にわとりトシ子の、君の瞳に恋してる!

『純情きらり』と『あまちゃん』が続けて見られる今年だよ!

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アジアゾウはな子の近況〔2〕を読み解くと・・・

2011-05-31 23:31:00 | 自然&いきもの+ゾウのはな子

 Mayaさんがブログ『世界の動物ニュース』で、井の頭文化園のはな子について最新レポートを届けてくれました。ありがとうございます。
 それによれば、やはり多くの反響があったのでしょう。ゾウ舎の中に『飼育係への質問箱』と掲示板が設置されたそうです。29日には、久しぶりにバケツ数十杯のお湯をもらい、お湯浴びもできて満足そうな顔をしていたとか。よかったね~♪
 
 Mayaさんも指摘していましたが、文化園が発表した「アジアゾウはな子の近況〔1〕」は、飼育方法を変えたことの不安を払拭するどころか、長年はな子に会いに来ていた人々の不信をさらに募らせるだけの結果に終わったようです。慌てて質問箱や掲示板を設置したり、異例とも思える速さで「アジアゾウはな子の近況〔2〕」
HP上に掲載して対応に追われていますが、この「近況〔2〕」が噴飯モノのすっとこどっこいなので、火に油を注ぐ結果にしかならないでしょう。

 何なの? なんとか係長のバナナパフォーマンス写真は?? 皮むきを手伝うのが「まいブーム」?? 自分がむいたバナナをはな子が喜んで食べている?? 本当に嗤ってしまいます。スケールはかなり異なりますが、今の日本政府や政治家&行政&経済界がやっていること(ごまかし)と似ていますね。
 でも、笑って済ましている場合ではありません。このなんとか係長って、バナナの皮むきを手伝うお手伝いさんではありませんよね。この人は、当のご本人が「はな子に限らずゾウの出入舎は、安全管理の面から必ず複数の係員でおこない、とくに忙しい朝の出舎時には、係長級以上の監督者が立ち会って作業の監視にあたります。 はな子の場合は、バックヤード(調理場)に設置されているモニターで、毎朝の出舎作業を見守る」と書いておられるように、はな子と飼育係が直接触れ合わないように見張っている「監視係」ではありませんか! 常時、モニターで見張られているとすると、私が期待したような逸脱行為は絶対出来ません・・・。
 現在の園長の出自も明らかにしてもらいたいのですが、バナナをむいている監督者の係長は写真(作業着の下はワイシャツネクタイ)を見る限り、「動物の飼育」とは全く無縁のおっさん(ご老人)にしか見えません。こんな人に、はな子と慣れ親しんだ飼育係が「安全のために」監視されているとは、世も末ではあ
りませんか! 

 この方は相当正直な人らしく、間接飼育についても「飼育方法を変えるといっても、まったく飼育係の関与を断つというわけではありません。急な飼育環境の変化が動物に与える影響や、施設の改修の必要性などを考慮して、当面はこれまでの飼育方法に準じたやり方で、はな子のようすを見ながら、無理なく徐々に準間接飼育に移行していく方針」だと、はな子を気遣う人々の心配をよそに、方針を貫くことを宣言しておられます。
 「近況〔2〕」では、「間接飼育」を「準間接飼育」という言い方に変えていて、ご丁寧にも「ここでいう準間接飼育とは、動物との接触をまったく無くすということではありません。飼育係が動物と同じ空間でおこなっていたケアを、より安全に柵などのガード越しにおこなうことを意味します」と、
「準間接飼育」は「間接飼育」とは違うのだと解説しておられますが、山川さんの『父の愛したゾウのはな子』によれば、五十歩百歩の違いだけれども、「準間接飼育」は檻から1メートル以内ならば中に入ってもよく、「間接飼育」よりはましな飼育法とのことです。
(後記:何とか係長の言うところの「準間接飼育」は、山川さんが『父の愛したゾウのはな子』に書かれている「準間接飼育」とは明らかに異なっています。「準」を拡大解釈しないでください)

 ご存知の人もいると思いますが、山川さんのお父さんが担当になったときのはな子は四肢を鎖に繋がれていました。山川さんたちは細心の注意を払いながら飼育にあたり、鎖に繋がれて心が荒れてしまったゾウと直接飼育ができるまでの関係を築きあげたのですが、山川さんが退職された1ヵ月後に軽い事故が起こり(人事異動やゾウ舎の改修工事の騒音が原因だと思われる)、いきなり間接飼育に戻されてしまいました。間接飼育は6年間続き、それではあまりにも世話をするのに不便だということで、檻から1m以内ならば中に入って世話のできる「準間接飼育」に変更された
そうです。一年後に山川さんの息子の宏治さんがはな子の担当になり、ベテラン飼育係の石川さんに協力してもらいながら準間接飼育で飼育されていたはな子を徐々に直接飼育に戻していきました。山川さんが多摩動物公園に異動された2006年以後も、木崎さんともう一人のベテラン飼育係が従来どおりの直接飼育を続け、2009年には山川さんが戻られ、私などは「何年後かわからないけれど、はな子の最期を看取るために山川さんを戻したんだ!」と思ったものです。それなのに・・・。

 飼育班長(多分、木崎さんと組まれていたベテラン飼育係でしょう)が発した「忙しいんだから、ただ見ていないで手伝ったら」のひと言ですが、私には現在の飼育方法を呑まざるを得ない飼育係の最大級の「抗議と批判」に聞こえたのですが、それをスラスラ書いてしまう(意図的なのかそれとも単に頭が悪いのか)この人の耳にはどう響いたのでしょう? 馬の耳に念仏? 
 これから暑い夏がやってきます。はな子と飼育係の皆さん、がんばってくださいな!

