『SUPER 8/スーパーエイト』(その1) ~8ミリフィルムの誘惑

2011-07-26 11:05:22 | 映画&ドラマ


 英語の原題をカタカナ表記している映画に文句ばかりつけているニワトリサンですが、『SUPER 8/スーパーエイト』(11)は、そのとおり表記しなければなりません。スピルバーグにオマージュを捧げたこの映画は、と同時に題名となっているスーパー8ミリフィルムへのオマージュだからです。さらには、スピルバーグが一度も描いたことのない「ボーイ・ミーツ・ガール」な初恋映画でもあるのだから、一粒で三度おいしい!?

 「スーパー8」は、1965年にコダック社が発表したアマチュア用8ミリ規格です。撮影用カメラは(今のDVカメラと違って)大変高価でしたし、撮影したフィルムを見るには映写機と白い壁が欠かせません。
 個人的には、「スーパー8」カメラを触ったこともなければ撮影されたフィルムを見たこともなかったのですが、友達のお父さんがスライド映写機を持つほどの写真愛好家で、ときどきスライド上映会を開いてくれました。雨戸を閉めて真っ暗にした部屋の中で、夏などは汗だくになりながら(映写機は熱を発するし、部屋にはクーラーがない)、スクリーン代わりの白い壁にひとコマずつ映し出されては消えていくフィルムを眺めました。
 学校でも、スライド映写の授業がありました。使用される視聴覚教室のカーテンは、遮光のためにかなり分厚い生地でできていて裏地も黒でした。重たいカーテンを引くとちょっとした暗闇が出現し、映画館にいるときに少し似た興奮を覚えたっけ・・・。
 スライド上映は「静止した映画」といえるでしょう。映し出される一枚の写真から何を読み取っていたのか全く覚えていないのですが、静止している上に不連続につながったスライド映画を観ながら、大いに想像力を働かせていた可能性があります。であるならば、これらの体験がニワトリさんの映画全般に対する出発点というか、原点だったのかもしれません。

 「スーパー8」は、アマチュア映画家や映画を志す学生だけでなく、一般家庭でも子供の成長を記録したホーム・ムービーなどで親しまれてきました。「スーパー8」の映像はところどころぼんやりしているのですが、カタカタと回るリール音の相乗効果もあって、「ぼんやりしている」がために塑像力をかきたてられ、感受性も3割増しぐらいに増感されます。そのときスクリーンに、自分の幼い頃や家族そして親しい人が写っていたら、どんな気持ちになるだろう? 自分自身の映像に対しては、自分の声を聴いたときのような恥ずかしさを覚えるかもしれませんが、さぞかし郷愁にかられるのではないでしょうか。
 ハイビジョンカメラで撮られたリアルで綺麗な映像にも感動を覚えますが、「思い出」はすこしボケていたり欠落している方がいいのかもしれません。『SUPER 8/スーパーエイト』の中でも、主人公の少年少女がホームムービーを見る場面が出てきます。映し出される映像は「本物」ではないのですが、胸がジーンとなりました。
 そして・・・エンドクレジットで、彼らが撮影していたゾンビ映画がめでたく上映されます(『リトル・ランボー』もそうでした)。オマケに挿入されているこの映画こそが、実は『SUPER 8/スーパーエイト』の真骨頂なのですが、それがノスタルジーでしかない「今」のことを考えると、ほんの少し残念でした。
 というのも、ニワトリさんが今現在13歳の少年で『SUPER 8/スーパーエイト』を観に行ったら、紅一点の大人びた少女に恋するだけでなく(いつの時代も、この年頃の女の子は同学年の男の子より少し年上だった)、「スーパー8」が欲しいと思うに決まっているのですが、昔とは違った意味で入手困難になってしまったからです。デジタルビデオカメラに一部のデジカメのようなアートフィルターが搭載されれば、それっぽい映像を作ることが可能になりますが、何が出てくるか分からない一発勝負の緊張感や、フィルムを切ったりつなげたりする編集作業の楽しさは得られません。その意味では、「スーパー8」は昔と同じ「贅沢品」ですね。

 もう少し思い出話をさせてもらうと、フィルム(銀塩)カメラの世界も事情は同じで、カメラ本体が高価な上にフィルム代・現像代・プリント代にお金がかかるので、今のように誰もが楽しめるものではありませんでした。
(その意味で、使い捨てカメラの「写るんです」が発売されたのは画期的だった)
 中学生になると、旅行やイベントなどに限って(PENではなかったけれど)ハーフカメラや35mmのレンジファインダーカメラを持ち歩くようになりました。高校生になると、父のOM-2で一眼デビューしましたが、使用フィルムは現像代の安いモノクロームが9割を占めていました。映画熱は写真熱よりさかんでしたが、映画を「撮る」方ではなく、ひたすら「観る」方に向けられていました。
 動画には動画の、静止画には静止画の良さがあり、自分で撮影するなら一瞬を切り取る静止画の方が性に合っている気がしますが、動画を撮るならやっぱり「スーパー8」がいい~! 愛好家は世界中に結構いるらしく、コダック社は今も「スーパー8」フィルムを発売しています。スティーブン・スピルバーグもティム・バートンも、ピーター・ジャクソンも塚本晋也も、本作を監督したJ.J.エイブライムスも、皆「スーパー8」で大きくなった~♪
 だから、今を生きる少年少女たちも、「スーパー8」に是非とも触れて欲しいと願います。
 ニワトリさんはもう大きくはなりませんが、老後の趣味として(これ以上趣味を広げるのは無理だと思いますが)「スーパー8 もいいかも?」なんて、そんな夢みたいなことまで考えてしまいました。
 もう、時間が来てしまいました。ちょっと忙しくなるので、続きは金曜日の夜ぐらいまでにはUPしたいと思います。
コダック社スーパー8フィルムの公式HPは、 → ここをクリック

『SUPER 8/スーパーエイト』の公式HPは、 → ここをクリック

 

 

