純情きらり(130回)~きらりの法則と・・・

2006-08-31 23:53:53 | 連続テレビ小説
竹下景子さんには何の罪もないのだけれど、今日も、最後に、思い切り、白けました。「お願い、言わないで!」
このナレーション、「朝ドラ」には必ずついてまわる代物だけど、とにかく邪魔で仕方がない。前回ドラマの「由布岳」クンも結構耳ざわりなときがあったと思うが、前々回の「ファイト」になると、ナレーションに関する記憶が全くない(ニワトリ頭のせいもあるが)。時間が経つにつれて忘れてしまうなら、やっぱり最初から必要ないのでは?
副音声なら「消せる」し、それに副音声は(ハードボイルド小説のように)画面に映っていることだけを描き「心理描写」なんてしないからな。ドラマの内容をスポイルすることはない。「がんばって!桜子」は、母親の気持ちとして「いいなあ」と思ったけれど、「予言」と「心の中の解説」には気持ちが萎えるだけ。思えば、人気「純きら」ブログで最初にコメントしたのが、このナレーションのことだった。「ナレーションに耳を塞いで、15分間に仕方なく省略されてしまう部分を脳内で補い、演じている俳優の表情から行間を読んで、この世界をより豊かにしたい・・・」そんな書き出しだったと思う。

鈴村と杏子&幸を皆で祝っている最中、それこそナレーションによれば、「本当の幸福に包まれた幸せなとき」に、必ず不幸がやってくる。これを「きらりの法則」と呼ぶ。「第2週~ピアノが来た」→源一郎の死。「第9週~今宵君と踊ろう」→拓司の死。「第12週~絆が試されるとき」→音楽学校入学を断念する。「第20週~来ぬ春を待ちわびて」→山長の女将になることを諦める。これまで何度も何度も繰り返されてきた。今回の不幸は「八州治に来た召集令状」。戦争末期になると、17~45歳までの男子は「根こそぎ動員」されているので、「赤紙」が来ること自体は不思議ではないのだが、ささやかな幸福を感じている最中の不幸な知らせだけに、八州治のキャラクターに準じたプチ「きらりの法則」ということになる。

昨日、怒りに任せて口走った人々は、最初から不在を約束されているマサ以外は「きらりの法則」にしたがって、都合よく殺された人々だ。

①物語は、ある人物の死を契機に新たな展開を迎える。
②ある関係を描くために、都合の悪い人間は排除される。
③いずれの場合も、「幸福感」がピークに達した後に不意に訪れる。

源一郎、斉藤先生(実家の破産)、拓司、かね、達彦(②のために死んだことに)、鈴村の父、鈴村の妻子、幸の両親、冬吾が救えなかった子供、和之の母、皆こうして物語から排除された。ここで以下の問題が生じる。

④視聴者は、「違和感」や「後味の悪さ」が先に立って、その結果生じた新たな関係や展開を素直に受け入れられず、否定的な感情を抱く。
⑤新たな関係ができる以前の、「排除された人々を巡る」ドラマに感動した自分が馬鹿馬鹿しくなる。

私は、これから磯がどんなに和之を愛そうと、磯が和之の頼みを断わったとき以上の感動は覚えないし、そのエピソードすら今では汚されてしまったことを悲しく思う。登場人物たちが不憫でならないが、一番の被害者はやはり桜子さんだ。せっかく音楽学校に合格したのに入学できないし、山長の女将にもなれない、恋する想いも最後まで遂げられず、唐突に婚約者の死を信じさせられ、無理矢理気がつかされた「一番大事な人」への想いとやらに日々揺れている・・・

ここからはドラマの中だけの感想です。
桜子さんは昨日、「一緒にいると苦しい」と言ってましたね。そこまで深刻なら「純情きらり」でなくて、トリュフォーの「隣の女」ですよ。桜子さん!
冬吾もまた、今日の「あのとき死んでも良かった」発言は、駄目ですね。魂がどうしたこうしたって、抽象的な表現を使ってますが、「愛の告白」も同然!
「自分が生きていくために貴方が必要なんだ」ということを相手に告げてしまったら・・・
竹下さんの「予告」どおりにはいかなくて、二人が他の人たちと(場合によっては永遠に)お別れするのが普通だと思います。
夏目漱石は、「それから」が起こした顛末を「門」できちんと描いていますよね。竹下さんの「予告」どおり、物語が進んでいくことが明らかである以上、二人は心情を吐露することなく、静かに離れていくべきだったのですが・・・

純情きらり(129)

2006-08-30 22:57:20 | 連続テレビ小説
「Tに捧ぐ」って・・・まさか「トシ子」のテーマ曲を書いてくれたの、桜子さん?
(のわけねーでしょうが)

トシ子は静かにドラマを見ようと決心した。が、しかし・・・
5月25日の「空襲」の死者は3月10日の1/20以下だ。なのに、和之の母が都合よく死んだ。脚本家は「デスノート」を持っているのだろうが、ドラマを一緒に生きるトシ子は、堪忍袋の緒が切れた。これまで彼女が殺した人間を列記する。
マサ、源一郎、拓司、かね、達彦(は死んでませんが死んだと思わせてる)、鈴村の父、幸の両親、和之の母、キヨシや勇太郎も胸先三寸で思いのまま、徳治朗さんも年だし・・・そして最後に桜子を死なせるつもり?