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F1モナコ・グランプリ

2011-05-29 23:13:23 | 鉄道紀行&乗り物

1977年のモナコGP。六輪のタイレルP34(ティレルではない)を駆るロニー・ピーターソン。
前年のモナコで2&3位、続くスウェーデンGPで1&2フィニッシュした異形のモンスター。
1977年は数々のトラブルに見舞われ、その結果僅か2年で表舞台から姿を消したが、
視覚的側面からも技術的側面からも、六輪タイレルは多くの少年の心を捉え、今日に至っている。
レインタイヤ(グッドイヤーがタイヤを供給)を履いているようだが、この年は雨が降ったのかな?


 今夜23時過ぎから F1 モナコ GP のテレビ中継があります。友人が教えてくれたのですが、話をしていたら久しぶりに見たくなりました。
 ニワトリさんは特定の人やモノに固執する性質があり、F1グランプリは70年代から追いかけてきましたが、ホンダの撤退でかなり熱が冷め、アイルトン・セナが事故死した1994年のサンマリノGP以後は殆ど見なくなりました。
(話は逸れますが、ニワトリさんは競馬も好きだったのですが、デビューしたときから追いかけていたサイレンススズカが事故死した1998年秋の天皇賞以後、馬券を買わなくなり、レースも見なくなりました。今日のダービーは不良馬場をものともせず、オルフェーブルが皐月賞に続いて二冠を達成したそうですね!)
 ホンダがF1に再復帰し、日本人ドライバーの佐藤琢磨がアグレッシブな走りを見せてくれた2003~2005年にかけてはニワトリさんもF1復帰したのですが、ホンダが完全撤退した2009年以降は全く見ていません。

 

同じく1977年のモナコGP。タイレルP34がヘヤピンカーブに進入している。


 F1モナコ・グランプリ。コース幅が狭く直線も短いので、最高速付近の競り合いや、抜きつ抜かれつの派手なバトルに「手に汗握る」ことは少ないのですが、殆どのコーナーが出口の見えないブラインドコーナーになっていて、一般公道を走る関係上ラインを外せば即ガードレールが待っている難易度の非常に高いコースとして知られています。ドライバーには技量と度胸が、マシンにはタイヤやサスペンションのセッティングも含めた高度なトータルバランス性能が求められます。何といっても、一般公道を走るレースとして、モナコGPほど華のあるレースはありません。ヘアピンカーブとトンネルは余りにも有名ですよね~、周囲に立ち並ぶ高級ホテルやヨットハーバーも・・・。
 モナコのコースは抜くポイントがないに等しいので、予選最速のタイムを出してポールポジションを獲ることが重要。ポールポジションを獲ったマシンが過去23回優勝しています。最多はアイルトン・セナの6回。
 そろそろ時間です。テレビの前に移動しましょう!


コース図。92年、セナとマンセルがラスカスコーナーなどで大バトルを演じた・・・。

土砂降りの雨の中、山中湖ロードレース(一周)無事完走できました!

 【追記】2011年モナコGP、見ました。去年、最年少でワールド・チャンピオンの座を獲得したセバスチャン・ベッテル(レッドブル・ルノー)がポール・トゥ・フィニッシュでモナコ初制覇。今季6戦中5勝と圧倒的強さを見せつけた。でも、レース中に順位が入れ替わり、最後は92年のセナ対マンセルのバトルを彷彿とさせるような新旧ワールド・チャンピオンの三つ巴のバトルもあり(ベッテルをフェラーリのアロンゾとマクラーレン・メルセデスのバトンが猛チャージ)、見ごたえ充分! 小林可夢偉(ザウバー・フェラーリ)が素晴らしい走りで5位に入賞! 私は初めて見たのですが、小林選手の走りは凄くクレバーな感じがする。そしてタフだ。ホンダがかつてのように熱心にF1に取り組んでいれば、彼のドライビングで優勝することも夢ではなかった? ザウバーには申し訳ないが、来シーズンは有力チームに移籍させたい。そしたら、日本人初のF1GP優勝も?


小林選手の白いフェラーリ。モナコGP5位入賞はフロックではない! 

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もう嗤うしかない?

2011-05-28 09:00:00 | 独り言&拾いもの


 ことの深刻さに相反するあまりにもレベルの低い「言った言わない」について、ひとこと言おうと思っている間に一週間が過ぎてしまい、東京電力の「海水注入中断はなかった」という夢オチ以上に陳腐な「どんでん返し」会見で幕が降りたのだが、怒りを通り越して笑ってしまった。会見を伝えた直後に「私の頭の中は、はてなマークだらけ」と痴呆の表情を浮かべている斑目さんの映像が流れ、「いい気味だ」と思った分だけ怒りのボルテージがさらに低下した・・・やれやれ、こんなメチャクチャがいつまで続くのだろう? 

