それにしても、今回の下痢は今まで経験した中でも二番目にひどく、その日の午後から翌日昼過までに何回トイレに駆け込んだことでしょう? 20回まではいってないと思うけれど、15回は超えていました。その最中、お腹はぎゅうぎゅう苦しく、お尻は焼かれるように痛いし、もう散々です。
 翌朝になって下痢はどんどんひどくなり、1時間おきにトイレに駆け込む始末・・・もう一度病院に行くべきではないか、と考え始めました。ところがお昼近くになった頃、苦しんだ末にトイレから出てきたにもかかわらず、「これで下痢は終わった」と確信しました。何だから知らないけれど、直感的にこの瞬間峠を越えたと思ったのです。お風呂を湧かして、贅沢にも真昼間からお湯に浸かりました。気持ちよか~♪

 直感は正しく、これを境に下痢は治まってしまいました。とはいえ、かなり体力を消耗したのでしょう。何かをしようという気には全くならず、念のため昼食も抜きました。そして台無しになった休日の午後は、ベッドで半分眠りながら本を読んで過ごしました。
 取り出したのが、アーサー・ランサム全集第4巻の『長い冬休み』です。
 このシリーズを読み始めた頃は(小学生のときです)、湖がだんだん凍っていき、ツバメ号やアマゾン号を帆走させられないこと自体が不満で(第2巻の『ツバメの谷』はアクシデントだから良い)、新参者のD姉弟がウォーカー家の四人やブラケット姉妹をさしおいて主役のような扱いになっている点も気に入りませんでした。弟のディックの頭の良さと、運動能力で敵わなくても柔軟な思考で試練を乗り越えていく様子に(ロジャと同程度の頭だった自分は)反感を覚えたのでしょう。
 姉のドロシアはティティとキャラクターが被っていて、しかもティティ以上にティティ的な空想好き少女だったのも、ティティのファンだった自分には納得がいきませんでした。何しろ彼女の登場場面が減ってしまったし(『ツバメ号とアマゾン号」『ツバメの谷』では、彼女が主役といっても良い)、一番好きなキャラだった彼女がD姉弟の前では姉スーザンのような常識的&現実的な女の子に変わってしまったかのような台詞を言ったりするものだから、がっかりしてしまったのです。でも・・・。

 『長い冬休み』は、シリーズの中でも一二を争うくらい好きな部類に入ります。ディックは嫌味に頭が良いのではなく、創造力も想像力も併せ持っていて、父の後を継いで船乗りになるしかない(といったら言い過ぎかな?)ジョンやロジャとは異質の魅力を持っています。天文学好きなようですが、彼の性格なら好きを生かして天文学者になったに違いありません。姉のドロシアに至っては、ティティやナンシイをさしおいて一番お気に入りのキャラになってしまいました。彼女の未来は、ずばり作家。幸せな家庭も築いているでしょう。D姉弟の関係は、『クローディアの秘密』のクローディアと弟のジェイミーにも少し似ていますね。二人のやりとりが面白いし、この二人が一番自分に近いと感じる人が多いのでは?
 さらに、冬休み中にナンシイ船長がおたふく風邪に罹ってしまい、感染の疑いがある他の子供たちもしばらく登校禁止になったため、結果的に題名通りの「長い冬休み」をエンジョイすることになった、というのが妙に心地良いのです(インフルエンザが流行って学級閉鎖になったけれど自分は元気だったとき、似たような高揚感を味わいました。勉強以外の好きなことをしたり、こっそり遊びに行ったり・・・)
 そして『長い冬休み』は、(「ナンシイのふくれたかおはきのどくでかけない」と作者のランサムに言わせたように)不幸な彼女と同じように家でじっとしているしかないときに読むと、これがまた妙にしっくりくるんです。風邪で寝込んだとき、火照った頭で何度『長い冬休み』を読んだことか・・・嘘だと思うなら試してごらん! 
 7~8年前の真冬に、同じようなウィルス性腸炎で仕事を三日間休んだときも、『長い冬休み』を読みました(友達から借りた『攻殻機動隊SAC』全26話も見たっけ・・・)。物語と同じように、思いがけず休みをもらったと思いながら・・・。

 D姉弟中心に描かれる『長い冬休み』の中で、いつものメンバーはわりと目立たないのに、「海の恐怖」ナンシイ船長に抑圧されていた?妹のペギイ航海士が、不在の彼女の代わりに奮闘する姿がとても素敵です。ことあるごとに「とんま!」と言われてきたペギイが、姉の十八番だった「驚き桃の木」「たまげたこまげた」を口にしつつリーダーの役割を立派に果たしていくのだから、健気で小気味良いよね! 
 それから、1&2巻ではディクソン農場の「単なる無口な人」だったディクソンおじさんとディックの交流も、とてもいい感じで描かれています。
 このシリーズに新風を運んでくれたD姉弟は、続く第5巻の『オオバンクラブの無法者』にも語り部として(物語上は準主役)登場します。『オオバンクラブの無法者』はファンの間でも評価が低いようですが、舞台設定が大変魅力的で、個人的には一番好きな物語でもあり、非常に面白い番外編です。何といっても、トムの生活に憧れました。あんな風に毎日を過ごせたら、言うことなし~♪


 ランサムが描いた挿絵。このシリーズは挿絵がまた素晴らしい! ナンシイの顔の部分に「ナンシイのふくれたかおはきのどくでかけない」と字が書いてある。「ランサム=神宮輝夫」と言っても良いほどの名訳が作品をより身近に、そして魅力的にしてくれました。翻訳者って大事だよね!


