天空☆faya-y的毎天☆

~faye-yの日常~ 天空疊著層層的思念。

福知山線

2019-04-25 21:11:49 | 雑記
関西、それも兵庫に住んでいるので、この時期になると脱線事故の記事が多く、また私自身当時あの線を使っていたので今でも身近なことであり、自分がその電車に乗っていた可能性やまたあの後数ヶ月少ないながらもマスコミが大挙する中を通勤した経験からもけっして時間とともに風化されるものではないのです。

この事件は直接的な原因の運転手だけの問題ではなく、その背景にあった会社の問題を法廷に引きずりだせたことは大きい事件であったと思います。

今日読んだ記事の中にて、
婚約者を追って自死された方の遺族が碑に名前を書いてもらうように働き続け「JRは分かってくれない」と憤っていたけれど、被害者の人と話している際、「JRもがんばってくれているよ」と言われて、気持ちがすっとひき、名前を載せてもらうのは諦めます、と伝えた
という内容のものを読みました。

また、負傷した方について
回復のきっかけについては家族の支えや、負傷者同士で思いを打ち明け合ったことを挙げる人がいた。体験を文章につづったり、事故の再発防止の活動に携わったりして症状が和らいだとの意見もあり、同センターは「自身の人生で、事故をどう意味づけられるかが大切」とみる。
自分は助かった、遺族と話すと申し訳ない… 脱線事故負傷者に「罪悪感」色濃く
という記事もあり、共有すること。思いを自分の外に出すことが胸の中の澱を漉す役割があるようです。

しかし、夜のニュースで追悼集会の様子が流れていたのですが、
今年から事故現場に追悼施設が完成したためにそこでの追悼集会となり、参列した遺族が一瞬で14年前に戻されたと慟哭されていたり、もう少し離れた場所で追悼したかったと話されていていました。あらかじめそれを懸念して違う場所にて中継で映る様子をごらんになっていた方もいたそうですが、実際その場面にいなければ分からなかったのでしょう。

胸が痛みました。
コメント
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