 もうこれ以上「お化け」が出ないことを前提に話を整理すると、3月12日の夜19時04分、東京電力は1号機の原子炉に海水を注入。2分後の19時06分、保安院にその旨連絡。19時25分、官邸にいる元役員から本店に「管首相から海水注入の了解が得られていない」との連絡が入り、清水東電社長や吉田福島第一所長らはテレビ会議を開いて対応を検討、官邸の判断を待つために注水の一時中断を決定。この際、吉田所長から「注水を続けるべきだ」との意見は出なかったが(筆者注:本当だろうか?)、所長の独断で注水を続けた・・・のがどうやら真相らしい。
 官邸からの要請を所長の独断で無視したならば(判断は正しくても)処分は免れないところだが、官邸側がすったもんだの果てに「注入中断を命じた覚えはない」という答弁に戻り、斑目原子力安全委員長の助言も「再臨界の危険性がある」ではなくて「再臨界の可能性はゼロではない」という曖昧模糊な言葉だったため中止の判断は下されず、「誰が55分間の海水注入中断を命じたのか」責任の所在を巡って紛糾していた国会は「無駄な時間を費やしただけ」という語るも無残な結末を迎え、(結果的に)誰一人として責任を問われることなく問題自体が消滅した。「結果オーライ」で済ませたいのだろうが、それ以前もそれ以後も「情報隠し」は発覚し、事態はいよいよ深刻だ。

 事故から二ヶ月以上が経過して「1号機がメルトダウンしていた」ことが公表された。2&3号機についてはまだ認めていない。実にふざけた話だが、東電や政府関係者はもちろん、マスコミに登場した御用学者や取材にあたったマスコミ各社が口をそろえて、「事故発生から三日後には(メルトダウンを)確信していた」と白々しく言うのには、開いた口が塞がらなかった。彼らは十年後にも、「こうなることはわかっていた」と、同じ台詞を口にするだろう。
 大東亜戦争(あえてそう呼ぶ)を幼少時代に経験した父は、ことあるごとに「あのときと全く同じだ」と言っている。「日本はひとつ」「みんな一緒」「ひとりじゃない」といった言い回しをさんざん聞かされたらしい。その結果が惨めな終戦だったのだから、こうした言葉に拒否反応を示してしまうのも当然だろう。
 自分もまた、めまいがしそうな怒りを覚えるたびに、『仁』の南方先生じゃないけれど、65年前にタイムスリップしているのではないかと錯覚することがある。自分の場合は過去の悲惨な記憶がないせいか父ほどの嫌悪感はなく、これらの言い回しに同調することはないけれど、当時の人々に対してある種の共感を覚えるようになった。悲惨さの質が違うが、こうした事態に至って初めて彼らの日常や気持ちが理解できるようななった、と思うほどだ。
 「真実」を告げなかった理由は、ただ一つ「パニックを防ぐため」だという。もっともらしい言い訳だが、ならば「本当に深刻な事態が進行中のときは決して真実を伝えられない」ということになる。上に立つ者は「小を犠牲にして大を救う」決断を迫られることがあるのかもしれないが、マスコミもそれでいいのだろうか? 報道のあり方や自分たちの使命を今一度考えてもらいたい。

 真実を伏せていてもパニックは起こる。実際の話、品不足が起きた。これもパニックの一種だろう。情報が多すぎても混乱するし、情報が全く入らなければ不安を覚える。報道を信用できないからパニックが起こる、とも言える。「真実は伏せられる」ことを皆がうすうす感じているわけで、パニック回避のために報道管制は今後いっそう強化されるだろう。いたちごっこの繰り返しだ。
 事故が起きた直後に発売された『AERA』誌の表紙(物々しい放射能防護マスクの写真)に抗議した野田秀樹さんも、パニックを起こした一人ではないかと思う。あのとき、関係者は「外部に放射能はもれていない」と言っていたのだが、まさかそれを鵜呑みにしていたわけではないだろう。彼は「危機にある時、その危機を煽っても、その危険はなくならない。危険を出来るだけ正確な情報でそのまま伝えること、これがまっとうなマスメディアのやることだ」と『AERA』を非難したが、彼のように頭の良い人なら「本当に深刻な事態が起きているとき(パニックを防ぐために)マスコミは真実を伝えられない」ことに気づかない筈がない。感性が鋭い人だから、(本人も「直感的に覚えた」と書いている)恐怖が敵を間違える形の「抗議」になってしまったのではないか?
 報道規制の一番分かりやすい例が誘拐報道だが、今回の事故はそれとは明らかにそれとは異なる。

 情報隠しから右往左往したといえば、他に「放射性物質予測システム(SPEEDI)」に関する記事の推移が挙げられる。このシステムは155億円を投じて整備されたらしいが(そんなものがあることを全く知らなかった)、最初に報じられたのは、このシステムが震災直後は被災したり停電により稼動できず、スピーディーどころか全く役に立っていなかったことだった。ソフトに欠陥があったことも指摘され、こんな役立たずの機械に巨額の費用を投じていたことが強調されていたのだが、最近になって、実は初期の段階から稼動していたけれど予測データを公開していなかったことが判明した。さらに、首相が事故直後に福島第一原子力発電所を視察した際に「SPEEDI」のデータを参照していたことが報じられた。
 被災地の人々にはパニックを恐れて数値を公表せず、自分のためにはデータを取り寄せて安全を確かめた首相の胸の内については「嗤う」にとどめるが(利用したのは彼だけではないと思う)、被災地の人に一番重要な情報を公開しなかった罪は非常に深い。

