土曜日の夕方、立川で、高校時代に所属していたラグビー部の同窓会があり、武蔵小金井行きの上り最終電車で帰宅しました。その日はとても長い一日だったのですが、これから三つに分けて記事を書くつもりです。最初の記事は極めて個人的な内容で、三度『風が強く吹いている』の話が出てきたりして、「またかよ?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、よろしかったら、しばしおつきあい下さい。
「アオタケ」の寛政大学陸上部員(だったとは誰も自覚していなかったけど)は、十人全員がめっぽう酒に強かったけれど、運動部の人間はおおむね酒飲みなのかもしれません。
その日は、二期生ラグビー部員19人+二期生マネージャー2名、ほぼ全員が集合しました。さらに、3期~12期の後輩も参加してくれました。
(今年はラグビー部創立30周年、後輩たちが大規模な同窓会を企画しているとのこと)
高校卒業以来、今日初めて再会を祝う仲間もいて、ボルテージがどんどん上がっていったのですが、いつも冷静な俺(今日は俺で行きます)がざっと見渡したところ、なるほど全員非常に酒が強い。飲めないのは当時痩せっぽちで(今もスリム!)アイドルみたいな可愛い顔をしていたK君と、自分ぐらい・・・(三次会で熟睡モードに入ったU君もいましたが)
今も!現役競輪選手のS君は、頭を修行僧のように丸めていたせいか、当時の顔を思い出せなかったけれど、彼以外の人物は、髪の毛が後退していようが、顎が無くなっていようが、見間違えることがなかったのは、さすが同期の桜だから? ナンバー8のM君なんか、あの頃と全く変わらないほど若々しかったよ~(当時が老けていたからだとの声もあり)。
皆が口々に言ったのは、「あの頃、今の体重があったらなあ~」
現役の頃、「体重を増やせ」と、よく言われたものです。当時、国学院久我山FWの平均体重が80kgぐらいだったから、15人のアベレージだと、15kg以上劣っていたと思う。
「でも、今だったら、3分も走れないぜ」
自分でも意外だったのですが、ビール一杯で顔が真っ赤になってしまい、会社では全く飲まずに「食い専門」に徹している人(=俺)が、飲んだ飲んだ~
(ここでもやはり食べたけど)
皆は飲んで強くなったのかもしれませんが(高校生の頃から強い人もいましたけどね)、自分の場合は「気持ち」でしょう。
初めて会った六期の後輩と駅まで一緒に帰りながら、いろいろなことを考えました。『風が強く吹いている』つながりだと、その日、立川に向かう電車の中で、神童以後の襷リレーを目を潤ませながら読んだのですが、「それほど物語に惹かれてしまった理由や、自分が彼らのどの部分にシンクロしたのか、そして彼らが走りながら何を感じたのか」を、今晩はっきり実感できたと思いました。何でこのことを今日の今日まで忘れていたのだろう? それどころか、ずっと背を向けていたのだろう? それを思い出した今なら、物怖じすることなく、昔のように勇気を振り絞って、ぶつかっていけるのではないか?
こ こ数年、眠りが浅く目覚めも悪かったのですが、昨晩は本当に久し振りに熟睡したようです。今朝目覚めたとき、気持ちがいいくらい、頭がきいんと痺れていました。
高三の春季大会。一回戦で敗退した。それも45-0という大差のスコアで。
試合は雨の中で行われた。敵味方を判別できないくらい、顔もユニフォームも泥にまみれた。泥濘に足を取られ、いつも以上に体力を消耗した。FWはスクラム、モール、ラックで相手に圧倒された。BKもパスが通らずゲインラインを突破できなかった。ボールはスクラムハーフの自分が出さなければ始まらないのだが、いつもの距離の半分もパスが届かない。我々は水を吸って重くなったボールを何度も落として、ノックオンの反則を取られた。
試合開始早々、顔面を強打して鼻血を出してしまった。鼻血が出ると呼吸がスムーズにいかなくなる。走ると息が上がって非常に苦しい。手鼻を切りつばを吐くと、真っ黒な血の塊が出てきた。それで楽になるが、すぐに鼻と口がつまってしまう。運動量には自信があったのだが、全然動けなくなってしまった。悪いことはさらに続く。雨に濡れて筋肉が冷えたのか、全力疾走すると足がつるようになってしまった。足がつったぐらいではゲームは中断しない。それどころか、試合中に足がつるなんて、こんなに恥ずかしいことはなかった。その程度の練習しかしてこなかったということだった。
こんな大雨の中で試合をするのは初めてなので実力を出し切れなかった、と言えなくもない。だが、条件は相手も一緒だ。完敗だった。
ノーサイドの笛を聞いたとき、悲しいとか悔しいとかじゃなく、情けなくて涙が流れた。あれだけ一生懸命練習してきたのにこの有様か・・・いや、練習がまだまだ足りなかったのだ。もっともっと走りこむべきだった。それともこれがお前の全力なのか? いろいろな思いが頭を駆け巡り、ただただ涙がこぼれた。このときばかりは降り止まぬ雨に感謝した。
叩きのめされたのはこのときが初めてではなかったのに、なぜか、これで全てが終わってしまったと思った。終わってなんかいなかった。まだ春なのに。また一から始めれば良い。三年生は春の大会後に引退する者が多いが、自分は受験勉強なんてさらさらする気はなかったので、ラグビーをやめる理由は何もない。なのに、ユニフォームを脱いでしまった。
今でいう「燃え尽き症候群」になってしまっていたのかもしれない。真面目で思いつめるタイプだったから。いや単に、投了するのが常に早い人間だったのかもしれない。