繰り返すが、看護婦を続けることは家族を捨てる話ではない。
杏子の「好きな人でもいるの?」も、唐突&わざとらしく不快。
冬吾らしからぬ「発言」にも驚かされた。もしも桜子の気持ちに気がついたなら、「一緒にいてくれ」なんて、自分勝手な発言を冬吾がする筈がない。気がついていない? 冬吾はそんなに鈍い人間じゃないだろう。
「一緒にいると苦し」くて、「Tに捧ぐ」曲を作ったのね。可哀相な桜子。誰かの掌で勝手に踊らされて・・・涙が出ます。

唯一の「ホッ」は八州治とイ・ビョンホンのかけあい漫才。鈴村が訳わからずもひたすら八州治に恐縮してるのが可笑しい。

PS.尾が切れたトシ子は、「列記する!」と啖呵を切りながら、「鈴村の妻子」を抜かしちゃいました。裕美さん、教えてくれてありがとうございました。

純情きらり(128)

2006-08-29 23:35:07 | 連続テレビ小説
「純情きらり度チェック(21週までの総括)」を読んでいたら、「おや?」と思う場面があった。達彦のところなんだけど、「君は俺の気持ちなんか全然わかっとらん」と書いている。達彦は絶対に、そう絶対に「~なんか」という言い方はしなかった(桜子も「達彦さん“には”わからんよ」はよく口にしていたが、「~なんか」は使わなかったと思う)。気になったので、第8週の名場面を再生してみた。

さらに脇道に逸れるが、「純情きらり」は1~15週までHDDに、以後の週はDVDに録画している。手歩丼(テポドン)騒ぎで放送時間が変更になったときは、変更時刻を何度も確めて予約録画したにもかかわらず、(案の定)録画に失敗した。なぜか翌月8月5日の土曜日に予約していたのである。「機械にめっぽう弱いからな・・・」そう言って自分を慰めたが、いつもの「不注意」「うっかり」「早とちり」「思い込み」が出ただけじゃん! 道を歩けばデコボコにけつまづく段差を踏み外すはしょっちゅうだし、(斉藤先生のように)電信柱にぶつかることも・・・

「突っ走ってみたら? 駄目なのかなあ・・・」
このときの桜子さんは完全に小悪魔モードで、「突っ走ってみれば?」と言わんばかりに達彦さんを見つめる表情が素晴らしかった。そして・・・
「君は俺の気持ちをわかってない。全然わかっとらん、全然気づいとらん、俺の気持ちを。俺が君を・・・」
となったわけですね。「なんか」を削除&訂正しました。

この頃は、朝昼晩そして週末まとめて「純きら」を見ていました。人気ブログのコメント蘭も、今とは全然違う意味で大いに盛りあがっていました。「この恋」の行方を、殆どの視聴者が息を止めて見守っていたのです。「純情きらり」は恋愛ドラマではないのですが、「二人の純愛」イコール「純情きらり」になってしまったのですね。達彦が出征すると、視聴者は一日千秋の思いで「達彦の帰還」を待ちました。「戦争が終わって、どうか二人が結ばれますように・・・」
第20週の途中まで、視聴者の祈りにも似た気持ちが裏切られることはありませんでした。なのに、かねの死を契機に「達彦戦死」が既成事実になってしまい、それだけでも視聴者は「梯子を外された」思いになっていたところに、「冬吾への想い」とやらが唐突に提示され、第21週の物語と次週予告や「ナレーション」でことさら煽ったものだから、圧倒的な非難とそれに対する反論で、事態は最悪の方向へ向かってしまいました。好きなドラマで険悪になるなんて・・・涙です。

タイミングよくNHKは、冬吾を演じた西島秀俊さんのインタビューを公式HP上にUPしました。早速読んでみましたが、多くの視聴者が戸惑いを感じたドラマの展開を説明する内容になっており、これ以上の論争は全く無意味だと悟りました。ポイントは幾つかあります。まず、冬吾と桜子の関係が決して「恋ではない」こと。次に二人は「簡単に説明できない感情」で結ばれていること。最後に「純情きらり」は人間ドラマであること。視聴者を悩ましていた問題は杞憂に過ぎないことを知らせると同時に「達彦」フィーバーにも釘を刺したわけですが、いささか興ざめしたといったら、叱られるでしょうか? 西島さんも災難でしたね。脚本家がどうしても描きたかったという桜子と冬吾の「説明できない感情」を、このような形で「説明」する「野暮」まで演じることになって・・・

思い返せば、桜子と冬吾が「秘密」を持ったのは何も今回が初めてでなく、二人は初めて会ったときから波長が合ったというか、相手を知っていくにつれてお互い一目おくようになり、困ったときは助け合ってきた仲でした。二人はずっといわば「共犯者」だったわけで、敏感な視聴者は「冬吾には笛子がいて、桜子には達彦がいるのになぜ?」と不信に思っていたのです。ですがこのことは見方を変えると、「それだけ惹かれ合っていたのにお互い恋人同士にはならなかったはなぜ?」という疑問にもなります。俗っぽくいえば、友達以上恋人未満。自分自身に思い当たること、ありませんか?

