2万4千年の孤独

2011-03-29 23:58:50 | 独り言&拾いもの

 測るのが遅すぎた感があるが、ついにプルトニウムまで出てしまった(あり得ないので測る必要がないとか強弁していたっけ・・・)。プルトニウムの半減期は2万4000年。倍数ごとに半減していくので、2×2×2=9万6千年後には8分の1にまで減衰する。ニンゲンは違う理由によりそれ以前に姿を消しているような気がするが、永遠とも思えるこの時間も、宇宙の単位で計ればほんの一瞬だ。
 予想していたので驚いてはいないのだが、非常に悔やまれる。体内被曝すると、セシウム同様いつ爆発するかわからない時限爆弾を抱えることになる。とはいえ、ニンゲンの体は原始時代から放射線と戦ってきたわけだから、一生爆発しない人もいるし、死をもたらすかもしれない要因は放射性物質に限った話でなく、様々な細菌やウイルスのように目に見えないものから、交差点や駅のホームといった日常的に行き来する場所など、日常生活の至るところに危険は存在している。医療事故も起こり得るし、凶悪事件にまきこまれる可能性だって否定できない。極論すれば生きることは危険を冒すことだ。将来のある子供たちやこれから生まれてくる人には大変申し訳ないけれど、リスクが一つ増えただけの話なので、個人的には今までどおり水道水を飲むし、今までどおり原産地にこだわらず食品を買い続ける(安全だからではなく地産地消の意味で国産品を買っていた)。
 そこに住む生き物は汚染を知るすべがない。ニンゲンと違ってそこにとどまり続ける。ニンゲンがいなくなったことで汚染区域の自然が回復した、という皮肉があるくらいだ。そのせいで命を奪われたとしても、彼らはそれを知ることはない。自分は彼らのように生きようと思う。事業所では、要請を受けて数人が被災地に応援に行っている。追加要請があれば自分も現地に行くかもしれず、またグループホームへの受入れも打診されていて、それらについてスタッフ間で討議を始めたところだ。

 プルトニウムが検出されたことに対して、例によって大本営は「健康に影響ないレベル」と強弁している。1950~60年代に行われた米ソを始めとする原水爆実験で地球上に撒き散らされプルトニウム(天然ウランから精製するより安上がりなので、核兵器の殆どが長崎タイプのプルトニウム爆弾になる)が今も土壌に残っているそうだが(普通の人はそのことを初めて知らされただろう)、それによる健康被害は出ておらず、したがって何の問題もないということらしい。
 『東京に原発を!』で華々しくデビューしたノンフィクション・ライターの広瀬隆さんは、翌年の1982年に癌や白血病などの疾病で死亡したハリウッドスターとネバダ州で行われた大気圏内核実験の因果関係に言及した『ジョン・ウェインはなぜ死んだか?』(『ネバダ・スミス』を撮ったスティーヴ・マックィーンも癌で死亡した。大好きだったのに・・・)を発表したが、今のところ定説にはなっていない。推理小説としては面白いといわれたけれど・・・。
 彼は去年、『原子炉時限爆弾 ~大地震におびえる日本列島』というタイムリーな本を刊行していたのだが、トロイ滅亡を予言したカサンドラのように無視されてきたし、今回の事故を受けてテレビなどに出演すると、いたずらに不安を煽っていると糾弾された。正にトロイのカサンドラだ。
 最も安全性が低く老朽化を指摘されていた原発がそのことを証明するかのように事故を起こしたのに、それを放置してきた東京電力&国に代わって彼が非難されるのは何ともおかしな話だが、戦時中に「日本はこの戦争に勝てない」と言い放って軍や政府を批判することができなかったことを考えれば、容易に納得できる。
 今回の震災は自分が初めて経験する有事なのだ。「みんな一緒」に同意できない人は非国民とみなされる。有事が起こる前は「みんな違う」ことが尊ばれたのに・・・こんなことを口にすれば、「平和だから違うことが尊ばれて、今みたいな非常時には一致団結するのが当然。そんなこともわからないのか、このバカ」と言われるのは目に見えている。だが、違う意見もあってしかるべきだ。広瀬さんを排除してはならない。
(自分はリアルタイムに経験していないが)水俣病が発覚して原因究明が急がれたとき、時の政府と有機水銀を垂れ流していた企業は100%責任を免れなくなるまで何年間も御用学者たちに「工場廃水は関係ない」と言わせ続けた。そのせいでさらに多くの患者が出たというのに、彼ら御用学者は誰一人糾弾されなかった。
 この図は今回も変わらないだろう。つまり、誰も言葉に対して責任を取らないということだ。水俣病の場合、御用学者たちは断罪に値すると思うが、基本的にこの態度は間違っていないだろう(責任を取れと言われたら誰もモノを言えなくなる)。ところが、「責任論」が取り沙汰されるのは決まって少数意見に対してなのだ。圧倒的多数の意見が間違っていた場合は全体責任ということになり、責任者不在のまま水に流してしまう。今回の問題も、過去の歴史と同じように水に流せたらいいのだが・・・。

 29日の東京新聞によると、東京電力の要請を受けた協力会社は復旧作業に関わる作業員を確保するのに躍起になっていて、中には日当40万円という破格の高給を提示された作業員もいるとのことである。
 にわかには信じられない話だが、「手当ては普通より多く払うので、五十歳以上の人で原子炉近くに入ってもらえる人を探している」というのは本当だろう。貧困ビジネスの典型だ。職を失った被災者が求めに応じるようなら、何とも胸が痛くなる。
 ハローワークで震災復旧に従事する作業員(日当8000円)を募集している、という話も聞いた。数年前に自分が関わっていた建築現場では、単純労働の日当は6000円だったので(元受には18000円支払われる。下請け孫受けと順次手数料を取っていく)若干高い。新潟中越地震の仮設住宅建設に伴う給排水設備工事で提示された作業員の日当は3万円だった(宿泊費+食費の名目で依頼先に1万円抜かれ会社が8千円ピンハネするので手取りは1万2千円)。

 放射能は見えない。健康被害もすぐに現れるわけではない。しかも、タバコの害と同じで人によって大きく異なるから、数値で危険度は測れないし、確率論で言われたところで意味がない。原発に近い場所にいる被災者の苦悩は計り知れない。避難区域に指定されている人々が、避難先から自宅に物を取りにいったり、飼っている牛の餌をあげに行ったりしている等の報道を聞いて、当然だと思った。戻ってしまった人もいるらしい。
 官房長官はそうした行動を自粛するよう呼びかけていたが、私が酪農家だったらやっぱり餌をあげに行くと思う。このまま見殺し(餓死してしまう・・・)にするなんて無理な相談だ。口蹄疫の悲劇がここでも起きてしまうのかと思っただけで、もうたまらない。彼らの命も助けてほしい(食用にされてしまう動物だろうと)。
 同じことが農家にも言える。今まで丹精込めて育ててきた作物を廃棄するのは忍びないし、農作業ができないでいることの辛さも耐え難いものがある。ましてや土地を捨てるなどできるわけがない。それが人情というものだ。
 事故のレベルは現時点で「6」を上回り、予断を許さない状況だ。そのことをまず認めて、何ができるのか、何をしなければならないのかを政府(もはや東電一社の問題ではない)は明らかにしてほしい。その上で残りたい人に対して、政府は彼らの選択の重さを真摯に受けとめ、できる限り意思を尊重してほしい。


