『わ鐡』秋の旅 ~愛宕下

2009-11-27 13:07:30 | 鉄道紀行&乗り物


 足尾製錬所の川向かいは、銅山や精錬所で働く人々が暮らしていた愛宕下という地区になります。明治40(1907)年ごろから社宅が建てられ、案内板によると、昭和31(1959)年には181世帯819人を数えたが平成9(1997)年には13世帯24人まで減少した、と記されていました。それから11年経った今、人なつこいネコがいたから、わずかながらもここで暮らしている人がいるのでしょうが、少しでも増えていてくれれば・・・と思わずにはいられませんでした。向かいの山は急峻で、鉱毒事件がなくても、木々が生えるのは難しそう!


(左)天台宗龍蔵寺。旧松木村の無縁塔や鉱夫の墓などがある。
(右)旧松木村無縁塔。1901年に廃村になった松木村のために建てられた。煙害で枯れたはげ山のように石塔を積み重ねたのだろうか?




(左上)渡良瀬川を見おろす位置に地蔵尊が並んでいた。お地蔵さんが停留所でバスを待っている感じ・・・綺麗に手入れされている。
(右中)愛宕下社宅跡。数軒の社宅が取り壊されず当時のまま残っている。このあたりは火災が多く、延焼を防ぐためのカラミ煉瓦防火壁が多数造られた。カラミとは銅を精錬する際に出た不純物のことで、それを利用して耐火煉瓦を作っていた。真っ黒な防火壁だけが草地に点々と並んでいる風景の中に佇んでいると、数十年前までここで人々が暮らしていたことが想像できず、どこかの古代遺跡を見ているような気持ちになった。
(左下)この家屋も廃屋だと思うが、愛宕下社宅跡と違って人のぬくもりが感じられる。煙突から煙が立ち上ってきそうだ。