 文章が長くなってしまったが、首相のアドバイザーを務めている斑目(出鱈目)さんにもひと言申し上げたい。斑目さんは、小心な性格ゆえ責任逃れに終始するが自己顕示欲と名誉欲だけは人一倍あるという、個人的には友達になりたくないだけの人物に過ぎないのだが、その彼が最も不適切なポジション(原子力の安全に関する専門家として官邸に助言を与える職務)に今現在もとどまり続けていることは「百害あって一利なし」で、この国の最大不幸と言ってもよい。誰が彼を起用したのか任命責任も明らかにしなければならないけれど、一秒でも早く辞めてもらうのが先決だ。
 斑目さん、今は「私は何だったのか?」考える時間などありません。退場してから、気が済むまで自問自答してください。今なら拍手で見送ってあげるよ。

 台風が迫っています。明日は山中湖ロードレース・・・個人的には、大雨の中を走る必要はないと思います。参加者に寄り添いながら、事故が起こらないよう慎重かつ冷静な判断を心がけます。一泊旅行に出かけるぐらいの気持ちの方がいいかもね!

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井の頭自然文化園から返事が来ました・・・

2011-05-25 23:14:14 | 自然&いきもの+ゾウのはな子

 先週の土曜日に井の頭文化園を訪ねた際に、ゾウのはな子の飼育方法について質問状を出しました。今日の夕方、夜勤から帰ると、井の頭自然文化園から封書が届いていました。
 早速開封すると、「(前略)さて、はな子の飼育方法に関する質問ですが、5月19日、当園のホームページに『アジアゾウはな子の近況〔1〕』を掲載しましたので、下記にご紹介したいと思います。(以下HPをプリントアウト)。ご理解頂けましたでしょうか?(後略)」と綴られた文章と、はな子の絵葉書が入っていました。

 迅速で丁寧な対応には納得しましたが、『アジアゾウはな子の近況〔1〕』には納得し兼ねます。要約すれば、「はな子が飼育係に危険を及ぼしかねくなってきたので飼育係の安全を考慮して檻越しの間接飼育に切換えた」とのこと。長年はな子を担当してきた木崎さんや山川さんがそう言うなら納得できるのですが、飼育係の一番偉い人というより都の官僚といった感の強い園長センセイの談話だけに甚だ説得力に欠けます。うがった見方をすれば、お二人は飼育方法の変更に納得できなくて異動を申し出たのかもしれないし、方針に反対したために異動になったのかもしれません。
 「ぜひまた、はな子に会いにご来園くださいますようお願い申し上げます」と言われなくても、2006年以降は年間パスポートを使ってはな子に会いに行ってるニワトリさんには、はな子の飼育係が「身の危険」を省みずにはな子と接していたとは、にわかに信じられません。あれだけの巨体なのだから危険な動物には違いないけれど、だからこそお二人は、若い飼育係が自分たちと同じようにはな子と接することができるよう、慎重に少しずつ関係を築いていこうと尽力しているように見えたのですが・・・。山川さんの著書『父が愛したゾウのはな子』を紐解くと、はな子は以前も「直接飼育」から「間接飼育」に飼育方法が変わったことがあり、それを元の「直接飼育」に戻すのはとても大変だったことが書かれていました。

 ゾウの飼育は危険の伴う仕事です。リスクを考えれば「間接飼育」も致し方ないでしょう。また、「間接飼育」になっても、飼育係は今までと変わらない愛情を注いでくれるでしょう。でも、しかし、はな子がこれまで辿ってきた道と、飼育係がはな子と築き上げてきた関係を考えると、最晩年が「間接飼育」になってしまったのは返す返すも残念です。くだらない言葉に聞こえるかもしれませんが、木崎さん&山川さん、お疲れ様でした。

 

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少し前の「はな子」

2011-05-23 22:29:10 | 自然&いきもの+ゾウのはな子

数年かけてここまで親しくなったのに・・・(去年の秋)


 5月21日(土)に井の頭自然文化園に行き、久しぶりにゾウの「はな子」に会ってきました。飼育係とのスキンシップを誰より「はな子」自身が楽しみにしていたように見受けられたので、「はな子」にしてみれば4月1日をもっていきなり直接飼育から間接飼育に飼育方法が移行するというのは、四月馬鹿の悪い冗談以外のなにものでもない気がしたのですが、その悪夢の日?から一ヶ月あまりが過ぎて、中抜けもありましたが半日「はな子」を見ていたら、餌もよく食べているし、ドクダミドリンクも嫌がらずに飲んでいて、オリ越しとはいえ肌もよくブラッシングしてされていて、とりあえず安心しました。食事の時間が唯一のスキンシップになるので「よく食べている」のかもしれません。

 とはいえ、昔の記事を読み返すと、失われたものはやはり大きかったような気がしてなりません。「はな子」については、カテゴリーを独立させようかとも考えているのですが、その前に少し以前の微笑ましい写真をUPしますね~♪

  ← 写真をクリックすると大きくなるよ!嬉しいときはゾウも尻尾を振るんだね~




水撒き掃除中にホースで遊ぶはな子。食事が運ばれてきた!

 

ベテラン飼育係に見守られながらデザートの梨を並べていく新人飼育係。イエスタデイ・ワンスモア!!

 これらの写真は以前にUPしたものですが、まだまだたくさんあるので、良い写真があったら、改めてUPしますね!