どくとるマンボウどこに行く・・・

2011-11-01 23:57:23 | 書物の海


 (私より遥かに簡潔でなおかつ思慮深い文章をお書きになる)盟友?のAngelaあんこさんが、先日亡くなられた 北杜夫さん についてブログに書いていました。訃報を聞いたとき、来るべきものが来た程度の感想しか抱かなかったニワトリですが(あれほど読んだのに小松左京さんのときも・・・)、あんこさんの文章を読んでいるうちに色々な思いが、まるでタイムカプセルの箱を開けたときのように(と言っても、タイムカプセルの箱を開けたことはまだないのだけれど)こみあげてきました。

 お小遣いで買った最初の本を覚えている? ニワトリさんの記念すべき一冊目は、北杜夫の『船乗りクプクプの冒険』(角川文庫)だった。それまでは、大好きだったアーサー・ランサムの全集も、「ナルニア国」シリーズも、トーベ・ヤンソンのムーミントロール全集も、その遥か昔から枕元にあった絵本の『ちびくろサンボ』(虎のバターのおいしそうな色!)も、ひとまねこざるのジョージも、エルマーと竜の三部作も、擦り切れるほど読んだワイルドの『幸福の王子』に、自分を主人公に重ねた山中恒の『ぼくがぼくであること』も、全て両親からの贈り物だった。
(ちなみに、次に買った本が谷口尚規/石川球太共著の『冒険手帳』だった)
 その頃は、本は所有するものではなく借りて読むものだった。学校の図書室や近所の図書館から一度に何冊も借りて読んでいた。あまりにも借りるので顔パスになっていた。そんな自分が漫画以外に初めて買った本が、たまたま北杜夫の『船乗りクプクプの冒険』(角川文庫)だったのである。
 それ以来、本は借りるものではなく買うものになった。初めのうちは増えてゆく本を眺めているだけで嬉しかったが、壁の四面が本棚で埋まり、それでも収まりきらない本を仕方なく手前に平積みしていくと、本棚に綺麗に並んでいた本の背表紙が見えなくなる。その頃から本との戦いが始まった。
 大ナタを振るってかなりの本を処分する。悔しいけれどスキッとする瞬間だ。でも、一時的に間引いたところで、本はたちまち増えてしまう。かくして本棚は少しずつ様変わりしていく。本の新陳代謝と言ってもいいかもしれない。けれども、北杜夫の背表紙が本棚から消えることは一度もなかった。
 全ての本が電子書籍化されたら、タブレットのわずか240×190×13mmのスペースに図書館が建ってしまう。泣く泣く手放してきた雑誌なども創刊号からコレクションできる。一部の雑誌は、マニアのおかげで既にそうなりつつある。保管場所に悩むことなく、好きなだけ本を集められる・・・こんな素晴らしいことはない。

 そうは言うものの、本とはいつでも手に取れる物体=書物でなければならない。中味が茶色く変色し表紙がぼろぼろになった『どくとるマンボウ航海記』や『どくとるマンボウ昆虫記』を手に取ると、その思いが強くなる。『航海記』を何度読み返しただろう。『昆虫記』はファーブルより面白かった。さらには、北杜夫に影響されてドイツ文学を読むようになった。
 トーマス・マンの『魔の山』は、自分には文字どおり高すぎる山だったが、北杜夫がペンネームにするほど(トニオ→杜二夫→杜夫)熱狂した『トニオ・クレーゲル』は真っ先に読んだ。それだけでは飽き足らず、ゲーテや、ヘッセ、カフカ、そしてフロイトの著作を読むようになった。
 中学三年生頃からは、筒井康隆と吉行淳之介にはまり、北杜夫の位置には(「オヨヨ」シリーズや映画評論の)小林信彦が立つようになったが、三十代になったときに北杜夫を読み返して、彼が自分の考え方から嗜好に至るまで決定的とも言える影響力を持った作家だったことを知った。今では単なる笑い話だが、自分の学力も顧みずに彼が学んだ東北大学を志望して担任教師を呆れさせたことまで思い出した。
(そこで猛勉強していれば・・・)

 『夜と霧の隅で』は、マンボウシリーズや『怪盗ジバコ』と同じ作者が書いたものとは思えないほど怖い小説だった。『幽霊』も忘れられない。正直言って『トニオ・クレーゲル』は理解できなかったけれど、その代わりに『幽霊』が自分の『トニオ・クレーゲル』になった。
 前にも書いたかもしれないが、中学一年のときにクラスの副担任になった教育実習生に淡い恋心を覚えた。その後やってきた「初恋」と比べれば「恋」という字を使えないと思うけれど、彼女の最後の授業の日に、友だち三人と(選んだのは自分だった)金魚草の鉢植えをプレゼントした。そのとき一緒に渡した手紙の中で、国語教師の彼女に本のことや大好きな北杜夫について熱く語ったらしく、一週間後に自宅に届いた手紙に、「私は、~は知らないけれど北杜夫はニワトリ君と同じように沢山読んでいて、特に『幽霊』が好きだけど、まだちょっと難しいかな? でもいつか読んでみてください」といった文章が綴られていた。書店に走り、『幽霊』を買った。
 確かに少し難しかったかもしれない。でも、何だかよくわからないけれど強烈に惹きつけられた。何て美しい小説だと思った。美しい彼女が好きになるだけのことはある・・・。
 今にして思えば、一番良いタイミングで『幽霊』を読むことができたのではないだろうか? 『幽霊』の最も幸福な読者だったのかもしれない。今はそのことを彼女に感謝している。本とはいつでも出会えるが、「いつ」「どこで」「どのように」出会うかが、実は非常に重要なのだ。

 写真の『船乗りクプクプの冒険』は、初めて買った角川文庫版ではなく改めて買い直したものだ(角川書店から集英社に版権が移った?)。
 今から約15年前、『どくとるマンボウ航海記』と同じくらいボロボロになってしまった『船乗りクプクプの冒険』を、その当時好きだった女性が少し落ちこんでいたときに貸してあげたら、とても気に入ってくれ、そのままあげてしまった。
「そんなに気に入ったなら、こんなボロボロじゃなくて新しく買ってあげるよ」と言ったのだが、「ボロボロになったこの本を、もらっちゃ駄目?」とせがまれ、(特に思い入れもなかったし)めでたく彼女の本棚に引越しした。
 数年後、駅前の古本屋で『船乗りクプクプの冒険』を買い直した。すぐに買わなかったのは、今は彼女の本になっているけれど、いずれ自分の手元に戻ってくると考えていたからだ。一家に二冊も必要ないじゃない?
 それから長い年月が過ぎたけれど、今も彼女の本棚に『船乗りクプクプの冒険』があるのかな?