ここで結論です。それが何であろうと、「説明できない感情」であり、「普通では理解できない感情」だと、はっきり冬吾さんが言明する野暮を冒してくれているのだから、トシ子も「野暮」はもう言いません。

さて、本日の感想です(23時過ぎ、録画を見ました)。
先入観の色眼鏡を外したせいか、今日も穏やかに15分が過ぎていきました。
今日の笛子さんは最高でした。
「頭に浮かぶもの、貴方が一番描きたいものから描き始めたらいいんじゃない?」
新しいカンバスを作り、大事な絵が空襲で焼けないよう「疎開」させる。
そして、「桜ちゃん、あんたは冬吾のそばにおってちょうだい」
桜子が冬吾のインスピレーションになるなら、私情を挟まずに利用しようという考え方は、画家の妻として100%正しい。いちいちモデルに嫉妬していたら始まりません。(実際の話、モデルが配偶者である画家と、そうでない画家と半々くらいかしら。冬吾も結婚前に笛子をモデルに描いてましたが・・・)
そして冬吾が描いた「ピアノに向かう桜子の後姿」、素晴らしいじゃないですか!昨日、紙芝居につけた桜子の音楽も素敵だったけれど、マロニエ荘でも、そうやって桜子のピアノを聴いていたのですね・・・

今日の桜子と笛子、とても綺麗でした。子供たちと接しているときの桜子の笑顔、いいですよ~。なのに、冷や水をかけるナレーションは一体何なの!

今回の空襲は「120回」でも触れましたが、主に山の手地区が狙われた5月25日の大空襲(B29約470機が来襲)のことですね。八州治がようやく口にしましたが、この頃になると「本土決戦」が声高に叫ばれていました。「竹槍でどうやって戦えっていうの?」まともな人はそう思いますが、アホバカ大本営は、本気で「竹槍」考えていました。つまり「一億総玉砕」ということです。それから、「疎開児童」と「地元の子供」の軋轢は、話を伺うとかなり深刻だったようですね。

緊急SOS!子猫成猫80匹SOS

2006-08-28 23:57:46 | お知らせ&お願い&ご挨拶
sabatoraさんの妹さん、〈ふくねこ〉さんの愛すべき猫ブログを楽しんでいたら、「罪のない猫たちを悲惨な状況から救って欲しい」という記事がリンクされていました。身寄りがない方がチンチラを飼ったのが発端らしいのですが、無秩序に(猫ですが)ネズミ算式に増やしてしまった結果、現在80余匹の猫たちが劣悪な環境で暮らしていて、それでもなお生まれてくる子猫が次々かみ殺されていく悲惨な状況から何とかしてあげようと、有志が集まって現在ボランティア活動を展開している、という記事でした。
(飼い主は身寄りがなく癌で入院)

80という数はなかなか実感できませんが、ディズニー映画「101匹わんちゃん」(アニメ版でも実写版でも可)を思い浮かべて下さい。大変な数です。
ブログを読みますと、先日までに全部で91匹、何とか捕獲&保護することができ、不潔そのものだった家の中も片づいて、里親探しの本格的な移送も始まったそうです。

人間の都合で飼われ捨てられるペットたち。この子たちを救っても、毎日のように殺されていく生き物の数は後を絶たないのですが、捨て猫を見つけるとこっそり拾ってきたトシ子だけに、ささやかながら協力させていただきますよ。
捨て猫、捨て犬、捨てトカゲ、捨て蛇、捨てワニ、その他大勢、ペットして飼うのは結構だけど、人間の勝手でポイ捨てされる身になってくれ~~~~~。

HPと連絡先はこちら→「緊急SOS 子猫成猫80匹SOS」
ブログはこちら→「子猫成猫80匹SOS」

PS.話は少し変わりますが、ジャーナリストの江川紹子さんが、直木賞作家の「子猫殺し」について、HPで「不快」のコメントを寄せています。ちなみに、彼女の愛猫「タレ」と「チビ」も元は捨て猫です・・・
記事はこちら→「子猫殺し」の不快

純情きらり(127)

2006-08-28 11:19:39 | 連続テレビ小説
穏やかに、物語は進行していきました。嵐の前の静けさなのかもしれませんが、月曜日だし、まずまずの滑り出しではないでしょうか?
冬吾が太陽の絵を描きました。これでひとまず安心です。二人が月の兎を眺めながら、明鏡止水の心境になってくれることを願いましたが、結局は今日のナレーションどおりに落ち着くわけですよね。そのためにわざわざ「寄り道」させるわけですか・・・桜子も冬吾もご苦労なことです。

ところで、日本だと風情溢れる「月」ですが、「月の光」にはどこか魔術めいたところがあって、西洋で月を示す Luna=ルナ(ダイナ)はあまり良い言葉ではなく、Lunatic=ルナティックといえば、狂信的な(人)、大馬鹿者といった意味になります。因みに、江戸川乱歩の「目羅博士の不思議な犯罪」という、ちょっと不思議な、それこそ「月光」を偏愛する者だけが真の読者であるような、短編小説があるのをご存知でしょうか?
月光に照らされると、見慣れたものがまるで違って見えます。この神秘的な風景を目撃&体験することは、田舎でも難しくなっていますが、機会があったら是非試されるといいですよ~。

純情きらり~純情きらり度チェック(21週までの総括)

2006-08-27 22:43:45 | 連続テレビ小説

 「純 情」=純粋で邪心のない心。世慣れしていず、素直なさま。
 「きらり」=瞬間的に光り輝くさま
ということで、登場人物の「純情きらり」度(以下「純きら度」)を調べてみましょう。

1.有森家
〈源一郎〉=80点。ジャズと鉱石を愛し、妻の死後は男手一人で四人の子供をそれぞれ個性を尊重しながら大らかに育てるも、子供達の些細な変化も見逃さない観察力と的確な判断を下す姿は正に「理想」の父親。自分の趣味や子供たちを大切する反面、金儲けや出世には全く興味がない。「純きら度」100%。帝大を卒業している秀才なのにどうして〈まさ〉との結婚を徳治朗に反対されたのかよくわからずマイナス5点、早すぎた死でマイナス15点。

