払沢の滝 ~2012年2月20日

2012-02-20 23:24:22 | 日常&時間の旅


 夜勤明けの午後、五日市の桧原村まで一走りして、払沢の滝に打たれて(「打たれて」は嘘)来ました~♪
 東京都西多摩郡桧原村にある「払沢の滝」(バス停から徒歩15分と近い)は、小学生の頃から馴染みの場所だけれど、真冬に訪ねたことはありません(真夏に涼みに行くパターンばかり・・・)。「日本の滝百選」の一つで、冬季に凍結することでも知られています。JR五日市線終点の武蔵五日市駅から西東京バスに乗り換え「払沢の滝入口」で降車、遊歩道を15分も歩けば目の前に滝が姿を見せてくれます。ちなみに、国立からバイクで向かうと1時間かからずに着いてしまうのだから、殆ど散歩感覚ですね。近場で凍った滝が見たいという人には絶対お勧めできる場所だけれど、平均気温の上昇により全面凍結しない年の方が多くなってしまいました。最後に全面凍結したのは、6年前の2006年(1月8日)で、このときは十年ぶりの全面凍結だったそうです。
 ニワトリさんは、嫌なことは一晩経てばきれいさっぱり忘れてしまう便利な性格のため、6年前がどれくらい寒かったのか全く覚えていないのですが、今年はこれだけ寒いのだから「払沢の滝」も全面凍結してくれるだろう、と勝手に決めこんでいました。

 残念ながら、どうやら今年も全面凍結までには至らずに季節が変わりそうです。寒波(冷凍怪獣ペギラ)が襲来した1月26~28日頃に80%凍結しましたが、試験を間近に控えていて滝見物に出かける余裕はありませんでした(ちゃんと勉強していれば出かけられた)。それから一進一退の攻防があって、一時は65%ぐらいまで下がってしまったけれど、2月4日の「立春」に再び8割がた凍結し、見事な氷爆が出現したそうです。
 その日はお休みだったのですが、完全凍結するまで待つことにして、映画を見に行ってしまいました。しかし、この日に見物すべきだったんですね・・・以後ライブカメラで普通に流れている滝の映像を見るたびに後悔後悔また後悔。ニンゲンあきらめが肝心だ、と来年に気持ちを切り変えました。
 ところがですよ、この週末の寒さが功を奏したのでしょう、凍結が戻ってきました。19日の午前中に確認すると、水は流れているけれど、背景がそれまでとは明らかに違う! 明日はぐっと暖かくなるとのことですが、朝は今朝と同じくらい冷え込むので、明日の午後でも氷瀑を見られるかもしれません。ラストチャンス到来? 
 今日は12時に上がれたので、速攻で家に戻るとパソコンを起動させ、ライブ映像を確認しました。よしよし、まだ溶けていない! 

 というわけで、アオガエル君の出番です。この日は日差しが暖かく、防寒対策もばっちりしていたので、寒さをほとんど感じませんでした。それでも、五日市駅を越えた途端に空気がぐっと冷たくなりました。20kmしか離れていないのに何でこんなに違うのだろう! 水温計のゲージはローレベルを指したままだったのですが(信号待ちが続くと若干上がる)、十里木に差しかかるとさらに下がってしまいました。さすがに寒い~!
 とはいえ、バイクから降りて歩き出すと寒さを感じなくなったので、やはり今日は暖かかったのでしょう。平日なのに、自転車のおじさんたちとか、滝を見に来た人が結構いましたが、滝壺近くまで降りて坐り込んでしまうような人はニワトリさんだけだったので、長時間一人きりで滝と対面していたような贅沢なひとときを過ごすことができました。来てよかった~♪
 すいません、眠気が・・・。今日はここまでかな? おやすみなさい・・・。

 凍える滝をジェントルセピアで撮ってみました。


寒いですね~♪

2012-02-18 23:08:33 | 独り言&拾いもの

 今日の東京地方も非常に冷たい風が吹き荒れました。でも、五日市の払沢の滝は完全凍結していないようです。
1月26日にかなりいいところまで行ったけれど、ライブカメラを見る限りでは今はきちんと流れているみたい・・・。凍結したら、アオガエル君かスパロー号で行こうと思っているのですが、もう今年はダメかもね・・・。