撮影隊の面々(一人は銃口の先にいる)。エル・ファニングちゃんについては、次回で・・・


ワルサーPPKと・・・

2011-07-23 23:50:00 | 模型&おもちゃ

ダブルアクション・オートの決定版となったワルサーPPK。


 映画『ラスト・ターゲット』で、ジョージ・クルーニーがワルサーPPK/Sを使っていたと書いたけれど、もしかしたらPPK/Sではなくて本家本元のPPKだったかもしれません。
 機能美に徹したワルサーPPKは非常に格好良く、『007~』のジェームズ・ボンドや『ワイルド7』の草波隊長が使っているせいか、冷静&知的なイメージすら覚えます。実在人物では、アドルフ・ヒットラー(最近ではヒトラーと表記するようですが・・・)が愛用していたことが知られています。警察用拳銃として開発されたワルサーPP(警察用ピストルの頭文字をとってPPとなった)の全長&全高を切りつめ、私服刑事が携行し易くしました。最後のKは「短い」を意味する「クルツ」の頭文字Kです。現代銃でいえば、SIG SAUER P226に対する P228や、グロック17に対する19と同じ間柄。
 PPKは、(全てを説明すると長くなるので省略します)撃鉄を倒した状態で引き金を引くと連動して撃鉄が起き、そのまま引き切れば撃鉄が落ちて弾が発射されるダブルアクション・トリガーと、薬室内にカートリッジが入った状態で安全に携行できるセイフティ・メカニズムが好評を博し、戦後も警察用や護身用拳銃として広く使われました(日本でもSPや皇宮警察が採用していたが、現在はSIG SAUER P230に変わった)。22~38口径まで様々な口径が選べますが、ヨーロッパではある程度の威力があって撃ち易い(ボンドも32口径のPPKを使用)32口径モデルが一番人気で、大口径好きのアメリカでは反動はきつくても威力の高い38口径モデルが一番人気だそうです。 
 PPK/Sは、ケネディ大統領暗殺事件後に米国が輸入拳銃に課した新規格(全長×高さが4インチ以上)に適合させるため、フレームをやや大型のものに交換した特殊バージョンだったのですが、「グリップが長くなった分、銃を保持しやすくなった」とオリジナルPPKより好評を博し、現在も生産されています。ジョージ・クルーニーが使っていたのは、どちらでしょう? 口径は38だと思うのですが・・・。


ワルサーPPK(左)とモーゼルHSC(右)。美しさではHSCに軍配が上がるが・・・
どちらも、今は絶滅した金属製モデルガン。PPKはABSで復活したが、HSCも?


 そんなことを考えていたら、ニワトリさんが生まれて初めて手に入れたモデルガンがワルサーPPKだったことを思い出しました。今ではルックス&性能共に素晴らしいと思いますが、当時は一番安い金属製モデルガンだったから飛びついたのでしょう。特にジェームズ・ボンドのファンじゃなかったし・・・。
 PPKは色々なメーカーから発売されていましたが、トリガーを引くとスライドが動いてカートリッジの発火と排莢を手伝う「スライドアクション」により、実銃と似たブローバックの動作をするのが魅力的でした。実際は、トリガーにかなり負荷がかかるせいか、肝心のメカニズムがすぐにへたってしまい、引き金を引いただけではスライドを下げ切れなくなり、手でスライドを前後させる「スライドアクション」になってしまいました。トリガーガードのヒンジを下に降ろしてからスライドとフレームを分離させる分解方法は実銃と同じだったので、退屈するとPPKを取り出しては、「スライドアクション」でカートリッジを排夾させ、マガジン内が空になると、床に散らばっているカートリッジを拾ってはマガジンに込め、「スライドアクション」(弾倉はリップ部分がすぐ曲がってしまうのでペンチが欠かせない)を繰り返したり、分解しては組み立てて一人悦に入っていました。アホだね~~♪ 専門誌の月刊『GUN』も毎号擦り切れるほど読んで専門知識を覚えました。

 


 
中型オートで最もエレガントなFNブローニング M1910。ベストセラーになった。
戦前の日本でも将校に好まれ、あの峰不二子ちゃんもガーターベルトに挟んでた!

 

同じブローニングが設計したコルト M1903。1910と比べると無骨で男性的な感じ。
日本のアクション映画のステージ銃としてよく登場したため、「日活コルト」と呼ばれた。

 



『SP』で有名になったSIG SAUER P230。32口径タイプが日本警察に採用された。
ワルサーPPKとモーゼルHSCを足して二で割ったようなデザインだけれど・・・格好良い!
映画はまだ見ていないが、中型オートで一機種だけ選べと言われたら、P230かなあ~♪


日本仕様の SIG SAUER P230(JP)。32ACP 8+1発。
マニュアル・セイフティとランヤードリングが追加された。

 24日朝追記。銃の写真に驚いた方もいたかもしれません。イーストウッドやマックイーンに憧れ、「大人になったら渡米して実銃を撃ちまくるぞ」ぐらいの気持ちだった少年がその後どうなったかというと、一度も実弾射撃をしたことがなく今後もすることはないでしょう。この分野についてはプラモデルとモデルガンが好きだったようです。80年代になるとガスや電気の力でBB弾を発射するエアガンが登場し、モデルガンは急速にすたれてしまいました。M60機関銃のガスガンまで発売され、ニワトリさんも一度だけ好きモノの友達から非常に高価な
FN- FAL自動小銃を借りてゲームに参加したのですが、地面に這いつくばって息を潜めているときに「こうしたことが全然楽しくないこと」に気付き(缶蹴りで隠れているのなら、今でも楽しいけど)、実銃を撃ちたいという気持ちも消えてしまいました。でも、この記事を書くために色々調べていたら、最近発火式モデルガンが復活してたのですね。よりによって、PPK、P230、M1911A1が発売されています。70年代回帰の想いがいよいよ強くなってる今日この頃、新たな援軍(誘惑)の登場に心が揺さぶられる? オーディオ&ビジュアル関係をリニューアルしてシアターを復活させようと細々貯金を始めていたのですが、撃つまでの準備作業と撃った後のクリーニングの時間が殆どを占めていながらも、引き金を引くたびに映画や漫画(主に『ワイルド7』)の主人公に成り切っていた懐かしい思い出が蘇ってしまいました。さてどうなることか・・・。