〈磯〉=90点。居候同然で有森家に住みこんだ人間スピーカー。洋裁の腕前はピカイチでモダンガールを自称していたが、考え方は意外と常識があるというか、実に古風で、和之に対しても自我を抑える美徳の持ち主。源一郎の死後は、涙もろく世話好きな性格を遺憾なく発揮して「お助けおばさん」となった。浪人中の桜子のピアノのレッスン代を肩代わりするなど、「純きら度」100%。マイナス10点は早とちり(斉藤先生の帽子事件とか・・・)&おしゃべり(かねのマロニエ荘襲来のきっかけを作った・・・)のせい。

〈笛子〉=10点。長女の彼女は自由に育てられたが、母の死後は女学校に進むかたわら幼い妹弟の面倒もこなしてきた。そのため、口うるさく保守的過ぎるきらいがあるが、それもこれも愛情のなせる業で、「有森家」の下宿人になった斉藤先生に対する乙女チックな態度や、憎まれ役を買って出ても浪人中の桜子に厳しく接するなど、「純きら度」100%。恋愛経験がなかったせいか、結婚後は亭主にぞっこんとなり、その意味では「純きら度」100%だが、子供をないがしろにしているのでマイナス90点。

〈杏子)=60点。彼女は完璧だ。妹のために望まない相手と結婚し、人助けをして「特高」に逮捕され、産婆&看護婦として人に尽くし、戦災孤児も引取った。この調子で子供たちを引き取っていくと、マザー・テレサになってしまいそう・・・そんな彼女が、何でこんなに点数が低いのか説明しようがないのだけど、どうしてなんでしょう。教えてほしいくらいです。来週はいよいよ・・・

〈桜子〉=3点。ヒロインでありながら題名とのギャップを最後まで埋めることができなかった(って、まだ終わっていません!)。女学校時代に下宿人の斉藤先生に「初恋」した頃の彼女は「純情」そのものでウルトラ可愛いかったが、「婚約解消後」の立ち直りの速さが題名にそぐわないと早くも一部視聴者の反感を買った。その後、達彦に愛されて「純きら度」がうなぎのぼりに上昇したが、キヨシに対する小悪魔的態度など、「魔性の女」にいつでも変身できる才能を併せ持っていたのも事実。達彦出征後かねと暮らした一年余で「純きら度」もピークに達したが、かねの死を境に「女心と秋の空」の迷走状態に陥り、ついに連ドラ史上最もバッシングされるヒロインになってしまった。でも、誰が「マクダラのマリア」を責められるというのか? 達彦が還ってくれば、「待ち続けられなかった」自分を責めることになるのは必至でしょう。自業自得と言うには気の毒すぎるよね。「原案」のように××する噂も聞こえてくる今日この頃、映画「嫌われ松子の一生」が大好きな私は、「嫌われ桜子さんの一生」も愛せると思う。悪いのは桜子ではなくて題名なのだ。

〈勇太郎〉85点。末っ子の悲しさか、今まで殆どエピソードがない。もてそうなのに、恋人は「物理の教科書」。唯一の見せ場が出征の日だけでは・・・。もしかしたら八重さんが好きなのか?と視聴者を期待させたが、この先サプライズは多分ないでしょう。家族を想う気持ちや他人を気にかける優しさを人一倍持つ勇太郎君に、もっと出番を!

〈徳治朗〉65点。NHKはこういう役柄を大事にする筈なのに、他のエピソードが多すぎて、勇太郎同様殆ど出番がなかった。なまはげじいさんの「きらり」が、桜子の初めての演奏会と、桜子を岡崎に連れ戻すためにマロニエ荘を襲撃したことだけだったのが残念で仕方がない。価格統制で「山長」が危機に陥ったとき、もう少し活躍させてあげたかった。

2.松井家
〈拓司〉93点。大きな体に似合わず、かねの「コバンザメ度」95%だった拓司が、ゲジゲジ眉毛が達彦さんとは似ても似つかないのに「カエルの子はカエル度」100%に。店を継がせたい一心のかねに対して、好きな道を行くようこっそり応援、ここぞというときに達彦の援護射撃をした。表向きはかねの影に隠れていたが「山長」の屋台骨だったことも判明し、万が一達彦が音楽の道に挫折したときに、店を継いでも困らぬよう長年書き綴った味噌ノート「山長覚書」を職人頭仙吉に託すなど、店と息子への深い愛情を示した。大好きでした。マイナス7点は「梅やっこ」。

〈かね〉98点。山長の女将として亭主を完全に尻に敷き、盲目的な愛情を一人息子の達彦に注ぐ。ヒロインの天敵で本来は「憎まれ役」の筈だが、幼馴染の磯との口喧嘩の楽しさや「話せばわかる」的な筋の通ったところが好感を持たれ、特に二度にわたる「達彦奪還」作戦は視聴者に大きく支持された。桜子を達彦の婚約者として認めてからは「いいお義母さん度」も急上昇。肩掛けを返せ返さないで「号泣度」も200%に。私もかねさん、大好きでした。

