にわとりトシ子の、君の瞳に恋してる!

『純情きらり』と『あまちゃん』が続けて見られる今年だよ!

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浪漫を旅する ~ 茨城交通湊線その1

2007-05-31 23:57:14 | 鉄道紀行&乗り物



 究極のローカル線とも呼ばれているらしい〈茨城交通湊線〉。茨城県ひたちなか市の勝田~阿字ケ浦間の九駅14.3kmを一両の気動車が(平日の朝夕は二~三両編成)ひねもす行ったり来たりしている鉄道だが、決してあなどることなかれ。
 ここ、ひたちなか市は、太古の昔から古き良き時代(こういう言い方は好きではないのだが他に言い方がなくて・・・)まで、歴史が凝縮されたワンダーランドだ。全部を見ようと思ったら、とても一日では回り切れない。今回、ニワトリさんは狙いを幾つかに絞って、玉手箱のようなキハ205に乗ってきました。
(そろそろ、日焼けした肌がかゆくなってきた・・・)




 こうした景色が30分見られる湊線 

 
 偉大なる先輩=宮脇俊三さんも書いておられるが、これから一ヶ月ほどは、最も鉄道旅行に適した季節かもしれない。その理由は梅雨と夏至にある。旅行者が少なくなるのに、一日(日照時間)が一年のうちで最も長くなるからだ。
 さらに宮脇さんは、雨の日の「水墨画」のような景色を礼讃しているが、今日は朝から雲ひとつない快晴だ。気温も30度ぐらいまで上昇するらしい。それにしても、朝4時だというのにこんなに明るいのだから、確かに一日が非常に長くて(夕方7時でも、まだ外は明るかった)得した気分になる。
 4時47分発の東京行きに乗って、次の西国分寺で武蔵野線に乗り換えた。二ヶ月前と同じ電車に乗っているが、西国分寺~新松戸~我孫子と乗り継いで、我孫子発の常磐線〈高萩〉行きに乗るのが、最も安上がりで(特急を使わないので)しかも最も早い時間に起点となる勝田駅に到着できるルートだった。
 二ヶ月前のこの時間帯、まだ外は真っ暗だった。鉄道に関する知識も全く暗かった。それ以前に、自分がこんなにも鉄道にハマるとは思いもしなかった。たまたま、廃線前に〈鹿島鉄道〉に乗ろうと思っただけだったのに・・・
 そんなことを考えながら、車窓の人となった。3時間も寝ていないのだから、ここで一眠りしておく予定だったが(新松戸まで1時間弱時間がある)、一向に眠気が訪れない。二ヶ月前は半分以上寝ていた景色をぼんやり眺めて過ごした。不意に、前の会社にいたときに先輩と吉川まで武蔵野線に乗り、そこからタクシーで野田まで行ったときのことを思い出した。いい加減な会社だったが(世にいえばインチキ会社)、あの頃は毎日が楽しく、今より希望に溢れていた。


                   




 いかんいかん、感傷的になっている場合ではなかった。電車が新松戸駅に到着した。5分後の6時08分に地下鉄からそのまま乗り入れてきた我孫子行きの電車(写真=上)に乗り換える。朝日が眩しい。
 目の前の座席には、小学生の女の子が一人腰掛け眠っていた。こんな早朝から小さなバッグ一つで一体どこにいくのだろう? 眠っているところを写真に撮ろうか?
 しばらくして彼女は目を覚まし、斜め向かいの三人がけシートに移った。そこには彼女の母親と姉(寝ている)が座っていた。カメラを取り出さなくてよかった。危なく変な人になるところだった・・・
 我孫子に着くと、端のホームに6時26分発高萩行きの電車が入線していた。531系新型車両だ(写真=下)。乗客は少なく、四人がけのシートを独占する。勝田駅には7時15分に到着の予定である。落ち着いたところで、昨日〈ジョイフル三ノ輪商店街〉で買っておいた調理パンを食べることにした。ハムカツパンが旨い。オレンジマーマレードのデニッシュと、懐かしのシベリア(これは他の店で買った)も美味だった。



 石岡駅に停まったとき、更地と化した〈鹿島鉄道〉の駅跡にポツンと取り残されたキハ602の姿を見て一瞬気持ちが沈んだが、ボルテージがどんどん上がっていく。小学生並みに興奮しているせいか、全然眠くならなかった。
 各駅停車なのに、531系は実に気持ちのいい走りを見せる。乗務員交代のため土浦駅にしばし停車したが、特急の通過待ちがない点も非常に気持ちがいい。1時間余分に寝ていられるが、7時00分発の特急〈スーパーひたち〉を使ったとしても、勝田駅の到着時刻は各駅停車より20分も遅い8時18分だ。湊線の乗り出しは、40分遅れの8時47分になってしまう。この差は大きい。
 水戸に着く手前、偕楽園の巨大さにびっくりした。偕楽園駅があるくらいだが、梅の季節にしか停まらないそうだ。


           


 定刻どおり、7時55分に勝田駅に着いた。茨城交通湊線はJRの1番線ホームを使っている。ここまでの運賃の清算を済ませて1番線ホームに下り、土日祝日発行される一日乗車券(800円)を購入する。すがすがしい朝の空気を胸いっぱい吸い込み、体を「うーん」と伸ばしていると、クリーム地にオレンジ色の国鉄色に身を包んだキハ205が姿を現し、こちらにゆっくり近づいてくる。この車両に乗りたかったのだ。嬉しさのあまり、到着するなり写真を撮りまくった。(その割りに、いい写真はなかった・・・)
 車内に一歩足を踏み入れると、一度も乗ったことがないのに、とても懐かしい気持ちになった。アイドリングの音も気持ちが良い。キハ205は人に優しい車両だ。青いシートに腰かけているだけで、こちらの気持ちも優しくなる。
 資料がないので正確なところはわからないが、キハ20形気動車はマニア垂涎の車両ということである。キハ205は昭和40年代に製造され、国鉄から水島臨海鉄道を経て、ここ湊線のエースになった。




                   

