コウノトリ、飛んだ! ~祝巣立ち

2007-07-31 23:58:55 | 自然&いきもの+ゾウのはな子



 
 10日ほど前からはばたきの練習を始め、巣の上でしきりにジャンプを繰り返していたコウノトリのヒナが、7月31日の14時16分に巣立ちました。その瞬間の映像がニュースでも流れましたが、ヒナにつられて、こちらも身を乗り出し、伸びをする感じで・・・一緒に初飛行を楽しみました。「わあ~、よかったね~」

 兵庫県立コウノトリの郷公園のHPにヒナの成長の様子がずっとUPされていて、
   → こちらをクリック
巣立ちが近くなった今月下旬あたりから、帰宅後パソコンを起動しては真っ先にここを訪ねるほど、楽しみになっていたのですが、ここ数日は「まだ巣立たないのかなあ?」と、やきもきしていました。
 三日前は巣から真上に3m!もジャンプしたのに巣立たなかったヒナですが、この日軽くジャンプしたかと思うと、すっとバンクして向きを変え、風に乗る感じで飛んでいきました。待望の瞬間は、そんな風に意外とあっけなく訪れたのですが、翼を広げて田んぼの上空を舞うヒナから、「どうだい、見て見て!」と、誇らしげな声が聞こえてきそう。目の前で見たら、とても感動的だっただろうな~。初めて地面に降り立ってからは、元気に親鳥と採餌しているそうです。よかったよかった。

 百合地人工巣塔でヒナを見守っていた人々も、大変ご苦労様でした。来年またヒナが誕生して、この先コウノトリが増えていくと素晴らしいですね。さあ、次は、佐渡のトキの番だ! 交通事故で命を落とすヤンバルクイナも、何とかならないものだろうか?


 明日こそ、国分寺の記事を・・・ なさい。


武蔵国分寺(地元)をゆく ~その1

2007-07-30 23:52:39 | 日常&時間の旅




偶然目の前を通りかかって急停車。展示物を見に行った。
五日間の講習を受ければ、誰もが遺跡発掘に参加できる!
(奇しくも父が申し込んでました・・・)


 予告編に従い?7月28日(土)午前11時、七重塔復元模型のある国分寺市役所を起点に武蔵国分寺巡りの旅(とは大げさな・・・)の始まりです。まずは、西国分寺駅へ。府中街道を下れば簡単に着くのですが、それでは面白くないので、武蔵野台地の谷底を走る中央線(これも大げさな言い回しだけど)を見下ろしながら、舗装されていない土の小道を線路沿いに進み、道が途切れたところにある橋を渡って中央線を跨ぎ、西国分寺駅南口に出ました。


     

(左)八世紀半ばに建てられた高さ60mの七重塔を頭に描きながらスタート。
(右)線路を目指して自転車を走らすと、片手持ちの可愛い鉄塔が・・・東京都とは思えないのどかな光景。それにしても、暑い。これって梅雨明けでは?


     

 駅前には高層マンションや集合住宅が建ち並んでいますが、このあたりは掘れば何かが出てくる場所で、工事着工前には必ず発掘調査が行われていました。そのせいで、団地の中を横切る静かな通りも「史蹟通り」と呼んでいるのかな? 尼寺跡に向かう坂道(昔から裏道に使われていて、すれ違いもやっとなのに交通量が多い)の入口にも小さな彫刻が・・・今日初めて気がつきました。


    

 童女が案内してくれる〈むさしだいこみち〉を下ると、国分尼寺跡に出ます。左の写真の道標に従って林の中を歩いていっても(台鎌倉街道)西国分寺駅に戻れます。林の中は車も来ないし気持ちがいい~! 写真だと、やたら自然が豊かな印象ですが、実際はほんのわずかの空間で、初めてここを訪れたら、がっかりしてしまうかもしれません。でも、東京都に自然と歴史が残っていることがうれしい・・・


                   



(左)国分尼寺。中門のあたりから金堂(緑の台地の部分)を望む。
(右)尼僧たちが暮らしていた尼坊跡。聖武天皇の詔に従い、ここ武蔵国に、国分寺と国分尼寺が建設された。今でいえば、大学院と県庁を兼ねた存在だった?




