にわとりトシ子の、君の瞳に恋してる!

『純情きらり』と『あまちゃん』が続けて見られる今年だよ!

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『デューラー展』 ~木版&銅版版画の魅力

2010-11-29 11:13:00 | 美術館&博物館など


 2010年の『クレイジーズ』は、ノンストップ・アクションホラーですが、精神的にはかなり重苦しい作品でした(レビューは後ほど・・・)。後味の悪い思いをひきずったまま、ニワトリさんには似合わないヒルズをそそくさと後にして、日比谷線で上野に向かいました。国立西洋美術館で開催中の『デューラー展』を鑑賞するためです。
 極楽トンボな暮らしをしているように見えるかもしれませんが、一日に複数のことをするのはわずかでも交通費を軽減するためで、好き好んで映画のはしごをしているわけではありません。少しでも安く見るため「~会員」になったり、チケットショップに寄って特別鑑賞券を買っていくし、基本的に昼食は抜き!です。この日も何度か誘惑にかられましたが、我慢しました。ひもじいよ~♪


 今回の目玉の一つ(というか、純粋な宗教画はあまり興味がないので)が、このサイの版画でしょう。銅版画だと思っていましたが、木版画だったんですね。実物を見ずに描いたそうですが、あたかも甲冑を着ているかような想像力が素晴らしい! インドから連れてこられたサイは、輸送中に皮膚病にかかって黒班ができてしまい、それを模様だと絵師が勘違いしたとか・・・。同時代の博物学の大家コンラート・ゲスナーの『動物誌』の「サイ」の項でも、アルブレヒト・デューラーのオリジナル版画を忠実にコピーした絵(版画)が掲載されていて、以後数世紀にわたって、サイは甲冑を着ている動物だと思われていたそうです。


 今回は展示されていなかったけれど、「サイ」と並んで有名なのが、野兎の素描。原画を元に彫られた手彩銅版画の美しさはこの世のものとは思えず、現代のオフセット印刷は足元にも及びません。


 『神聖ローマ帝国マクシミリアンⅠ世の凱旋門』は、49枚の版画から構成される高さ3mの大作です。凱旋門の表面に描かれた彫刻には、皇帝の生涯を追った絵巻や、マクシミリアン家の系図、象形文字の謎解き、暮らしぶり、その他もろもろがびっしり描かれていて、ちゃんと読もうと思ったら三日ぐらいかかるでしょう。これも木版画なのだから、驚き桃の木!!
 それにしても、銅版画&リトグラフの精微さには恐れ入りました。荒俣さんがこの世界に魅せられたのもわかります。あまりに細かいため、眼鏡を外さないと焦点が合いません。ローガンがここまで進んでいるとは・・・少し悲しくなりました。でも、この日のお客さんは、右を見ても左を向いても、知的で清楚な感じの美人ばかり! 版画より彼女たちを眺めていたのと噂も? 割合空いていたので、じっくり作品と対峙することができました。


 

(左)優れた建築物でもある国立西洋美術館の入口右横の巨大な彫刻。ダンテの『神曲』に登場する「地獄の門」を表現している・・・と、私の横で一人の方が十数名の仲間に解説していました。西洋美術館は常設展も素晴らしいので、時間の許す限りお立ち寄りください。ルノワールやモネ、藤田 嗣治も展示されてます。企画展ではデューラー展に合わせたのでしょう、19世紀のモノクロ版画が特集されていて、かなり見ごたえがあります。ルドンも展示されていました!
(右)あんこさんのブログでも触れていた近くの銀杏の樹。逆さハートか、クローバーか。モンブランか焼き栗が食べたくなりました!

国立西洋美術館の公式HPは、 → ここをクリック

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『ゲゲゲの女房』 ~吹石&宮藤に乾杯!

2010-11-28 09:51:51 | 映画&ドラマ

映画の中では殆ど笑顔を見せない布枝さんですが・・・


 映画『ゲゲゲの女房』を観てきました。ひと言でいえば、見合いからわずか5日間で一緒になった二人が夫婦になるまでの物語です。最初のうちは目も合わせられなかった二人が「おとうちゃん、おかあちゃん」と呼び合うまでを、映画ならではの手法で描いていきます。だから、漫画家として成功するかしないかは、この際どうでもいい問題なのです(誰もが知っていることですし)。

「誰も妖怪に見向きもしないなら、おらぁ妖怪と心中するけん」と言った夫と共に歩んだ道。そこには色々な葛藤もあったでしょうが、説明的な心理描写を一切せず、映画を見ている者に託した潔さ(それで興行的に失敗しても)が素敵です。限られた上映時間の中で余分なものを取り除きながらも、「見えんけどおる」ものを信じてきた茂の言うなれば柱の部分と、その後の人生観の核となった戦争体験をきちんと抑えています。
 表現の仕方に違和感を覚えた人もいるかもしれませんが、妖怪の描写にしても、今現在の風景が出てくることにしても、意図的に行われていることなので、鬼の首を取ったような批判をするより、なぜそのような表現をしたのかを考えた方がいいでしょう。
 二人が暮らした当時の家を床の光り方まで忠実に再現し、布枝が渡るあの魅力的な橋を見つけてきたのに、なぜ今現在改修中の東京駅や調布駅前が出てくるのか? 布枝が思い出しているだけなのに、なぜイカル(南果歩さん、ナイスです)が生霊のようにつきまとって小言を言うのか? (予算がなかったのが一番の原因かもしれないけれど)茂がニューブリテン島で負傷する際の回想シーンがなぜあのような形になったのか? などなど面白いことが幾つも出てきます。




