今回の旅行では、「旅の終わり」を二度味わった。
朝7時13分(熱海で寝台特急から新幹線に乗り換えたとき)と、
夕方18時43分(例の段々階段の途中で。家まであと5分)と・・・
電車が動き出した。今いる場所は間違いなく2007年の8月なのに、1982年の京王線に乗っているかのような気持ちになってきた。どうやら電車は過去に向かって走っているようだ。98、97、96、95・・・窓の外を時間が飛ぶように流れてゆく。どこまで遡るのだろう? 82で止まった。やはり1982年行だった。
京王5000系の車両は、昭和38年から44年(1963~1969)にかけて製造された。自分が利用していた頃には、新型の6000系が主力を務めていて、5000系の多くは特急&急行から各駅停車に転じていたらしい。なかでも冷房のない初期の5000系は早々と各駅停車に格下げになったが、鉄道よりもバイクや車や女の子に興味のあった自分にとって、5000系&6000系はクリーム地に臙脂のラインが入った「同じ」特急&急行電車で、緑色の非冷房車が各駅停車だと認識していた。
緑色の電車は、2000系(2000系車両は細かく分類されるらしいが、ここでは割愛)の車両たちで、通称「グリーン車」と呼ばれていたが、夏には乗りたくない車両だったと記憶しているだけで、自分はこの名称を全く知らなかった。
いずれにしても記憶は曖昧で不確かだった。4年間通学に使っていたのだから、冷房付のグリーン車に乗ったこともあったかもしれないし、非冷房の5000系にも一度や二度は乗っていた筈だ。
自重35トン、定員136名。電車が琴電琴平へ近づくにつれて、車内は閑散としてゆく。1101号と02号の連結部分に一番近い席を一列独り占めした。西日が強烈に差し込んでくるが、適度に冷房が効いている車内はいたって快適。京王5000系は光に包まれて、懐かしい風景の中を一直線にひた走る。至福の時間が流れた。
18時33分、琴平駅に到着直後の1101&02号。1時間をこれほど短かく感じたことはない。
この電車にもう一度乗る機会があるだろうか? 万感の想いがこみあげてくる・・・
18時40分、運転士が仕事場に向かう。いつの間にか案内表示も変わっていた。停車中の10分間に、夜の帳が訪れる。この駅で「マジックアワー」を味わえるとは・・・
行きの1時間があっという間に過ぎてしまっただけに、帰りの1時間は何としてでも引き伸ばしたかった。それでも刻一刻と時間は過ぎていき、高松築港が近づいてくる。明かりが少ないせいか、窓の外は真っ暗だ。車内はとても明るく、乗客はまばらなまま一向に増える気配がない。先ほどまでの暑さが嘘のように「秋」を感じた。
「終わるな、終わるな」と呟きながら、五感の全てを動員して「今、この瞬間」を記憶にとどめようとした。それにしても本当に不思議だ。京急に乗ったときとはまるで違う。
車内に一歩踏みこんだ瞬間、懐かしさに包まれた。目に映るものも、聞こえてくる音も、体に伝わる振動も、全て体が覚えている!
けれども、この懐かしさが本物ではないことも知っていた。京王線の1372mm幅のゲージ(軌間)に対して、「ことでん」「京急」は新幹線と同じ1435mmを採用しているため、オリジナルの車両は走行不可能なのだ。1100形は、京急の足回りに京王5000系の車体を乗せた「ニコイチ」車両だった。
それに、四年間通学に使っていたとはいえ、京王線に対する思い入れは殆どなかったに等しい。早い話、5000系と6000系の区別だってつかなかったのだ。なのに、このとき電車に揺られていたのは、今の自分ではなく、1982年の自分だった。
何もかも懐かしく新鮮で、気持ちも高揚しているけれど、1時間後には現実に戻らなければならないことも、十分自覚していた。
17時40分、高松築港駅に着いた。ホームにカメラを置いてタイマーをセットし、1101&02号の記念写真を撮ってあげた。
琴電琴平駅を発車直後に、夕闇に溶け込むように停車している京王5000系1105&06号とすれ違った。昼間はここにいなかったと思う。ここまで空で走ってきて、時間が来たら琴平駅で人を乗せて高松に戻るのかもしれない?
暗闇に消えていく1101&02号を見送ってから、JRに移動し、連絡船うどん(じゃこ天ぶっかけ=470円)を食べ(入場券なしでホームに入れてくれたJRの女子職員さん、ありがとう~)、五日ぶりにファストフード店でハンバーガーとマンゴーシェイクとコーヒーを味わい(ロッテリアのコーヒーは深煎りでおいしい!)、20時40分に高松築港駅に戻った。果たして1105&06号は?
ホームに京王5000系の車両が停まっていた。琴平駅近くに停車していた1105&06号ではない。仏生山に停車していた1107&08号だった。いずれにしても、再会を祝い、もう一度記念撮影をした。さらに、「ことでん」のさらなる発展を祈願して、「IruCa」カード(デポジット2000円)を購入。早速コンビニで、126円だけ(パイナップルジュースの1リットル紙パック)カードを使ってみた。ジュースは「サンライズ瀬戸」の車内で飲むことにしよう~と。
21時15分、高松駅にサンライズ瀬戸が入線してきた。写真を撮ろうとしたら、電池切れ・・・車内のコンセントで5分間充電して事なきを得たが、瀬戸大橋から帰ってきたときにホテルで充電していなかったら、サンライズはおろか、ことでん1100形(京王5000系)の写真も撮れなかっただろう。
「瀬戸の花嫁」のメロディがホームに流れ、電車が動き出した。高松駅のホームが静かに後方に流れていく。旅の終わりの始まりだ・・・このあと寝台電車は瀬戸大橋を渡り、岡山で「サンライズ出雲」を連結し、山陽道と東海道をひた走り、明朝7時08分に到着する・・・筈だった。
その顛末は、旅日記の前奏曲『一人三役!にわとり流「鉄子」の旅』に書きました。 → ここをクリック
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一ヶ月がかりで夏休みの旅の感想が「完走」しました。これで、ようやく9月8~9日の記事に取りかかれると思いきや、10月の時刻表を読んでいたら、「鉄道の日」記念割引切符の文字が・・・明日の月曜日は今日の代休だし、始発電車で出かけよう~と!