『ランナウェイズ』 ~ I LOVE ROCK&ROLL

2011-03-28 02:07:20 | 音楽の森

左から、サンディ・ウェスト(Ds)、ジャッキー・フォックス(B)、シェリー・カーリー(Vo)、
リタ・フォード(G)、ジョーン・ジェット(G&Vo)。ガールズバンドの草分けだった。
「THE RUNAWAYS」のこのポスター(だったと思う)、自分も貼ってました・・・


 ランナウェイズの映画ができる(あのダコちゃんがシェリー・カーリーに化けられるの?という一抹の不安があったけど・・・)という話を耳にしてから、この日が来るのを待っていました~♪
(この記事は、デビューアルバムの『THE RUNAWAYS』を聴きながら書いてます)

 1981年、元ランナウェイズのジョーン・ジェット率いるブラックハーツが「アイ・ラヴ・ロックンロール」で全米ナンバー1の座に着いたとき、ランナウェイズの元ファン(ニワトリさん)はそれを我が事のように喜んだかというと、どうもそうではなく(ジョーン自身は「ランナウェイズにいたことを誇りに思っている」とインタビューに答えている)、「へぇ~、まだ彼女、活動していたんだ」程度の反応だった。日本で人気のあったベイ・シティ・ローラーズやノーランズがあっさり姿を消したように、ランナウェイズもすっかり忘れられてしまっていた。
 だが、本当に彼女たちはその程度の存在でしかなかったのか? ジョーンの作曲力はかなりのものだったし、サンディのドラムもしっかりしていた。リタのギターは今で言えばオリアンティ級ではなかったか? そしてシェリーのボーカルも・・・。

 ランナウェイズが色物扱いされてしまったのは、篠山紀信さんの「激写」によるところなんだろうけど、映画公開で火が再燃したのか、彼女(自分はよく覚えていないが、「激写」されたのはシェリーだけではなかったと思う)が写っている別冊GORO(当時はエロ本扱いだった。懐かしい~!)の取引価格がうなぎのぼりに上がっているらしい。確かに今一度確認してみたい気もする・・・。
 結論から言えば、本当のロックをやりたいという女の子(ジョーン・ジェットがドラムのサンディ・ウェストとクループを結成したのは15歳のときだ)を、プロデューサーのキム・フォーリーを始めとする大人たちが金儲けに利用した。もちろん、彼らのプロデュースがなければデビューはおぼつかなかっただろうし、彼女たちもまた単なる操り人形ではなかった。ジョーンは「音楽(ロック)がなかったら、死ぬか刑務所に行っていた」と映画でも語っている。イコール生きることだった。
 
 今も昔も、日本はこの手の商売にはうってつけの国で(エアロミスにクィーンに、KISSやチープトリック、そしてポリスなど、日本で人気爆発したミュージシャンが結構いる)、ランナウェイズは来日する前から不動の人気グループになっていた(今も、AKB48、KARA、少女時代といったアイドルグループが同じ手法でつくられる)。
 1977年に待望の来日を果たすと、彼女たちはテレビに出まくった。今も残るランナウェイズの映像は殆どが日本で撮られたものだ。夜のヒットスタジオ、銀座NOW、そしてNHKのレッツゴー・ヤング(レッツゴー・ミュージック?)にも出演した。さすがにNHKはシェリーの下半身こそ映さなかったが、コルセット姿が公共の電波で流れたのだから・・・(快挙でしょう)。音楽専門誌よりも『明星』『平凡』といったアイドル芸能誌の取材を受けるのは気が進まなかったかもしれないが、全米ツアーの辛さ(チープトリックやラモーンズの前座を務めながら腕を磨いていった)と比べれば、日本ツアーは天国同然だったに違いない(今もジョーン・ジェットはロック・フェスなどで来日してくれる)。


ランナウェイズはサンディとジョーン(左の二人)が作ったバンドだ。中央のリタが17歳で他の4人は16歳!

成り切る映画の面々。クリステンはジョーンに激似。殆ど台詞のないリタも良く似ている。
サンディは線が細い。ダコちゃんは・・・子役時代の彼女のファンは唖然としたかも?
残念ながらジャッキーの協力を得られなかったらしく、彼女が登場しないのが残念。


 ところで、シェリー・カーリーはいつも下着姿(コルセットに黒のパンティそしてガーターベルト)で歌っていたわけではない。残っている映像が「チェリー・ボム(当時は「チェリー・ボンム」と表記され、ボーカルのシェリーも、チェリーと間違って呼ばれていた)ばかりなのでそのような印象を与えるが、下着コスチュームで歌うのは「チェリー・ボム」だけで、通常は銀のジャンプスーツで歌った。コンサート中に何回か衣装を変えていたらしい。
 確かに彼女の姿は悩ましかったけれど、彼女ばかり追いかけていたのはマスコミで、それぞれにファンがついていた。垂れ目が可愛いジャッキー・フォックスも人気があったし(彼女は来日中に突然帰国し、そのまま脱退してしまう)、個人的には胸の薄かったシェリーより、Vゾーンの大きく開いたジャケットで豊かな胸を強調していたリタ・フォード姐さん(といってもまだハタチ前だけど)のギターになりたい(シェリーの露骨なマイクの使い方にどうしても目が行くようだが、リタもかなり悩ましくギターを弾いてた)と思ったほど・・・。「チェリー・ボム」を歌うときのシェリーを除けば、リタはもっとも露出度が高く、巨乳&豊尻に加えて二の腕の逞しさに、ホットパンツからのぞく太ももなどかなりのインパクトがあった。
(リアルタイムでは見られなかったけれど、池玲子 vs 杉本美樹でも同じ理由で池派になる・・・)
 ジョーンといえば黒の革ジャンが定番だけど、ランナウェイズ時代の彼女のステージ衣装は、シェリーの銀に対して赤のジャンプスーツ。ジョーンとドラムのサンディ・ウェストは硬派な感じだったが、ストイックなジョーンに対してサンディは親しみやすかった。

 