 全体的に、全身が映る「引き」の絵が多く、殆どのシーンが「ワンシーン・ワンカット」で撮られている点も、映画ファンにはたまりません。演じる俳優からも臨場感と緊張感が伝わってきます。小津を思わせるローアングル(何と足の裏まで!)と、突き放したように客観的な俯瞰撮影にも目を見張りました。
 監督の鈴木卓爾さんは、本作品が『私は猫ストーカー』に次ぐ第二作目なのですが、すでに自分のスタイルが出来上がっているのでしょう。撮影のたむらまさきさん、アニメーションの大山慶さん、今回も素晴らしい仕事をした音響の菊池信之さん、音楽の鈴木慶一さん(ご存知「ムーンライダーズ」の慶一さんだけど、貸し本屋の主人としても出演。「水木漫画は暗いんだよ」と言って、むきになる布枝とやり合う)など、「鈴木組」が形成されていて、これからどんな作風になっていくのか、次作が大いに気になります。
 俳優たちも、ぬらりひょんを演じた徳井優さん(テレビでは質屋さんでした。気づきました?)、長女を演じた坂井真紀さん、貸し本出版社の諏訪太郎さん(『私は猫ストーカー』でも印象的でした)、売れない漫画家の宮崎将&村上淳さんなど、個性的な人々が本作品でも支柱になっていて(南果歩さんにも「鈴木組」の一員になってもらいたいな)、その面でもこの先が楽しみです。そうそう、キャスティングのかぶりだと、菅ちゃんの意外な?出演に熱心なファンがときめいているようですが、テレビでは布美枝の親友役を演じていた飯塚只子さんも布枝の義妹役で出演していて、なかなかいい感じでしたよ~♪

 この作品を全く条件の異なるテレビドラマと比べるのはナンセンスなのに、世間一般の評判は散々たるもので、インターネットの悪しき口コミも手伝って?興行成績は低迷しているようです。私が観た回も、金曜日の夕方と映画を見る気になりにくい時間帯でしたが、20名にも満たないほどでした。布枝を演じた吹石一恵さんも、茂を演じた宮藤官九朗さんも、本当に素晴らしかったので、一人でも多くの人に見てもらいたいと思います。総じて傑作と呼ばれるものは、同時代には受け入れられないものですが、三十年後に古典となる前に、映画の今を生きましょう!


吹石さん、いい女優さんになりました。君の瞳に乾杯!

 映画『ゲゲゲの女房』の公式HPは、 → ここをクリック

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動物病院様、本当にありがとうございました!

2010-11-27 23:02:02 | 自然&いきもの+ゾウのはな子


 金&土は久しぶりの連休でした。金曜日は立川まで歩いて、映画『ゲゲゲの女房』を観てきました。土曜日は、六本木ヒルズでジョージ・A・ロメロの幻の名作『ザ・クレイジーズ』をリメイクした『クレイジーズ』を観てから上野へ移動し、国立西洋美術館で開催中の『デューラー展』に行って来ました。
 程よい疲れを感じながら帰宅すると、一枚の葉書がポストに入っていました。お世話になっている動物病院からでした。今の院長さんが退職することになり、12月に病院を閉院させてほしいとのお知らせでした。

 実を言いますと、家から100mも行かないくらい近くに動物病院があって、その病院が二軒隣に引っ越してくることになりました。夏ごろから建築工事が始まり、完成まであと少しのところまで来たのかな? 12月中にはオープンさせる、と言ってましたから・・・。
 でも、お隣さんに動物病院ができても、ネコのクルミさんは今までどおり坂下の病院まで通わせるつもりでした。何といっても、三匹の犬がお世話になっていたからです。去年の6月に仔猫をリュックに入れて運んできたときも、迷わずこの病院に連れて行きました。

 病院がオープンしたのは1971年。(上條恒彦さんに顔も声質も似ている)優しい髭の院長先生を慕って病院を訪れる人が、自分たちも含めてたくさんいたと思います。院長先生は志半ばで旅立ってしまわれましたが、院長先生の意志を継いで今日まで存続してくれました。我が家も、犬三匹&ネコ一匹、実に40年間の長きにわたってお世話になっています。
 今回のお知らせはとても残念ですが、今までのことは忘れません。本当にありがとうございました。近いうちに病院まで挨拶に伺いますが、まずはブログにてお礼申し上げます。スタッフの皆さん、長いこと、お疲れ様でした。

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『コバルトの季節の中で』 ~昔の思い出と・・・

2010-11-26 14:30:30 | 音楽の森

 

 

 11月の始めでしたか、仕事で二人の方と「カラオケ」に行くことになりました。好きな曲がラジオから流れてくると一緒に歌ったりするくせに「カラオケ」には興味がなく、最近(90年代後半以降)の歌は洋楽&邦楽共に知らないせいか、同僚とカラオケに行くと「浮きまくる」のは必至なのですが、その日は楽しく過ごすことができました。二人から次々リクエストが出てリモコン操作に大忙し! 自分も好きな唄を二曲歌いました。
(最後は三人で『宇宙戦艦ヤマト』を熱唱)

 『コバルトの季節の中で』をカラオケで歌うのは初めてだったのですが、今までどうして歌ったことがなかったのでしょう? とても好きな曲です。小谷夏さん(実は久世光彦さんのペンネーム)の歌詞も、ど派手になる前のジュリー(沢田研二)のしっとりした歌い方も、彼自身が作曲したメロディも全部好きでした。音楽配信どころかCDもなく、もしかしたら「カラオケ」という言葉もまだない時代だったけれど、ラジオやテレビや街角でよく流れていました。1976年の秋のことです。
 そのころ自分は、正真正銘の「初恋」の真っ最中(それ以前も好きな人はいたけど、初恋と呼ぶほどではなかった)。想いをどうやって伝えたらいいのかわからず、ただ遠くから見つめていました。歌詞とはちょっと違って、彼女の髪形が変わったのは冬で、春が来て別々のクラスに別れてしまうまでの短い時間の間に、自分の気持ちを何とか伝えようと、道端で、電話で、手紙で長いこと話しました。結局、二人だけのデートには一度も行かれなかったけれど、幸福な時間だったと思います。

 「恋」とは心に起きる一種の化学反応だと思うのですが、恋が生まれる瞬間は(最近FMラジオで、恋の記念日じゃなくて、『恋の誕生日』というなかなか素敵なJ・POPを聴きました)、地球上に最初の生命が生まれたときのように不思議な、そして永遠に解けない謎かもしれません。いつどこで人は恋におちるのだろう? なぜ他の人でないその人なのだろう? そもそもどうして人を好きになるのだろう? 恋が生まれる瞬間なんて、自覚できないのが普通かもしれません。でも、このときは・・・。

