「れば」と「たら」は極力考えないようにしている。起こってしまったことは変えられないからだ。
「風が吹けば桶屋が儲かる」の逆バージョンじゃないけど、もしもKawasakiからNinja250Rのリコールのお知らせが届いていなかったら、お金もなかったこともあり、土曜日の夕方、無償の部品交換をしてもらったついでに定期点検をすることはなかったし、したがって今朝バイクに乗って出かけることもなかった。
ここまでは間違いないので、「れば&たら」が成立しそうだ。しかしながら、リコールのお知らせと走行中に転倒したこととは何の因果関係もない。そう、ニワトリさんは転んでしまったのだ。
最近の生活は正直充実していた。夜勤のとき以外は早寝早起きができるようになった。仕事だけでなく家事もよくこなしている。今ではとは明らかに異なる生活のリズムができ始めていた。
色んな物を買いまくってきた自分が口にするのはおこがましい感じもするが、これからの生き方は少エネルギー&少消費に尽きると感じるようになった。福島のあの事故がきっかけだが、それ以前も漠然と考えていた。一年以上模索して、自分なりの生き方を実践しようと一歩踏み出した矢先につまづいた(転倒した)。
今朝4時に目が覚めた僕は、今日一日をどう過ごすか考えた。一つは涼しいうちに走りに行って朝ごはんまでに戻ってくるプラン。その後は、片付けの続きをしようと思った。もう一つはもう2時間寝て、ルーティーンワークを終えてから、西荻窪まで久しぶりに自転車で散歩に行くプラン。例によって城ヶ島に行くことも考えたが、このプランは最初に候補から落ちた。
涼しいうちに走りに行くことを選択し、ネコのトイレを綺麗にして、ちょっと早いけれど朝ごはんをあげた。飼い主が出かけることを察知したクルミさんは、部屋から部屋へ執拗に駆け回ってお出かけの邪魔をする。いつものことだから気にも留めずに部屋に追いこんで、黒目で見つめてくるネコを愛おしく思いながら、「大丈夫、8時までは戻ってくるから、いい子にしているんだよ」と声をかけて、部屋のドアを閉めた。
何となく後ろ髪をひかれるが、旅行に出かけるときや夜勤に出かけるときはいつもこんな調子だ。「猫が騒いだからバイクの乗るのをやめた」ことが一度だけあって、今朝も中止してればこんな痛い思いをしないで済んだのかもしれないが、バイクに乗る以上いつでも起こりうることがたまたま起こっただけのことだ。ゲンを担ぐのは勝手だが、因果関係は生じない。
五日市には5時に着いた。払沢の滝に寄ることも考えたが、8時までに戻ることに決めていたので、T字路を左折して奥多摩周遊道路&上野原方面に向かった。この時点で、ペースは落としている。峠道をぐんぐん飛ばす技術はなく、昔と違って飛ばすことにそれほど興味を覚えなくなった。周遊道路へは向かわず(ゲートが開くのは午前8時)、上野原への狭い道を駆けあがった。最初のカーブで、子犬がひょこひょこ道路を横切ったので驚いた。人家もないのに、なぜ子犬が?
自然と速度が落ちていく。一昨年にはハクビシンの綺麗な死骸を見かけたし、去年は猿に遭遇した。鹿が出てきてくれないか期待した。渓流のせせらぎに耳を傾けながら高度を上げていく。峠を越えて下り道になると、より慎重になった。そのうち村の中に入った。まだ5時半だが、こうした道では決して飛ばさない。
そのとき、何が起きたのかさっぱりわからなかった。前輪から足払いをかけられたように左側に転倒し、しこたま体を打った。間抜けなことに長袖を脱いでいたので、左ひじの先から手首にかけて綺麗に皮が擦り切れて赤い肉がむき出しになっている。ズボンの左側が大きく破け、膝の下あたりがヒリヒリする。同じような擦り傷だろう。だが、問題は左肩から左肋骨と背中にかけての痛みだった。変に捻ったのか、それとも肋骨が折れているのか、息もできない。斃れたバイクも気になった。自走して帰れるだろうか? こんなところで救急車を待つのはごめんだ。バイクの方は、カウルが傷つき、左ウインカーが吹っ飛んだ以外は大丈夫そうだったが、シフトべダルが大きく変形していた。ギアチェンジができるだろうか?
火事場の馬鹿力とはよく言ったもので、バイクを起こすことができた。シートにまたがると、下り坂を利用して押しがけしてみる。無事エンジンがかかったので、Uターンして引き返すことにした。ギアは3速に入っていたが、うまくやるとシフトチェンジできることがわかったので、だましだまし家まで連れ帰った。
確かに予定通り、7時15分に戻ってきた。朝食を食べると、府中のERへ向かった。芸能人のように格好良い男性医師(まだ20代だと思う)が診察してくれた。エコーとレントゲンでは内臓や肺が損傷している様子はないと言われ、ほっとした。骨も折れていない。ただ肋骨に関しては、骨折箇所が映らないことがあるらしい。
ひょっとした際に、背中の筋を違えたような激しい痛みが頭の先まで走る。腰を下ろすのも上げるのもひと苦労で、寝たり起きたりする際も激しい痛みを伴う。左腕は前後左右動かせるが、挙げることと伸ばすことができない。これらの痛みと比べれば、擦り傷など痛みのうちに入らない。傷口を消毒してもらい抗生物質を塗った。痛み止めをもらってERを後にした。
自宅からERまで歩いて往復したが、急な動きができないとなると仕事にならない。ことの次第を職場に連絡すると、とりあえず今週は自宅で休むよう言われた。ネコの手も借りたいのに、本当に申し訳ありません。
横になっているより坐っている方が楽なので、ブログを更新することにした。明日になると少し楽になるだろうか? 痛みが増す、と言う人の方が多い。痛いのは自分持ちだから仕方がない。重大事故を起こしてしまったら悔やんでも悔やみ切れないだろうが、この程度なら、起きてしまったことを後悔しても仕方がない、と自分に言い聞かせることができる。まずは、そのことに感謝しよう。
つい先日、四冊の本を購入した。自己啓発本は殆ど読まない自分がなぜか、「これらの本は大いに自分を啓発してくれそうだ」と思ったのだ。
その本とは、「禅が教えてくれる美しい人の所作の基本」、杉浦日向子さんが生前に発表した文章を抜粋した「粋に暮らす言葉」「憩う言葉」、そして坂口恭平さんの「独立国家のつくりかた」だ。人より早い(痛い)夏休み、時間だけはたっぷりあることだし、愛読書の「大局観」(将棋の羽生善治さんの本)と合わせて、じっくり読んでみたい。なかでも、ジョージ秋山の漫画「浮浪雲」の人生観にも似た日向子さんの言葉はいいですぞ~♪