 
 8時06分、いよいよキハ205が出発した。乗客はわずか5人だが、どこへ座ろうが立とうが自由なので、その点は都合が良い。今年三月に廃線になりかけたことを考えると、重たい気持ちになってしまうが・・・
 起点の〈勝田〉駅と二つ先の〈金上〉駅間の切符は、「勝った、金が上がった」と、縁起を担ぐ受験生や投資家に人気があるそうだが、ニワトリには縁遠い話なので、素通りする。それよりも、金上を過ぎたあたりから広がる田園風景に心がときめいた。GW時よりもかすかだけれど、稲が成長していた。たっぷり張られた水に、里山の森が映りこんでいる。思わず窓を開けて、顔を出してしまった。
 四駅目の那珂湊駅は、ひたちなか市の中で古くから栄えた場所だが、ここに車両基地があって、上り下りのすれ違いもこの駅で行われる。この駅で『フラガール』の撮影が行われた。その後も、『パッチギ!ラブ&ピース』『監督・ばんざい』などの映画の撮影に使われた(出演料は20万円だとか・・・)。様々な車両がてんでに停まっていた。後でじっくり見学することにして、終点の阿字ケ浦へ一路走る。


                   

                   



 
 あっという間に終点の阿字ケ浦に着いた。正味25分の旅だった。夏になると海水浴客で賑わうそうだが(駅から海岸にかけて、民宿がたくさんあった)、今は誰もいない。湾の形が似ているのか、東洋のナポリと呼ばれているそうだ。10分ほど歩くと海岸に出る。なかなか美しい浜だけど、遠くの方にコンビナートが並んでいる景色は、ナポリとは程遠いかもしれない。だけども、駅から真っ直ぐ下るのではなく、高台に上がれば、ナポリ湾に見えなくもない湾曲した海岸線を見下ろすことができた筈。



 道端にアザミの咲いている坂道を下ると、阿字ケ浦の浜に出た・・・

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『フラガール』 ~ メモリアルボックスと那珂湊駅

2007-05-30 23:57:10 | 映画&ドラマ

 


 すっかり、忘れられた感のあるカテゴリーですが、おすすめ映画を書き出したら、実はキリがありません。それなのに、単館ロードショーとはいえロングラン上映され、各種映画賞を総なめにした映画のDVDを紹介するのは、今さらかとも思いましたが、個人的にも去年のナンバーワン映画なので、紹介せずにはいられない~

 このメモリアルボックスには、計3枚のDVDに本編+4時間の特典映像が収められており、117ページに及ぶシナリオが収録されています。最近の映画は、本編だけでなく、映画のドキュメントでもあり関係者にはこの上ない記念にもなるメイキングを同時に撮影していて、こうしたメイキングやカットされた未公開映像に、さらにはNG集(映画のエンディングロールにNG集を収める試みは、ジャッキー・チェンの『プロジェクトA』が最初ではないでしょうか?)までも商売にしてしまうことの是非はともかく、この映画のファンならば非常に楽しめる「作品」になっているので、通常版より割高のメモリアルボックスを購入しても、決して後悔しないと思います。


 『フラガール』撮影の舞台に使われた〈那珂湊〉駅。右側下りホームにに停まっているキハ205にまどか先生が乗り、左側上りホームから紀美子たちフラガールが「To You Sweet Heart Aloha」を踊った・・・




 キハ205の車内は、4人がけボックスシートとロングシートが併用される伝統型。

 

 



 美女と大正二年生まれの美しい木造ホームの取り合わせ。絵になる風景だ。この後、紀美子や初子たちが改札に駆け込んでくる。3枚目の写真は反対側から見た改札口。27日は周囲を散策するイベントも開かれた。


 ハンドモーションを送る紀美子。実際現物を見ると、何ということはないプラットホームだけど、ここであの感動の場面が撮影されたと思うと、こみ上げてきてくるものが・・・ここ、那珂湊駅周辺は古い建物がかなり残されているため、映画のロケ地によく使われている。




 排気口から二筋の煙を吐いて(この写真ではわかりにくいけど)動き出したキハ205とそれを見送る紀美子。映画館で見たときは(二回見たのに)気がつかなかったが、このシーンは鉄道マニアも唸らせるキハのエンジン音や始動の様子などがばっちり収められていた。スタッフに「好きもの」がいたのは間違いない。三枚目の写真は、上りホームに入線してきたキハ205。明暗差が大きいのでローキーな絵になってしまったが、それはともかくとして、もう少し引いて撮るべきだったかも。下りホームに渡る連絡通路に踏切があって、それをアクセントにしようという狙いだったのだが・・・


 こちらの写真はDVDの特典映像から。(上)はオープニング時の常磐ハワイアンセンター。左端のウォータースライダーが懐かしい~(下)は初代フラガールたち。指導にあたった右端のカレイナニ早川さんは、この作品でもフラダンス指導と振り付けを担当した。映画の中のフラガールたちのドキュメントも見どころが豊富だった。初レッスンからフィナーレを飾る会場でのフラダンスまで、辛かったけれどとても素晴らしい青春の思い出になったに違いない。二十年後の同窓会が楽しみだ。


 インタビューに答える蒼井優さん(右上)。バレエの素養がある彼女も、フラダンスをマスターするまでは非常に苦労したらしい。出演シーンの多い彼女は他のフラガールたちよりダンスの時間が取れず、撮影中に何度か逃げ出したくなったそうだ。ソロのある彼女と松雪泰子さん(しかも先生役だ)にかかるプレッシャーは相当なもので、(左上)の写真のように別メニューの特訓も受けた。撮影中は役に成りきる彼女だが、彼女をはじめ撮影中に皆が流した涙には、全て理由があった。


 父がいわき炭鉱を解雇され幼い弟妹たちと「夕張」に向かうことになる早苗を演じた徳永えりさんは、最後のシーンに皆と踊ることができない。でも裏方として働き、皆を励まし、会場からこっそり晴れ舞台を見つめた(真ん中の1枚)。もしかしたら早苗も一緒に夕張から駆けつけたかもしれない、そんな思いから胸が熱くなった。二回目の撮影では、早苗(徳永)も舞台に上がり、皆と一緒に踊った。まどか先生(松雪)もこのとき舞台に上がり、紀美子(蒼井)と一緒に踊る。特典映像に感謝!