『ラスト・ターゲット』 ~職人(オトナ)の映画

2011-07-21 11:00:00 | 映画&ドラマ

映画は自然光だけで撮影された。フィルム写真家の監督はデジタルを一切使わない。
映画の中で主人公に携帯電話を捨てさせるなど、アナログへの思い入れが強い。


 ローマのテルミニ駅に降り立ったアメリカ人は、用意されたフィアットでアルブッツオ州の山岳地帯に向かった・・・中世の城塞都市カステル・デル・モンテをはじめ、渋めのイタリアロケ地の描写が実に魅力的な映画『ラスト・ターゲット』の原題は『The American』。そのままカタカナ表記するのは無理だとしても、邦題はちょっとひどいと思う。
 主人公の孤独な暗殺者は、イタリアの行く先々で「アメリカ人?」と尋ねられ、カフェではエスプレッソではなくアメリカンコーヒーを注文する。そんなことから『巴里のアメリカ人』(51)じゃないけれど「伊太利の片田舎のアメリカ人」といった趣きがある。主人公の気持ちが常に張り詰めているのでバカンスの風情は皆無だが・・・。
 原作小説の題名は『暗闇の蝶』。主人公のアメリカ人はイタリアの片田舎で蝶の絵を描く初老の画家で、Mr.バタフライと呼ばれている。映画は最初の設定を大きく変えているけれど、主人公は背中に蝶の彫り物をしていて、背中の蝶と生きた蝶をモチーフとして描いている。原作の主人公には女子学生!の恋人がいるが、映画でも三人の女性が主人公に好意をよせている(関係は持たなかったが、同業者のマチルダも・・・)。
 主人公が自身の生き様を花から花へと蜜を求めてはかなく死んでいく蝶の生態と重ねていることから(しかも、背中の蝶は飛ぶことができない)、「蝶を愛した殺し屋」の題名でも良かったかも? 自分だったら、『ラスト・ターゲット』より見たいと思うが、昔の配給会社はもっとセンスが良かったと思う。


いつもの茶目っ気なし。ストイックな主人公は警戒と鍛錬を怠らない。


こだわりは拳銃にも・・・シルエットが美しく細身で小ぶりなワルサーPPK/Sを常に携帯し、
現在主流となっているグロックなど大容量マガジンを持つ自動拳銃には見向きもしない。 


 「殺し」を生業とする人に「職人」という言葉を使っていいものか悩むところですが、映画の世界だからいいとしましょう。その道のプロを演じたら、ジョージ・クルーニーに勝る人はそういないかもしれません。
 ジョージ・クルーニーは、若い俳優さんでは太刀打ちできない100%大人の魅力に満ちているのですが、その反面というか、いやだからというべきか(近作の『ファンタスティック・Mr.FOX』でも際立っていた)「茶目っ気」が一番のポイントで、いたずらっ子のように目をキラキラ輝かせながら仕事を楽しむ姿を見ていると、「ニンゲン、かくありたいものだ」といつも思います。
 昔の映画俳優でいえば、ケイリー・グラントですね。ちょいワル、ダンディ、お茶目。口も手も良く回るプレイボーイ。恋人の女性はハラハラするかもしれないけれど、同性も憧れる大人の男かな~♪
 ところがですよ、『ラスト・ターゲット』のクルーニーは「お茶目」な部分を完全に封印して、孤独で寡黙な殺し屋を演じています。ベッドシーンから始まる冒頭の5分間で、襲撃者を返り討ちにした直後、躊躇なく連れの恋人も射殺! 我々日本人の観客は「まるで『ゴルゴ13』のデューク東郷だ」と思ったことでしょう。
 そのまま自己完結すれば、映画は殺し屋映画の金字塔でもあるアラン・ドロンが凄すぎた『サムライ』(67)の域にまで達していたかもしれませんが、潜伏先のイタリアで(スウェーデンで懲りなかったのか)美しい娼婦と恋に落ちてしまい、これを機に足を洗おうと考えたものだから、素人でも「そうは問屋がおろさないだろう・・・」という展開になっていきます。
 個人的には、「運命の女性」を演じたヴィオランテ・ブラシドが若すぎる感があって、それなりの年齢を感じさせる中年女性が相手役だったら、小川のほとりでのピクニックやレストランで食事をするシーンもより情感が高まり、カステル・デル・モンテの聖体行列を見物するクライマックス場面でも、イングリット・バーグマンが素晴らしすぎる『イタリア旅行』(53)の最後に描かれていた聖体行列のシーンと同じ緊張感と感情の高ぶりが得られたのではないか・・・と思ってしまったのですが、映画の後でヴィオランテさんが39歳の成熟した女性であることを知り、正直驚きました。
 体の線が全く崩れておらず、肌も若々しい彼女だけれど、よくよく考えると、あの堂々とした脱ぎっぷりはそれなりの年齢を重ねていないとできないのかもしれません。冒頭の女性(イリーナ・ビョークランド)も、殺し屋のマチルダ(テクラ・ルーテン)も同じタイプのいい女で、(さすがジョージ・クルーニー?)見る目が非常に高い!
 この映画は【PG12】なのですが、かつてニワトリさんが『未来惑星ザルドス』を見てトラウマに陥ったように、
13歳の少年がヴィオレンテさんの美しすぎる肢体でトラウマに陥らないだろうか心配(期待)します。
 本筋とは関係ない話になってしまいましたが、ついでに『サムライ』(ジャン=ピエール・メルヴィル監督)と『イタリア旅行』(ロベルト・ロッセリーニ監督)は大人の映画の超傑作!なので、未見の方は是非ご覧ください。


ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」から抜け出してきたヴィオランテさん


同業のマチルダさんとのアバンチュールも見たかった?
はかない最期を遂げるイリーナさんの尻も見事でした・・・



 映画はやっぱり「女と銃!」だったりして・・・女性に対するこだわりもかなりフェチだったが、銃器に対するこだわりもあまりにもマニアックでした。
 ジョージ・クルーニーが構えている Mini14改の銃口に取り付けられたパイプは消音器(サイレンサー)ではなくて減音器(サプレッサー)なのですが、普通の人にとっては、どちらだろうと大差がないでしょう(興味がない)。
 なのに、拳銃弾とその三倍近い初速で発射されるライフル弾の違いから生じる消音器と減音器の違いを主人公の口から説明させるとは・・・その道のプロ同士の会話になると、望遠照準器の微妙なクリック調整や使用するカートリッジの種類について、普通の人の知り得ない専門知識が「銃口初速」「5.56mm×45mm弾」(最初のミリは口径。次のミリは薬莢の長さを示す)といった専門用語と共に飛び交うため、二人が何を話しているのかさっぱりわからなかった人も多かったのでは? そもそも、観客の何人がスタームルガー社のMiini14自動小銃のことを知っているのだろう? でもマニアは、ふむふむと頷き大満足した筈!
 さらには、暗殺映画の金字塔的作品の『ジャッカルの日』(73)と同じように、弾頭部分を削り取りドリルで開けた穴に水銀を流し込んで殺傷力を格段に高めたダムダム弾を依頼者(というより銃器好き)のために作ってあげたり、完成したライフル銃を依頼者の女殺し屋と一緒に試射に出かける(このシーンも『ジャッカルの日』風)等の細部にわたる描写に、マニアは泣いて喜んだことでしょう。
 派手なアクションはなくても、レストランでの金の受け渡しなど並々ならぬ緊張感が漂っていて、そのあたりも非常にリアルでした。


同じアルブッツォ州でも、『私とキツネの12ヶ月』とはかなり違う風景がまた素敵でした。

 『ラスト・ターゲット』公式HPは、 → ここをクリック


古賀茂明さんへ退職勧奨 ~経済産業省が改革派を追放する・・・

2011-07-17 23:15:00 | 独り言&拾いもの


 東京新聞7月16日朝刊社説「官僚肩たたき」を読んでびっくりした。Angela あんこさんが記事を寄せてくれた経済産業省の古賀茂明さん(記事は→ここをクリック)が退職を迫られているらしい。全文を抜き出すと以下のとおりだ。

~経済産業省の改革派官僚として知られた古賀茂明氏が「肩たたき」された。事実上のクビ宣告である。脱官僚・政治主導を唱えた民主党政権は、いまや霞が関の改革派つぶしにまで手を貸すのか~

 古賀氏はかねて霞が関、永田町で筋金入りの改革派として知られていた。産業再生機構の執行役員当時はダイエー再建に辣腕(らつわん)をふるい、政府の国家公務員制度改革推進本部事務局では審議官として抜本的改革案をとりまとめた。
 ところが、徹底した改革姿勢が官僚の既得権益を守りたい霞が関の怒りを買う。推進本部から本省に戻った後、一年半にわたって「官房付」という閑職に飛ばされた。このポストでは実質的な仕事がなかった。
 最近では東京電力福島第一原発の事故を受けて、東電株式の100%減資や銀行の債権カットを柱とする独自の賠償案をまとめて公表した。同案を収録した著書「日本中枢の崩壊」は二十万部を超えるベストセラーになっている。
 海江田万里経産相は就任当初「能力を発揮できる場所で仕事をしていただく」と語っていたが結局、閑職にとどめたまま放置し、六月末に事務次官を通じて古賀氏に早期退職勧奨をした。三週間後の昨日が退職期限だった。
 国家公務員は法律で身分を保障されており、退職勧奨に強制力はない。古賀氏は辞職しない意向を通告しているので当分、身分は中ぶらりんの状態が続く。
 古賀氏の肩たたき問題が示しているのは、民主党政権が霞が関をどう改革し、そのために有能な官僚をどう活用しようとしているのか、さっぱり見えない点だ。
 脱官僚と政治主導こそが政権の出発点だった。仙谷由人氏は一時、古賀氏を補佐官に起用しようとしたが、発令直前に断念してしまう。菅直人政権は今国会に公務員制度改革や公務員給与削減の法案を提出しながら、審議入りもせず先送りの方針だ。
 そもそも民主党は退職勧奨こそ天下りの元凶と言っていた。そうではなく、本当は官僚の能力・実績をどう評価し、適正に処遇するか。それによって官民の人材交流をどう活発にするか、が真の問題だったはずだ。
 そうした根本の議論を避けただけでなく、自分たちが厳しく批判してきた「肩たたき」という不透明な手段で古賀氏を退職に追い込もうとしている。まったく本末転倒と言わざるを得ない。
 海江田経産相に再考を求める。

 あんこさんがUPしてくれた「超人大陸」の次の動画(古賀氏が語る『原発震災を防げなかった本当の理由』)も必見ですね・・・と思ったら、プレビューで終わりか・・・ニワトリさんには、経済産業省がこんなことをやっていると「告発」することしかできないけれど、古賀さん、負けないで!


『生中継 祇園祭宵山』と、『復活 ~山田洋次 SLを撮る』

2011-07-16 23:55:54 | 映画&ドラマ

「船鉾」。船首には鶏(ではありません)が・・・!


