上野の国立西洋美術館で、9月30日~12月7日まで開催されている「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展」に行ってきました。
百聞は一見にしかず(ましてや、ニワトリさんのごたくなんぞ・・・)、まずは、公式HP「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」をお訪ねください。0系新幹線も明日が見納めですが(しつこいなあ・・・)、こちらのハンマースホイ展覧会も会期終了まであと8日・・・(この文章を書いている間に7日に減りました)。
展覧会の余韻が静かに残っている今(この余韻は相当続きそう)、HPをクリックして最初に飛びこんできたひと言は、非常に説得力があると思いました。書き写すと、
「日本でこれだけ一度にハンマースホイの作品を見れるのは今だけかもしれません。お急ぎください!!」
コロー展に続いて国立西洋美術館がまたまたやってくれました!
日本では殆ど知られていない19世紀末のデンマークを代表する画家=ヴィルヘルム・ハンマースホイは、その一貫したスタイルによりヨーロッパでは生前から高い評価を得ていたのですが、死後急速に忘れられてしまい美術史に埋没してしまったそうです(だから、日本で知られていないのも当然?)。
ですが、リルケはハンマースホイについてこう語りました。
「ハンマースホイは、急いで語らねばならないような芸術家ではない。彼の作品は長くゆっくりと語るべきであり、そして理解したいと思った時はいつでも、芸術の重要で本質的な事項について話す充分な機会となるであろう」
リルケの預言どおり、近年になって、パリのオルセー美術館や、NYのゲッテンハイム美術館などで回顧展が開催され、ハンブルグ美術館での展覧会では、開館以来最多の入場者数を記録したそうです。今回の「ハンマースホイ展」は、ロンドンのRAA(ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ)で先行開催され、大好評を博したそうですが、国立西洋美術館では、ロンドン展の出品作品に加えて計86点もの作品を集めており、その宣伝文句どおり、これ以上の作品を一度に見られる機会はもう二度とないでしょう。
ようやく作品を鑑賞することができ、先日の「コロー展」とは違った意味で「事件」となった「ハンマースホイ展」を、少しでも多くの人に知っていただけたら幸いです。
今、なぜ、コローやハンマースホイが琴線に触れるのか、これから来る冬の長い長い夜に考えたいと思います(来年の卓上カレンダーは、ハンマースホイ!にしました)。
《室内、ストランゲーゼ30番地》
ハンマースホイは、その作風から、北欧のフェルメール、神経症の画家、モノトーンの芸術家、静寂な人・・・と呼ばれています。彼の住まいだったストランゲーゼ30番地の部屋などは繰り返し繰り返し描かれていますが、写真を撮る際カメラのレンズを交換するように画角を変えて同じ部屋を描いています。あるときは広角レンズで引き、またあるときは中望遠レンズで対象を切り取る、さらに仰角と俯瞰を組み合わせ、完全に同じ構図になっても、差し込んでくる光の角度や強さ(季節によっても異なる)を変えるなど、写真を撮っているかのように、この部屋だけで実に多くの作品を描いています。
その一方で、決定的に写真と異なるのは、代表作の『室内ストランテーゼ30番地』(上写真)を見てもわかるのですが、中央のテーブルの脚の影がありえない方向に伸びている、モデルの女性(妻のイーダ)の黒いスカートが椅子と一体化している、右隅のピアノに後脚がないなど、フェルメールを思わせる写実的で静かな室内画を「あるようでありえない」不思議な空間に変えてしまっている点で、静かに想像力に訴えかけてきます。
数少ない肖像画の中には、写真を凌ぐほど写実的な絵(『イーダ・ハンマースホイの肖像』)もありますが、こうした例外的な絵を除けば、視線が一致しない、人物が背景と溶け込んでいる、大胆な省略があるなど、やはりどこか現実離れしていて、やがて絵の中の人物は鑑賞者から背を向けるようになっていきます。
室内画以外に好んで描いた景色も、殆どモノトーンで描かれているのですが、ここでも意図的な省略があったり、ロンドンの街のようにいつも霧に包まれているかの如く描かれています(ハンマースホイはパリやイタリアの街よりロンドンを好んだ)。ここでは人の姿が徹底的に排除されており、ついには室内からも?人が消えてしまいました。
《白い窓、あるいは開いた扉》
(扉が歪んでいるのはカンバスを伸ばした際に出来た皺)
ハンマースホイは、パースペクティブを変えながら同じモチーフを何度も描いている。微妙に異なる絵のどれもに惹きつけられてしまう。公式HPの【ハンマースホイの鍵穴】をクリックすれば、ストランテーゼ30番地の部屋を訪ねることができる(今も現地に残っています)。
《陽光習作》(左)と、《ゲントフテ湖、天気雨》(右)。モノトーンのグラデーション、光の描き方・・・写真を志す人や映画を撮りたい人は必見だと思う。
朝一で上野に行ったので、比較的空いている時間帯に鑑賞することができました。「音のない世界に包まれる心地よさ」を味わうには、雨の日の朝一番とか、とても寒い日の朝一番とかが狙い目ですが(昼頃になったらイモ洗い状態に・・・)、残り一週間ではそんなことも言っていられません。お隣の東京都美術館では「フェルメール展」が開催されていて、50分待ちの列ができていましたが、7点のフェルメールを長時間待たされた上で押すな押すなの人ごみから鑑賞するより、86点のハンマースホイを見た方がお得な気がします。ハンマースホイはフェルメールに通じる画家なので、フェルメールを好きな方の期待を裏切らないでしょう。
個人的には、窓枠・合わない視線、後姿から見たうなじ・・・といったモチーフや厳格な構図から、映画監督の小津安二郎との共通点が多く感じられました。小津的なうなじの美しさでは、西洋美術館の入口にかかっていた看板=《背を向けた若い女性のいる室内》が一押しでしょう。
扉の代わりに階段が出てきたら、いよいよ小津の映画に近づいていくところでしたが、扉への関心はヒッチコックがたびたび寄せています(他にも「扉」に並々ならぬ関心を寄せていた映画監督がいましたが、具体的に何の映画だったが、思い出せません)。
絵画と映画を比較するなんて、もっての他かもしれませんが、最後に、後ろ髪を引かれる想いで展示場を後にしたとき、アレクサンドル・ソクーロフの『静かなる一頁』を見たくなりました。
(二度見て、二度とも見事に寝てしまった思い出が・・・)
小春日和の不忍池と陽だまりにいた猫。鼻の傷がちょっと痛々しかったけど、元気に生きておくれ~!(上野には多くのノラが暮らしています)