                   

 尼坊跡の裏の公園では、お母さんと小学生の娘と小さな弟がピクニックを楽しんでいました。炎天下に立つと肌がじりじり焼かれ、たちまち汗が噴き出してくるけど、木陰は気持ちのいい風も吹いて、昼寝に最高~。一歩林の中(台鎌倉街道)に足を踏み入れれば、体感温度はさらに下がります。クーラー要らず。
 そして、遺跡を横切っていく武蔵野線。マイナーだけど雄大な弧を描き、武蔵野の台地に相応しい環状線だと思います。
(武蔵野線経由で東京駅に行くほど「テツ」じゃないけど)
 武蔵野線は、西国分寺の次駅になる府中本町が終点だと思われているけど、実はその先もあって、貨物列車が走っているんだって!
(ずっと地下を走るのも秘密基地的)
 遺跡と鉄道って、意外といいじゃん。そういえばびわちゃさんも平城京の朱雀門と近鉄車両のペア写真を撮っていたっけ(こっちはド田舎の武蔵国だけど)・・・




                   

 武蔵野線の高架をくぐって府中街道を渡ると武蔵国分寺跡に出るのですが、その途中で冒頭の展示室を発見。当たり前の話だけど水のあるところに人の暮らしあり。縄文時代まで人々の暮らしを遡ることができます。


 本日最後の写真は、武蔵国分寺の七重塔跡。是非とも本物を再建してほしい。道路を挟んでこちら側は、今も発掘調査中のため、あちらこちらにブルーシートがかかっているなど、尼寺のように整備されておらず、国分寺跡は毎年この時期になると、草のいきれが強烈な「夏草や~夢のあと」と化します。子供がショウリョウバッタを追いかけていました。国分寺は、分倍河原の戦いで完全に焼失したらしい。
(ということは、新田義貞が?)

 「鉄子の旅」ならぬ「トシ子の旅」は、明日に続きます。数時間の出来事をひっぱるなって・・・


選挙速報 

2007-07-29 23:35:44 | お知らせ&お願い&ご挨拶


  猛烈な雷雨の中を帰宅すると、選挙速報が流れていた。自民大敗!
私は特定の政党を支持するものではありませんが、今回の参議院選挙における政見放送では、香山リカさんと福島瑞穂さんの対談形式になっていた社民党の政見放送が非常にわかりやすかったと思います。

  これほど楽しい選挙になったのは、今は懐かしい非自民政権が誕生した平成5年(1993)の衆議院選挙以来です。「国分寺」の記事は、明日に延期させていただきます。申し訳ございません。
(一日中バルブ操作をしながら下書きしてたので、明日UPできると思うんだ・・・)


やっぱり「国分寺」だべ! ~ 万葉植物園からお鷹の道を歩く(予告)

2007-07-28 20:50:35 | 日常&時間の旅


名水百選にも選ばれた国分寺の湧水


今日の土曜日は休むことができて、その代わり明日は出勤です。朝からきっぱりました。に乗って市役所で事前投票を済ませた後、久しぶりに近所をしました(途中、例によってとなり、な結果に・・・)。夜はごろごろと、感じで寝過ごしました。日付が変わっちゃった!そろそろ起きてブログを書こう~


          

 国分寺市役所正面玄関前にある七重塔の十分の一模型。武蔵国分寺は全国に建てられた国分寺の中でも最大級の規模を誇ったそうです。建立の詔を出したのは聖武天皇(日本史、覚えてますか?)。高さ60mの七重塔を復元しようという運動もあるらしいのですが、その前にこの庁舎を建て直さなければならなくなってしまいました・・・自分が子供の頃から今の庁舎なんだけど、このたび耐震強度不足が判明して・・・どうなる国分寺市?

 
 ごめんなさい、今日はここまで。残りは日曜日に(って、もう今日ですが)帰ってきてから書きます・・・


朝の楽しみ

2007-07-26 23:55:55 | 自然&いきもの+ゾウのはな子



 その猫に初めて会ったのは確か先々週だったか、忘れた頃に細かい雨を肌に感じる程度に小雨まじりの朝だった。場所は京橋にある会社近くのコインパーキングのアスファルトの上。
 自分は以前、不動産業に携わっていた。このあたりの土地は東京駅の目の前にありながら、細い路地が入り組んでいて、トタン屋根の二階建ての家や小さな雑居ビルが立ち並んでいて、バブル期にはさかんに地上げが行われた。バブルがはじけて地上げもストップ、ところどころ更地になった土地は雑草たちのオアシスと化したが(これにより、都会のミツバチが一時増えたという)、近年になって再開発のかけ声がかかり、雑草たちの天下だった空き地に、いつの間にか新しいビルが建っていった。違法駐車の取締りが厳しくなることを見計らって、ほんのわずかの空間もコインパーキングのアスファルトへと変わっていった(ミツバチは激減したそうだ)。そこに現われた一匹の猫・・・