 高校一年生のニワトリさんは、映画『色即ぜねれいしょん』な青春を送っていました。女の子に普通に声をかけることのできない男子でしたから、文化祭などの催しに「棚から牡丹餅」的な第三種接近遭遇(映画『未知との遭遇』のキャッチコピー参照)を期待したものです。
 それなのに、学校側が主催してくれたフォークダンス大会では、「男女が大きな輪を描いて手をつないだりするフォークダンスなんて、ダサくて恥ずかしくてやってられないぜ~」と、全く関心のないふりをしながら、「各クラスに何人かいるマドンナたちが参加してくれないだろうか?」遠巻きに様子を窺い、確かにマドンナたちが来てくれて輪の中に入っていったのに、自分たちはそれを眺めながら「脚が太い」だの「性格最悪」とか、『イソップ物語』のキツネにも似た寸評(というか遠吠え)をしているだけ、というモテない男子の典型を演じておりました。
(その頃の自分はわりと可愛い顔をしていたと思うのだけど)

 体育館では、お世辞にも上手いとはいえないバンドが、何をコピーしたのかもわからない曲を熱心に演奏していました。友達が【KISS】のジーン・シモンズの真似をして、ベースを弾きながら血の代わりに口に含んだケチャップを「どろり」と吐いてみせたのですが、誰一人パフォーマンスに気づかず、【KISS】の大ファンだった自分は天を仰ぎながらも、惜しみない拍手を送りました。学校側はおそらく禁止していたと思いますが、本番直前にメイクして演奏することができたら、気づいてもらえたかもしれません。ひとりの女の子が「あれ、○×クン、何か吐いたよ。大丈夫かな?」と呟いていったけ・・・。
 出し物は次々かわり、合唱部の出番になりました。数年後には全国大会で入賞するほど成長していくのですが、そのときはまだ素人に毛が生えた程度だったと思います。それでも、バンド連中とは一線を画した合唱が始まり、ニワトリさんも姿勢を正しました。
 今までの「ノイズ」とは違う「音楽」に聴き惚れているとき、ピアノを伴奏している女性にふと目がとまりました。「もしかして、同じクラスの∮∮じゃないか? 彼女、ピアノ弾けたんだ・・・」

 昨日まで教室のどこに座っているのかも知らなかったのに、文化祭の数日後には立派な恋の病にかかっていました。処方箋はありません。彼女は、自分よりもバレーボール(合唱部のピアノ演奏より力を入れていた)の方が好きだったようです。「絶え間なく揺れていた」思春期の中で、もう少し彼女を見つめていることができたら、もう少し優しい気持ちになれたら、彼女が今も隣にいたかもしれません。『コバルトの季節の中で』は、少しの後悔と、今も変わらない想いを呼び覚ましてくれました。隠れた名曲と言われていますが、個人的にもこんな思い出があったなんて・・・ちょっとした驚きです。

 そして、それとは全く別に、今現在の自分もまた「コバルトの季節の中」にいることに気づきました。
「髪形がかわりましたね 秋風によく似合いますね」「誰だって 秋は独りです」「だけど人はきっと 愛しあえるでしょう」「だから明日のこと 話してみませんか」
 一つひとつの言葉が胸に沁みていきます。特に、「しあわせの手ざわりが いまとても懐かしく」と、「ひとりぼっちだったから やさしさが好きでした」というフレーズは、今の気持ちとシンクロしていて、とても心地良く響いてきます。かといって、薔薇色の日々を迎えているわけでは全くないのですが、絶え間なく気持ちが揺れているこの秋の中で、大事な人を見失う愚だけはしないつもりです~♪

美しすぎるジュリーの奇蹟的な動画は、 → ここをクリック
奇蹟の動画は削除されてしまいました・・・ → ここをクリック(曲は聴けます)


髪形がかわりましたね 秋風によく似合いますね
何か悲しいこと あったのでしょうか
コバルトが目にしみますね 誰だって秋は独りですね
だから今朝はなにも 話しかけません

しあわせの手ざわりが いまとても懐かしく
足早に過ぎて行く この秋の中で 
あなたを 見失いたくないのです

風の日はきらいでしたね 忘れたい何かあるのですね
だけど人はきっと 愛しあえるでしょう
コバルトが目にしみますね 誰だって過去はつらいですね
だから明日のこと 話してみませんか

ひとりぼっちだったから やさしさが好きでした
絶え間なく揺れている この秋の中で
あなたを 見失いたくないのです
あなたを 見失いたくないのです

 それにしても、ジュリーは名曲が多い! ポリドール時代の『沢田研二 A面コレクション』を買ってしまいました。実を言うと、今一番凝っているのは「MAYA」なのですが、彼女については別項で!

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模様替え

2010-11-24 22:02:33 | お知らせ&お願い&ご挨拶

 こんばんは。お久しぶりです。
 忙しさを理由にしたくないのですが、ブログの更新がなかなかできません。おそらく来年の1月15日までは、今のように週1~2回程度になってしまうと思います。
 『君の瞳に恋してる!』は、今から遡ること約12年前、一日一映画を実践していたとある日に、昨日見た映画がどうしても思い出せない!という事実に慄然として、せめて題名だけでも書きとめておこうと始めた映画日記に端を発しています。
 ブログを始めた頃は、寺山修二さんじゃないけれど、「書(映画)を捨てて町に出だした」時期で、東京の下町やローカル線に夢中になっていましたが、スタンスそのものは変わっておらず、たまたま公開されてはいるけれど自分という一読者に向けて綴った日記でした。
 
 まだまとめていない旅の記事や、好きな映画の話など、書くことには事欠かないのですが、文章力の無さも手伝っていかんせん時間が追いつかず、ほったらかしのまま今現在も放置されています。今後は、それらをちょこちょこ綴りながら、過去記事を整理できたらいいですね~。特に、各【INDEX】はきちんと作り直すつもりです。カテゴリーが変わるものもあるかと思いますが、これまで同様読んで頂けたら幸いです。
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『リトル・ランボーズ』 ~SON OF RAMBOW