 どくとるマンボウ=北杜夫に惚れこみ、『どくとるマンボウ航海記』を世に出したのは、当時中央公論社の編集者だった宮脇修三さんだ。宮脇さんはその後『時刻表2万キロ』を上梓して、紀行文学の第一人者になるが、二人は家族ぐるみの交友を重ねていて、宮脇さんの長女の灯子さんのエッセイ「隣人、北杜夫さん」を読むと、そのあたりを窺い知ることができる。何と言っても、北杜夫は父=宮脇修三の次に出てくるスーパースターなのだ。
 あんこさんが書かれたように、北杜夫は井の頭線沿線に住んでいた(宮脇家の隣に引っ越してきた)。ひょっとしたら自分は、「井の頭線に乗っていれば北杜夫さんと逢えるかもしれない」と考えていた高校時代のあんこさんとニアミスしていたかもしれず、同じ車両に乗り合わせていた可能性だって、ないとは決して言えない。あのときの美しい女子高校生が彼女だったとしたら・・・そう考えると、少し愉快な気持ちになってきた。


がんばれ、東京新聞!

2011-07-15 01:22:20 | 書物の海

 東京新聞は中日新聞東京本社が発行している地方紙だが、グループ全体では「日経」「産経」を上回り、業界第4位になる。(ちなみに1~3位は「読売」「朝日」「毎日」)


 東京新聞に掲載された原子力関連記事の切り抜き帖が、6月末の段階でA4のスクラップブック6冊目に入った。編集(単に貼っているだけのことが多いが・・・)の方が追いついていないのだが、おそらく7月14日の現時点で丸7冊に達しているだろう。
 東京新聞の「こちら特報部」は、かねてからニュースの追跡力に定評があり、読み応えのある記事を書いてくれていたのだが、その特報部が震災以後に総力取材した記事が『3.11の衝撃 震災・原発 特報部は伝えた』の題名で単行本化された。定価は1000円。


『TOKYO OH!』より、私の好きな写真「水の都」


 東京新聞はコラムや書評もユニークだ。東京の「今」を各種レンズの特性を生かした斬新なアングルとユニークな視点で捉えた『TOKYO OH!』は『東京異形』に題名を変えて単行本化された。この大型写真集は2009年度の新聞協会賞を受賞している。名物連載では、『東京慕情 昭和30年の風景』『首都圏 名建築に逢う』『ザ・東京湾』『東京野草図鑑』『東京坂道散歩』などが単行本化されている。
 ニワトリさんは2003年ごろから東京新聞の読者になったが、新聞連載時からこれらを愛読していた。今後というか、絶対に単行本にしてもらいたいのが、堀内洋助さんの『探鳥』。一枚の写真を撮るために、どれだけ「待ち」の時間があるのだろう? 本当に素晴らしい写真と簡潔な文章が非常に魅力的だ。『探鳥』は金曜日の夕刊に連載されているが、これを見る(読む)だけでお釣りが来る。
 現在『TOKYO発』の題名で連載中の特集も大好きな連載だ。先日は東京のシテ島=「妙見島」が取り上げられていて、記事に惹かれて妙味島を訪ねてしまった。『TOKYO発』の単行本化も是非!


「ドット」。カメラの眼だからこのように見えるのだけれど、現地に行きたい!


 東京新聞の一ヶ月の購読料は3250円と、他紙よりかなり安い。以前は日本経済新聞を読み解くのを楽しみにしていたが、不景気が続く時代を迎えてからなりふり構わぬ経済至上の視点が目立つようになったのと、高い購読料がネックになり、東京新聞に切換えた。
 東京新聞は以前からユニークだったけれど、3.11以後彼らが追跡取材した原発関係の記事の量は他紙を圧倒している。ニワトリさんは読売新聞も閲覧しているが、東京新聞と比べると「全く触れられていない」に等しい。
 三大紙では毎日新聞が「脱原発」に舵を切ったようだが、つい最近、東京新聞の「異変」に気付いた。その異変とは?
 大手企業の新聞広告が全くないのだ! 以前も、他紙の様に折込広告だらけではなかったが、この少なさは尋常じゃない。
 ある日の広告を調べてみると、全面広告が「カメヤマのロウソク」で(災害に強いロウソクだけど)、出版広告を除けば、自社の旅行企画、印鑑、静岡茶、サーカスなど。今日の朝刊を眺めてみると、聞いたことのない健康食品やサプリメントの広告ばかり・・・。明日にでも原発の再稼動を要請する経団連が一枚噛んでいるのは明らかだが、耳の痛いニュースを流し続けている東京新聞に対する「兵糧攻め」が始まっていたのだ。
 この事象一つだけをとっても、いかに「脱原発」が困難な道のりであるか、よくわかる。こうなったからには、微力ではあるけれどもこの単行本も購入して、東京新聞をバックアップしようと思う。
 がんばれ、東京新聞!

 

『探鳥』より、ハクセキレイ。春の雪を背景に飛ぶ虫が浮かび上がった!


整理整頓(ならず・・・)

2009-10-29 12:58:32 | 書物の海


 Angela さんに倣って、昨日は整理整頓をしようと思ったのですが、雑誌のたぐいが整理できただけで、まあ少しは部屋の中が片付いた感じはするものの、目的を全く果たせないまま日が暮れてしまいました。
 まず最初に、大量に処分したのにいつの間にか増えてしまった本を再び選別しようと思ったのですが、本棚の奥から昔読んだ懐かしい本が出てくると、「あっ、この本は処分しなかったんだ・・・」と手に取ったりしていたものだから、いたずらに時間だけが過ぎてしまい、他のガラクタの選別や一番肝心な新聞の切り抜きに取りかかれなかったばかりか、本の整理すらできずに終わってしまったのです。

