にわとりトシ子の、君の瞳に恋してる!

『純情きらり』と『あまちゃん』が続けて見られる今年だよ!

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やっぱり変だよ、マスコミ! ~民主党代表選第二幕

2010-08-31 23:10:00 | 独り言&拾いもの


 「代表選=日本の次期首相を決める選挙」になった民主党。ほぼ同じ時期に自民党の総裁選も行われますが、政権党になるとこれほど「取り上げられ方」が違うのだから、その責任をしっかり自覚してもらいたいです。
 と同時に、無責任に対立を煽り立てているマスコミに踊らされないように! 

 今回の代表選は、宇宙人元首相の言動によって立ち上がるべきでない人物が立ち上がり、それにより皆が右往左往したあげく旧態依然の政治に戻ろうかという流れになってしまいましたが、「どちらが勝っても党が割れる」という考え方がそもそも間違っています。そんなことは普通はあり得ないし、もしそれが起こるなら起こってしまった方がすっきりします。

 マスコミはいたずらに対立を煽る記事を書くだけで、「党の代表は選挙で決める」ことになっているのに「話し合いで次期代表を決める」のはおかしいと、なぜ批判しないのでしょう? それでは、かつての自民党と何ら変わりません。その自民党にしても、故田中元首相による「院政」が当たり前に行われていた頃に、話し合いで後継者に選ばれた中曽根氏があえて選挙を行って自民党総裁=首相になり、「影響力」を最小限に留めた例があり、一匹狼だった小泉氏が選挙に打って出て世論を背景に「派閥による談合政治」に勝利してからは「選挙」の実施が当たり前になったのだから、政権与党となった民主党が「選挙」をしない、もしくはできないなら、「政権交代はやはり間違っていた」ことを自ら証明したも同然です。党が割れたら大変だとの理由で何らかの妥協が行われ、選挙が回避される「最悪のシナリオ」にならなかったことを好しとしましょう。

 「代表選」に誰が手を挙げても構わないのに、ニワトリさんが異議を申し立てたのは、今回の代表選に立候補すべきでないと自分が考えている人物が立候補を表明したからです(引責辞任したばかりなのに立候補はおかしい。「国難」をこれ幸いの理由に復権を試みたようだが、どんな国難が迫ろうとこのタイプの政治家はもう要らない)。その人物が「やはり立候補するべきではなかった」と言って不出馬を表明するなら話はわかりますが、そうでないなら選挙で問うのが当然でしょう。なのに・・・

 「話し合い」で代表が決まった方が良かったかのような見出しが躍っているマスコミ報道には、(その前から十分呆れているけれど)本当にうんざりします(「対立回避の協議決裂」と書かれていれば、その方が良かったのかと読んでしまう人もいるでしょう)。もっとも、話し合いで次の代表が決まれば、マスコミは「密室談合」と言って激しく非難するに決まっているので、どっちに転んでも同じだったのかもしれません。
 ここらで襟を正して、立候補者の資質と政策の是非だけを議論してもらいたいものです。それにしても、党内では元幹事長が優勢だと・・・「クリーンな党」はどこ行った?

追記 ~今朝(1日)の東京新聞、見出しではないのですが囲み記事で今回の代表選を巡る経緯を「これほどあからさまな権力闘争があっただろうか。民主党の小沢一郎前幹事長が代表選挙出馬という《切り札》を手に党運営の実権を明け渡すように迫り、管直人首相はこれを拒否した」と、ひと言で要約していました。かの人はマニフェストを守るのが責任だと言い張っていますが、国民の多くは「公約」だった子供手当ての全額支給や高速道路の完全無料化を切望しているわけではなく、「本質を見抜き、あきれ果てている」のが実情だと指摘し、「民主党(議員)は、民意から完全に乖離してしまったことを肝に銘じるべきだ」とはっきり述べています。「この争いに意義があるとすれば、二十年間にわたり政界の対立の軸だった《小沢一郎》を総括する好機」という意見にも賛成です。最近の円高と株価の下落をいいことに、「景気対策」と称して停止した公共事業を復活させようという動きもあり、どんなことに国税が使われようとしているのか注視する必要があるでしょう。個人的には、非正規雇用による低所得の問題は絶対に改善されなければならないと思いますが、今の生活に特に不満はありません。高度成長~バブル期を経験した人は、物質的な「贅沢」だけでは豊かになれないことを実感していると思うのですが・・・『ゲゲゲの女房』が受けたのもそこにあるわけで、少しの貧乏がいったい何だというのでしょう? 