 

『フラガール』メモリアルボックスの裏表紙

 

 『フラガール』のレビューを(あえて)読みたい方は過去ブログへどうぞ
    
    → 『フラガール』~To You Sweet Heart Aloha~♪♪
    → 『フラガール』 ~エトセトラ~

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無言の叫び ~その後の鹿島鉄道

2007-05-29 23:55:22 | 鉄道紀行&乗り物



5月27日朝、窓越しに見る鹿島鉄道ホーム跡

 
 茨城交通湊線に乗りに行こうと考えたのは、同時に廃線後の鹿島鉄道を自分の目で見ることができると考えたからだった。
 湊線の出発駅であるJR勝田駅は、鹿島鉄道の起点だったJR石岡駅の延長線上にあるので(同じ常磐線。勝田は水戸の次駅)、石岡駅を通過する際に、石岡車両基地跡に停車中のキハ602、KR502、KR503を見られるはずだ。
 湊線を楽しんだ帰りは、来た道を戻るのでなく、水戸から〈鹿島臨海鉄道〉の鹿島大洗線に乗って、鹿島神宮~成田経由で帰宅することにすれば、鹿島大洗線の「新鉾田」駅で途中下車して、鹿島鉄道の終点だった鉾田駅まで歩いて(徒歩20分とのことだ)、停車中のキハ601、キハ431、KR505の三両も見ることができる。
 そして最後は、JR鹿島線の鹿島神宮~延方間の北浦を跨ぐ魅力的な橋を渡って帰る。時間が余ればここでも下車して、橋を渡る電車の写真を撮ってもいい・・・我ながら完璧な計画だと思った。

 ところが、鹿島鉄道応援サイト【鹿島鉄道を守る会】による「廃線後の日々」の克明な写真付レポートが更新されるたびに暗鬱な気持ちになっていった。

4月01日。石岡駅にキハ602、KR502、KR503が、常陸小川駅にキハ432、キハ714、KR501が、鉾田駅にキハ601、キハ431、KR505が仲良く並ぶ。
4月04日。石岡駅で、レールと枕木の撤去が始まる。KR502が貨車を引いて撤去作業を手伝っている。
4月08日。浜駅の駅舎が運び出され、「霞ヶ浦ふれあいランド」に移設。
4月19日。撤去が急ピッチで進む石岡駅。KR502、KR503が姿を消していた。
4月22日。玉造駅のホームが撤去され、使用中の駐輪場に撤去の知らせが・・・
鉾田駅では、たい焼きもそばも食べられる。ただし3両は野ざらし状態。
4月26日。売却されたキハ432が新天地へ。
4月29日。常陸小川駅の撤去工事が始まる。バス利用者が使用中の駐輪場が撤去。キハ714とKR501が新天地へ。
5月20日。石岡駅、常陸小川駅が更地になる。
5月26日。玉造駅の駅舎が撤去される。

 キハ432は鹿島鉄道ファンの病院経営者に売却され、キハ714は生まれ故郷の夕張に戻った。キハ501はミャンマーに売却されたという噂だが、真偽のほどは確かでない。
 鉾田駅の三両は駅舎と共に保存し、鉄道公園化するという結構な話だったが、関東鉄道側が用地を売ることを了承しただけで、土地を寄付してくれるわけではない。市民団体が名乗りを上げたものの、資金が集まらず、計画は暗礁に乗り上げている。保存する筈の車体は、野ざらしのままだ。
「更地に残されているキハ602が解体を免れたのは、歴史ある車両だから誰かが買ってくれるかもしれないと〈関東鉄道〉が目論んだから?」という憶測が流れている。「存続する金はなくても撤去する金はあるのか」と地元住民が憤るほど、撤去工事が急ピッチで行われていて、KR502とKR503は重機によって破壊したらしい。
 一方、鹿島鉄道と同日に廃線になった〈くりはら田園鉄道〉でも、電線&電柱の撤去工事が始まった。電線&電柱は、「くりでん」が第三セクター方式で再出発した際に電化を止めたときも「撤去工事はお金がかかるから」と放置していたものだった。請負業者は、2400万円を払って!この工事に着手した。大枚払っても電線が売れて儲けが出るという算段らしい。
 こうした中、赤字ローカル鉄道の生き残り策や、次世代型路面電車の導入を支援する「地域公共交通活性化再生法」が衆参両議院を通過した。11月から施行されるそうだが、一年前にできていれば、鹿島鉄道もくりはら田園鉄道も廃線を免れたかもしれない(鹿島鉄道の場合は、親会社はつぶしたかったようだが・・・)。

 そして、その日の朝、石岡駅でポツンとひとり取り残されたキハ602を見た。あまりに切ない姿だった。電車が駅に停車している間のほんの短い時間だったけれど、この姿を見た途端に、鉾田の三両を見に行こうという気持ちがなくなってしまった。一ヶ月以上も野ざらしにされていれば、錆も浮くだろうし、雨による汚れもかなりなものだろう。毎日綺麗に整備されてきた車両のそんな姿は見たくない。運転士や整備士の心中はどうなんだろうと、考え込んでしまった。恋人がさらし首になっている? 車体を重機でぶっ壊すなんて、ギロチンより酷い?
 確かに、鹿島鉄道で引き取られなければ、とっくの昔に解体されていたのかもしれない。だが、同じ解体でも、次の車両に引き継がれる解体と、その時点で線路もなくなってしまう解体とでは、全く話が違うと思う。
 更地になった石岡駅跡で、無言で佇むキハ602。何人の人を運んだのだろう。
「僕を忘れないで」と言っているような気がした。

  【鹿島鉄道を守る会】の「廃線後の日々」は、ここをクリック
 今日もピンチヒッターで夜業。明日はお休みです。ゆっくり過ごそう~と!


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体力おちたのかなあ~

2007-05-28 05:23:42 | 独り言&拾いもの




「那珂湊」駅。どこかで見たことありませんか?


