にわとり旅日記(5の8) ~夢の終わり

2007-09-30 23:43:00 | 鉄道紀行&乗り物


     

今回の旅行では、「旅の終わり」を二度味わった。
朝7時13分(熱海で寝台特急から新幹線に乗り換えたとき)と、
夕方18時43分(例の段々階段の途中で。家まであと5分)と・・・


 電車が動き出した。今いる場所は間違いなく2007年の8月なのに、1982年の京王線に乗っているかのような気持ちになってきた。どうやら電車は過去に向かって走っているようだ。98、97、96、95・・・窓の外を時間が飛ぶように流れてゆく。どこまで遡るのだろう? 82で止まった。やはり1982年行だった。
 
 京王5000系の車両は、昭和38年から44年(1963~1969)にかけて製造された。自分が利用していた頃には、新型の6000系が主力を務めていて、5000系の多くは特急&急行から各駅停車に転じていたらしい。なかでも冷房のない初期の5000系は早々と各駅停車に格下げになったが、鉄道よりもバイクや車や女の子に興味のあった自分にとって、5000系&6000系はクリーム地に臙脂のラインが入った「同じ」特急&急行電車で、緑色の非冷房車が各駅停車だと認識していた。
 緑色の電車は、2000系(2000系車両は細かく分類されるらしいが、ここでは割愛)の車両たちで、通称「グリーン車」と呼ばれていたが、夏には乗りたくない車両だったと記憶しているだけで、自分はこの名称を全く知らなかった。
 いずれにしても記憶は曖昧で不確かだった。4年間通学に使っていたのだから、冷房付のグリーン車に乗ったこともあったかもしれないし、非冷房の5000系にも一度や二度は乗っていた筈だ。




                   



 自重35トン、定員136名。電車が琴電琴平へ近づくにつれて、車内は閑散としてゆく。1101号と02号の連結部分に一番近い席を一列独り占めした。西日が強烈に差し込んでくるが、適度に冷房が効いている車内はいたって快適。京王5000系は光に包まれて、懐かしい風景の中を一直線にひた走る。至福の時間が流れた。




 18時33分、琴平駅に到着直後の1101&02号。1時間をこれほど短かく感じたことはない。

                                           

 この電車にもう一度乗る機会があるだろうか? 万感の想いがこみあげてくる・・・



 18時40分、運転士が仕事場に向かう。いつの間にか案内表示も変わっていた。停車中の10分間に、夜の帳が訪れる。この駅で「マジックアワー」を味わえるとは・・・


 行きの1時間があっという間に過ぎてしまっただけに、帰りの1時間は何としてでも引き伸ばしたかった。それでも刻一刻と時間は過ぎていき、高松築港が近づいてくる。明かりが少ないせいか、窓の外は真っ暗だ。車内はとても明るく、乗客はまばらなまま一向に増える気配がない。先ほどまでの暑さが嘘のように「秋」を感じた。
「終わるな、終わるな」と呟きながら、五感の全てを動員して「今、この瞬間」を記憶にとどめようとした。それにしても本当に不思議だ。京急に乗ったときとはまるで違う。
 車内に一歩踏みこんだ瞬間、懐かしさに包まれた。目に映るものも、聞こえてくる音も、体に伝わる振動も、全て体が覚えている!
 けれども、この懐かしさが本物ではないことも知っていた。京王線の1372mm幅のゲージ(軌間)に対して、「ことでん」「京急」は新幹線と同じ1435mmを採用しているため、オリジナルの車両は走行不可能なのだ。1100形は、京急の足回りに京王5000系の車体を乗せた「ニコイチ」車両だった。
 それに、四年間通学に使っていたとはいえ、京王線に対する思い入れは殆どなかったに等しい。早い話、5000系と6000系の区別だってつかなかったのだ。なのに、このとき電車に揺られていたのは、今の自分ではなく、1982年の自分だった。
 何もかも懐かしく新鮮で、気持ちも高揚しているけれど、1時間後には現実に戻らなければならないことも、十分自覚していた。
 17時40分、高松築港駅に着いた。ホームにカメラを置いてタイマーをセットし、1101&02号の記念写真を撮ってあげた。


 琴電琴平駅を発車直後に、夕闇に溶け込むように停車している京王5000系1105&06号とすれ違った。昼間はここにいなかったと思う。ここまで空で走ってきて、時間が来たら琴平駅で人を乗せて高松に戻るのかもしれない? 
 暗闇に消えていく1101&02号を見送ってから、JRに移動し、連絡船うどん(じゃこ天ぶっかけ=470円)を食べ(入場券なしでホームに入れてくれたJRの女子職員さん、ありがとう~)、五日ぶりにファストフード店でハンバーガーとマンゴーシェイクとコーヒーを味わい(ロッテリアのコーヒーは深煎りでおいしい!)、20時40分に高松築港駅に戻った。果たして1105&06号は?
 ホームに京王5000系の車両が停まっていた。琴平駅近くに停車していた1105&06号ではない。仏生山に停車していた1107&08号だった。いずれにしても、再会を祝い、もう一度記念撮影をした。さらに、「ことでん」のさらなる発展を祈願して、「IruCa」カード(デポジット2000円)を購入。早速コンビニで、126円だけ(パイナップルジュースの1リットル紙パック)カードを使ってみた。ジュースは「サンライズ瀬戸」の車内で飲むことにしよう~と。


                   