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食っちゃ寝・・・

2010-08-30 09:14:00 | 独り言&拾いもの


 昨日の日曜日は、直前になって休日が決まりました。土曜日は日中活動だったのですが、夜になると波のように眠気が訪れてきて、21時にはベッドに転がり込んでしまいました。でも、暑かったのでしょうね。4時半に目が覚めたときは、ベッドではなく床に転がっていました(ネコもベッドを降り、自分が座っている椅子で寝ていた)。
 金曜日と同じように、朝食前にひとっ走りするつもりだったのですが、ネコのクルミさんが妙にまとわりついてきたので、今日は出かけずにのんびり一緒に過ごすのもいいなあ~と思い、再びベッドに上がりました。この時間帯だと、もう暑さは感じません(ロフトタイプのベッドなので、夏は暑い!)。
 7時に起床、朝食後は掃除、布団干し(ずっと気になっていた)カーテンの洗濯などを片付け、庭の植物たちに水をあげたところで10時。まだこんなに時間が余っている! クルミさんといえば、自分が掃除をしている頃は、われ関せずでゴロゴロしているか、何を考えたのか、掃除機に「ネコパンチ」を浴びせていましたが、掃除が終わると、早速何もなくなったベッドの上で、例の緑のリュックに寝そべって、眠り始めました。こちらはもう少し片づけをしようと、シャワー上がりのさっぱりした身体で書類の整理を始めたところ、速やかに眠気が訪れてしまい、仕事を中断してネコの横にごろんと転がると、そのまま昼まで眠ってしまいました。
 午後は、布団を取り込むとパソコンに向かいました。クルミさんはポカポカの布団の上で(暑くないのかな?)身体を思い切り伸ばし、これ以上の幸せはない感じの顔で寝ています。何度か右や左に寝返りを打ちながら一時間ほど眠り、ようやく目を覚ますと、大きなあくびを二、三回して、おもむろに毛づくろいを始めました。全然、遊ぶつもりはなさそうです。こちらは毛づくろいが終わるのを待っているつもりで他のことを始めるのですが、ふとクルミさんに目を向けると、もう眠っています(今度は海老のように身体を丸めています)。結局、夕方6時過ぎまで「この繰り返し」でした。私は何のために家にいたのでしょう?
 完全に目を覚ますと、さすがにお腹が空いたのでしょう、「にゃあにゃあ」鳴きながら私のまわりを落ち着かない感じで回り始めましたが、ドライフードをトレーに入れてあげても少ししか食べず、こちらが何を要求されていたのかわからないうちに、リュックの上で眠ってしまいました。猫はよく寝ると聞いていたけれど、こんなに眠るものなのかしら? 
 とはいえ、飼い主もネコに倣ってその日も夜9時に寝ているので、だらだらしようと思えば幾らでもだらだらできることを証明したわけですが、こんなに緩んでしまったら、今日の夜勤が辛く感じるかも? 今朝は4時半に起きましたが、ブログを書くのもあまり気が進まず、こんな文章になってしまいました・・・。
今週も猛暑です。 ゆるゆる行きましょう!

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猛暑の夏の白昼夢 ~第一幕 

2010-08-27 23:57:50 | 独り言&拾いもの


 一夜明けて、「大儀なき戦い」があちこちで火花を散らしています。シェイクスピアの『真夏の夜の夢』は優れたコメディだけれど、今回の民主党の代表選挙は何と言いますか、政策論争をする前に多数派工作に奔走する醜く愚かしい姿を早速見せられると、「猛暑の夏の白昼夢」という名の三文喜劇の色合いが濃厚です。芝居の内容が「干す干さない」「解散だ」「党を割る」といった恫喝が飛び交う、かなり陰湿なやりとりなので、不快指数でいえば猛暑というより梅雨の鬱陶しい暑さに近く、立候補者の政治的賞味期限を考えると「夏の盛り」ではなくて、「冷夏」による不作とか、「残暑」の影響とか、「晩秋」の空しさといった言葉が浮かんできます。
 
 まだ告示前とはいえ、議論が内向きで、「何のために権力闘争をしているのか」全く伝わってきません。ガキ大将の喧嘩によく似ているけれど、そんなに仲が悪いならどうして同じ党にいるのだろう、というのが国民の率直な思いではないでしょうか。グループによる締めつけが緩いので両陣営とも「票が読めない」そうですが、自民党政権時代と全く同じ派閥抗争を見せられると、政権公約を守る守らない以前に政権交代を選択したことが間違っていた、ということになりかねません(もっとも、自分は、政治空白が日本経済に与える悪影響に関しては、経済界の人々ほど気にかけていませんが)。

