三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

年間第23主日のミサ

2011年09月07日 | ミサ聖祭
年間第23主日を迎えたカトリック府中教会
(住所:東京都府中市府中町1-40-11)

9月4日(日)、府中教会で年間第23主日のミサに与った。前日ほどではなかったが、この日も台風12号の影響で、突然の暴風雨に何度も見舞われた。鉄橋を渡る京王線の車窓から望むと、多摩川は大増水の濁流となっていた。府中教会に着いたときは、ちょうど雨が止み、玄関前の水も滴る聖家族の御像が迎えてくださった。府中教会のミサに与るのは、この日が初めてだ。「聖書と典礼」、典礼聖歌、東日本大震災被災者のための祈りの3点を持って着席。

午前10時、ミサ開祭。府中教会では午前8時にもミサが行われているが、既に聖堂は満席に近かった。「聖家族」の教会堂名にふさわしく、本当に家族的な雰囲気だ。ロザリオを手にしている老婦人、外国籍の若い女性、そして修道服を召されたシスターの姿も見える。「泣き部屋」からは子どもの元気な声が。当初、私は「泣き部屋」とは何のことか分からず、ミサや告解中に感極まって号泣する場所かと思っていた。ぼんやり考えているうちに、入祭の歌が始まる。

福音朗読は、イエスが「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」と言われた場面(マタイ18・15-20)。主任司祭のマウリツィオ神父は、「私たちは“最近いいことがない”と挨拶のように言います。そんなときは、きょうの福音を思い出してください」と流暢な日本語で話された。「私たちと苦楽を共にして、一緒にいてくださる神様。これ以上のいいこと他にありません」。私はそれを見失い、他のいいことを血眼で探していたのだ。


カトリック府中教会の聖家族像
<妙なる善徳と家庭生活の鑑とを示し給えり>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲4(典礼聖歌215-217)、入祭:典礼聖歌42「神のおきてを喜び」、奉納:典礼聖歌44「神のことば」、拝領:典礼聖歌63「神は恵みとあわれみに満ち」、閉祭:典礼聖歌321「いつくしみと愛」。
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子どもとともにささげるミサ

2011年09月05日 | ミサ聖祭
年間第23主日を迎えたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

9月3日(土)、八王子教会で年間第23主日のミサに与った。この日は台風12号の影響で、数分おきに天候が急変し、突然の暴風雨に何度も見舞われた。私が八王子教会に着いたときは、ちょうど雨が止んだばかりで、聖堂前の園庭を子どもたちが走り回っていた。八王子教会では土曜日夕方の主日の典礼が、原則的に「子どもとともにささげるミサ」の式次第で行われる。教会学校の子どもたちは要理を学んだあと、この夕べのミサ与ることになっている(らしい)。

午後4時、ミサ開祭。教会学校の子どもたちは、シスターとともに祭壇前の「特等席」に座っている。会衆は圧倒的に大人が多い。悪天候にもかかわらず、150人ほどが参列していただろうか。そんなことを考えているうちに、入祭の歌が始まった。「子どもとともにささげるミサ」の歌は、教会学校が独自に編纂した「子供の歌」から選曲される。当初は「ひらけ!ポンキッキみたいな歌ばかりだ」と思っていたが、最近は極めて優れた楽曲もあることが分かってきた。

福音朗読は、イエスが「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい」と言われた場面(マタイ18・15-20)。主任司祭の稲川圭三神父は、「罪の元々の意味は、“的外れ”だそうです。的外れとは、共におられる神様を認めないこと」と話された。「もし、誰かとケンカ中なら、その友だちにも神様が共におられると祈ってください。神様は全ての人と共におられるのですから」。 元小学校教諭の稲川神父は、子どもたちに優しく諭された。


カトリック八王子教会聖堂
初めての主日ミサに与った場所>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲2(典礼聖歌207-210。感謝の賛歌のみ上村幸一郎詩・曲)、入祭:子供の歌「イエスさまがいちばん」、奉納:子供の歌「五つのパン」、拝領:子供の歌「神様のぬくもりのしるし」、閉祭:子供の歌「こころをつないで」。
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九月の初金ミサ