 21時15分、高松駅にサンライズ瀬戸が入線してきた。写真を撮ろうとしたら、電池切れ・・・車内のコンセントで5分間充電して事なきを得たが、瀬戸大橋から帰ってきたときにホテルで充電していなかったら、サンライズはおろか、ことでん1100形(京王5000系)の写真も撮れなかっただろう。
 「瀬戸の花嫁」のメロディがホームに流れ、電車が動き出した。高松駅のホームが静かに後方に流れていく。旅の終わりの始まりだ・・・このあと寝台電車は瀬戸大橋を渡り、岡山で「サンライズ出雲」を連結し、山陽道と東海道をひた走り、明朝7時08分に到着する・・・筈だった。


     

 
 
  その顛末は、旅日記の前奏曲『一人三役!にわとり流「鉄子」の旅』に書きました。 → ここをクリック 

 ことでんのHPは、 →こちらをクリック


 IruCa カードと一日フリー切符。そしてフリー切符を購入した人がもらえる時刻表。10月14日の「鉄道の日」には、写真の車両たちが走行してくれます!

 一ヶ月がかりで夏休みの旅の感想が「完走」しました。これで、ようやく9月8~9日の記事に取りかかれると思いきや、10月の時刻表を読んでいたら、「鉄道の日」記念割引切符の文字が・・・明日の月曜日は今日の代休だし、始発電車で出かけよう~と!


にわとり旅日記(5の7) ~ついに京王5000系に再会!

2007-09-29 23:23:23 | 鉄道紀行&乗り物


高松築港駅の待合室で「じっと我慢の子」であった・・・


 16時08分、高松築港駅に戻ってきた。これで「ことでん」全線完乗である。だが、一番肝心な「耳すま電車」(すいません、勝手に名付けちゃいました)こと、京王5000系に乗っていない。仏生山車両基地で停車中の1107&1108号を目撃したが、それだけで終わってしまうのは何とも残念で悔いが残る。高松築港駅の待合室で1100形(元京王5000系)を待つことにした。
 ところで、7月29日~9月22日にかけて高松市牟礼町で【むれ源平石灯りロード】が開催されている。これは、「ことでん」八栗駅から駒立岩(源平屋島合戦で那須与一が扇の的を射るときに馬を止めた岩)まで約1kmに及ぶ旧庵治街道上に、庵治石(牟礼町でとれる花崗岩)に電灯を点した「石灯り」を随所に配置し、道端を幻想的な灯りで浮かび上がらせようという試みで、自分は「ことでん」の車内中吊り広告を見て知ったのだけど、サンライズ瀬戸に乗車するまで(発車時刻は21時26分)「石灯りロード」で過ごすのはかなりいいぞ、と思った。
 早速、「ことでん」の時刻表で調べてみたら、安全率を多めに取っても20時まで八栗にいられる。「石灯りロード」を1時間歩くとして、18時32分瓦町発の志度線に乗ればいいことがわかった。
 残された時間は約2時間。その間に、「京王5000系」の車両が高松築港駅にやってくるだろうか?
 「石灯りロード2007」のHPは、 →ここをクリック


 25分、40分、55分、そして17時10分・・・たちまち1時間が経過したが、「京王5000系」は未だに姿を見せてくれない。「石灯り」のこともあるし、ここらで会社用のお土産と明日の朝食を買いに、JR高松駅まで行くことにした(早足で3分)。
 待合室も暑かったが、表はさらにひどい。夕方5時だというのに、強烈な日差しがじりじりと肌を焼いてくる。「むあ~」とした熱気に包まれて、めまいがした。
 30秒でお土産を決め、ウィリーウィンチで、人気のペンギンパン、アンパン、新発売の蜂蜜パン&マンゴーなんとかを買い、(期待薄だけど)25分には琴平線が入線してくることだし、さっさと高松築港駅に引き上げた。それでも、駅に着いたのは30分に近かった。すでにホームに電車が入線しており、発車のベルが鳴り出した。
「えっ?」
 我が目を疑ったが、間違いない。発車寸前の電車は「耳すま京王5000系」だった。改札の駅員さんに告げる。「乗ります、乗ります、乗ります~」
 (ノロマなにわとりなのに)電光石火の勢いで一日フリー切符を財布から取り出し、改札を抜けた。もちろん、電車は自分を待ってくれていた。こういうところは実に気が利いている。ローカル線のいいところだ。別に走らなくてもいいのだけど、他の乗客の手前もあって、車内に駆け込んだ。


     

「最後の最後に〈京王5000系〉に乗れた~」と嬉しさもひとしお、興奮しまくるニワトリだった。車内は結構混んでいたにもかかわらず、『鉄子の旅』の横見君も真っ青のハイテンションを演じてしまったかもしれない。
 ここで問題なのは「どこまで行くか?」だった。終点の琴平まで乗ってしまったら、「石灯りロード」はあきらめなければならない。石灯りを見たい気持ちはあったが、その前にこの電車から降りようという気持ちが全くなくなってしまった。それほど居心地が良かったのである。

 今回で終わるつもりでしたが、2回に分けることにしました。最終報告は明日・・・


にわとり旅日記(5の6) ~琴平線から長尾線へ

2007-09-28 23:57:10 | 鉄道紀行&乗り物


 5時30分、いつものように坂道を下って国立駅へ向かうと・・・西の空のやや低い位置にお盆のようなお月様がかかっているではありませんか! 空はもうかなり明るくなっているので月の色も透明になりかけていましたが、高度が低いせいか見かけの大きさも500円玉硬貨ぐらいと非常に大きく、月の模様も写真のようにはっきり見えました(このときも、月の兎はでんぐり返し中)。右端が欠けている十六夜の月なのですが、まん丸太った完全な満月に見えました。
 駅までの5分間、月を眺めながら歩きました。朝からお月見なんて、洒落た計らいをしてくれるじゃないですか! 月に吼えた一昨日を思い出して、ほんの少し反省・・・