 代表選後の見通しについて、「みんなの党」を立ち上げた人物は、「 O 氏が当選し、『 W (=自分)を首班(首相)にするからどうだ』と言われたら W は絶対乗る、という話がまことしやかに徘徊しているが、バカ言うんじゃない」と連携を否定する一方で、「民主党ハルマゲドン、最終戦争が始まった。民主党は必ず壊れる。 K 首相が勝っても、政界再編は必至だ」と発言、国民から乖離した低レベルの永田町政争を、実は歓迎していることがわかりました。
 自民党を飛び出したはいいが行き場のない政治家たちにしてみれば、「それ」を機に陽のあたる道(「与党暮らし」)に戻りたいと願っていることでしょう。その意味では「同じ穴の狢」に過ぎませんが、国会議事堂が魑魅魍魎の巣窟となった暁には、ゴジラに破壊してもらうか、鬼太郎か百鬼丸に「妖怪退治」をしてもらうしかなさそうです。具体的には「選挙による一票」なので、各政治家の動きをよく見ていましょう!

 『猛暑の夏の白昼夢』では、かなり低レベルなコメディが演じられていますが、一番お株を下げたのが前首相でしょう。ここまでく来ると「宇宙人」ではなくて「狼少年」と呼ぶべきで、もう誰もこの人の言葉を信じません。いみじくも同じグループ内の人物から、「引退宣言した人だから政局に口を出すべきでない」とダメ出しされてしまいました。「政治とカネの問題」について問われたときは、「 O 氏がそれを背負いながら、しかしそれでも、この国のために行動しなければならない、国のために命をかけたいと決断したということだろう」(コメントが不明瞭だったので意訳しましたが、十字架を背負ったキリストの話をしているのかもしれません)と答え、「現首相のここ数カ月の政策には、(持ち論だった)【友愛の政治】は十分に見えない」と批判、自身が発言した「クリーンな民主党」に最もふさわしくない人物に「心の政治に力点があるのかなと思っている」とラブコールを送るなど、わけのわからない宇宙人語録を増やしています。

 続いて馬脚を現したのが総務相。夏目漱石の小説『坊ちゃん』には「野だいこ」は一人しか登場しませんが、民主党にはたくさんいるらしく、彼は閣議を放り出して「ボス」のためにテレビ出演しました。総務相として相応しくない失言や失態を過去に重ねており、これを機に罷免してください。国会も閣議も我々の税金で賄っているのですよ。こんな人、要りません。
 今後も、これに続く人が出てくると思うので、笑える(殴りたくなる)人が現れた場合は逐一報告しようかとも考えています。「泥仕合」を笑うしか、この不愉快は乗り越えられない?

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日本沈没?

2010-08-26 23:24:25 | 独り言&拾いもの


 ニワトリさんのブログでは極力生臭い話はしないようにしているのですが、腐臭漂う権力亡者の民主党代表選への出馬表明をニュースで知らされたら、もう黙っていられません。この人、5月の終わりに当時の首相と一緒に引責辞任した人物でしょ。嫌々だろうと、ついさっき退場した人が舌の根も乾かないうちに表舞台に出ようという神経が信じられないし、つい昨日まで現職の首相を支持すると言っていた前首相が、一夜明けたら前言を翻して(それがてめえの大義だとさ)その人物を支持すると宣言したのだから、開いた口が塞がりません。
 この前首相ですが、発言があちこち「ブレる」というか、迷走することで知られています(沖縄の人々はどれだけ苦しんだか・・・)。一度は政界引退を宣言してそれをあっさり撤回した情けない人物が、派閥のリーダーを務め、一年未満とはいえ一国の首相にもなり、オマケに日本で一番お金持ちなのは、何かの間違いではないかと思うのですが、このような人はもちろん、こんな人についていく人も、こんな人が支持する人物もろくでなしに違いないと、普通は考えますよね。

 今回、民主党の代表選に立候補することを表明した元幹事長は、自民党に所属していた頃から権力闘争に明け暮れていましたが、この人物が自民党による独裁政治を終焉させ日本に真の民主主義をもたらしてくれるのではないかと期待したこともありました。でも、彼がやっていることは、師と仰いだ田中角栄&金丸信と全く同じ旧態依然の派閥政治で、自分は任期のある首相などにならず、自分の意のままに動く人物を次々と首相にして半永久的に権力を握ろうというその政治手法は藤原氏の摂関政治や上皇による院政に近く、近代民主主義とは程遠いものでした。
 まあその人が代表選に勝って首相になろうというのだから、誰かを立てるより判り易くなりましたが、自らの「政治と金」については前首相同様説明責任を果たしておらず、立候補すること自体が信じられません。一説によれば、このグループは先の参院選敗北の責任を取る名目で、党の金を一手に握ることのできる幹事長ポストを自分たちに寄こせという条件闘争をして、それが受け入れられなかったので選挙に打って出たというのだから何ともお恥ずかしい話で、これが「国民の生活を守る」党の実態ならば、悪夢以外の何ものでもありません(でも、これが現実・・・)。