2010-11-20 23:36:18 | 映画&ドラマ


義兄弟の血判を交わす二人


 (例によって映画の内容とは関係ない話から始まる・・・)
 一昨日の木曜日、すっかり慣れっこになった?36時間勤務を終え、家に戻ったのが22時30分。お風呂に入って寝るつもりだったけれど、ふと気がついたら翌朝の5時になっていました。もうひと寝入りしようと、ベッドの端っこからに中央に寝返りを打つと、胸の辺りに暖かくて柔らかいものが当たりました。ネコです。なんでアンタがベッドのど真ん中で寝ているのさ~♪

 結局そのままはじっこでもうひと眠りしたのですが、次に眼が覚めたときには身体の方はフル充電されて元気モリモリ、夕方までお出かけすることにしました。ジャッキー・チェンの新作を見るか、それとも立川でトムクル&キャメロンを見ようか悩んだのですが、前からちょっと気になっていた『リトル・ランボーズ』を観ることにしました。
 初回が10時30分だったので、大急ぎで布団を干し洗濯を済ませて、国立駅へ小走りで向かいました。そう、ちょうどこの映画に登場する男の子たちのように息を切らせて! チケットショップで前売券を買い、上映15分前に着きました。久しぶりの渋谷シネクイントです。でも、そんなに慌てることはなかったかな? 予告編が長くて長くて・・・(面白そうな映画もたくさんあったけどね、数が多すぎて、ニワトリ頭では覚えていられない!)

 『リトル・ランボーズ』という題名・・・確かに主役を演じる少年二人の憧れのスーパーヒーローが、シルベスター・スタローンの演じた『ランボー』(82)だから、『リトル・ランボーズ』になるわけだけれど、もしかしたら今では『ランボー』を知らない観客の方が多いかもしれず、(しかもシリーズ第一作目の)『ランボー』を知らなければ、原題をカタカナ表記にしただけの映画と同じようにピンと来ないでしょう。
 ひょっとすると、単館ロードショーとしては記録的な大ヒットとなった『リトル・ダンサー』にあやかって「リトル」をつけたのかな? でもここは原題どおり『SON OF RAMBOW(ランボーの息子)』と表記して、『ランボー』の原題だった『FIRST BLOOD(最高の兵士)』をもじって「最高の友達」という副題をつけるなど、配慮と工夫が欲しかったです。
 というのも、『SON OF RAMBOW』とは少年たちが撮影に夢中になっている映画の題名で、この題名そのものが、スクリーンが暗転した後で交わされる会話と繋がっていたからです。その頃ニワトリさんは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていたのですが、後でパンフレットに記された原題を読んで、「なるほど、そういうことだったのか!」と手を叩き、深く深く頷いたのでした。『リトル・ランボーズ』では駄目なのよ!

 『SON OF RAMBOW』の監督は、知る人ぞ知る『銀河ヒッチハイク・ガイド』(05)で世に出たオタク系監督=ガース・ジェニングス(世に出したのはスパイク・ジョーンズ)。ニワトリさんは、米国盤DVDでいち早く『銀河ヒッチハイク・ガイド』を鑑賞しました。『オースティン・パワーズ』シリーズのようなバカ映画を期待していたのですが、それと同時にかなり深遠かつ高尚なテーマを扱っていて、英語力がないため「深遠」「高尚」な部分に関しては殆ど理解できませんでした。映画オタク的には充分面白かったけれど・・・。
 本作が長編第二作になるのですが、監督自身が過ごしてきた幼年時代の雰囲気とムードを再現したかったそうです(80年代前半のあの感じ。と言っても、わからない人にはわからない)。現実を少しばかり膨らませて投影しているので(コモンルームの格好良さとか)、ティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』に近い法螺話とも言えるのですが、一つひとつの出来事が誰にも思い当たることだけに、リアルに切実に訴えてくるのです。「とってつけたようなラストが残念」と評したプロの方がいましたが、ここは、唐突で浮いているからいいのです。「説明的な描写?」やめてくれ。「伏線を張る必要?」ありません。


 ウィルは豊かな感性を持った少年。神に奉仕する以外を禁じる宗教生活を送っているため、ノートや教科書に得意のイラストやペラペラ漫画を描くのが唯一の楽しみだった。


 唯一読むことのできる本=「聖書」に描いたウィルの素晴らしいイラスト。全頁に描かれていて、親友となる全校一の問題児リーや、交換留学生のフランス人ティディエも、ウィルの絵に夢中になる。


 悪ガキのリー(左)。自由奔放に振舞うが、ウィルとは違う意味で疎外されていた。二人は映画『ランボー』に魅せられ(父親が不在の二人は、彼らのヒーローに父の姿を重ねた?)、続編『ランボーの息子』を製作する。リーの兄のビデオカメラを内緒で借りて・・・。


 フランスからやって来た交換留学生のティディエは全校生徒を魅了し、すぐに取り巻き&追っかけができる。クールでお洒落な彼だが、実はカンフーおたく! 自分も二人の映画に出演したい、と申し出る。映画の行き末は・・・。


 この作品、実は2007年製作です。三年越しの公開が情けない限りですが、どうやら大ヒットの予感。主演の二人の少年が大変素晴らしいのですが、ニワトリさんが一番惹かれたのが留学生のティディエ。この学校に通っていたら、取り巻きになっていたかも? やっぱり、自分も田舎モノなんだね~♪


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『麗しのサブリナ』 ~The Moon’s Reaching for Me

2010-11-16 23:55:00 | 映画&ドラマ


 『麗しのサブリナ』のオープニング・ショット。彼女の父の口癖が「月に手を伸ばしてはいけない=高望みはするな」(Don't Reach for the Moon)。でも、オードリーの映画は、いみじくもサブリナが言ったように、月に手を伸ばすのではなくて、月が手を差し伸べてくる(The Moon's Reaching for Me)、いつの時代も女の子が夢見る「シンデレラ物語」だった。


 久しぶりに『麗しのサブリナ』(54)を観ました。いわずと知れたハリウッド映画の名作です。監督は名匠ビリー・ワイルダー。50~60年代に多くの名作を発表しています。ちなみに、ニワトリさんの一番好きなワイルダーは、キム・ノヴァク&ディーン・マーティン主演の『ねぇ!キスしてよ』(64)。
 『麗しのサブリナ』のヒロインは、『ローマの休日』(53)で一躍ハリウッドのトップスターに駆け上がったオードリー・ヘップバーン。オードリーで一番好きな映画は、ゲイリー・クーパーと共演した『昼下がりの情事』(57)。監督はやっぱりワイルダーでしたがその三年前に撮った『麗しのサブリナ』では、ハンフリー・ボガート&ウィリアム・ホールデン!という大御所二人が、オードリーの相手役を務めます(写真下)。