『LIVE IN JAPAN』のアルバム


開くとこのとおり・・・全身が現れる。紙ジャケ仕様のCDも発売されたとか


 冒頭に戻って、ジョーンが全米1に輝いた頃、ニワトリさんはランナウェイズのことなど綺麗さっぱり忘れていて、ブロンディのデボラ・ハリーやパット・ベネターに夢中になっていたのだが、二十一世紀になってようやく、色物扱いされていた彼女たちの音楽が実はかなり良かったことに気づき(演奏自体は大したことがなくても)、CDを買い直し始めた(今となっては、処分してしまったLPを返して~と叫びたい)。
 ロックをやるのは男で女はグルーピーだった時代・・・ドラムのサンディ・ウェストがロジャー・テイラー、リードギターのリタ・フォードがリッチー・ブラックモア(一時はつきあっていたらしい)、ギター&ヴォーカルのジョーン・ジェットがスージー・クアトロ、ベースのジャッキー・フォックスがジーン・シモンズ、そしてヴォーカルのシェリー・カーリーがデヴィット・ボウイに憧れ、百鬼夜行の業界に10代のエネルギーで飛び込み、がむしゃらに駆け抜けていった・・・それが真実だろう(2006年、サンディが癌で他界した)。
 映画『ランナウェイズ』は、シェリー・カーリーの自伝をジョーン・ジェットが監修する形で完成された。次回で映画の内容について述べるけれど、映画の出来など自分にとってはどうでもいい話だ。作られただけで満足している。セックスもドラッグもロックンロールもない今の時代の、無菌室で培養された歌手&グループしか知らない人々には、違う意味でどうでもいいお話かもしれない。
 実をいうと、6年前の2004年に『EDGEPLAY』というセミドキュメンタリー映画が発表されている。発売と同時に視聴したのだが、英語がわからなかったこともあって内容を殆ど覚えていない。確か、映画のように昇華されていない生々しい話が多くて、だから忘れてしまいたかったのかもしれない。棚を見たら処分せずにちゃんと置いてあった・・・。映画を見たことだし、もう一度『EDGEPLAY』を見てみようと思う。(次回に続く)




持っていたことも忘れていた『EDGEPLAY』。近いうちに見直すつもり


MAYA+松尾明トリオ ~MEG LIVE 3.25

2011-03-26 22:50:00 | 音楽の森


 3月5日のホリー・コール(ブルーノート東京)はインフルエンザで行かれず、3月11日の『十五夜』LIVE(個人的には寺村容子さんのピアノがメイン。立川ハーフトーン)は地震により中止・・・。3月24日のMAYA+松尾明トリオもダメかなと思ったのですが、計画停電も回避され決行。大いに結構ということで、夜勤明けに一本仕事をしてから吉祥寺MEGに向かいました。
 18時近くに国立駅に着くと、駅が暗い! なるほど、こんな風に節電していたんだ・・・。個人的には(コンビニとか)蛍光灯が明るすぎる今までに違和感を感じていたので、正直遥かに好感持てます。吉祥寺に着くと、いつものようにネオンがキラキラしていたので、ちょっとがっかりしました。新聞にも紹介されていた銀座四丁目や渋谷ハチ公前のように明かりを絞って欲しいです。もともと国立の夜は暗いのですが、周りの人の顔が見えなくたっていいじゃない?
 まだ4回目の【MEG】なのに、急な階段を上って店の前に立つと何だかホッとします。自分が一番乗りでした。店内から洩れてくるリハーサルの音を聴きながら開店時間を待つのもいいものだと、持参した文庫本(鹿島茂『パリ時間旅行』)を開きました。





 今夜はどこに座ろうか・・・どこでも選べるとなると逆に迷ってしまうのですが、松尾(Ds)さんの隣に座ることにしました。音響的には今までのように中央(MAYAさんの目の前で)で聴いた方がバランスが良いのだけれど、今夜は松尾さんのドラムさばきが見たかったのと、この位置からだとピアニストの横顔と運指も見え、良い選択だったと納得。でも、今夜のピアノは寺村容子さんではありません(三木成能さん、上手かったですよ~)。
 MAYAさんは、本人曰く「真っ赤なアバンギャルドのスピーカーに溶け込むように、アルバム『Kiss of fire』以来の」勝負服ならぬ真っ赤な勝負ルージュをひいて、今夜の心情を表してくれました。ルージュだけではありません。黒いドレスの胸元に咲いた鮮やかな大輪に真っ赤なハイヒールの赤三本立て!
 松尾さんはいつも変わらぬ優しい笑顔でお客さんを迎えてくれました。ベースの嶌田さんは(声が裏返ってしまうほど)ノリノリでした。
 
 今夜のLIVEは、注文したバーボンのオン・ザ・ロックのように喉からすーっと沁みていきました。まだ胸のつかえが取れないせいか、(心に響くと言うのとは少し違う、でも腹式呼吸と同じくらい重要だと思う)腹で音楽を聴きました。
 5月25日に復刻発売される 1st&2nd アルバムを彼女自身が改めて聴いて感じたことや、このような状況でLIVEができることに対する想いが込められていて、スタート地点に立ち戻って積み上げてきた気持ちを検証するような選曲(久しぶりに歌う曲が多かったと言ってました)と構成で、全3ステージ歌い切りました。
 胸のつかえが取れないのは彼女も同じだったと思います。この日の彼女は、自分自身にも聴かせるように歌っていたような気がしました。松尾さんの超絶ドラムソロも聴けたし(汗をかいたのは久しぶりと照れてました)、三木(P)さんと嶌田(B)さんの踊るようなやりとりも楽しかったです。良いLIVEでした。

 今夜は、私の大好きなスタンダードの名曲ジョージ&アイラ・ガーシュインの「Our love is here to stay」を歌ってくれたのですが、となればもう一曲、このコンビの「誰にも奪えぬこの想い」も聴きたくなりました。自分は、フレッド・アステアのミュージカル映画でこれらの曲を知るようになった程度のジャズ・ファンなので、「誰のがいい」などのウンチクは全く言えないけれど、思い切って松尾さんにリクエストしてみようかな?
(松尾さんによれば、「岸壁の母」は無理だけど「泳げたいやきくん」まではやれるらしい)
 ニューアルバムの選曲が佳境に入ったMAYAさん、寺島靖国さんも1stステージから仁王立ち?で見守っていましたが、今度はジャズ色がかなり強くなるのでしょうか? その一方で、私からも寺島さんにお願いします。次の次ぐらいでいいけれど、MAYAさんにボサノヴァのアルバムを出させてあげて~♪

 土曜日は『ランナウェイズ』と『台北の朝、僕は恋をする』を観て、胸のつかえも完全に取れました。きっとそうなると思ったけれど『ヒアアフター』の公開中止や、全く関係ない筈の『原爆を視る』展の中止など、嫌な感じの自粛ムードが広がっています。「原発」の問題にしても、祈るだけでなく正面から見つめて、今後どうするのか態度を決める必要があるのでは? 非難を恐れて記事をさっさと削除してしまったけれど、今後は、自由にモノを言えない空気に呑まれないよう心がけます。