 さらに呆れるのは、立候補を決意した元幹事長が、師たちが頼りにした永田町だけにしか通用しない「数の論理」を頼りに、国民不在の権力闘争を始めたことです。党のダメージも相当大きくなるでしょう。個人的には、この代表選を夜の赤坂での票集めではなく政策論争で堂々戦い、旧態依然の政治家と、臆面もなく「待望論」を口にする取り巻き連中を一掃して、民主党が再生してくれることを望みますが、受けて立つ方も五十歩百歩・・・・低レベルの醜い戦いを嫌というほど見せられるかも?
 かといって、最大野党の自民党も、元首相の息子と頭の悪そうな元女性アナと美しすぎる市議が広告塔で、同じ元首相の息子でも酒気帯び運転で逮捕されたり、暴れん坊で有名だった元議員が逮捕されるなど真にお寒い状況で、八方塞りとは正にこの状況を言うのでしょう。兎にも角にも、我々国民にとって非常に不幸な事態が最低一ヶ月続くのだけは避けるべく、せめてマスコミだけでも代表選の動向を追いかけるのをやめて、より重要で深刻な問題を提起して欲しいと思うのですが、まあ無理だろうなあ・・・。頼れるのは、やはり官僚だけ?

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201系の「さよなら駅弁」

2010-08-24 09:36:00 | 鉄道紀行&乗り物


 先週の金曜日、映画帰りに新宿駅南口のコンコースを通った際、有名駅弁が並んでいる駅弁屋さんに「オレンジ色」の駅弁が置いてありました。何かと思って進路を変え駅弁屋さんに立ち寄ると、写真の「201系中央線卒業記念弁当」でした。
 オレンジ色の包装紙にオレンジ色の弁当箱だから、余計に目立つのかもしれませんが、わずか 0.1秒(ちょっと大袈裟だけど)で目ざとく見つけるとは、「さすがオレンジ色にこだわるニワトリだ」と我ながら感心したのですが、「卒業記念」というのは少し違うような気がしました。だって、全然晴れがましくないもの・・・。オレンジ色が中央線から姿を消すという厳粛な事実が胸に迫ってきました。

 それにしても、とうとう明石小学校の本体解体工事が始まってしまいました。関東大震災の復刻小学校については危機感を抱いていたのですが、またしても名建築が姿を消してしまいます。この国には余分にコストがかかっても「これだけは後世に残していこう」という気持ちが全くないのでしょうか?(餘部鉄橋も新しいコンクリート製の鉄橋に切り替わりましたね)。消えゆく建造物や消えてゆく乗り物たち・・・私は悲しい!


(左)味はまあまあだったけれど、1000円は高すぎる気も・・・橙色にこだわるものとしては、ここはチキンライス(とハンバーグと唐揚げ)で攻めて欲しかった。お子様ランチと同じじゃないか、という意見もあるでしょうが・・・
(右)写真の中央線は、レモンイエローの総武線とすれ違っている。ひと昔前の貴重な写真だが、個人的にはオレンジ色の10両編成全てと桜が写っていて欲しかった。「卒業」というなら、やはり「桜」でしょう!

 今日も暑いですね! 個人的には今日の夜勤が終われば一山を越えるので、ゆるゆる頑張るしかない。色々考えたところで明日は必ずやってくるのだから・・・。

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『ゲゲゲの女房』(第21週) ~鈍感力と鈍感

2010-08-23 23:54:00 | 連続テレビ小説


 『ゲゲゲの女房』、ついに全撮影が終了したそうで、お疲れ様でした。第21週では、放送週が終戦の日前後ということもあったのでしょう、『鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~』との題名でNHKが2007年8月にドラマ化した漫画『総員玉砕せよ!』を執筆するまでの経緯が語られていました(ちなみに、そのとき妻の布枝を演じたのは田畑智子さん。彼女の布美枝も見てみたいな~)。
 その一方で、漫画家「水木しげる」の娘であることで、色々嫌な思いもする長女藍子ちゃんのエピソードも語られていたため、幾分薄まってしまった感もあります(あまりにも生々しいのはあえて避けた?)。ドラマの中では、今初めてその話を聞かされたかのような布美枝の表情に違和感を覚えました。ご存知かとも思いますが『総員玉砕せよ!』は、水木しげるが三年前の1970年に発表した『敗走記』を書き直したもので、これが最後の戦記物になりました。本人によれば、一番好きな作品だそうです。