 日曜日は、茨城県ひたちなか市を訪ね、茨城交通湊線に乗ってきました。4時間ぐらい歩いたら、足に豆はできるわ、昨日以上に日焼けした肌がヒリヒリ・・・
(ウォーキングシューズを履かず、帽子も被らず、完全に油断してました)
 18時半に帰宅、夕食後は津波のような?睡魔に襲われ、たった今起きました。まだ肌は痛いし、体も棒みたいな感じ・・・
 もう一日、休みが欲しい~、仕事に行きたくない~

 もう無理はきかない年齢になってしまったのか・・・



 追記 

 というわけで、非常にだるい体を動かして(冬眠から目覚めたばかりのヘビみたい)出社したら、皆も思った以上にヘロヘロになっていました。先週途中でリタイア(ウィルス性胃腸炎)した者もいたのですが(一人は今日休みを取っている)、代取に至っては、土曜の朝起きたら体が動かず二日間寝たきりだったと・・・
 彼は前にも腰を痛めたことがあるのですが(この仕事をしていると必ず腰をやられる)、GWが明けて一日しか休めなかったこともあり、今回の工事が一段落した時点で、蓄積されていた疲労が一気に出てしまったのでしょう。責任感を人一倍持ってる人だから。
 確かに今回の現場は、足場の高所作業に加えて重量物を撤去後配管するなど、非常に神経を使うところで、私などは、現場である某デパート屋上の稲荷神社(たまたま今日会社で『ちい散歩』を見ていたら、この神社が映ったので、びっくり・・・)に毎日お参りして、他人任せな「今日の安全」を祈願していました(ホントに)。責任ある立場の者は、これでは駄目なわけで、より細心の注意を払っていたのでしょう。しかも、仕事はこれだけではないわけだし・・・
 その話を聞いて(今日もコルセット着用。現場は当分無理でしょう)、金曜日に皆と別れた後で、モディリアーニ&ジャンヌ展を見にいき、その翌日は「都電荒川線」で遊び、昨日はさらにハードな行程で一日遊び回ったなんて、口が裂けても言えないなあ~、と反省しました。
(日焼けで、もろバレだったかも・・・)

 盗人にも三分の利と言いますが、いかに気楽な立場だったとはいえ(夜業も、彼の5回に対して2回しか出ていない)、あの足場を上から下まで何十回も往復、重量物を運び(運んだ量は一番多い)、「何でこんなに眠いんだろう」と思いながらもブログを書き、休みが来れば飛び回っていた自分は、思った以上にタフなのかもしれません。今の仕事について初めて、ほんの少しだけ自信がついた? わけないよな~

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路面電車の日 ~ 新型レトロ車両お披露目

2007-05-27 01:11:11 | 鉄道紀行&乗り物



 毎年、6月10日は「ロ×テン」→「ろめん」→「路面電車」の日だそうだ。都電荒川線では、今年は5月26日(土)に、明日デビューを控えた新型レトロ車両9000形の記念撮影会を兼ねた前倒しの「路面電車の日」記念イベントを開催するという・・・
 このところ昼夜兼行で仕事をしていたので、土日は連休することに(内緒ですが)なりました。というわけで、荒川車庫にGO~~~


           


 昨晩も9時前に熟睡モードに入ったニワトリは、3時頃はたと目を覚まし、ブログの記事を一つ書き上げ、すがすがしい朝を迎えました。
(卵を一つ産んだ充実感は、こんな感じでしょうか?)
 ところで、腕がやけにヒリヒリすると思ったら、日焼けしていることに気がつきました。外にいたのは9時から16時までだったのですが、かなり紫外線を浴びていたようです。Tシャツ1枚でちょうど気持ちが良く、汗もほとんどかかず(一昨日まではボトボト、昨日は雨で全身ずぶ濡れ)、そのうえ路面電車に夢中になっていたので、日差しの強さをすっかり忘れていた模様・・・



 
 JR山手線の大塚駅で下車し、ガード下の都電荒川線乗り場で三ノ輪橋行きの都電を待ちます。GWに乗ったときも大変混雑していましたが、今日もイベントへ向かう人々と巣鴨の〈とげ抜き地蔵〉に向かう人々で、結構な列ができていました。でも、山手線並みに次の電車が来るので(5~6分間隔で運転されている)、ストレスはほとんど感じません。遊園地の人気アトラクションを待ってる気分に近いかな?
(といっても、90分待ち!なんて論外ですが)
 一本見送って次の電車に乗りました。都電は全線160円だけど、お得な400円の一日乗車券を購入しました。運転士さん&車掌(ワンマン運転)が福士誠治に似たハンサムな青年でした。「江戸顔」の福士君は、着物だけでなく、どうやら運転士姿もよく似合いそうです。チンチン♪



 
 都電荒川線は専用軌道を走りますが(だから唯一廃止を免れた)、飛鳥山から王子にかけて本物の路面電車になります。乗っていて一番ワクワクする区間といえるでしょう。写真に写っている歩道橋は、撮影スポットとしても有名です。
 荒川車庫から終点の三ノ輪橋まで、線路に沿って約140種1万2600株の薔薇が植えられていて(荒川区役所公園課のお仕事です)、5~6月上旬まではこれらの薔薇を眺めながら走るのも楽しみの一つになってます。今年は花が咲くのが早く(GWもぼちぼち咲いていた)、すでに盛りを過ぎていましたが、花丸合格です。チンチン♪


                   

 
 荒川車庫前には、9000形のデビューに合わせて〈都電おもいで広場〉が完成し、同時にお披露目となりました。昭和29年製造の5500形(5501号車)通商PCCカーと、「学園号」の愛称で親しまれ平成10年まで現役だった7500形(7504号)が展示されていました。5500形はアメリカの最新技術を盛り込んで作られた車両で、なるほどアメ車にも通じる流線型ボディがハイカラで格好良く、昭和37年製造の7500形は二つ目のライトが珍しい純国産の車体が魅力的。チンチン♪


                   