 「岡本」駅で降りて、高松築港方面へ走り去る「ことでん」を見送った。
写真に写っている「ため池」越しに電車を撮影しようと思ったのだった。




                   

 岡本駅に降りたのが、13時14分。このあと、琴電琴平行下り電車が28分と58分に、高松築港行上り電車が44分と(14時)14分にやってくる。14時14分の上り電車に乗るとして、3回シャッターチャンスがあるというわけだ。早速、線路を渡り、ため池の縁を歩き回った。


                   



 13時28分の下り電車。この電車が琴平駅を折り返して再び岡本駅に着くのが14時14分。つまり、この電車に乗って自分は瓦町に戻ることになる。京王5000系に来て欲しかったのだが・・・シャッターは2回切れた。炎天下に待った甲斐のない平凡な写真だけど、「写真」以上の思い出が胸に刻まれたではないかと、あの日を振り返り、下手写真を公開。ハーフカメラやポラロイドで撮影したら、味が出たかも・・・


     

 撮影ポイントを変えるため一度駅に戻る。駅前の自販機でペットボトルのお茶を買い、道路を少し歩いて踏切を渡り、先ほどとは反対側の遊歩道から駅に向けて撮影することにした。じっと待つこと10分、44分の電車がやって来た。今度は縦位置で撮影してみたが、強烈な日差しのせいで白飛び黒つぶれを起こしている・・・しかも1枚しかシャッターを切れなかった。残されたチャンスはあと1回・・・




                   

 気を取り直して58分の電車を待つ。この電車が京王5000系だったら、戻ってくるまで待つつもりだったが、やはり京急(元700形)だった。「今度こそ」とシャッターを切ったが、最初のカットはピンボケ、望遠側にズームして撮影した二枚目も平凡な結果に終わった。
 後から考えると、この暑さの中、約1時間も電車を待っていたなんて、何が自分を駆り立てていたのか自分でもよくわからないのだけれど、このときはこうした疑念が浮かんでくることはなく、わずかばかりの日陰を見つけて汗をぬぐい、水分を補給しながら時計とにらめっこしつつ、電車が来るのをひたすら待ち続けた。




                                       

 予定どおり、14時14分にやってきた電車に乗って高松築港へ引き返したが、「ことでん」の車両基地がある「仏生山」駅で途中下車して、あたりを見学することにした。停車中の京王5000系(1107号)をついに発見!




                   

  

 さまざまな「ことでん」の中に、解体中?の車両がいた。今年の夏に引退した京急60形(62&68号)だろうか? それとも動態保存が決まった65号の整備中? 
 工場の中にも解体中に見える車両を発見、そのときは同じく今年の夏に廃車になった京急30形(27&28号)だと思ったのだが、窓の大きさからどうやら30形ではなさそうだ。30形の写真を見ると、窓が大変大きい、見るからにハイカラな車両だった。1両でも残して欲しかったなあ・・・




                   

 長尾線は、高松築港~長尾間を往復している。(写真は長尾に着いたとき)。長尾までの所要時間35分のうち、三分の二がごく普通の市街地を走るため、こんな言い方は失礼だけど、かなり眠くなった。それでも、「農学部前」という駅を過ぎると、にわかにローカル度を増し、眠気も飛んでいった。終点の長尾駅では、下車して線路に沿って歩きたかったが、まだお目当ての京王5000系に乗っていない。時間も押してきたので、そのまま高松築港駅に折り返すことにした。時刻は15時32分、果たしてニワトリさんは「耳すま」電車に乗れるのか?




                   



(上左)長尾駅からしばらくの間、このような景色が続く。悪くない。
(中右)こんな駅もある。この次来たときは降りてみたい。
(下左)美電「ことでん」に相応しいお洒落な元少女たち。思わずカメラを向けてしまったが、一瞬の間にシャッターを切ったせいか、ちょっとピンボケ。


にわとり旅日記(5の5) ~琴平に着いたけれど・・・

2007-09-27 23:54:22 | 鉄道紀行&乗り物



 10時59分に瓦町に戻ったニワトリは(ピンクの経路が志度線)、11時04分に瓦町に到着する琴平線の電車(黄色図が琴平線)に乗り換え、一路終点の琴電琴平を目指した。
 琴平線は15分ごとに起点駅の高松築港を発車している。毎時0分と30分の電車は終点の琴電琴平行で、琴平までの所要時間はちょうど1時間だ。毎時15分と45分の電車は途中駅の一宮か滝宮行になる。
 さて、琴電琴平駅に着いた車両は12分後に高松築港へ折り返す。高松築港到着は58分後の毎時10分と40分(上り電車は下りより2分速い)、5分後の毎時15分と45分に再び高松築港を発車するが、今度は終点まで行かずに折り返す。
 この電車が一宮行ならば1時間10分後の毎時25分と55分に、滝宮行ならば1時間40分後の毎時25分と55分に高松築港駅に戻ってくる。ここまでを一行程として、以後は繰り返しになる。
 5分後の毎時0分と30分に高松築港を発車して1時間後に終点の・・・

