『わ鐡』秋の旅 ~昨日の続きです

2009-11-09 23:32:08 | 鉄道紀行&乗り物

カモシカの見られる日まで通いたい!


 「『わ鐡』夏の旅」の記事を書き始めたのが、何とまあ、去年の今頃でした! ニワトリさんの動きに日記が全然追いついていないことがわかりますが、ここでまた去年の夏に遡って書き始めると、一昨日の秋の記事を書く頃には春を迎えているかもしれず、やはり直近の「秋」から書いて夏に遡ることにしました。


 留守番させられるネコに思い切り引掻かれて家を出ると、4時37分発の下り始発電車に乗って立川から青梅線・八高線と乗り継ぎ高崎へ。高崎に着いたら6時50分に発車する両毛線に駆け込む(乗り換え時間は約5分。八高線のホームは駅の一番端の先っぽなのでのんびりしていられない)。7時38分に起点駅の桐生に到着。同じホームの向かい側に、7時43分発大間々行のディーゼルカーが待機している。終点の間藤に行くなら両毛線を1本遅らせても大丈夫だけれど、車両基地のある大間々に途中下車しない手はないので、6時50分の電車が必須になる。
 新幹線を使っても、7時43分発の大間々行には間に合わない(東武東上線を使えば、相生駅でこの列車に乗れて料金も一番お得)。各駅停車の方が新幹線より速いのは、「もしもしカメよ~」のカメがウサギに勝つのと同じ理屈? それは兎も角、童謡を作詞した石原和三郎さんは旧花輪小学校(文化財として保存)の卒業生。石原さんに因んで、ウサギとカメの石像が花輪駅のホームでお迎えしてくれる(音楽付)。
 旧国鉄時代は「足尾線」と呼ばれていた「わたらせ渓谷鐡道」。桐生駅のホームは旧国鉄時代と同じ1番線を使用する。宮脇俊三さんのデビュー作となった『時刻表2万キロ』で、足尾線の足尾~間藤間 1.3kmが国鉄全線完乗の最後の区間となったことから脚光を浴びた。廃止を免れ第三セクターになってから今年で20周年を迎えた。誇らしげなエンブレムの裏側で、今日も鉄道存続に向けて懸命の努力が続けられている。車内に乗り込むと、運転席側から差し込んでくる朝日が眩しい。好きな瞬間だ。


 桐生から次駅の下新田まではJR両毛線内を走行するので、来た線路を戻る形になる。JRの渡良瀬川橋梁(有名な第2橋梁じゃなくて)を渡ると、いつでもカッコイイ鉄橋だと感心するのだけれど、この時点では写真を撮ろうと身構えていないせいか、まともな写真が撮れたためしがない。この日も橋を渡ってから慌ててカメラを向ける羽目になったが、たまたま水平が取れている写真になった(ブログ用に少しトリミングしている)。


    

(左)大間々駅の招き猫。この日は、大勢の乗客を「わ鐡」に招くことができた!
(右)大間々駅の木造駅舎の柱と屋根。乗ってきた車両が機回し線(でいいのですよね?)を使って向こう側に停まった。


 回りこんだ光が、あかがね色の車体を鈍く輝かせる。エンブレムのキジが光の中を飛ぶ「火の鳥」に見えた。自分が見た光景を写真に残せない(露出を試している間に回送されちゃった)。
「ニワトリさん、まだまだね」、由美香さんの声が聞こえた?


 自分が「わ鐡」に乗るときはいつもガラガラで、貸し切り状態を喜びながらも「これで大丈夫なのだろうか」不安も覚えた。この日は、大間々の「歩こう会」?の面々や観光バスで少しだけ「わ鐡」に乗る人々など実に多くの乗客を迎え、終日通勤電車並みに混雑した。ぐずぐずしていたら最後部運転席横の「指定席」も塞がってしまい、ディーゼルカーが七曲りに差しかかり写真に収めたい景色が次々現れても、指をくわえて見ていることしかできなかった。でも、「わ鐡」の駅の中でも一番好きな部類に入る「本宿」駅のホームを通過したときはもうたまらず、人の頭と頭の間からほんの一瞬カメラを向けてしまった。ピントは甘くなったが水平は取れていて構図も悪くない。じっくり構えてもどちらかに傾いてしまう癖を考慮すると、奇跡としかいいようがない・・・。