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間接飼育になった「井の頭自然文化園」のはな子

2011-05-21 22:47:00 | 自然&いきもの+ゾウのはな子

9時30分の開門と同時にゾウ舎へ向かうと、はな子は運動場に出ていました。
小さな声で名前を呼ぶと、退屈していたのか、壕の縁まで来てくれました。


 ちょんきちさん、タマらんさん( 「タマらんブログ」 )、そしてMayaさん(「世界の動物ニュース」)が教えてくださった「はな子を巡る異変」をこの目で確かめてきました。4月10日にここを訪れたときは勤務中で、しかもはな子のランチタイム前の僅かな時間しかいなかったこともあって、全く気づきませんでした。
 ゾウのはな子と飼育係のふれあいを見るのが好きでした。2009年には、親子二代で世話をした山川さんが戻ってこられ、山川&木崎のベテラン飼育員と、同じく教育係?のはな子の指導を受けて、若い女性飼育係も、色々な業務をこなせるようになり、とてもいい感じでこの春を迎えていたのに・・・ショックです!

 

鼻を伸ばしてくれました。手を振って答えます。


 用があったので、一度国立に戻り12時半に再び文化園を訪ねました。ゾウ舎の二階のベランダから霧吹きのように、水のシャワーが運動場に撒かれています。夏場にはかなり有効でしょう。でも今までは、飼育係が長い長いホースで運動場に散水し、はな子の体にもかけてタワシや竹箒で体をこすってあげていました。はな子は器用に箒を使って体をこすったり、水を鼻にためて体にドバッと浴びせたしていました。掃除中の飼育係を手伝っているつもりなのか、それとも邪魔をしているのか、ホースを繰り出したり引っ張る姿も、もう見られない?
 このまま間接飼育が続くなら、1月29日の誕生日会の日が、ニワトリさんが最後に見ることができた直接飼育の微笑ましい光景になってしまいます・・・。


ヘイキューブ団子を手渡してもらう一瞬だけ直接飼育?に・・・


    

この日はいい感じで食べていました。


    

しきりに尻尾を振るはな子。中味が減ると、飼育係がバケツを傾けて飲み易くしてあげている。


ようやく飼育係が運動場へ出てきたと思ったら・・・
(この方も、長年はな子の担当でした。二人の異動に伴い復帰した)


デザートを置くと、戻ってしまいました!
(以前は彼がブドウを転がし、はな子が鼻で受け取っていたのに・・・)

 
    

今日のデザートはブドウとパイナップル。一粒ずつ口に運びます。

 


はな子は頭が良いので、全部わかっている!


 多摩動物公園のアヌーラも、桐生が丘動物園のイズミも、独りで暮らしています。はな子も独りの時間の方が圧倒的に長いのですが、今までのようなスキンシップが急になくなってしまって、どれほど戸惑ったことか・・・飼育係の異動は初めてではないので、それと同じように受け入れたのかもしれません。はな子以上に飼育係が戸惑い、悲しんだのかもしれません。今日のはな子を見る限り、飼育係は許される限りの愛情をはな子に注いでいる、と思いました。もしかしたら、見えないところでこっそり逸脱しているかもしれません。
 帰りがけに、(多くの人から質問されたとは思いますが)「なぜ直接飼育から間接飼育に変わったのか?」質問状をポストに入れました。回答をもらえれば嬉しいです。

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一週間経って、16+2基になりました・・・

2011-05-20 09:38:10 | 独り言&拾いもの

 今週はちょっぴりハードだったので、ブログには手をつけず、睡眠に徹しました。その甲斐あって、日曜日は「喉が痛くて体もだるかった」のですが、夜勤を二回乗り越え、体調も絶好調に戻りました。今晩(金曜日)の社内研修が終われば休みだ~~♪

 振り返ればあっという間の一週間でしたが、疑問に思ったこと怒りを感じたこと呆れたこと情けなくなったことが多々ありました。その中でも、原発事故に伴う牛などの動物の殺処分については到底受け入れることができません。放射能でもがき苦しんでいるなら安楽死という方法もあるでしょうが、今のところはそうした症状は出ていません。ニンゲンがいなくなった場所で自由に生きているのだからそのままにしておけばいいし、ニンゲンのせいでこうなったのだから被爆動物も手厚く保護すべきでは? 「彼らの生を勝手な都合で決めるな!」と、どこでもいいから怒鳴り込みたい! どうしても殺りたいなら、他人に命じず自分の手で殺れ!
 「人類は万物の霊長である」という高慢な考え方が嫌いです。虫の音を右脳で聴くか左脳で聴くかはどうでもいいような気がしますが、キリスト教を信仰する西洋人が音楽を聴くように虫の音を聴かない、というのはわかるような気がします。音楽とは神が奏でるものであり、神に選ばれた特別な人だけが霊感を感じて天上の音楽をこの世に送り届けることができる、という思想(宗教音楽から発展してきた)によれば、万物の霊長ではないコオロギやセミが音楽を奏でることなどありえないからです。
 それとは逆に、我々はごく当たり前に虫の音を音楽を聴くように聴いています。仏教思想を教えてもらわなくても、「草も木も虫も魚も等しく生きている」と言われて違和感を感じないのは、つい最近までそれがごく普通の考え方だったからです。今でも、多くの人が「森羅万象に神が宿る」と考えているのではないでしょうか? だから、物質主義から脱却すると同時にニンゲン中心の考え方もやめられるはず!
 殺処分には「飼育している農家の許可が必要」とのことですが、殺処分を受託しないと補償金も出ない仕組みだろうから(死んでいない家畜に補償金を出しようがないという屁理屈)、事実上の強制です。殺される動物もたまりませんが、住み慣れた土地から強制的に退去させられ、飼っていた動物を皆殺しにされる人々の怒りや悲しみをいったいどこへぶつけたらいいのだろう・・・。不誠実極まりない電力会社の本社前では、二ヶ月前から機動隊の装甲バスが横付けして厳重な警備をしているとのことですが、万が一ぐらいの可能性で起こるかもしれない暴力行為を防ぐために機動隊員を常駐させるよりも、彼らを被災地の支援に向かわせた方が遥かに有効で、(目には見えないけれど)前向きな姿勢ではありませんか? 

