左から、サンディ・ウェスト(Ds)、ジャッキー・フォックス(B)、シェリー・カーリー(Vo)、
リタ・フォード(G)、ジョーン・ジェット(G&Vo)。ガールズバンドの草分けだった。
「THE RUNAWAYS」のこのポスター(だったと思う)、自分も貼ってました・・・
ランナウェイズの映画ができる(あのダコちゃんがシェリー・カーリーに化けられるの?という一抹の不安があったけど・・・)という話を耳にしてから、この日が来るのを待っていました~♪
(この記事は、デビューアルバムの『THE RUNAWAYS』を聴きながら書いてます)
1981年、元ランナウェイズのジョーン・ジェット率いるブラックハーツが「アイ・ラヴ・ロックンロール」で全米ナンバー1の座に着いたとき、ランナウェイズの元ファン(ニワトリさん)はそれを我が事のように喜んだかというと、どうもそうではなく(ジョーン自身は「ランナウェイズにいたことを誇りに思っている」とインタビューに答えている)、「へぇ~、まだ彼女、活動していたんだ」程度の反応だった。日本で人気のあったベイ・シティ・ローラーズやノーランズがあっさり姿を消したように、ランナウェイズもすっかり忘れられてしまっていた。
だが、本当に彼女たちはその程度の存在でしかなかったのか? ジョーンの作曲力はかなりのものだったし、サンディのドラムもしっかりしていた。リタのギターは今で言えばオリアンティ級ではなかったか? そしてシェリーのボーカルも・・・。
ランナウェイズが色物扱いされてしまったのは、篠山紀信さんの「激写」によるところなんだろうけど、映画公開で火が再燃したのか、彼女(自分はよく覚えていないが、「激写」されたのはシェリーだけではなかったと思う)が写っている別冊GORO(当時はエロ本扱いだった。懐かしい~!)の取引価格がうなぎのぼりに上がっているらしい。確かに今一度確認してみたい気もする・・・。
結論から言えば、本当のロックをやりたいという女の子(ジョーン・ジェットがドラムのサンディ・ウェストとクループを結成したのは15歳のときだ)を、プロデューサーのキム・フォーリーを始めとする大人たちが金儲けに利用した。もちろん、彼らのプロデュースがなければデビューはおぼつかなかっただろうし、彼女たちもまた単なる操り人形ではなかった。ジョーンは「音楽(ロック)がなかったら、死ぬか刑務所に行っていた」と映画でも語っている。イコール生きることだった。
今も昔も、日本はこの手の商売にはうってつけの国で(エアロミスにクィーンに、KISSやチープトリック、そしてポリスなど、日本で人気爆発したミュージシャンが結構いる)、ランナウェイズは来日する前から不動の人気グループになっていた(今も、AKB48、KARA、少女時代といったアイドルグループが同じ手法でつくられる)。
1977年に待望の来日を果たすと、彼女たちはテレビに出まくった。今も残るランナウェイズの映像は殆どが日本で撮られたものだ。夜のヒットスタジオ、銀座NOW、そしてNHKのレッツゴー・ヤング(レッツゴー・ミュージック?)にも出演した。さすがにNHKはシェリーの下半身こそ映さなかったが、コルセット姿が公共の電波で流れたのだから・・・(快挙でしょう)。音楽専門誌よりも『明星』『平凡』といったアイドル芸能誌の取材を受けるのは気が進まなかったかもしれないが、全米ツアーの辛さ(チープトリックやラモーンズの前座を務めながら腕を磨いていった)と比べれば、日本ツアーは天国同然だったに違いない(今もジョーン・ジェットはロック・フェスなどで来日してくれる)。
ランナウェイズはサンディとジョーン(左の二人)が作ったバンドだ。中央のリタが17歳で他の4人は16歳!
成り切る映画の面々。クリステンはジョーンに激似。殆ど台詞のないリタも良く似ている。
サンディは線が細い。ダコちゃんは・・・子役時代の彼女のファンは唖然としたかも?