 言葉ではわかりにくいかもしれないが、ニワトリが感心したのは、高松築港駅から0分・15分・30分・45分・60分と、終日15分間隔で運転されている琴平線が、片道1時間の距離を単純に往復しているのではないことだった。利用客が元々少ないのか、終点の琴平まで行く電車は1時間に2本しかないのだ。残る2本は終点琴平から六駅手前の滝宮で折り返してしまう。10時~15時の時間帯にかけては、滝宮よりさらに五駅手前の一宮までしか行かない。
 その一方で、朝夕8時台の通勤時間帯になると、車両基地のある仏生山から高松築港行の電車が4本増発されるなど、朝の高松築港駅のホームには琴平線と長尾線の電車が入れ代わり立ち代わり入線してくる。7時55分から8時55分までは15本の電車を三本の引込み線をフルに使って出し入れしなければならない。4分に1本の運転間隔だから、山手線とそう変わらない忙しさだ。
「私電の時刻表は国鉄(JR)と比べると単純で面白くない」
 あの宮脇俊三さんもそう言っていたが、自分などは琴平線の時刻表を眺めている間に、「実によく考えて作られているもんだ」と感心してしまったし、4段階に減っていく運転本数から、各々の駅の賑わいぶりも推測できると思ったし、通常は1時間に2~4本来る電車が、朝夕時には2~7本に変わることから、この時間帯のホームには人がたくさんいて、この時間帯には数えるほどしかいない、といったような乗降客の姿まで見えるような気がした。うん、時刻表は面白い。




                   



 琴平線の車内もピッカピカに磨かれていた(京急700形の2両編成)。30年以上も前の車両なのに・・・凄いっす!
 普通の市街地からしだいに田んぼが増えていく。次々と現われるおむすび山の上に綿雲がたくさん浮かんでいた。のどかな景色だけど、窓の外は殺人的な暑さ!
 12時ちょうどに琴電琴平駅に着いた。駅舎の右に見える塔は、金比羅宮北神苑の高灯籠。暑さのせいか、金比羅宮にお参りに来たと思われる人は一人もいなかった。さすがのニワトリも、785段の階段を上る気持ちになれなかった・・・




                   



 駅前を流れる金倉川も心なしか、ぐた~~とした感じ。デジカメもうだる暑さの中、なぜか鯉さんたちは涼しげに泳いでいた。
 ジャストお昼なので、電車を1本見送って駅の待合室で昼食にした。房前の海岸に置き忘れるところだった「たこ飯」(840円)は、昨日から目をつけていた駅弁だけあって非常に美味で、「タコがウニに勝った!」と思い切り感動した。
(昨日の「うに飯」も悪くなかったのだが、タコの完勝。回転寿司の皿の模様では三皿分格下扱いのタコだって、やればできるんだ~)


                   



 「ことちゃん」ゴミ箱に弁当箱を片付け、12時42分発の電車で瓦町に戻ることにしたが、このように「ことちゃん」もお参りしている金比羅宮に寄らないのはいかがなものかと思案した。でも、ニワトリにはもう一つやるべきことがあったのだ。それをするには「岡本」で途中下車しなければならない。岡本は高松築港~琴電琴平間の真ん中あたりに位置する駅だ。果たして私がしたかったこととは?・・・明日に続く。
 
 思わせぶりに筆を止めましたが、本当の理由は「眠くなった」から。旅日記、あと二回で終わる予定です。あれから一ヶ月経っちゃった~


14番目の月

2007-09-26 20:32:44 | 自然&いきもの+ゾウのはな子



 「本当の満月は26日の今日なので、昨日「中秋の名月」を見られなかった人も安心です」と言った(書いた)のが悪いのか、満月は雲にお隠れになってしまいました。
 指折り数えて楽しみにしていた「皆既月食」の非情な仕打ちと、全く同じではありませんか! 誰か私に喧嘩売っているんでしょうか?
 悔しさのあまり、月に向かって(およその見当で)吼えましたが、そうそう、そういうときのために?昨晩1時37分、自宅の部屋の窓から見える位置に来た月を撮っておいたんだっけ・・・
 最初に撮影したときから6時間ぐらい経過しているので、そのときよりは満月に近づいているはず・・・家路を急ぎ、帰宅するなりパソコンのモニター画面で確かめたのですが、気持ち膨らんだぐらいでしょうか? やっぱり14番目の月でした。
 でも、その間に月の模様がずいぶん変わりました。時計回りに動いていて、6時間前は5時と6時の間にあった巨大クレーター(ティコのクレーターだと思う)が9時ぐらいに位置に来ています。月の兎はでんぐり返しの真っ最中というわけです。
 今宵の月は、暦上は十六夜。月の出が十五夜より50分ほど遅く、いざよい(ためらい)ながら上ることから十六夜の月と呼ばれていますが(約一日ずれてしまったから、来年のうるう年で調整してる?んだよね)、明日が真の「十六夜の月」ということになります。こうなると(何がこうなった?)意外と執念深いトシ子は、明日の月に望みを託すぞ~♪(もう右端が欠けているの思うのですが・・・)

 明日がダメなら「立待月(十七夜)」それでもダメなら「居待月(十八夜)」「寝待月(十九夜)」「更待月(二十夜)」「二十三夜待ち」と続きます・・・


中秋の名月といいますが・・・

2007-09-25 23:59:50 | 自然&いきもの+ゾウのはな子




中秋の名月
( 1/80秒 & F6.3 焦点距離 804mm WB=曇り)


 35mmフィルムに換算すると、28~504mmの焦点距離をカバーしているFZ18は、画質を最高画質の8Mから3Mに落とすと、×28.7倍=803.6mmというウルトラ望遠撮影が可能になります(5Mで644mm)。マニュアル露出に設定(思いきり露出アンダーにすると「月の兎」が浮かびあがってくる)、あとは月に向かってシャッターを切ると、三脚なしでこんな具合に「天体写真」が撮れちゃいました~
(もちろん、本格的に撮影しようと思えば、最低でも三脚が必要ですが・・・)
 画面に対して月の大きさがいささか不足していたので、ほんの少しトリミングしてみました。う~ん、満足!

