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カトリック清瀬教会(教会堂名:主の降誕)
創立:1936年 ◇ 住所:東京都清瀬市松山2-21-12
創立:1936年 ◇ 住所:東京都清瀬市松山2-21-12
秋津教会から、清瀬教会までを歩く。多磨全生園へ至る「病院街通り」には、ベトレヘムの園病院、国立東京療養所、複十字病院などの医療機関が集中している(注)。昭和初期の清瀬周辺では、結核患者、ハンセン病患者らを収容した大規模施設が多く、西武池袋線の東村山駅にはハンセン病患者専用の特別ホームさえあった(原武史著『滝山コミューン一九七四』講談社文庫版より)。これらの人々が帝都東京の片隅に追われた社会的背景に思いを巡らす。
その途中、救世軍清瀬病院の脇を通った。このプロテスタント系の病院は、カトリックの聖母病院、聖公会の聖路加国際病院とともに、戦前からの長い歴史がある。救世軍清瀬病院が設立された1939年は、カトリック司祭で医師の戸塚文卿(とつか・ぶんけい)神父が、小金井に桜町病院を開いた(小金井教会の記事を参照)。ちなみに、プロテスタント系の救世軍では、チャペルを「小隊」と呼んでいる。この清瀬病院にも小隊が「駐屯」しているようだ。
清瀬教会に到着。ここは、1958年までマリア会(暁星学園などの経営母体)の清瀬修練院があったところ。その跡地に建てられた清瀬教会は「1936年の創立」となっているが、これは秋津教会を「勧請」したと見るべきなのか。聖堂に入ると、天井の高さに驚く。静ひつに満たされた空間である。祭壇正面の左側には、聖ロレンソ・ルイス(聖トマス西と15殉教者の一人)の御像があった。フィリピン人信徒が多いのだろう。秋津教会ではタガログ語ミサも行われている。
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現聖堂献堂:1958年
(注):都立清瀬小児病院は、石原慎太郎知事の悪政によって、2010年2月に閉鎖された。