 買ったことを忘れてしまった本も、ぞろぞろ出てきました。宮脇俊三さんの最後のエッセイ『終着駅』は、危うく『鉄道フェスティバル』の会場で買ってしまうところでした。「いや、待てよ。確か買った筈だ」と思いとどまることができたのですが、行方不明のまま見つからず、ようやく昨日、本棚の奥の奥から出てきました。どうして、こんなところに置いたのだろう?
 大好きな鉄道写真家の中井精也さんの写真集『一日一鉄』と『撮り鉄』も、無事に出てきてくれたのですが、中井さんに関しては確かもう1冊あった筈で、早く出てきて欲しいものです。
 完全に買ったことを忘れていたのが、三浦しをんさん(いよいよ映画『風が強く吹いている』公開ですね!)の新作(今となってはそう言えないけど)『仏果を得ず』と、松浦理英子さんの『犬身』。『犬身』なんて、読みたくてたまらなかったのに・・・。
 鹿島茂さんの『パリのパサージュ』も、十九世紀のパリに連れて行ってくれる本で、書店で見つけるやすぐにレジに持っていったのに、忘却の彼方へ・・・。
 「ユリイカ」の別冊を買うのは『空気人形』特集が初めてだと思っていたら(どちらかというと、『映画秘宝』系なので)、山田宏一さんが責任編集している「ジャン・ルノワール」特集号も、しっかり買っていたんですね~。まあ、ルノワールに関する本なら、自分が買わないわけはないのですが、完全に失念していました。
 
 本は、ワインのように寝かせて読むものではないと思いますが、秋の夜長に良き友が増えたと思って・・・。


その頃クルミさんは、出窓で日向ぼっこしてました。
今、2.3kgぐらいなのですが、これ以上大きくなると・・・


戦争と平和 ~四冊の本をめぐって

2009-08-22 23:59:00 | 書物の海

 土曜日もブログを更新することができませんでした。疲れていたこともあるのですが、帰りがけに久しぶりに本を買って、それを読み進んでいるうちに寝てしまったのです。
 猫は4時頃から起きて駆け回っていましたが、自分が起きたのは6時50分。自分と猫の朝食を作り、掃除洗濯を済ませ、猫のトイレの砂を入れ換えた時点(半分ぐらい捨てました。選別に30分を要したけれど、砂一体分約700円を得した?)で早くも10時・・・猫が来てから掃除ばかりしていますが、これから昨日の分のブログを書きましょう。

 まず最初に手を取ったのが、『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』の著者=梯久美子さんの新刊『昭和二十年夏、僕は兵士だった』。『散るぞ悲しき』は、硫黄島に送り込まれた栗林中将と市井の人々からなる守備隊21000人の苛酷な運命(20000人が死亡)を抑制された文体で世間に知らしめた傑作です。『昭和二十年夏、僕は兵士だった』では、終戦時に18~25歳だった五氏(俳人=金子兜太、考古学者=大塚初重、俳優=三國連太郎、漫画家=水木しげる、建築家=池田武邦)に取材しています。
 著者本人によれば、「死者についての話を聞きたい」という動機から、それぞれの分野で活躍している五氏の「兵士時代」について取材を始めたそうですが、途中で「この人たちは死についてではなく、生について語っているのだ」と気づき、結果としてこの本は「戦争という名の青春をかつての若者はどう生きたのか」という青春の物語になった、とのことです。まだ、本文に目を通していないのですが、背筋を正して読もうと思います。

 「戦争」という名の青春。私個人は、戦争には勝者も敗者もなく地上から根絶すべきだと考えますが、その時代を生きた人々を否定する気持ちは毛頭ありません。それどころか、敵味方を問わず、人々がどのように死んだかだけでなく、どのように生きたかを心に刻みたいと思っています。
 梯さんの新作に触発されて手を取ったのが、艦爆(空母から発進して急降下爆撃を行う)の神様と呼ばれた江草隆繁大佐の生涯を描いた『天空からの拳』でした。戦争に関する物語や考察は、国内では「駄目なものは駄目」と考察以前に否定されるか、批判なしに肯定されてしまうかの二極に分かれ、読むに値するものが少ないのですが、当事者にはなかなかできない客観的な描写(梯さんならできるけど)を英国の軍事研究家がやってくれたようだと、期待して購入しました。
 同じ意味で、これまでまことしやかに語られてきた「零戦神話」に大胆かつ冷静にメスを入れ、あの戦争そのものを問い直す清水政彦著『零式艦上戦闘機』と、これは少し古いのですが(2005年)、ニューメキシコで行われた原爆実験から実戦投下まで日米の膨大な資料を紐ときながら描いた『ヒロシマ・カウントダウン』を購入しました。
 『零式艦上戦闘機』は今読み進めているところですが、吉村昭の名著『零式戦闘機』に匹敵する「目からウロコ」の本になるかもしれません。『ヒロシマ・カウントダウン』は、核兵器がもたらした地獄図の語り部であり、低線量放射線による体内被ばく(これは劣化ウラン弾でも生じる)の危険を訴え続けている被ばく医師の肥田舜太郎さんに取材をしている点を高く評価しました。というわけで、これから読書三昧?

枕元にムーミン ~トーヴェ・ヤンソンの世界

2009-05-06 23:34:24 | 書物の海

     

トーヴェ・ヤンソンの特集号と、GW中持ち歩いていた本


 大型連休とは殆ど縁のない生活(休めて三日かな?)が十五年ほど続いているニワトリさんですが、皆様この連休をいかが過ごされたでしょうか? お休みだった二日間は、お天気に恵まれたこともあって、せっせと出かけてきました。4~5日は仕事。今日6日もシフト上は仕事になっていましたが、人員が足りていたため「休み」になりました。最初から決まっていれば話は変わったでしょうが、それほど嬉しくありませんでした。
 朝になっても雨は一向に止みそうもなく、アオガエル君はシートをかぶってお休みです(本物のアオガエルだったら大喜びでしょうが・・・)。こういうときは映画のはしごにかぎると、上映時間を調べ始めたのですが、観たいと思っていた映画の1本が5月9日!封切でした。映画は1本だけにして、大江戸博物館の「手塚治虫展」か、国立科学博物館の「恐竜展」を絡めることも考えたのですが、GWの人混みを予想しただけで行く気が失せてしまい、ベッドでごろごろ過ごしました。
 ところがですよ、GWが始まる直前に手にした雑誌がきっかけとなって、GWの期間中ずっと1冊の単行本を持ち歩いていたせいか(城ケ島へツーリングしたときも、夜勤のときも持っていった)、今年はずっと休みが続いていたような気持ちになれました。不思議だなあ~。
 何はともあれ、「ありがとう、トーヴェ・ヤンソン&ムーミン!」