 すでにお気づきの方もいるかと思いますが、今宵の中秋の名月は完全な満月(月齢14.8前後)になっておらず、左端が若干欠けています。今日の正午の時点で、月齢13.6(国立天文台の数値)。今現在月齢14.06なので、この写真を撮影した18時過ぎは月齢13.74ぐらいではないかと・・・
 今夜の月は、その昔ユーミンが「次の夜から欠ける満月より14番目の月が一番好き~♪」と歌った「14番目の月」だったんです。
 したがって、お天気が悪くて「中秋の名月」を見ることができなかった人も、明日の晩こそ完全な満月を見られるので、今夜のところは早寝して明日に備えましょう!

 ところで、今日は朝から何度「中秋の名月」という言葉を聞かされたことでしょう。確かに、ススキとお団子をお供えして月を眺めるのは素敵だけど、「月フリーク」のニワトリとしては、「中秋の名月」を年間ベストとするわけにはいきません。
 まず第一に、9月は雨が多く、月見できない年も多々ある点が気に入りません。陰暦八月十五日の「中秋の名月」より「後の月」=陰暦九月十三日の月の方が確実に見ることができるのに、全然宣伝してくれないもんな・・・
 美しさを比較すれば、空が澄んだ真冬の月の方が数倍美しい! また、くっきり見えなくても、春の夜に霞む朧月も風情があって素敵だし、真夏の満月は夏休みと重なって海とか山で見る機会もあるでしょう。その美しさはもう神秘的としかいいようがありません。
 それに、月が素晴らしいのは何も満月のときだけでなく、腰かけられそうな三日月や、ピーンと弓を張った半月に、宵待ち月もいとをかし・・・なの!
 要は、「もっと月を見て~~~」と言いたいだけなんだけど、そこまでフォローしてくれるニュースキャスター&天気予報士は今年もいませんでした・・・

 そうそう、書き忘れましたが、昔の人は夜空を海に見立て、月の動きを船にたとえて(太った三日月ぐらいがそれっぽい)月見をしたそうです。
「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」(万葉集 巻七)




ちなみに、こちらはオートホワイトバランスで撮影した月。
「太陽光」だと、上下の写真のほぼ中間の色合いになる。 


にわとり旅日記(5の4) ~ことでん志度線

2007-09-24 23:50:00 | 鉄道紀行&乗り物


海・砂・山を背景に走る「ことでん」が撮れると思ったのに・・・
灰色の波よけ板?に気づかなかった~~~ロケハン失敗!


 あまりにも高松城跡が素晴らしく、思いのほか長居してしまったが、そろそろ「ことでん」に乗ろうと、公園入口隣の高松築港駅に移動した。改札で非常にお得な一日フリー切符(1200円)を購入、9時21分の長尾線に乗って、二つ先の瓦町で志度線に乗り換えた。フリー切符は絵柄が3種類あって、切符関係の「収集テツ」なら迷わず3枚記念に買って、それから鋏を入れる切符を買うのだろうが、今ならともかく?そのときは全部買うなんてことはこれっぽっちも考えなかったので、ほんとに(30秒ほど)どれにしようか考えこんでしまった。
 「ことでん」には三本の支線がある。高松築港~瓦町~琴電琴平間を往復している琴平線(黄色のライン)、高松築港~瓦町~長尾間を往復している長尾線(緑のライン)、そして瓦町~琴電志度間を往復している志度線(上写真の赤ライン)だ。起点は高松築港かもしれないが、三線が交差する瓦町を軸にうまく乗り継ぎできるように時刻表も作られている。そこで、志度線→琴平線→長尾線の順序で乗ることに決めた。


                   



 高松城の石垣を背にした高松築港駅のホーム。にわとりの選ぶ「日本の名駅百選」に決定! 通勤時間帯も過ぎて、がらがらの車内。お役御免ということで?この車両も瓦町に着いたのち車庫に入る。車内は新車同様ピッカピカに磨かれていた。
 瓦町で跨線橋を渡ってホームに下りると(「動く歩道」もある)、9時32分瓦町始発の琴電志度線が到着した(元京急600形)。志度線は、片道約30分の区間を20分間隔で折り返し運転している。




                   