 閑話休題、数年前に話題になった「鈍感力」という言葉を覚えていますか? 「鈍感力」とは、気づかない、鈍い、といった「鈍感」のことではありません。もっとも、ただの「鈍感」も捨てたものでなく、「敏感」過ぎる神経をすり減らすより「鈍感」であった方が幸福に生きられるに決まってます。
 しかしながら、「鈍い」つまり「気づかない」ことで視野を狭めていることや、他者との関係性を考慮すると、やはり「鈍感」でいてはならないと思います。世の中の「多様性」を知れば一人ひとりの人生もより豊かになる、と私は確信していますが、「見えないもの」に対しても目玉を見開き、「聞こえない声」に対しても耳を傾け、五感の全てを使って感じることが何より大切だと日々思うのです。

 さて、「鈍感」に対する「鈍感力」とは、(その言葉を使った渡辺淳一氏によれば)「基本のところで鋭敏さや見識を持ち、その上で能力をさらに伸ばす推進力、あるいは落ち込まない復元力」だそうです。もっとくだけた言い方をすれば、「どんなときにもくよくよしないで、へこたれずに物事を前向きに捉えていく力」であり、そのためにあえて「もっと鈍感になりなさい」と、空気を読むことに必死になっている人々に「鈍感」を奨励しています。
 高いレベルの「鈍感力」とは、「繊細な神経を持ちながら打たれ負けない心」ということになりますが、これって、レイモンド・チャンドラーが私立探偵フィリップ・マーロウに言わせた「タフでなければ生きていけない。優しくなれなかったら生きていく資格がない」という台詞の「核」になっている思想(信条)ではありませんか!
(蛇足として付け加えると、この台詞は「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」として知られているけれど、原作の『長いお別れ』だと、この言葉の前に「貴方みたいなタフな男がどうして優しくなれるの?」という台詞があって、マーロウの答えも「優しくなれる」のと「(常に)優しい」のでは微妙にニュアンスが変わってしまいます。「優しくなければ」とした角川映画のキャッチコピーを少々恨めしく思うニワトリ・マーロウでした)
 「優しさ」は「鈍感」の対極にある言葉かもしれません。繊細な感性から「優しさ」は生まれてくるのではないでしょうか。そこで、先ほどのマーロウの言葉を「(優しくなれるよう)ナイーブでいたいから、タフな心(と肉体)を持ち続ける」と言い換えると、「鈍感力」の本質と、なぜそれが必要なのかと、どうしたらそれを高められるのか、わかるような気がしてきました。

 『ゲゲゲの女房』が週を重ねるごとに、「鈍感力」の持ち主が茂で、単に「鈍感」なのが布美枝という図式が出来上がってしまったようです。本当は二人とも「見えんけどおる」ものに敬意を示すだけの鋭敏さと見識を備えている筈なのに・・・。
 あまりにも「鈍感」なヒロインが(脚本にもよるが、そのように見えてしまうヒロインの演技も・・・)、視聴率の上昇とは裏腹にこのドラマを徐々につまらなくさせていきました。端的に現れたのが第21週で、前の週に学習したことを(藍子ちゃんが架空の作文を書いたこと)忘れているかのようなヒロインの勘違いぶりに、「何て鈍感な人物なんだ」と腹を立ててしまいました。これでは、盲目的に夫に従っている頭の悪い女性か、強権的に夫に従わされている抑圧された女性にしか見えません。「藍子はお母ちゃんに似た」って言われても???
 その意味で、今週の反乱(家出)に期待しているのですが・・・。

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『ネコを探して』 ~巴里の猫はどうしているのだろう?

2010-08-22 05:05:00 | 映画&ドラマ


女の子なのに・・・暑いのかな?(このネコは映画に登場しません)



 『ネコを探して』は、7つのエピソードからなる異色のドキュメンタリー映画です。ニワトリさんは、題名だけで前売券を買っていました。映画に貴志川線(和歌山県)のスーパー駅長「たま」が出演していることは知っていたのですが、いなくなったネコのクロを探しているうちに(この部分がアニメーション)、飼い主の女性が時空を超えて世界中を旅することになり、ネコと人間の関係を通じてニンゲンそのものを見つめ直す、という構成になっていることは全く知らず、いなくなった猫と巴里のドキュメンタリーだと勝手に思い込んでいました・・・。

 それにしても、7つのエピソードのうちの3つの舞台が日本とは・・・日本はある種のネコ天国(野良猫も含めて)なのでしょうが、「ネコカフェ」の猫を可愛がる一方で殺処分される直前の?猫が出てきたり(何と、仏文学者の鹿島茂さんも登場)、空前のペットブームの「影の部分」を見せられると、どうにも居心地が悪くなるし、巴里の猫はどうしているのだろう? 巴里に野良猫はいるのだろうか?などなど考えてしまいました。
(この監督、よほど日本に興味を持ったのか、次回作は「日本の猫」についてのドキュメンタリーになるそうです)