〈達彦〉100点。子供時代は聡明なお坊ちゃんに過ぎなかったが、八高に通う頃には味噌屋の貴公子として女学生の憧れの的に。ピアノに対する一途な気持ちと桜子への恋心は、正しく題名に相応しいもので、桜子が心配で大八車を引いてマロニエ荘に移り住むようになってからは完全に主役交代、「純きら度」は、ダンスホールに押しかけ120%、切符代の立て替え135%、斉藤先生に逢うため下駄履きで駆け出す桜子を見送る姿150%、「君は俺の気持ちを全然わかっとらん」300%、初めての連弾&ダンス120%、拓司の味噌ノートを読んで涙する姿180%、結び文110%、夜の川原300%、手紙250%「音楽を忘れるな~」300%、遺書95%、味噌ノートへの書き込み100%、生霊姿85%と、やることなすこと全て「純きら度」が極めて高い。帰還後の一挙一動を全視聴者が見つめている。

〈キヨシ〉95点。キヨシがここに入るのは、「山長」が彼の家族みたいなものだから。幼い頃はいじめっ子の悪がきだったが、山長に入ってからは期待の若頭に成長する。桜子への想いにかけては達彦に一歩も劣らない。出征前に仙吉に言われた言葉を忘れずに帰国(の予定)。5点のマイナスは単にエピソードが少ないからで、心底「純きら」なサブ・キャラ。

3.マロニエ荘の住民(初期)
〈杉冬吾〉5点。点数が低いからといって、魅力がない訳ではない。清濁共に受け入れる懐の深さが素晴らしく、(画家であるから当然だが)観察力&洞察力に富む。何があろうと沈着冷静で本質を誤らない。含蓄のある津軽弁も魅力で、異性同性問わず慕われる人物だ。「東京大空襲」で唯一の弱点である「ぼんぼん」気質が露呈したが、しかるべき時が経てば元の冬吾に戻るだろう。女好きとのことだが、えり好みしないだけで、誰をも受け入れる。まあ、それが罪作りなのかもしれないけど・・・

〈八州治〉75点。軽薄そうに見えるが実は非常に「純きら度」の高い人物だ。「杏子」に気に入られたくて荷物持ちから子守りまで引き受けているが、来週彼女が突然結婚しても「祝福」しているあたりは(予告編から)「純きら度」150%。絵で食べていかれることを祈ってます。

〈八重〉80点。大らかな性格に冬吾と同じように育ちのよさが伺える。ヌードモデルも辞さないが、大地のようにどっしりとした母性とどこか垢抜けないところがルノワール的。20点のマイナスは恋人がモリタのせい。キヨシか勇太郎の嫁にしたかった。現在消息不明なのが気がかり。出産のために群馬の実家に戻っているといいのですが・・・

〈マリ〉70点。彼女の姿を最後に見たのが冬吾を連れ戻すために八州治と岡崎に来たときだから、早いものでもう3年になる。どこで何してるやら。毒舌家だけど、根は人一倍寂しがり屋。冬吾に片想いを続けていたなど、すれっからしのようで「純情度」は高い。

〈ハツ美〉50点。惚れっぽいのが玉に瑕だが、「純情度」はそれなりに高い。達彦さんに一目惚れし果敢にアプローチを試みるが、仲介を桜子に頼むなど詰めが甘いというか、人が読めないというか・・・お人好しなんですね。失恋ばかりしている?せいか、切りかえと立ち直りも人一倍速い。そう考えると、桜子さんをそんなに責めなくてもいいような気がするのですが・・・

4.その他
〈和之〉88点。和之クンの登場は磯叔母のためには良かったものの、おかげで勇太郎がわりを食った感じ。とっても「純」な性格の持ち主で絵の才能は磯譲り? 磯さん、良かったね、こんな良い子に育ってくれて。

〈イ・ビョンホン=鈴村〉15点。妻子が見舞いに来ないだけでこの世の終わりのような顔をしていたのに、妻子や父を空襲で失いながら杏子と幸でプラマイ・ゼロというのがいまいち気になります。三人でお幸せに・・・

〈河原〉0点。最高の憎まれ役だったのに、尻切れトンボな退場が何とも心残り。是非、もう一度お目にかかりたいのですが、ダメでしょうか・・・

〈マスター・ヒロ〉80点。コーヒー一筋のマスターは、いぶし銀のキャラクターの持ち主で、達彦や桜子にとってはなくてはならない存在だった。達彦の帰還で、もう一仕事することになるかもしれません。

〈西野先生〉85点。真面目すぎて面白みに欠けるが、いい人です。最後まで問題児だった桜子の面倒を見てくれて。ご結婚されているのでしょうか? 独身ならヒロさんなんかどうでしょう?

〈薫子〉52点。女学生時代は「文学少女」で「純情度」は人一倍高かった。八高時代の達彦に「付け文」するが、それを桜子に託したのは大間違い。東京では立派な職業婦人になったが、アニメ声だけは直らなかった。

〈斉藤先生〉91点。ドラマに登場するなり、ヒロインと視聴者の心を鷲づかみにした好男子。短いながら数ある(ドジ)エピソードの中でも、勇太郎がいたずらで枕元に忍ばせたイモリをペットにしたことと、桜子の為に握ってあげた痛んだオニギリが忘れられない。風の又三郎のように現れて去っていった斉藤先生に、もう一度会いたいものです。期待していいかなあ?