 沢田研二も「あんたの時代は良かった~♪」と歌ったボギー(ボガート)は、ブルース・リー、スティーヴ・マックイーン、フレッド・アステアと並んでニワトリさんの「規範」四天王でした。一番好きな映画は何だろう?
『ハイ・シエラ』(41)、『マルタの鷹』(41)、『アフリカの女王』(51)、それとも『脱出』(44)? 難しいところです。
 ウィリアム・ホールデンは特に思い入れのない俳優ですが、キム・ノヴァクと共演した『ピクニック』(55)と、ジェニファー・ジョーンズと共演した『慕情』(55)は大好きな映画です。個人的には、アルコール依存症に苦しんでいた晩年のホールデンが大好きで、イーストウッドの『愛のそよ風』(73)、ペキンパーの『ワイルドバンチ』(69)、そして『クリスマスツリー』(69)のホールデンは最高でした! 『タワーリング・インフェルノ』(76)のような大作映画でも、フレッド・アステア、ジェニファー・ジョーンズ!と共に場を引き締めていましたが、まだ小学校を卒業したばかりのヒヨコには、なぜ彼らが出演しているのか、さっぱりわからなかったのです。

 往年の映画の話になると、次から次へと話が脇道にそれてしまいます。それだけ話したいことがあるのだけれど、『麗しのサブリナ』に戻しましょう。
 撮影当時26歳(映画では22歳の設定だけど、そのとおりの可憐な美しさ)のオードリーに対して、ボガートが55歳!で、ホールデンが36歳。妖精オードリーの相手役には、彼女とつりあう同年代の男優がいなかったこともあって、かなり年の離れた大スターたちが恋人役を演じてきました。
 彼らについて何の予備知識がなければ、「何でこんな年寄りと?」と思ってしまうかもしれませんが、全盛時代のハリウッドを知る人なら、「何と豪華な顔ぶれ!」と、ため息をつくわけです。『麗しのサブリナ』以外の代表作の共演者を列記すると、グレゴリー・ペック=『ローマの休日』(53)、フレッド・アステア=『パリの恋人』(57)、ゲイリー・クーパー『昼下がりの情事』(57)、ケイリー・グラント=『シャレード』(63)、レックス・ハリソン=『マイ・フェア・レディ』(64)。堂々たる顔ぶれが並んでいます。
(『ティファニーで朝食を』(61)のジョージ・ペパードと、『おしゃれ泥棒』(66)のピーター・オトゥールは撮影時に三十代前半だったけれど、二人とも影が薄い感じ)
 女優冥利に尽きる? でもオードリーは、いつまでも「シンデレラ」を演じさせられることに嫌気が差したのでしょう。早々引退すると、ユネスコなどの国際支援活動に活躍の場を移しました。飢餓に苦しむアフリカ諸国を何度も訪問するなど、晩年の彼女はナイチンゲールやマザー・テレサとダブります。

 ビリー・ワイルダーの作品は、台詞が粋で、小道具と音楽の使い方がとても巧みです。これらは重要な伏線になったり、コメディリーフとしても用いられています。
 当時ヒヨコだった自分を映画の世界に誘導してくれた和田誠さんの『お楽しみはこれからだ!』(和田さんのイラストと映画の名台詞が一緒になった素敵な本)にも、『麗しのサブリナ』の名場面が何度も登場していました。
 ここでの小道具といえば、ララビー財閥を父から受け継いだ長男ライナス(ハンフリー・ボガート)が夢中になるプラスチック技術(1954年ではまだ夢のようなお話だった?)に、葉巻、シャンパングラス、ドライ・マティーニ、マティーニに入れるオリーヴ、蓄音器などなど。実に効果的に用いられています。

 ところで、どうして土曜日(13日)の晩に『麗しのサブリナ』を見ようと思ったのかといえば、その日自分が大学時代に来ていたスタジャンを着て、仕事に出かけたからです。
 学生時代は、もう一枚のスタジャン(かなり高価だった)と鹿革の革ジャンがお気に入りで、電車で学校に行くときはスタジャン、バイクで学校に行くときは革ジャンを着ていました。この二枚はボロボロになってしまい、とっくの昔に処分しています。
 土曜日に着ていったスタジャンは、この先二度と着ないと思うけれど、特に汚れていないので、二十年以上クローゼットに吊るしていたものでした。このところ、朝夕はかなり冷え込んでも昼間はポカポカ暖かい日が多く、着ていく服に困ったニワトリさんは、ふと禁断の?スタジャンを取り出しました。
 スタジャンを着て洗面台の鏡の前に立つと、何とも情けない姿が鏡に映っていました。ニワトリさんは年齢よりかなり若く見られていますが、初老にさしかかったおじさんがネイビーブルーにゴールドの裏地のスタジャンを着ている姿は不恰好極まりなく、何とも不釣合いです。いつもの黒の薄いウインドブレーカーで出かけようかと思ったのですが、それだと余計貧相に見えるような気がするし、夜の寒さに耐えられそうもありません。
 洗面台の前に立ってため息をつくと、『麗しのサブリナ』のワンシーンを唐突に思い出しました。「まさか、自分がここでボギーを演じるとはなあ・・・ま、いっか!」