削除

2011-03-23 10:10:00 | お知らせ&お願い&ご挨拶


  『純情きらり』の頃からの知り合いだったまめちゃんから、久しぶりにお叱りのコメントをいただきました。
  もうすでに手遅れかもしれませんが、日記代わりのブログを読んでくださる皆様に不快な気持ちを与えたとしたら、それは本意ではないので、前回の記事を削除しました。
  私の場合、活動範囲が常に2グループにまたがっていて、ときに3グループにまたがることもあります。移動するルートがどのグループに属していてどの時間帯に計画停電になるのかを毎日確認しながら仕事をしています(住職一致の人が大多数ではないことを考えると、23区の大半を除外したのは当然だと思います)。この状態が一年以上続くことを前提に、いつもと同じように日々を過ごしているのですが、いつも以上に自分を含めた被災地以外の人々に対して観察者的な目線でいることが、もしかしたら問題なのかもしれません。大変失礼致しました。

 ちなみに今日は、第2~4に該当していますが、どうやら停電はなさそうです。それでは・・・。


疑惑

2011-03-22 23:30:50 | 独り言&拾いもの


 一回の勤務時間が普通に24時間を越えるようになって一週間・・・家に戻ると(当たり前の話ですが)何の前触れもなくバチッと電気が停まり、眠り薬の雑誌を手に布団に潜りこみました。
 18時30分頃に、またバチッという音と共に電気が復旧しました。ネコに夕ご飯をあげて、ニンゲンも夕食を取ることにしました。夕食後はお風呂に入って疲れを取ります。
(被災地で不自由されている方々には何とも申し訳ないのですが、お許しください)
 こちらの方は徐々に普通の生活に戻っています。否、今までが異常でした。近所のガソリンスタンドでは、今朝も朝から車が行列していましたが、昼には車列はなくなっており、しかもきちんと営業されていました。そろそろ時間の無駄遣いはやめたら? 食品も戻ってきています。この先我々がやるべきことは、被災地方面から出荷される野菜や魚、肉や牛乳などを積極的に買うことではないでしょうか? 避けるのではなく。

 放射線物質の暫定基準値というのは、これを超えてはならないからこそ定められているのであって、「超えたからといって直ちに危険はない」という東京電力&政府の会見は詭弁です。しかも、度重なる改定を受けて、基準値はかなり緩くなってしまいました。それを遥かに超える放射性物質が検出されていて、しかも放出は未だに続いています。日本人特有の「言霊」(言葉にすればそのとおりになるという信仰。逆に言えば、不吉なことは一切言ってはならないという風潮)発言を繰り返すより、チェルノブイリと同じ「石棺」作戦に早いこと着手すべきでは?(冷却が先で、直ちににはできないようです。後日付記)
 個人的には、「そこまでやるの?」と思うけれど、横須賀のドッグで点検中だった原子力空母ジョージ・ワシントンは急遽、在留軍人の家族を乗せて危険な?関東地方から関西方面に出港しました。原子力空母も原子炉を積んでいて、かなり危険な乗り物だと思うのですが、そのあたりの分別はどうもないようです。
 原子力産業というのは、つまりところ非常に儲かる産業なので、官民一体となって推進してきたし、ここに来て諸外国にも積極的に売り込んでいましたが、これだけの大事故を起こしたのだから、もう「危険ではない」と嘘をつくのはやめ、マイナス面やリスクを提示して我々に選択させてください。そこに暮らす「声を上げる」ことのできない生き物たちに代わって・・・。

 内部被爆(体内被曝)が実際にどれくらい危険なのかを証明することは容易ではありません。一番簡単な例を挙げれば、広島&長崎で被爆した人が数十年後にガンで死亡した場合、その人が喫煙者ならタバコが原因かもしれないし、アスベストを吸いこんでいたのかもしれないし、極度のストレスから潰瘍が何度もできガンになってしまったとか、遺伝的にガンになりやすい体質だとか、様々な要因が考えられるため、内部被爆によってガンが引き起こされたという確たる証拠を提示することはできません。原爆症の集団訴訟はそこに風穴を開けたわけですが(一人ひとりについては因果関係を証明できなくても、100人のガン患者が共通して被爆者ならば、何らかの因果関係があると言わざるを得ない)、原告側が勝訴しても国は控訴して未だに認めようとしません。
 戦闘機の機関砲や戦車砲に使用される劣化ウラン弾や、アンカーバスターといった特殊爆弾による被爆も、地域住民、従軍兵士、(貧困層の)出稼ぎ労働者の発ガン率が異常に高い数値を表しているにもかかわらず、因果関係はないとして認められていません。チェルノブイリ原発事故の被害者の数も、実態は闇の中です(公式的には数十人から数十万人まで開きがある。そんなことって?)。
 こんな文章を書いていると、いたずらに不安をあおっているのではないかと非難する人もいるでしょうが、私自身はそんなつもりはさらさらなくて、原産地はどこかとチェックすることもなく、今までと同じように「普通」に食べ、「普通」に生活していきます。話を思い切り単純にして、「今回の汚染により100~200人に1人の割合でガンになる」と言われたら、宝くじに当たるよりは遥かに高い確率だけれど運を天に委ねるしかない、と思っています。

 ところで、今回書きたかったのはこのことではなくて、「一連の計画停電が東電と政府による作為的なものではないか」という疑念が、ふと頭に浮かんだことでした。節電するのは地球温暖化を考えても大いに結構なのですが、本当に電気は足りていないのでしょうか?
 去年の夏にも電力不足が指摘され、安全性に問題があって休止していた原発の再稼動が急がれましたが、今回の事故で危機的な状況に陥った原子力産業を立ち直させるため、「それでも危険はない」と国民には言い張り、非常に判り難く面倒な「計画停電」で人々を疲弊させて思考力を奪い、「電力が足りないとこんなに大変なのだから、やはり原発はあった方がいいのでは?」という流れをつくろうとしているのではないか、という疑惑を覚えてしまったのです。
 電力不足なのは確かでしょうが、それを逆手にとって今までどおり原発を推進するために利用してやろう、と頭のいい人が考えて、シナリオを作ったら・・・。「これだけの事故を起こしても人体に影響ないなら、原発いいんじゃない?」という流れと二本立てで攻めて来ると思うので、ここは(放射線の数値以上に)注意深く見守っていく必要があるでしょう。