 仔猫と呼ぶには大きくなりすぎていたが、生まれて半年ぐらいだと思う。まだ子供だ。声をかけたら、人間に苛められたことがないのか、寂しがり屋なのか、甘えん坊なのか、さほど警戒せずにこちらに近づいてきた。喉をごろごろ鳴らしながら、足の間に何度か体をこすりつけると、そのまま足元で丸くなった。そろそろ行かなくちゃと、立ち上がったら、後を追っかけてくる。後ろ髪を引かれた。
「あら、ここにいたんだ」
 私も猫も声のする方向に振り返った。近所に住んでいる年配の女性だった。猫の食事を持って来ていた。
「よかったね、この人に可愛がってもらっていたの」
 猫に話しかけた後、彼女は自分に向かって話しかけてきた。
「もうこの子しかいなくなっちゃったから、一人ぼっちで可愛そうなんだ」
「全然、人を警戒しないんですね」
「甘えん坊なのよ。本当はこんなところ(餌をあげてるところ)を見られたら、大変なんだ。このあたりもうるさくてね~」

 次の日は見かけなかったが、その翌日いつもの場所に通りかかると、いたいた、パーキングに停車している車の下にもぐりこんで、鳩を狙っている。毎朝この時間はここで過ごすホームレスが、この日久しぶりに鳩にパンくずをあげていて、猫は餌を夢中でついばんでいる鳩をこっそり狙っていたのだけれど、どうやら鳩の方も猫に気がついているみたいで、チラチラと様子を伺いながら余裕の表情を浮かべている。
「これこれ、無駄なことはやめなさい」
 屈みこんで猫に声をかけた。
 自分を覚えていたのか、単に人なつこいのか、猫は「鳩狩り」を中止し、車の下から出てきて、喉をごろごろ鳴らしながら足元にまとわりついた。

 昼間はどこで過ごしているのだろう。姿を見たことがない。そのうち、朝の挨拶が楽しみになってしまった。この記事を書き出した24日の朝などは、猫は駐車場にお座りしていて、自分に気がつくと立ち上がって、足元に転がった。餌をあげているわけじゃないのに、こんなになついてくれるなんて、可愛くて仕方がない。連れて帰ろうかと半分本気で考え、試しに抱いてみたら、特に嫌がる様子は見せなかった。
 ここ三日間ほどはトラブル続きで、猫に会っていない。明日も現場直行だ。情が移り過ぎて要らぬお節介を焼かないように・・・ということなのだろうか?




                   

(左)バックにもたれかかってリラックスムード。10分ぐらいゴロゴロしていた。
(右)もう行かなくちゃ・・・そっと立ち上がって、こっそり。
 


一年経ちました ~ 『きらり』に夢中になっていた頃

2007-07-25 22:30:30 | 連続テレビ小説




一年前、こんな感じで机に向かっていた?


 7月25日、深夜の2時にたたき起こされてタクシーで現場に向かった。現場を後にしたのが、午後1時。明日は早朝から作業が待っている。本当だったら、今日やるはずだったことだ。少しでも体を休めておこうと全員引き上げたが、かなり凹んでしまった。本当に嫌な一日だった。外回りの山手線に乗って新宿に出て真っ直ぐ帰宅して睡眠を取る手もあったが、このまま帰宅したところで今日の出来事を引きずるだけだろう。反対方向の内回りに乗って有楽町駅で降りた。昨日寝る前に書きかけていた記事に登場する野良猫に会いたくなったのだ。昼間はそこにいないことはわかっていたが、万が一でも会えたらいいなと思った。
 猫はいなかった。まあ、そうだろう。速やかに、次の目的地の八重洲ブックセンターに向かった。地下一階で鉄道関係の書籍を見ていたら、『鉄子の旅 3』のコミックを見つけた。ブックセンターは文庫本以外の漫画を置かないのだが、『鉄子の旅』は鉄道本として認知されているのだろう。9月にはアニメ版のDVDも発売される。
 ページをめくると、この間自分が乗った〈鶴見線〉の乗車記(それも全駅下車)があったので、そのまま立ち読みする。面白かった。でも、なんで第3巻しかないんだろう? 
 第1巻から読みたかったので、手ぶらのままブックセンターを後にする。漫画本の充実している本屋まで行こうかと思ったが、さすがに疲れを感じたので、東京駅の中央線プラットホームに向かった。
 旧型の201系(もちろんオレンジ色の)特別快速に乗り、国分寺で各駅停車に乗り換える。シートに座るなり眠気が訪れた。ハッと目を覚ますと新宿駅だった。よく寝た感じなのにまだ新宿か・・・何となく得した気持ちで再び眠りにつく。三鷹&国分寺駅で奇跡的に目を覚ましたので、無事各駅停車に乗り換えることができた。
 南口に下りて本屋に寄った。もしかしたら『鉄子の旅』が置いてあるかもしれない。だめもとでコミック欄を探すと、1~6巻まで平積みされていた。東京駅構内の本屋には影も形もなかったので、地元で全巻揃うとは思わなかった。とりあえず3巻まで買って、ぼちぼち読み始めた。何も凹んでいるときに読まなくてもよさそうだが、丁寧に読んでいくと気がまぎれて非常に助かった。