 さて、そのワンシーンとは、映画の中段あたりに登場するのですが、その前にあらすじを簡単に述べでおきましょう。
 ヒロインのサブリナは、大富豪のララビー家のお抱え運転手の娘で、ララビー家の次男デイヴィッド(ウィリアム・ホールデン)に首ったけだった。でも、遊び人のデイヴィットは、サブリナの存在すら気づかない。傷心したサブリナは父の計らいでパリに留学する。二年間の料理修行?の末、洗練された女性に変身して帰国したサブリナに、デイヴィッドが夢中になる。彼は三度結婚に失敗しており、今回四度目の(しかも家族が初めて賛成した)お相手と婚約したばかり。婚約者の父は広大なサトウキビ畑を所有する大地主で、この縁談はララビー財閥を実質的に仕切っている長男ライナス(ハンフリー・ボガート)が、サトウキビを原料とするプラスチック産業に眼をつけ画策したものだった。ライナスは仕事一筋に生きてきた堅物の独身者で、弟の味方をしているよう見せかけながら、二人を引き離さそうと企みるが・・・。
 問題のワンシーンとは、怪我して動けなくなった弟の代わりにサブリナの相手をすることになったライナスが、大学のロゴが入った時代物のカーディガン&帽子に着替えたはいいが、鏡に映った自分の姿を見て、「見てくださいよ、お父さん。これじゃ、関節炎を患う大学生だ」と自嘲するシーンです。うまく意訳できないのですが、極論すると、50代の女性がセーラー服を着る恥ずかしさに近い?
(それでも自分は、二日もスタジャンを着てしまいました・・・)


♪ Yes, we have no bananas. We have no bananas today ♪

 ビリー・ワイルダーは、音楽の使い方も非常に上手なのですが、『麗しのサブリナ』には、ララビー家のパーティでデイヴィッドが女性を口説くときに演奏される「Isn't It Romantic?」と、サブリナがパリに留学したときに覚えた「La Vie En Rose」のテーマ曲(誰もが聴いたことがあるはず)と、ライナスがサブリナと舟遊びをしたときに埃をかぶった蓄音器から流れてきた「Yes! We Have No Bananas」の三曲が、実に効果的に使われています。特に「Yes! We Have No Bananas」は、1923年に流行ったらしいのですが(色々な人がカバーしていて、動画サイトで聴ける)、一度聴いたら耳に残ってしまう摩訶不思議なメロディと可笑しな歌詞が秀逸です~♪


 

 オードリー・ヘップバーン=ジヴァンシーと言われるようになるのですが、『麗しのサブリナ』がコラボの始まりでした。この作品では、ハリウッド映画の衣装=イーディス・ヘッドと言われるくらい凄い人がオードリーの衣装を統括していて、変身前のチェックのスカートも、有名なサブリナパンツも女史の作品になります。


「La Vie En Rose」を歌うサブリナ(このとき着ていたドレスもイーディス・ヘッドのデザイン)


最後に『麗しのサブリナ』の名台詞を幾つか抜き出すと・・・

「幸せな恋をしている女性はスフレを焦がす。不幸な恋をしている女性はオーブンのスイッチを入れ忘れる」
(留学先の料理学校でオーブンのスイッチを入れ忘れたサブリナに男爵が)

「月に手を伸ばしてはいけないって? 月にロケットを飛ばす時代に、何とまあ古臭い。サブリナ、まずはお馬さんの真似をやめることだね」
(サブリナから事情を打ち明けられた男爵が、ポニーテールの髪型を指差して)

「パリでは男爵が色々世話を焼いてくれます」
「それはいい」
「男爵は70代の優しい人です」
「それはよくない」
「もうデイヴィッドのことは考えなくなりました」
「それはいい」
「夜以外は」
「それはよくない」
「昨日、彼の写真を破りました」
「それはいい」
「セロハンテープを送ってください」
「それはよくない」
(サブリナからの手紙を読む父親に同僚たちが)

「人生は自分の手でつかむもの。恋も同じ」
「駅まで迎えに来てくれても、私に気づかないかもしれません。そのときは、最も洗練された女性を探してください」
(帰国前、窓越しに聴こえてくる「La Vie En Rose」に耳を傾けながら父への手紙を書くサブリナ)

「兄貴、彼女が誰だかわかるかい? サブリナだよ。信じられないね」
「デイヴィット」
「あの素晴らしい脚をどう思う?」
「デイヴィット!」
「なんだい?」
「この前の素晴らしい脚には、2万5千ドルかかったぞ」
(帰国したサブリナが自分の部屋に戻るのを眺めながら、デイヴィットとライナスが)

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ユーカリが丘(こあら)線

2010-11-12 23:42:23 | 鉄道紀行&乗り物

 
 12日の金曜日は、用事があって成田空港へ行ったのですが、それだけでは面白くないので、帰りに京成線の「ユーカリが丘」で途中下車して、三年ぶり(だと思う)に【ユーカリが丘線】に乗ってきました。3両編成の新交通システム「コアラ1~3号」が日替わりで走っていて、この日は「こあら1号」が黙々と働いていました。




 【ユーカリが丘線】は、不動産会社の「山万」が経営する鉄道で、同社が開発したユーカリが丘ニュータウン(殆どの方が都内に通勤していて、いわゆるベッドタウン)の住民の利便性を考えて、京成電鉄「ユーカリが丘」駅からニュータウン内を左回りにぐるりと一周する準環状線です(完全な円を描いてはいない)。
 民間会社経営の新交通システムは、【ユーカリが丘線】と【西武鉄道山口線】しかないのですが、【山口線】はご存知のように大手私鉄「西武鉄道」が運用しているので、極めてユニークな鉄道といえるでしょう。
 スタート地点の「ユーカリが丘」は、ホテルや巨大ショッピング・モールが立ち並び(上写真)、近未来的な雰囲気を漂わせていますが、最初の停車駅となる「地区センター」を過ぎ、環状線となる「公園」駅から普通の民家の軒先を静かに走っていき、左手には畑と田んぼが広がる不思議な車窓風景を醸しだしてくれます。この先、「女子大」「中学校」とストレートな駅名が続き、今日は誰とも会いませんでしたが、通学時間帯は賑やかで華やかな雰囲気に車内が包まれるのでしょう(と妄想)。「女子大」を出たところに車両基地があります。引込線には「こあら2号」が停まっていました。
 トンネルをくぐり(実はマンションの地下を走っている?)次駅の「井野」駅に着きますが、駅前=マンションのエントランスという異次元な演出が素敵です。次駅は先ほどの「公園」駅で、「地区センター」「ユーカリが丘」と戻ってワンサイクルが完了します。
 全長わずが4.1km、時間にして13分の旅ですが、高層ビルからトンネル、田んぼに里山、女子大生と、何でもありの素敵な鉄道だと思います。箱庭的な雰囲気と目まぐるしく変わる景色は、正しくHOゲージやNゲージなどの鉄道模型のレイアウトに似ていて、ニワトリさんはホワイトE-P2のジオラマモードで撮りたかったのですが、うまくいきませんでした(まだ全然カメラに慣れていなくて・・・)。でもこの日も、4サイクルも乗ってしまいました。皆様も、近くまで行ったら、是非乗ってみてね~♪
(1回一律200円。一日乗車券=500円) 