〈西園寺先生+松尾〉二人合わせて平均75点。桜子に対するユニークなピアノレッスン(映画「ピアノ・レッスン」ではありません。あちらは・・・)が忘れられません(松尾の寝癖も)。満州に行かれましたが、引き上げには大変苦労することでしょう。早く先生のあの笑顔が見られる日が来ますように・・・

〈仙吉+野木山〉二人合わせて平均95点。役者がいいですよね。まず。出番は意外と少なかったけど、最強のサブキャラでした。

〈るり子〉30点。出演場面があまりに短く、「魔法使いサリー」ちゃんの憎まれ役の域を出ることができなかったのが心残り。もっと桜子と激突して欲しかった。

〈秋山〉90点。あまりにも音楽に対して「純きら度」が高すぎて、周囲に不義理をする。戦争中も、あれだけの仕事を桜子のところに持ってこれるなら、何もあそこまで落ちぶれなくても・・・

〈モリタ〉25点。存在感が殆どなかったが、小物発言で頭角を現す。無事に還ってきて八重さんを安心させてくれ~

〈たみ〉60点。彼女のエピソードが必要だったか疑問の残るところだが、達彦の好物「鹿の子寄せ」は結構重要なアイテムだし・・・。桜子の教育係も確かに必要でした。ギックリ腰にならなければ得点高かったのですが・・・

〈おふみ〉20点。実は桜子が味噌倉に落ちた頃から「山長」で働いていた?「キヨシにぞっこん」→「桜子にいじわる」は、おつぼね様の新入りいびりだったのですか? でも、意外と若いよね、彼女。その頃働いていたのは「おふみ」に良く似た人か、彼女のお姉さんだったのかもしれません。

〈タネ夫婦+太郎〉期待値も入れて75点。甲斐性なしのダメ亭主は問題外だが、タネが山長を切り盛りしてくれていると信じたい! 実際、頑張っているみたいね。

〈しま子〉100点。冬吾を♪追いかけて追いかけて雪国~♪「純きら」女性軍の中でかねと磯を別格とすると、実はトシ子が一番好きなキャラクター。

〈初代・杉加寿ちゃん)120点。大事な人を忘れていました。戦争中の重苦しい展開に息が詰まりそうになった私の唯一の楽しみが、加寿ちゃんの顔を見ること。冬吾さんのお膝がお気に入りでした。

とまあ、ざっと「純情きらり」21週を振り返ってみると、いろいろなことを思い出しますねえ~。残り5週でこのドラマともお別れかと思うと、急に秋風が吹いてきました。寂しいなあ~。来週からは、大らかな目でこれら愛すべき登場人物を見守りたいと思います。
(送り手には容赦しませんが・・・)

PS.この文章、最近の「純きら」を全く楽しめなくなった自分が「昔は良かった~」じゃないのですが、第1回目から思い出し思い出していたら、気持ちが「ふわ~」と軽くなったので、書いてみようと思った次第です。早速のコメント、ありがとうございました。桜子さんの点数が辛いというか低すぎるというご指摘はごもっともですが、他の人と比べて現時点(21週)の彼女を考えると、メリハリをつけた方が面白いかなあと思ったまでで、ただ「冬吾」への想いというのは、言い悪いではなく「純情」とは違うと・・・。「3」はミスターこと、永遠のカリスマ長嶋茂雄さんの背番号から借りてきた数字でした。ということで、私の中では既に許されていますよ~。そんでもって「純きら度」は乗車率みたいなものと考えて下さい。点数は100点が最高点になります(あくまでも「純きら度」の)。なぜ達彦さんとしま子が同じ満点なのかは異論はあるでしょうが、私の中では矛盾していません。あっ、加寿ちゃんの120点は「花丸」付きよ~ん。

純情きらり(126)

2006-08-26 23:51:33 | 連続テレビ小説
冬吾が絵を描けなくなった原因がわかりました。目の前でねえ・・・確かにショックでしょう。瞳に焼き付いてしまったんだなあ・・・私も5年前の9月11日に、テレビ画面が突然切り換って炎上しているWTCが映り、一部始終をリアルタイムで目撃したショックで、ハリウッドの「ドンパチ」アクション映画を見たいと全く思わなくなってしまいました。(あれから5年。「9.11」の犠牲者と、その後米国が投下した爆弾で死亡した人々・・・この事件は今もなお解決しておらず、絶賛されてる「ユナイテッド93」や、オリヴァー・ストーンの「ワールド・トレード・センター」を見る気持ちが全く起こりません)

でも、だからといって、「助けて」と言った少年を「桜子の微笑み」(微笑んではではいないけど)で消せるのか?
「東京大空襲」の体験者は皆「地獄図を見た」とおっしゃってます。冬吾は「助けられなかった」自分のことばかり話していないか?

今日はこれだけです。私も書けなくなりました(違う理由だけど)。

達彦さんの帰還:「ひまわり」or「心の旅路」まさか「ジョニーは戦場へ行った」

2006-08-25 23:11:53 | 連続テレビ小説
「書きます書きます」といいながら書かなかったのは、それがネタバレになってしまったら嫌だなあと思ったのですが、今日「純情きらり(125)」を書いた後で、登場人物の「純情きらり」度を測って遊んでいたら、やっぱり一番度数が高いのは達彦さんでした。

私は「火の山」を読んでいませんが、それによると、達彦は確かに桜子の婚約者でしたが、物語の中ではそれほど重要な人物ではないようです。達彦より遙かに重要な役割を負っているのが冬吾なので、「純情きらり」も終盤に差しかかり、「原案」により近い物語になっていくのかもしれません。