『ヒバクシャ 世界の終わりに』 ~未来へのメッセージ

2011-03-21 12:50:00 | 映画&ドラマ


 2004年3月、渋谷のユーロスペース(現在は「シアターN」と名前が変わっている。「ユーロスペース」はBUNKAMURAの方に移転した)で、鎌仲ひとみ監督の渾身のドキュメンタリー映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』(03)が公開されました。2006年にはDVDも発売されましたが、すでに絶版になっているみたいで、つい最近まで中古品が高値で取引されていました。続いて発表した『六ヶ所村ラプソディー』(06)と合わせて、たびたび上映会が開かれていますので、機会があったら、是非ご覧ください。
 最新作の『ミツバチの羽音と地球の回転』(10)が現在公開中でしたが、震災と原発事故を考慮して上映中止となりました。落ち着いた時点で再開されますので、そのときはユーロスペース2Fまでお越しください。原子力三部作として、改めてソフトが発売されることを期待します。

 『ヒバクシャ 世界の終わりに』のオフィシャルサイトは、 → ここをクリック
 『六ヶ所村ラプソディー』のオフィシャルサイトは、 → ここをクリック
 『ミツバチの羽音と地球の回転』のオフィシャルサイトは、 → ここをクリック

  オフィシャルサイトから鎌仲ひとみ監督のコンセプトを引用いたします。私などが解説するより、彼女の言葉を聴いた方が良いと思うので・・・。

「世界で初めて原爆が投下されてからすでに57年、経った。ヒバクシャはこの57年をどう生きてきたのだろうか。原爆の体験はこの間、日本や世界の人々と共有されてきただろうか?ヒバクシャとはどのような存在なのだろうか?
この疑問は98年、イラクを訪れ、湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾により白血病を病んだ多くの子供達に出会ったことから始まった。彼等は世界から隔絶し、自分に何が起きたのか語る言葉を持たず、十分な医療もなく、そして私の目の前で亡くなって行った。その中の一人、14才の少女、ラシャは「私を忘れないで」とメモを手渡した。ここから私のヒバクシャの声を聞く旅が始まった。
広島で被爆した医師、肥田舜太郎は85才の今もヒバクシャの医療と人権の回復に情熱を傾けている。被曝体験から肥田医師は微量の放射能がもたらす危険を訴えてきた。肥田医師の活動を通して、人類史上稀に見る悲惨な体験から日本のヒバクシャが獲得した、アイデンティティ、そしてその魂のメッセージを探る。
また一方で肥田医師の警告する微量放射能の被害は核開発、核実験、原発によって世界に拡散している。長崎に投下された原爆のプルトニウムを生産したアメリカのハンフォードでは50年以上も大量のプルトニウムを製造する過程で世界でも最大量、高濃度の核廃棄物の汚染にさらされてきた。そこに住む住民もまたこれらの放射能によってヒバクシャとなっている。
この映画では核の被害者を等しくヒバクシャと呼びたい。放射能は目に見えないが確実にこの世界を汚染し続けている。だからこそ、今、ヒバクシャの声に未来へのメッセージに耳を傾ける」

 映画に登場する肥田舜太郎医師は今もご健在です。軍医として被爆者救助にあたった際に広島市内で(一般的に言われているところの)「入市被爆」しました。長いこと国は、「直接被爆」した人以外の被爆者に対して「手帳」は交付するものの、原爆症認定を拒んできました。肥田医師の『ヒロシマを生きのびて』と、鎌仲さんとの共著『内部被爆の脅威』も、是非お読みください。
 原発事故が起きてから、水や農作物の汚染が確認されましたが、『ヒバクシャ 世界の終わり』では、ワシントン州ハンフォードにあるプルトニウム製造工場近くに住む住民たちの健康被害が報告され、隣接する大穀倉地帯で収穫されたジャガイモやリンゴが誰もが知っているファーストフード・チェーンを介して私たちの口の中に入っていたという事実も描かれています。
 鎌仲さんと肥田さんが訴え続けてきた「全人類がヒバクシャになる」という言葉が、日本においては現実のものとなってしまったわけですが、事故が起きなくても「ヒバク」はなくならないという真実を、今正面から見つめる必要があると思います。

肥田医師のインタビュー記事は、  → ここをクリック

に打たれて出勤です・・・嫌だけど・・・。


東京消防庁の会見

2011-03-20 23:45:00 | 独り言&拾いもの

 未曾有の大震災から十日経過して、被災した人々の悲しみと苦しみは想像を絶するものがあるとは思うのですが、事故を起こした福島原発の3号機に放水作業を行うという非常に困難な任務をやり遂げて帰還した東京消防庁の第一陣隊員の責任者三名による深夜の記者会見は、度重なる余震や放射性降下物に怯える我々に、多大な希望と勇気を示してくれると同時に襟を正させてくれました。
 どこかの記者会見とは正反対の、非常にわかりやすく説得力のある会見の中で、「我々は放射能について熟知しているので恐怖心を克服するのが困難だった」と述べていた点に非常な感銘を覚えました。正確な言葉は若干異なっているかもしれませんが、「人体には影響ないレベル」と言い続けている大本営発表(保安院&官房長官)に従えば、「プロである我々は熟知しているから安全に作業が出来る」となりそうですが、「熟知しているから恐ろしい」と正直に言い切ったことで、彼らが誰かと違って本当に信頼できる人物であることを確信し、部下やその家族の身を案じて言葉をつまらせる様子からも、人間かくありたいと心底思い、目頭が熱くなりました。
(WHOですら低濃度放射線による体内被爆は人体に影響を与えないと言い続けていますが、劣化ウラン弾による体内被曝の実態とその後に発症した疾病との因果関係が次第に明らかになってきたのでしょう。隊長たちは直接浴びる放射線量以上に、ごく微量でも体内被曝することの危険性を知っていました)
 それにしても、彼らの顔の何と素晴らしいこと! 上に立つ者の見本にしたい物凄い眼力です。彼らのような人々が上司だからこそ、部下たちもそれこそ命がけでもついていくのでしょう(逆に言えば、管首相から命令されたら断固拒否したくなるのと同じ)。常日頃から「ニンゲン顔が命だ(顔を見れば人物がわかる)」と言っているニワトリさんですが、このことの正しさを改めて実感した次第です。そういえば、秀吉が造らせた信長坐像も凄い顔をしていましたよ~。