 最初のエピソードは、そういうわけで日本ですが、舞台は水俣で水俣病の患者さんが登場します。猫と水俣病? 一瞬何のことかと思うけれど、「チッソ」が海に垂れ流した工場排水に含まれていた水銀の最初の犠牲者となったのが、水俣の魚を長年食べ続けていた漁師たちから魚をもらっていた猫でした。水俣病の原因が水銀中毒で公害病であることを証明するための実験で殺された猫(チッソ側は同じ動物実験を行ってその結果を隠蔽した)を含めると、おびただしい数の猫が犠牲になっていたのです。
 私はこのエピソードを見て、恥ずかしさを覚えました。水俣病の記録映画で、もだえ苦しむ猫の映像を見ていながら、そのことをすっかり忘れていたからです。『ネコを探して』は、この一点だけでも見る価値があると思います。決して忘れてはならない・・・。
 そしてこれも他人事ではないのですが、行き過ぎた民営化(資本主義の暴走)により国鉄ではなくなったイギリスの鉄道で、信号所の従業員と共に働くネコたちの話も身につまされました。ネコと鉄道の関係は、「たま」だけではなかったのですね~。駅や信号所にはネコがいるのですが、彼らはケーブルを齧って列車の運行に支障をきたしたり、安全を損ないかねないネズミを退治してくれていたのです。また、徹夜で線路を守る人々に寄り添ってくれる無言の相棒でもありました。でも、「鉄道」も金儲けの手段に過ぎない「新しい株主」(奴らのことを「物言う株主」として持てはやした時代がありました)は、人件費(とネコの餌代)を削るよう会社に要求します。コストダウンの結果、重大事故が起こらなければいいのですが・・・(日本では起きましたね)。

 他には、(また日本の話だけれど)ホームレスや飲食店街の人々が面倒を見ている「地域ネコ」とか、「おくりびと」ならぬ「送りネコ」のオスカー、「ネコカフェ」どころか「ネコホテル」(一晩ネコを借りられる)のネコたちなど、たくさんのネコが出てきます。先にも述べましたが、第2弾は「日本のネコ」だそうなので、是非第3弾で「巴里の猫」を取り上げてくださいな。とても絵になると思うのだけれど、もしかして巴里に野良はいないのかしら?

 『ネコを探して』 公式HPは、 → ここをクリック

 昨日は、レインボープールの引率があって、気持ち良く過ごせたのですが、夕食後は布団に直行し・・・これを書いたら、もうひと眠りしますか? 今日は夜勤だし。

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名画座への招待 ~ユリイカVS映画秘宝

2010-08-20 23:59:10 | 映画&ドラマ


 


 以前、「映画館に棲みたい(「住む」じゃなくて「棲む」)」と書きましたが、より正確にいうと、名画座の館主(支配人)になって自分の好きな映画を二本立て三本立てで上映するのが夢でした。
 当時の名画座は、今の回顧上映のように、明確な意思を持って上映作品を選定してるところが多かったので、その影響をかなり受けたのでしょう。今では、名画座こそ絶滅しましたが映画ソフトが充実しているので、家庭劇場でトリュフォーの『大人は判ってくれない』と、カネフスキーの『動くな、死ね、甦れ!』(とうとう、DVD-BOXが今月28日に発売)という贅沢極まりない二本立てを上映することも可能です。それを考えると、今の時代の方が充実しているような気もするのですが・・・。

 昔も今も基本的には同じだと思うけれど、その昔、お小遣いでロードショーを観てしまったらその月はもう他の映画を観ることができないので、見たい映画が二番館(名画座など)まで降りてくるのを待つのが「普通」でした。名画座の入場料はロードショーの半分ぐらいだったので、ロードショーを1本見るお金で、二本立てなら4本、三本立てなら6本も見られる計算になります。
 当時はDVDどころかビデオテープもなかったのですが、その代わり名画座が沢山ありました。映画を観る際は、山ほどある名画座から一番得と思える二本立て三本立てを探すのが最初の仕事でした。映画狂がいよいよ高じてきた頃に、情報誌の『ぴあ』『シティロード』が創刊されました。見たい映画を探すのにどれくらい役に立ったか・・・今のパソコンの比ではありません。

 映画を浴びるように見るようになると、全ての映画が傑作ではないと否応なしに気づきます。二本立てでも元が取れないつまらない映画もあれば、最初から二本立て&三本立て上映を前提とした「グラインドハウス・ムービー」があることも、やがて知るようになります。
 国立にも「国立スカラ座」という名画座があって、多いときは月4回(計8本)通っていました。アメリカ映画以外はなかなか上映されなかったのですが、ロードショー作品を比較的早く見ることができて、パンフレットも手に入るので非常に重宝していました。