 そういえば、去年のこの時期も大変忙しかった。にもかかわらず、『純情きらり』に夢中になってしまい、一年前の今日、ブログを始めてしまった。
(背中を押してくれたびわちゃさん、ありがとう~)
 最後の方はかなり辛口の感想になってしまったが、あんなに忙しかったのにもかかわらず毎日毎日記事を書いた(内容はさておき・・・)。
 よくもあんな無茶ができたものだと我ながら感心するが、『純情きらり』を見て感想を書くことが「遊び」=ストレス発散になっていたのだろう。機械も人間も「遊び」がないと壊れてしまう。『純情きらり』があってくれたおかげで、去年の夏を無事乗り越えられたのだと思う。ありがとう、きらり!

 今夜は『鉄子の旅』を読みながら寝よう~と♪

 おや?絵文字がいきなり倍以上増えてる! 今日の凹みを絵文字にすると、やはりでしょう。もいいかも? 

この夏、面白そうな映画 ~ 予告編とチラシから

2007-07-23 23:54:08 | 映画&ドラマ



 全く、最近の映画館は、いよいよ予告編を上映する時間が長くなった・・・次回はこの作品を見ようという気にさせてくれる予告編が多ければいいのだけど、苦手な「泣き」映画の予告編が延々続いたりすると、うんざりさせられるばかりか、トビー・フーパーが『テキサス・チェーンソー ~悪魔のいけにえ』(74)を作ったときのように、チェーンソーが恋しくなる。
 『それでも生きる子供たちへ』の上映前に30分?近くも予告編を見せられた。「折っても折ってもポキン金太郎」飴みたいに、いったいいつまで続くのだろうと途方にくれたが、面白そうな作品ばかりだったのは不幸中の幸いだった。ところが、あまりの数の多さにニワトリ脳がパンクしてしまい、何を見たいと思ったのか、さっぱり思い出せない。これでは殆ど意味がないので、上映後に館内のチラシと記憶を照らし合わせて、これは!と思ったものを並べてみた。


 本谷有希子原作の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』は現在上映中なので、ご覧になった方もいるかもしれない。これって、最近の日本映画に言ってるのかしら?とまで勘ぐったのだけど、エゴ丸出し自意識過剰な勘違いヒロインを演じたサトエリが(予告編の範囲内では)最高に素晴らしい。実はサトエリって、かなり苦手な人だったんだけど、ぶち切れ度が半端じゃなくて、それが例の「破局」にあったのだとすると、芸の肥やしにしたというか元は十分取れたと思う。はじけた姉に虐げられながらも、その姉をヒロインにホラー漫画を描く妹を演じた佐津川愛美と、肩身の狭い?兄嫁を演じた永作博美と、女性三人が素晴らしいコラボーレーションを見せてくれる。カンヌにも出品したらしいが、天才といわれている二人の映画よりもこちらを見たい!


 『めがね』というよくわからない題名の映画は、小林聡美&もたいまさこ&市川実日子に(ゲストとして)薬師丸ひろ子が出演しているだけ!で「買い」でしょう。『かもめ食堂』のスタッフとキャストが、今度は南の島に行った・・・わけありの聡美さんの表情を見ているだけで(ああ、この人は理想的な年のとり方をしていて、すごく魅力的だ)満足できそうな作品で、この夏、私みたいにどこにも行かれない人には絶対お勧めしたくなる予告編でした(公開は秋?)。『硫黄島からの手紙』でも印象的だった加瀬亮君も出てますよ~


 夏休み映画なら、これしかない! 『天然コケッコー』(  ニワトリ故?コケコッコーと書いたら、「お兄ちゃん、それは違う」と上の妹に指摘されました。ふさこ先生ごめんなさい  )は、くらもちふさこさんの名作コミックを『リンダ リンダ リンダ』の山下敦弘が、『ジョゼと虎と魚たち』の脚本家の渡辺あやとタッグを組んで完全映画化に成功? 撮影は、夏から秋にかけて島根県の浜田市で行われ、山や風や虫なども一役買っている。予告編だけでその気になってしまいましたが、私のように夏休みがない大人には、最高の贈り物になるかもしれません。


 『ブラインドサイト ~小さな登山者たち~』は、チベットに住む盲目の子供たち6人が全盲の登山家エリック・ヴァイエンナイヤーと共に標高7000メートルのラクパリ(エベレストの北側にある)を目指すという、とんでもないドキュメンタリー映画。先日、盲目の子供たちの撮った写真に驚かされたばかりだが、人間って凄い・・・夏バテも吹っ飛ぶ作品。

  この日の予告編で気になった映画はこんなところかな? そうそう、東京都知事が製作した特攻映画とは一味も二味も違う二作品も、後日紹介しましょう!