『風が強く吹いている』では、箱根の山を熱のある体で走る〈神童〉に、監督が「碁はどのタイミングで投了するかが難しいんだ」と言って、リタリアする勇気を説くが、10人が走り終わって初めて完成する試合に投了はあり得ないと、〈神童〉は走り続ける。ラグビーもまた、駅伝と同じ団体競技だった。
昨日初めて気づいたことがある。自分は燃え尽きてユニフォームを脱いだと思い込んでいたが、実はそれだけでなく、補欠になることが嫌だったのではないかと・・・
四期生、つまり自分が三年生になったときに入部してきた一年生に、優れた素質を持つ者が数名いた。二代目のSH(スクラムハーフ)は、のちに早稲田に進学することになる逸材だったのだが、自分が一年かけて覚えたことをたったの一ヶ月でクリアしてしまった。それどころか、練習でスクラムサイドを突破してくる彼を一度も止められなかった。それまで自分は、そこそこ行けてるとうぬぼれていたが、本物を見て「とてもかなわない」と思った。そして、試合に出られないなら辛い練習に耐える意味はないと、尻尾を巻いて退散したのかもしれない。そうだとしたら、情けない男だ。
三年生は五人しか残らなかった。後悔はすぐにやってきた。「自分は主将に最後までやると言っていたのに、裏切ってしまったのだなあ」と思った。もしかしたら、彼は僕がそう言っていたことを覚えていないかもしれない。でも、そのことが後々まで尾を引いてしまった。後悔するぐらいだったら、もう一度頭を下げて一緒に練習するべきだった。Y君のように。
ラグビー部をやめて、文系の生活が戻ってきた。僕は映画と本の世界に逃亡した。大学では、高校でスポーツをやっていたことを誰にも語らなかった。クラス別のソフトボール&サッカー大会で、意外な活躍をする自分に、クラスメートが不思議そうな顔をしたくらいだ。
ラグビー部を立ち上げた頃は連戦連敗だったのに、四期生が三年生になる頃には、「都立高のくせにラグビーが強い」と評判になり、私立の名門校とも互角に渡り合うほど成長した。六期生からは、大東文化大にスカウトされた者も出た。大東文化大は、トンガ勢の活躍もあって大学日本一になったが、彼もまた全日本のメンバーに選ばれる選手になり、今では全日本のコーチを務めている。そうした雲の上の人が、昨日は顔も知らない二期生の「後輩」に過ぎなかった。こちらが強制したのでない、後輩は何年経とうと後輩ということで、敬意を払ってくれていたのだった。
運動部の絶対的な上下関係が嫌いな人がいる。かくいう自分もその中の一人で、先輩風は決して吹かさなかったし、それ以前にユニフォームを脱いでいた。昨日は十二期まで主要メンバーが集まってくれたが、自分よりはるかに立派な後輩たちに、どの顔下げて会ったらいいのだろうか? ずっとそう思っていた。
でも、そうではなかったのだ。世の中には努力だけでは超えられないものが存在するが、言い方を変えれば、努力だけは公平にできるということだ。それが一番尊い。だから例えば六期生は、同じ目標をもって厳しい練習を重ねてきたという一点で全員が平等なのだ。一人が頂点を極めたが、その意味では六期生全員で勝ち取ったものだ。同じことは世代間にもいえる。自分が一緒に汗を流したのは四期生までだが、我々は皆同じ夢を追い、同じような練習をして、同じ汗と涙を流した。だから、何期生だろうと、同じ釜の飯を食った仲間なのだ。あの夜、六期生と駅まで歩きながら、このことを初めて理解した。
レベルは全然違うけれど(何しろ僕は二回しか勝った覚えがない)、僕らは僕らなりに結構頑張っていたと思う。指導してくれる人がいなかったので、教則本などを読んでラグビーを研究した(笑わないで下さいね)。BKは主将を中心に、一人飛ばしやブラインド攻撃、フルバックのライン参加やセンターのクロス攻撃、それから足を使った攻撃など、様々な戦法を練習した。FWは、モールやラックからの連続攻撃、スクラムサイドの突破、ラインアウトといった具合に練習を重ねた。「気合を入れろ」「低く当たれ」「勇気を出せ」と声を掛けあいながら、スクラムにタックルにセービングに励んだ。だから、そんなにひけめを感じることはなかったんだ。普通に引退してしまったことについては今でも悔いが残るけれど、60分間走り続けられるように、トレーニングを重ね、ボールに食らいついていった。
そして今、俺(また俺になりました)は、二期のキャプテンを務めたTのことを、昔のように憧れと尊敬の念で見つめている。彼がいなかったら、ラグビー部の歴史もここまで重ねることができただろうか? 彼を信じてついて行き、彼をサポートした人々にも心から感謝したい。これって、『風が強く吹いている』の最終章と全く同じだ。無名の高校から全日本クラスのラガーマンが出たなんて、全く同じ話じゃないか?
この日、キャプテンは懐かしい言葉を口にした。
「対面(トイメン)に勝て!」
FWの第一列は敵の第一列に、第二列は第二列に、ナンバー8はナンバー8に・・・「同じポジションの相手に、自分の目の前にいる選手に、決して当たり負けるな」
ことあるごとに、彼は言っていた。今も同じだ。
「皆いろいろあるだろうが、自分の対面は誰だ? そいつに勝て。それが西高魂だ」
この先、Tに声をかけられて、断わることは一度もないだろう。彼は〈ハイジ〉なのだから。
そして、俺は府中西高ラグビー部(実名書いちゃった)を誇りに思う。ほんの少しだけどそこにいて、本当によかった・・・また会おうぜ、皆。