 事故以来、気になる記事をスクラップしています。4月26日の時点で、A4のスクラップブックが一冊埋ってしまいました。スクラップブックが何冊たまれば事態が収束するのでしょう? 1号機も2号機も3号機も底抜けの状態で、まやかしとしか思えない工程表の訂正すら正直にできない東電と政府。首相にアドバイスしている斑目さんのあだ名は「出鱈目さん」です。浜岡を止めたのは賢明な措置でしたが、それと引き換えに「他の発電所は安全。原子力政策は堅持する」などと平然と言われてごらんよ、「やっぱりごまかしだったのだ」と怒り心頭、かくなる上は『太陽を盗んだ男』の沢田研二になるしかない?
 先日も、「夏の高校野球の決勝戦が節電のため午前9時からになったこと」が大々的に報道されていましたが、個人的には「(以前から「なぜ一番暑い時間帯にやるのだ?」と指摘されていたように)選手の健康面を考慮して試合開始時刻が比較的涼しい時間帯に変更された」と解釈しています。国を挙げての電力不足キャンペーンにはかなりうんざりしてきました。

 やせ我慢と言われても「夏は暑いのが当たり前だ」で通してきました。一駅二駅は普通に歩いてしまいます。社会全体が「低エネルギー社会」へ移行していくことは大いに結構だし、「原発がなくなれば生活が70年代に戻る」という脅し文句も、『冒険手帳』をむさぼり読んだ「イエスタデイ・ワンスモア」な元少年には全く機能しないどころか、願ったり叶ったりなのです! 
 ニワトリさんは、かなり前から冷房は29度、暖房は18度に設定しています。オーディオ&ビジュアル機器は待機状態でも熱を発するので、(良い音のために常に通電しておくのがマニアの常識ですが)使わないときはコンセントを抜いています。最近は鳴らしていないので、スピーカーの反応も悪くなりました・・・。
 だから、これ以上の節電は難しいとは思うけれど、太陽光発電などを取り入れれば、相対的にさらなる節電が可能になります。電力会社を選べない現状では、早急に自家発電できる設備を整え、少しでも電力会社の電気を使わないようにできたら、多少なりとも罪滅ぼしができるでしょう。「電力不足に陥らないために節電するのではない」ことを公言して「節電」に努めます。もう、元に戻るつもりはありません。

 話は変わって、美浜原子力発電所の1基が定期点検に入り、燃料漏れを起こした敦賀原子力発電所の1基も停止したため、営業運転をしている原子炉は現在16基まで減じましたが、定期検査中の泊3号機と大飯1号機の2基が営業前の調整運転中で、すなわちフル稼動しているため(原発は常に出力100%で運転する。低出力運転により原子炉内が不安定になって爆発事故を起こしたのがチェルノブイリ)、運転中の原子炉は全部で18基ということになります。
 少し前に記事を書いたときは「調整運転」の意味がよくわからなかったのですが、定期検査の最終段階に「調整運転」を行って機器や設備に異常がないかを検査し、合格した上で原子力安全・保安院から営業運転が許可されることを先日知りました。
 この2基は、通常1ヶ月程度で営業運転に移行する調整運転を(許可が下りないために)丸2ヶ月以上続けています。問題がないなら早く許可すべき話ですが、今回の事故を受けて安全対策の見直しが求められているのですから、「営業運転はしばらく先になるだろう」と言いながら「調整運転」を続けているのは、「営業運転を開始したら13ヶ月を超えないうちに原子炉を止め次の定期検査を受けなければならない」と法律で定められていることを考えても、実におかしな話です。そもそも、調整運転の期間が法律で定められておらず、検査完了前に発電した電気を販売することの妥当性も今まで問われなかったのだから何ともお粗末な話で、安全神話が完全に崩壊したのも当然でしょう。安全対策上ありえないとは思うけれど、無制限に調整運転をさせることも可能なわけで、「ザル法がここにもあったのか!」と呆れる次第・・・。
 
 異例の調整運転については、(原子力ムラの)関係者ですら「一度しっかり停めて、新たな基準を満たしたことを確認してから再稼動すべきだ」と発言しています。これだけの事故が起きたにもかかわらず、ニワトリさんもまた、原子力発電所の即時停止は現実的ではないと考えていました。でも、13ヵ月後には残る16基の原子炉全てが定期検査に入るので、再稼動が認められない状況では普通に「原発ドミノ」が完成してしまいます。
 政府としては、ほとぼりが冷めた段階で再稼動を認める方針だったのでしょうが、事故が一向に収束しない現状ではそうもいかなくなりました。「調整運転」を異例に続けることは、代替えエネルギーを確保するまでのつなぎ策としていかにも日本的なやり方だと思うけれど、事故が起きたときの深刻さを考えればすべきではないでしょう。推進派の人々も、なし崩し的に存続させるような姑息なことをせずに、原発の必要性を改めて国民に説いて、正面突破を図ってください。手ぐすねひいて待ってます。