『昭和の鉄道模型をつくる』第1回 ~ NEWカテゴリー登場?

2007-07-22 23:56:50 | 模型&おもちゃ




 7月19日、帰りがけに本屋さんに寄って、週刊『昭和の鉄道模型をつくる』を手に取るや、やっぱり買ってしまいました。HPを見ても、およそのところはわかるけど、10週までにレールと駅舎が、20週までにレイアウトのパネルボードとトンネル並びに駅舎周りの喫茶店などが、25週購読した時点でTOMIXのコントローラーが(申し込み葉書で応募)、40週までに町並みが、残る10週で草木や人々&背景などが揃って、めでたく完成します。継続は力なり!
 好奇心は旺盛ながら持続性に欠けるニワトリだけに(中学生の頃、通信アマチュア無線講座や通信空手講座を申し込んで見事に挫折・・・空手は子供心にもインチキくさかったが、一応何種類かの型を習得できることになっていた)、ブログの中で製作過程を記事にすれば、途中で投げ出したりしないだろう、と思い立ちました。うんうん、何と素晴らしいアイデアではありませんか~

 第1週第1号のパーツは、モ1031と名付けられた茶色の車両。昭和20~30年代をイメージした架空の車両です。実車をモデルにすると、著作権やら各人の好みやら、難しい問題が発生した? 個人的には、昔の南武線に似ていて親しみが持てますが・・・(高校時代まで濃い小豆色の南武線が、まだ走っていた)
 後から好みの車両(Nゲージ)を走らせればいいと思ったのですが、「本誌付属のレールはカーブ半径が小さいので、本誌付属のモ1031と、一部の小型車両しか走行できない」旨の但し書きがありました。とっかえひっかえができないってこと? 
 大変残念ですが、連結させず1両だけを走らせるなら可能かもしれないと、思い直しました。のちのち試してみることにしましょう。
 
 この雑誌には、模型組立(今回は作業なし)以外に「駅ものがたり」「昭和レトロ列車で、なつかし紀行」「名車図鑑」「TETUMO(鉄模)の達人を訪ねて」「鉄道廃線跡をたどる」といった記事が掲載されることになっていて、「なつかし紀行」の第1弾は、先日私も訪れた【茨城交通湊線】でした。達人には『趣味悠々』で講師を務めた諸星さんも登場する予定! さらに「昭和の情景」として、第1回では、街頭テレビと力道山、人物=井深大、思い出エンタメ=ゴジラ、ヒット商品=自動式電気炊飯器を取り上げています。

「絶対見ておいたほうがいいよ」と言われて、『クレヨンしんちゃん ~嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(01)を見た際に、「ああ自分は、この映画に出てきたイエスタデイ・ワンスモアと全く同じなんだ」と、この敵役に強い連帯感を感じました。
 70年代が本当に素晴らしい時代だったとは思いません。幼な心に最初のトラウマ映画となった『ゴジラ対ヘドラ』(72)の公害怪獣ヘドラのように、公害が深刻な社会問題になっていたし、交通戦争とか受験戦争といった言葉もよく耳にしました。ベトナム戦争が終わると共に学生運動や社会運動も終息し(ロックは商品化され、フォークはニューミュージックに変わった)、その一方で東西冷戦は激しさを増し、「温暖化」ならぬ「核の冬」という言葉が当たり前に使われた時代でした。
 そうした社会情勢の中で、我々は三無主義(無関心無気力無責任or無感動)とか、しらけ世代などと呼ばれたものです。
(70年代が終わると同時に、『機動戦士ガンダム』から〈ニュータイプ〉という概念が生まれ、それとはかなり異なるけど、いわゆる新人類が80年代に出現してきますが、私がかろうじてついていけるのが、このファースト・ガンダムでした)

