休日の夕方、映画館にはわたしを含めて三人だった。エンドクレジットが流れはじめるとわたしの他のふたりは帰っていったので、最後はわたしひとり。
子どもの頃、公害問題を授業で習った。小学生の頃だった。空港の騒音問題(阪神地区特有の)やスモッグ、そして工場からの排水による公害。
水俣病もセンセーショナルな映像で見た。震えて立てない猫、起き上がることもできない子どもたち。古く洗いフィルムで。それらは年月の流れとともに古い出来事になったいたかと思っていたのは傍観者であるわたしたちだった。
2013年、当時の首相が「日本は水銀による被害を克服した」 と発言しているがまだすべての患者が認定されているわけではない。2021年のいまも。
本作は「水俣」を世界に発信した写真家ユージン・スミスの物語。物語上の多少のフィクションもあり。
戦場カメラマンだったアル中のユージンは、日本人アイリーンと出会い、水俣の問題を知り、熊本にやってくる。本作におけるフィクションはユージンの再生。実在する元妻であるアイリーンはジョニー・デップのユージンは時々彼そのもののようだったと言っていたが、ユージンの生前の写真は映画の中のジョニー・デップそのもので、くわえていうとわたしはしばらくジョニー・デップ
だと思ってなかった。なんでやねん。気付けや。
ユージンは出会う、水俣で四肢の関節が不自由な少年シゲルに。彼は写真を手をとって教えてくれるユージンに言う「怖くないの。うつると思わないの」。
「思わないよ」
ユージンは単にセンセーショナルを追いかけたジャーナリストではない。渦中の人たちの中に入り、座り込み、そっとカメラのファインダーを覗く。そこが丹念に描かれていたから、ラストの母娘の撮影の持つ意味を観客は理解する。手を怪我をしたユージンはアイリーンに現像を託す。アイリーンに現像を教えて時のセリフを観客は思い出す。
愛、愛情
光の中で、暗幕の中で、母と娘の姿が浮かびあがり、また、ユージンが捉えようとしたものをわたしたちは見る。そして、犠牲になるのは市井の市民たちなのである。これは日本の問題だけではなく、いまも、世界で起こっている。