 今年はブログをなかなか更新できないのですが(よくよく考えると、去年の夏頃からそうなっている。寝る時間を削って記事を書く体力がなくなってしまったということらしい)、映画だけはなんとか見ています。今日も『キツツキと雨』を立川で観てきました。今年になって観た映画はこれで5本目です。『果てなき路』『月光ノ仮面』『断絶(ニュープリント版)』『J・エドガー』そして『キツツキと雨』というわけ。去年の暮れに『歴史は女でつくられる(復元版)』を観てから一ヶ月映画を封印していたことを考えると、まずまずのペースでしょうか。観たい作品は事欠かないので、今年もこんな風に過ぎていくのだろうなあ~。
 レビューの方もなかなか書けなくて・・・。文章を書く能力も低下しているのかもしれませんが、活動していないわけではないので、その点はご心配なく。我が家の梅の蕾もかなり膨らんできたし、もうすぐ春ですね。
 それでは・・。


『果てなき路』 ~だから映画はやめられない!

2012-02-12 02:22:22 | 映画&ドラマ

 

 孤高のロードムービー『断絶』(71)、そして愛してやまない『コックファイター』(74)を世に送り出したモンテ・ヘルマンの新作!(21年ぶりだそうだ)と聞けば観ずにはいられない。試験が終わった週末の土曜日に、渋谷のイメージフォーラムまで駆け参じた。今年最初の映画だった。

 男が「ROAD TO NOWHERE」とマジックで書かれたDVDをノートパソコンのスロットボードに入れ、パソコンの画面に映像が映し出される。アメリカンニューシネマに代表される粒子が荒いけれども非常に生々しい画面や、ハリウッド映画の黄金時代に象徴される目も覚めるようなテクニカラー画面に、光と影の演出が芸術的な域に達していた魅惑のモノクロ画面、はたまた70mmの巨大カメラで撮影されたダイナミックな画面こそが映画だと信じる者には、まことに拍子外れのオープニングだ。これが映画なのだろうか、それもモンテ・ヘルマンの?

 その問いは、パソコンの画面が徐々に大写しになってヴィスタサイズのスクリーンと合致した瞬間に消滅した。これこそが自分の見たい映画だった。これだから映画はやめられない。とりわけ冒頭の十数分は驚嘆に値する。
 ジョナス・メカスは、16mmカメラで撮影した映画フィルムから数コマを取り出し印画紙に焼き付け、これをフローズンフィルムと名付けたが、メカスがしたように、今見ている映画のどこでもいいから数コマを取り出し印画紙に焼き付けたくなった。カメラは固定されているか、極めてゆっくり動くので、見ている映像が実に写真的だ。一コマを取り出せば、構図も露出も色合いも完璧な写真になると思った。
 録音されている音も素晴らしい。音楽や人の声に艶があって、一音一音に緊張感が漲っている。静けさ(空気感というべきか)までが録音されているのだ。これが映画なのだと思った。
 撮影には、フィルムカメラでもデジタルビデオカメラでもなく、登場人物たちが映画の撮影に使っていたように、デジタル一眼レフカメラの EOS-5D MARK2 が使用されたそうだ。映画を見ている最中は、実際の撮影にもこのカメラが使われていたとは思いもしなかったが、一眼レフカメラで撮影したから写真を思わせるような質感の動画になったのだろうか。だとすれば若干話が脇道にそれるが、デジタル一眼レフカメラで撮影する動画を見直さなければならない。自分はそれを付録としか考えていなかったからだ。
 モンテ・ヘルマンは、EOS-5D MARK2 の発色が三色式テクニカラーの映像にとても近い、と絶賛している。実を言うと、呪われた映画になってしまった『断絶』も、(ニュープリント版を見えてもそうだと信じられないが)三色式のテクニカラーで撮影された最後の数本の映画だった。EOS-5D MARK2 が「写真」だけではなく「映画」や「フローズンフィルム」も撮れる夢のような機械ならば、これはもう「事件」と言ってもよい。