 うだるような暑さが気持ち涼しくなるニ番組を見ました。
 まずは、一世代前(失礼!)の女子アナが懐かしかった『祇園祭宵山』。(「ナポリを見てから死ね!」と言うように)「宵山」を見てから死にたいと思いながらも、ニワトリさんはまだ「宵山」を見たことがありません。翌日の「祇園祭」は学生時代に偶然遭遇(たまたまその日に京都にいた)したことがあるけれど、見物客が多すぎて動くこともままならず、ただでさえ暑い京都の夏に八つ当たりした記憶しか残っていません・・・。
 それ以上の人が繰り出す(50万人超)前夜の「宵山」は、「行列ができるお店」で待つことの出来ないニワトリさんには不向きというか、行くべきではないのかもしれませんが、夜というのがまず魅力的だし、「山鉾」が動くのを見るのではなく、自分が動いて「山鉾」を間近で見ることができる(「船鉾」は中に入れる)点ではニワトリさん向きで、本番の「祇園祭」は見なくても「宵山」は見てから死のうと思います。
 一晩で8基の「山鉾」を見ることができるとしたら、4回通えば32基全部見ることができるのだけれど、今日の『生中継 祇園祭宵山』はその気持ちに半分以上答えてくれました。というのも、番組で取り上げてくれた「船鉾」「蟷螂山」「鯉山」がお気に入りの「山鉾」だったから! 蟷螂のからくり人形が引いてくれるおみくじは見てるだけで楽しかったけれど、「どこでもドア」でワープしたくなりました・・・。

 そして、実は蒸気機関車大好き人の山田洋次監督が初めて撮ったドキュメンタリー『復活』。吉永小百合さんのナレーションも素敵でしたが、何といっても主役のC61-20号機と、それを一度2万個の部品に解体し再度組み立てた人々たちの姿に熱くなりました(復活したC61-20号機は、夏休み期間中にD51-489号機との重連走行も行われる予定)。
 ニワトリさんは、C57-180号機、C57-1号機、C12-66&C11-325号機に乗ったことがありますが、この調子で動態保存中の全蒸気機関車に乗りたいものです~♪
 1100年以上の歴史を持つ祇園祭と、一世を風靡した蒸気機関車が復活するまでの2年間(機関部のボイラーを扱える工場は日本に一つしかない!)。次世代へ必ず伝えてほしい伝統行事と「匠」の技だと思います。


営業運転を再開したC6120


がんばれ、東京新聞!

2011-07-15 01:22:20 | 書物の海

 東京新聞は中日新聞東京本社が発行している地方紙だが、グループ全体では「日経」「産経」を上回り、業界第4位になる。(ちなみに1~3位は「読売」「朝日」「毎日」)


 東京新聞に掲載された原子力関連記事の切り抜き帖が、6月末の段階でA4のスクラップブック6冊目に入った。編集(単に貼っているだけのことが多いが・・・)の方が追いついていないのだが、おそらく7月14日の現時点で丸7冊に達しているだろう。
 東京新聞の「こちら特報部」は、かねてからニュースの追跡力に定評があり、読み応えのある記事を書いてくれていたのだが、その特報部が震災以後に総力取材した記事が『3.11の衝撃 震災・原発 特報部は伝えた』の題名で単行本化された。定価は1000円。


『TOKYO OH!』より、私の好きな写真「水の都」


 東京新聞はコラムや書評もユニークだ。東京の「今」を各種レンズの特性を生かした斬新なアングルとユニークな視点で捉えた『TOKYO OH!』は『東京異形』に題名を変えて単行本化された。この大型写真集は2009年度の新聞協会賞を受賞している。名物連載では、『東京慕情 昭和30年の風景』『首都圏 名建築に逢う』『ザ・東京湾』『東京野草図鑑』『東京坂道散歩』などが単行本化されている。
 ニワトリさんは2003年ごろから東京新聞の読者になったが、新聞連載時からこれらを愛読していた。今後というか、絶対に単行本にしてもらいたいのが、堀内洋助さんの『探鳥』。一枚の写真を撮るために、どれだけ「待ち」の時間があるのだろう? 本当に素晴らしい写真と簡潔な文章が非常に魅力的だ。『探鳥』は金曜日の夕刊に連載されているが、これを見る(読む)だけでお釣りが来る。
 現在『TOKYO発』の題名で連載中の特集も大好きな連載だ。先日は東京のシテ島=「妙見島」が取り上げられていて、記事に惹かれて妙味島を訪ねてしまった。『TOKYO発』の単行本化も是非!


「ドット」。カメラの眼だからこのように見えるのだけれど、現地に行きたい!


 東京新聞の一ヶ月の購読料は3250円と、他紙よりかなり安い。以前は日本経済新聞を読み解くのを楽しみにしていたが、不景気が続く時代を迎えてからなりふり構わぬ経済至上の視点が目立つようになったのと、高い購読料がネックになり、東京新聞に切換えた。
 東京新聞は以前からユニークだったけれど、3.11以後彼らが追跡取材した原発関係の記事の量は他紙を圧倒している。ニワトリさんは読売新聞も閲覧しているが、東京新聞と比べると「全く触れられていない」に等しい。
 三大紙では毎日新聞が「脱原発」に舵を切ったようだが、つい最近、東京新聞の「異変」に気付いた。その異変とは?
 大手企業の新聞広告が全くないのだ! 以前も、他紙の様に折込広告だらけではなかったが、この少なさは尋常じゃない。
 ある日の広告を調べてみると、全面広告が「カメヤマのロウソク」で(災害に強いロウソクだけど)、出版広告を除けば、自社の旅行企画、印鑑、静岡茶、サーカスなど。今日の朝刊を眺めてみると、聞いたことのない健康食品やサプリメントの広告ばかり・・・。明日にでも原発の再稼動を要請する経団連が一枚噛んでいるのは明らかだが、耳の痛いニュースを流し続けている東京新聞に対する「兵糧攻め」が始まっていたのだ。
 この事象一つだけをとっても、いかに「脱原発」が困難な道のりであるか、よくわかる。こうなったからには、微力ではあるけれどもこの単行本も購入して、東京新聞をバックアップしようと思う。
 がんばれ、東京新聞!

 

『探鳥』より、ハクセキレイ。春の雪を背景に飛ぶ虫が浮かび上がった!


『100,000万年後の安全』 ~猛暑の今夏はオンカロで涼もう!