(左上)ヤンソンがクルーヴ島に建てた家。クルーヴ島は海の中にある離れ小島で、『ムーミンパパ海に行く』の舞台になった島に似ている。この島で『楽しいムーミン一家』が執筆された。
(右中)絵本作家ヤンソンは、本当は画家になりたかったのかもしれない。長年暮らしたアトリエで多くの作品を描いた(父は彫刻家だった)。
(左下)ヤンソンが借りていたヘルシンキ市内のアトリエ。最上階の角部屋で窓から海が見える。アトリエにはロフトがついていて、寝具が置かれた。30歳 のときにここに移り住み、60年近い年月を過ごすことになるのだけど、自分もこういう部屋に住みたいと思う。『芸術新潮』の特集号、ムーミン・ファンは必読だね~♪


 特集号を眺めていたら、「ムーミン」シリーズが読みたくなり、本棚から(文字どおり)掘り出した。7年前に大多数の本を思い切って処分したのだが、それでも、じわじわと本が増殖してくる。ここも普段は二重に本が積まれているので、背表紙が見えることはない。ボロボロになった『ツバメ号とアマゾン号』と『エルマーの冒険』三部作以外は小学生当時に買ったもの。
 このときは『ムーミン谷の彗星』までだったが、「ムーミン」シリーズは全9作ある。第一作の『小さなトロールと大きな洪水』で、彼らはムーミン谷に移り住むことになるのだけど、この話を自分は知らない。以下、『ムーミン谷の彗星』『楽しいムーミン一家』『ムーミンパパの思い出』『ムーミン谷の夏まつり』『ムーミン谷の冬』『ムーミン谷の仲間たち』『ムーミンパパ海へ行く』『ムーミン谷の十一月』(これも未読)と続く。
 『ムーミン谷の彗星』は、もしかすると一番好きな作品かもしれない。城ケ島の海岸を歩いたとき、『ムーミン谷の彗星』の第1章でムーミントロールとスニフが見つけた海や洞窟と、ここの景色がよく似ていることに気づいた。正確に言うと、彼らと同じように初めての冒険旅行で自分が見つけた海や洞窟が「ここ」だったのだ。ならば、この本を持っていったのも単なる偶然ではなかったのかもしれない。以前はムーミントロールと格好良いスナフキンに寄り添って物語を読み進めていたが、久しぶりに読み返してみると、小さなスニフが無性に愛しかった(猫にも会ったことだし・・・)。


 全14巻の「ムーミン・コミックス」。筑摩書房より2000年から配本が始まった(富原眞弓=訳)。財政難?のため最初の2巻しか買っていない。この頃は、まだ岸田今日子さんも健在だった・・・まだ手に入れられるかなあ?
 なお、自分の持っている古い全集(講談社)は文庫化(講談社)されていて、コミックスを出した筑摩からも、富岡さんの新訳で全集が刊行されているみたいなので、少しずつ揃えていこうかな?

 今夜も枕元でムーミンを読みながら眠ります・・・


日本の生きもの図鑑 ~いつも鞄の中に忍ばせて・・・

2008-06-01 23:57:00 | 書物の海


 先日、羽村の多摩川沿いを歩いたとき、「双眼鏡と図鑑を持っていればなあ~」と、何度も思ったものでした。そうすれば、国立では聴いたことのない音階でしきりに鳴いていた鳥の正体もわかったかもしれないし、土手に咲いていた野草や新緑に萌える林の木々の名前も調べられたのに・・・。
 生きものがどうしたこうしたと、偉そうなことを書いているわりに名前も知らなかったりするニワトリです。そんな私の目に飛び込んできた本の帯が、
「わかると楽しい! 生きものの名前。“モモンガとムササビ? ヤマメとイワナ? コブシとモクレン? うーん、どっちがどっち?”そんな自然苦手派のための図鑑です。 ~この本をもって街や山に出かけてね!」

 新書版よりほんのわずか大きいけど、普通の単行本より若干薄いため、常時持ち歩いても苦にならない点が、まず気に入りました。欲張りすぎず、これだけは知っておきたい700種(木100、草花100、虫100、鳥100、哺乳類100、魚100、その他150)を精選、街・里・山・水辺・海の5つの場所に分けて掲載しています。自分が今いる場所の頁から紐解くと調べ易いし、どんなところにどんな生きものが住んでいるのか、生きもの達の生態をついでに勉強できる利点もあります。
 そして何より気に入ったのが、1200点を越えるイラスト。精密な図絵から帯にも顔を見せる「笑うクマ」などの可愛いイラストが秀逸です。図鑑は写真よりもイラストの方が見ていて絶対楽しいと思う自分の「ツボ」を刺激してくれました。図鑑として使うだけでなく、置き物&読み物としても使えそう。これを持って布団に潜りこんだら、5分もしないうちに眠ってしまったので、眠り薬にも使えそうです。
(眠り薬に適しているのは、難しい本か図鑑なのですが、図鑑とか写真集は大きくて重すぎるので、枕にするには最高でも、抱えて読んでいると腕が疲れてしまい・・・この本は非常に軽いので、心地よく眠りにつけるでしょう)

 惜しむらくは唯一つ。「石ころ」「気象(雲)」「星図」を載せて「生きもの&自然」図鑑にすれば完璧でした。数十ページ増えた分だけ重くなりますが、野山や海は夜空もきれいだし、川原に転がっている石とか雲の形など、意外と気になるものです。絵が得意な人なら、自分が見つけたものをどんどんイラストにして、もう一冊「図鑑」を作るのも面白いでしょうね。絵の才能が全くない自分は、どうやって「さらに楽しく」読もうかな?