桜子と冬吾の「精神的絆」(って言われても良くわかりませんが)を描くために、障害になっていることが二つあります。一つは、この連続テレビ小説が「朝ドラ」であって「昼メロ」ではないこと。そしてもう一つが、大きくなりすぎた松井達彦の存在です。

物語は全部で26週。山あり谷ありエピソード満載のドラマで、達彦さんは斉藤先生の次に現れた桜子の恋の相手に過ぎなかったのではないかと勘ぐる人もいますが、「有森」家と「松井」家は第一話から同等に描かれているので、達彦が単なる恋の相手だったとは思いません。ただし、最初の設定では、戦死してしまうことになっていたのかもしれません。つまり「松井家」全滅です。桜子は他人でありながら「山長」を継ぐことで「松井家」も継ぐ。もちろん婿を取ることになるのですが、女将として働きながらも、戦後東京へ戻った冬吾を精神的支柱に(彼とは絶対に結ばれない)、また死んだ婚約者のためにも「音楽」も続けていく・・・というストーリーだったのではないでしょうか。(妄想かな?)

物語の中で達彦の存在が日増しに大きくなり、視聴者の興味の対象がヒロインの桜子から達彦に移ってしまったことは、脚本家の「誤算」だったと思います。それほど、福士さんの繊細かつ真っ直ぐな演技が素晴らしかったからですが、達彦の純愛のせいで、より重要な筈の桜子と冬吾の関係が「純情きらり」の題名からほど遠いものになってしまいました。達彦が戦死すれば道義的な面はクリアできますが、純愛を反故にされた感は否めません。いくら冬吾とは精神的な結びつきに過ぎないといっても、視聴者が黙っていないでしょう。ちょうど今のように。達彦が戦死してしまうと、達彦の「純愛」だけが、より純化されてしまう。これではまずいので、達彦は還ってきます。

一ファンとしては、登場してくれるだけで十分なのですが、桜子の「きらり度」が下がった分、自分も「きらり度」を下げて登場してくるか、相対的に桜子の「きらり度」を上げる役割を負って登場してくるはずです。なんか、すごい間接的な言い回しで辛いのですが、得意の映画でいうと、あまりにも息が合っていたから実際も夫婦のように見えたマルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの映画に「ひまわり」という作品がありますよね(DVDの画質はあまり良くないですが・・・)。ヘンリー・マンシーニの主題曲があまりに有名ですし、一度はご覧になった方も多いかと思いますが、達彦さんも「ひまわり」の線で来るかもしれません。それでは桜ちゃんが可哀相ということで、あるいは「心の旅路」(ハリソン・フォードのリメイク版でもいいが、戦争で負った傷ということなら1942年版でしょう)の設定を拝借してくるかもしれません(安易だけど)。間違っても「ジョニーは戦場へ行った」のようなひどいことにはならないと思いますので、ファンの方はどうかご安心を!

PS.1 たった今耳にした情報ですが、達彦さんが(福士さんが)9月6日(水)のスタジオパークに出演するそうです。ということは、再来週にご帰還するわけですね!

PS.2 キヨシ君(井坂俊哉さん)は9月8日(金)の出演です。「純情きらり」の公式HP「番組関連情報」にはキヨシ君しか載ってません。やはりガセかと思ったのですが、「詳しくはこちら」をクリックして、「出演予定者」をクリックしたら、「9月6日(水)福士誠治」の文字が・・・!!ちなみに火曜日は美川憲一でした。トシ子がこれほど真剣に公式HPを訪ねたのは今日が初めてです。来週の予告編は・・・見ません!

純情きらり(125)

2006-08-25 18:53:17 | 連続テレビ小説
「純情きらり」を見ていて全然楽しくない!
だから、文章を書くのも面白くない。以前は書き出すと止まらなくなり、抑えるの苦労した。(それで苦い経験をしました・・・)
いくらでも話ができたし、関連ブログやコメントを片っ端から読んで、十人十色の接し方愛し方を知り、いよいよ登場人物たちが愛しくなっていった。あの河原さんやるり子も「愛すべき」人物だった。なのに・・・

もともと「朝ドラ」には、「お約束」ともいうべき条項があって、まあこれは映画における「ヘイズコード」みたいなものだから、足りない分は補い、過剰な分は削除しながら「純情きらり」を楽しんできた。

だが、昨日は本当に、見ていて楽しくなかった。最初の家族会議から違和感の連続で、斉藤先生の頃は(「劇団ひとり」曰く=化け物みたいに可愛い)何をしても許せた桜子さんが、今は顔を見るのも嫌なほど・・・
彼女が何を言っても言わなくても否定してしまう。そう思う自分を嫌悪した。
これは誰かの「呪い」なのだろうか? それとも「戦争」のせいか?
自分の見方のせいなのか?
なんか、冬吾みたくなっちゃったよ~~~

今日の「純きら」は車の中で見た(助手席で)。高速道路を走っていたので音声が聞き取れないことが多かったが、全然気にならなかった。早く帰宅できたので、録画を見る代わりに、お気に入りのブログを読みにいった。

持つべきものは彼女達ですね~。ブックマークしている「枇杷茶」さん「mamemo」さん以外に、お気に入りの「純きら」関連ブログがあって(皆女性です)、カリンさんsabatoraさんえつねぇさんさくらえびさんのところへは日に何度も行ってしまう。私と違って、視点がぶれない彼女達に勇気づけられました。やはりこれは、「受け手」の感性の問題でなくて、「送り手」の説得力のなさが問題なのだ。最終的にはOKしているのだから、脚本家一人の問題ではない。