2011-07-13 09:14:10 | 映画&ドラマ

オンカロ完成予想図


 マイケル・マドセン監督によれば、このドキュメンタリー作品は「未来へ捧げる映画」とのことですが、私もそう思います。10万年後の未来はともかく、「オンカロ」が完成する頃の人々(22世紀と言われている)がこの作品を見たら、どんな感想を抱くでしょうか? 
 オンカロは地下500mにあります。想像を超えた深さだけれど、一般的に地下と言えば、夏は涼しく冬暖かいですよね(真夏と真冬にモグラ駅の『土合』に行ったけど、確かに快適だった)。年間通して16~17℃ぐらいで、冷暖房要らずなのでは?と思ってしまいました。節電の夏にはピッタリ?
 冷房がない時代、人々は色々な方法で涼をとっていました。子供のころ、皆集まって幽霊話を聞いたり、町内主催の肝だめしが開催されました。夜な夜な放映される恐怖映画で、体感温度が何度下がったことか・・・。
 『100,000万後の安全』は恐怖映画ではないけれど、見終わる頃には身も心も冷え冷えしているという点で、納涼向きの作品といえるかもしれません。関東地方も梅雨明けしたことだし、アップリンクか東京都写真美術館へGO~!

 世界中の原子力発電所から排出される大量の高レベル放射性廃棄物は、暫定的に中間処理施設と呼ばれる集積所で保管されています。集積所は自然災害や人災、戦争その他の社会的変化の影響を受けやすいため、それらの影響を受けにくい地下深くに最終処分場を設置して、10万年~100万年(アメリカの場合)という長期にわたって廃棄物を安全に管理する地層処分という方法が発案されました。
 原子炉4基を持つフィンランドは、オンキルト島(首都ヘルシンキから240kmの距離)の地下500mの地層を最終処分場に定めました。ここの地層は過去18億年動いたことがなく、少なくてもあと10万年は動くことがないと推測できます。世界初の最終処分場は「オンカロ」(隠された場所)と名付られ、2004年から硬い岩盤を掘削する工事が始まっています。2020年から操業を開始、22世紀には完了する予定です。放射性廃棄物が一定量に達すると施設は閉鎖され、最終的にはそこに至るトンネルも閉ざされます。一連の作業は古代エジプトのピラミッドの建設にも似ていますが、「隠された場所」に眠っているのが復活を待つファラオのミイラではなく、二度と開けられることのない、そして開けてはならない「パンドラの箱」である点が決定的に異なっています。
 「オンカロ」以上にクールで自己完結した建造物があったでしょうか? 考えようによっては、人類史上初の壮大なプロジェクトです。ニワトリさんは、まずそのことに惹かれました。そして、監督と一緒に地下500mに潜っていこうと思ったのです。その過程で、原子力エネルギーが抱えている本質的かつ根源的問題である「放射性廃棄物」について、初めて知ることになりました。



 まずは、オンカロを管理する職員と、マイケル・マドセン監督の呟きに耳を傾けてください。映画はこのモノローグで幕を開け、地表から地下500mの地層に潜りこんでいきます。
「ここは言うならば埋蔵場所です。ある物からあなたを守るために、その物を埋めました。絶対的な安全のために、我々は大変な苦心をしてきました。この場所への進入はご遠慮ください。また、この場所は住まいに適さないことをご承知ください。ここに近づきさえしなければ、あなたは安全です」
「ここは来てはならない場所だ。通称オンカロ “隠された場所” という意味だ。20世紀に始まったプロジェクトは、私の生存中には終わらない。完了するのは、私が死んだ後の22世紀だろう。オンカロの耐用年数は、10万年とされている。その10分の1の1万年すら、持ちこたえた建造物はない。だが、我々は今の文明が高度だと自負している。もし成功すれば、オンカロは人類史上、最も恒久的な建物となる。遠い未来にこれを見つけた君は、我々の文明をどう思うだろうか」
 
 ドキュメンタリー映画なのに、最新のSF映画やスリラー映画を見ているような気持ちになります。
実際問題、オンカロが抱えている問題は、10万年持ちこたえなければならないという命題を達成するためのハード面からも、ここが危険な場所であることを未来の人々にどんな言語で伝えたらいいのか?といったソフト面でも、「SF」そのものと言えるでしょう。今から10万年前はネアンデルタール人の時代でした。10万年後は今と同じホモ・サピエンスの時代でしょうか? 6万年後には氷河期が訪れます。
 オンカロは、人類が未経験のこうした事象を想定し、試行錯誤しながら二世紀にわたって続けられるプロジェクトです。SF小説を書いているも同然だと思いました。しかもこの壮大なプロジェクトは、「放射性廃棄物」という二十世紀に生まれた「負の遺産」を封じ込めることを目的としているのだから、不毛さと不条理性でも際立って文学的でもあります。現代の神話と言ってもいいでしょう。
 不気味な風の咆哮と電気の唸りが印象的な地下施設と無味無臭な放射能に相応しい沈黙に包まれている地上の中間処理施設。SF映画の映像美とドキュメンタリ映画ならではの臨場感に満ちています。
 フィンランドが生んだ大作曲家シベリウスの楽曲やテクノポップのクラフトワークの「放射能」を巧みにBGMに織り交ぜながら展開される関係者へのインタビュー。まるで黙示録のように静かに胸に響いてきます。
 抑制された語り口と、青を貴重としたクールな映像美で観客に問いかけてくる『100,000万年後の安全』は、「~映画」の枠を超えた映画史に残る作品です。

 この映画のもう一つの魅力は、「オンカロ」に携わる人々が発してくれる冷静で真摯な言葉を編集によって巧みにシナリオ化した点にあります。作品は幾つかの章に分かれていて、各章ごとに「放射性廃棄物」「中間貯蔵」「恒久不変な解決法」「人間の侵入」「未来への警告」「法律」といった、教科書の目次に記されるような題名がつけられていて、最後に彼らから私たちへメッセージが発せられ、文字どおり映画はブラックアウト(暗転)します。真の教育映画とはこのような作品のことを言うのでしょう。
 プロジェクトの責任者の一人でもある神学者は次のように言います。
「これは国全体の責任でもあります。原子力に賛成か反対かは関係ありません。現存する放射性廃棄物の問題は、原子力とは別の問題として考えなければなりません。これが未来の世代に害を及ぼさないよう責任を持って取り扱うべきです」
 オンカロの持つ意味について一人ひとりが考えるようになったら、違う未来を選択できるかもしれません。