(左)街編に出てくる昆虫の一部。小さい頃は、オケラ&アリジゴク&カマドウマ!を身近に見ることができましたが・・・
(右)このようにフィールド別になっている。こちらは「水辺の章」。


知っているようで知らない野菜の本当の姿や、野で出会えるフルーツもこんな具合に紹介。写真の次の頁だけど、ソラマメの花がこんなに可愛い花だったとは・・・


 鳥の巣が載っていたり、空を飛ぶシルエットから猛禽類を見分けたり、動物の足跡など、楽しい情報も満載されていて、寝物語に眺めるのも楽しい本です。本屋さんに平積みされていたから、新発売された本だと思ったら、初版は2001年。隠れたベストセラーといえるかも。個人的には、お隣に山積みされていた『夢をかなえるゾウ』とかいう自己啓発本を読むより、楽しい夢が見られそう。フィールド用と保存用に、2冊持っていてもいいかもしれません。


『父・宮脇俊三への旅』 ~ 終着駅は始発駅

2007-03-06 23:56:50 | 書物の海


 
 現在放送中の『趣味悠々 ようこそ!鉄道模型の世界へ』に関する記事を書いた際に、本棚の奥から宮脇俊三さんの『時刻表2万キロ』を取り出して再読しているところだと述べたが、およそ三十年ぶりに、緑と黄色のツートンカラーの表紙が昔の鉄道車両のように懐かしい文庫本と対面させてくれたのは、実をいうと、この放送が原因ではなかった。娘さんの宮脇灯子さんが書かれた『父・宮脇俊三への旅』を読んで、無性に読みたくなったのだ。

 どくとるマンボウ=北杜夫を見出すなど、優れた編集者だった父・宮脇俊三が中央公論社を退職し、文筆家として独立したのが1978年。デビュー作の『時刻表2万キロ』は日本ノンフィクション賞を受賞、その後は抑制の効いた名文で、年に2冊程度の単行本をコンスタントに出版した。速筆でも多筆でもなかったが、ローカル線の時刻表のように、多くを語らず堅実に仕事をこなした。2003年に亡くなった後も、実に多くのファンを持っている。そんな父の二十五年間の作家生活を娘が回想した。カエルの子はカエルといわんばかりの名文で。

 娘のデビュー作から父のデビュー作へ遡る本の旅は、同時に四分の半世紀を遡る旅でもあったのだが、『時刻表2万キロ』が今もなお現在進行形の物語に思えて仕方がなかった。国鉄は民営化され、ここに取り上げられた線路の多くが今は廃線となっているのに。この新しさこそ、この本が古典になった証拠だと思う。それも極めて幸福な書物として。
『父・宮脇俊三への旅』には、一部のファンが期待するような鉄道話は出てこない。その代わり、家族が作ったぬいぐるみを取材旅行のお守りとしていつも持ち歩いていた、自分が就職するときに周囲の人に頭を下げていた、さらには「灯子」のネーミングの由来など、微笑ましいエピソードが綴られている。晩年は筆力が衰え、アルコールに依存していたといった辛いエピソードも紹介されるが、感情に走りすぎることなく、必要最小限の言葉で書かれているので、爽やかな気持ちにさえなってくるから不思議だ。

 灯子さんは、編集者・宮脇俊三の指導を受けた最後の生徒でもある。十年間フランスの田舎で暮らし、そこで学んだ食文化や貴重な体験を本にしようと思い立ち、賛成してくれた父が原稿を読んで「赤」を入れてくれた(実際は、よく書けているところには緑線を、再考を用するところには青線を引いて添削した)。「全然、面白くない」と突き返されたこともあったそうだ。父が入院することになり、原稿書きは予定枚数の三分の二のところで中断されたままだ。だが、青と緑で書きこみされた原稿と、手つかずの三篇の原稿が収められた青いファイル(背表紙に灯子と書かれている)は、文章につまったときの魔法の〈虎の巻〉となり、今日の文筆活動にも役立っている。そして最晩年の父との大切な思い出の品になった。

「旅の楽しさをただ【楽しかった】と書けば、読者は興ざめしてしまう。自分の情熱を、ユーモラスに、抑制の効いた表現で伝えることが、父の旅行作家としてのポリシーでした。〈俊三流〉は、私にも受け継がれています」(東京新聞の取材に答えて)
その意味で、娘のデビュー作は父のデビュー作『時刻表2万キロ』の続編ともいえる。その昔、父・俊三が好んで用い、題名にまでした『終着駅は始発駅』という言葉そのままに、その血を継ぐ娘が新たな軌道を走り出したのだ。


 『父・宮脇俊三への旅』の表紙には、小さな機関車と父娘のシルエットが描かれていますが、とても可愛いですね。ただ今、読み返している『最長片道切符の旅』は、北海道から九州まで【鉄道の一筆書き】で旅をしようという壮大な(バカな)試みを綴った本ですが、その壮大さとは裏腹に、当時小学二年生だった娘を一日お伴に連れてあたふたする姿が書かれていたりします。このときの「娘」は、灯子さんじゃなくて次女の理子さんだと思いますが、イラストに描かれたような「お手手つないで」にぴったりのエピソードで、ちょっと感激してしまいました。


『クローディアの秘密』 ~家出のすすめ

2007-02-11 23:57:00 | 書物の海


 

 今春、ベン・スティラー主演の『ナイト・ミュージアム』という映画が公開されます。アメリカ自然史博物館で夜警の仕事に就いた男が、夜の博物館の「とんでもない秘密」を目の当たりにするという内容なんだけど、その秘密というのが・・・
 博物館内に展示されている恐竜の骨格標本や、生き物の剥製、エジプトのミイラなどが、誰もいなくなった夜、「おもちゃのマーチ」みたく、勝手に動き回っているのではないかと、想像したことはありませんか? C G を駆使して全て見せてしまっている点が、このファンタジー映画をつまらなくしているのだけど(製作サイドはそれが「売り」だと考えているようですが)、ここでトシ子が言いたいのは「彼らが動き出すこと」ではなくて、「自分が夜の博物館内を我が物顔で歩き回る」ことの楽しさについてです。