 改めて言うまでもないことですが、日本のトップに立っているすっからカンを始めとして政治家先生方の顔の悪さときたら、それはそれはひどいもので、都知事選に立候補するのではないかといわれた人気の女性も、以前の輝きを失ってしまわれました・・・。
 民主党のみならず野党となった自民党や一番正論を言っている共産党にも共通しているのは、テレビによく出てくる幹部クラスの政治家たちが何をしているのか、さっぱりわからないこと・・・。震災が起きてから一週間以上が経過しましたが、現地入りして人や物資を動かしている人はいるのでしょうか? 後方支援も大事な仕事ですが、指揮官が時折最前線に立ち寄って、そこで踏みとどまっている人々にねぎらいの声をかけ、現場の声を直に拾っていかなければ、戦いに勝つことはできません。
 何もかも官僚や民間任せにした挙句の果てに、「自衛隊は暴力装置だ」という信じがたい暴言を吐いた人を震災の対策本部長に任命するとは、開いた口が塞がりません。私が自衛隊員だったら、すっかりやる気をなくしてしまいます。
 だからといって、救世主になってくれそうな政治家が一人もいない不幸というか、そうなってしまったのはひとえに、日本人だけで300万人以上が犠牲になった戦争を引き起こしたことの総括と反省が全くなされず政治家のレベルが上がらなかったからなのですが、今この段階でそれを言っても始まりません。全とっかえが必要でしょう。事態がある程度落ち着けば糾弾するので、首を洗って待っていてください。

 経済界からは、子供手当や農家の戸別所得保障をやめて支援対策や復興費に当てろとの発言が相次いでいますが、だったら貴方たちも法人税を今までどおりに納め、企業減税に相当する部分を復興費に充当することを同時に提案してください。協調介入が功を奏して加速した円高をある程度是正しましたが、為替や株価の上下落で利益を上げているハゲタカ対策に大金が使われていると考えれば腹立たしい限りです。
 実体経済では、復興のための特需も生まれるでしょうが、ただでさえ小麦や石油製品を中心に物価が上がることだし、給料が増えないなら今以上に家計を切りつめるしかなく、消費はますます落ち込むでしょう。
 計画停電が実施されたことで巻き返しを図っているのが「東京ガス」。面白いですね~、今日もチラシがポストに入っていました。オール電化が果たしてエコなのか?前から疑問に感じていましたが、オール電化にした人はガスをなくしてしまったことを嘆いているかもしれません。よくわからないのは、太陽光発電などの設備を備えた住宅です。これらの家庭でも、停電が実施されると電気が全て使えなくなってしまうのでしょうか? 
 そうそう、計画停電で真っ先に思いついたのは自動販売機の電源を落とすことでした。自動販売機は日本独特の文化ともいえ、販売機熱中人もいます。個人的には、天ぷらうどんとハンバーガーの自動販売機をその味と共に懐かしく思い出しますが、温暖化対策も兼ねて、これを機に自動販売機を全廃してもよいのでは? まだ夜の停電を経験していないのですが、星がどれほど見えるのか、ちょっと楽しみです。

 放射性物質が外部に放出されてしまえば、どうしたころでそれから逃げることはできませんが、リスクを負うという意味では交通事故に遭う可能性よりは低いわけで、普通に暮らしているなら、いちいち気にしている方が健康に悪いかもしれません。そう言う自分も、明日の雨を気にしないではいられないのですが・・・。
 原発事故というあってはならないことが起きて、放射能汚染と被爆の恐ろしさに初めて気づいたならば、世界中で起きている「ヒバク」の実態について知ることも大切だと思うので、昨日紹介したドキュメンタリー映画『ナージャの村』に続いて、鎌仲ひとみさんが2003年に発表したドキュメンタリー映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』を明日にでも紹介しますね。


『ナージャの村』 ~故郷の大地に生きる

2011-03-19 23:58:00 | 映画&ドラマ


当時8歳だったナージャ。あれから15年、元気に暮らしているだろうか?


 福島原発事故の被災者や、史上最悪の事態を引き起こさないために文字どおり決死の作業に従事している人々とは程遠い場所にいる自分が、これから先どのような心構えで生きていこうかと考えたとき、1997年に製作されたドキュメンタリー映画『ナージャの村』を真っ先に思い出しました。本当は今日、あの桐生が丘動物園&遊園地が登場する『世界のどこにでもある、場所』と『冷たい熱帯魚』を観ようかと思っていたのですが、長いようであっという間だった一週間の疲れを取ることにして、夕食後に『ナージャの村』のDVDを棚から取り出しました。
(この映画ソフトは地震のときに落下しなかった)

 ナージャの暮らすベラルーシ共和国ドゥヂチ村は、今のところ史上最悪の原発事故を引き起こしたウクライナ共和国のチェルノブイリから170kmほど北に位置していて、人々は春に種を撒き、秋の収穫で厳しい冬を乗り越え、また春を迎える・・・という具合に、贅沢とは無縁であるけれど豊穣な大地の恵みを受けながら、美しい自然と共に暮らしてきました。
 『ナージャの村』は、原発事故で汚染され政府からの立ち退き要請により地図から消えてしまったドゥヂチ村で、退去せずに事故前と同じように暮らしている6家族の一年を静かに捉えたドキュメンタリー映画です。監督は、同名の写真集を出した写真家の本橋成一さんで、同じテーマで『アレクセイと泉』(02)も撮っています。
 立ち入り禁止のゲートと高濃度放射能汚染の標識がなければ、汚染されていることが信じられません。咲き乱れるリンゴの花に、音楽のような鳥の声。山ほどのジャガイモが収穫でき、良質な蜂蜜も取れる豊かな自然に恵まれ、小川では魚釣りを、森ではきのこ狩りを楽しみ、毎日ミルクをくれる可愛いヤギや、丸々太った豚に、声だけ登場する鶏と、農具を曳いてくれる馬や、人々の周りを駆け回る犬に、餌をねだって甘える猫がいて・・・。台所に並べられたピクルスの瓶詰め、庭先で仕込む自家製ウォッカ、疲れを取ってくれる週末のサウナ小屋・・・これ以上何がいるのでしょう? 朝霧にかすむ森、凍った川、夕日に染まる原野。ドゥヂチ村の美しさといったら、まるでユートピアです。
 この映画には、耳に馴染んでしまったシーベルトという単語は一度も出てこないし、こうすると放射性物質から身を守れるといったうんちくもありません。2011年の現在、23歳になるナージャが映画と同じように笑顔で暮らせているかどうかは不明です。ナージャたちは引っ越して、週末だけ父親のいる村に帰るようになったけれど、大量の放射性物質を体内に取り込んでしまった筈です。それでも私は、彼らになぜ逃げなかったの?と言うつもりはないし、自分もまた、ナージャの村ほど美しくはないけれど、この町で今までと同じように生きていこうと思いました。鎌仲ひとみさんの『ヒバクシャ ~世界の終わりに』(03)と共に、今こそ見ておくべき作品かもしれません。