 


『100,000万年後の安全』のパンフレット(800円)は、全シナリオの採録、監督へのインタビュー、放射性廃棄物の基礎知識&各国の対応といった解説に加えて、多くの著名人による感想や提言が寄稿されるなど非常に充実していて、これだけで一つの作品になっていました。パンフレットの最後に、作品を配給した浅井隆さんの文章が「編集後記」の形で掲載されていますが、それを読んで襟を正す気持ちになりました。
「原子力を発明したとき、その放射性廃棄物を無害化する技術を確立することなく、その処理問題を後世に押し付けるしかないことがわかった上で実用化してしまった」
 とても重い言葉です。人類史を鑑みると、人は「倫理」に反する行為を繰り返してきたと言わざるを得ないのですが、放射性廃棄物は既に全世界で20~30万トンあると言われていて、どこの中間処理施設も既に飽和状態に達しているなど、環境問題同様に深刻さを増しており、今こそ「倫理」が問われるべきだと思います。しかもそれは、現在だけではなく私たちの子供たちの住む未来に対して問われているのです。
 色々問題を抱えながらも、ドイツが「脱原発」に舵を切った理由が正にそれだったのですが、私たち日本人はニ発の原子爆弾を落とされる悲惨な経験をしていながら、原子力エネルギーが抱えている様々な問題を知らな過ぎました。不勉強と言われればそれまでですが、知らされなかったと言ったほうがいいでしょう。
 科学の力を信じれば、いつの日か放射性廃棄物を無害化できるときが来るかもしれません。ならばその日まで、このエネルギーは使わずに封印すべきなのは、もはや自明の理ではないでしょうか? 是非ともご覧ください。

 『100,000万年後の安全』の公式HPは、 → ここをクリック


原発三兄弟

2011-07-11 23:15:00 | 独り言&拾いもの

 震災から4ヶ月経過した今日7月11日、政府が統一見解として発表した「ストレステスト」なるものは、まだその内容並びに期間が具体化されていないが、テストをする人が、情報隠しと情報操作に奔走している「電力会社」で(あくまでもテストを受ける立場だが、自分で自分をテストするのだから・・・)、それが妥当かどうかを調べるのが、国民のコンセンサスを得ずに原子炉の再稼動に奔走した経済産業省直属の「原子力安全・保安院」と、「安全」に関して全く機能していなかったことが今回の事故で明らかになった「原子力安全委員会」では、まるでお話にならない。

 原子炉の再稼動に関して、ひと昔前に流行った「だんご三兄弟」ならぬ原子力ムラの「原発三兄弟」に任せていたら、全ての原子炉が再稼動するだけの話だ。現に、先週のNHK特番にパネリストとして参加した原子力安全委員の奈良林さんは、原子炉の寿命について、原子炉の老化は人間の老化と全く異なり配管など付帯設備を交換すれば新品と同じになる、と主張。幾らでも運転期間を延長できることを示唆していた。「二度と造ってはならない」と訴える元プラント設計者を冷笑しながら、今回の事故をチェルノブイリと比較されると「チェルノブイリとフクシマは違う」と、むきになって専門用語で反論する大人気なさも見せてくれた。

 原子力安全委員会がいかに無能な組織だったかは、今では小学生ですら「原子炉を安全に止めるには冷やすしかなく、冷やすには電気が必要」なことを知っているのに、「全電源喪失の事態は考慮しなくて良い」としていたその一点だけで明らかだ。これだけの事故を引き起こしておいて「世界一安全な原発を造る」と臆面もなく口にすることのできる人が、すなわち原子力安全委員なのである。
 今回のやり方でストレステストを実施するなら、「原子力安全・保安院」は人心を新たにする必要があり、判定する「原子力委員会」もメンバーの総取替えが前提条件だ。もちろん、委員会の中にに推進派の人がいて構わないが、今まで冷や飯を食わされていた科学者&技術者も同数いなければ公平・公正とは言えない。


『NHKスペシャル ~徹底討論どうする原発』を見て・・・

2011-07-10 11:50:00 | 独り言&拾いもの

 多くの方がご覧になったと思います。最初に「この先原発がどうなるか(原発をどうすべきか)」5人のパネリストが意見を述べました。
 元原子力プラント設計技術者の後藤正志さんが掲げた「即時停止」に込められた悲痛で切実な訴えに心を動かされましたが、停止中の原発の再稼動を全て停めることはできないでしょう。玄海原発で言えば、危険な1号機は廃炉、老朽化した2号も停止。3号機のプルサーマル運転は認めない、でいいと思います。
 でも現実問題として、原子力安全委員会委員の奈良林さんが言うように「事故の教訓を生かし英知を結集して世界一安全な原子炉を造る」のも、自治体が手を挙げてくれないので事実上不可能だと思います。
 となれば、老朽化した原発から順番に廃炉になっていくことは避けられず、環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也さんが提示した「2020年自然消滅」は無理かもしれないけれど、いずれ原発はなくなるし、最後の原始の火が消える日が2050年になったとしても、その頃には再生可能エネルギーが相当伸びているでしょう。「自然消滅」が最も理に適っていて、なおかつ現実的なシナリオだと思いました。

 討論会に参加したパネリストは、政府関係者(原発事故担当大臣)一名、「脱原発」三名、「現状維持」一名、「原発も選択肢として残すべき」一名で、若干バランスを欠いていたかもしれませんが、「脱原発」の圧勝に近い内容でした。
 それにしても改めて感じたのは、斑目春樹委員長をトップとする原子力安全委員会が、原子力エネルギーを使用する側に対して本来だったらブレーキの役目を果たさなければならないのに、原子力安全・保安院と同じように、原子力政策を推進させるアクセルに過ぎないことでした。
 日本をジェット機に例えて「原子力エンジンが停まってしまうと失速してしまう、日本経済が停滞し国際競争力も低下する、企業が海外にシフトして産業の空洞化が起こる」、手垢がついた「太陽光&風力発電は不安定エネルギー」、挙句の果てに「電力不足で大規模停電が起きたら、病院が困る。交通事故も起きる。仮に死者が出たらどう責任をとるのか、今回の事故ではで死者は出ていない」などなど、ニワトリさんでも容易に反論できる破綻したロジックをお経のように繰り返す人が「原子力安全委員」なのだから、かなり問題です。
(危険極まりない高速増殖炉について言及し即座に否定されていた)
 原子力安全・保安院を経済産業省から切り離して再編するだけでは不十分で、この委員会も一度解体しなければなりません。