 未来はバラ色ではないことがはっきりわかった70年代なのに、この時期に多感な小学~高校生活を送ったせいか、一番好きなものがこの時代に集中しています。映画も音楽も読書も、憧れた車やバイクや女性も、リアルタイムに好きになるか、70年代に体験した古い時代の物事だし、プラモデル作りと天体観測など趣味の分野や遊びも、全て70年代に遡ります。
 不思議なことに、鉄道への思い入れだけが全くなく、強いていれば、中央線は絶対オレンジ色の鉄車両でなければならない程度でした。『耳にすませば』で、なぜ京王線の5000系が選ばれたのかも、つい先日買った『大手私鉄懐かしの名車両を訪ねる旅』を読んで、初めて理解したくらいです。
(後記=5000系は四国の琴平電鉄で健在です。今朝、富士急行線でも運用されていることを知りました!)
 ところが、自分にも「テツ」成分があったことが判明し、その原動力となっているのが、70年代に見たことのある車両に対する郷愁というか、記憶の片隅に残っていた名車に対する「もう一度あの車両に乗れたらなあ」という気持ちであることがわかりました。そしてその車両が「本物のタイムマシン」であることもわかってしまいました。銚子電鉄の旧銀座線車両に乗った際に感じた幸福感が正にそれで、その間自分は昭和41年の銀座線にも乗っていたのです。
 この本を読んで、自分の乗りたい鉄道が明確になりました。旧型車両と路面電車が今も走っている路線です。殆ど絶滅した夜行列車に揺られて彼らに乗りに行けるなんて! 楽しみがまた一つ増えました。

 『テツはこう乗る』も、興味深い本でした。テツには「乗りテツ」「撮りテツ」「収集テツ」「模型テツ」の四種類に大別されるそうですが、これら全ての病気に罹りつつあることを自覚しつつ、このへんでまとめに入らせてもらうと、このカテゴリーでは、模型を作ると共に(『趣味悠々~ようこそ鉄道模型の世界で』も再放送されますが、市販のNゲージ用小物を使ってみたり、工夫できたらいいな)、昭和(特に70年代)への想いも添えていくつもりです。




 第2号の発売は8月2日。いよいよ工作開始?


皆元気に・・・ ~ 空飛ぶぺンギン?カンムリウミスズメに感動!

2007-07-20 23:49:29 | 自然&いきもの+ゾウのはな子


                   



 国立駅南口改札付近の〈七転び八起きツバメ〉に可愛いヒナも誕生しました。
(上)16日の朝まではちゃんと巣に入っていたのに、
(下)その日の夕方3羽全員が巣から落ちてしまい、ヒナたちは体を寄せ合って発泡スチロールの上で一晩過ごしました。親鳥2羽はのん気に巣で寝ています・・・こちらの方が広くて快適だったのか?20日に巣立った模様。


 毎日毎日あわただしく(あるいは漫然と)過ごしている間にも、生き物は成長していく・・・コウノトリのヒナは親鳥と同じくらい大きくなり、巣立ちに向けて羽ばたきの練習をしています。 生まれたときは「ちゃんと育つのだろうか?」という不安でいっぱいでしたが、どうやら無事巣立ちそうですね。よかったよかった!

 巣立ちといえば、先週15日の日曜日の『ダーウィンが来た!』に登場したカンムリウミスズメという世にも珍しい海鳥のヒナは、何とまあ、生まれた翌日の真夜中に、崖から海へと巣立ちます。私も初めて名前を聞いたのですが、カンムリウミスズメはアホウドリと同じくらい数が少なく、絶滅の恐れもある海鳥で、卵を温めるために一ヶ月陸に上がる以外は、一生を海の上で過ごします。ペンギンと同じような、水の中を飛ぶ(断じて「泳ぐ」ではない)のに適した水滴型の体型が大変可愛らしい鳥です。
 カンムリウミスズメは、翼が短いせいで飛ぶのは大の苦手と来ていますが、もしかしたら飛び魚にも負けるかもしれません。それでも、繁殖期には天敵(イタチや猫など。人間も!)のいない断崖絶壁に囲まれた枇榔島(ビロウジマ。宮崎県)に上陸するため懸命に羽ばたき、めでたく上陸に成功すると、よろよろ(飛ぶだけでなく歩くのも苦手)崖を上っていきます。
 カンムリウミスズメは決まって卵を二個産むのですが(親鳥は交代で卵を暖める)、ヒナが孵化するや、夜中に巣を出て崖から海に飛び込みます。ヒナは遥か下の海面から聞こえてくる親鳥の声だけを頼りに、崖から必死の思いでジャンプ、ハンプティ・ダンプティのように跳ねながら断崖を転げ落ちていきます。ヒナの体重はわずが15gしかなく、体全体がクッション代わりの羽毛で丸く覆われているので、落下の衝撃には耐えられるのですが、自力では這い上がることのできない岩と岩の隙間に落ちてしまったり、待ち伏せしていた蟹に襲われる!など、危険と隣り合わせの決死行に、ヒナの中には命を落としてしまうケースも・・・親鳥は一晩中海の上で2羽のヒナを待ちますが、隼やカラスが活動を始める時刻には、安全な外海に出ていなければならず、タイムリミットが刻々と迫ってくるばかりか、嵐もやってきた! 果たしてカンムリウミスズメの親子は、海の上で再会できるのでしょうか? 本邦初公開の、貴重で感動的な映像でした。
(再放送を録画できたのに、気づくのが遅すぎた・・・)
 『絶壁落下!ヒナの大冒険』の公式記事&写真は、 → ここをクリック



     

 これも自然の不思議というか、どうしてこんな風に「直角」に曲がることにしたのか、訊ねてみたい我が家の時計草。花は綺麗なんだけど、恐るべき生命力の持ち主で、三年間で二階のベランダを半分占領した・・・(手前の梅もずいぶん大きくなったね)




                   

 紫陽花に変わって、しばらく主役を務めていたアガパンサスと合歓の花。最初は小さかったのに、こんなに立派に・・・合歓の木は鉢から地面に移し変えました。十年後には巨木になってる?