 
 ラムネを飲んだり、光センサーで走る9000形のオモチャを買ってる間に(これが可愛いんだ)、関係者(何の?)を乗せた新型車両が三ノ輪橋から試走を終えて荒川車庫に入ってきました。マニアがゾンビの群れのように、どっと車両に群がりました(いいショットだったのに・・・そこの親父っ!)。夜のニュースを見ていたら、この試走会には女優の名取裕子さんも招待されていたみたいですが、誰一人として彼女にカメラを向ける人はいなかった?(私も全く気がつきませんでした)チンチン♪


    

 
 11時半ごろから(おそらく15時まで)9000形、並びに6月1日までラッピングされた〈花電車〉の撮影会が開かれましたが、まるでグラビアモデルの撮影会(行ったことないけど)並みの盛況ぶり。「押すな押すな」でロープが張られ、新型車両はそろりそろりと位置を変えていきます。驚いたなあ~もう。新型車両は2t 重い18.5t 。そのせいか、ひと回り大きく見えます。撮影用に三つ目のライトを点灯中。チンチン♪


                                  

                                   

 
 終点の三ノ輪橋に向かいました。この駅もレトロ調に改装されるそうです。三ノ輪橋から次駅の荒川一中前を結ぶ【ジョイフル三ノ輪商店街】を往復しました。「都電グッス」で有名な喫茶店〈あめみや〉でコーヒーをいただき、明日の朝食用に〈オオムラパン〉などで買い出しをし、駅前にあるお握り屋さん(名前を忘れちゃった)で、「しゃけ、焼きたらこ、梅干し」という黄金のお握りトリオを買いました。全品90円と格安&おいしかった~。商店街のBGMは、「薔薇が咲いた」と「出発の歌」でした。チンチン♪


      

 
 再び荒川車庫に戻ったら、相変わらず撮影会で盛り上がっていました。ここに戻る途中で旧型車両(パンタグラフの違いがわかります?)とすれ違ったので、この電車が折り返してくるのを待っていたら(その間30分ぐらい?)、皆さん、よく見てること・・・旧型が現れると、たちまち黒山の人だかりができました。グラビアアイドルが現れてもこうはならないと思う・・・突然、磯山さやかが現れても、カメラを向けるのはニワトリだけかもしれません・・・これが蒼井優か香椎由宇だったら、ニワトリの100mダッシュも見られる? ミーハーだね。チンチン♪



                  

 明日は、その蒼井優さんも撮影に訪れた場所を訪ねる予定です。
    (4時30分に起きられたら・・・)

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モディリアーニと妻ジャンヌの物語展

2007-05-26 07:00:00 | 美術館&博物館など


ジャンヌがお気に入りの小説に自ら描いた挿絵

 
  25日の金曜日は、あいにく朝から雨になりましたが、今週中に工事を終わるように言われていたので作業を強行しました。昨日頑張って8Fまで縦管を入れておいたから、作業自体は2時間程度で終わり、午前中で仕事が片付いたので(もう一系統残っているけど・・・)、これ幸いと、4月7日から6月3日まで渋谷の〈ザ・ミュージアム〉で開催中の『モディリアーニと妻ジャンヌの物語展』を見に行ってきました。

 雨の日の良い点は、美術館も空いていること。仕事の最中は雨を呪いましたが、今度は大歓迎(勝手なもんだ)。ウィークデーということもあり、狙いどおりの展覧会日和になりそうです。
 まずは、腹ごしらえ。奮発して焼肉ランチにしました。牛ロース&豚カルビの組み合わせ(4枚ずつでも嬉しい焼肉~♪)を選んだのですが、これが大変美味しかった~。
 お腹が満足した後は、そこから目と鼻の先にあるBunkamura〈ザ・ミュージアム〉に向かいましたが、口直しのガムを噛んだままだったので、チケット売り場で「ガムを捨てるように」注意されてしまいました。なるほど、ガムを噛みながらの絵画鑑賞はご法度だったんだ・・・

 予想以上に空いていたので、ゆっくり鑑賞することができました。最近は、絵を見るよりも人を見に行った感じさえする美術展の盛況に、いささかうんざりしていたのですが(これも勝手な言い分だけど)、久し振りに「人混み」のストレスを感じることもなく、大好きな(おそらく5本の指に入る)モディリアーニを見られました。
 もうそれだけで満足だったのですが、今回の美術展の目玉は、今までは「悲劇の恋人」として取り上げられるだけだったジャンヌ・エビュテルヌのたぐい稀なる絵画の才能に初めて迫ったことです。ジャンヌの遺族が秘蔵していたコレクション(デッサン・素描など、何と半分以上がジャンヌの作品!)は日本初公開とのことですが、今回の物語展を通じて、若くして夭折した画家の「悲劇の恋人」から才能溢れる一人の新人画家の素顔を見ることができて、非常に嬉しい気持ちになると同時に、二人の早すぎた死(ジャンヌに至ってはわずか22才で・・・)を惜しむ気持ちが強まりました。モディリアーニの絵と並べても全く遜色のない彼女の絵を眺めていると、もしも自ら命を絶っていなければどんな画家になったのか、惜しまれてなりません。

 専門的なことは立派な図版の解説に任せることにしますが、ジャンヌ・エビュテルヌの絵には、女性らしい細やかな観察眼が発揮されています。同じ人物を描いたときにモディリアーニとの違いが明確になるのですが、彼が描くことのなかった静物画や風景画(二人が暮らしていたアパルトマンなど、人工色が強い風景画が多いのですが、この分野の才能も並ではない)がとても素敵でした。色彩感覚が抜群なのに加えて、工業&商業的センスが感じられます。現代に生まれていれば超売れっ子のデザイナーになっていたかもしれません。
 例えば、ネール・ドフという作家が書いた小説『飢餓と悲嘆の日々』に感動した彼女は、この小説のための挿絵を33点デッサンしていたのですが、その挿絵の素晴らしいことといったら、いわゆるロマンチック本の挿絵や装丁、ファッション雑誌の服飾画など、19世紀後半から20世紀初頭にかけて花開いた分野において、彼女がジョルジュ・バルビエ、ウンベルト・ブルネレスキにも匹敵する才能の持ち主だったことが窺えます。