 時間です、行ってきます~♪

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大学通りの桜チェック

2011-05-14 23:40:00 | 自然&いきもの+ゾウのはな子

散歩から帰ってくると、月見草が咲いていた。急いでカメラを取りにいく・・・(18時10分頃)


 予定より長く昼寝をしてしまい、うっすらと汗をかいて目覚めました。時刻は16時を少し回っています。水を一杯飲んでから、Tシャツに短パンという軽装で散歩に出ました。大学通りの桜の数と種類を調べようという魂胆だったのですが、今日のように適度に暑く湿度が低い午後は、飛びっきりの散歩日和だったんですね~。どこまでも歩けそうな感じです。往復8000歩、乾燥しているせいか、汗ばむことなく気持ち良く歩けました~♪

 大学通りの桜には駅側から順番に番号が振ってあり、それとは別に桜の種類を記した札がかかっているのですが、経年劣化して紐が切れてしまったのか、半分以上の名札が無くなっていました。8割近くがソメイヨシノだと思いますが、ヤマザクラ、シダレザクラ、オオシマザクラもぽつぽつあり、ただ1本、ウコンも植えられています。空欄は来年の春、桜が開花したときに埋めることにしましょう!
 大学通りと呼ばれている国立のメインストリートは、北の国立駅から南の谷保駅までをほぼ一直線に結んでいます。600mほど歩いたところで桐朋通りと交差し、さらに600mほど歩くと桜通りと交差します。ニワトリさんは、桜通りと交差する富士見台の交差点までが大学通りだと思っていたのですが、桜通りの交差点から1ブロック手前までの桜には番号が振ってありませんでした。番号が振ってある桜を大学通りの桜だとすると、そこから先は大学通りの桜ではなく、桜通りの桜か、あるいは谷保駅通り(そんな名称はないけど)の桜に振り分けられているのかもしれません。どうでもいいことだけれど、ふ~んと思ってしまいました。

 国立駅ロータリーをほぼ一周する感じにヨメイヨシノ(札がなくてもこれはわかる)が計20本。国立から桜通りの交差点まで向かって左側の緑地帯に87+4(番号なし)本、右側に81+10(番号なし)本の桜を数えました。左80番と右4&11番は欠番になっていました。枯れてしまったのでしょうか?
(ちなみに桜通り=211本、矢川通り=73本だそうです)
 大学通りの桜は、植樹されてから今年で77年目を迎えました。かなり傷んでしまった樹が多く見受けられ、桜守の人々が、土の入れ替えを行ったり、ムラサキハナナを植えるなどして樹勢回復に努めています。新たに植樹も行われていて、2004~7年に、地元の小学生たちが7本の若木を植えていました。
 大学通りは、秋の銀杏も素敵です。ついでに銀杏の樹を数えてみたら(数え間違えもあると思う)、左74本&右76本ありました。緑地帯には紫陽花も結構植えられていて、雨の季節になったら数えてみるつもり・・・。
 帰宅すると、月見草が三輪、花を咲かせていました。

 

こちらは、お向かいに咲く「紫の薔薇」

 あまりにも気持ち良いので、風呂上りにも散歩してしまいました。(何もしなかったけど)本当に気持ちのいい一日でした~♪

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唐突ですが、たまっていくものを、どう処理したらいいのだろう?

2011-05-13 23:59:15 | 独り言&拾いもの

 日記代わりに書き始めたつもりでしたが、時間切れのまま澱のようにたまっていく一方の日々・・・夏休みの絵日記だったら、最後の追いこみで帳尻を合わせられるのですが、四年前の写真とメモ書きが手つかずのまま残っていたりします。

 例えば、都営荒川線。GWと路面電車の日に、一日乗車券を使ってたっぷり遊んできました。それから、梅雨の中休みの日曜日に乗ったJR鶴見線。写真を見なくても、その日の天候とか空気の肌触りなどをよく覚えています。
 都営荒川線だと、鬼子母神の境内にある駄菓子屋さんや、王子駅あたりで本当の路面電車になった瞬間に湧き上がってきた高揚感に、「都電最中」を買うために降りた駅のこととか、線路脇に咲いていた色とりどりの薔薇や、終点(三ノ輪橋)の商店街で買い食いしたコロッケとパンの味と、休憩するために入った喫茶店のコーヒーの香りをはっきりと思い出せるし、JR鶴見線のときだと、昼間はダイヤが組まれていないので全駅訪ねるために駅から駅へ歩く羽目になったこととか、工場地帯の決しておいしいとはいえない空気の匂いと肌にべとつく汗(汗の質まで変わる気がした)の感じとか、東京湾の運河の上にある海芝浦駅の気持ちの良さや、電車を一時間待つ間に遊んだ黒猫のこと(二年後にJR鶴見線が取り上げられていたとき、このネコは健在だった)など細部に至るまで、そのときの場面が浮かんできます。
 ときどき、「カメラもメモ帳も持たない方が一日を楽しく過ごせるのでは?」と思います。そのとき感じたことをいつでも反芻できるのだから、わざわざ日記に書く必要もなかったりして・・・(それに費やす時間を睡眠に充てた方が有益かも?)。

 でも、「あの時こう感じた」というのは、時が経つにつれて薄れていったり、あるいは全く別の感情に変わっていることもあるので、(あとで恥ずかしい思いをすることになることが多々あるけれど)そのつど書き残しておいた方がいいのかな?とも思います。ハードディスクが壊れたため、「鹿島鉄道」や「くりはら田園鉄道」の写真はこのブログの中にしか残っていないし・・・(この二つの鉄道については絶対忘れることはないけれど)。

