『わ鐡』秋の旅 ~足尾製錬所

2009-11-19 12:22:00 | 鉄道紀行&乗り物



 東洋一を誇った足尾製錬所だけれど、精製の際に排出される排煙と亜硫酸ガス(主成分は二酸化硫黄)による健康被害が生じてしまいました。1884年に銅の生産量が日本一になったものの、その翌年には下野新聞が鉱毒被害を報道、渡良瀬川は死の川と化し、山々の草木は枯れ、鳥も姿を消してしまいます。田中正造氏が鉱山の操業停止を求めるなど、日本初の公害事件に対して奔走したのは有名な話です。氏は「足尾鉄道」が開通した翌年の1913年に亡くなっており、無念の思いでこの鉄道を眺めていたかもしれません。
 鉱山側も対応策を施しますが、1901年には煙害のため松木村が廃村となるなど、鉱毒問題は依然解消されず、戦後になって、亜硫酸ガスを殆ど発生させない精製施設ができ、浄水施設を整えて渡良瀬川の浄化に努め、地道な植林事業が実を結んで、緑が回復し鳥や魚も戻ってきましたが、最終的には、鉱山が閉鎖され、貨物線が廃止されるまで「鉱毒」は流れ続けていた、と言われています。
 足尾を象徴する巨大な煙突が一基だけ残っていました。見る人によっては、忌々しいものかもしれません。負の遺産はいらないという意見もありますが、日本の近現代がここにあった証として残していってほしいと思いました。


(左)鋼材がむき出しになった建物の手前に、ピンク色の屋根と白いペンキが映える建物が見える。その佇まいから、小学校の木造校舎のようにも見えるが・・・。
(右)製錬所も一括有形文化財として申請された。いつの日か、内部を見学できるようになってほしい。


製錬所前の渡良瀬川。この川がかつて「死の川」だったとは、とても信じられない。