 『果てなき路』は映画作りの過程を描いた映画でもある。21年間の空白に対する恨み辛みがあってもよさそうだが、微塵も見られない。口にした途端に嘘っぽくなってしまうが、デビューしたての新人監督のように映画への想いがこめられていた。
 「映画への想い」といっても、「映画とは何か」と深刻に考えるより「映画で遊ぶ」程度にしておいた方が賢そうだ。意味を考えるのではなくて、サミュエル・フラーが俳優に言った有名な一言や、『カサブランカ』でハンフリー・ボガートが酔っ払いながら呟いた台詞など、ところどころ登場する「映画の引用」にニヤッとするだけでいい。劇中挿入されるプレストン・スタージェスの『レディ・イヴ』(41)、ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』(73)、イングマル・ベルイマンの『第七の封印』(57)のクライマックスシーンについても同じである。未見だったら何かの機会に見てほしい。それだけの甲斐はある映画だ。そう言う自分も、スタージェスとベルイマンを久しく見ていない。
 『果てなき路』は、成功したかしないかは微妙なところだが、今は絶滅品種となったフィルム・ノワールでもある。フィルム・ノワールに登場するヒロイン(大半が悪女だが)はファム・ファタール(運命の女)とも呼ばれる。最初に銀幕に登場したファム・ファタールは、『パンドラの箱』(29)のヒロイン、ルイズ・ブルックスとしておく。
 彼女たちは二面性を持っているのが常だが、『果てなき路』のヒロインは、ある事件の主人公と彼女を演じる女優という形で一人の人物が、しかもどちらの彼女を演じているのか観客にわからないように演じている。そしてその点が、同じように一人二役が鍵となっているオットー・プレミンジャーの『ローラ殺人事件』(44)におけるジーン・ティアニーや、アルフレッド・ヒッチコックの『めまい』(58)におけるキム・ノヴァク、そしてブライアン・デ・パルマの『愛のメモリー』(76)におけるジュヌヴィエーヴ・ビジョルドとは決定的に異なっているのである。
 というのも、彼女たちの二面性ははっきり「区別」されていたからだ。『めまい』の場合は、ブロンドの彼女はある計画のためにブルネットの彼女が演じた虚構の女性だった。けれども現実には存在しないブロンドの彼女を愛してしまった主人公は、ブルネットの彼女が死んだ筈のブロンドの恋人にそっくりだという理由から、彼女の髪をブロンドに染めさせ死者と同じ服を着させる。『ローラ殺人事件』だとローラという名の女性はすでに死んでいて、物語の前半はローラの肖像画しか出てこない。中盤以降に満を持して姿を現わすジーン・ティアニーは死んだ筈のローラその人なのだ。『愛のメモリー』になると、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルドが確かに一人二役を演じているが「母と娘」を一人で演じているのであって、両者は赤の他人ではないけれど全くの別人だ。こうしたことから、観客はヒロインがどちらの女性を演じているのか間違えようがない。
 『果てなき路』のヒロインは、一人二役の境界線が実に曖昧だ。実際に起きた事件のヒロインたるヴェルマと、ヴェルマを演じる女優ローレルを同じ女優が演じているだけでなく二人の違いが観客にわからないので、今目の前で起きているシーンが撮影している映画の中の出来事なのか、過去に起こったであろう事実なのかもよくわからないのだ。それどころか、映画のモデルとなったヴェルマという女性がどこで死んだのかも明らかにされないし、そもそもヴェルマを演じた女優ローレルが何者だったのかも明かされない。ちなみにヴェルマという名前は、レイモンド・チャンドラーの小説『さらば愛しき女よ』のヒロインと同じ名前だ。チャンドラーのヴェルマは死んではいなかったが、となると、ヴェルマがヴェルマ自身を演じていた可能性も否定できない。映画の中の事実の部分で、ヴェルマはキューバで死んだと言っていたが・・・。『さらば愛しき女よ』は二度映画化されているが、自分はロバート・ミッチャムがフィリップ・マーロウを演じた75年の『さらな愛しき女よ』が好きだ。
 現実と虚構の境界線がなくなるという点ではデヴィット・リンチの『マルホロランド・ドライブ』(01)が印象的だったが(リンチは、1950年のハリウッド映画『サンセット大通り』のオマージュだと言っている)、モンテ・ヘルマンは、それをいいことに映像をエスカレートさせていったリンチとは異なり、あっさり淡泊に通過している。いかにも彼らしいのだが、ファム・ファタールが必ず持っている性的魅力をあえて描かなかったことから、本作を映画監督が主演女優に恋する軽い物語だと考える人も出るだろう。そして中途半端でわけのわからない駄作だと・・・。
 重要なのは本作のヒロインが物語とは全く離れた場所で、実はある女性とつながっていることである。その女性とは言うまでもない、26歳で他界してしまった『断絶』のヒロイン、ローリー・バードだ。その一点でのみ、『果てなき路』(正確に言えば「どこにも続いていない道」。ノースカロライナ州に実在する未完の道。トンネルと墓地が撮影に使われた。トンネルの先から墓地に至る26マイルの道が未完のまま40年以上放置され現在に至っている)は、『断絶』(原題は「二車線のアスファルト舗装道路」。題名だけでコケそうな予感。興行は惨敗した)と結ばれている。