『それでも生きる子供たちへ』 ~ All the Invisible Children

2007-07-18 23:35:21 | 映画&ドラマ




                   

         『それでも生きる子供たち』(公式HP)を撮った人々たち



 20日の金曜日が最終日になる(7人の侍による)オムニバス映画『それでも生きる子供たちへ』(渋谷ライズで公開中。20日以後、全国公開予定)。水曜日の最終回に、ようやく見ることができた。
(ここから脇道に逸れるので、映画の寸評だけ読みたい方は飛ばしてください)

 23時に帰宅。作業着を洗濯し、シャワーに入り、夕食を食べて、さて、感想を書こうとPCの前に座ったのだけど、「ちょっとだけ横になろう」 → 「朝までぐっすり」になってしまった。それでも寝足りない。急ぎ足でコメントの返事を書いて(Fusakoさん&あんこさん、ありがとう~)出勤した。

 観客数は半分まで届かなかったが、私が座った(前から5番目になる)E列はどういうわけが人気があって、隅から隅までほぼ満席。全席予約制の映画館で、しかも混んでいないのに、なぜこの列だけ埋まってしまったのだろう? D列にも意外なほど人が集まった。ちなみにC列より前の席には一人も座っておらず、F~G席も人影はまばらだった。
 これには、それなりの理由がある。ところで、鉄道好きのことを「てっちゃん」と呼ぶなら、映画オタクのことを仮に「えいちゃん」と呼ぶことにする。その「えいちゃん」は、前寄りの席を好む。前の方に行きたがる習性があるようだ。
 その昔、自分はかぶりつきで映画を見ていた。スクリーンは大きければ大きいほど良いと思っていたらしく、シネラマが上映できた〈テアトル東京〉が一番好きだったのだが、中高校生のお小遣いではロードショー公開など滅多に行かれず、普段は国立スカラ座を中心とする名画座で映画を見ていた。二番館三番館のスクリーンは小さい上にひな壇になっていない。座高の高い人に前に座られたら最悪だ。迫力を求め、頭によるトリミングを避けるために、一番前から三列目以内に座る習性がついてしまった。
 今では首が痛くて、そんなに前に座ることはできない。しかも映画がドリーで撮影されていた時代ならともかく、ステディカムでもない、全編手持ちで撮影された映画を一番前の席で見ると、人はどうなるか? 答え=船酔いよりひどい「映画酔い」になる。
 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(00)を見に行ったときに一番前の席しか空いておらず、十数年ぶりにプラネタリウム並みにスクリーンを見上げることになったのだが、首が痛くなる前に気持ちが悪くなった。少女映画の大傑作『ロゼッタ』(99)を見たときも、手持ち撮影のぶれぶれ映像に気分が悪くなったが、このときは腹風邪をひいて最悪の体調だったので、気分が悪くなったのは「手持ち」のせいだけとは言えず、その証拠に後日見直したときは全然平気だった。この作品は、7年前に見るよりも今見たほうが、より身につまされると思う。『それでも生きる子供たちへ』の一遍としても見ることができるが、映画としての「力」は遥かに強い。『ロゼッタ』は必見だけど、この作品に限らず、『耳をすませば』以外の青春映画も見るべきだと思う。
 例によって話がまとまらないが、話を簡単&強引にまとめてしまうと、ファンと呼ばれる人は、例えばコンサート会場でも音響的にベストの位置を求めたりしない。好きなものにはできる限り近づきたい。D~E列が埋まったのは、「えいちゃん」のそうした心理が無意識に働いた結果かもしれない。
 ついでにいうと、私はスクリーンの中央には座らない。どうにも落ち着かないからだ。そこでセンターからやや左か、左が空いていなければ右の席を選ぶ。単館系だと、前から5~6列中央よりやや左にニワトリが座っていたら、どうぞ気軽にお声をおかけください。