 モディリアーニとジャンヌといえば、美男美女のデカダン・カップルというのが一般的でしたが、今回の『物語展』を境に大きく変わっていくことになると思います。ようやく日の目を見たジャンヌの才能に感慨を新たにしたところで、美男美女の悲劇をさらに神話化した映画『モンパルナスの灯』(1958)について、少し触れておきましょう。
(元を正せば映画ブログになる筈だったし・・・)
 年配の方ならご存知でしょうが、永遠の貴公子と呼ばれた不世出の俳優ジェラール・フィリップがモディリアーニを、美女の中の美女アヌーク・エーメがジャンヌを演じています。正に夢のようなカップルで、監督はジャック・ベッケル。女性を描かせたら溝口健二にも匹敵するマックス・オフュルスが監督する予定でしたが、彼が急逝してしまったためにべッケルがメガホンを取ることになりました。オフュルス版の『モンパルナスの灯』も、見たかったなあ~。どちらも好きな監督です。
 べッケルといえば、シモーヌ・シニョレに尽きる恋愛映画の傑作『肉体の冠=原題は〈黄金の兜〉』(1952)や、ジャン・ギャバン主演のギャング映画『現金に手を出すな』(1954)、遺作となったウルトラリアルな脱獄映画『穴』(1960)が頭に浮かびますが、『モンパルナスの灯』は、奇しくもその翌年に、モディリアーニと同じ36歳の若さで急逝してしまうジェラール・フィリップの(正確にいえば、画家は36歳の誕生日を迎える半年前に亡くなっている)、それを予感していたかのような(のわけはないのですが)熱演と、アヌーク・エーメの清楚な美しさが、忘れがたい珠玉の名作です。
 悪徳画商を演じたリノ・ヴァンチュラも大変印象的だったのですが、モディリアーニの作品の独占販売権を持っていた画商のレオポルド・ズボロフスキーは、こんなに酷い人物ではなく、よき理解者であり友人だったそうです。まるで売れない彼の作品を「ピカソの2倍の価値がある」と評価していたことと、彼がこの世を去ってから、その言葉どおりに作品が大変な高値で扱われるようになったので、悪徳画商の汚名を着せられてしまったきらいがあります。



 と、書いてしまいましたが、とんでもない勘違いをしていました! 
 ズボロフスキーは、モディリアーニの親友として冒頭から出演していて、療養のために南仏に共に旅行したり、彼の個展を開こうと奔走していました。リノ・ヴァンチュラが演じた悪徳画商の名前は「モレル」でした(実在の人物ではないのかもしれません)。
 ズボロフスキーが彼の絵画の販売独占権を持っていたという話をどこかで耳にして、いつの間にか画商モレルをズボロフスキーだと勝手に思い込んでしまったのでしょう。うろ覚えと聞きかじりには要注意!
 ご指摘くださった hikko さん、ありがとうございました。


 『モンパルナスの灯』はDVDも発売されていますが、解像度が甘く非常に出来の悪いソフトで、大画面の鑑賞には耐えません。6月1日まで〈ル・シネマ〉で再上映されており、特集でもなければなかなかスクリーンで見ることができないこの作品を鑑賞する絶好の機会かもしれません。


    


 今回は脇役扱い?だったモディリアーニでしたが、大好きな『赤毛の若い娘、ジャンヌ・エビュテルヌ』の実物が見られたので大感激! この他にも、大物が何点か展示されていました。やっぱりモディリアーニはいいなあ~♪

 展覧会の情報(Bunkamura)は、 → ここをクリック

 7月28日~8月26日、〈ザ・ミュージアム〉にて、『ルドンの黒』と題した〈オディロン・ルドン展〉が開催されます。これは行かなくちゃ!

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『芋たこなんきん ~ 思い出スペシャル』その2

2007-05-25 03:55:00 | 連続テレビ小説



 『芋たこなんきん ~ 思い出スペシャル』は、現代編・少女編・軍国少女編の印象深いエピソードを織り交ぜながら進行していくのですが(カンジ君も登場!)、ここで花岡写真館に飾られていた数々の写真を撮影した写真家=小川月舟さんが紹介されます。月舟さんは、明治の末に大阪で写真館を開き、その後関西を代表する写真家になりました。上のポートレートもとても印象的なのですが、この写真がまだフィルムが発明される前の、ガラス乾板に焼き付けて撮影されたものだと聞かされ、写真の瑞々しい表情に驚かされました。写真館に飾られている写真には前から注目していたのですが、やっぱり只者じゃなかったんだ~
 小西さんは、小川写真館(今も営んでいる!)を訪ね、月舟さんの時代から使われていたカメラ=アンソニーでポートレートを撮ってもらいます。デジタルでは決して出せない、温かみのあるモノクロ写真を見せられると、技術の進歩とは何なのだろうと、考えさせられます。




                  


 『芋たこなんきん』名物?といえば、町子さんと健次郎さんのお喋り。何でもないお喋りが実に楽しかったのですが、中でも二人が夜通しお喋りに夢中になって朝を迎えてしまった第4週「しゃべる、しゃべる」は、町子さんの少女時代の思い出話に花が咲き、にこにこ笑いながらも最後は朝子ちゃんのエピソードに涙した週で、このあたりから『芋たこなんきん』のとりこになっていきました。
 二人のお喋りは、原作者の田辺聖子さんとカモカのおっちゃんこと川野医師の会話がベースになっていました。ドラマのように、二人は毎晩お喋りされていたようで、田辺さんのエッセイ「カモカ」シリーズの読者ならば、その様子はよくご存じだろうと思います。
 二人がお喋りしているときにいつも飲んでいたのが、さとうきびを原料とした奄美大島限定の黒糖焼酎。現在奄美には27の蔵元があり、岩本さん達が、昔ながらの甕仕込みを続けているこだわりの蔵元を訪ねます。ここで試飲した黒糖焼酎、実においしそうでした。お酒の弱いニワトリだけど、飲んでみたいなあ~