 映画ポスターにもなっている主演女優のクローズアップ・・・この顔に魅せられて前売券を購入したと言ってもよい。どこかで見た顔だとずっと思っていたが、それが誰なのか映画を見るまではわからなかった。
 冒頭のパソコンに映し出された女性は、やはりどこかで見たことがある顔だった。それが確かになるまで何秒かかっただろう。やっぱりそうだ、彼女は『ロック・ユー』(00)や『ルールズ・オブ・アトラクション』(01)に出演していたシャニン・ソサモンだった。翌年にはバカコメディの『恋する40デイズ』(02)が公開され、次世代を担うスターとして順風満帆だった筈の彼女だが、その後は全くと言っていいほど出演作が公開されなかったこともあって、自分も完全に彼女のことを忘れてしまっていた(そう言えば、レイチェル・リー・クックやソーラ・バーチはどこ行っちゃったの?)。個人的には『ルールズ・オブ・アトラクション』の彼女が特に好きだった。
 本作の脚本家であるスティーヴン・ゲイドスは、彼女のことを女優とは気づかず、レストランで偶然見かけて声をかけたらしい。彼女が本国でも作品に恵まれていなかったことを物語るエピソードではあるが、ローリー・バードが似たような経緯で『断絶』のヒロインに抜擢されたことを考えると、歴史は繰り返すというか、これもまた映画ならではのエピソードなのだろう。それに答えて、本作のシャニン・ソサモンはさりげなく素晴らしかった。繊細さは『ルールズ・オブ・アトラクション』の頃と全く変わっていない。これを機に、良い作品に出会ってほしい。

 最後に、映画作りの映画と言えば、先の『サンセット大通り』もそうだが、フランソワ・トリュフォーの『アメリカの夜』(73)はやはり素晴らしい。大好きなジャクリーン・ビセットが最も美しい映画でもある。近作だとロマン・コッポラの『CQ』(01)がお気に入りだ。妹のソフィアと比べればボンクラだけれど、『CQ』はボンクラにしか作れない素晴らしい作品で、自分はこの映画と監督役を演じたジェレミー・デイヴィスが好きでたまらない。そして去年公開された『SUPER 8』も、自分には映画作りの映画と言える。
 『果てなき路』は、キャノンにとっても良い宣伝になってくれたのではないだろうか? この映画を見れば、どうにも EOS-5D MARK2 が欲しくなってしまう。 オリンパスが起死回生を狙って?登場させた OM-D にも心惹かれるけれど・・・。

 『果てなき路』の公式HPは、 → ここをクリック


今年初めての映画と・・・

2012-02-05 08:39:55 | 映画&ドラマ

 随分、ご無沙汰しているブログです。コメントをくださる方々にまだ返信もしておらず、本当にすみません。試験が終わってほっとしたのも束の間、先週もあっという間に通り過ぎてしまいました。何なのでしょう、この時間の速さは・・・。
 昨日の土曜日は久しぶりにというか、今年初めて映画を見てきました。モンテ・ヘルマン監督の21年ぶりの新作『果てなき路』と、板尾創路監督&脚本&主演の『月光ノ仮面』です。去年のうちに前売券を買ってあったのですが、年頭に見る映画として最も相応しい映画だったかもしれません(今年も映画館通いをやめられない・・・と言う意味では「悪い」映画かも)。
 今日はゾウのはな子の65回目の誕生日です。夜勤なので皆と一緒に祝ってあげられないのですが、昼までの時間を利用して、これからちょっと様子を見に行ってきます。コメントの返事は夜中にでも? それでは・・・!