 「ことでん」の車両は全てこのようなロングシートだけど、ぬるめに冷房された車内に座ってのんびり揺られていると、嫌なことは何一つ浮かんでこない。これって最高の贅沢だと思う。
 電車はやがて源平の戦いが行われた屋島に到着した。島ではなくて平べったい山の急な上りを行くケーブルカーを発見、折り返し時に乗ろうと決めたのだが・・・
 「ことでん」の車両は、(後で調べたところ)元京浜急行が圧倒的に多く、大正浪漫の30形(窓がとても大きい。今だとJR九州の車両みたい)などは全て引退し、イベント用に4両が残されているだけになってしまい、お目当ての京王5000系も琴平線を走るのみである。琴平線の車両の内訳は、元京急600形6両、700形16両、1000形12両、そして元京王5000系8両。通常は2両編成で、朝夕のラッシュ時には4両編成で走行している。志度線は、京急600形と600改=800形の2~3両編成で運行されている。これらの「新型車両」にしたところで相当お年を召しているのだが、どの車両もまるで新車のような輝きを放っていた。これには感動した。


                   



 走行中の電車を撮影するなら、終点から二つ前の「房前」で降りるといいらしい。世にも不思議な五剣山の「ラクダの背」が見えてきたら、志度湾はすぐそこだ。


     

 「房前」駅で下車。下り電車が折り返してくるまでの10分間で撮影スポットを見つけなければならない。駅前のいかにも南国風の田舎道を数分歩くと、きれいなきれいな海岸に出た。


                   



                   

 海を眺めながら電車を待つ。踏切の音が聞こえてきて、カメラを左に振って、静かに電車を待った。電車が画面に入ってきて、「あれ?」「あれれ?」「え~いくそ!」
 この変なガードレールがないところで撮影すればよかったのに・・・天を仰いだけど、冒頭の写真も入れて三枚撮れている(しかも最後は望遠で)じゃない? カメラ(リコーR6)の方は撮影者と違って優秀なことが証明された。


                   

 嘆いている場合ではない。10分後にやってくる下り電車に乗らねばならないのだ。房前駅に戻って到着時間をメモ帳に書こうと思ったら、何で手ぶらなの~~~駅弁の入った手提げ袋を海岸に置きっ放しにしてきた!
 電車が来るまであと2分しかない。駄目もとで海岸まで全力疾走。危機一髪で間に合ったはいいが、心臓が破れそう・・・
 終点の志度駅で駅舎を撮影していたら、たちまち発車のベルが・・・「乗りま~~す」と大声出して、発車を待ってもらう。汗だくのニワトリを見て苦笑する優しい駅員さんだった。ことでんには、このようなキャラクター(スポンサー)色の車両もいる。

 アクシデントはあったが予定通り電車に乗れたので、「やれやれ」と胸を撫で下ろし、屋島のケーブルカーに思いを馳せる。山頂でお昼だなと思った。が・・・
 何と、ケーブルカーは廃止になっていた。代替バスが出ているみたいだけど、ケーブルカーに乗りたかっただけのニワトリは、屋島を見送って「琴平線」へ向かうことにした。今度は金比羅山参りですか?


     

 大町で下り電車とすれ違う。昔だったら、タブレットの交換シーンが見られただろう。そして、窓越しに見えた屋島のケーブルカー軌条。200mm相当の望遠側で撮影したが、この急勾配を上ってみたかった~~


きのこロードをゆく ~都立野山北・六道公園

2007-09-23 23:38:46 | 自然&いきもの+ゾウのはな子

                   
                   


 GW以来ですが、友人夫妻と都立野山北・六道公園を散策してきました。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、今朝は昨日とはうって変わって秋めき(というか、今にも降り出しそうな曇り空)、ここを定点観測している友人の話では、先週あたりから里山からキノコの山になり始めたらしく、「花や緑もいいけど、キノコもなかなか面白いよ」との言葉に、早速FZ18片手に出かけることに・・・
 上の写真は、秋の気配が漂ってきた「きのこロード」。マクロ望遠にすると、まずまず背景もボケてくれますね。
 キノコを探しながら(探さなくてもたくさんいるけど)2時間ぐらい森の中を散策しました(正確にいうと、雨がぼちぼち降ってきたので引返すことにした時点で1時間半経過していて、公園入口に戻るまでひと汗かいた)。
 ここは本当に素敵な場所です。友人夫妻はこの夏、蝉の観察に凝ってしまったらしく、リコーの名機GX100で撮った素晴らしいセミのポートレートをたくさん見せてもらいました~


                   

   最初の一個。まだ可愛いけど、これから立派な不良(マタンゴ)になる!




 可愛くて綺麗だけど、とってもデンジャラス!


                   

        団栗を置いてみました。これでだいたい大きさがわかりますね!


 二人が突然足を止めて「し~っ」と、私に合図しました。理由がわからないまま兎に角「フリーズ」したら、こつこつと木をノックする音が聞こえてきました。この森にはコゲラが何羽も住んでいるそうで、運が良ければ姿も見えるとのことです。この可愛い音は目に映りませんが、ダントツ1位の嬉しい体験でした。もう一度聴きた~い♪


 野山北・六道公園へのアクセス(例) 



①JR中央線立川駅北口下車、モノレールを見上げながら・・・

                   

                  ②多摩モノレール上北台行に乗り、「出発進行~」



③終点の秘密基地(上北台駅)で降車(300円)、駅前ロータリーに下る。

                   

④市内循環シャトルバスに乗って、「峰」か「市民総合体育館前」(220~250円)で下車、さあ歩こう~♪(徒歩10分で管理事務所のある公園入口に着く。「里山民家」に行く場合は、体育館前から歩く)

 さらに詳しく知りたい方は、 →ここをクリック


 きのこ ア・ラカルト



                   



                   



                   

 どら焼き、アイスクリーム、朝顔、クラゲ、ウニ(亀の子ダワシ)、ウミユリ・・・華麗なる「マタンゴ」の世界に我を忘れちゃった~。ISO感度400&マクロモード1/10秒での手持ち撮影は「手ぶれ必至」だけど、それなりに撮れてしまうところが凄い。FZ18の手ぶれ補正はかなり効く。


     

目からウロコじゃなくて、「木からウロコ」な光景と、
死のディナーへと赴くカタムツリ・・・食べちゃダメ~!