『それでも生きる子供たちへ』の原題は『 All the Invisible Children 』。日本に住んでいる我々の眼には決して見えない「忘れられた」「存在しない」子供たち。大人たちが滅茶苦茶にしてしまった社会で、それでも彼らはひたむきに生きている。その意味で、邦題もありだと思う。
 イタリアのグラマー女優マリア・グラツィア・クチノッタ(代表作は94年の傑作『イル・ポスティーノ』。モニカ・ベルッチがイタリアの宝石なら、ミラノ・モデル上がりのマリアも国宝級。野性味溢れる肢体に演技力をかね備えており、最近はWFPの飢餓撲滅大使として活躍中。藤原紀香が目指している人物?)が、友人のキアラ・ティレシと映画監督ステファノ・ヴィネルッソ(共に知りません。ごめんなさい)に声をかけたのがきっかけで、スパイク・リーやエミール・クストリッツアなど、曲者ぞろいの七人の侍が名乗りを上げ、7つの物語が生まれた。

第一話『タンザ』 監督=メディフ・カレル
 AK47と黄色のスニーカーを手放さないルワンダの少年兵タンザの物語。

第二話『ブルー・ジプシー』 監督=エミール・クストリッツア
 窃盗の罪で送られた少年院。出所目前を迎えた少年ウロスの悩みの種は?

第三話『アメリカのイエスの子ら』 監督=スパイク・リー
 両親からHIV感染した少女ビアンカ。彼女に何の罪があるのだろうか?

第四話『ビルーとジョアン』 監督=カティア・ルンド
 貧民街に暮らすビルーとジョアンの兄妹、リアカーを借りてゴミ集めに励む!

第五話『ジョナサン』 監督=ジョーダン・スコット&リドリー・スコット
 戦場写真家のジョナサンが森の中で戦火を生きる子供に再会して・・・

第六話『チロ』 監督=ステファノ・ヴィネルッソ
 窃盗団の庇護のもと、高級品を盗んで生活しているチロの願いとは?

第七話『桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)』 監督=ジョン・ウー
 今回は「鳩は飛ばない!」。その代わりに小猫の笑顔に乾杯!


 世界は危機的状況を迎えているけれど、虐げられた子供たちの数も半端じゃない。3億5千万人の子供たちが飢餓に苦しみ、30万人以上が無理やり兵士にさせられているという。この映画では取り上げられなかったが、臓器売買をめぐる誘拐や人身売買は後を絶たず、日本人も一役買っている売春や児童ポルノといった犯罪行為に巻き込まれる子供も多い。『アフガン零年』(03)でヒロインを演じた少女は、生活のために乞食をしていた。もう少し年上の娘は売春もする。それが生きることなのだ。『亀も空を飛ぶ』(04)のヒロインの視線が、今も胸に突き刺さる。彼らに比べると比較しようがないほど恵まれている日本でも、虐待やいじめで苦しむ子供たちがいる。
 現実世界の子供たちが置かれている状況を多少なりとも認識してる人がこの作品を見ると、しょせん物語じゃないかと苛立ちを覚える箇所もあるかもしれない。だが、久しぶりにクストリッツア節や、ストラーロが撮影した絵(『チロ』)を味わい、スパイク・リーが戻ってきたことを喜び、『シティ・オブ・ゴッド』を監督したカティア・ルンドの才能が本物だったことがわかったので、それなりに満足したし、演じた子供たちには誰もがシャッポを脱いで、割れんばかりの拍手を送るだろう。皆が皆一歩も譲らず素晴らしい限りだが、個人的にはブラジルの兄妹を演じた二人の子供に最も惹かれた。
(多くの人が、タンザに言葉を失い、ビアンカに涙し、チロの表情に切なさを覚え、小猫の笑顔に泣き笑いするでしょう)
 それでも生きる子供たちは、人間のせいで絶望的な状況に追い込まれながらも「けんめいに生きている」生き物のように感動的だ。
 
 パンフの最初のページには、サン=テグジュペリの『星の王子様』から、「大人は誰も、昔は子供だった。でも、そのことを忘れずにいる大人はほとんどいない」という言葉が引用されている。
 サン=テグジュペリが言うように、人が大人になっても子供だったときのことを忘れずにいれば、世界はもう少しましな方向に向かっていくだろう。だが、自分が子供だったことを幸福感と共に思い出すことができなかったら? こんな悲しいことはない。
 子供たちには、彼らを守る大人の「愛情」が絶対必要だ。愛がなければ、子供は生きていけない。愛があって子供は人間になる。ふと、フランソワ・トリュフォーの映画『野性の少年』(69)を思い出した。狼に育てられた少年と一人の教師を描いた伝記的物語だ。愛に飢えた少年時代を過ごしたフランソワ・トリュフォーが、思いをこめて作ったこの作品を多くの人に見てもらいたい、と思った。



 こちらは「巣が壊れても生きるヒナたち」です。記事はのちほど・・・