 少年時代に体験したかったこと・・・
 一つは前に書きましたが、目の前の鉄塔国分寺線をたどって1号鉄塔をこの目で見ることでした。小説&映画化された『鉄塔武蔵野線』では、スタート地点が81号鉄塔だったこともあって、川あり森あり畑ありゴルフ場ありの変化に富んだルートを野宿しながらたどっていく大冒険になりましたが、私の場合は出発点が23号鉄塔で、武蔵野線より追いかけ易かったから、子供の足でも日帰り楽勝だったと思いますが、それでも子供のときに思いついて実行していれば、ちょっとした冒険譚になったことでしょう。
 そしてもう一つが、上野の 「国立科学博物館」 に泊まることでした。夜の学校は一人では絶対に泊まることなんかできない怖ろしい場所でしたが、夜の博物館は恐怖の対象が具体的かつ目に見えるものなので、(一人では無理かもしれないけれど)とても魅力的なアイデアに思えました。でも、実際に行動しようとは考えたことはありません。あきざくらさんが教えてくれた『クローディアの秘密』を読むまでは。

 小学校時代、学校の図書室は私のものでした。ゴビ砂漠の恐竜発掘、シュリーマンのトロイア遺跡発掘、カーター&カーナーボン卿の王家の谷発掘&ツタンカーメンの呪い、みんな図書室が教えてくれました。
(ついでに、シャーロック・ホームズや江戸川乱歩のジュブナイルを全巻読破したり、第二次世界大戦ものを読んで、戦争の悲惨を知りながら軍艦や戦闘機や戦車を好きになったり)
 このとき、『クローディアの秘密』を手にとっていたら・・・一泊ぐらいなら可能かもしれないと、本気で国立科学博物館に泊まることを考え始めたかもしれません。そして早速、思いつきました。この本を読んで、週末は子供に戻ろうかと。

 むかし式の家出なんか、あたしにはぜったいできっこないわ、とクローディアは思っていました。かっとなったあまりに、リュック一つしょってとびだすことです。クローディアは不愉快なことがすきではありません。遠足さえも、虫がいっぱいいたり、カップケーキのお砂糖が太陽でとけたりして、だらしない、不便な感じです。そこでクローディアは、あたしの家出は、ただあるところから逃げ出すのではなく、あるところへ逃げこむのにするわ、と決めました。どこか大きな場所、気もちのよい場所、屋内、その上できれば美しい場所。クローディアがニューヨーク市のメトロポリタン美術館に決めたのは、こういうわけでした。
 クローディアは、とても注意ぶかく計画しました。おこづかいを貯め、仲間をえらびました。クローディアは、三人の弟のうち、下から二番目のジェイミーをえらびました。ジェイミーは口がかたいと信用できるし、時にはけっこうわらわせてくれます。その上お金持ちでした。同じくらいの年ごろの男の子とちがって、ジェイミーは野球カードの蒐集さえはじめていません。もらったおこづかいは、ほとんどそのまま貯めていました。

 こうして彼女は見事に家出に成功しますが、不愉快なことが好きでないという、たった一つの欠点を家出中も遺憾なく発揮して(もっとも、不愉快なことがあまりに起こるので家出を決意したのですが)、歩くのは嫌だとか、おいしい食事がしたいとか言い出すのですが、そのたびに現実的で利発な弟が財布とにらめっこして諌めるあたりがとても楽しく、荒唐無稽にみえるメトロポリタン美術館での二人の暮らしぶりも、誰にも見つからないように細心の注意を払い、より快適に暮らすための創意工夫を重ねていくなど極めてリアルで、臨場感に胸を躍らせながら読み進んでいきました。自分も二人と一緒に美術館に泊まっているんだと想像すると、さらに楽しくなりました。

 クローディアが家出をしたのは、「秘密を胸にもって帰る」ためでした。私だったら、誰にも気づかれずに美術館で暮らしたこと自体が大きな「秘密」になるのですが(だから、一晩だけでも泊まりたい)、「それ」だけでは満足できないクローディア(と多くの少女)のために、作者は、ミケランジェロ作と噂される「天使の像」にまつわる「素敵」な「秘密」を用意してくれました。私は、この物語を教えてくれた〈あきざくら〉さんに、また感謝です。期待どおりの週末になりました。

 家出といえば、小学校時代に夢中になって読んだ『ぼくがぼくであること』(著者=山中恒)という小説があります。主人公の少年は、クローディアと違っていきあたりばったりの、それも「家出もできないくせに」と言われて、彼女に言わせれば「かっとなったあまりに、リュック一つしょってとびだす」最低の家出を(しかも何も持たずに・・・)してしまうのですが、家でも学校でも叱られてばかりいた少年が、ひと夏を他人の家で過ごすことで変わっていく物語に(そして淡い恋心に)大いに共感しました。『クローディアの秘密』を読み終わった後、『ぼくがぼくであること』を本棚から取り出し(当時の単行本でなく文庫本だけど)、久し振りに読ませてもらいました。そのことも含めて、改めてお礼を言わせてくださいな。
 ちょうど今、12日の午前2時を3分ほど過ぎたところ、記事もそろそろ終わりです。三連休の最後の晩は、アーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』でも読みながら、もう少し起きていようかな?

 昨日のお土産ですが、『油そば』は過去最高の出来! お店で食べているのとほぼ同じ味に作れました。「サトーのメンチカツ」はトースターで軽く焼き直しましたが、一度冷めても同じようにおいしかった~。そして「三陽食品のあんみつ」は、寒天がしゃきっと歯ごたえがあって、非常に気に入りました。また買ってこよう~と。


『風が強く吹いている』 ~リーダーズ・ハイになった!