     

この他にも実にたくさんのマタンゴがいましたが、
マツタケだけは見当たらず・・・本日のベストきのこは君たち!


                   

           

 マタンゴ以外も、秋っぽくなってきた森。ちなみに、紅葉の見ごろは11月(今年も「むかしみち」を歩く?)。
 なお、公園を訪れる際は、スズメバチに注意! 夏の盛りは越えましたが、樹液があるところに群がっています。なんて凶暴な顔なんだろう~


                   



                   



 午後は東中神に住んでる友達の家に遊びに行きました。時間調整の間に、小雨舞う立川駅でモノレール相手にFZ18の試し撮り。一般的なコンデジよりかさばるけど一眼レフより軽量小型で、旅の共には最高かもしれません(実は、GX100にするかFZ18にするか大変悩んだ・・・)。28~504mmまでをカバーするライカ(一応)の目を持っていて、置きピンも流し撮りも連写(3コマ/秒)も、MFはもちろんマニュアル露出もできる本格派。コストを下げるためのチープな部分も結構見受けますが、その実力はかなりのもの。腕を磨かなきゃ!




                   

「東京にもまだ木造駅舎があったんだ~」 
 テツ化する前はこのことの素晴らしさに気がつかなかったし、どんな駅だろうと知ったことじゃなかった・・・
 さて、液晶&DLPプロジェクターが比較的低価格になり、ホームシアターを持つのも決して夢ではなくなりましたが(その昔、映画館に棲みたかった・・・住むじゃなくて棲むんですよ!)、この友人はその夢を具現化した人です。
「ホームシアターなんて、お金持ちの贅沢でしょ!」
 確かに、中にはそういう人もいますが、彼は違います。こつこつと計画的に、辛抱強く長い年月をかけて築いていったんですね~
 継続は力なり。ソフトを再生する能力は並みの映画館より高品質。映画館にはうるさい自分が言うんだから、間違いない! それにしても三管式プロジェクターを、それも9インチ管を三台も持っている人は日本に一人しかいないはず?
 持参したアニメ『鉄子の旅 vol1』を見せてもらいました。つきあってくれて、ありがとうございます。『コーマ』のウルトラ高画質にも目が点になりました~♪ 


 立川駅18時27分。今日は昼と夜が同じ長さだけど、もう普通に暗い。オレンジ色の201系と、奥多摩そばの「おでんそば」は大好物なので・・・




                   

 上り電車を待っていたら、「ぶどう狩り」お座敷列車が到着するというので、流し撮りに挑戦! 単にブレているだけのようにも見えるが、流し撮りだと思いたい・・・そのうち、300kmで走行中の新幹線だって、見事に流してみせますってば!! 

 昨日の晩から書き始めて(例によって爆睡、5時起床)、やっとこさ終わりました。Gooの場合は1Mを超える画像をブログ用(340×240までピクセルが落ちてしまいます。写真をメインにするならGooは向いていませんね・・・)にアップロードすることができないので、今回はオリジナル写真の(5~8Mで撮影した)ダウンコンバート写真を作るまでに、異常に時間がかかってしました。この手のことに慣れていないにしても、PC のあまりの重さにキレかかるほど・・・シャットダウンすることはなかったけど、こんなに時間がかかっていたら、寝る時間が完全になくなっちゃうよ~


にわとり旅日記(5の3) ~高松琴平電気鉄道

2007-09-22 18:17:01 | 鉄道紀行&乗り物



 ハチ公前に姿を現わした「青がえる」の現役最後の2両が熊本電鉄で、『耳をすませば』を再見して気持ちがかき立てられた京王電鉄5000系が「琴電(ことでん)」の愛称で親しまれている「高松琴平電気鉄道」で走っていることを知って、今回の旅が始まったのだけれど、JR東日本、JR西日本に次いで全国で三番目にICカード「 Iruca 」を導入するなど順風満帆にみえた「ことでん」が、平成13年(2001)に会社更生法を申請し、事実上倒産していたことを今初めて知った。
 
 それから6年、「ことでん」は何ごともなかったかのように走っている。今年は京急から新たに1100形の車両を譲り受け、冷房化率100%を達成した。
 そのあおりを食って、昭和7年(1932)に製造され、京急の前身である湘南電鉄で使用されていた30形27&28号車と、大正15年(1926)年に製造され、この地を走り続けてきた「ことでん」3000形315号が引退することになった。「仏生山」車両基地で、解体中の315号を目撃した。
 鹿島鉄道の如く重機で破壊するのでなく、慈しむように丁寧に人の手で解体されていることが嬉しかったものの、「残しておけばいいのにね~」と、いとも簡単に思ってしまった。315号どころか、一度は「ことでん」がこの世から消滅するところだったのだ。
 困難な時を乗り越え、ここまで復活を遂げた「ことでん」に心から敬意を表し、未来永劫走り続けてくれることを願ってやまない。
 
 「テツ」の間では、「高松琴平電気鉄道は旧型電車が多く走っている」ことで知られていたらしい。残念ながら今回3両が廃車になったけれど、「ことでん」は、大正15年生まれの1000形120号、同じく3000形300号、昭和5年生まれの5000形500号、昭和35年生まれの60形65号=計4両をこれからも動態保存させていく所存である。65号はニワトリより一つ年上だが、これはその年に車体を乗せ換えたからで、足回りは大正2年(1913)と桁外れに古い。なんと今年で車齢94年を迎えるのだ。
 「ことでん」に幸あれ!!