 今では交通費を浮かすことが一番の目的ですが、立川で映画を見るとき以外は大抵「はしご」をしています。
20日の組み合わせは、11時15分の『シルビアのいる街で』と、14時10分の『ゾンビランド』です。
 『シルビアのいる街で』は、あのビクトル・エリセが太鼓判を押し、蓮實重彦教授とその門下生が大絶賛しているヨーロッパ映画で、『ゾンビランド』は、「映画秘宝」の高橋ヨシキさんや、ゾンビ映画を語らせたら右に出るものはない伊藤美和さんも一目置いているゾンビ映画です。
 観客が全くかぶらない、水と油の関係にも似た映画をはしごするなんてどうかしていると思うかもしれませんが、共に居心地の良い時間を過ごすことができました。ふざけて、「ユリイカ」VS「映画秘宝」と書きましたが、どちらの映画も同じように好きであってほしいと思います。
 実際の話、『シルビアのいる街で』は決して真似をしてはいけない「ストーカー映画」で、主演男優が美形でなければいかなるマジックを使おうと、変質者呼ばわりされかねない映画です。一方の『ゾンビランド』は、派手に血しぶきが上がるわりに良質のエンタテイメントで、誰もが共感できる青春映画だったので、この二本立ては正解だったと、今も映画の余韻に浸っているニワトリさんなのでした。
 個々のレビューは後ほど・・・

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『ペルシャ猫を誰も知らない』 ~この音楽を聴け!

2010-08-18 08:28:00 | 映画&ドラマ


イランから音楽映画の傑作が誕生しました!


 『ペルシャ猫を誰も知らない』(09)の「ペルシャ猫」は「イラン」のことを表しています。この題名は文字通り、私たちが誰一人としてイランの「現在」を知らないことを意味していて(それには三つ原因があって、一つはマスコミの怠慢。続いて我々の無関心。そしてイラン政府による徹底した情報管理)、知ることの難しさと大切さを改めて胸元に突きつけられる点で、非常に教育的な映画です。

 それにしても、17日間に及んだ無許可のゲリラ撮影が捉えた「イランの現在」の何と生々しいこと! 観客を最後まで惹きつける脚本で足元をしっかり固め、切り取った映像を編集という名のマジックを使って、(どこで腕を磨いたのか)アンダーグラウンドで活躍するイラン人音楽家の奏でる「驚異の音楽」と重ねることで、より力強く疾走感のある映像となってスクリーンに生き生きと映し出されていました。音楽が流れる場面だけを切り取ればポップで新鮮なミュージックビデオとしても十分楽しめ、ジャンルは異なるけれど、マイケル・ジャクソンの『スリラー』を観たときと同じような驚きを感じることでしょう。
 『ペルシャ猫を誰も知らない』は、誰も見たことのないイランの人々とテヘランを捉えた優れたドキュメンタリー映画であると同時に、音楽好きな観客をとことん魅了する青春映画なのです。必見!!!

 ニワトリさんは、巻頭一番流れてきた音楽にいきなり打ちのめされてしまいました(1ラウンド1分でいきなりダウンといったところでしょうか?)。そして、映画館で発売されていたサウンドトラック(輸入盤。国内盤は今のところ販売予定なし)を購入したのですが、先に聴いた映像付きの音楽の方が遥かにインパクトが強かったことに、今更ながら驚かされました。その逆も真なりで(映像に音楽を付けることで、映像を際立たせる)、映像と音楽をうまく組み合わせると、「1+1=2」以上の相乗効果を生み出せるというわけです・・・。

 イラン政府はそのことを危惧したのか、カンヌ国際映画祭で絶賛された『ペルシャ猫を誰も知らない』を公開するつもりは全くないようです。イランと言えば、イスラム革命が起こる前は中東で一番西洋化した国だったのですが、その時代に生まれた文化(日本の戦後も同じだと思うが、一種のカルチャーショックですね)が厳格なイスラム教徒国になってからも脈々と受け継がれてきたのでしょう、絶品のポップ、フォーク、ロック、ヘビーメタル(本当なんだから!)、R&B、ラップ、そして西洋音楽と伝統音楽が融合した全く新しい音楽が、当局に厳しく監視され検閲されながらも歌われていることに本当に驚いたし、大いに意気に感じました。人種・宗教・国家の違いといった、ときに戦争を引き起こすまでの大問題を些細な問題に変えてしまう「音楽の力」が全編にみなぎっているのです。同じ音楽を好きな心に国境は存在しない・・・正しく「音楽は自由への翼」なのですね~♪