2007-01-22 23:58:15 | 書物の海


 

 先週末、〈あきざくら〉さんが教えてくださった『風が強く吹いている』(著者三浦しをん)を読みました。正月恒例の「箱根駅伝」を題材にした1200枚の大作ですが、夢中になって第九区まで一気に読んでしまい、後はベッドに持ち込んで、読み明かすつもりだったのですが、横になった数十秒後に意識を失ってしまいました。日曜日の午後に仕切り直し、無事ゴールを切りました。あまりに速く駆け抜けてしまったので、最初からもう一度読み返しています。もしもお読みになるのでしたら、週末の一気読み!をお奨めします~

ここで、「箱根駅伝」に挑む寛政大学の10人のランナーを紹介しましょう。彼らは全員、倒壊寸前?のボロアパート「竹青荘」に住んでいます。というか、本人達は何も知らないうちに、リーダーのハイジの遠謀により「竹青荘」に集められた?

 一区  204号室 文学部二年 柏崎茜 通称=王子
床から天井まで布団を敷くスペースもないほど大量の漫画を収集。運動経験ゼロだが、粘着質な性格をハイジに見込まれた?〈神童〉の実家からルームランナーを譲り受け、漫画を読みながら部屋で練習。意外と律儀。
王子のひと言、「鬼だよ、あんた」

 二区  203号室 理工学部三年 ムサ・カマラ 通称=ムサ
国費で日本にやってきた留学生。思慮深く穏やかな性格。非常に丁寧な日本語を話す。気の合う〈神童〉が日本語の先生を兼ねている。「自分を鍛える」ため、明かりをつけずに風呂に入る。身体能力もかなり高い。
ムサのひと言、「黒人が速いというのは偏見です」

 三区  201号室 ?学部一年 城太郎 通称=ジョータ
いつも一緒の双子の兄。適度にニブく、明るい性格。弟ジョージのことは保護者的に見つめていて、そろそろ別の道を行くころだと自覚する。自分の性格が弟と全く違うことも知っており、それが多少のコンプレックスに。
ジョータのひと言、「(箱根駅伝に出られると)モテるんだね?」

 四区  201号室 ?学部一年 城治郎 通称=ジョージ
いつも一緒の双子の弟。天真爛漫で裏表のないわかりやすい性格。高校時代は兄と一緒にサッカーをやっていたので、基礎は出来ていた。細かいことを考えることが苦手だが、〈走〉に憧れてその才能を伸ばしてゆく。
ジョージのひと言、「(箱根駅伝に出られると)モテるんでしょ?」

 五区  205号室 商学部三年 杉山高志 通称=神童
思慮深く慎重。穏やかな性格のせいか、ムサと気が合う。故郷の村では神童と呼ばれていた。生真面目で裏方も嫌がらずこなす。毎日山道を10キロ歩いて通学。上りのスペシャリストとして、栄えある難所の五区を任される。
神童のひと言、「親も喜ぶと思うんだ」

 六区  104号室 法学部四年 岩倉雪彦 通称=ユキ
三年生のときに司法試験に合格した秀才。大の音楽好き。理論派で完ぺき主義。剣道をやっていたので、無駄な筋肉がない。他人と争うのではなく、データをもとに傾向と対策を練り、目標を確実に達成していくのが好き。
ユキのひと言、「やるからには狙う」

 七区  102号室 理工学部三年 平田彰宏 通称=ニコチャン
高校時代は陸上をやっていたが、挫折。重度のニコチン中毒だが煙草を絶ち、「力石だ!」と漫画オタクの王子を感動させる。二浪の五年生で後がないが、アイデアが豊富で手先も器用。近い将来、起業するかも?
ニコチャンのひと言、「一人じゃ襷はつなげねえよ」

 八区  202号室 社会学部四年 坂口洋平 通称=キング
クイズが大好きで、テレビはクイズ番組しか見ない。クイズ王より物知りだが、大の上がり性で、番組出場はとても無理。高校時代はサッカーをやっていた。誰ともつきあうが、誰にも心を開けない。そんな自分が嫌いだった・・・
キングのひと言、「就職安泰って本当だな?」

 九区  103号室 社会学部一年  蔵原走(カケル) 通称=カケル
その名の通り、誰よりも速く、誰よりも遠くまで走るために生まれてきた。運動部特有の上下関係やスパルタオンリーの指導法が性に合わず、いつも一匹狼でいる。頭に血が上りやすいのが欠点。ハイジと出会って、何かが変わる?
走のひと言、「すぐに行きます。待ってて下さい」

 十区  101号室 文学部四年 清瀬灰ニ 通称=ハイジ
同じく走るために生まれてきた男だが、高校時代に長距離ランナーとしては致命的な故障をしてしまう。観察力+忍耐力=指導力に長け、〈竹青荘〉の9人を率いて「箱根駅伝」を目指す。誰よりも「走る」ことを極めたかった。
ハイジのひと言、「君たちに頂点を見せてやる」

 その他の関係者 
 監督=「竹青荘」の大家。謎の人物。なんでもない人かも?
 ニラ=茶色の雑種犬。拾われてきた。「竹青荘」のアイドル。
 勝田葉菜子=「八百勝」の娘。走る姿に魅せられて・・・マネージャー&マドンナ。
 榊=走の同級生。高校時代の事件で走を恨む。スネオ君?
 藤岡=大会四連覇を狙う人格者。もう一人のハイジ。完璧すぎて苦手?


 運命ともいえるハイジと走の出会いから一直線に綴られた1200枚。人はなぜ、走るのだろう? 何のために? 誰のために?
 ハイジは走に問いかける。
「走、走るの好きか?」「俺は知りたいんだ。走るってどういうことなのか」

 ランナーがランニング・ハイになるように、風を切って走る彼らと併走するかのごとく一気に読んでいるうちに、リーダーズ・ハイになりました!
 寝食を忘れるほど没頭、頭が痺れる「読書」をしたのは、友人が薦めてくれたサラ・ウォーターズの『半神』『荊の城』以来だから、数年ぶりの出来事です。
(このミステリーも本当に凄い!)
 そして、読了したその日の夜、ムサの真似して電気をつけずに湯船に浸かりました。外の光がうっすらと差し込んでくるため、予想と違って真っ暗にはならなかったけれど、なかなか面白い体験でした。歩くのも好きだけど、これからランニングと暗闇の入浴がクセになりそう?