 『芋たこなんきん』では、島唄を歌いながら皆さんよく踊っていましたが、島唄は奄美の名物の一つで、中でも奄美市の佐仁集落が最も盛んな地域。旧暦の八月に行われる「八月踊り」は、この集落に住む人々が最も楽しみにしている年中行事で、村の人々が総出で四日間集落を一軒一軒踊り歩いていきます。月に二回、学校の校庭や公民館で踊りの練習が行われ、大人も子供も一緒に、食事を持ち合いながら(きっと黒糖焼酎も!)練習しています。何とも楽しい光景でした。奄美に引っ越したい~♪



 『芋たこなんきん』では、個性的なゲストも大勢登場しました。ほんのさわりですが、彼らの登場シーンが出てくると、「ああ~そういえば、こんなことがあったなあ~」と懐かしく思い出されます。個人的には、ツチノコ・ハンターを演じた石橋蓮司さんがサイコーでした!
 最終週は徳次郎さんとの別れの週でもあり、見るのが辛い部分もありましたが、ここでも、カモカのおっちゃんが田辺さんに言った言葉「僕はあんたの味方やで」が、そのまま徳次郎さんの台詞になっていました。
 田辺さんは、その言葉が嬉しかったから、何べんも聞こうと思って、「えっ? 聞こえへん」「なに?なに?」と問い正したものだから、しまいにはおっちゃんに、「聞こえとるんやろ、何べんも言わすな、こんなこと!」と、怒られてしまったそうです。
 田辺さんはカモカのおっちゃんを奄美の島唄で送り出しました。
   島やだぬ島も、変わらじと
   水も変わればど、言葉も変わる ~♪
 島はどの島も変わらない。どの島も同じだ。ただ、水が変わるから、言葉も変わるだけのことだ。小さな島で皆が仲良く暮らす・・・奄美の精神が日本であり、世界に広まっていけばいいと、田辺さんは言います。「皆が仲良くなって、お喋りしあって、泣き言を言いあって、うなずきあって・・・」
 こうした【あって精神】が、ほんの短い間でも人生を楽しくしてくれる・・・『芋たこなんきんは』田辺さんの半生を綴ったものだけでなく、正にそのように生きてきた人々皆の物語だったのでしょう。
 最後にもう一度、「ひとりよりふたり」が流れ、数々の名場面が走馬灯のように流れていきます。『芋たこなんきん』、そして今日の『思い出スペシャル』ありがとう~! 


                  

 「思い出スペシャル」見たら、第1週からもう一度見たくなりました~

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その後のコウノトリ・・・

2007-05-24 00:51:14 | 自然&いきもの+ゾウのはな子


 少し前に帰宅しました。作業自体は2時間足らずだったのですが、スタートが遅かったので、思ったよりも時間がかかってしまいました。明日も、朝から足場の上での配管作業(しかも重い)になるので、『芋たこ~』の記事は明日書くことにして(その2、半分以上書いたのですが、まとめが難しい~)、その前に残念なニュースを・・・

 その後のコウノトリですが、22日、1個の卵が巣の外に放り出され、割れているのを職員が発見、回収したところ、孵化直前の卵だったことがわかりました。さらに、23日11時過ぎ、親鳥がヒナらしきものを巣の外に放り出すのを目撃、直ちに回収したところ、ヒナの死亡が確認されました(死後半日~一日以内)。20日に孵化が確認されたヒナは、今も元気です。

 3つとも孵化して欲しい・・・願いは叶いませんでした。残った1羽が無事成長して巣立ってくれることを祈りますが、親鳥も自然環境下の子育ては初めてです。ちゃんと餌を与えられるのか? カラスなどの外敵からヒナを守れるのか? 巣立ちまで二か月、予断を許さない状況です。が・・・

 ここ豊岡市は、コウノトリが暮らしやすいように、無農薬で米を作り、河川や湿地を再生させ、里山の環境を整えてきました。こうした試みを続ける限り、コウノトリと共に暮らせる日が必ず来るだろうと信じてやみません。そして私も、この郷を訪ねてみようと思っています。東京新聞の「筆洗」の最後に記された「人と自然の幸せな関係を象徴する風景」を見に・・・

 がんばって、コウノトリ~

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『芋たこなんきん ~ 思い出スペシャル』 その1

2007-05-23 01:20:00 | 連続テレビ小説


ケンムン(岩本多代=作)


 冒頭、どんな映像が飛び出すだろうか、わくわくしながらDVDレコーダーの再生スイッチを押すと、第21週の「キィ ~~~!」
 ツチノコ談義に夢中になってる町子さん(しかも、私がこそっと写真に撮ったあの顔)の映像が流れた後は、出るわ出るわの百面相? 嬉しいやら懐かしいやら、主題歌の「ひとりよりふたり」が流れてくる前に、盛り上がってしまったのです。




 『思い出スペシャル』は、原作者の田辺聖子さんのインタビューや、種子島ロケ&大阪ロケを交えながら、全26話をダイジェストで語っていくのですが、その前のドラマの総集編やスペシャルのときの「違う話ではないのか?」といった疑問を感じることもなく、つぼを押さえた編集に「うんうん」と頷きました。
 歌(踊り)あり、笑いあり、涙あり。『芋たこなんきん」は盛りだくさんな内容のドラマだったと、改めて思いました。藤山直美さんと國村隼さんが演じた夫婦は正しく史上最強、理想のカップルで、「中途半端と中途半端が二つ寄ってトータルしたら、人生満タンやないか」という徳次郎さんのプロポーズの言葉は、皆さん既にご存じのように、徳次郎さんのモデルになった川野医師のプロポーズの言葉でもありました。





 徳永家(川野家)の故郷になる奄美大島を訪ねたのは、健次郎の母イシを演じた岩本多代さんと、三男の隆を演じた土井洋輝くん。二人は島に着くと、奄美で最も知られた妖怪ケンムンを探しに行きました。資料によれば、毛の生えた河童といった感じですが、地元の方の話を伺うと、今でもそこらへんに潜んでいる感じ。ケンムンに遭った話を嬉しそうにする人々から、ツチノコ伝説にも似た楽しさが感じられます。
 ケンムンに「相撲を取ろう」と誘われても、絶対応じてはいけない・・・と語り継がれるように、ケンムンは怖い妖怪でもありますが、ガジュマロの木にはケンムンが住んでいるから、むやみに木を切ってはならないとも、言い伝えられてきました。ケンムンの呼び名は「木のモノ」が変化したものだ言われています。豊かな奄美の森の守り神だったのかもしれません。