2011年09月03日 | ミサ聖祭
九月の「初金」を迎えた聖イグナチオ教会
(住所:東京都千代田区麹町6-5-1)

9月2日(金)、聖イグナチオ教会で「初金ミサ」に与った。昨年の10月1日(金)、私が初めての「初金」に与ったのも、この聖イグナチオ教会だった。その日は幼いイエズスの聖テレジアの記念日でもあったから、平日正午という時間帯にもかかわらず、主聖堂は満席に近かったと思う。聖体拝領のとき、私はおずおずと行列に並び、未信者への「祝福」を授かった。幼少時の記憶を除けば、神のみ前(祭壇)に自分の意思で近づいたのは、このときが初めてだ。

お告げの祈りを全員で唱えたのち、正午のミサ開祭。この日は台風12号が接近していた影響もあり、「初金」としては少ない会衆だった(それでも、普段の週日ミサより多い)。福音朗読は、イエスのたとえ話「新しいぶどう酒と新しい革袋」の場面(ルカ5・33-39)。司式のセゴビア神父は、「私たちには新しさを拒む心の固さがある。これまでの考え方、習慣を変えたくないのです」と話された。「神の新しい言葉に気づくには、私たちの心を開くことが必要です」。

いつものように、「脱原発の新しい発想は、日本製の古ぼけた革袋に入らない」と嘆く前に、私自身も古いぶどう酒を鯨飲するのはやめよう。ところで、聖イグナチオ教会では独自に編纂した歌集「ともにうたおう 聖イグナチオ教会のミサ」を使用している。典礼聖歌、カトリック聖歌などから幅広く集められており、これ一冊で多彩な内容となっている。ミサ曲の章を開くと、未知の作品が収録されていた。作曲者名のリバスとは、イシドロ・リバス神父のことだろうか。


聖イグナチオ教会の聖母子像
<旧聖堂時代は、正門脇の大杉の下にあった(と思う)>

◆この日のミサ中の主な歌:
入祭:カトリック聖歌4「神のさとしの」、奉納:典礼聖歌6「あなたのいぶきをうけて」、閉祭:カトリック聖歌267「もろびとこぞりて」。賛歌・アレルヤ唱などは読誦。
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秋空のもとで

2011年09月01日 | 雑記帳
晴天に恵まれたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

9月になった。この間、ポスト菅の破廉恥な争いが繰り広げられたが、やはり「脱原発」の議論は黙殺された。例によって、マスコミは「小沢氏問題」を再燃させ、巧みに「脱原発」の争点を回避することに成功。その背後には、原発利権に群がる官僚・財界人の思惑が見え隠れする。この結果、「大連立で大増税」を叫ぶ「肥った青年将校」に天下が転がりこんでしまった。いま現在も、世界で最も醜い日本の原発が放射性物質を飛散させ続けているというのに。

昨年の10月頃から、私は多摩地域のカトリック教会を訪ね歩き始めた。その後、伊豆諸島の大島教会を除き、今夏には都内すべてのカトリック教会を巡り終えたことになる(注)。四国遍路に例えれば、結願(けちがん)となろうか。もちろん、それが信仰に基づくものではなく、教会巡りの単なる「スタンプ・ラリー」の域を出ないことは承知している。 当初は「建物としての教会」に惹かれたが、今はそれだけではなく、ミサ聖祭の中に大きな喜びを見出すようになった。

各教会のミサを通して、多くの司祭の謦咳(けいがい)に接してきたが、八王子教会の稲川圭三神父、聖イグナチオ教会のハビエル・ガラルダ神父の説教からは、特に強い影響を受けた。9月からは秋空のもと、主日ミサに与ることを大きな目的として、再び多摩地域のカトリック教会を訪ねようと思う。もっとも、御ミサに与った個人的な体験を、嬉々として書き連ねるのは、信仰薄き者が「会堂や大通りの角に立って祈りたがる」(マタイ6・5)ようなものではあるけれども。


カトリック八王子教会聖堂
<楽廊から1階席を見おろす>

(注):9月以降、泉町上野毛下井草築地田園調布八王子各教会の記事を順次公開いたします。
コメント (6)
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