 ところで、これらのものは場所を取らないけれど、モノは確実に空間を塞いでいきます。本、雑誌、新聞&雑誌の切り抜き、映画のチラシ、駅弁の包み紙、プラモデルの箱(未開封のものが殆ど)、映画&音楽ソフト・・・欲しくて買ったものから何となく捨てられないモノまで、雑多なモノたちが所狭しと積み重なって、部屋がトランクルームと化してきました。
 本については、同じ病に悩まされていた群ようこさんの「本棚は一つしか持たない。収まりきらない本は情け容赦なく処分する」選民方式?(映画『ゴーストワールド』に出てくるSP盤コレクターのシーモアも、1500枚の上限を設けていたっけ)が素敵だと思ったのですが、思っただけでなかなか実行に移せないのが現実です。さて、どうしたものか?

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54-13-19-2=20

2011-05-12 11:00:20 | 独り言&拾いもの

 駆け足で・・・。
 日本の原子力発電所は全部で54基。今では知らない人がいないかもしれませんが、今まではニワトリさんも含めて殆どの人が知らない数字だったと思います。いつの間にか98コになった地方空港と同じように・・・。
 新潟中越沖地震が起きたときは、柏崎刈羽原子力発電所でトラブルが生じ停止中の原子炉を含めて7基全てが運転中止に至りました(現在4基が運転再開され、残る3基が検討中)。にもかかわらず、原子力発電の危険性(安全という言葉を使うのはおこがましい気がする)についても、停止したときに発生するかもしれない電力不足(結局、電力不足は生じなかったけど)についても無頓着なまま今日に至ってしまいました。東日本大震災が起こらなければ、残る3基も夏までには運転再開され「めでたしめでたし」になった筈。

 この際だからもう少し調べてみたら、54基の商業用原子炉以外に研究用の原子炉(高速増殖炉)「もんじゅ」があります。話が長くなるので「もんじゅ」については割愛しますが、現在運転再開に向けて準備中です。何も起こらなければ今年中に運転再開されたでしょう。
それから、既に廃炉になった原子炉が4基あります。そのうち、「東海第一」と研究用原子炉「ふげん」が解体作業中で、浜岡原子力発電所の1&2号機が2009年1月に運転終了し廃炉になりました。

 新聞やテレビで殆ど報道されないので原子炉の稼働状況がわからなかったのですが、5月9日に「原子力安全・保安院」が、「2010年度の稼働率(今年の3月31日まで)は全体で67.3%だった」と発表しました。
(稼働率の低さについては定期点検が必要ということで納得)
 これだけではよくわからないので、日本原子力技術協会がHP上で公開している運転状況を参照したところ、震災以後事故を起こした福島第一原子力発電所以外に「福島第二」「女川」「東海第二」など全ての原子炉(13基)が停止中であることを改めて確認しました。残る原子力発電所でも、19基が定期検査中につき運転を休止していることがわかりました(泊3号機は定期検査の調整運転中。敦賀2号機は燃料漏れを起こし停止中)。
 ということは、今現在営業運転中の原子炉は22基しかなく、運転停止要請を受けた浜岡原子力発電所の2基が停まれば20基!まで減少します。先に述べたように、柏崎刈羽発電所の原子炉3基を始めとして、定期点検中の原子炉の運転再開も微妙な状況で、当面はこの20基以外の運転を行えないかもしれません。
(どの原子炉で「プルサーマル運転」が行われているのかまでは調べていません)

 このことは、原子力発電所が100年かけてなくなればいいなあ~と考えている私には「拍子抜け」に近い朗報だったのですが、電力不足は指摘されてもこの数字(稼動状況)については前面に出てくることがなく、浜岡原子力発電所の運転停止要請をめぐるマスコミ&経済界の反応は、疑問や異議を唱えるものばかりでした。
 それに対して今朝(5月12日)の東京新聞「こちら特報部」で、「浜岡原発の停止決定後の新聞各紙には、本誌も含め、『東電、再び電力不足も』『夏の電力、各地で切迫』などの見出しが躍った」との批判記事を掲載していました。同特報部の調査によれば、広野火力発電所が7月に稼動すれば380万キロワットの供給が可能になり、夜間に余った電力でダム湖に水をくみ上げて発電する「揚水電力」も上積みできるため、「今夏の東電の電力供給能力は全く問題ないどころか、需要を上回る。余剰電力は東北電力などに融通すればいい。浜岡原発の停止は、電力各社の供給能力に影響しない」と、同発電所を視察した衆院科学特別委員長の川内氏が断言したそうです。
 「原発反対派」の主張(原発が無くなっても電気は無くならない)が、また一つ正しかったことが証明されたわけですが、東京電力は広野火力発電所や揚水発電の現状を明らかにしておらず、「電力供給力への不安を解消するどころか《得意の情報隠し》で危機をあおっている格好だ」と厳しく批判していました(見出しは週刊誌並みにセンセーショナルな「東電、また情報操作」「狙いは原発存続?」)。

 (燃料調達の問題があるけれど、それを言い出せばウランだって同じ話)原子力発電所がなくてもやっていけることがわかっているのに、なぜ原子力エネルギーに拘泥するのでしょう? 
 それについては、引き続きにわか勉強を続けることにします~。

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