                   

 文献に出てくるケンムンとガジュマロの木



 岩本さんと洋輝くんがケンムンの素焼きを作っている頃、大阪では、徳永医院に勤める看護婦の鯛子さんを演じていた小西美帆さんが、かつて田辺聖子さんの実家の写真館があった場所を訪ねます。ドラマでも描かれたように、大阪空襲がなければ、写真館は今も健在だったかもしれません。町子さんの少女時代のエピソードは、ハイカラな大家族ならではの楽しさに満ちていて、なかでも、お父さんとおじいちゃんのキャラクターには心惹かれました。
 小西さんは、昭和モダンが今も残っている建物を訪ねていきます。生駒ビルヂング、船場ビルディング、そして田辺聖子さんの芥川賞受賞記念会場にもなった綿業会館。大阪に行ったら、是非とも訪ねてみたい場所でした。

                   
                   



 (上)モダンな時計館の生駒ビルと、まるでヨーロッパな船場ビル


                   

 綿業会館内。ここでも撮影が行われていた。な~るほど・・・

 明日は夜業もありますが、明日に続きます。なさい~

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コウノトリ ひな誕生 ~ 兵庫県立コウノトリの郷公園で♪ 

2007-05-22 00:14:14 | 自然&いきもの+ゾウのはな子


じっと朝食を待つ・・・


 見たくも聞きたくもないニュースばかりが流れる中、嬉しい知らせが飛び込んできました。「えっ、15才の少年がゴルフツアーで優勝したこと?」
 ノンノン、違います。もちろん快挙だけど、彼に負けたプロの方々にとっては「とても恥ずかしいお話」ですね。それにゴルフ場は、これからお話する生き物には不倶戴天の敵。ゴルフ場ができて住む場所を奪われたわけではないのですが、コース維持のために使われた農薬類が生態系を破壊し、彼らを絶滅に追いやったからです。
「ちょっと、待った。ゴルフ場で散布された農薬よりも、かつて彼らが暮らしていた里山の田んぼや畑で大量に使用された農薬こそが絶滅に追いやったのでは?」
 確かにそうでしょうが、無農薬で農業を営むことの困難さを考えると、農薬の使用を責めるつもりはありませんし、使うなとも決して言いません。でも、ゴルフ場に関しては、「農薬を使わないでほしい」と、これからも言い続けます。

 例によって話が脱線しましたが、私が「ツバメの雛が孵った孵った」と喜んでいたら(気づいた人々も皆微笑みながら見上げています)、兵庫県にある【兵庫県立コウノトリの郷公園】で、自然放鳥したコウノトリのつがいが温めてきた卵一個が孵化した記事が、今日21日の東京新聞の朝刊の何と一面に!(小さい囲みですが)掲載されていました。
 国内の自然界での「ヒナ誕生」は、1964年(昭和39年)に福井県小浜市で確認されたのが最後だというのですから、実に43年ぶりの出来事です。しかもコウノトリは、トキ同様、自然界では絶滅してしまった生き物だから、これは奇跡以外のなにものでもありません。胡散臭い霊能者がテレビを媒体に起こす「奇跡」とは次元が異なる話で、人知の及ばない(偶然&運命的な)奇跡とも違う、人々の長年にわたる活動が実を結んだものです。99%の汗なくして生じない「奇跡」でした。

 同公園内にある「豊岡市立コウノトリ文化園」館長で、人工繁殖に長年かかわってきた松島興治さんは、「四十年以上前、事業はゼロからスタートした。ここまで来たのは隔世の感がある。本当に良かった」と喜びを語った。

 ここ豊岡市では、1959年(昭和34年)以来48年ぶりの出来事とのことですが、県立コウノトリの郷公園で、コウノトリの人工飼育を始めたのが1965年(昭和40年)。豊岡市を始め地元住民の理解と協力を得ながら今日まで進めてきたプロジェクトが、42年後の春の日に実を結びました。
「人とコウノトリの共生」。書くのは簡単ですが、実践するのは難しく、地元の方々の苦労は並大抵じゃなかったと思います。人工繁殖に成功したのが1990年(平成元年)。以後は、毎年徐々に数を増やし、今では100羽以上が人工飼育されています。それだけでも大したことなのに、2005年から、当初の目的だった「自然放鳥事業」=(人口飼育したコウノトリを自然に戻す)に取りかかり、初年度に4羽、去年は9羽を自然に戻しました(+1羽の野生種=合計14羽が自然の中で暮らしている)。
 去年の4月も、最初に放鳥されたコウノトリが卵2個を産みましたが、孵化前に卵が巣から落ちて割れてしまったそうです。それだけに、今回初めてヒナが誕生したのは、この上ない喜びだと思います(今回のカップルは二期生同士)。

 (人の手によって)絶滅の危機に瀕した生き物を、今度は人の手をかけて数を増やし最終的に自然へ帰す。世界中で同じようなプロジェクトが組まれていますが、豊岡市のコウノトリのように、社会生活が営まれている人里で絶滅種を野生に復帰させる事業は、世界的にも珍しいそうです。
 ヒナの誕生は、新潟県で準備が進んでいる「トキ放鳥」事業をはじめ、絶滅が心配される多くの生き物の保護活動に従事している人を大いに勇気づけてくれたことでしょう。残る二個の卵も、無事孵化してくれるといいですね~♪

 兵庫県県立コウノトリの郷公園のHPは、 → こちらをクリック


                   

 (上)のインコは人なつっこく、(中)のインコは人みしり(眠い・・・)。(下)は、おとなしくて、人なつっこいカナヘビ。いつまでもこうしている。人肌が気持ちいいのかしら? こちらは、ひんやりしていて気持ちいいけど・・・そうそう、鳥の体温は高い! 指に止まったら、ほんわり温か~ 

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