【おまけ】
 単なる天下り団体としか思えない保安院の評価(という言い方は凄く不快ですが)「5」はどう考えても甘く(東海村で起きた事故が「5」でしょう)、初動のまずさから事態をここまで悪化させた上に「屋内退避」という言葉で住民を見殺しにした政府を許すことはできません。「国民の生活を守る」気持ちが全くないこの政権には、有害な放射能と共に一秒でも早く消えて欲しいと思います。
 けれども、極端なことをいえば、今回の事故で「被爆」しなければ、自分は広島&長崎の人々が経験した苦しみをほんの少しでも知ることができなかっただろうし、それでも不屈の精神で復興を遂げた彼らのことを思えば、「(東京にいる我々が)この程度の汚染でガタガタ騒ぐな」と勇気が湧いてきます。
 チェルノブイリ事故では、広島&長崎型原爆400発分の放射性物質が拡散したと言われています(8000km離れた日本にまで飛んできました)。それでも、20世紀に行われた原水爆実験によって放出された放射能の100分の1~1000分の1の値に過ぎず、事故から20年以上経った今(原子炉を埋めた石棺が老朽化して新たな汚染が始まっていますが)、汚染区域からニンゲンが消えたおかげで自然が回復し(もちろん汚染された自然なので、動植物は無用のリスクを背負わされている)、退避先に馴染めず故郷に戻ったり、戦争や生活苦から逃れようと汚染地域に安住の地を求める人々が現れる一方で、立ち入り禁止ゾーンの観光ツアーが人気を呼んで汚染区域が観光地化するなど、ナージャたちとは違う意味で放射能と暮らす人々も現れています。
 いずれにしても、1万発を超える核弾頭と500基を超える原発が地球上にある限り放射能汚染の恐怖から逃れるすべはないし、危険を知らされずに多くの人がアスベストを吸いこんだように、今回の事故がなくても我々はすでに被爆していたかもしれません。つい先日、胸部X線と腹部X線検査を受けたことだし・・・(妊婦と子供を除いて)特に私のような一人者は、覚悟を決めましょう!


品不足の仕組み? 

2011-03-18 23:48:48 | 独り言&拾いもの


 ここ東京で品不足が続いています。グループホームの必需品だと、食パン、牛乳、卵、豆腐、納豆、豚薄切り肉、鮭といった食料品に、トイレット&ティッシュペーパー、乾電池、そしてガソリンが入手困難になっています(インスタント食品とミネラルウォーターのコーナーも空っぽだが必需品ではない。お米は農家と直接取引しているため心配いらず。バナナも毎日消費してるけど今よりバナナダイエットが喧伝されていた頃の方が困っていた)。
 木曜日頃から、トイレットペーパーがお一人様1パック(12ロール)限定で買える様になりましたが、手付かずのまま棚に残っていました。すでに多くの人が必要以上に在庫を抱えているのでしょう。ペーパーに関しては、品不足は終息したと考えて良さそうです。ガソリンは依然として品薄で、近所のガソリンスタンドを例に挙げると、金曜日の朝9時には一人2000円(約13.3リットルと二輪並み)を上限に給油が可能でしたが、スタンドのかなり手前から給油待ちの車列ができていて、午前11時には閉店していました。
 ガス欠に近い人が13.3リットル給油するため長時間並んでいるとは思えません。ガソリンがある程度入っていても機会があるごとに給油している人が多いような気がします。何ごともなければ、常に満タンの状態で車を走らせている人はいない筈だから、絶対量が足りなくなるのも不思議じゃありません。
 ガソリンに限らず、いつもよりほんの少しだけ余分にストックしておこうと皆が考えれば、たちまち在庫切れになってしまいます。地震の影響もあって需要と供給のバランスが崩れた結果、品不足になっているだけの話なので、販売店が二回三回と補充を繰り返しているうちに物余りに転じるでしょう。本当に馬鹿馬鹿しい話です。

 とはいえ、かくいうニワトリさんも一昨日やってしまいました。少しは事態が好転したかと、面白半分野次馬気分で近くのホームセンターまで行ってみたら、水やインスタント麺はもちろん、清涼飲料水やお菓子のコーナーまで殆ど何も残っておらず、一人暮らしかと思われるご婦人が一人、空の棚の前でため息をついていました(カップ麺やおにぎりに缶詰を主食にせざるを得ない人々については別の解決策が急務です)。
 トイレットペーパーやティッシュ類は皆無で、紙オムツだけがほんのわずか残っていました。空っぽの棚には、「次回入荷は未定です」と書かれた札がかかっていましたが、これって火に油を注いでいるだけですよね。「必ず入荷されますので冷静に対応してください」と貼り紙すべきでは? 
 ニワトリさんはペットコーナーに向かいました。ドライフード&缶詰はいつもと同じように棚を埋めつくしていました。映画『マッドマックス2』だと、ペット用の缶詰もニンゲンの貴重な食料になっていて争奪戦すら起きていましたが、さすがにそこまではまだいっていないようです。6缶セット×5パック=計30個の缶詰と、6袋入りドライフードをカートに入れました(缶詰は2日で1缶、ドライフードは7~10日で1袋消費する)。
 続いて、トイレ用砂のコーナーへ移動しましたが、ここでニワトリさんは考えこんでしまいました。いつもだったら5kg入りの砂を2袋買うのですが(10kgの砂を三週間ごとに入れ換えている)もしかしたら、トイレットペーパーと同じようにペット用の砂も買い占めが始まるかもしれません。クルミさんは家ネコだし、「不測の事態に備えて」余分にストックしておこうと、倍の4袋をカートに積みました。
 30kg近い荷物を買い物カゴに積んで自転車を押し歩きしながら、この考え方そのものが品切れのメカニズムなのだと、身を持って理解しました。ネコの砂はメーカーごとに10袋ぐらいづつ陳列されていますが、自分と同じことを考えた人が20人もいれば完売してしまいます。それを理解できても、必要なときに品切れになってしまうのが嫌でついついストックしてしまう・・・いくら呼びかけても効果がないわけです。

 そんなことを同僚と話していたら、そういえばテレビで「ペット用の砂は災害時に簡易トイレとして役に立つ」と宣伝していたよ、と教えてくれました。テレビを見た人がこぞって砂を買い始めたら・・・その前に買っておいてよかった~と胸をなでおろしました。でもですよ、確かにペット用の砂は小便を固まらせてくれるし、大便も匂わないのだけど(せっせと砂をかけてくれるので、している最中にほんの少し匂うだけ)、ニンゲンはネコの十数倍の量を一度にするのだから、簡易トイレとして使うにはかなり無理があると思います。100kgほどストックしておけば話は別ですが・・・。