残念ながらジャッキーの協力を得られなかったらしく、彼女が登場しないのが残念。
ところで、シェリー・カーリーはいつも下着姿(コルセットに黒のパンティそしてガーターベルト)で歌っていたわけではない。残っている映像が「チェリー・ボム(当時は「チェリー・ボンム」と表記され、ボーカルのシェリーも、チェリーと間違って呼ばれていた)ばかりなのでそのような印象を与えるが、下着コスチュームで歌うのは「チェリー・ボム」だけで、通常は銀のジャンプスーツで歌った。コンサート中に何回か衣装を変えていたらしい。
確かに彼女の姿は悩ましかったけれど、彼女ばかり追いかけていたのはマスコミで、それぞれにファンがついていた。垂れ目が可愛いジャッキー・フォックスも人気があったし(彼女は来日中に突然帰国し、そのまま脱退してしまう)、個人的には胸の薄かったシェリーより、Vゾーンの大きく開いたジャケットで豊かな胸を強調していたリタ・フォード姐さん(といってもまだハタチ前だけど)のギターになりたい(シェリーの露骨なマイクの使い方にどうしても目が行くようだが、リタもかなり悩ましくギターを弾いてた)と思ったほど・・・。「チェリー・ボム」を歌うときのシェリーを除けば、リタはもっとも露出度が高く、巨乳&豊尻に加えて二の腕の逞しさに、ホットパンツからのぞく太ももなどかなりのインパクトがあった。
(リアルタイムでは見られなかったけれど、池玲子 vs 杉本美樹でも同じ理由で池派になる・・・)
ジョーンといえば黒の革ジャンが定番だけど、ランナウェイズ時代の彼女のステージ衣装は、シェリーの銀に対して赤のジャンプスーツ。ジョーンとドラムのサンディ・ウェストは硬派な感じだったが、ストイックなジョーンに対してサンディは親しみやすかった。
『LIVE IN JAPAN』のアルバム
開くとこのとおり・・・全身が現れる。紙ジャケ仕様のCDも発売されたとか
冒頭に戻って、ジョーンが全米1に輝いた頃、ニワトリさんはランナウェイズのことなど綺麗さっぱり忘れていて、ブロンディのデボラ・ハリーやパット・ベネターに夢中になっていたのだが、二十一世紀になってようやく、色物扱いされていた彼女たちの音楽が実はかなり良かったことに気づき(演奏自体は大したことがなくても)、CDを買い直し始めた(今となっては、処分してしまったLPを返して~と叫びたい)。
ロックをやるのは男で女はグルーピーだった時代・・・ドラムのサンディ・ウェストがロジャー・テイラー、リードギターのリタ・フォードがリッチー・ブラックモア(一時はつきあっていたらしい)、ギター&ヴォーカルのジョーン・ジェットがスージー・クアトロ、ベースのジャッキー・フォックスがジーン・シモンズ、そしてヴォーカルのシェリー・カーリーがデヴィット・ボウイに憧れ、百鬼夜行の業界に10代のエネルギーで飛び込み、がむしゃらに駆け抜けていった・・・それが真実だろう(2006年、サンディが癌で他界した)。
映画『ランナウェイズ』は、シェリー・カーリーの自伝をジョーン・ジェットが監修する形で完成された。次回で映画の内容について述べるけれど、映画の出来など自分にとってはどうでもいい話だ。作られただけで満足している。セックスもドラッグもロックンロールもない今の時代の、無菌室で培養された歌手&グループしか知らない人々には、違う意味でどうでもいいお話かもしれない。
実をいうと、6年前の2004年に『EDGEPLAY』というセミドキュメンタリー映画が発表されている。発売と同時に視聴したのだが、英語がわからなかったこともあって内容を殆ど覚えていない。確か、映画のように昇華されていない生々しい話が多くて、だから忘れてしまいたかったのかもしれない。棚を見たら処分せずにちゃんと置いてあった・・・。映画を見たことだし、もう一度『EDGEPLAY』を見てみようと思う。(次回に続く)
持っていたことも忘れていた『EDGEPLAY』。近いうちに見直すつもり