 

 小春日和のぽかぽか陽気の中、3両編成の「こあら1号」が静かにやってきました。「神戸・ポートアイランド線」「大阪・南境線」に続く日本で三番目の「新交通システム」なのですが、地元の人は「モノレール」と呼んでいるそうです。


「公園」から「ユーカリが丘」へ戻る「こあら1号」(ファンタジック・フォーカス使用)


(左)【ユーカリが丘線】の線路図。フライパンを手元からなぞる感じ。佐倉まで延伸する計画を検討中・・・。
(右)子供たちにも人気が高く、この日も小学二年生や保育園児がお弁当を持って遊びに来ていた。


(左)「公園」内のケヤキが見事に色づいていました。
(右)ぽかぽか温かくて、一周している間に夢の国へ行ってしまいました。


 「公園」から「女子大」へ。民家の軒先を走っているのだけれど、左手には田んぼと雑木林が広がり、胸がわくわくしま~す!(これもファンタジック・フォーカス)


(左)遊園地の乗り物みたいな【ユーカリが丘線】。公園内を走行しているところ。
(右)E-P2はリリースタイムラグが結構あって、連写も不可。この日はことごとく一発勝負に負けてしまったが、逆光にはかなり強いことがわかりました。


 この写真はα700で撮影。やっぱり、鉄道写真は本格的一眼レフじゃないと無理かも・・・


(左)この写真もα700。望遠レンズの圧縮効果も程よく出ていますね~♪
(右)こうして見ると、かなり未来都市的なんだけど・・・


 往きは、JR武蔵野線の東松戸駅から「成田スカイアクセス」特急を使って、7時前に成田空港に着きました。朝食は豪華に?カツカレー。帰りは、そのまま京成線で「上野」に戻り、松坂屋に寄り道。「たこ八」の明石焼き(薬味を入れた温かい「だし汁」に漬けて食べるたこ焼き)と、「みはし」のほうじ茶アイス&あんみつを食べちゃいました!

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『草の上の昼食』(その2) ~え・とせとら

2010-11-11 02:17:17 | 映画&ドラマ


『草の上の昼食』撮影風景



 ニワトリさんがこの世で一番好きな映画=『草の上の昼食』について、ジョナス・メカス(ご存知ですか?)が素晴らしい批評を書いていたので、一部抜粋させてもらうと・・・
「もし映画が美しいというなら、それは『草の上の昼食』のことである。(中略)彼の語ることは全て美しい。語り方も美しい。映画のテーマ、映画のストーリーなど何の意味があろう? 愛、太陽、木、美しい女、夏の日、草の上のピクニックで充分だ。筋書きなど、芸術や人生において何の意味があろう? 問題なのは細部、微妙さ、ニュアンスである。(中略)全てが若さと新鮮さにあふれている」

 メカスは言う。「ルノワールは、映画に対しても芸術に対しても、けっして大げさな誇張をしたことがなかった。彼はつねに、彼の初期の作品の一つである『素晴らしき放浪者』のように、映画の決まりを破ってきた。草むらの中でも、森の中でも、彼はただ生き、歌い、冗談を言い、踊り、酔っ払いのケラワックのようにはしゃぎまわる。彼は映画用のカメラを手にして以来、もう40年もそんなふうにして過ごしてきた。彼自身、永久に【新しい波】である」



 『草の上の昼食』は、画家であった父=オーギュスト・ルノワールが晩年に移り住み、ルノワール自身も幼少期から青年期にかけて暮らした家=ル・コレットと、家のあった南仏プロヴァンスのカーニュ地方をロケ地に、『大いなる幻影』(37)のリバイバル上映で得た利益を資金にして、二十日間で撮影されました。
 撮影当時、プロヴァンス地方でもさかんに土地開発が行われていたらしく、ル・コレット周辺の美しい風景が失われてしまう前にフィルムに残しておきたい、という想いが強かったそうです。今でも、物語の中心となるル・コレットの生家付近の景観だけは、当時のまま残されているとのことなので、一度は訪ねてみたい?



 『草の上の昼食』のヒロイン=ネネットに抜擢されたカトリーヌ・ルーヴェルは、ルノワールがひと目惚れした新進の舞台女優でした。彼女のために映画を作ろうと思い、前作のテレビ映画『コルドリエ博士の遺言』のスクリーンテストを受けさせたくらいです。
 ネネットには、ルノワールが幼少時代を共に過ごした乳母のガブリエル(父の絵のモデルも多数つとめている)が投影されていて、カトリーヌ・ルーヴェルの容姿や雰囲気が彼女に似ていたことも、彼女が『草の上の昼食』のヒロインに抜擢された理由の一つだと言われています。その意味では、映画の数々のシーンと父ルノワールの絵がかぶる瞬間が訪れるので、ルノワールの絵が好きな人も必見です。3枚のスチール写真からも雰囲気が伝わってきますね~♪
 引き続いて、物語の粗筋を好きなシーンを添えて書こうと思います(エンディングを知りたくない方は飛ばしてください)


 人工授精研究の第一人者であり、次期欧州大統領候補のアレクシス教授と、ガールスカウトを率いる伯爵夫人との婚約を祝うため、草の上の昼食会が開催される。ピクニックの会場に、ヤギのガブリを連れた不思議な老人ガスパールが現われ、横笛を吹いた途端に突風が吹き荒れ、会場は大混乱の様相を呈す。風がおさまると、あたり一面が淫らな空気に満たされていた(婚約者のみが横笛の誘惑に反応しないところが可笑しい)。


 突風のせいで仲間とはぐれてしまった教授は、婚約者を探して歩き回っている間に、小間使のネネットが水浴しているところに出くわしてしまい、豊潤な自然と一体となったネネットの美しさに心を奪われる。お父さんの絵を彷彿とする美しいシーン。