五日が過ぎました・・・ ~恥ずべき人々へ

2011-03-17 02:03:00 | 独り言&拾いもの


 3月11日、夜勤を終え帰宅したのが13時過ぎ・・・そのときニワトリさんはロフトタイプのベッドで寝ていたのですが、「ぐらっぐらっ」と横揺れを感じて眼が覚めました。つい最近も地震があったせいか、「また地震か・・・ま、そのうち収まるだろう」と、たかをくくってそのまま横になっていたのですが、揺れはなかなか収まらず、「ごごっ」という音と共に先ほどの倍以上の大きな横揺れとなり、さすがのニワトリさんもガバっと半身起き上がりました。
 心臓が早鐘のように鳴り始めています。揺れが大きくなった瞬間、足元にいたネコが鉄砲玉の勢いでベッドと壁の隙間に潜りこみました。
 ベッドは船のように「ゆさゆさ」揺れ、天井まで作りつけになっている本棚から本やDVD&CDが、手前にせり出してきてはボロボロと棚から落ちていきます。「うちは震度7に耐えられる耐震設計だし、一階の天井の梁は通常の倍も入っている。絶対大丈夫だ、落ち着け」と自分に言い聞かせるのですが、揺れはいよいよ強くなるばかり。ありとあらゆる神様に祈りました。
 揺れが収まると、1Fのリビングに降りてテレビをつけました。震源地は三陸沖で宮城県では震度7を記録したことに続いて、津波が来るので直ちに避難するよう繰り返し伝えています。到達時刻は15時。あと10分しかありません。ニワトリさんはテレビに釘付けになってしまったのですが、ふと窓から外を見ると、近所の人々が次々通りに出てきて、お互いの無事を確認しながら先ほどの地震について「怖かったね~」と語っています。自分も出ようかと思ったとき、巨大な津波が押し寄せて来ました。「これは大変なことになったぞ!」

 津波に襲われる町の映像は、現実のものとは思えなかったのですが、足が震えました。貿易センタービルが倒壊した「9.11」事件を目の当たりにしたときと同じくらいのショックを覚えました。
 (共にテレビを通してだけれど)リアルタイムに目撃してしまうなんて・・・しばし茫然自失の状態だったのですが、「こうしてはいられない」と我に帰ると、服を着替え父に置手紙を残してグループホームと事業所に向かいました。殆どのスタッフが利用者さんたちとバス+乗用車2台に乗りこんでスキーに行っていたからです。グループホームからも5人が参加していて、自分は今朝ほど「楽しんできてね~」と彼らを送り出したばかりです。グループホームは何の変わりもありませんでした。
 鉄道が全て止まり、高速道路も通行止めになりました。電話も殆ど繋がりません。そんな中、特別支援学校に通う利用者たちを自宅に送り届け、予定時刻に解散場所までお迎えに来るであろう家族のため現場に待機し、一段落すると事務所で仮眠を取りつつバスを待ちました。全員が無事帰宅し、自分も自宅に戻ったのは翌12日の朝2時でした。

 ここまでは普通の話です。土曜日、バスに長時間乗っていたスタッフに代わって自分が支援についたのですが、眼の不自由な利用者さんと買い物に行き、その方が好きなカップ麺と缶詰が売り切れていたときに異変に気づくべきでした。その日の帰りにはバイクのガソリンを入れたのですが、そのときも「ずいぶん混んでいるな」と思っただけでした。そのスタンドは他のスタンドよりかなり安くていつも混んでいたから、それ以上考えが及びませんでした。
 そして月曜日・・・夜勤に入った自分は、スーパーやドラッグストアから食パン、牛乳、米、納豆、豆腐といった常備食品やレトルト食品、電池、トイレットペーパー、ガスボンベなどが棚から姿を消したことを知りました。ガソリンスタンドにも長蛇の列が出来ていましたが、たちまち完売して閉店。これはいったい・・・!

 外国人は「これだけの災害が起きたのに、どうして日本人は落ち着いていられるのだろう」と感心しているそうですが、特定の品物や食料品を買い占めに行った人々や、在庫がなくなってから、ガソリンスタンドやドラッグストアの前で長い列を作った人々を目撃して、なんて浅はかで身勝手なんだ、と腹を立てていました。放射能が東京に降ってくる、と慌てふためいた人々にも!
 ちなみに、私が所属している知的しょうがい者のグループホームでは、トイレットペーパーをかなり使います。停電に備えて懐中電灯用の電池も充分確保しておきたいし、送迎用のガソリンも切らすわけにいきません。でも、それらを手に入れるために、四方八方捜し回って体力を消耗させるような間抜けなことだけはやめよう、とスタッフ間で話し合いました。最悪でも、来週になれば手に入るだろうし・・・無ければ無いで考えればいい。そして今日までに、トイレットペーパー16個、単一電池6個、ガスボンベ1本を並ぶことなくノータイムで手に入れることができ、運良くガソリンも補給できました。

 余震も多く、直下型地震にも怯える毎日です。計画停電が起きたときの準備だけでも疲労します。放射性物質が降ってくるかもしれない不安もあります。作業所や学校の時短により勤務時間はさらに長くなりました。でも、ここ東京は被災地ではありません。誰も死んでいないし(正確には何人か亡くなっていますが)、自宅が無くなったわけじゃない。多少の不便があっても交通機関は動いているし、電気やガスも食料も確保している。あせる必要はどこにもない筈。
 被災地の悲惨な現状を考えてください。被災地に物資を送るために復旧作業に従事している人々のことを考えてください。原子炉廃棄を惜しんで海水注入を早く決断できなかったためにこれほどの大惨事になったのだと東電を非難するのもいいけれど、現実問題として被爆しながら事態を好転させようと懸命に働いている原子力発電所の作業員のことを考えてください。そして政府は、誰かが現地に入って陣頭指揮してください。自分が首相だったら、福島に行きます。そこで倒れても構いません。首相の代わりなんて幾らでもいるからです。でも被災者はもちろん、救助にあたる自治体の人々や原発の作業員そして自衛隊員は断じて消耗品ではありません。

 今日の東京地方は、強風が吹き荒れました。現地でも風が強く吹いて、放射性物質が拡散しながら遠くへ遠くへ運ばれてくれたでしょうか? 発電所の半径30キロ以内で身動きできない人のために、そうなってくれたことを祈ります。
 昨日でしたか、関東でも放射性物質が確認されて大騒ぎになりましたが、乱暴な言い方をすれば、地元に降るより東京に降ってしかるべきです。昔から原子力発電には反対の立場ですが、原子力発電所の電気を使っているのは東京に住んでいる我々なのだから、多少の危険にさらされたところで文句は言えない筈。原子力から作られた電気は使うけれど原子力から生じる危険は一切お断りというのは、最も恥ずべき態度でしょう。

 最後に、最低限の物資も届かず生命の危機にさらされている被災地の人々のことを考えてください。それこそ、原爆投下直後の広島&長崎や大空襲で焼け野原となった東京と同じ姿となってしまった町のことを考えてください。テレビ画面には決して映らないけれど、おびただしい数の犠牲者がそこらじゅうに横たわっていることを想像してください。どうか、被災地の人々が明日を迎えられますように・・・。