 『ペルシャ猫を誰も知らない』は、バフマン・ゴバディ監督の最新作です。ゴバディ監督はイラン在住のクルド人で、1993年から短編映画を作りながら、1999年にアッバス・キアロスタミ監督の『風の吹くまま』の助監督を務め、2000年にはサミラ・マフマルバフ監督の『ブラックボード 背負う人』の主演俳優の一人を演じ、同年にイラン映画史上初めてクルド語で演じられた『酔っぱらった馬の時間』を発表しました。
 この映画はとんでもない傑作なのに、日本ではアッバス・キアロスタミが『友だちのうちはどこ?』(87)で発見されたときほど話題にならなかったことが非常に残念でした(このあたりから、蓮實教授&その取り巻きたちと袂を分かつようになった)。

 その後ゴバディ監督は、コンスタントに『わが故郷の歌』(02)と『亀も空を飛ぶ』(04)を発表、クルド三部作を完成させました。『亀も空を飛ぶ』は、イラク&イランの国境地帯に住む人々の苛酷で厳しい「現実」を描いたデビュー作の『酔っぱらった馬の時間』でも描いていたユーモアを一切排除して、観客を逃げ場のない崖っぷちに追いつめたこの上なく厳しい作品でした。
 日本未公開の第四作『Half Moon』(06)を撮ったあたりから、(現政権になってからでしょう)当局の検閲が厳しくなり、二年間撮影許可をもらえなかった監督は、スタジオで歌を歌って憂さ晴らしをしている最中に(ゴバディ監督は音楽でも食べていける?)この映画の主人公となるアンダーグラウンドの音楽家と知り合い、彼らの映画を撮ろうと思い立ち、当局に無許可で撮影を敢行、映画を完成させました。
 現在ゴバディ監督は、事実上の亡命生活を送りながら次回作の準備を進めているそうです。


   

(左)『ペルシャ猫を誰も知らない』サントラ。主演の二人(写真手前)は、「Take It Easy Hospital 」というユニットを結成し人気も出てきたが、ゲリラ・ライブの最中に当局に逮捕され出国を決意。監督とは録音スタジオで偶然知り合った。最終テイクの四時間後!にイランを離れ、現在ロンドン在中。個人的に一番驚いたのは牛舎に鳴り響いたヘビメタ。牛たちも目が点になっていたが、「丑」のニワトリさんも思わずびっくり、手を叩いて喜んだ!
(右)現在、アメリカで活躍しているラナ・ファルハンの新作『 Your Wish 』。輸入盤を取り寄せ中。彼女の声は素晴らしい。痺れます! 「ブルーノート東京」に是非呼んでください~♪

 『ペルシャ猫を誰も知らない』公式HPは、 → ここをクリック

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『ゲゲゲの女房』(第20週) ~妖怪○×

2010-08-16 22:47:00 | 連続テレビ小説


 妖怪【いそがし】=取りつかれると、やたらにあくせくとし、じっとしていると、何か悪いことをしているような気分になる。逆にあくせくしていると、奇妙な安心感に包まれる(以上抜粋)。境港の「水木しげるロード」には139体のブロンズ像が置かれていて、妖怪【いそがし】は88番。テレビドラマでお馴染みになった「べとべとさん」「天井なめ」「のんのんばあ」(は妖怪ではないけど)に、同志の戌井さん(桜井昌一さん)がモデルになった「サラリーマン山田」や、都市伝説から昇格した?「口裂け女」のブロンズ像もある。

 昨日の13時半から今日の夕方17時まで(サービス残業も入れて18時10分に帰宅)働いていたニワトリさんもまた、「いそがし」にとりつかれていたのかもしれませんが、好き好んで働いているわけではなく、「いそがし」とはちょっと違うかもしれません。「忙しければ忙しいほど安心する」のは、ニンゲンの心理として当然のことだと思います。そうなると、死ぬまで「いそがし」と縁が切れないのがニンゲンなのかもしれません。 
 ニワトリさんが明らかに「いそがし」にとりつかれているのは「オフタイム」でしょう。鉄道の旅だと、始発から乃至は前日の最終列車から始まって、それこそ休む暇もなくあくせくしているからです。次の列車を1時間以上待っているときも、ただ単に漠然と待つのではなく、その時間を利用して何かをしています。
 バイクの旅でも同じで、一人で旅行していると「途中休憩を入れるのも勿体ない!」になってしまいがち。これではいけません。
 魅力的な妖怪といえば、何度も登場してもらっていますが、手塚治虫の『どろろ』に出てきた妖怪たちでしょうか? 皆、素敵でした!

 限界です、寝ます・・・。

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