 教授は、紳士然として土地勘のあるネネットに道案内を頼み、ネネットも承諾して水から上がる。そのとき再び、ガスパールが横笛を吹いたために、教授は理性を失い、自身の理論とは相反する情動(それも化学反応だと言えないこともない)に見舞われ、彼女の手を引いて、茂みの中へ隠れる(横笛の調べがなくても、そうなったと思うが・・・)。


 揺れる葦原、流れにたなびく川藻、時に激しい波となって川を流れる水、水、水・・・。再び川藻が現れ、小さなカメムシがタンポポの綿毛のような花の上をゆっくり伝ってゆくと、二人が手をつないで草叢から現れる。水のせせらぎや鳥の声が最上の音楽となって聴こえてくる。自然と一体化した交合は、ルノワールが理想とする「愛」の形。


 そのまま二人は、村の仲間たちと一緒にピクニックに出かけ、山で一夜を明かす。「これからどうする?」と教授に聞かれたネネットは「私は村に帰り、教授は自宅に戻る」と答えたが・・・教授はネネットの実家に転がり込み、二人は美しい村を散歩したり、木陰でまどろんだりして、夢のような日々を過ごす。


 やがて、教授の取り巻きたちが教授を探しに来て、嫌がる教授を無理やり連れて行く。数ヵ月後、教授は婚約披露宴会場でネネットと再会し、彼女が自分の子供を宿していることを知る。教授はネネットの手を取って、披露宴会場へ連れて行く。驚く取り巻きたちが「大統領選を諦めたのか」と問い正すと、教授は「明日から選挙運動だ」と答える。
「ネネット、君の正式名は?」
「アントワネットよ」
「大統領夫人にふさわしい」

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『草の上の昼食』(その1) ~マイ・ベスト・ワン

2010-11-08 23:10:00 | 映画&ドラマ


   

『草の上の昼食』。ついに発売されたDVD(左)と公開当時のポスター(右)


 今から14年前の1996年に、『ジャン・ルノワール 映画のすべて』と銘打って、全36本の映画が京橋の【フィルムセンター】で上映されました。
 折しもその年、ニワトリさんはバブリーな不動産会社から零細設備会社に転職したばかりで、会社がフィルムセンターまで(ダッシュすれば)30秒という好位置にあったため、仕事が終わるとフィルムセンターに馳せ参じ、発熱して観るのを断念した『荒れ地』(29)以外の全ての作品を観ることができました。
 当時を振り返ると、設備会社の仕事は苛酷で苦痛以外のなにものでもなかったけれど、毎日上映される「映画のすべて」と引き換えにこの会社に入ったのだと思って(バブリー不動産も【フィルムセンター】まで徒歩10分の位置にありましたが、定時には帰れなかった・・・)、ルノワール以後も、ハワード・ホークスなど【フィルムセンター】で特集上映される映画をいそいそ見に行ったものです。

「いつも最後に観たルノワール作品が最高傑作だと思ってしまう」と、山田宏一さんが語っているように、毎晩「最高傑作」を見られる幸福はなにものにも換えがたく、映画を観終わると足取りも軽く東京駅まで歩き、オレンジ色の中央線に乗り込みました(『荒れ地』をあきらめて帰った夜などは、「まだ引き返せば間に合う」と、後ろ髪を引かれっぱなしだった)。家に着くのは、たいてい22時頃でした。
 どんなに疲れていても一日の終わりにルノワールを見ることで、(夕食も取らず開演時間まで並んでいたのに)ご馳走を食べたかのように気持ちが満たされ、映画の夢から覚めれば、5時には起床して寒さに震えながらまだガラガラの通勤電車で会社に向かわねばならない現実が待っていたのだけれど、そうしたことも全く苦になりませんでした。
 こうして約2ヶ月に渡って、幸福な生活が続いたのですが、『草の上の昼食』(59)を観たときの感動はひとしおでした。これほど幸福感に満たされた映画は他にありません。それ以後も「最高傑作」が上映され続けましたし、それ以後も何百本も好きな映画ができましたが、『草の上の昼食』が不動のベストワン映画になっています。

 ひとつ年をとるたびに愛おしさが増してゆく『草の上の昼食』。二十歳かそこらの頃に見たら、「なんだ、この馬鹿馬鹿しい物語は・・・」と、きっと素通りしていました。その意味では実に良いタイミングでこの作品を見ることができたと思うのですが、実は同じことがルノワール自身にもあてはまります。
 というのも、ルノワールは23年前の1936年に『ピクニック』という中篇を発表しているからです。言い換えれば、『草の上の昼食』は『ピクニック』のリメイクなのですが、『1959年のピクニック』にならずに、幼少時代に慣れ親しんだ明るい南仏を舞台に、より大らかで、あけすけな恋愛賛歌を詠ったことに共感を覚えました。瑞々しく、繊細かつ大胆で、そしてはかない恋を描いた1936年の『ピクニック』は、もし私が二十歳の頃に戻れば、『ゲームの規則』(39)と並んでベストワンになっていたでしょう。

 あれから14年・・・リマスタリングされてもまだフィルムの諧調を取り戻せていないDVDの『草の上の昼食』だったけれど、やはり素晴らしかった~~♪
 いつの間にか、自分自身が『草の上の昼食』のポール・ムーリッスに近い年齢になってしまったんだなあ~、としみじみ思ったのですが、しょぼくれてしまったわけではありません。彼が演じたアレクシス教授と同じように、飄々としていながらも実は田舎娘のネネット(カトリーヌ・ルーヴェル)にぞっこんになってしまっている自分を発見しました。14年前より、ネネットが愛おしく、めちゃくちゃ可愛い! 
 これって、年甲斐もなく色ボケしているのでしょうが、そうしたことすら許してくれる『草の上の昼食』がやっぱり大好きです。何しろ14年ぶりに、牧神=パンの奏でる横笛を聴いてしまったのですから、登場人物たちと同じように常軌を逸してしまったところで何の不思議もない、と言い訳できる?


ポール・ムーリッス&カトリーヌ・ルーヴェル


 昨日のメインデッシュはロールキャベツ。本格的な料理など作ったことのない自分が9人分の夕食を作るなんて・・・信じられませんが、やってやれないことはない?

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