杜撰な語り口。人にはそれぞれこだわりがある。料理のプロであるA氏は、レシピを見ながら作った「八長味噌」料理が接待を成功させたことに憤りを覚えた。看護婦のBさんは「だいだいわかる」お産に頭を抱えた。夏休みに数日帰省した筈の桜子が岡崎に帰りっぱなしになっていることで、「日の出食堂」の無口な親父さんが「従業員が帰って来なくて困っていないか」気づかう人もいた。トシ子は何より、杉家が疎開しない理由が曖昧であることに腹を立てた。

強引&拙速でその場限りの語り口。いくら家族がテーマでも、看護婦が仕事で家(マロニエ荘)に帰らなかったことが「家族を捨てた」話になるわけないじゃん? 杏子のエピソードを心の底から喜べないのも同じ理由で、お相手の鈴村氏は「奥さんと子供が見舞いにこないだけであれほど落ち込んだのに、今回は妻子を失ったというのにあっという間に立ち直っている。ここにもコメントくれる〈まめ〉ちゃんの指摘ですが、全くその通りです。
問題は、だから、桜子だけじゃない。この物語で「送り手」が届けたいと思うものがさっぱり見えなくなりました。何のために源一郎を拓司をかねを殺したの? 朝ドラの規則だから?

PS.今日の感想
磯さん、素晴らしかった。桜子さんは西野先生の前で「婚約者を二年前に亡くした」と言いましたね。死んだと思い込んだのなら、もう何も言いますまい。死んだ人のことをいつまでも想い続けることはないのだから。桜子は達彦に相談できないことを冬吾には話せたし、冬吾も笛子に言えないことを桜子には言えた。冬吾が見せた涙。普通なら、この二人は一緒になった方がいいのだが、芸術家というのは「見栄っ張り」「ええかっこしい」で、本当に好きな人(大事な人)の前では裸の自分を見せないのかもしれない。ああ、そうなんだ。そういうことにしておきます。

純情きらり(124)

2006-08-24 23:54:11 | 連続テレビ小説
「おかあさん!」
まだクレジットされていませんが、女の子の名前がわかりました。
「さち」「さっちゃん」。サチは幸福の「幸」でしょうね。杏子さんを慕って片時も離れない姿がいじらしくていじらしくて・・・

杏子が焼け跡で少女と出会ってから、杏子と鈴村とサチの三人が「家族」になって欲しいと願う一方、空襲で死んだサチの両親に鈴村の妻と娘、そして今日知らされた父(「ピアノ線を返します」と言った組長さんだ)の死を痛む。中庭のベンチに腰掛け人知れず涙を流したまま二度と鈴村と再会せず、鈴村の家族も死なず、さっちゃんの両親も死なない「純情きらり」があってもいいと思った。

杏子さん、そこまで思いつめることないのに・・・
相手は、つい最近まで(今もか)「家族」よりも「冬吾冬吾」と言ってた人だから。(しつこいようだが、亨ちゃん目は大丈夫なんでしょうな。話題にも出ないところをみると)

磯さん、よかったですね。

今週は誰もが「家族が一番大事」と言いました。和之君の家族は「麹町」にもいるのだけれど・・・それに松井家は・・・「桜子」問題以前に釈然としないトシ子です。

杏子とサチの姿に「エイリアン2」のリプリーとレベッカ=ニュートの二人がかぶりました。「今度は戦争だ」がキャッチコピーでしたが、クライマックスは母性と母性の一騎打ち、結局「女は強し」でした(キャメロンの作品は皆そうですが・・・)。

「孤児」といえば、「レ・ミゼラブル」のコゼットほど有名な女性はいないでしょう。ユゴーが書いたこの長い物語の主人公は言わずと知れたジャン・ヴァルジャンですが、彼の生きがいであり行動原理になったのが、薄幸の女=ファンチーヌの遺児コゼットでした。この小説は、コゼットが登場する前に読むのをやめてしまう欠点を持っていますが(退屈なのはミリエル司教のせいではないのですが・・・)、どなたも、幼いコゼットが大きな箒を持たされているブリオンの木版挿絵を見たことがあるでしょう。この物語の魅力について話し出したら優に三日はかかりますので、一言だけ述べると、もしもこれからお読みになられる方がいたら、ユーグ版の挿絵200枚が収録されている「岩波文庫」の「レ・ミゼラブル」をお勧めします。第二部「コゼット」から読み始めるのも「読了」への近道かもしれません。5歳のコゼットがテナルディエ夫妻に虐げられる場面は何度読んでも涙涙涙・・・これで貴方もジャン・ヴァルジャンと一心同体になれるでしょう。

そのコゼット以上に心を奪われた少女が、ドストエフスキーの「虐げられた人びと」に出てくるネリーです。この物語について話し始めたら夜が明けてしまうので、やはり一言で済ませますが、小説の中の登場人物をこれほど深く愛してしまったのは初めてで、読了後三日間泣き暮らしました。ネリーが得意なのは「洗濯」、ネリーが好きだったのは・・・ときに乞食をして暮らしていました。

話は変わりますが、ネリーチカのような「虐げられた」少女は、今も世界中にたくさんいます。数年前に話題になった映画「アフガン零年」のヒロイン=マリナも、監督の目に止まらなければ、学校に行くこともできなかったでしょう。マリナは今17歳、アフガニスタンは今も、戦火と貧困にあえいでいます(劣化ウラン弾による被爆も心配です)。