 特番でも(少しだけ)取り上げられていたのですが、原子力発電の真の問題は「発電所の安全」ではありません。発電後に生じる「高濃度放射性廃棄物」を半永久的に管理しなければならないことです。
 日本では最終処分場すら決まっていませんが、フィンランドでは何億年も動かないと言われている地下500mの地層に「オンカロ」と呼ばれる最終処分場を造り、そこで10万年の長きにわたって廃棄物を封印するプロジェクトがスタートしています。
(それについては、ドキュメンタリー映画『100,000万年後の安全』をご覧になるのが一番かな?)
 原子力発電所は、事故が起きるたびにそれ以前よりは安全になっていくでしょう。私はこれだけで容認できませんが、どんなに安全に発電を行えるようになったところで「後世に負の遺産を残していく装置」であることが分かった以上、認めることはもはやできません。既に大量の廃棄物が施設内に保管されており、原発がなくなってもこれらの廃棄物が消えてくれはしないのですが、発生装置を一刻も早く消滅させることが何より重要だと考えます。英知は代替えエネルギーに注ぐべきです。来月の討論会も、大いに期待します。


許されない「やらせ」・・・

2011-07-09 01:17:00 | 独り言&拾いもの

 一昨日(木曜日)の話だけど、長~い勤務から帰宅すると、「玄海原発」を巡って二転三転の事件が起こっていた。とりあえず再稼動が回避されたことから、結果オーライな部分もあるのだけれど、本当はそれではいけない。
 それにしても、九州電力の「やらせメール」事件・・・。そもそもニワトリさんは、国が選んだ七人の侍(住民)が経済産業省の原子力安全・保安院4名と御用学者に質問するという「玄海原子力発電所 緊急安全対策 県民説明番組」そのものが停止中の原子炉を再稼動させるための「やらせ」だと思っていただけに、「おとなしくしていれば再稼動できたところを、つまらない工作をして自ら墓穴を掘るとは馬鹿だね~」と、九州電力のオウンゴールに歓声をあげたのだが、彼らが今回初めてこのような対応をしたわけではないことに思い当たると、次第に腹が立ってきた。

 これまでも、メールに記されていたように「万難を排してその対応にあたって」きたのだが、口頭で指示が出ていたこともあって、今回のような「事件」にまで至らなかったのだろう。
 それ以前に、原発の町で原発に異を唱える人が暮らしていけるとは考えられず、それが県レベルに拡大された場合でも、「原発の必要性」を「安全神話」とセットで電力会社&政府から言われ続けていれば、よほどの天邪鬼でない限り反対できない。だから例えば、「玄海原発3号機が日本初のプルサーマル運転を行うことの是非」が住民に問われた際に、九電&協力会社の人々が住民になり代わって賛成票を投じていたところで大勢に影響はなく、「問題」にもならなかった。
 だが福島第一の事故を受けて、原発の「安全神話」が虚構だったことが白日の下に晒されてしまい、それどころか色々なことがわかってきて「原発の必要性」すら揺らいでいる状況になっている。にもかかわらず、国&経済産業省は再稼動へ向けて動き出していた。
 こういうときは頭を下げたまま大人しくしているのが得策で、もしも「やらせ」が発覚したら全てが台無しになってしまう。九州電力は、今までと同じやり方を踏襲して梯子を自ら外してしまったのである。
 この種の「やらせ」は、許されないことではあるが、大型公共事業の「説明会」などで日常茶飯事的に行われている。「説明会」を行うよう法律上義務付けられているに過ぎない場合が殆どで、事業を進めたい側が主催する「説明会」なのだから、中立公平性があると考えること自体がナンセンスではないかと思う。だから行うべきは「説明会」ではなく、徹底した「討論会」だ。

 「やらせ」といえば、3月17日に自衛隊のヘリコプターが行った福島第一原子力発電所の3号機に対する上空からの放水作業も「やらせ」だった。
 その日の朝から高圧放水車による地上からの放水作業が予定されていたにもかかわらず、上空からの放水作業を先に行うよう急遽政府通達が出されたのだが、優先させた理由が何とまあ!「見栄えがいいから」。
 原発事故を憂慮するアメリカ政府に対して、真剣に取り組んでいることをアピールするパフォーマンスに過ぎなかったのだ。1000トンを超える冷却水が蒸発して使用済核燃料がむき出しになったプールに対して、ヘリコプターが投下した水は合計40トン。映像を見る限り、投下した水全てがプールに届いたとは思えない。
 放射線量の非常に高い場所で任務を遂行するだけでも決死の覚悟を要するのに、見えない目標に向けて「水の爆弾」を投下しなければならない。見事にやり遂げた自衛隊員には心から敬意を表する。
 だがこの後、消防庁のハイパーレスキュー隊が空になった燃料プールめがけて14時間放水を行い、2430トンの水をかけることができたのだから、当初の予定どおり朝から放水していたらどれだけ被害を拡大せずに済んだのか?考えてしまう。
 この作戦は、防衛省の方から「自衛隊の活躍を国民に印象付ける」ために申し出たとも言われていて、そうだとすれば防衛省が「玉砕」や「特攻」を奨励した史上最低の陸海軍と本質的には何ら変わっていないことを意味している。どこの国であろうと、兵士は使い捨てにされてしまうものだが、激しい憤りを覚えた。
 唐突に出てきた「ストレステスト」が、原子炉を再稼動させるための「やらせ」ではないことを願う。