高松築港駅前にファンが寄贈してくれた「 Iruca 」君


 昨夜は久しぶりに、「映像&音楽」大好き仲間と会って中華料理&お酒を楽しみました。いや~立川にも「おいしい」食事やお酒を出してくれるところがたくさんあるんですね。感動しました(特にアワビ!と春巻。ショットバーで飲んだ林檎のブランデーをベースにした「横浜レディ」は、決してお酒の強くないニワトリにも優しい絶品カクテルでした)。帰ってきてからブログを書き出したのですが、数十秒後に熟睡。

 というわけで、日付は昨日になっているけど、この文章は今朝書きました。さてと、今日は野山を歩いてこようかなあ~


にわとり旅日記(5の2) ~高松城は竜宮城?

2007-09-21 23:58:00 | 鉄道紀行&乗り物




高松城の天守台と、高松築港駅を発車していく「ことでん」


 ホテルに戻ってシャワーを浴びている間にデジカメのバッテリーを充電した。
(瀬戸大橋を往復した際にかなり消耗しただろうと思って15分ほど充電したのだが、後から考えると、このとき充電していなかったら決定的な出会いをしたときに電池切れで写真を撮れなかったかもしれない・・・)
 すっきりしたところでホテルをチェックアウト、再び駅へ向かった。重い荷物をコインロッカーに預け、高松駅に着いたときから目をつけていた「駅弁」を小脇に抱えて、挨拶代わりに「ことでん」の起点駅になる高松築港へ向かった(徒歩3分)。
 通勤時間帯の最中でもあり、ひっきりなしに駅に電車が入っていく。が、京急1000系ばかりで、お目当ての京王5000系は現われない。「ことでん」に乗る前に高松城を片づけておくつもりだったので、踏切から2~3枚写真を撮ってから高松城跡へ向かった。まだ朝8時だというのに、気温はすでに30度を軽く超えている感じで、陽のあたる場所に少しいるだけで汗が噴き出してくる。


                   

(左)かつての城内を行き来する「ことでん」。黄色地は琴平線、緑色地は長尾線。
(右)玉藻公園の一角に、「ことでん」の高松築港駅がある。ホームは二面三線。




                   

 高松城は、別名「玉藻城」とも呼ばれ、天正15年(1587)に豊臣秀吉から讃岐に封じられた生駒親正が、3年の歳月をかけて天正18年に完成させた。設計は当時有名な築城家だった黒田孝高(如水)。全国的にも珍しい水際城(水城)で、「讃州さぬきは高松様の城が見えます波の上」と歌われたほど。また、いにしえの大歌人である柿本人麻呂が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因んで(万葉集巻之二)、「玉藻城」とも呼ばれるようになった。
 今では内掘しか残されていないが、当時は三重の堀をめぐらし海水を引き込み、三重五層の天守閣を中心に時計回りに二の丸、三の丸、西の丸など約20の櫓を配置し、堅守を誇っていた。内掘の水はとても澄んでいて、たくさんの魚が泳いでいたが、これが全部海の魚だとは・・・その昔、タイやヒラメの舞う竜宮城だった?
(実際、タイやスズキが泳いでいて、餌もあげられる)


     

 高松城は北側に海、残りの三方に三重の堀を巡らし、このような水門から城内に水を引き入れていた。築城当時は66万平方メートル(20万坪)もあり、海水を満面に湛えた堀に優雅な姿を落としていたが、今では九分の一に縮小されてしまった。
 潮の満ち干で高さが変わる内堀を眺めながら朝食。焼きたてのパンは信じられないくらいおいしかった。ピザパンはともかく、アンパン&クリームパンがこんなにおいしいなんて・・・




                   



                   



 水門から内苑御庭を通って天守閣跡である天守台へ。本丸(天守閣)と二の丸は写真の鞘橋のみで結ばれていた。海水を湛えている壕の形が実に素晴らしく、一日中ここにいたいくらい。日陰にいれば暑さも忘れるほど。ときおり、魚が飛び跳ねた。滞空時間が長いのもいて、なかなか見事なものだが、魚の正体はボラだと思う。


     

 大正時代に内苑御庭内に建てられた披雲閣。松平藩時代は今の2倍の大きさだった。142畳の大書院で、天守台を発掘調査したときの記録写真が展示されていた。
 三層五階の地下部分に穴蔵があったことが判明するなど、なかなか面白い内容だった。発掘調査が終わった今は天守閣の再建を待つ。平成22年に着工予定。


                   
                       

 海に面している風流な月見櫓。ここからお月見すると最高だったと思うが、海上を行き来する船を見張る重要な役割があった。三層三階の櫓の隣は水手御門。


     

 月見櫓から水門に戻る。約1時間かけて一周してきたわけだが、高松城は水城と呼ばれるだけのことはあって、大変美しい城(跡)だった。時刻は9時を回り、ぼちぼち見物客も入ってきた(開園時間は8時~18時30分。入園料200円)。餌をやるとたちまち魚が集まってきたが、どうやら大半がボラのようだ。